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interview with Takuma Watanabe

interview with Takuma Watanabe

音楽の新しいチューニング

──渡邊琢磨、インタヴュー

松村正人    Jan 28,2014 UP

ぶっちゃけ、つくり方もふくめベッドルーム・ミュージックみたいなものですから。


渡邊琢磨 (COMBOPIANO)
Ansiktet

インパートメント

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このアルバムを舞台にかけようと思いますか?

渡邊:考えてはいたんですけど、リアライゼーションの問題というか、どのような形で演奏したらアルバムのニュアンスとライヴのイメージの整合性がとれるかを突き詰めて考えていくと、ピアノ・ソロにアレンジしてひとりで演奏するのがベストかなとか、逆にそういうふうになっていくんです。作品の具体化と演奏者の実働というバランスで考えると、イメージ的に一番遠いのが同じ編成、20人とか30人とかを配置してやることになってしまう。レコ発的なノリ、ステージ上にアルバムの曲がありますという形ではやりたくないですね。

単純にステージに移植しても再現性というところではむずかしいでしょうね。

渡邊:そうですね。ムリのない編成、ミニマムな編成で、かつニュアンスだけのこして、ライヴでやることを前提に新曲を書きおろすのはアリだと思うんですけど、これをそのままやるとなるとね。金と時間さえかければ、やってやれないことはないと思うんですが、ちがうなという気がしています。

オーケストラといってもスタジオで完結したオーケストラということですね。

渡邊:ぶっちゃけ、つくり方もふくめベッドルーム・ミュージックみたいなものですから。それが外に出ていったときに成立するのかといえば、ちょっと微妙な気がします。

話戻りますけど、琢磨くんにとってオーケストラ楽曲として好きな曲と、作曲家として影響を受けたひとをあえてあげるとしたらどうなります。

渡邊:ストラヴィンスキーは音色の面ですごく影響を受けました。“春の祭典”を聴いてもグッとこないんですけど、“ペトルーシュカ”のあるパートとか“火の鳥”の細かい動きですね。動きがあまりない、ずっと音がサステインしている曲ではアイヴスなんかも好きですね。聴きようによってはアンビエントに聞こえてくる曲もあるから。

アイヴスなんかはすごく即物的なひとだと思いますが、たとえばベートーヴェン的なエモーションよりもアイヴス的なほうが自分にはちかいと思いますか?

渡邊:私的にベートーヴェンっていまいち分からないんですね。分からないというのは、どういうタイミングであれを聴くのかな、ということなんですが(笑)。

モーツァルトはわかりますか?

渡邊:朝にモーツァルトを聴くとカフェイン的な効果がある気もしますけど、ベートーヴェンが自分の生活のなかでファンクションする瞬間があるのかといわれるとパッと思い当たらない。

アルバムを『Ansiktet』と題したのは最初からですか、それとも最後になってからですか?

渡邊:これはだいぶ悩んで最後に全曲できてから考えました。

由来は?

渡邊: これはスウェーデン語なんですけど、(イングマール・)べルイマンの映画に同名のものがありまして、それは『The Magician』という英題で邦題も『魔術師』だったんですが、原題の『Ansiktet』は 「フェイス=顔」という意味らしいんですね。基本的には語の響き、英語ではないんだけど英語的な響きというところで決めました。ベルイマンぜんぜん好きじゃないんですけどね(笑)、いま自分がやっていることのニュアンスがじゃっかん内包されてるような話だとも思ったので。映画は、『エクソシスト』のメリン神父の役で有名な、マックス・フォン・ シドーが、魔術の興業一座をやっていて――ちょっとフェリーニみたいな話なんですけど――その一座がある町にいったときに医者や官僚相手に魔術の興業をするものの愚弄されるんです。マックス・フォン・シドーの役回りがおもしろくて、彼は座長なんだけど一言もしゃべらない。代わりにとりまきが「ほんものの魔術です!」とか強弁するんですが、じつは一座のことを愚弄する官僚たちの内情も虚言と詐欺に塗れていてそれが露呈していくという話です。オチも物語のレイヤーもおもしろかったんです。『Ansiktet』も同じように「フェイク」なわけで。音楽のおもしろさは別として、いい意味で賛否じゃないですけど、ほんとうのオーケストラに携わっているようなひとだったら、こんなのウソっぱちだといいかねない。いい意見、悪い意見、善悪の判断がつかない世界観をつくりたいと思っていたので、その映画のタイトルを拝借しました。

『Ansiktet』をつくるにあたって「ポスト・クラシカル」というタームを意識しましたか?

渡邊:そのへんは僕はよくわからなかったんですけど、〈インパートメント〉の下村さんから教えてもらいました。ポスト・クラシカルという言葉自体は知ってはいましたけど、漠然としたものじゃないですか?

マーケティング的にそこを狙ったというのは―

渡邊:それはまったくなかったです。

とはいえ、メロディを部分的にとりだすなら、最初のほうでおっしゃっていましたけど、オーソドキシーも排除していないわけじゃないですか。それでいままでのコンボピアノの作品よりも相対的に伝わりやすさが前に出てくるのではないかという気もしますが。

渡邊:たぶん、僕は特定の対象に向かってなにかを投げるのがヘタなんです。ただここ何年か内橋和久さんや千住宗臣くんなんかとコンボピアノをやっていて、ロック・フェスに出たりしているときの不思議な感じといいますかね。僕らのやっていることにオーディエンスが「イエーイ!」とやってくれる。すごくシュールだなと思うんです。僕も「ギャーギャー」いってましたが(笑)。そういう状況とか、あと、ひととのかかわり合いの影響もあったのかなと。デヴィッド・シルヴィアンやキップ・ハンラハンや中原さんや(笑)。

この3人全員と音楽ができるのはほかにはいないでしょうね。

渡邊:できてはいないですけどね。デヴィッドには叱られっぱなしでたいへんでしたよ。

なんていって叱られるんですか?

渡邊:「琢磨は集中していない!」とか(笑)。

すげー音楽以前の話でしたね(笑)。

渡邊:学校の先生みたいな(笑)。

本作の後になにを出すか計画はありますか?

渡邊:こういうニュアンスの作品の第2弾をつくっているんですけど、どういったらいいかな、代用していくというわけではないですけど、生楽器より電子音が増えた作品が次に控えています。これはいちおう連作で3部作にするつもりなんですが、次はゆるやかな感じの作品をつくろうと思っています。今作ともまた違うアトモスフィア、ドーム型の音像で包んでいくような感じというか。

3連作にしようと思ったのはやってみてまだまだできると思ったということですか?

渡邊:それとある程度、すみわけではないですけどコンセプト分けしたほうがいいと思ったんですよ。

おもに音色の話として?

渡邊:音色というより書法です。最後はやはりリズムに特化したものをやろうと思っていて。逆に、いまつくっているものは割と平坦なものです。よく考えると過去に穏やかな作品は出してなかったし、音のダイナミクスや密度で激しい部分や静かな部分を表現するのではなく、音は平坦なんだけど何かザワザワっとするようなものにできないかと思ってます。

今回の作品を形容するに「幻想的」という形容がありますが、そういう捉え方をどう思いますか?

渡邊:僕は別にファンタジーをやろうとしたわけではないんです。今回の場合、ポップというか大衆音楽を自分なりのフォーマットでつくったら映画音楽的だった、それなら副次的な要素としてファンタジーのような物語をつけたらどうかなと。そこもまたフェイクなんですが。

うちの3歳の娘は『Ansiktet』は怖いといっていましたよ。

渡邊:わかります。伽羅も「アトラクションみたいだ」といってましたから。大人をゆさぶるよりも子どもが体感してしまうような感じがほしいと思っていたかもしれない。

怖い理由は音楽の構造とかメロディの動きよりも全体のかもす感じだというんですね。まさにたちあがってくるものなんですね。

渡邊:映画館で映画を観ているときもそうなんですが、壮大なものとか迫り来るものを見せられたときに感じる怖いという感情と、スクリーンの向こうの虚構だという安堵感の境界線というか、内側に留まっていたいという思いと、外の世界とかかわらなければという思い、そのコントラストで生じる摩擦が……なんか好きなんですよね。

そこに快感をおぼえる?

渡邊:快感ではないですけど自分の生理が反応している部分があるんです。たとえばニューヨークにキップ・ハンラハン様ご一行が飲んでいる吹きだまりみたいなラティーノのバーがあるんですよね。そんなところに行くのはライオンの口に頭をつっこむようなものだとわかっていながらも、行く瞬間の興奮というんですかね。そういうのが好きなんでしょうね。こっちから向こうに行く瞬間、あっちからこっちを見ている瞬間。そういうのを音に還元しようとは思っていないですけどね。

還元していないとも思わないですよ。そのせめぎあいは琢磨くんの音楽に一貫して感じます。

渡邊:感覚の話になってしまうと言葉でいい表すのは難しいし、子どもが怖いという感覚も言葉としてそれを発した当人にとってはたして的確かどうかはわからないわけで、自分のなかにもそういう反応がいくつもあって、自己批評ではないですけど、自分がつくっているものと自分とのかかわり方はつねに課題ですし、ひとつのモチヴェーションにもなっています。つねにどこか怖いくらいのものが自分には必要なんだと思います。今回のようなやり方であれば、サウンド・ライヴラリーを使って、PCの前に何時間も座りつづけ、完全に自己完結する方法もあったと思うんですね。でもそこに学生とのかかわりがあったり、ニューヨークにテイラー・ミードの声を録りに行く、そういうことを自分に課していかないと完結できないところはある気がしますね。

他者あるいは異物を入れないと終われない?

渡邊:そうかもしれないですね。年をとるごとにだんだん極端になってきていて、第2弾で南極に行きたいと思っているくらいですからね。

音を録りに行くんですか?

渡邊:南極の一面の氷が割れる音や流氷の音がほしくて。コンセプチュアルなことをやりたいわけではないですが、電子音などで試してみても、そういう音ってなかなかできない。かといって爆音がほしいわけでもない。やっぱ(南極に)行かなきゃダメだなと。行ったところでそういう音が録れるかわからないですけどね(笑)。

身の置き場が変わるとつくる音楽もかわりますか?

渡邊: 稚拙ないい方になりますが、音の入ってるWAVなりmp3のデータなりを出先から持ち帰って自分のデスクトップに置いたときに「ゲットした!」という感じがあるんですよ。レコーディングはじめるまでは大変そうに思えても、録っているときはそれが日常になっていますし、実際、作業に入ると必然性を感じるくらいすんなりいくんですよ。戻ってきて成田に着いて、成田から仙台の自宅に帰ってきて、その音を再生すると音に時間が凝縮されている気がしてそう思うのかなと。そこに重きを置きすぎるのもどうかなとは思いますけど。音楽のなかで使う単位としてはほんのちょっとのことかもしれませんけど、そういった自意識もあるんじゃないですかね、たったこれだけのためにわざわざ行ってきたぞ、という(笑)。

部屋のなかに留まりすぎるのがイヤということないですか?

渡邊:部屋のなかで完結することも好きなんですけどね。わかんないです。というか年々自分がなにをやっているのかわからなくなってきている気もします(笑)。

松村正人(2014年1月28日)

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