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変遷する阿部薫のサウンド像について

変遷する阿部薫のサウンド像について

──録音受容史の素描

細田成嗣 Mar 08,2021 UP

前提──録音物によって再構成されるミュージシャンの軌跡

 1949年5月3日、神奈川県川崎市出身。本名・坂本薫。68年に地元のジャズ・スポット「オレオ」でデビュー。アルト・サックス奏者として形式をもたない自由即興演奏に取り組み、都内のライヴ会場を拠点に全国各地への楽旅も敢行。73年には作家の鈴木いづみと出会い、結婚。74年冬ごろから翌75年夏にかけて一時的に表舞台から姿を消し、その前後で演奏内容も大きく変化している。70年代前半はスピード感あふれるパッセージと矢継ぎ早に繰り出される洪水のような音の奔流を得意としていたものの、音楽活動を再開してからは沈黙と間の比重が増し表現的かつ即物的な音の実験へと向かうようになる。サックスやバス・クラリネット、ハーモニカといった吹奏楽器のほか、とりわけ晩年はピアノ、ドラムス、ギター、シンセサイザーなど多種多様な楽器を積極的に使用。また生涯を通じて既存の楽曲の旋律を即興演奏のなかで繰り返し取り上げ、そのバリエーションは歌謡曲 “アカシアの雨がやむとき” や童謡 “花嫁人形” からボブ・ディランの名曲 “風に吹かれて”、さらに “チム・チム・チェリー” “恋人よ我に帰れ” “暗い日曜日” “レフト・アローン” “ロンリー・ウーマン” といったジャズ・スタンダードとしても知られる作品まで多岐にわたる。1978年9月9日、前日に睡眠薬ブロバリンを98錠服用したことによる急性胃穿孔で死去──云々。

 いま現在わたしたちが阿部薫を聴くということは、粗雑に描いても以上のような情報に加えて時代状況をめぐるコンテクストを念頭におきながら彼の音楽に接することを少なからず意味している。わたしたちはいまや、発掘録音や特典盤を含め50枚以上のアルバム、あるいは同時代を生きた関係者の証言、批評家が残したテキスト、ファンのエッセー、さらには幼少期から晩年までを断片的に写し取った写真や演奏する姿をありありと観察することのできる映像まで、膨大な情報を参照することによって、それなりの精度で阿部薫という一人のミュージシャンの足跡を辿り直すことができる。データ化された彼の情報を縫合することによって、あたかも同時代を生きているかのようにリアルな感触をともないながら彼の音楽を再構成してみせることができる。なかには稲葉真弓の小説そして同書を原作にした若松孝二監督の映画『エンドレス・ワルツ』のように、虚構を織り交ぜた物語として劇的な生涯を知ることもできるかもしれない──むろん死を分割払いしていく破滅的な思想を阿部薫の音と足跡にそのまま当て嵌めてしまうこともまた現実に回収し得ない一種の虚構的振る舞いであると言えるものの。いずれにしてもそのような情報が増えれば増えるほど、阿部薫というミュージシャンの「本当の姿」すなわちその音楽の「真実」に近づくことができるように見える。

 だがしかし、このように全体像をイメージしたうえで阿部薫の音楽に接するということ自体が、彼の死後半世紀近く経過し、数多くの資料に容易にアクセスできるようになった現在であればこそ経験できる出来事であるということには留意しなければならない。いまやわたしたちは阿部薫の名前が冠された録音作品について、それが最盛期か否か、晩年か否か、同時期に私生活ではどのような変化があったのかを知ることができるものの、少なくとも同時代にあっては、いかに彼の音楽が死の匂いを濃厚に漂わせていようとも、死の直前の演奏だとはつゆ知らずに「晩年」の音楽を聴いていただろうし、ある録音物を10年という短い活動期間の時間軸上に配置するパースペクティヴも得ようがなかったはずである。新たな情報が客観的事実の正確性をより一層高めることはあったとしても、新たな録音物が日の目を見ることは阿部薫の音楽の「真実」に近づくのではなく、むしろそのサウンド像にこれまでとは異なる視点を設けることを可能とする出来事であるに他ならない。以上のことを踏まえ、本稿ではこれまでリリースされてきた音源を彼の人生に沿ってクロノロジカルに並べるのではなく、むしろ録音物がリリースされることでどのようなサウンド像がその都度形成されてきたのかを素描するべく、三つの時代に分けて音盤を見ていくこととする。三つの時代とは、作者が存命中あるいは没後数年間を含む1970年代〜80年代前半、再評価の機運が高まった1980年代後半〜ゼロ年代前半、そして阿部薫をインターネット上に浮遊する音声ファイルの一つとして聴くことが容易に可能となったゼロ年代後半以降である*。

(註)
* なお本稿は阿部薫の完全なディスコグラフィーを目指す性格のテキストではないため、特典盤やリイシュー盤など言及していない作品もあることをここに付記しておく。また個人史ではなく録音受容史をテーマに据えているため、アルバムには録音年ではなくリリース年を年号として付している。

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