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interview with Ty Segall

interview with Ty Segall

21世紀のロックンロール考(その1)

――タイ・セガール、インタヴュー

橋元優歩    Aug 22,2011 UP

「ラウドな反動」とは実際のところそのように「いま、ここ」の価値を取り戻すこと、ダウンロードできない種類の「体験」であることが重要なのだ。

 2008年5月『ピッチフォーク』に掲載されたノー・エイジ『ノウンズ』のレヴューは、インターネットのために音楽カルチャーにおける地域性が解体され、曖昧になってきているという指摘からはじまっている。そのことがかえって音楽ファンたちの目を地元シーンへとフォーカスさせていると。
 音楽が迎えつつあるグローバリゼーション問題についてはまだ議論・論点が出揃ったとはいえないが、2008年にそのようななかば反動的な文化のブロック的傾向の指摘があったことは重要だ。現在その動向がもっとも注目されるチルウェイヴの潮流も――こちらは地域性によらない音楽ムーヴメントとしてであるが――まさにこうしたグローバル化状況の渦中から生成されてきたものだ。よって両者は音楽性において開きがあるものの、その背景や環境的条件に着眼すれば非常に類似した性格を持っているとも言える。
 以下に取り上げるバンド名を見ればあきらかであるが、2000年代後半のインディ・ミュージック・シーンは、テクニカルにはローファイとリヴァーブがキーワードとして機能し、その流れのなかにガレージ・ポップとチルウェイヴの隆盛の兆しが胚胎されていた。両者は性格の異なる双子のようなもので、前述のように出自やメンタリティとしてはよく似たものを持ちつつ、ギターかシンセか(後者にはギターをフィーチャーしたものも多いが)、バンドかソロか、地域性があるか汎世界的か、ライヴ向きかヘッドホン向きか、といった点できれいに対照を成すようにも見えておもしろい。特に後の2点は、音を介して何とつながるか、ということへの感性の差を感じさせる。


Ty Segall
Goodbye Bread

Drag City /Pヴァイン

Amazon iTunes Review

 本インタヴューの主人公、先日ディスク・レヴューでも紹介したサンフランシスコのベッドルーム・ポッパー、タイ・セガールは、この新しきガレージ勢を牽引するルーキーのひとりである。キャリアのそもそもをジ・エプシロンズというスラッシーなパンク・バンドからスタートさせたタイは、2005年にサン・フランシスコへと拠点を移し、そこに落ち着くこととなった。
 タイ・セガールとしてソロ活動をはじめてからは、カセットや7インチ・シングルを含めるとかなりの音源をリリースしている。ラフでノイジー、イライラとしたディストーションにザ・フーやソニックスのようなヴィンテージな風合いのリヴァーブをめいっぱい効かせ、2分強で歌い上げるガレージ・ポップは痛快で、現在サン・フランシスコのもっともホットなアーティストに数えられようとしている。かの地はいま、粗っぽくエネルギッシュなガレージの季節を迎えているのだ。
 ソニー・アンド・ザ・サンセッツにも参加するベイ・エリアのマルチ・インストゥルメンタリスト、ケリー・ストルツはタイが越してきた当時のサン・フランシスコ・シーンについておもしろい回想をしている。いわく、「ジョアンナ・ニューサムやディヴェンドラ・バンハートなどフリー(ク)・フォークの盛り上がりがしばらくのあいだを席巻し、消えていった」と。そして現在のシーンを占めるラウドな音はほとんどその反動ではないか、と。なるほど現在タイらが活躍するシーンの中心には、ジー・オー・シーズやフレッシュ・アンド・オンリーズなど、ワイルドで危険な香りを持ったガレージ・ロック・アクトがいて、やかましいノイズと行き過ぎたプレイ・スタイル(ショウで暴れてシンバルで顔を切ってしまったりする!)が支持を集めている。サン・フランシスコのただなかで状況を見守ってきた人物の実感であるから、こうした傾向を先行音楽への反動だとする観察には信憑性があるが、さらにマクロに考察したい。これらはフリーフォークを仮想敵にした噴き上がりではなく、ローファイの再評価という大きな機運に同調した、時代的な動きなのだ。それはきわめて地域的であり、同時に英米から世界にわたって広く見られる傾向でもある。

 ※参考までに列記しよう。サンフランシスコにはジー・オー・シーズらが看板を背負う〈イン・ザ・レッド〉があり、日本でも人気のブラック・リップスやヴィヴィアン・ガールズ、TVゴーストにタイベックなどどこか国境付近のワイルドさを持った辛口のガレージ・ロックを特色とする。またローファイ・ブームの寵児として〈キャプチャード・トラックス〉と人気を分かつサイケデリックなリヴァーブ・ポップ・コロニー〈ウッドシスト〉があり、主宰のウッズはじめリアル・エステイトやギャングリアンズ、カート・ヴァイル、またフレッシュ・アンド・オンリーズやホワイト・フェンスなど〈イン・ザ・レッド〉にもまたがるリリースをおこなっている。「シットゲイズ」の呼称で注目されたサイケデリック・ホースシットなどもこの周辺だ。
 ブルックリンには前出の〈キャプチャード・トラックス〉があって、よりアーティでソフィスティケイトされたガレージ・ロックをレーベル・カラー として持っている点、〈イン・ザ・レッド〉の志向する粗暴さと好対照を成している。主宰のブランク・ドッグスやビーチ・フォッシルズ、ビーツの他、初期のダム・ダム・ガールズやガールズ・アット・ドーン、ブリリアント・カラーズなどc86直系のガール・ポップ、ワイルド・ナッシングやミンクス、クラフト・スペルなどポスト・パンクからニュー・ロマ的な雰囲気を持ったバンドにも力を入れ、独自のカラーを展開している。また〈ウッディスト〉など前出のレーベルともリリースしているバンドにカブりがあり、親交も深い。
 オックスフォードの〈ファット・ポッサム〉も老舗にして人気が強く、ソニー・アンド・ザ・サンセッツ、スミス・ウェスタンズ、テニスやウェイヴスを抱える。土地としての盛り上がりがあるわけではないが、クリーヴランドのクラウド・ナッシングスの活躍と成功も現在のローファイ・シーンの影響を測る上で見逃せないものであった。さらにUKにまでおよび逆輸入的に注目されるのがドムやメイジズ、メイル・ボンディングの素朴ながら優れたガレージ・ポップ。US勢がポップさに対してどこかけれんみを感じさせるのに対し、UKから聴こえてくるこれらシーンへの反応はストレートなもので、そこがまたよい作用を生んでいると言えそうだ。

 ローファイがなぜ再評価されるのか。いま「ローファイ」であることに新しいアーティスト/リスナーはどのような意味を求め、調達しようとしているのか。たとえば彼ら新しきガレージ勢にとって、アルバム制作や録音という作業はライヴ演奏の絶対的下位にあるように見える。ガレージというスタイル自体がそもそもそうであるとも言えるだろうが、彼らはライヴハウスでしか体験できない大音量のノイズ、ハプニング、そうしたものを聴衆とともに一体となって楽しむことのまさに一期一会な体験に価値をおいている。しかもよく見知った地元、人やものの流れが最小限であり、交換不可能であるような親しさや意味を持った場所としての地元を志向する。
 暴れてシンバルで顔を切ってしまうショウなんていまどき考えられるだろうか? 考えられるのだ。それも、いまだからこそ彼らはそうする。音楽が、ブログやSNSなどインターネットを通じて拡散していく「情報」になってしまうこと、自分が世界中にめぐらされたヘッドホンのネットワークの末端のひとつとなってしまうこと。そうした状況への漠然とした不安が、「いま、ここ」という一回的な体験を保証するものへと向かわせるのではないか。ローファイとは、そのざらざらとしたなまなましさ、換えのきかなさ、体験の一回性の、言うなれば象徴、比喩である。

 ロサンゼルスのアート・スペース「スメル」も、こうした希求感が生んだ場所であろう。タイはこのスメル通いを自らのキャリアにおける重大事として位置づけている。現代のファクトリーとも称されるD.I.Y.な運営スタイルには、ノー・エイジも深く関わっている。日本でもミカ・ミコやエイブ・ヴィゴダらの名前とともにインディ・ミュージック・ファンに少なからぬインパクトを与えた。音楽にとどまらず、横浜トリエンナーレでも注目を集めた女性マルチ・アーティスト、ミランダ・ジュライなども出入りするという良い意味での混淆がある。出演者も客も関係なく、壁を自分たちで壊してショウのスペースをつくったりしたというようなエピソードをみな楽しそうに証言する。そこであること/そこでしかないことの意味が横溢した、かけがえのない空間なのだろう。
 ケリー・ストルツの指摘する「ラウドな反動」とは、実際のところそのように「いま、ここ」の価値を取り戻すこと、あるいはそんな価値を創出することではないだろうか。サン・フランシスコではないが、スメルが担保するのもそうした唯一性=入れ替え不可能性だ。他ではない、そこがスメルであるということ、そしてそこに行くということがダウンロードできない種類の「体験」であることが重要なのだ。その意味でも、スメルが音の名前ではなく場所の名前であるということはあらためて象徴的である。

 タイはそうしたベイ・エリアの空気の中を往復し、自身は自身の存在論的な問題をテーマとして曲を作りつづけている。ライヴの際はふたりの女性をメンバーに迎えているが、基本的にはすべて自分でおこなっている。自分の存在をたしかめ、その唯一性をたしかめるかのように。「俺がいなくなったら思い出してくれるかい?」"ホエア・ユア・ヘッド・ゴーズ"
 それは彼自身の切実な問いであり、シーンが漠然と抱いている気分であるようにも見える。グローバリズムによって高まる関係の流動性に、どのように耐え、棹をさすのか。彼ら多くのバンドは交遊も緊密で、タイ自身もシック・アルプスに参加していたり、前述のケリーはフレッシュ・アンド・オンリーズのベースのルームメイトだったり、その他のメンバーはサンドウィッチズのメンバーと懇意だったりソニー・スミスと一緒に録音していたり等々、例を挙げればきりがない。そして彼らがみな一様にアナログ志向で、リリースもアナログ盤やカセットであることが多いということも、グローバル化へのひとつの抵抗点......それによってその根拠がかぎりなくあいまいになってしまう存在の唯一性、をめぐっての切ない攻防であるとは言えないだろうか。
 
 メールでの回答であるため簡素なものになっているが、以下の言葉からはタイ・セガールがこのシーンからいきいきとエネルギーを得ていることが感じられる。ムーヴメントが終息するとき、彼は何を手にしているだろう。

橋元優歩(2011年8月22日)

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