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interview with Tatsuhiko Nakahara

interview with Tatsuhiko Nakahara

仲原達彦と〈月刊ウォンブ!〉の挑戦

――ライヴ・イヴェントという場所を考える

橋元優歩    Apr 07,2013 UP

〈roji〉というキー・ワード

〈roji〉は結構ゆるくて適当で、つながりを強要されずに自然にみんなが集まってくる場所なのがいいですね。

わたし自身、日本や東京のインディ・シーンに詳しいわけではないのですが、〈阿佐ヶ谷Roji〉ってひとつのキーワードになっているのかなと感じることがしばしばあるんですね。〈月刊ウォンブ!〉もフードの提供が〈Roji〉ってしっかり明記されてるんですけど、このイヴェントの本質をある部分から照らす存在なんじゃないかと思うんです。それについても後ほどうかがいたいんですが、まず〈Roji〉について紹介してもらってもいいですか?

仲原:ああ、なるほど。〈Roji〉っていうのは、ceroの高城くん(vo.)とお母さんのルミさんがやっているお店ですね。高城くんって、僕の大学の先輩なんですよ。時期はかぶってはいないんですけどね。大学1年生のときからceroのライヴによく行くようになって、〈Roji〉にもよく行くようになって、2011年の6月くらいに声がかかって週1で入ることになりました。〈Roji〉はシャムキャッツの夏目くんとか、王舟とか、他にもたくさんのミュージシャンが集まってくる店でもあるので、その界隈のミュージシャンと仲良くなりました。〈Roji〉で働くようになってから知ったミュージシャンも多いです。結構ゆるくて適当で、つながりを強要されずに自然にみんなが集まってくる場所なのがいいですね。
2月の〈ウォンブ〉のフードのことも、「火曜メシ出さない?」って店長のルミさんにきいたら「いいよー」ってふたつ返事で決まって、そんなくらいの気負わない店なんですよ。だから、僕にとっても大切な場所だけど、何か組織として機能している場所って感じではぜんぜんないですね。生活の一部くらいな感じです。

ああ、なるほど。その生活の一部だっていうような感じで、表には見えなくてもコンセプトの底の方に隠れてるものなんじゃないかなって思ったりしたんです。ひとつのカフェやバーという場所を起点にしてゆるやかに音楽コミュニティが形成されているっていうこと、しかもそれがいくつかのアーティストの成功によってそこそこ大きいかたちでシーンのなかに存在感を示しはじめている、そういうのはいまどき珍しいなと感じるんですよね。この数年はとくにネット・レーベルとかネット上のプラットフォームを利用して、様々なコミュニティとか刺激的な表現が生まれてきてると思うんですが、そういうものに比較して、地域性やリアル空間でのコミュニケーションに根ざして生まれてきているシーンを、仲原さんはどのように見ていらっしゃるんでしょう?

仲原:なんだろうなあ。〈Roji〉だけじゃなくて、阿佐ヶ谷ってベッドタウンみたいなところなので、わざわざ遊びに行くというよりは帰りに一杯飲んで帰る、みたいな雰囲気は良いですよね。ミュージシャンばっかりじゃなくて、ライヴ好きな若い音楽ファンも多くて、さらにお互いの距離が近い感じはあります。はたからみたらコミュニティだけど、内部ではそこまで意識してるわけではなくて、趣味の近い人が集まってるって感じですね。今回こんなふうに指摘されて、そういうこともあるなと気づいたくらいで。
ただ、たしかにイヴェントには〈Roji〉のお客さんも多いんですよね。べつに特に意識して呼びかけたわけじゃないんですけど。あとは〈TOIROCK〉〈プチロック〉もネットでしかチケットは買えなかったんですけど、唯一リアルな場所で買えるのは〈Roji〉だったりはしましたね。それも僕がバイトしてるから売りやすいってだけだったんですけど、もしかすると、無意識に〈Roji〉という場所の作用が働いていたりするのかもしれないですね。

〈ウォンブ〉が12回完結になることには様々な偶然や条件も働いたわけですけれども、やっぱり持続する場所性――1回きりじゃなくて、そこが「場所」であるということがどこかで意識されているんじゃないか、その意識の底には〈Roji〉みたいなものが原型としてあるのではないか、そんなことを感じるんですよ。

仲原:それは僕が2月のイヴェントを終えたときにすごく感じたことのひとつですね。すごくいい場所になったなあと思っていて。1回目じゃわかんなかったんですけど、2回目は「あ、この人前回も来てくれてたな」っていうのがあったし、「また来月ね」みたいなやりとりとかも聞こえたり、そういう人たちがまた新しい人を連れてきてくれたりっていうことを感じました。毎月1回の、みんなの決まった用事、みたいなことっていままでなかったなって。

ああー。

仲原:それはすごくうれしい言葉だし、こちらが強要するわけでなく、また来月ここに集まろうねっていう場所を作れているのならいいなって思います。来月の出演者に興味がなくても来てくれるとか。「場所」を作ったなっていうのは、ちょうど昨日ライヴが終わって感じたことですね。ツイッターとかを見てもそう思いました。「前より音よくなってるじゃん!」とか。前との変化をみんなが楽しんでくれて感想を言ってくれるのはすごくうれしいことでした。「ステージのかたち変わってたじゃん」「今回煽りVTRないの?」とか(笑)。

○○が出るから、というのではない動機が生まれている。

仲原:そうです。だんだんそうなっていけばなって思ってたのに、2回目からみんながそれを意識してくれている。僕以上に。だからけっこうびっくりしてますね。そうして場所っぽくなることに。

わたし職業的に問題がありますけど、ライヴって得意ではないんですよ。そこにいるだけで気が散ったり緊張してしまうし、演奏だけ観たい。ましてアーティストのMCに笑うとかそんな余裕がない。けど〈ウォンブ〉ってわりとつられて笑ったりできるんですよね。だから内輪かそうでないかギリギリのところで、でも排外的じゃない感じのインティメットな空気が流れていて、けっこう居心地がいいんです。それはやっぱりうまく場所を作れているということなんじゃないですかね。出演アーティストの種類だけで作れるものではない。

仲原:そうですね、僕だけでも作れませんしね。あそこの雰囲気を作っているのはお客さんがいちばんかなと思います。僕らが楽しんでいるということも大事なんでしょうけど、お客さんの感じがいいです。みんなずっと楽しそう。特定アーティストのときだけ観る、という感じじゃないですしね。〈プチロック〉も〈TOIROCK〉もそうで、本当に音楽が好きなお客さんたちなんだなって。それに毎回助けられています。

金と人間関係。すべてのコミュニティはかなしく滅びる!?

このまま続けて、結果を出したいと思ってます。このやり方で誰もが大丈夫っていう状態をつくれてはじめてイヴェントだというか......。とりあえずまだ諦められないですね。

あえて悪くきこえるかもしれない質問なんですが、ネットと違って、いまいったような「場所」の維持ってけっこうなコストがかかると思うんですよね。それは経済的にもそうだし、人間関係においても出てきたりするものではないか、一般的には。多くの音楽コミュニティやそれを母体にしたレーベルも、わりと悲しい歴史をたどっていたりしますよね。いくらマーケット・システムに、音楽や人間関係といった貴重な財を絡め取られないようにってがんばっても、たとえば〈クリエイション〉のアラン・マッギーとかも苦闘しつつレーベルを潰すわけだし、「アーティストに最大限のバックを」って考えてたトニー・ウィルソンの〈ファクトリー〉なんかも同様で、そういう顛末はみんなすでに物語になってるくらいです。そういった歴史に鑑みて、なかなか音楽コミュニティの永続というのは難しい。わたしは〈ウォンブ〉に12回という縛り、時限が設けられているのを興味深く思っているんですが、どこかでコミュニティとその限界みたいなものについての嗅覚が働いていたりするんでしょうか? 経済的な部分について、また人間関係的な部分について、お考えがきければなと思います。

仲原:いや、経済的なところはほんとにいろいろありますよ。お客さんや演者にはなるべくそこは意識させないようにって思っています。隠すという意味ではなくてね。この12回もいろいろ大変だっていうところはもちろん見えているわけで、正直そこはもう少しどうにかしなければいけないという意識があります。スタッフにも還元したいですしね。それはやる側のモチヴェーションにもつながる大事な話です。
 ではたとえば入場料を上げるのか? 3000円にすれば簡単なことではあるんです。けれどそれをやるとせっかくの「場所」をつくるという部分が損なわれてしまう。節約できる部分だってあるでしょうね。たとえばリングを特注していますが、あれにもすごくお金がかかっている。でも12回のイヴェントのそもそもの根本を考えて、必要だと判断しているわけです。ここはほんとに難しくって......。

いや、でもそこに挟まって苦闘されている話をこそききたいというか、それによって勇気づけられる人もいるでしょうし、たとえばここで仲原さんが斃(たお)れても、それを越えていく人のための大事な礎になると思うんですよ。音楽とかイヴェントにとって一種の理想主義はとっても重要なものですし、それがどのように達成され、あるいは失敗してしまうのか......達成してほしいですし、提示された音楽性とはまた別の部分で、この行く末って注目したいところです。

仲原:やっぱり、正直なところ経済的な部分は見せたくないって面もありますよ。普通のお客さんなら気にしないところだとは思いますけど。

じゃあ極端ですけど、究極的には貧乏しても理想を通したい? それとも儲からなければ理想も意味ない?

仲原:僕は、理想を通して儲からないかなって思ってます(笑)。

ああ、偉いですね。

仲原:このまま続けて、結果を出したいと思ってます。12回あるわけだからこのなかでどうにかしていきたい。僕はこれに賭けているという部分もあるので、〈ウォンブ〉がうまくいくかいかないかというのはとても重要です。おもしろいと思ってくれている人がいても、結果が出なかったり、誰かが過度に苦労したり、スタッフが困ってしまうような状況になったとすれば、それは続けないほうがいいんだと思ってます。このやり方で誰もが大丈夫っていう状態をつくれてはじめてイヴェントだというか......。とりあえずまだ諦められないですね。

うーん、応援したいです。一方で、イヴェントのもうひとつの柱である音楽的な方向性についてなんですが、やっぱり、〈ウォンブ〉も演奏を観せるだけではなくて、新しいアーティストや音を紹介していく場を兼ねてもいるわけじゃないですか。「こんなシーンがある」っていうのは、アーティストたちがそう名乗るわけじゃなくて、われわれメディアやイヴェントやファン・コミュニティなんかが歴史にしていくわけですよね。

仲原:そうですね。いまはピンときてないんですが、いつか「こんなシーンがあった」って語ってもらえたらうれしいなとは思います。

ぼくらに最適なサイズとは?

僕にとっては、僕自身の手の届く範囲のなかでやりたいということがいちばん大きいです。自分の手の届ききらないものになってしまったら、たぶんやめちゃうと思います。

ところで、またちょっとあえてネガめの質問なんですけど、このイヴェントが大きくなっていく未来があったとして、大きくなることは、ある意味で異物を巻き込んでいくことでもあると思うんですね。もしかするとわたしだってそうかもしれないですが、もっと無責任に参加してきて、悪意のある非難をする人も出てくるかもしれない。ステージの規模を上げるっていうのは、そういう危険を呼び込む可能性も高くなるということです。どうでしょう? それでも大きくなっていくべきなのか、そうなったときに守りたいものが何なのか、それにおいては規模を上げる必要もないということなのか。

仲原:うーん、異物を排除していきたいという気持ちはないです。実際に大きくならないとわからない部分はあるんですが、でも、うーん......あんまり気にしてないですかね(笑)。でも、僕にとっては、僕自身の手の届く範囲のなかでやりたいということがいちばん大きいです。自分の手の届ききらないものになってしまったら、たぶんやめちゃうと思います。顔が見える範囲でやっているのが楽しいし、大きくなっちゃったとしてもたぶんそのレベルが変わらないところまでというか。それに、このまま大きくなっていけるのかもしれないし。

そうか、そうですね。それは確かにいま考えることではないですから。でも「手の届く範囲」というすごくシンプルな、でも根本的なものさしを意識されているというのが印象的でした。その範囲においては問題というかブレは起こらないと。

仲原:そうですね。今回のイヴェントだって批判をする人はいるでしょうし、もちろんそれは受け入れていきます。ただそれに引っ張られるわけではなくて、僕はやっぱり、やりたいことをやりながら、いつかその人たちにも納得してもらえるようなものを目指していきたいですね。

やっていることも方法も違いますけれども、たとえば〈マルチネ〉のtomadさんたちなんかも、やりたいこととお金の問題と、それをどうアーティストやまわりに還元していくかということに対してとても繊細な工夫と挑戦をされていて感心するんですよ。イヴェントとレーベルでは役割も活動するレイヤーも違いますけど、そのへんの音楽とお金の構造をめぐっては、ぜひ妥協せずに実験なさってほしいなと思います。でかいビジネスにするんじゃなくて、アーティストにもスタッフにもユーザーにも理想的な状態や条件を捨てずに続けられるサイズと方法が、〈ファクトリー〉のころには無理でも、いまはあるかもしれない。それは音楽にとってもいいことのはずです。

取材:橋元優歩(2013年4月07日)

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