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interview with Koreless

interview with Koreless

ウェールズのロマン派、バレアリックの夢を見る

──コアレス、インタヴュー

序文・質問:野田努    通訳:青木絵美 Photo by Eloise Parry   Jul 09,2021 UP

ピアノの先生は18歳くらいで、自宅にスタジオがある、オタク気質の人だった。シンセサイザーにめちゃくちゃハマっている人だったんだ。僕はピアノよりシンセの音に夢中になってしまった。

『アゴル』とウェールズの文化との関係について話してもらえますか? 

K:いま話したことと、ウェールズには壮大なイメージがあるということかな。自分でも気づいたのは、僕が作る音楽はいつも壮大になってしまうんだ。それにいつもメランコリック(笑)。それは自分でもどうしようもないことで、とにかくそういう感じにいつもなってしまう。最初はハッピーな感じの演奏をしていても、次第にメランコリーな方へ行ってしまう。毎回そうなんだよ。残念だよな(笑)!
 まあ、だからウェールズのメランコリックな感じと壮大な感じは、僕の音楽に関係していると思うよ。それからもうひとつ関係性が多少あるとすれば、ウェールズは他の世界から少し隔離されているという点かな。独立した国ではないんだけど、別の国という感じもあって、僕の音楽にもそういう雰囲気が少しあるかもしれないね。

ちなみに質者は、ウェールズに行ったことがあるそうです。1994年のことですが、車で山道で迷っていたら馬に乗った男性に会って、親切にしてもらった思い出があるとのこと。標識も英語ではない世界がイングランドと地続きにあるということが驚きだったと。それはともかく、ウェールズ特有のケルト的な世界観はあなたの作品にもあるのでしょうか?

K:僕の父親は昔、山道で馬を乗っていたから、それは僕の父親だったかもしれないね(笑)! 実家には馬が2頭いてね。最初は1頭だったんだけど、父親がドッグフード50袋と馬1頭を交換して、馬をもう1頭ゲットしたんだ。この辺の生活はいつもそんな感じなんだ。動物がたくさん周りにいてさ。1頭目の馬は山のどこかかから拾って来て、もう1頭はドッグフードか何かと交換して手に入れたんだ(笑)。家には昔、馬車があってそれを山で乗っていたよ(笑)。
 ……ケルト的な世界観についてだったね。その影響もあると思う。僕の祖父、つまり父親の父親は、ケルトの祈とう師というかエクソシストだったんだ。地元にある、とても小さな教会の神父で、彼の仕事のひとつは幽霊を追い払うということだったのさ。だから彼は古い家などを訪ねて、幽霊に語りかけたり、除霊したりしていたんだ。それ自体はケルト的ではないんだけど、ケルトの文化や歴史には魔法や神秘的な側面があって、みんなそれを話半分くらいで聴いている。そういう考え方は僕の音楽に共通するところがあるかもしれない。あとは静けさと古さ。ウェールズの山には古代の遺跡や昔からある集落などがあるからね。そういうのが背景としてあるんだけど、実際の町は、古びていて寂れている。 荒れていて、そこに居たいと思うような素敵な場所ではない。ケルト的な古代の壮大な感じと、悲しくて絶望的な感じが対照的なところなんだ。ウェールズの雰囲気をわかってもらおうと、長々と話してしまったね(笑)。

あなたの音楽に、そういったケルト的な感じは含まれていると思いますか?

K:“Black Rainbow”はいま聴くとケルトっぽい響きがあるように感じられる。あのヴィデオは弟と一緒に近くの裏山で撮ったんだけど、ヴィデオが完成してからは、曲の感じが、シンセっぽいバイクみたいな曲から、ケルトっぽい感じに聴こえるようになった。だからそういう風に聴こえることもあるかもしれない。 

サウンドのテクスチャーに拘ってますよね。エレクトロニックな響きは控え目にして、ストリングス系の音やオーガニックな響きを前景化していますよね。この狙いは?

K:アコースティックなサウンドを実際の演奏では不可能な方法で表現することに興味があった。以前、“Moonlight”というベンジャミン・ブリテンの曲をカヴァーしたんだけど、そのときもホルンの実際の音を崩壊させて、爆発させて、石灰化させて結晶化させたかった。けれど同時にその音がホルンの音であると認識できる状態にしたかった。僕はマジック・リアリズムについてそこまで詳しくないけれど、それとの関連性はあるかもしれない。ギターなどの音も同じように扱った。ギターの音として認識はできるけれど、実際に演奏するのは不可能な音。プログラミングの仕方によって、実際のギターでは出せない音にしているんだ。「Yugen」はシンセサイザーのテクスチャを追求した作品だったけれど、今回はまた別のことをトライしてみたというわけさ。

ではオーガニックな楽器を使って、オーガニックではない、非現実的な表現をしていたというわけですね。

K:そうだね。それに僕は音の精確性というものがすごく好きで、じつはオーガニックな感じが好きなタイプではない。音と音をつなげるときも計算機をよく使っているほどだよ。完璧にしたいからね。音を完璧につなげるというところに美しさを感じるんだ。そのつなぎ目が少しでもずれていると魔法は解けてしまう。アコースティックな楽器を使って数学的に完璧な流れにする。その流れが完璧に整う地点に到達すると何かが起きる。それがすごく好きなんだ。その地点に興奮する。その完璧には一切の余白がないから、「完璧に近い」じゃダメなんだ。だから、そういう完璧な状態に持っていくにはかなりの時間がかかるんだよ。

生演奏的な要素も入っていますよね? たとえば、とっても美しい曲のひとつ、“White Picket Fence”の冒頭のピアノはあなたが弾いているのですか? 

K:そう、僕が弾いた。アルバム制作の前半はすべての要素を慎重で高精度に扱っている。すべてを完璧で正確にするために膨大な時間をかけてエディットした。それが前半で、アルバムの後半は先ほども話したように時間がほどんとかからなかった。“White Picket Fence”は僕が一度だけ弾いた演奏がほぼ曲になっている。その夜、僕は落ち込んでいた。アルバムをもう一度最初から作り直さないといけないと思っていたからね。朝5時くらいにピアノの前に座って、“White Picket Fence”で使われているヴォーカルのサウンドがキーボードに入っていたからそれを片手で弾き、もう片方の手でピアノのパートを弾いた。ワンテイクでできたんだよ。自分でもびっくりした(笑)。それからベースの部分を加えて曲が完成した。だからこの曲はある意味、オーガニックな形でできたと言えるね。

その“White Picket Fence”のヴォーカルはシンセの音なんですか? 実在する人なんでしょうか?

K:その中間という感じかな。AIという訳ではないんだけど、実際に存在する人の声でもない。メロディは僕が自分で弾いたもので、声の持ち主は僕がそのメロディを作ったことを知らない。 

ヴォーカルのクレジットは非公開? 秘密ということでしょうか? 次に聞きたいのは“White Picket Fence”でとても印象的な歌を歌っているのはどなたでしょう? ということだったのですが。

K:彼女はセッション・ミュージシャンで「アー」や「イー」という匿名のサウンドを歌って、その音を貸してくれた。僕はその音をサンプリングしてシンセを通して演奏したんだ。こういうヴォーカルが気に入っている。
 僕は若い頃、イビザの『カフェ・デル・マール』(バレアリック系のコンピでもっともヒットしたシリーズ。地中海に沈む夕焼けのメロウな感じが特徴)をよく聴いていたんだけど、僕はウェールズに住んでいたから、まずそんな音楽があるなんてまったく知らなかった。なにせイビザのこと自体も知らなかったからね! 

(笑)。

K:なぜ知ったかというと、僕の叔父がロンドンからこのCDを持ち帰って来たからで、そこにはシンセのように聴こえるテクスチャのような、歌詞がないヴォーカルの音が入っていたんだ。ヴォーカルのクレジットはなし。声を楽器のように使っていたんだ。ヴォーカルもバックトラックの一部というか、そういう捉え方が好きだった。つまり、曲において、ヴォーカルというものに高い優先順位や重要性を与えるのではなく、ひととつの楽器として扱う。パーカッションと同じようなものとしてね。今回の曲でもその概念を適応させたいと思った。だからこのヴォーカルの部分はメロディなんだけど、僕がキーボードで演奏したもので、他の楽器と同じように、声も楽器として扱っている。

彼女の声はほかにも時折入って来ますが、声が表象しているのは、ある種の神聖さ、なのでしょうか?

K:天使みたいな感じなのかもしれないね。僕は直接的な何かを象徴するということはしたくない。でも無意識的にそういう意味合いはあると思う。

“Joy Squad”は本当に良い曲ですね。この曲はクラブ・ミュージックを意識して作られたそうですが、あなたがダンス・カルチャーを支持する理由を教えて下さい。

K:僕が初めてカルチャーとしての一部という認識があったのがクラブ・ミュージックだった。ウェールズに住んでいた頃は、音楽の情報が多少入って来てはいたけれど、かなり遠い地域で起こっていたことだから、関与しているという感じはなかった。10代後半、僕はダブステップのイベントをはじめて、その後グラスゴーに移ってから本格的にクラブ・カルチャーに関与する。その頃の僕にとってクラブ・カルチャーはネットに載っている情報ではなく、まわりのみんなや友だちが実際にやっていることだった。週に5回はクラブ通いしていたな! クラブに住んでいるくらいだった。18歳のクレイジーな時期で毎晩違うクラブで違う音楽を聴いて遊んでいたけど、それが自分にとってもっとも大切だった。僕は大学生だったけれど、学校よりクラブのほうが断然重要だったし、その頃の思いがあるから、僕はいまでもダンス・ミュージックをリスペクトしている。
 とにかく、自分にとってこんなに重要なことがあったんだということが信じられなかったんだ。僕はテクノについて何も知らなかったけれど、グラスゴーのRUBADUBというレコード屋さんから「これを聴いてみなよ」と言われてレコードを聴いて、その音に衝撃を受けてね、で、「こんな音楽が存在するなんて信じられない!」なんて興奮しまくっていた。絶対にこのカルチャーに加わりたいと思ったね。

“Shellshock”もかなり好きですね。キャッチーなコアレス流のポップソングだと思うんですが、では、この歌詞は何について歌っているのでしょう?

K:ごめん、僕もわからない(笑)。僕は歌詞に関してはマックス・マーティンの思想に共感していて、「歌詞は語呂がすべて」だと思っている。マックス・マーティンは有名なポップ・ソングの作曲家で、ブリトニー・スピアーズなどの音楽を作った人だ。彼の母国語は英語ではないから、曲の歌詞に関しては言葉が音としてどう響くかということのほうが大切なんだ。「Hit me / baby / one more / time」(ブリトニー・スピアーズの曲)のようにね。歌詞の意味ではなくて、言葉の形や言葉のサウンドに重きを置いている。僕もそっちに興味があるんだ。つまり、言葉の形や言葉の流れに興味がある。だから解釈や意味はその人が好きなようにしていいのさ。

あなた個人のルーツを訊きたいのですが、いつからどのように音楽の世界に入ったのでしょう? 

K:僕の母親は看護師の仕事をしていたから夜遅くまで仕事をしていた。父親は園芸の仕事で外仕事が多かった。だから僕は放課後の時間を近所にある祖父母の家で過ごすことが多かったんだ。祖父母の家には古いピアノがあって、僕はいつもそれを弾いていた。祖母がピアノのスケールを教えてくれて、それが最初だった。
 その頃から曲を作るようになった。とてもシンプルでばかばかしいものだけどね。そうしたら、ピアノのレッスンを受けさせてもらえることになって、ピアノの先生は18歳くらいで、自宅にスタジオがある、オタク気質の人だった。シンセサイザーにめちゃくちゃハマっている人だったんだ。僕はピアノを習いに行っていたけど、そこにあったシンセの方に興味があった。たしかNovation Super Novaだったと思う。90年代のシンセサイザーだよ。それをいじって遊んでいて、「ヒューーーン」というすごい変な音を出して「すごいカッコいいー!!」と驚いていた。彼のスタジオにはシンセがたくさんあったから僕はそれに夢中になった。彼は本当は僕にピアノを教えるはずだったのに、僕はピアノにはお構いなしに、シンセの音に夢中になっていたよ(笑)。だからいまでも僕はあまりピアノが上手くない。それが一番最初のきっかけだね。
 そしてその後に、叔父が僕の家にパソコンをくれて、そこに音楽制作のソフトウェアが入っていた。Cakewalkという昔のソフトだよ。それを使って僕はまた馬鹿げた曲を作っていた。その時点でも僕はあまり音楽を聴いていなかったから、音楽の種類についてもあまり知らなくて、かなり普通の、愉快な曲を作っていたよ(笑)。でもそのときから曲を作るのはすごく楽しいことだと思っていて、それはいまでも思っているよ。

影響について訊かれることは好まないかもしれませんが、あなたの世界に入るひとつのとっかかりとして知りたいので訊きます。もっとも大きな影響は何でしょう?

K:最初のほうで話したことに戻るんだけど、僕の音楽のもっとも大きな影響というのは、音楽を作る前に自分が最初に考える技術的な疑問だと思う。もしくは、自分がやってみたいと思う楽しい試み。僕は音楽を聴くけれど、音楽ついての自分の様々な考え方を融合させるというような高度な技はできないんだ。だから音楽を制作する過程でワクワクするようなことに出会したり、新しい試みをやってみて結果として出来たものに対してオープンであるということが、自分が作る音楽のサウンドにおけるもっとも大きな影響だと思う。
 でも具体的な影響としては、『カフェ・デル・マール』の黄昏感のあるエレクトロニックな音楽。そういうメランコリックで壮大でバレアリックな雰囲気は昔から僕の一部になっていると思う。それから10代の終わりの頃にダブステップにハマってからは宇宙的な雰囲気が好きで、そういうサウンドが影響になっていた。最近ではクラシックをよく聴いていて、とくにベンジャミン・ブリテンに興味がある。
 ベンジャミン・ブリテンは誤解されがちというか、近代クラシックの作曲家としてあまり名が挙がらない。彼の音楽は古風で退屈なものとされていて、近代クラシックの時代の人なのに、ロマン派の音楽を作っていたからモダンではないと思われていた。彼の音楽はいつもメロディックで、それは彼にもどうすることができなかったことなんだと思う。僕もそういうところがあるから。耳障りな音楽を作ろうとしても、それがどうしてもできないんだよ(笑)。彼のそういうところが好きなんだ。
 それから彼の音楽には何かとてもダークなところがある。とてもスイートな音楽のなかにもね。何か合わない感じがする。そういうダークな感じがすごく好きなんだ。同世代の作曲家の多くから聴き取れるようなわかりやすいダークな感じではなく、彼は当時の人たちにとっても古臭いと感じられるような音楽を作っていて、それはロマンティックな響きの音楽だった。でもそこには何か、微妙に間違った感じが含まれている。何か計算が合わないというか、しっくり来ないというか…そういうダークな雰囲気にすごく興味をそそられるんだ。最近はブリテンの音楽について考えることが多かったから、“Moonlight”のカヴァーを作ったんだよ。もちろん、それ以外にも僕はたくさんのエレクトロニック音楽を聴くからその影響はあるだろうね。

ところなぜ海洋学に進んだんですか?

K:実際に学んだのは造船工学。いろいろな種類の船の構造や設計について学んだ。僕はティーンエイジャーの頃、音楽プロデューサーになりたかった。だから学校の進路相談で、自分の進路として音楽プロデューサーになりたいと伝えたんだ。そうしたら進路課の先生から「それほど馬鹿げた考えはない」と言われた(笑)。「その職業を選べないことはないけれど、私はお勧めしません。あなたは数学が得意で、船が好きでしょう?」と言った。たしかに僕は子供の頃から船に乗ったりして楽しんでいた。先生はこう続けた「だから船を作る技術者になればいいじゃない?」だから僕は「じゃあそれでいいです」と言ってその道に進んだ(笑)。
 大学に進んで造船工学を専攻したけれど、あまり面白くはなかった。大学に進学して良かった点は、大学がグラスゴーにあったからグラスゴーに移ることができたということだった。グラスゴーに行ったら膨大な量の素晴らしい音楽に出会うことができたから。
 つまり、造船工学を専攻したのは進路課の先生のアドヴァイスからなんだ。(音楽で成功していなければ)いまでもそういう仕事をしていたかもしれない。僕が最初にレコードを出したときは、船の桟橋で仕事をしていたからね。その仕事をしながら、空いている時間にギグをしたりしていたんだ。

ちなみに“Lost In Tokyo”という曲名の由来は、本当に東京で迷子になったからなんですか? あるいはあなたのなかの東京のイメージ?

K:東京で迷ったことは何度もあるよ(笑)。すごく面白い体験だった! あの曲を作ったのはかなり若い頃だからいまの僕なら、こんなにナイーヴなタイトルは付けないけれど、当時の僕は日本のことが大好きだったからこのタイトルにしたんだと思う。いまでも日本は大好きだけど、僕はもう少し大人になったし賢くもなったから、いま思うと曲のタイトルとしてはベストじゃないのかなと思ったりもする(笑)。

日本で迷っている外国人をしょっちゅう見かけるので、良いタイトルだと思いますけれど。

K:言っておくけど僕が迷ったのはGoogle Mapsがなかった頃だからね(笑)!

Korelessという名義にはどんな意味が込めらているのでしょうか?

K:16歳か17歳の頃、ギグをやることになって、名義をすぐに思いつかないといけなかった。そのときに思いついた名義でそれがいまでも続いているというわけなんだ。だからとくに意味はない。名義についての質問はよく受けるんだけど、これから話すことはいままでに話したことがない。
 きっかけとしては、当時、名義を考えているときにいろいろな言葉の文字の順序を入れ替えて考えていて、アイスランドのオーロラ(aurora borealis)という言葉を入れ替えたり変化させたりしているうちに、Korelessという言葉ができた。ギグ用のポスターを翌日には印刷しないといけないという状況だったから、即座にそれを名義にした。そう決めてから、その名義でずっとやって来ている。
 名前をつけるのは難しいことだといつも思う。名前は長い間続くものだしね。実はアルバムの制作が遅れたのもそれが大きな理由になっていて、作業中のトラックに馬鹿げた仮の名前を付けていたんだけど、正式な名前をつけるときに、すでにその仮の名前が定着していたから別の名前に変えるということができなかった。言葉は僕の得意分野じゃないんだ(笑)。

序文・質問:野田努(2021年7月09日)

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