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interview with DEXPISTOLS

interview with DEXPISTOLS

「バカになれ」以後

──デックスピストルズ、インタヴュー

野田 努    写真:小原泰広   Apr 02,2014 UP

10代だったので、〈ゴールド〉も、終電終わってから行ってるのに、「ダメだ」「入れない」と言われてましたね。仕方なく、ジュリアナの横の川沿いで寝てたり(笑)。で、同じく入れなかった女の子をナンパしてみるけど完全シカトされたりして。

でもMAARくん、話戻すとさ、2メニーDJズって、ダフト・パンクと違って、ほんと根無し草じゃん。

MAAR:たしかに。

ダフト・パンクは戻れる場所があると思うわけ。マスターズ・アット・ワークとかさ、ディスコ・クラシックとかさ、自分たちのアイデンティティを表明してるじゃない。2メニーDJズっていうのは何でもアリだけど、つまり何でもアリが故に「お前ら何だ」って言ったときにほんとに何もないから。ダフト・パンクと2メニーDJズはやっぱり違うよ。

DARUMA:なるほど。

DEXPISTOLSの出方っていうのはどっちかって言うと、2メニーDJズに近かったのかなって俺は思うんだよね。MAARくんはさ、90年代のアンダーグラウンドをけっこうリアルに経験しているでしょう。東京のクラブ・カルチャーの栄光と衰退の歴史を、間近に見てるわけじゃない?

MAAR:〈マニアック・ラヴ〉も含めて(笑)。

〈マニアック〉にも関わってたの?

MAAR:〈マニアック〉が出来てすぐぐらい、木曜日にじつはやってたんですよ、マセくんと。俺19ぐらいですね。

へー、俺ら、絶対に店内ですれ違っているね。

MAAR:いっつも店長さんに「全然ひと入んねーな」って言われて、「すいません、すいません」って謝ってて。「やる気あんの!?」とか。けっこう怖かったす(笑)。

はははは、それ何年ぐらい?

MAAR:だから20年ぐらい前ですよ。〈マニアック〉って最初、内装が白でできたじゃないですか。で、2年目か3年目に黒になったんですよ。要は最後までそれになるんですけど。黒になってすぐぐらいですね。

俺も出来たばかりの頃からずっと通ってたんだけど、必ず朝まで必ずいてさ。

MAAR:俺もあれ行きました。「すげーゾンビがいっぱいいるー」とか言いながら。

ハハハハ。そのなかのひとりが俺だったかもね。

MAAR:94年、95年ぐらいですかね。

そのころDARUMAくんはダンスを?

DARUMA:そのときは完全にダンスですね。いわゆるNYのヒップホップにぐぐーっと行ってるときですね。僕は六本木を中心に遊んでて、週末は〈ドゥルーピー・ドゥロワーズ〉に毎週行ってました。3時ぐらいになると(近所のヒップホップ系のクラブの)〈サーカス〉が終わって流れてくる大人たちがけっこういたんです。そこから選曲もけっこう濃くなっていくんですよね。

MAARくんが〈ゴールド〉に関わったのはもっと早い?

MAAR:俺が18のときですかね。2、3回メインフロアでやらせてもらったらもうお店が閉まっちゃったんですよね。

そもそもクラブ・カルチャーを好きになった理由は何だったの?

MAAR:高校のときに雑誌読んで──「うわー行ってみてー!」と思いました。先輩に「連れてってください!」って言って、連れて行ってもらった〈ゴールド〉が、ど平日だったんですけど、もう衝撃的すぎましたね(笑)。聴いたことねー音楽かかってるし、ていうか「なげーこの曲!」みたいな。「いつ終わるんだよ、4時間経ってるし!」って(笑)。つないでるのを1曲と思ってました。しかも歌入ってこねーし、って。カッコいいひといるしキレイなお姉さんいるし、「ここは楽園か!?」と思ってましたね。

はははは。

MAAR:でも、まだ10代だったので、〈ゴールド〉も、終電終わってから行ってるのに、「ダメだ」「入れない」と言われてましたね。仕方なく、ジュリアナの横の川沿いで寝てたり(笑)。で、同じく入れなかった女の子をナンパしてみるけど完全シカトされたりして、しょうがないからジュリアナのひとたちをずーっと見て、「すっげー車、これどうやって乗るの?」みたいなことを言ったり。で、川原で酒飲んでゴローって寝て、いちおう1時間交代ぐらいで店員が変わるからもう一回行ってみて(笑)。それで入ると、一回飛ばした店員に見つかって「お前ら入ってんじゃねーよ」ってまた出されて、繰り返し。そのうち知り合いも多くなってくるんですけど。知り合っても「お前ら未成年だからダメだよ」って言われてしまったりね。
 〈リキッド〉もよく行きましたね。それこそジェフ・ミルズの来日DJはものすごかったですね。会場に入って、バーには誰もいないから、「全然がひとがいねー。ジェフ・ミルズってそんなに人気ねーのかなー」って思って、ドアをグッと押しても開かなくて、「うおー!」って開けたらパンパンだった。そんなの初めて見た。で、あの人がクネクネしながらエライコッチャなDJしてて、「事件!」って友だちと言ってました(笑)。

はははは。

MAAR:「大変なことが起きてる!」みたいな。〈リキッド・ルーム〉ではバカみたいに踊りましたねー。マスターズ・アット・ワークのときもオープンからラストまで8時間踊ったり、ベーチャン(ベーシック・チャンネル)来たときもずっと踊っていました。

そういう風に、いろいろな現場をリアルタイムで見ることはできたものの、自分たちがいざ「出て行きたい」ってなったときには難しかった?

MAAR:そうっすね。リミックスとかもちょいちょいやってたんですけど。EMMAさんのミックスCDに入れてもらったりしてるんですけど、そこからとくに展開もなく。ハッて気づいたら、「やべー、テクノ・ブームに乗っときゃ良かった」と思って。KAGAMIくんが同い年だったんです。専門学校がいっしょで、その頃はお互い全然知らないんですけどね。「そっか、そういう手があったか」と思って(笑)。で、サンプラーで一生懸命曲作って聴かせても、ハウスの先輩たちは誰も反応してくれなくて(笑)。

いまでこそハウスとテクノの垣根が崩れたけど、当時はものすごい壁があったもんね。

MAAR:いまはもうテクノがハウス化してるし、ハウスがテクノ化してるし。

90年代っていうのはふたりにとってどういう10年間だったんですか?

DARUMA:青春時代ですね、完全に。基本的にはお金なかったですけどね。で、あるとき「俺ダンサーとしてやっていこうかな」って人生を考えたときに、ダンスでご飯食べていくって言っても、ダンス・スクールか、誰かのバック・ダンサーになるか、振りつけ師になるかしか、基本的には見えないんですよね。で、僕ダンスすごく好きなんですけど、ダンス上手くないんですよね。

はははは。

DARUMA:でも僕は、ダンスにヒップホップを感じていたんですよ。あのころのダンスは、いまのスポーティなダンスとは違ってましたから。
 で、じゃあダンスで、僕のスキルで果たして食っていけるのか、って。自分はダンスで食っていくことはできないと。結局、アンダーグラウンドに僕はステイして、ダンスとDJを続けて、あとファッションが好きだったんで洋服を勉強しているうちに、MAARと出会うって感じなんですよ。

かたやMAARくんだけど、〈マニアック〉の木曜日に回してたときは、けっこう悶々と回してるわけでしょう?

MAAR:悶々と回してますね。21から25ぐらいまでかな、「もうやってらんねーや」的な気分になって、クラブのDJやらなかった時代もありますからね。「ダメだなこれ」と思ったことがありました。ちょうど“アラウンド・ザ・ワールド”とかをかけてた頃ですね。で、いちどクラブの現場から離れて、それで曲をしっかり作ろうと思ってたんですけど。
 曲作りは19ぐらいからずっとダラダラやってます。いまいち自分のスタイルが出来なくて……じつはしっくり来るようになったのは超最近なんですよ。曲を作るのが面白くなってきたのが。これ(今作)をマスタリングしたときに、けっこういいスピーカーで何回か聴いてて、「なるほど」っていろいろ気づくことがあって。最近、楽器も練習し直してて。

DJの世界ってさ、たとえば10代の頃にデビューしたDJがトラック・メイカーとしては40代でデビューすることって、意外とあるんだよね。

MAAR:リカルドとかもファーストEP見ると20代半ばぐらいだし。たぶん、自分が楽器を弾けないからDJをやりはじめたっていうのもあるんだと思います。でも、いまは逆だったりして、楽器バリバリ弾けるのに打ち込みやっちゃうジェイムス・ブレイクとか。けっこうね、いい迷惑だったりするんですけどね(笑)。

取材:野田努(2014年4月02日)

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