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Home >  Interviews > interview with KGDR(ex. キングギドラ) - 1995年、曲がり角の名盤。

interview with KGDR(ex. キングギドラ)

interview with KGDR(ex. キングギドラ)

1995年、曲がり角の名盤。

──KGDR(ex. キングギドラ)、インタヴュー

磯部 涼    Jun 17,2015 UP

日本のシーンはシーンで、ある程度動きはじめてたから、「その中でやっていった方がいいんじゃないか」っていう話はしてたよね。(Zeebra)


キングギドラ
空からの力

Pヴァイン

Hip Hop

20周年記念
デラックス・エディション

Tower HMV Amazon

20周年記念エディション

Tower HMV Amazon iTunes

95年12月18日刊行のヒップホップ専門雑誌『FRONT』(シンコーミュージック)6号に掲載されたキング・ギドラのインタヴューの聞き手は佐々木士郎(現・宇多丸/ライムスター)で、リードにはこう書かれています。「そのデモ・テープが東京のヒップホップ・シーンを駆け巡ったのは、今からちょうど2年前のことだ」「一聴した者はその瞬間から、実体すらはっきりしないこのグループの名前をしっかりと記憶せざるを得なかった。カセット・レーベルにはこう印刷されていたのだ。「KING GIDDRA 見まわそう/空からの力」」「彼らのファースト・アルバム『空からの力』は、あらかじめジャパニーズ・ヒップホップの新たなクラシックとなるべく義務づけられた作品だったと言っていい」。つまり、日本のシーンの中では、93年末頃から出回りはじめたデモ・テープによって、すでに『空からの力』の方向性は周知されていたということですけど、その「デモ・テープ」というのが、今回、ボーナス・トラックとして収録される音源なのでしょうか?

Z:そう。93年の3月にオークランドに行ってギドラを結成して、日本に帰ってきてから録ったデモだね。当時、UZIのお兄さんが練習スタジオをやってて、ひと部屋だけレコーディングもできるところがあって、そこを借りて。

キング・ギドラ 『空からの力:20周年記念エディション』 Trailer

なるほど。では、そのデモについて訊く前に、オークランドでギドラ結成に至った経緯を教えてください。

K:ヒデがオークランドに着いて、何日かいっしょにヒップホップ活動をしている内に、「グループになろうか?」っていう話になって。それまでは、お互いにひとりでやってたし、ソロMCっていう自覚もあって、ソロのヴァースも書いてたんだけど、ちょうど、ラン・DMCが『ダウン・ウィズ・ザ・キング』(93年)でカムバックした頃で、「やっぱり、2MCのライヴって1MCより迫力あるなぁ」と思ってたところだったんだ。あと、なんとなく、「オレたちだったらうまくいくんじゃないかな?」っていう予感もあって。そうしたら、ヒデが「もう1人いいやつがいるんだよ」ってオアの名前を挙げて、その2ヶ月後ぐらいに会ったのかな?

そのときにはすでに、日本でリリースするということは決めていたんでしょうか?」

K:うーん、とにかく「つくる」ってことしか考えてなかったかな。もちろん、日本の皆に聴かせたいけど、具体的に日本での音楽活動の仕方をイメージしてたわけではなく。オレが向こうで仲がよかったエレメンツ・オブ・チェンジってラップ・グループの片割れの彼女が『ギャビン』って雑誌で働いてて業界に詳しくて、「ショッピングしてみるわ」って言うから任せたら、1個か2個いい話を持ってきたりして。

〈デフ・アメリカン〉からデビューするという予定もあったみたいですね。

K:もう1個あったんだけど、何だったっけ? あぁ、〈イモータル(・レコーズ)〉って〈エピック〉系のレーベルかな。でも、やっぱり、ターゲットはなんとなく日本って決めてたから。

Z:もうその時点で、日本のシーンはシーンで、ある程度動きはじめてたから、「その中でやっていった方がいいんじゃないか」っていう話はしてたよね。

『空からの力』は、もちろん、傑作なんですが、必ずしもその時期における異端的な作品ではなくて、同じ年の6月にはライムスターの『エゴトピア』が、10月にはコンピレーション『悪名』がリリースされていますし、ギドラとライミングの方法論が近いラッパーたちが集まりはじめていたという印象があるのですが?

Z:たとえば、(『悪名』に収録されたラッパ我リヤの)Qなんかは「ギドラのデモ・テープを1000回ぐらい聴いた」と言ってて、そこから、あんな韻フェチが生まれたってことだと思うし。

K:三木道三も同じようなことを言ってたよね。

つまり、ギドラのデモ・テープとアルバムの間が2年空いたことで、デモ・テープの影響が表出するのと、アルバムのリリースとが重なり、ギドラとライミングの方法論が近いラッパーが同時多発的に現れたように見えた側面もあったと。

Z:そうなんじゃないかなって気はするんだけど。あと、それだけデモ・テープが広まったのは、(DJ)KEN-BOがオレらのプロモーションをやってくれたからでもあるんだよね。「とにかく、韻がヤバいんだよ」みたいな説明をしながらデモ・テープを配りまくってくれて。

K:あと、『Fine』(日之出出版)としっかり組んだのも大きかったよね。あの雑誌は、マニアックなラップ好きとか音楽好きだけじゃない、遊び人の子たちが読んでた雑誌だったから。

Z:それこそ、ギャル全盛期でさ。みんな『Fine』読んでますって時代だったし、あの雑誌に載ったり、〈Fine Night〉に出ることによってファン層も幅広くなった。


だからこそ、「これ(『空からの力』)を聴いたら変わるよ」ぐらいに思ってたし。(Kダブシャイン)

一方、『FRONT』の、ギドラのインタヴューが掲載されたのと同じ号では、佐々木士郎が連載「B-BOYIZM」において、「日本のヒップホップ・アーティストを取り上げるのを快く思っていない層」に対する反論を書いていたりと、遊び人の中で、日本語ラップに対するイメージはそこまでよくなかったのかなとも思うんですが。

Z:士郎くんが言ってたのは、おそらく、遊び人っていうよりは、いわゆる〝ブラパン〟みたいな層に対してだね。当時、「ブラック・ミュージックが好き、ヒップホップが好き、だけど、日本語ラップは……」っていう奴がけっこういたんだ。

K:いや、気持ちはわからなくもないんだよ、オレらだってそうだったんだから(笑)。だからこそ、「これ(『空からの力』)を聴いたら変わるよ」ぐらいに思ってたし。

Z:外タレのフロント・アクトに出まくったのも、「っていうか、オレらのほうがぜんぜん格好よくねぇ?」ってことをわからせたかったからだしね。

K:まぁ、エリック・サーモンにしても、ショウビズ&AGにしても、みんな、「何言ってるかわかんないけどイイよ」「これならぜんぜん行けるよ」って言ってくれたからね。

80年代末に、Zeebraさんは外タレの前座をやっていた日本人ラッパーたちに違和感を感じてたいたという話がありましたが、そこで、ギドラがUSと日本の差を埋めたとも言えますよね。

Z:そうだね。エド・O.G.に至ってはオレらが完全に食っちゃたし。あと、その頃のことで印象に残ってるのが、グレイヴディガズが〈ジャングルベース〉(六本木のクラブ)でライヴをやったとき、オレはバーカウンターに寄っ掛かって観てたの。そうしたら、途中でプリンス・ポールが「この中でラップできるやついないのか?」みたいなことを言って、前のほうにいた基地の奴が、まぁ、どうってことのないラップをしだして。だから、「しょうがねぇな」ってオレがマイクを持ったらフロアも盛り上がったし、グレイヴディガズも「おー」みたいな感じになってさ。それで、ステージから降りたら、黒人に後ろから抱きつかれてるブラパンが「やるじゃーん」って言ってきて。そのとき、「ついに勝ったぜ、ブラパンに」にと思ったよね(笑)。

K:そういう意味では、〈Pヴァイン〉からリリースしたのもよかったよね。ブラック・ミュージック好きに認められてたレーベルだからさ。

そして、ライムスターの『エゴトピア』で「口からでまかせ」にソウル・スクリームとともにフィーチャリングされたあと、95年7月にリリースされたコンピレーション『THE BEST OF JAPANESE HIP HOP VOL.2』収録のSAGA OF K.G.名義「未確認非行物体接近中」のアウトロでは「ライムスター、メロー・イエロー、イースト・エンド、ソウル・スクリーム、マイクロフォン・ペイジャー、ランプ・アイ、ユー・ザ・ロック&DJベン、雷クルー、ECD、キミドリ、ガス・ボーイズ、クレイジーA、DJビート、DJ KEN-BO、ライムヘッド」といったアーティストたちにシャウトアウトを送っていますね。

K:うわ、そういえば、言ったね~!

Z:うん。この頃には、皆でやっていこうという意識の中で動いてたから。

『空からの力』をレコーディングしはじめたのもその頃でしょうか?

K:95年の夏からスタジオに入ったんじゃなかったかな。暑かった記憶がある。

アルバムには、それまでデモ・テープに収録していた曲は全部入ってる?

Z:いや、入ってない曲もある。


「いくら日本で悪い子ちゃんだって言っても、ガンを持ってるわけじゃないし、ひとを殺したわけでもないし、向こうに行ったら普通だよ」と思ったら、ファーサイドの具合がちょうどいいなって感じたんだよね。(Zeebra)

今回、「見まわそう」のデモ・ヴァージョンだけ、事前に聴かせてもらったんですけど、Kダブさんがアルバムとあまり変わらないのに対して、Zeebraさんの発声はぜんぜんちがいますよね。

Z:そうなんだよね。まったくちがう。

Zeebraさんは、その時代その時代の、ラップのモードに合わせてスタイルを変化させてきたと思うのですが……。

Z:ただ、そのデモの頃は、それこそ試行錯誤している最中だったかな。自分のラップ・スタイルはどれがベストなのか探ってた感じ。あと、ファーサイドの影響がモロに出てる。いま振り返ると、自分たちとしては、不良っぽかったり、ストリートっぽさを持ってたりっていうのは大前提だったんだけど、もともとはUSでやろうとしていたので、「いくら日本で悪い子ちゃんだって言っても、ガンを持ってるわけじゃないし、ひとを殺したわけでもないし、向こうに行ったら普通だよ」と思ったら、ファーサイドの具合がちょうどいいなって感じたんだよね。

あの声の高さはファーサイドですか。

Z:ファーストの『ビザール・ライド・トゥ・ザ・ファーサイド』(92年)が出て、「パック・ザ・パイプ」って曲もあったり、楽しそうだったり、ドロドロしてたり、「何かおもしろいなぁ」と思ったのが、まさに、デモ・テープをつくる半年前ぐらいだったんだよね。でも、「日本のシーンの中でやる」っていうことを考えるんだったら、もっとストリート性みたいなものを出した方がいいかなと思って、だんだん、声のトーンも下がっていった。だから、デモ・テープから、ソロのセカンドの『BASED ON A TRUE STORY』(2000年)までをひとつの流れとして見ると、オレのラップがどんどん男っぽくなっていくのがよくわかるんじゃないかな。

なるほど。ちなみに、『空からの力』は、リリース当時、どれぐらい売れたんでしょうか?

Z:気がついたら、20000枚か30000枚ぐらいは売れてたよね。

では、長い時間をかけて浸透していったという感じではなく。

K:うん、最初の2、3ヶ月でけっこう売れたんじゃないかな。HMV渋谷店のチャートでは6週ぐらい連続で1位になったり、大騒ぎになってたって言ったら大袈裟かもしれないけど……。

最初に影響を自覚したのはいつですか?

K:やっぱり、〈さんピンCAMP〉(96年)のときは、あの大雨の中、満員の客が盛り上がっていて……もちろん、自分たちだけが出てたわけじゃないけど、「あぁ、日本でもヒップホップがここまで影響力を持つようになったんだな」と思ったよね。ちょっと怖いぐらい熱狂的な感じ。

『ZEEBRA自伝』では、「あの頃はデカいイベントが月に1回くらいのペースであったんで、いつものルーティンな感じだった」とも書いてありましたが。

Z:いや、それは、〈さんピンCAMP〉だけのおかげで日本のヒップホップが盛り上がったわけではなく、〈(クラブ)チッタ〉でやっていたようなオムニバスのイベントだったり、〈イエロー〉や〈ゴールド〉でやっていたようなパーティだったりの積み重ねでシーンが出来上がったってことを言いたかったんであって。ただ、〈さんピンCAMP〉のキャパがそれまでで最大だったのはたしかだから。それこそ、“未確認非行物体接近中”のイントロが鳴り出して、ぐわーって歓声が上がったときはゾクゾクッときたよね。「よっしゃー!」って。

K:オレはどのアーティストも同じぐらい盛り上がったっていう印象だったんだけど、ひとによっては、「ギドラのときがいちばんだった」って言ってくれるのはうれしいよね。それだけ、アルバムが受け入れられてたんだなって思った。

ただ、そのステージにOASISさんはいませんでしたよね。

O:あのときはKENSEIがDJをやったんだっけ?

K:KENSEIとKEN-BO。

O:あぁ、ダブルDJだったんだ。オレは現場にすらいなかったから。あとから映像で観た。

K:当時、オアは音楽から身を引こうとすら思ってたみたい。


アルバムの中では自分の役割を果たせたと思ってるし、やりたいことができてるなって、今回、聴き直して感じたね。(DJ OASIS)

当時の文字情報……たとえば、『HIP HOP BEST100』(Bad News、96年)を読むと、「もともとあまり表舞台に出ることは少なかったトラック・メーカーのDJ OASIS」というふうに書かれています。

O:うん。ほぼ、表舞台には出てないかな。アルバムを出した年に結婚もしたし、生活を取ったっていう感じで。音楽で金を稼ぐっていうことにまだピンときてなくて、バイトもしてたからね。

自分が参加していないうちに、キング・ギドラがどんどん大きくなっていったことに対して、何か感じることはありましたか?

O:やっぱり、すごい感じてたよ。音楽雑誌に出ることは当たり前かもしれないけど、その頃から、一般誌にも出るようになってたからね。何気なく雑誌をパラパラめくってて、パッとふたりの写真が出てくると、「あぁ、オレも本当だったらここにいたんだよな」っていうことは思ったし。だからと言って、自分が選んだ道は後悔してなかったから、日々の仕事を淡々とこなしてたけど、ギドラがでかくなっていく一方で、いつまでも変わらない自分には違和感を感じてたね。「悔しい」とか「クソ!」みたいな感じではなく、心にポカンと穴が空いてるような……。

なるほど。

O:ただ、たしかにライヴに関しては何年も参加できなかったし、『ソラチカ』に関しても仕事でスタジオに行けなかったときもあったんだけど、アルバムの中では自分の役割を果たせたと思ってるし、やりたいことができてるなって、今回、聴き直して感じたね。

一方で、ZeebraさんとKダブさんは、後年、『空からの力』のレコーディングの時期を、グループとしてはあまりいい関係ではなかったと振り返っていますね。たとえば、『渋谷のドン』には「空中分解の状態」だったと、『ZEEBRA自伝』にはKダブさんに対して「うーんと思うことも増えてきた」と書かれています。

K:うーん……蜜月が終わったというか……。最初は一気に近づいていっしょにやるようになったわけだけど、そりゃあ、時間が経つごとに意見の相違も出てくるし……。

名盤と言われている作品の裏では、じつは、OASISさんが音楽から離れようと考えていたり、KダブさんとZeebraさんの関係がよくなかったりしたというのは、リスナーとして興味深いです。

K:たぶん、オレもヒデも本能的に「これを出さないと次につながらない」ってことがわかってたから、アルバムに関しては「ビジネス・ネヴァー・パーソナル」でとにかく完成させようと。ただし、その後は袂を分かつことにはなるんだろうな……みたいな予感はしつつ、レコーディングは無我夢中だったよね。もし、完成させられなかったら、それまで積み重ねてきた努力も台無しになるし、他の奴らにもデモで影響を与えたんだとしたら彼らにも申し訳が立たないし。『エゴトピア』の「口からでまかせ」は言わば予告編みたいなものだったので、その後、本編が幻になっちゃうようなことだけはやっちゃいけないなっていうのもあって。そこは、〈Pヴァイン〉もよくサポートしてくれてたと思うよ。

(『空からの力』のブックレットを熟読しているZeebraに対して)当時、Zeebraさんはどんなことを考えていましたか?

Z:……いま考えてたのは、この写真を見ると、オアがいちばん顔が変わったかなって(笑)。

K:あー、たしかに。

O:……わかんないけど、2人がぶつかった時期があったんだとしたら、それは、たぶん、オレがいない時期で。だから、もしかしてオレがいたら、和らいだりもしたのかなって思うことはあるね。

Z:もしかしたらそれはあったかもしれないね。

K:そうだね。

Z:ただ、オレが、正直に思うのは、ギドラ以降もいろんなアーティストと友だちになったけど、いま話してたようなことは、アーティストは誰しもが持つ問題だと思う。

K:うん。

Z:やっぱり、エゴじゃん、アートって。自分が表現したいものを100%表現したいと思うのがアートだから。もちろん、ギドラみたいに3人でひとつのアートを完成させるっていうことも大事なんだけど、それと同時に、「オレはこういうことをやってみたい!」っていうエゴもあって、「ただ、それにはコッタくんは合わないかも」って思うかもしれないし、コッタくんはコッタくんで「ヒデは合わないかも」って思うかもしれないし、オアはオアで思うかもしれない。そういうエゴのぶつかり合いは、アーティストが集まれば必ず起こることで、だから、すごく健康的なことなんじゃないかな。その後、『最終兵器』(キング・ギドラのセカンド・アルバム、2002年)もつくって、いま、こうしていい関係になってるわけだし。


たとえば93年にはウータンのアルバムが出てるわけで、オレたちにしても、全員がソロというスタンスを守りながらユニットとしてやっていくっていうのは、最初から何となく決めていたことではあったんだよね。(Kダブシャイン)

そのぶつかりあいこそがケミストリーを生んだのかもしれないですよね。

O:ふたりとも、性格もちがうし、表現したいこともちがうんだけど、ヒップホップの意識レヴェルみたいなものは同じ高さで。だからこそ、どんなに喧嘩しても「もう絶対会わねぇ」みたいなことにはならない。たぶん、ヒップホップに関して、いちばん刺激的に反応してくれるのがお互いなんだよ。なので、当時も、いろんなひとがふたりの関係のことを訊いてきたけど、「ふたりは根底では同じだから、最終的には割れないだろうな」って思ってたよ。

Z:それこそ、「あれ聴いた?」とかいう話をするときに、いちばんオン・ポイントで意見を交換できるのがコッタくん。以前、Twitterでもつぶやいたけど「俺とコッタくんはヒップホップに対して持ってる尺度がちょっと違うからたまに相反するんだけど、根っこは一緒」みたいな。本当にそういうところはすごいあって。

K:あと、さっきのオレの言い方はちょっとネガティヴに聞こえたかもしれないけど、たとえば93年にはウータンのアルバムが出てるわけで、オレたちにしても、全員がソロというスタンスを守りながらユニットとしてやっていくっていうのは、最初から何となく決めていたことではあったんだよね。その方がお互いに依存しなくなるし、そもそも、それぞれに才能があるし。だから、このアルバムにもふたりともソロが入ってるわけじゃん?

Z:だって、デモの段階でコッタくんのソロが入ってたんだもん。この、『空からの力』を出すまでは、オレらにとってはギドラしか表現する場所がなかったから、どうしても、エゴのぶつかり合いにもなったんだよね。でも、その後、ソロで3者3様の表現をしたから、もうぶつかり合うことはなくて。『最終兵器』で「じゃあ、キング・ギドラでまた1枚つくりましょうか」ってなったときは、もうノー・エゴで、100%、グループとしてのアルバムをつくることに集中できた。


『最終兵器』はいろいろと物議も醸したわけだけど、それも、「パブリック・エナミーのようなグループを日本でやりたい」っていう、『空からの力』の頃の目標が、ようやく、達成できたんだとも言える。(Zeebra)

『ZEEBRA自伝』には「『最終兵器』は『空からの力』完成版という意識でつくった」とあります。

Z:そういう意識はものすごくあったね。

O:オレもようやくがっつり参加できたし。

K:ヒデがフィーチャリングされたドラゴン・アッシュ(『Grateful Days』、99年)のヒットの余波もあったりとか、映画(『凶気の桜』、2002年)も巻き込んだりとか、レーベルの〈デフ・スター〉が本気で金を使ってくれたりとか、大きいプロジェクトにできたし、やっぱり、あのときの達成感は何ものにも換えられないものがあったね。

Z:オレだって、セールス・レヴェルの話で言ったら、いちばん売れてるのはあのアルバムだし。あと、『最終兵器』はいろいろと物議も醸したわけだけど、それも、「パブリック・エナミーのようなグループを日本でやりたい」っていう、『空からの力』の頃の目標が、ようやく、達成できたんだとも言える。

K:だから、ここで『最終兵器』の話をするのは変かもしれないけど、あれがなかったら、この20周年記念盤も出せてなかったかもしれないから。

O:それはそうだね。

Z:「あー、20年経ったかぁ」なんて言って、そっぽ向いてたかもしれない(笑)。

K:『空からの力』をクラシックとして確実なものにしてくれたのは、じつは『最終兵器』なんだよね。というわけで、7年後にはまたインタヴューをお願いします。

えっ、『最終兵器』20周年記念盤? それも論じがいがありそうですね……。ちなみに、3人とも表現を更新しつづけているアーティストであるわけですけど、今回、『空からの力』という20年前のアルバムをあらためて聴き直してみてどう感じたのでしょうか?

Z:まぁ、可愛いな、よくやってるな、頑張ってるな、って感じ。これをつくってた24歳のオレに向けて「けっこう、頑張ってんじゃん」って思う。

K:10年前は子供の頃の写真みたいで恥ずかしいから閉まっときたい感じだったけど、それからまた10年ぐらい経って、「あぁ、ここが原点だったんだな」って思うし、本当に感慨深いよね。

O:昔からクラシックだって言ってくれるひとは多かったけど、自分としても20年経って初めて「すごいことやってたんだな」って認められるようになったね。

Z:それにしても、デラックス・エディションを出してもらえるっていうのはものすごい誇らしいよ。だって、そんなアーティストなんてほとんどいないし。オレは王道のアーティストが大好きだから、R&Bにしたって、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーの「○○周年記念盤」とか「○○周年ボックス」とかよく買ってたもんね。自分たちがそこに並ぶことができたのは本当にうれしい。


■KGDR(ex.キングギドラ) 〜「空からの力」20th Anniversary〜

7月18日(土) 「NAMIMONOGATARI 2015」 @ Zepp Nagoya
http://www.namimonogatari.com/

8月15日(土) 「SUMMER BOMB produced by Zeebra」 @ Zepp DiverCity TOKYO
http://summer-bomb.com/

9月6日(日) 「23rd Sunset Live 2015 -Love & Unity-」 @ 福岡県・芥屋海水浴場
http://www.sunsetlive-info.com

取材・文:磯部涼(2015年6月17日)

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Profile

磯部 涼磯部 涼/Ryo Isobe
1978年、千葉県生まれ。音楽ライター。90年代後半から執筆活動を開始。04年には日本のアンダーグラウンドな音楽/カルチャーについての原稿をまとめた単行本『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』を太田出版より刊行。

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