ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. The Jesus And Mary Chain - Glasgow Eyes | ジーザス・アンド・メリー・チェイン
  2. Free Soul ──コンピ・シリーズ30周年を記念し30種類のTシャツが発売
  3. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回
  4. Beyoncé - Cowboy Carter | ビヨンセ
  5. CAN ——お次はバンドの後期、1977年のライヴをパッケージ!
  6. Columns ♯5:いまブルース・スプリングスティーンを聴く
  7. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第1回  | 「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」そして「ダムハウス」について
  8. interview with Toru Hashimoto 選曲家人生30年、山あり谷ありの来し方を振り返る  | ──橋本徹、インタヴュー
  9. interview with Martin Terefe (London Brew) 『ビッチェズ・ブリュー』50周年を祝福するセッション | シャバカ・ハッチングス、ヌバイア・ガルシアら12名による白熱の再解釈
  10. 壊れかけのテープレコーダーズ - 楽園から遠く離れて | HALF-BROKEN TAPERECORDS
  11. Jlin - Akoma | ジェイリン
  12. 『成功したオタク』 -
  13. まだ名前のない、日本のポスト・クラウド・ラップの現在地 -
  14. interview with Mount Kimbie ロック・バンドになったマウント・キンビーが踏み出す新たな一歩
  15. exclusive JEFF MILLS ✖︎ JUN TOGAWA 「スパイラルというものに僕は関心があるんです。地球が回っているように、太陽系も回っているし、銀河系も回っているし……」  | 対談:ジェフ・ミルズ × 戸川純「THE TRIP -Enter The Black Hole- 」
  16. Chip Wickham ──UKジャズ・シーンを支えるひとり、チップ・ウィッカムの日本独自企画盤が登場
  17. Bingo Fury - Bats Feet For A Widow | ビンゴ・フューリー
  18. みんなのきもち ――アンビエントに特化したデイタイム・レイヴ〈Sommer Edition Vol.3〉が年始に開催
  19. interview with Chip Wickham いかにも英国的なモダン・ジャズの労作 | サックス/フルート奏者チップ・ウィッカム、インタヴュー
  20. Beyoncé - Renaissance

Home >  Regulars >  sound cosmology - 耳の冒険 > 第2回 FULXUS

sound cosmology - 耳の冒険

sound cosmology - 耳の冒険

第2回 FULXUS

松村正人 Feb 24,2010 UP

終わりなき日常のフルクサス〈二〉
1984ヨーゼフ・ボイス〈一〉

 水戸の妻の実家に帰ったあとに、私はその場面を何度もかみしめながら、数年前に表参道のライヴハウスでみたチャールズ・ヘイワードの単独公演を思い出した。「ディス・ヒートの伝説的ドラマー」の煽り文句で身動きとれないほど盛況だった初来日時とはちがい、このとき表参道でおこなった単独ライヴはほどよい集客だった。演奏はドラムとヴォイスをメインに小物(サンプラーやラジカセ)を絡めたパンキッシュかつポップなヘイワードらしい即興でたのしかったが既視感はいなめず、私はどこか確認するような気持ちにもなっていた。終盤にさしかかりヘイワードはドラムセットから舞台の中央にでてきて、小物のひとつのラジカセの取っ手をつかみゆっくりと回しはじめた。ラジカセが旋回するごとにそこから流れる音がヘイワードを中心にした円周の上で奇妙なドップラー効果を生み、速度があがると音程も変わっていく。見た目にも音響的にもこのパフォーマンスは私たちを惹きつけ、場はしだいに盛り上がり、ヘイワードもラジカセをまわしにまわし、最高速度になったとき......ラジカセの取っ手が外れ、本体は横に舞台横にすっ飛び、壊れた。私と私の隣に座っていたカメラマンの塩田正幸は叫び声をあげた。ヘイワードは運動の慣性でなおも数回腕をまわしたが、顔には唖然とした表情が張りついていて、それは1984年6月2日の草月会館でみせたパイクと重なるものがあった。このようなことがあると場の空気は一変する。あのあと、ヘイワードは猛然とドラムを叩きだし、パイクの演奏の色彩は変わった。だが、ボイスはそれに触発されない。ボイスの位置からはパイクが死角になっているのか? 彼は鼻孔から吸いこみ喉の奥をとおし絞り出した空気をマイクで増幅し、黒板にその場で書き記したスコア--それは音価を示したリズム譜のようなものと思われる--をチョークでなぞりながら咆哮をコントロールしている。

BEUYS IN JAPAN
ヨーゼフ・ボイス
よみがえる革命

フィルムアート社

Amazon

今回の展覧会の副読本『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』(フィルムアート社)で高橋瑞木氏は「例えば、美術家の赤瀬川源平は、東野芳明と写真家の安齊重男との鼎談で「見てはいけなかったものを見てしまった」と語り、草月ホールのパフォーマンスを中座したと告白している」(文中の脚注指示は省略した)と書いたが、赤瀬川源平とおなじ気持ちになった観客はすくなからずいたはずで、仮に中座してもアクションの「価値」(とはつまり「意味」だが)は損なわれなかったに違いない。パイクはときに童謡のメロディを弾き出し、パフォーマンスに起伏をつくろうと試みるが、舞台上手のボイスは巌のような意味の塊に見え、アクションは千代に八千代につづくかのようにさえ思われたが、あるとき唐突な終わり方をした。私は切断にも似たその休止がアクションの意味を増幅させて驚いた。「コヨーテ・」は制止し、ボイスが執拗に指し示した意味の塊が舞台から消え去ったあとにかえってその重みをました気がしたのだった。アクションがイナクション(INACTION)になったとき初めて私はその上に悠久の時間が流れだしたとでもいえばいいのか、時間を超えた普遍さえほのめかされた気分になった。彼はあの1984年6月2日の草月会館にいた観客だけが相手だったのではなく、草月会館の外の木々のざわめきと通じ、ポストモダンが喧しくいわれだした1984年から歴史を遡り、無人の時間に達しようと吠えつづけたようでもあった。もう彼の行為は音楽の様式との相克が問われるようなものでなく、「音楽ではなく」、だが「音楽になり得る」なにかだったのではないか。

 それはまたボイスとフルクサスとの差異をに思わせるものでもあった。彼の重要なモチーフのひとつである脂肪が温度によって液体にも固体にもなるように、つねに流動体を意図したフルクサスとボイスは共有できる領域をもちながら、他方で溶け合わないものがあり、それはボイスの創作上の哲学からきていると思われるが、詳しくは次回書きます。

12

COLUMNS