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interview with Skream

interview with Skream

ダブステップの分水嶺

――スクリーム、インタヴュー

野田 努    Sep 10,2010 UP

Skream /
Outside the Box

E王 HYDRA Records / Tempa

Amazon iTunes

 『アウトサイド・ザ・ボックス』は歴史的なアルバムである。南ロンドンのアンダーグラウンドで発明され、発展したダブステップなるジャンルにおいて、ポップのメインストリームとの接合を果たす、最初の作品であるという意味において。今年24歳になったばかりのオリバー・ジョーンズ――スクリームの名前で知られるこの青年は、恐いモノなどないと言わんばかりにポップの世界にアプローチしている。
 『アウトサイド・ザ・ボックス』は、UKダンス・ミュージックがポップに接近する際の、伝統的なフォーマットのアルバムでもある。歌があり、ラップがあり、ジャングルがあり、アンビエントがあり、テクノがあり......ゴールディーのファースト・アルバムのように、とにかくまあ、幅広くやっている。シーンの盛り上がりが最高潮のときにリリースされるという意味では、アンダーワールドのファースト・アルバムのようなものでもある。
 
 スクリームがシーンの最初期からいたのは事実だが、初めからスターだったわけではない。ただし......彼にとって最初のヒットとなった2005年にのシングル「ミッドナイト・リクエスト・ライン」が、ダブステップというシーンにとって最初のクロスオーヴァーなヒットにもなった。そして、彼にとって最初のポップ・カルチャーとの接触である2009年初頭のラ・ルーの"イン・フォー・ザ・キル"のリミックスが、シーンにとっての最初のポップ・ヒットにもなった。スクリームにはそうした"特別な"経歴があり、それを思えば――それはまさに彼以外の誰もしてないことなのだ――彼にとってのセカンド・アルバム『アウトサイド・ザ・ボックス』が大きな作品になることは必然だったとも言える。
 
 リヴィング・リジェンドのマーズがフィーチャーされている"8-ビット・ベイビー"や"CPU"はモダンなロービット・ファンク・サウンドだ。オートチューンによるメランコリックな"ウェア・ユー・シュッド・ビー"はR&Bとダブステップのあいだで輝き、フレクルズのセクシーなヴォーカルが印象的な"ハウ・リアル"はダフト・パンクを彷彿させる。ディスコ時代の女王、ジョセリン・ブラウンの歌をサンプリングした"アイ・ラブ・ザ・ウェイ"はピークにもってこいのダンス・トラックとなっている。ベースが揺れている(ウォブルしている)"ウィブラー"のような曲もあれば、ラ・ルーをフィーチャーした――おそらくアルバムにおける最高のクライマックスであろう――エレクトロ・トライバル・ポップの"ファイナリー"もある。疾駆するジャングル・トラックの"ザ・エピック・ラスト・ソング"もある。とにかくいろいろなスタイルを試みている。
 ダブステップにおける低音バリバリのアグレッシヴないかめしさを期待している人は肩すかしを食うだろうけれど、ひとつ間違いないのは、ここにはアンダーグラウンドとポップが容赦なく混在し、それが伸び伸びとしたエネルギーとなっているという点である。そして......そういう大胆な作品はこの10年以上もの長いあいだ、実はなかったように思えるのだ。

校庭で生徒を監視してる先生が校長の妹でさ、すごく権力を意識したアホな先生で、俺に「ゴミを拾え」って言ってきて、断って「fat bitch (くそデブ女)」って呼んだら、校長室に連れてかれてその場で停学になったんだよ(笑)。

学校を中退したっていう話だけど、どんな子供だったんですか?

スクリーム:とくに悪い子ではなかったけど、生意気だったね。失礼、っていうか無礼っていう感じかな。とにかく学校が嫌いだったね。

勉強が嫌いだったの? それとも学校が嫌いだったの?

スクリーム:勉強が嫌いなわけじゃなかった。ただ学校にいるのが大嫌いだったね。つねにどこか違う場所に行きたい、そう思っていたのを覚えているよ。学校のほうでも俺のことを嫌いだったしね。

友だちとはうまくやっていた?

スクリーム:人間が嫌いだったわけではないからさ。友だちは大勢いたし、みんなとは仲良かったけど規律が苦手だったんだ。もし勉強に集中していればそこそこ良い成績を残せたと思うけど、しょっちゅう悪いことをしていて、罰を受けたりしていたから、勉強に集中しないようになってしまったんだと思う。授業より居残りのほうが多かったと思うよ。ハイスクール(日本で言う中学。10歳/11歳で入る学校)に入って2ヶ月で停学になったしね。すごいバカなことで停学を食らったんだよ。校庭で生徒を監視してる先生が校長の妹でさ、すごく権力を意識したアホな先生で、俺に「ゴミを拾え」って言ってきて、断って「fat bitch (くそデブ女)」って呼んだら、校長室に連れてかれてその場で停学になったんだよ(笑)。

ハハハハ。クラブ・カルチャーとはどうやって出会ったんですか? お兄さん(ハイジャックの名前で知られる)からの影響ってやっぱ大きい?

スクリーム:自分で音を作り出す前に何回かそういう「18歳以下」向けのクラブのパーティには行っていたけどね。やっぱり音楽を作り出してからクラブに行くようになった。ビッグ・アップル(ダブステップの発火点であり、南ロンドンのクロイドンにあったレコード店)のハチャ(ダブステップにおけるオリジナルDJ)が俺の曲をラジオ(海賊)やクラブでかけてくれるようになって、それを実際に自分でも聴いてみたい、と思ったのがいちばん最初のモチベーションだったね。

それは〈FWD>>〉(ダブステップのもうひとつの発火点となったパーティ)?

スクリーム:ううん。ビッグ・アップルのクリスマス・パーティが毎年あって、それが最初の思い出だね。当時はもう店で働いてて音楽も作ってたから。本当は若過ぎて行っちゃいけないんだけど、招待してくれたんだ。だからクラブのセキュリティーが来る前にみんなが俺らをこっそりなかに入れてくれて、一晩中いっしょに遊んでいたな。そこからだね、他の、もっと大きいクラブがどういうものなのか見たくなって、クラブに行き出したのは。でも最初はクラブではなく音楽を作っていただけだよ。作っていたから、それでクラブに行くようになって、で、そこから好きになっていったんだ。年齢でいったら15歳ぐらいの頃から。

学校を辞めて、すぐにビッグ・アップル・レコードで働くようになったの?

スクリーム:兄貴が2階のジャングルのフロアで働いてて、1階にはハチャが働いていたんだ。彼らがいる頃から店の存在は知っていたよ。だからしょっちゅう遊びに行ってたんだ。11歳の頃からレコードを買っていたから。で、それ経由でビッグ・アップルでハチャとも仲良くなった。そして働くようになった。まだ13~14歳だったかな。

もう音楽は作っていたの?

スクリーム:ビッグ・アップルで働くようになってから、初めて店にいる人たち全員が音楽を作っていることを知ったんだよ。そういう背景があったから自然の流れで自分でも音楽を作るようになって。まわりの人が俺のやりたいことを実際やっていたってわけさ。働くまではまったく気付いてなかったんだけどね。で、アートワーク(アーサー・スミス)とかオーナーのジョンと出会って、彼らに俺が作っていた曲を聴かせたりしていたんだ。すごく気に入ってくれて、「作り続けろ」って言ってくれたものさ。それぐらいの時期にベンガと出会って、いっしょに曲も作るようになった。でき上がったものをハチャに渡して、彼がクラブや海賊ラジオでかけるようになって、じょじょに俺たちの名前が広まっていった。ベンガはまだ14歳で、俺が15歳の頃だったね。

最初はプレステから?

スクリーム:そうなんだ(笑)。しかもプレイステーション1だったよ! 

ハハハハ。

スクリーム:ある日、DJしていたときに友だちから電話がかかって来て「ヘヴィな曲を作ったから聴きにおいでよ」って誘われた。当時はまだインターネットがそんな普及してなくて、データを送ったりする習慣がなかったんだ......みんなフォーラムを見るかポルノを見るためだけに使ってた頃だよ(笑)。で、聴きに行ったら本当にかっこ良くて、「それ本当にそのプレステで作ったの?」って訊いたら「そう」って答るから、「俺もどうにかしないと」って気持ちになった。でも使っていくなかでMusic 2000 (ソフト名)に限度を感じるようになって、家に帰ったら兄貴(Hijack)がFruity Loops、当時はFruity Loops 3だった、を使ってるのを見てそっちに移行したんだよね。使い出して数年経つけどいまも同じソフトを使ってるよ、新しいヴァージョンだけどね。

文:野田 努(通訳:ニック・ストーン)(2010年9月10日)

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