Home > Interviews > interview with Wataru Sawabe and Yusuke Satoh - いい大人と若者たちが捧げるカーネーション
それで敬遠されるようなことがあったら非常にもったない。だから今回若いひとたち、おもしろいことをできるひとたちに頼めたのはよかったと思います。
(佐藤優介)
■おふたりにとって好きなトリビュート盤というとどういったものがありますか?
澤部:流行った時期がありましたね。何聴いたかな。小学生のころ、はっぴいえんどのトリビュートが出て。『Happy End Parade』です。
■〈OZ〉じゃないんですね。
澤部:さすがに〈OZ〉じゃないです(笑)。印象に残っているというか、ようはトリビュートのブームより僕らはちょっと後なんですよ。キンクスのトリビュートが出ても、シンバルズが参加して叩かれるといった時期で。あ、でも、yes, mama OK? のトリビュートのスタッフをやったことはあったな。
佐藤:僕はハル・ウィルナーの仕事は好きですね。クルト・ワイルとかディズニーとか、あの手は全部いいです。でもトリビュートなんて聴かないですよ。
澤部:発起人がそんなこといっていいのかって話ですけど。
■でも現役の日本人アーティストの曲をトリビュートするのは心理的なハードルもあると思うんですね。おふたりだって、好きに解釈すればいいというだけじゃなかった気がしますが。
澤部:僕は解釈というよりは、トリビュートをやるとすればカーネーションというバンドの楽曲がいかにすぐれているかを提示できたらと思っていたので、いじり倒すというよりは削いでいくようになればいいなと思って作業していました。
■削ぎ落としても残る部分を剥き出しにしたい。
澤部:そうですね。
■カーネーションの良さはやはりメロディにトドメをさしますか?
澤部:いろいろあるんですよ。バンドがいかに成熟していたのかという、5人時代の折り重なるようなアレンジもすばらしいですし、3人になったカーネーションの強靱なグルーヴにはひれ伏すしかない。そういう視点からトリビュートだと見られないじゃないですか。いろんな時代の楽曲が並ぶわけですから、バンド自体に頼らない、なんていったらいいのかな、バンドの構造に頼らないで聴くものにするかといえば、頼るべきは詞とメロディなんじゃないかということですね。
■イコール直枝さんの作家性ということですか?
澤部:直枝さんであり、僕のやった曲(“月の足跡が枯れた麦に沈み”)は矢部浩志さんのつくった曲なんですよ。もう『Parakeet & Ghost』くらいになると別のバンドって感じがしますけどね。すごく好きなんです。キャリアのなかでもある意味浮いていると思うんです。やっぱり外部にプロデューサーがいるからかな。地続きではあるんですけど、何かが突き抜けたアルバムだと思うんで。
■『パラキート~』がもっとも好きなアルバムですか?
澤部:難しいんですけど、3位以内には絶対入ります。
■佐藤さんにとってカーネーションをカヴァーするポイントというか、彼らをどう捉えていましたか?
佐藤:やっぱり直枝さんはすごいヴォーカリストじゃないですか。そこから離れて、それぞれの歌になったときにメロディがどう聴こえてくるか、個人的にすごく興味があったところなんですけど、すごく浮き彫りになってメロディが聴こえてくるというか、再発見できたメロディが多かった。僕らがカヴァーした曲は“トロッコ”という、メロディがすごく特殊な、他ではあまり聴かないような半音の動きがあったりして、好きな要素なんですが、カヴァーするにあたってはすごく悩んだんですよ。曲をどう活かすか、ということで自分がやる意味のようなものですね。みんな意識的にも無意識だとしてもそういうふうに考えてやってくれたと思うんで。
■それ全体の調和を乱していないのがコンピレーションとしての完成度の高さだと思います。ちなみにタイトルは誰がつけたんですか?
澤部:カーネーションの曲の引用なんですけど、これもタイトルを決めないと案内も出せないというすごいギリギリの煮詰まったときに、とりあえずそれぞれ何か考えてこいという話になったんです。結局ふたりともいいのが思いついていなくて、スタッフさんと話していたときに、岡村ちゃんのトリビュート・アルバムがあったじゃないですか? 『どんなものでもきみにかないやしない』これは“カルアミルク”の歌詞の一節の引用ですけど、そういうクレバーなことをできないかということになって、スタッフさんがアルバムの収録曲の歌詞を読み上げていくんですよ。まったくクレバーな要素がないな、この会議は、と思っていたんですが(笑)、97年の『Booby』の曲名を読み上げたときに、会議の場がグッと締まったんですね。まさにこのトリビュートのことをいっているんじゃないかということで、これしましょうということになりました。
取材:松村正人(2014年1月04日)