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interview with Kazumi Nikaido

interview with Kazumi Nikaido

歌が聞こえる

──二階堂和美、インタヴュー

水越真紀    写真:小原泰広   Dec 28,2013 UP
E王
二階堂和美
にじみ【デラックス・エディション】

カクバリズム/P-VINE

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 二階堂和美を初めて見たのは、2004年秋、渋谷の宮下公園でおこなわれた反戦フェスだった。細長い公園の隅ででチラシを配っていたら、騒がしい公園の反対側から女性の歌声が聞こえてきた。私は思わず走った。その歌声はまだ生い茂っていた宮下公園の高い木々とその向こうに広がる空にまで届くかのように力強くて伸びやかだった。それが二階堂和美だった。彼女が見えるところまで駆け寄るまでの間に、すでに鳥肌が立ち、渋谷の公園の喧噪さえ静寂を促された。
 何年かあと、アメリカとスコットランドに遠征した時に取られた映像で、二階堂和美という人は歌そのものなんだと思った。歌うことと息をしていることが同じ意味で、発する声は何も考えなくてもその場と歌が自然に引き出してくれる、きっとそうなんだ。“歌”に祝福されて生きている。そんな彼女が、人前で歌いたくなくなったことがあったと語るのを聞くことになるなんて、当時は考えられないことだった。
 10年近くが経って、二階堂さんは来年40になるんだという。その間に“いろいろあった”。日本にも、世界にも、そこで生きてるあらゆる人に、そして二階堂和美にも“いろいろあった”。震災の後に出たアルバム『にじみ』は、二階堂和美の転機ともなったが、そこで歌われている彼女が作った歌は、間違いなく宮下公園やスコットランドの二階堂和美のものでもあり、年齢を重ねた“歌の子ども”の、やさしくて温かい老成と“おばちゃん“みたいな逞しさが両立した、包容力のある大人の二階堂和美のものでもあった。
 私はたじろいだ。この達観、この成熟に……。
 けれども久しぶりに話をした二階堂さんの“いろいろ”には、それもまた予想を裏切る葛藤や怒りや、達観できない“いろいろ”がそこここからにじみ出る。ままにならない人生、そうはわかっていても、そう簡単に泳いでいけるわけじゃない。
 カラダそのものが歌だった二階堂和美は、シンガーソングライターという“名”を引き受け、いまや生活も人生も歌になった。

お父さんとかおばあちゃんと食卓を囲んでテレビの歌番組を見てる方が自分の中でスタンダードになってきちゃった。ライヴハウスとかクラブとか行かなくなった代わりに、テレビ、それもだいぶ年配向けの、懐メロとか演歌とかやってる番組を観ることのほうが多くなっていて。暮らしのなかで実際に接する人の年齢も高くなっていて、同世代の人と出会うにしても、地元で働いている大工さんとか左官屋さんとか、東京でやっていた頃の音楽を好きな人たちとはだいぶ違う。

こんにちは。本当にお久しぶりです7、8年ぶりでしょうか。その間に赤ちゃんも生まれていたんですね。

二階堂:はい(笑)。

おめでとうございます。

二階堂:ありがとうございます。あの頃は「おてんば」でした、よね?

ははは。そうでしたよねえ。

二階堂:あの頃はなんにもわかんないから、すっごくあがいていて。

とにかく歌うのがすごく楽しそうで、「カラダ全体が歌」のようで全く「歌の精」でした。

二階堂:えっ。いやいやいや。

それはいまもだけどね。でもその頃といまとでは、歌い方や声の出し方も違う。

二階堂:自分では何かを変えた意識はないんですが、いま自分で改めて聞くと、甘ったれというか、若いならではの……ま、若くもないんですけど。
 でも最近は、例えば美容院なんかでミセスの雑誌なんか置かれると、ああ、私はこっちの年代なんだと。でも自分の好みから言ったら、「こっちこっち」って選ぶのは10代とか20代向けの雑誌なんですよね。だから切り替えなくちゃいけないのかなって。

いやいや(笑)、切り替えなくていいじゃない。今回はジブリのこともありますが、前のアルバム『にじみ』で全部自作の曲を出されて、そこが転機になったのかと想像しますので、そこから戻りつつ、進みつつという感じで伺いたいと思ってます。

二階堂:はい。『にじみ』の時は実家にいたというのが大きかったですね。もちろん2006年の『二階堂和美のアルバム』や2007年の『ハミング・スイッチ』、2008年の『ニカセトラ』を作った時も実家にいたんですけど、東京にいた頃の流れを継続してやっていたものでしたからね。東京時代の宿題を提出し終わって、「さて」という感じで。別にアルバムを絶対に作らなきゃいけないと思っていたわけでもなかったし、その頃、ライヴをしたくなくなっていて。鴨田(一)くんと一緒に作ったアルバムは歌手に徹しようと思っていろんなミュージシャンにやってもらって出来たんですけど、それをライヴで弾き語りでやっていると、“シンガーソングライター”に見えちゃうんですよね。そのギャップが自分で解釈できなかった。“シンガーソングライター”的だけど、私の中から出てきた言葉ではないという。それをわざわざ人前で歌う意味がわからなくなってきたんです。
 いろいろ実験というか、試していた時には、いろんなことが出来ること自体があっけらかんと楽しかったんですけど、実家に戻ってみると、音楽をしに出かけて行くことがけっこう一苦労だったんですよ。いろんなことを差し置いたり、家族に「いつ帰ってくんの?」とか言われながら出て行く感じが億劫というか、そういう出づらい状況でわざわざ行ってやる意味があるのかなと。そこまでして歌いたいわけでもないような気がしてきたんですね。もともと人前に出るのはあんまり好きじゃなかったし、それでも歌うことを楽しめていたのが、楽しめなくなってきて……。
 それに、家族──お父さんとかおばあちゃんと食卓を囲んでテレビの歌番組を見てる方が自分の中でスタンダードになってきちゃった。ライヴハウスとかクラブとか行かなくなった代わりに、テレビ、それもだいぶ年配向けの、懐メロとか演歌とかやってる番組を観ることのほうが多くなっていて。暮らしの中で実際に接する人の年齢も高くなっていて、同世代の人と出会うにしても、地元で働いている大工さんとか左官屋さんとか、東京でやっていた頃の音楽を好きな人たちとはだいぶ違う。でもそういう人たちも音楽は好きではあるということを知るんですね。「なんか歌ってよ」なんて言われて、ちょっと懐メロとか歌うとすごく喜んでくださったりして。それで地元のおばちゃんたちの企画でコンサートをやらせてもらったりしたんですね。それもけっこう700人規模だったりするんですね。

それはすごいですね。

二階堂:慈善事業をやっている人たちなんですけど、体育館を利用して、全部手作りで二階堂和美コンサートをやりたいんだと言ってくれた。でも私は最初はまったく腰が引けて、めんどくさいな、こんなの全然やりたくないのに、という感じだったんですけど、半年くらいかけてやり終えた時にすごく手応えがあって、初めて、ぼろぼろ涙を流しながらアンコールを歌うみたいなことになった。「なんだろう、この涙は」って……。充実感なのかどうかわからないんですけど、まるでレコード大賞とか受賞した人みたいに涙を流して、“めざめの歌”を歌っていた。そのあともすごくよかったよと、まわりの人に言ってもらうようになって。
 その後、祝島で原発に反対の人と推進の人が対立してお祭りが出来なくなったと聞いて、じゃあ歌でも歌いに行きます、お祭りの代わりにちょっと楽しんで、と。そんな積極的に思ったことはそれまでなかったんですけど、私の歌で楽しんでくださる人がいるということを、自分で認められるようになってきた。

「原発反対」ということに共感したところもあったんですか?

二階堂:その時はまだ、「絶対反対」というほどの気持ちを持っていたわけではなかったんです。それまでそういうことが起きていること自体を知らなくて、周りにその活動をしている人が出てきたことで知ったんです。でも知れば知るほど、どう考えてもその方がいいはずだと思うようになっていきました。ただ、歌というのは講演とは違って、どっちの立場の人にも聴いてもらえる。フラットな心に何か作用する可能性があるものではないかと。そういう力のあるものだと、時間はかかったんですが、ようやくその頃になってそういうことも思いはじめた。そして言葉のある歌を歌いたくなったんです。
 あと、言葉に関しては別のきっかけもありました。テレビの歌謡ショーをみていると、やたらと懐メロが多い。懐メロとかカヴァーとか。それに非常に頭に来たんです。プロの歌手や作詞家、作曲家が新曲を生み出さないで、ありものを利用して何やってんだ、とすごく腹が立って(笑)。私はこんなところで介護とかお寺の仕事を手伝いながらほそぼそと音楽やってるのに、と(笑)。それで私が出来ることをしようと思い、私ならこうするな、なんていろいろ考えていることを形にしようと思ったのが『にじみ』なんです。
 なにかっぽくてもいいと思って、例えば“女はつらいよ”は“スーダラ節”のようでもあるし、もちろん“男はつらいよ”のようでもあり、“長崎は今日も雨だった”のようでもある。なんか、そういう日本の流行歌のフレーズって、歌う時に独特の気持ちよさがあるんです。「あめーだあぁったー」とか「あーあぁー」って言いたいとか(笑)。それって洋楽を歌う時にはない気持ちよさなんですよね。それをカヴァー・アルバムを作る時から感じていた。そうするといろんな、それまでライヴで感じていたもどかしさとか、テレビで見る腹立たしさとか、地元の人たちに喜ばれる感じとかから、『にじみ』の曲が編み出されていったんです。

だからなんですね、『にじみ』の曲はとても懐かしい感じがするんです。どこかで聴いたような、でもどこだったかは思い出せない。新曲だから……

二階堂:ははは。それでいいと思ったんです。とびきり新しくない、どころか全然新しくないけど新曲、って(笑)。

そうそう。

二階堂:演歌番組見てて、なんでこんなにしみったれた内容なんだと。別にそうじゃなくてもこのメロディはめられるのにって……。例えば“説教節”なんてオフィスでも普通に話されるような内容だし。

ああ! あの歌はとくに身にしみます、いたたまれなくなる……

二階堂:実際、自分でも口にしたことのあるような内容なんですけど(笑)。どっか、実家での日常でも、もどかしさとかジレンマとか悔しさとかを抱えていたと思うんです。広島にツアーで来た友だちのライヴに行っても、なんか卑屈になってて、どっかで「ふんっ」みたいな……

やっぱりやりたかったんですよね。

二階堂:やりたかったんですね。でもお寺もあるし、そこに帰ってきて、負け惜しみって言うのか、負けず嫌いというのか、芽が出なくて帰ったと思われるのは嫌だな、やってるもん、みたいな……。地域にの人から見れば、趣味で音楽をやってるということになるし……。そういうもどかしさをそのまま歌にして消化するというか。そういうやり方を見つけたんですかね。

そうなんですか。その日常というのは意外に革命的で、「いつのまにやら現在でした」なんていう歌は、本当にびっくりする内容ですよね。

二階堂:そうですか(笑)。あれは自分のことでもあるんですけど、同世代の大工さんだとか、1年2年先輩の人たちにもう高校生の子供がいるというのを聞いて「なんだ、この20年というのは!」と思って。

ああ、そういうことで作ったんですか。だけどあれは不思議な老成というか、どうも世界がひっくり返るような内容でしたよ! 

二階堂:ははは。ご年配の方たちがあれをコンサートで聞いて笑ってくださるんですよ。自分たちのこと言われてるみたいだって。1番では子供は20歳になるんですけど、2番では40歳になるんですね。そこで世代が入れ替わっていく。どの世代の人が聞いても楽しんでもらえるように作ったんです。

取材・文:水越真紀(2013年12月28日)

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Profile

水越真紀水越真紀/Maki Mizukoshi
1962年、東京都生まれ。ライター。編集者。RCサクセション『遊びじゃないんだっ!』、忌野清志郎『生卵』など編集。野田努編『クラブミュージックの文化誌』などに執筆。

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