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対談

対談

半世紀を経て蘇る静岡ロックンロール組合

文:鷲巣功    Sep 21,2022 UP

 たつ子りんとの “レインボウ・クイーン” に関する質疑応答は続く。
「ハモニカをアムプリファイドしてるでしょう。この頃、もうみんなそうだったんですか」。
 ハモニカを吹いているチャアリイは、恐ろしいほどの集中力を持った男だった。その前は、ギターの近藤良美、ドラムズの竹内康博たちとクリームみたいな音楽を演っていて、ジャック・ブルース真っツァオのベイスを弾いていた。高校を3日で辞めて働いていたので自分で使える金があって、エルクのジャズベース型、そして録音でも使った同社製の大型アムプを持っていた。それがブルーズに急天直下したのだ。わたしはその頃からハードロックが大嫌いだったので、この転向は歓迎した。

 「そうですか、クラプトンからブルーズですか。正しい道のりですね」。
 正しいかどうかは分からないが、チャアリイのハモニカ演奏技術は、日本ビクターから『ザ・ベスト・オヴ・リル・ヲルター』が出た後、飛躍的に上達した。その次には音色に活路を求め、アムプリファイドに辿り着いたのである。実際にヲルターが行っていた事実も知らず、練習場所に転がっていた10ワット程度の小さなギター・アムプにダイナミック・マイクロフォンを直接突っ込んで「ヴォリウム」、「ベース」、「トレブル」、そして「リヴァーブ」までフルテンにする。つまりツマミは全部「10」の位置で、これが奴のセッティングだった。えらく迫力のある音が出た。低出力だからフィードバックも起こらない。その頃この町でハモニカをアムプリファイドしていたのはチャアリイだけだ。
 人格、芸が共に並外れて規格外のサニーボーイ・ウイリアムスンIIが大好きで、自分もハモニカを吹くというたつ子りんはこの日も一本持参していて、色々と話してくれた。その時に持っていたトムボのリー・オスカー・モデルは、今ミック・ジャガーも使っているという代物で、修理用パーツも整えられているそうだ。50年前にはホーナーのブルーズ・ハープとそれを模倣したトンボ・フォークバンドしかなかった。チャアリイは本物の方のブルーズ・ハープを何本も揃えていた。

 わたし達は丁度『永久保存盤』の録音中に七間町という静岡市の繁華街にあった「キングスター」というダンスホールで毎晩演奏が出来た。ステイヂには高価なビンスンのエコーチェムバが置かれ、小型ながら88鍵のピアノもあった。それまで本来の担当楽器であるピアノを弾いて一緒に練習をした事がなかったわたしには嬉しい環境で、毎日開店前に特訓をした。ただそれも全体の流れを頭に叩き込んで通すだけ。最初に演ってみた形を、どこまで間違えずに出来るか、が練習だった。
 その『永久保存盤』録音中に、静岡ロックンロール組合の全員は歌を唄いながら担当楽器を弾いていたのではないか。そうでもしなければ、今どこを演っているのかわからなくなってしまう。ヘドフォンはおろかモニターのひとつもなく、メムバはただ通し演奏をしただけだが、「足らぬ足らぬはソーゾーリョク」とばかりに、全ての不足を世間知らずの逞しい精神力で補っていたのだ。しかもその時はこれがフツーの状況だと考え、足りていない事物が何なのかすら、分かっていなかった。作詞作曲者の心の中にあった “レインボウ・クイーン” の完成形を、彼らがどのように考えて演奏していたか、今となっては知る由もない。

 「はい、それは分かります」。
5曲目の “ロックンロールNO.1” を聞く時、わたしはたつ子りんが口を開く前に「これはクリーデンス・クリアヲ-ター・リヴァイヴォー(以下C.C.R.)の『トラヴェリン・バンド』だよ」と告白した。その時の返事がこれだった。
 年齢不詳のたつ子りんは小学生時代C.C.R.に惹かれ、ベスト盤を買ったらしい。それは冒頭2曲が “スージーQ” と “アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー” という演奏時間の長いブルーズ・ナムバで、たつ子りんはそれらを聞いて閉口し、「俺にロックはまだ早いんじゃないか」と、本気で考えたそうだ。
 “スージーQ” と “アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー”、共に1枚目のアルバムからのシンゴー曲だ。〈リバティ〉からデビューする以前、C.C.R.はサンフランシスコはずれの実演クラブでハコ仕事をしていた。こういう場所ではひと晩で数回のステイヂをこなすのが絶対条件だ。ファンク的なワンコード曲やキイとテムポーさえ決めれば後は同じで何度でも繰り返しが可能なブルーズ・ナムバは、少ない持ち歌の楽団にとっては有難い。「三つ子の魂百まで」なのか、確かにC.C.R.のデビューLP『スージーQ』はハコバン(ド)時代の陰が濃い。その中から極め付けの2曲を最初に続けて聞かされては、幼い子供がウンザリするのも分かる。おかげでブルーズに対するアレルギーは無くなって、その後に聞いたザ・ローリング・ストーンズの “スージーQ” がとても心地よく聞こえたと言う。分かるね、その気持ち。
 C.C.R.はNHKの海外買い付け「軽音楽」フィルム番組の祖「ヤング・ミュージック・ショウ」の1971年第一回で楽しい実演の模様が放送された事もあり、組合員全員が好きだったが、彼らのリパトゥワを自分たちで採り入れる程ではなかった。わたしを除く6人はラジオで流れるヒット曲より、もっとハードロック的な音楽を志向していたのではないか。
 ジョン・フォガティは “アイ・プット・オン・ア・スペル・オン・ユー” を1コーラスしか唄っていない。激しい表現のようにも聞こえるが実に単純なギターのソロを挟み込んで、唄を2回同じように繰り返しているだけだ。ただし結果、スクリーミ・ジェイ・ホウキンズの原曲は2分半足らずなのに、C.C.R.版は4分半を超える「長時間演奏」となった。60年代の終わりには、複雑で難解、かつ非常識な激しい表現で長大な、重たい「軽音楽」が無条件に持て囃された時代であり、C.C.R.の単なる時間引き伸ばし作戦も、周囲には「驚異のニュー・ロック・サウンド」に聞こえたのかも知れない。それでもジョン・フォガティの本質的な歌心とロックンロール魂は、たつ子りんの心を捉えたらしい。ずっと注目を続けていて最近の動向にも詳しい。
 何れにせよたつ子りんは、ロックが一番カッコ良かった十年間に心を奪われているようで、対談中に話題となった音楽は大体わたしですら知っていた。彼の方でわたしに合わせてくれたのかも知れないが、50年前にわたしが目の仇にしていたレッド・ゼペリンの結成時には、キース・ムーンがドラムズ担当だったとか、貴重なよもやま話をいくつか教えてくれた。

 「これは……」と半ば不思議そうな表情でたつ子りんが訊ねたのは、新規マトイチB面最後、第6曲の “女と赤い花” に針がかかった時だった。
 この歌は “レインボウ・クイーン” よりも更に響きが大きく異なる。中途半端なブルーズ・ロック・バンドが、ただその場で演っている演奏ではない。たつ子りんが疑問に思うのも無理のないところだ。
 出来上がってから練習場へ持って行き、皆なに「新曲だ」と披露した時、康博に指定したリズムのアクセントは通常の2拍4拍ではなかった。ここでわたしはピアノではなくアクースティク・ギターを鳴らし、チャアリイも慣れないコンガを叩いている。伸びのあるロング・トーンを活かしたかんばのベイスが美しい。新規マトイチならはっきりと聞き取れる。他の収録曲と明らかに違う響きがたつ子りんの不審感を煽ったらしい。
 もとはシャンがラリって見た夢を基にした歌である。フツーの演奏では面白くない。結果として静岡ロックロール組合としては極めて異質な響きとなった。余談だが、わたしはマーク・ボランが全編でエレキを持つ前の、スティーヴ・トゥックがパカーションを叩いていた頃のティラノザウルス・レクスが好きで、その残像もこの変則的アクースティク・ロック “女と赤い花” には少し映し出されている。
 こんな説明をしたのだが、たつ子りんに分かって貰えただろうか。

 50年かかって出来上がった『永久保存盤』のマトイチ特別試聴会は、33回転時代のB面に入った。“今夜はバッチリ” は、イントロで孝弘がギター低音部の巻弦をピックで擦るのが見えるように生々しい。45回転ならではの音だろう。
 シャンのバカはしゃぎで突っ走る “徹夜ブギウギ” も充分な迫力だ。良美のスライド・ギターも冴えている。彼は一浪後の高等学校入学祝いにアリア製のレスポール・コピーモデルを買って貰っていて、ファズの後に流行りつつあった効果器「ブースター」と共に使っていた。この “徹夜ブギウギ” のソロは、その「ブースター」が際立って活躍している。収録されている何曲かで聞こえる雑音「ガリッ」というのは、そのアッテネータをいじった時の音だ。
 最長の演奏時間となったスローのブルーズ “A39” では、テープのヒスノイズが始まりから終わるまで気になる。しょせんは4トラック録音なのだ。ここで2022年のディヂトー時代に引き戻される。

 さて最後のD面だ。“川合節” は天理教の修行から戻ったチャアリイがこの録音のために持って来た「新曲」なので、誰にも馴染みが薄かった。セッションの終わり頃に手を着けて時間に追われるように仕上げたので、作者は「ないがしろにされた」と40年後にも文句を言っていた。その通りだ。もう少し詰めれば面白くなる要素がある。ただしここまでが1973年当時、静岡ロックンロール組合の限界だった。
 そして、いかにも70年代的な、遅れて来たメセヂ・ソング “ばかっちょい” で、45回転30cmLP2枚組の『永久保存盤』は終わる。音質はすべて極めて良好で、これなら堂々と「50年前の1973年春、殆ど国産の民生機材で、田舎の素人集団が」作り上げたLPの正規の「マトイチ」だ、と胸を張って言える。

 我ながら満足して達成感を味わっていたら、最後にたつ子りんが意外な事を尋ねて来た。
 「パンポットはどのように調整したんですか」。
 この質問には虚を突かれた。録音の全てを司った調整卓の「ヤマハ アンサムボー・システム」略して「YES」は、この国に音楽ミクスという概念を持ち込んだ画期的な新機軸だったが、しょせんは低価格の民生機で、登場後半年ほど経ってモデルチェンヂした後にパンポットのツマミが付いたものの、出入りしていた楽器屋から借り出した初代機の各チャネル出力先は、左か右どちらか片方をボタン・スイッチで選べるだけで、両方を押せばモノーラル出力となる仕様だった。
 諸般の事情によりずっとモノーラル再生で音楽を聞いていたそれまでの体験から、当時のわたしはスティーリオ感覚が貧困だった。これは21世紀の今も変わらず、モノーラルの方が気持ち良く聞ける。ただ今はスティーリオが当たり前で、更に使う音が沢山になって来ると、左右に拡がった音場を的確に利用する感覚が必須だ。
 「レヴェル・フェーダーやイクヲライザーを使わなくても、パンポットで音の場所を決めてやれば、バランス取りは上手く行きます。そういうのは自分がレコーディングを経験して分かった事です」。たつ子りんの言う通りだ。その後このわたしも音楽制作者となり、スティーリオ音場の使い方ほかのさまざまな勉強をしたが、この時は調整室に入っている手伝いに「楽器のソロになったらその楽器の出力チャネルは左右両方にする」と伝えるのが精一杯だったから、定位など考えている余裕はなかった。それでなくても、ひとつもライン録音がなく全てが実際に鳴っている音は、他のチャネルに回り込んでいた。
 この『永久保存盤』はスティーリオのレコードだ。しかし、全体を象徴する最後の一曲 “ばかっちょい” だけが、完全モノーラルになっている。前後に配した、静岡市内の賑やかな交差点で録った街頭音は、使ったカセット・レコーダーがモノーラルで、この辺りにわたしの貧困なスティーリオ感覚が顔を出している。
「この部分がスティーリオで録れていたら、雰囲気はもっと盛り上がったでしょうね」とはたつ子りんの言葉だ。御意。特にイヤフォーンでしか音楽を聞かない最先端の世代には、効果音がスティーリオなのは必須である。ただし、わたしには音楽そのものをモノーラルにした覚えはない。何故だろうか。先の記載録音日と共に『永久保存盤』にまつわる大きな謎である。

 静岡ロックンロール組合でわたしはロックンロール・オーケストラ的なものを意図していた。ジョー・コカーの『マド・ドグズ・アンド・イングリッシュメン』に多大なる影響を受け、そこのバン(ド)マス(ター)だったリオン・ラッソーに憧れていた。だから全員に出来る限り上手そうで滑らかな演奏を求めた。録音も然りで、もっと普通の良い音にしたかった。ただ今になって考えれば、目指していた音楽と静岡ロックンロール組合とは全く次元が違い、ああいうのはプロフェッショナルな人間たちが動き回る世界だ、という事にまるで気付いていなかったのである。採り上げた楽曲の質が違い過ぎる点も分からなかった。
 だからこそ、結局のところ静岡ロックンロール組合の『永久保存盤』は、東海地方の静岡という田舎町の世間知らず達が暴走した、当時はまだ概念すら確立していなかった、極めて「パンク」的なLPになったのではなかろうか。
 総じて、わたしとたつ子りんの時代で、田舎町の音楽状況はあまり変わっていなかったようにも思える。実際に会う前は、さぞかし違った世界が開けているように考えていたが、そうではなかった。これには正直、納得が行く。まあこんなモンではなかろうか。
 敢えて言っておこう。『永久保存盤』の程度の事なら、今この記事を読んでいるあんたにも出来る。五十年後の今ならラクショーだ。ガンガンやってくれ。ロックンロールだ。

 対談が終わって、今回のセッション全域で惜しみない協力をしてくれたオーブライト・マスタリングスタジオの橋本陽英が、「ちょっと確認させて下さい」と、もう一度アナログ盤の “シャンのロック” を回した。そして「大丈夫です」と直ぐに針を上げてから、この前のCD『永久保存盤』について語り出した。
「あの時は『他のCDに音量や音圧感で負けたくない』という思いが強かったので、ダイナミク・レインヂなんかよりそっち優先で作業したんです。その後は時代も少し落ち着きましたんで、今回は本来のマスター・テイプの魅力を引き出す事に専念出来ました」

 有難い言葉だった。CDの利便性にはわたし自身も抵抗出来ないが、世の中がすべて効率的で便利なだけでいいのだろうか、という疑問からは離れられない。特に昨今、あらゆる事をスマフォの中で済ませてしまうような思想にはジンマシンが出る。古い奴だとお思いでしょうが、その延長かこの45回転30cnLP2 枚組『永久保存盤』の制作は、自分自身にとって非常に重要だった。50年かかって、ようやく「マトイチ」が出来た。巻き込まれたみなさん、どうもありがとうございます。
 今回、世代を超えて建設的な意見をしてくれたたつ子りんにはことさら感謝だ。「イギリス人」という風変わりな名前の彼のロックグループの実演予定をここに挙げておこう。そこには静岡ロックロール組合との、何か共通点があるかも知れない。

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CD『永久保存盤』解説書(ユーケー・プロジェクト / DECREC DCRC-0061)
https://note.com/morninblues/n/ne967d2abb407

■静岡ロックンロール組合 LP&Tシャツ通販ページ
https://anywherestore.p-vine.jp/collections/shizuoka-rocknroll-kumiai

文:鷲巣功(2022年9月21日)

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Profile

鷲巣功/Isao Washizu鷲巣功/Isao Washizu
1954年静岡市生まれ。ライター、ラジオDJ、イベント制作、CDのプロデュースなどなど。80年代はランキン・タクシーのマネージャー、またほぼ同時期に河内音頭の研究と普及活動もはじめる。現在は首都圏河内音頭推進協議会の議長を務める。高校時代に静岡ロックンロール組合を結成、1973年に発表した自主制作盤『永久保存盤』は2008年に再発されている。

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