「巡礼」と一致するもの

Tapir! - ele-king

 意識せずともいつの間にやら季節は過ぎて、サウス・ロンドン界隈のバンドも気がつけばポスト・パンクよりもフォークのアプローチをとるようなバンドが増えてきている。こういうのは徐々に変化していくものだからどのタイミングでこうなったのかはっきりとした答えは出ないものだけど、しかし2022年にキャロラインの1stアルバムが出たというのはひとつのターニング・ポイントだったのではないかと思う。そもそもそれが受け入れられる土壌があったということで、やはりロックダウンを経て音楽を作る側のみならず聞く側の心境を大きく変えたのかもしれない(デスクラッシュのギタリスト、マット・ワインバーガーが20年の『ラウド・アンド・クワイエット』のインタヴューで「世界が僕たちの音楽に合うように変化した」と表現していたことをよく覚えている)。塩分をとり過ぎた体が水を求めるように、鋭く性急な音楽よりも、心がゆったりとした慈しみのある音楽を求め、そんな音楽を奏でるバンドをよりいっそう魅力的にしているのかもしれない。それこそキャロラインもそうだがフォークそのものではなく、フォークのフィーリングを取り入れて他の要素と混ぜ合わせたような音楽をやっているというのもミソだ。古きに学び新しさに変えていく、そんなインディ的な精神はもちろんこの流れのなかでも発揮されている。なにはともあれ空気はすっかり変わった。

 サウス・ロンドンを拠点に活動する6人組テイパー!はまさにこの文脈にあるバンドだ。鼻の飛び出た揃いの赤いなんだかわからない覆面をして、なんだからわからないポーズをとったアーティスト写真から興味を持って(夜の闇と鮮やかな赤のコントラストがなんとも魅力的だった)、22年にデビュー作「Act 1 (The Pilgrim)」を聞いたのだけど、その音楽は写真同様に不思議な感覚に陥るような音楽だった。ジム・オルークの『Eureka』を彷彿とさせるようなフォーキーで柔らかな感触と、子どもの頃に見た紙芝居や人形劇を思い出すようなノスタルジーを感じるサウンドがなんとも優しく交じり合い、そしてなんとも優しい心持ちにさせてくれたのだ。

 そのEPはまるごとこの1stアルバムに収録されている。「Act 1 (The Pilgrim)」というタイトルが示すようにEPの音楽をひとつの塊とし、それを三部構成の物語としてとらえアルバムとしてまとめあげている。“Act 1 (The Pilgrim)”、“Act 2 (Their God)”、“Act 3 (The King Of My Decrepit Mountain)”、章のはじまりのそれぞれにフィールド・レコーディングされた物音とリトル・ウイングス、カイル・フィールドによるナレーションが挟まれて物語へと導く道筋が語られる(それはちょっと想像力を刺激するラジオドラマみたいにも思える)。ジャケットにも描かれ、またかぶり物にもなっている赤い奇妙な生き物ピルグリムが緑の丘の上で仲間の声を聞き、引き寄せられるように巡礼の旅に出て不気味な森や山々を駆け巡り、海を渡り、神秘的な風景の中を冒険するという物語、それがアコースティック・ギター、ピアノ、コルネット、サックス、チェロなどの楽器を使い柔らかに語られる。壮大な物語だが、テイパー!の音楽は丸っこいキャラクターが活躍するアニメのように親しみやすく、やたらとノスタルジックで、日常の愛おしさを感じてたまらなくなるほどに優しい。
 オープニング・トラック “Act 1 (The Pilgrim)” のつま弾かれるギターとピアノの絡み、そしてハミングからしてそれがにじみ出ているし、“Swallow” の繰り返しのなかで響くファルセットの歌声はやはり郷愁をこれでもかとかき立てる。海へ出たAct 2、“Broken Ark” ではギターを歪ませ、ストリングスのフレーズとベースでひとり孤独の航海を続けるピルグリムの姿を描き出す。ひとりではいたくないから、だから誰かのいる場所へと彼は向かうのだ。
 Act 3の “My God” はまた素晴らしく胸を締めつける曲だ。それまでの神秘的な世界を離れたモノにまみれた物質的な世界での冒険で、あるいはそれはピルグリムの見た夢(その夢の世界こそがきっと我々の生きる現実だ)なのではないかという考えが浮かぶが、とにもかくにもiPhone 6、ヒューゴ・ボスの時計、メイベリンといった名前の羅列が日常へと続く道筋を作り上げこれでもかと心をくすぐり続ける(思い出と結びつくモノ。消費主義の現実のなかで、しかし我々はモノに愛を感じて生きてもいる)。この曲もそうだが “On A Grassy Knoll (We'll Be Together)” や “Swallow”、“Mountain Song” などの楽曲でドラムマシンと組み合わせていることもこの不思議な旅の奇妙な感触を強めているのかもしれない。柔らかく丁寧に積み重ねられる繰り返しのフレーズとコーラス・ワーク、そしてわずかな異物感がこの旅を味わい深いものにしているのだ。

 このアルバムをプロデュースしたのがハニーグレイズの Yuri Shibuichi であるというのもまた注目すべき点だろう。彼は高い関心を集めている新人バンド、メアリー・イン・ザ・ジャンクヤードの曲のプロデュースもしておりバンド活動のみならずプロデューサーとしても今後ロンドンのインディ・シーンで存在感を放っていくようなそんな気配が感じられる(ロイル・オーティスや Vijin などダン・キャリー関連のアーティストのレコーディング時に呼ばれ、しばしばドラムを叩いているということもこうした活動と無関係ではないだろう)。本作でもジャケットに描かれている広がる草原のような音象を作り上げ、手作り感を残したままに、この絵本のような不可思議な世界の広がりを表現するのに大きな役割を果たしている。

 あぁそれにしてもこのアルバムに聞いたときにやってくる感情はなんなのだろう。聞くたびに胸が締めつけられるようなノスタルジー、ジワジワと湧き上がってくるような愛おしさ、ちょっと哀しくだけども優しく包み込むように音楽が鳴り響いていく。現実から引き継がれた寓話の世界のフォークロアのようなおとぎ話のなかにあるリアル、優しい色使いの世界の中でテイパー!は日常に接続する感情を描いているように僕には思える。音楽だけにはとどまらないというこのプロジェクトがこの先どんな風に変化していくのか楽しみで仕方がない。

Rashinban - ele-king

 80年代後半から90年代前半にかけ、ボアダムズや思い出波止場などで日本のオルタナティヴを切り拓いてきたギタリスト、山本精一。彼が「うた」にフォーカスした羅針盤のファースト・アルバム『らご』(97)がリイシューされる。なんと、初のアナログLP化だ。同時に、セカンド・アルバム『せいか』(98)も復刻される。

 羅針盤といえばかつては、LABCRY(昨年なんと18年ぶりに復活!)、渚にてと共に「関西三大歌モノ・バンド」として絶大な支持を誇ったプロジェクトだ。山本精一のキャリアのなかでもっとも慈愛に満ちたバンドであり、日本のインディー・ポップ史にアコースティックな香りを添えた伝説的な存在。2005年にバンドは解散したものの、その後の山本精一&PLAYGROUNDをはじめとした「うた」を主としたプロジェクトに、その精神性はたしかに継承されている。

 今回のリイシューは前述の通り『らご』『せいか』という初期作2枚になるが、「うた」路線の真骨頂である名盤『ソングライン』やミニマルなポスト・ロック的アプローチに接近していった後期の作品のヴァイナル化にも期待したい。歌心のある日本のアコースティックな音楽は、近年マヒトゥ・ザ・ピーポーやLampを筆頭に国外でも絶大な評価を獲得しつつある。アコースティックかつ音響的なサウンドの復権を夢見るばかりだ。デジタルな環境でのリスニングが一般化したいまこそ、ぜひレコードの柔らかな音像をゆっくり堪能してはいかがだろうか? とにかく、必携です。

まさに感動的な「うた」がここにある。普遍的なポップ・ミュージックの必要な要素がすべて織り込まれている永遠の名盤の呼び声高い羅針盤のアルバムが遂に初アナログLP化!!

97年にギューン・カセットからリリースされたアルバムを、スリーヴ・アートを変更し、同年、ワーナーから再発売されたファースト待望の初アナログ化!
冒頭の「永遠〈えいえん〉のうた」から、山本精一がこれまでに見せてきた表現とは遠く離れたポップ・ソングが並ぶ。

耳への心地よさと皮一枚下にはヒリヒリとした緊張感が漲っている。むしろ、その人懐こさゆえに、聴き手の弛緩した意識の奥深くに忍び込むような、そんな歌たち。
プロコル・ハルムの名盤『ソルティ・ドッグ』収録曲「巡礼者の道」のカヴァー、「HOWLING SUN」も収録。思えば"うたもの"という不思議な新造語も、山本精一が歌いはじめたことに対応して急設されたものだったと思い知らされる。


アーティスト:羅針盤
タイトル:らご
品番:PLP-8098 
発売日:2024年6月19日
定価:¥4,387(税抜価格¥3,980)
レーベル:P-VINE REORDS

山本精一が歌うバンド、としての機能から更に深化した2枚目待望のアナログ化。話し言葉のように作為のない歌声が、歌そのものに同化。ポップ・ソングをある種の擬態とするなら、このアルバムは完璧にその役割を果たしている。目を凝らしても輪郭を捉えることなど出来ない。
かといって曖昧とは無縁。ビーチ・ボーイズへの偏愛を感じさせる「せいか」から、ネオ・アコと呼んでは失礼なフォーク・ソング「アコースティック」、ニューウェイヴな「クールダウン」とまるで山本精一のリスナーとしての遍歴を追っているようでもあり。10分近くの大曲「カラーズ」にはドラマもなく、クライマックスも訪れない。が、一度この歌に囚われたら最後、永久に頭の中で鳴り続ける。


アーティスト:羅針盤
タイトル:せいか
品番:PLP-8099
発売日:2024年6月19日
定価:¥4,387(税抜価格¥3,980)
レーベル:P-VINE REORDS

好評の書評集第二弾!
「科学する心」があなたと世界を変えるかもしれない

本当に読者の役に立つ書評――良い本はしっかりと評価し、ダメな本はしっかりと批判する。そんな「まっとうな書評」が高く評価された山形浩生の書評集、第2弾は「サイエンス・テクノロジー」編。

「科学する心」の尊さ、テクノロジーの楽しさと未来に託す夢。そしてデマやあおりに惑わされない冷静な思考を解く、古びることのない、今の時代に必要な本の数々が紹介されています。その数およそ120冊!

目次

はじめに

第1章 サイエンス
 科学と文明と好奇心――『鏡の中の物理学』
 「わからなさ」を展示する博物館――The Museum of Lost Wonder
 星に願いを:天文台に人々が託した想い――No One will Ever have the Same knowledge again
 「別の宇宙」は本当に「ある」のか? 最先端物理理論の不思議――『隠れていた宇宙』
 若き非主流物理学者の理論と青春――『光速より速い光』
 物理学のたどりついた変な世界――『ワープする宇宙』
 「ありえたかもしれない世界」にぼくは存在するか? 確率的世界観をめぐるあれこれ――『確率的発想法』
 スモールワールド構造の不思議――『複雑な世界、単純な法則』
 分野としてはおもしろそうなのに:特異な人脈の著者が書いた変な本――『人脈づくりの科学』
 トンデモと真の科学のちがいとは――『トンデモ科学の見破りかた』
 真の科学理論検討プロセス!――『怪しい科学の見抜きかた』
 あらゆる勉強に通じるコツ――『ファインマン流物理がわかるコツ』
 あれこれたとえ話を読むより、自分で導出して相対性理論を理解しよう!――『相対性理論の式を導いてみよう、そして、人に話そう』

第2章 科学と歴史
 人々の格差は、しょせんすべては初期条件のせいなのかしら――Guns, Germs and Steel『銃・病原菌・鉄』
 参考文献もちゃんと収録されるようになり、単行本よりずっとよくなった!――『銃・病原菌・鉄』
 『銃・病原菌・鉄』のネタ本のひとつ『疫病と世界史』を山形浩生は実に刺戟的な本だと思う――『疫病と世界史』
 マグル科学の魔術的起源と魔術界の衰退に関する一考察――『磁力と重力の発見』
 魔術と近代物理学との接点とは――『磁力と重力の発見』
 文化を創るのは下々のぼくたちだ――『十六世紀文化革命』
 社会すべてが生み出した近代科学の夜明け――『世界の見方の転換』
 コペルニクスが永遠に奪い去ったもの:地動説がもたらした人間の地位の変化を悼む――Uncentering the Earth: Copernicus And the Revolutions of the Heavenly Spheres
 「星界の報告」新訳。神をも畏れぬ邪説を唱えたトンデモ本。発禁にすべき――『望遠鏡で見た星空の大発見』
 イスラムの現状批判とともに、もっと広い科学と宗教や規範の関係を考えさせられる――『イスラームと科学』
 アメリカとはまったく別の技術の系譜――『ロシア宇宙開発史:気球からヴォストークまで』
 有機化学がイノベーションとハイテクの最前線だった時代――『アニリン―科学小説』

第3章 環境
 脱・恫喝型エコロジストのすすめ:これぞ真の「地球白書」なり――The Skeptical Environmentalist『環境危機をあおってはいけない』
 地球の人々にとってホントに重要な問題とは? 新たな社会的合意形成の試み――Global Crisis, Global Solutions
 温暖化対策は排出削減以外にもあるし、そのほうがずっと効果も高い!――Smart Solutions to Climate Change: Comparing Costs and Benefits
 環境対策は、完璧主義ではなくリスクを考えた現実性を!――『環境リスク学』
 マスコミのあおりにだまされず、科学的な環境対応を!――『環境ホルモン』
 温暖化議論に必要な透明性とは?――『地球温暖化スキャンダル』
 壮大な地球環境制御の可能性――『気候工学入門』
 真剣なエコロジストがたどりついた巨大科学への期待――『地球の論点:現実的な環境主義者のマニフェスト』
 いろいろ事例は豊富ながら、結局なんなのかというのが弱くて総花的――『自然と権力――環境の世界史』
 誇張してあおるだけの温暖化議論でよいのか?――『地球温暖化問題の探究』

第4章 震災復興・原発・エネルギー
 震災復興の歩みから日本産業の将来像を見通す――『東日本大震災と地域産業復興 II』『地域を豊かにする働き方』
 原発反対のために文明否定の必要はあるのか?――『福島の原発事故をめぐって』
 正しく怖がるための放射線リテラシー――『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』
 主張は非常にまっとうながら、哲学はどうなったの?――『放射能問題に立ち向かう哲学』
 頭でしか感じられない怖さの恐怖――『廃墟チェルノブイリ』

第5章 建築
 いろんな表現の向きと具体性のこと――『住宅巡礼』『日本のすまい―内と外』
 真に自然の中に位置づく建築のあり方などについて――『時間の中の建築』
 人間くさく有機的な廃墟の本――『廃墟探訪』
 失われゆく現代建築の見直し――『昭和モダン建築巡礼 西日本編』
 楽しい探訪記ながら明らかにしたかったものは何?――『今和次郎「日本の民家」再訪』
 家の持つ合理性を見抜いた名著――『日本の民家』
 「構想力」の具体的な中身を分析したおもしろい本――『群像としての丹下研究室』
 長すぎるため、どうでもいい些事のてんこ盛りに堕し、徒労感が多い一冊――Le Corbusier: A Life
 言説分析が明らかにしたのはむしろ分析者の勝手な思い込みだった――『未像の大国』
 記憶術が生み出した建築による世界記述と創造――『叡智の建築家』

第6章 都市計画
 街と地域の失われた総合性を求めて――『廃棄の文化誌』
 都市に生きる人たちと、都市を読む人――『恋する惑星』&『檻獄都市』のこと――『檻獄都市』
 土建政治家の構想力とは――『田中角栄と国土建設』
 都市開発とぼくたちの未来像など――『最新東京・首都圏未来地図―超拡大版』
 次世代に遺すインフラ再生問題――『朽ちるインフラ』
 数十年にわたって継続する都市開発を養うには――『ヒルサイドテラスウェストの世界』
 槇文彦も村上龍も、ハウステンボスの怪にはまだかなわない――『記憶の形象』
 電気街からメイド喫茶へ:おたく的空間のあり方とは――『趣都の誕生』
 古代中世の話で9割が終わる都市空間デザイン論というものの現代的意義は?――『都市空間のデザイン』
 日本のバブル永続を想定した古い本。すでに理論は完全に破綻、今更翻訳する意義はあったのか?――『グローバルシティ』
 うーん、いろいろやったのはわかるが、それで?――『モダン東京の歴史社会学』
 その金科玉条の「オーセンチック」って何ですの?――『都市はなぜ魂を失ったか』
 建築と都市が重なる奇妙な空間へ――『S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ』

第7章 医療・生命
 肥満二段階仮説、あるいはデブの免疫療法に関する一考察――『免疫の意味論』
 死体になったらどうなるの? 決定版:ぼくらの死体完全マニュアル本!――Death to Dust: What Happens to Dead Bodies?
 死体関連のネタ満載。この分野のおもしろさを何とか知らせて認知度をあげようとする著者の熱意が結実――『死体入門』
 医学生がジョークで撮った解剖記念写真集。医学と死体解剖のあり方を考えさせる、二度と作れないだろう傑作――Dissection: Photographs of a Rite of Passage in American Medicine 1880-1930
 現実のドリトル先生にして現代外科医学の開祖――The Knife Man: The Extraordinary Life And Times Of John Hunter, Father Of Modern Surgery
 おおお、エミリー・オスターきたーっっっっ!!――『お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント』

第8章 遺伝・進化
 歪んだ標的にされた、遺伝とは無関係な知能偏重社会批判の書――『ベルカーブ:アメリカ生活における知能と階級構造』
 人種とスポーツと差別について――Taboo: Why Black Athletes Dominate Sports and Why We Are Afraid to Talk About It
 遺伝子分析とITが交差する新分野の魅力書――『実践バイオインフォマティクス』
 きみは進化のために何ができるか? バカやブスの存在理由について――『喪失と獲得』
 ラスコー展とニコラス・ハンフリー
 進化論の楽しさと威力、そして宗教との共存――Evolution for Everyone: How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives
 生得能力と最適な社会制度について考えさせられる本――『心の仕組み』
 人間での遺伝の役割をドグマから救う勇気の書――『人間の本性を考える』
 初歩から最先端の成果までを実に平易に説明、日本の研究水準紹介としても有益。あとは値段さえ……――『自己変革するDNA』
 日本人は昔からあれこれ混血を進めてきました、という本――『ハイブリッド日本』
 日本人の起源を総合的に見直すと?――『日本人はどこから来たのか?』
 すばらしい。創発批判本!――『生命起源論の科学哲学』
 人間の遺伝子分布についての立派な百科事典。ネトウヨどもは本書についてのインチキなデマをやめるように――The History and Geography of Human Genes
 人類進化と分布のとても優秀な一般向け解説書。インチキに使わずきちんと読もう!――The Great Human Diasporas: The History Of Diversity And Evolution
 クローン生物の可能性と現実――『第二の創造:クローン羊ドリーと生命操作の時代』
 ネアンデルタール人の精神世界にまで踏み込む――『ネアンデルタール人の正体』
 すべての人工物の理論と進化について――『システムの科学』『進化と人間行動』

第9章 脳と心
 異分野を浸食する脳科学の魅力がつまった一冊――『脳のなかの幽霊、ふたたび』
 脳科学から倫理と道徳を考える――『脳のなかの倫理』
 心や意識の問題でも、もはや哲学はジリ貧らしいことについて――『MiND』
 Do Your Homework! 思いつきの仮説だけでは、脳も心もわからない――『脳とクオリア:なぜ脳に心が生まれるか』
 意識とは何か? 「人間である」とは?――Conversations on Consciousness: What the Best Minds Think About the Brain, Free Will, And What It Means to Be Human
 妄想全開:フロイトの過大評価をはっきりわからせてくれる見事な新訳――『新訳 夢判断』
 インチキだと知って読むと、読むにたえないシロモノではある――『失われた私』
 原資料をもとに、多重人格シビルのウソを徹底的に暴いた本。でも批判的ながら同情的でフェアな視点のため、非常に感動的で悲しい本になっている――Sybil Exposed: The Extraordinary Story Behind the Famous Multiple Personality Case
 え、プラナリアの実験もちがうの?!!――『オオカミ少女はいなかった』
 人を丸め込む手口解説します――悪用厳禁!――『影響力の武器』
 意識の話はむずかしいわ――『ソウルダスト』
 うーん、ヤル気の科学よりいいなあ――『WILLPOWER 意志力の科学』
 文明を築いた「読書脳」――『プルーストとイカ』

第10章 IT
 マイケル・レーマンの偉大……それと藤幡正樹――『FORBIDDEN FRUITS』
 さよなら「ワイアード」――「ワイアード 日本版」
 がんばれ!! 微かに軟らかい症候群――『マイクロソフト・シンドローム――コンピュータはこれでいいのか!?』
 コンピュータはあなたの知性を反映する!――『あなたはコンピュータを理解していますか?』
 プログラミングの傲慢なる美学と世界観――『ハッカーと画家――コンピュータ時代の創造者たち』
 気分(だけ)はジャック・バウアー!――『世界の機密基地―Google Earthで偵察!』
 意味を求める人間と、自走する情報のちょっと悲しい別れ――『インフォメーション―情報技術の人類史』
 バーチャル世界だけで人類は発展できるのだろうか――『ポスト・ヒューマンの誕生』
自分でできる深層学習――『Excelでわかるディープラーニング超入門』

第11章 ものづくり・Maker・テクノロジー
 技術的な感覚のおはなし――『root から/へのメッセージ』が教えてくれるもの
 夢のロボットたち:「ロボコンマガジン」は楽しいぞ――「ロボコンマガジン」
 狂気の自作プラネタリウムの教訓と可能性など。――『プラネタリウムを作りました。』 出来の悪い後輩たちの空き缶衛星物語と、草の根科学支援の方向性について――『上がれ! 空き缶衛星』
 本気で夢を実現しようとする驚異狂喜の積算プロジェクト――『前田建設ファンタジー営業部』
 施工見積から見えてくる空想と現実の接点――『前田建設ファンタジー営業部Part 3「機動戦士ガンダム」の巨大基地を作る!』
 トンネルの先の光明――『重大事故の舞台裏』
 ピタゴラ装置の教育効果――『ピタゴラ装置DVDブック1』
 世界に広がる、ミステリーサークルの輪!――The Field Guide: The art, History and Philosphy of Crop Circle Making
 自分で何でも作ってみよう! 農作物からITまで――『Made By Hand』
 よい子は真似しないように……いやしたほうがいいかな?――『ゼロからトースターを作ってみた』
 アンダーソンは嫌いだが、Makersビジネス重視の視点はおもしろく、実践も伴っていてえらい――『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』
 ものづくりとしての科学的お料理解説書――『Cooking for Geeks: 料理の科学』
 ジブリ『風立ちぬ』に感動したあなたに!――『名作・迷作エンジン図鑑』
 新ジャンルに取り組むアマチュアたちの挑戦とその障害をまとめた、わくわくする本――『バイオパンク―DIY科学者たちのDNAハック!』
 量産からバイオまですべてに貫徹するものづくり思想とは――『ハードウェアハッカー』

あとがき

著者
山形浩生(やまがた・ひろお)
1964年、東京生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学科およびマサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了。
大手シンクタンクに勤務の頃から、幅広い分野で執筆、翻訳を行う。
著書に『新教養主義宣言』『たかがバロウズ本。』ほか。訳書にクルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』、ピケティ『21世紀の資本』、スノーデン『スノーデン 独白:消せない記録』、ディック『ヴァリス』ほか。

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寺尾紗穂 - ele-king

 春先に寺尾紗穂の新作が出たとき、子どもたちは学校にかよえなくなっていたが、世界はまだこのような世界ではなかった。ひと月たち緊急事態宣言が発出し通りは森閑としたが、雨がちな夏も終わるころには人気ももどり、人々はあらたな暮らしの基準に心身ともに調律をあわせたかにみえるものの、またぞろ次の波のしのびよる気配がたかまる冬のはじめ、寺尾紗穂からまたしてもアルバムリリースの報せがとどいたのは、音楽をとりまく環境も深刻な影響をこうむった2020年においてにわかには信じがたい。
 『北へ向かう』と『わたしの好きなわらべうた2』——前者は3年ぶりのオリジナル作で、後者は伝承歌、伝統歌を編んだ4年前の同名作の続編にあたる。性格も、おそらく彼女のディスコグラフィでの位置づけもちがうこの2作はしかし生まれ来る場所をともにしているかにもみえる。もっとも寺尾紗穂の音楽はすべてそのようなものかもしれない。古くてあたらしく、現代的な意匠にむきあうのになつかしい。『わらべうた2』はカヴァー集だが、アンソロジーでもある、レコードであるばかりかフィールドワークであり、そこでみいだしたものを音楽という時制におきなおす野心的なこころみでもある。そのような主体のあり方をさして寺尾紗穂は「ソングキャッチャー」と述べるのだが、「歌をつかまえるひと」というこの語に私は彼女の歌にたいする能動的な姿勢と、野っ原の避雷針のような受動態が二重写しになった姿をみる。米国のローマックス父子やハリー・スミス、本邦では小泉文夫など、かつての歌の保存と伝承はそれを採取し記録するものの探究心と使命感に負うところ大だった。その一方で歌の採取に熱心だった作曲家のバルトーク・ベラの作風がハンガリーの国民楽派を基礎づけたように歌という不定型の素材を記録することはネイションの輪郭を確定する補助線でもあった。私たちはしばしば、音楽に基層のようなものがあるとして、文化、風土、習慣、歴史などの複合要素からなるそれは民俗ないし民族なる概念とわかちがたい。やがて正統性に昇華するそのような考えは国とか社会とかいった極大の視点にたたずとも、私のふだん暮らす組織や共同体内でも抑圧的にふるまうこともある。そこに家父長制をみてとることについては議論の余地もあろうが、つたえることは右から左へ流れ作業するのともちがう、歴史が偽史の含意をはらみかねない今日、それ自体がきわめて問題提起的な行為である。民謡や伝統芸能はいうまでもない。
 童歌はどうか。寺尾紗穂が童歌に興味をもつきっかけは彼女の生活の変化に由来したのは『わらべうた1』のレヴューでものべた。童歌の定義は一概にはいえないが、子守唄、遊び歌、数え歌などをふくみ、調子よく歌詞は多義的でときに不条理である。“かごめかごめ” や “はないちもんめ” も童歌だといえばイメージを結びやすいかもしれない。そう書いたとたんノスタルジックになってしまうのは童歌もまた先にのべた音楽の基層に位置するからだろうか。とはいえ世間と暮らしの波間に漂うばかりの俗謡である童歌は基層としてはいささかおぼつかない。だれかの口の端にのぼらなければひとは忘れ歌は歌いつがれない。逆をいえば歌うかぎりにおいて童歌は歌い手の数だけ変奏し遍在する。2作目をむかえた〈わらべうた〉シリーズでの寺尾紗穂の歩みからはそのようなメッセージがききとれる。前作は長岡や小千谷の “風の三郎~風の神様” にはじまり徳之島の “ねんねぐゎせ” まで、全国津々浦々の全16曲をおさめていた。2作目も曲数は同じ、ソングブックとしてのフォーマットをそろえている。特定の地域にかたよらず、列島を巡礼するような選曲のかまえも前作をひきつぐが『わらべうた2』は前作以上に多様性に富んでいる。とはいえ一聴して耳を惹くのはアイヌの鬼遊び唄 “タント シリ ピルカ(今日はお天気)”、沖縄は読谷の “耳切り坊主”、奄美の笠利の “なくないよ” など。ことばの響きのちがいでほかからうかびあがる。寺尾は3月の『北へ向かう』でも “安里屋ユンタ” をとりあげるなど、南西諸島の唄も積極的にとりあげる歌い手である。『北へ向かう』の “安里屋ユンタ” はその前に置いた福島原産の “やくらい行き” との対で、寓話的な語りの空間を創出するだけでなく海と山の二項対立を止揚するヴィジョン、森の樹々のなかの道をとおり海にぬけるかのごとき石牟礼道子的なヴィジョンを構造的に暗示する役割も担っていた。寺尾紗穂のCDを聴くのはアルバムという形態でしかあらわせない構想に耳を澄ますことでもある。その点は『わらべうた2』でも変わらない。もっとも構想の力点の置き方を書物になぞらえるなら、フィクションとドキュメンタリーほどのちがいはあり、後者となる『わらべうた2』ではまずもっておのおのの唄の歌唱と解釈が前に出てくる。私は奄美の産なので地元の歌にかぎっても、ヴァナキュラーなニュアンスをつかまえる彼女の避雷針が前作以上にみがかれているのがわかる。歌でいうコブシや琵琶などの弦楽器のサワリなど、譜面に記さずとも曲の決め手になる唱法、奏法はいくつもある。これらを身につけるのが正統的な系譜にのるかそるかの分かれ目ともいえる。私は音楽の価値は歴史や体系内の位置によるとも思わないので、正統性にこだわらないが、かといって破壊的だけなのも古めかしい。その点で『わらべうた2』は童歌という伝統的な題材を選びていねいによりそいながら、実験的なサウンドを対象に対置させる点であり、そのかねあいが作品全体にゆたかな多様性をもたらしている。
 『わらべうた2』は歌島昌智が吹くスロバキアの管楽器フラヤの音が印象的な “山の婆 山の婆” で幕をあける。歌島は『1』の冒頭でもフラヤを奏していたから、寺尾のなかにはこの2作を対として提示する意図があるのだろう。ただし『2』の2曲目の兵庫県川西市の子守唄 “うちのこの子は” は前作の “あの山で光るものは” (東松山市)の静けさとは対照的なはずむようなリズムでアルバムのグルーヴの基準をしめすかのような仕上がりとなっている。この曲のリズムセクションをつとめるのはやはり前作にも名を連ねた伊賀航とあだち麗三郎、ふたりに寺尾をあわせた三人がその後冬にわかれてとして活動をはじめたのはみなさんよくごぞんじである。三者の息の合い方はすでにひとかどのものだが、本作ではそれぞれのカラーを活かしながら、楽曲には音をつめこみすぎないよう配慮もゆきわたっている。アルバムはピアノトリオと民俗楽器が交互に登場する構成をとっているが、空間をたっぷりとったことで、指板にあたる弦の振動や打楽器の音がたちあがるさいの空気の震え、先述のことばをくりかえすと音楽のサワリまで掬いとる葛西敏彦の録音は見事というほかない。
“やんやん山形の” と読谷の “耳切り坊主” には冬にわかれてのスペクトルの幅とでもいうべきものを記録している。民俗楽器では岐阜の根尾村の “鳥になりたや” でやぶくみこが手にするグンデル、つづく “なるかならんか” で歌島がとりだすバラフォン、ボウラン、ティンシャ、ゴングなどなど、響きとリズムをかねるものが多い。使用楽器やアレンジは曲によるのだろうが、童歌にむきあう寺尾と演奏者の自由連想的な姿勢はときの風化にさらされた唄を現代によみがえらせるだけでなく、現行のジャズやポップスに拮抗する力をあたえ和的な意匠にとどまらない広がりももたらしている。
 寺尾紗穂がそれらの楽曲をひとつずつ、慈しむようにつみあげる先に『わらべうた2』は全貌をあらわしていく。ことに石巻の “こけしぼっこ”、北巨摩郡の “えぐえぐ節” ときて笠利の “なくないよ” で幕を引く終盤は白眉である。このような構成もまた『1』の延長線上だが『2』は色彩感においてはいくらかひかえめ。そのぶんグルーヴは漬物石のごとく重みを増し唄からは滋味がにじみだす。めざとい読者には “えぐえぐ節” の「えぐえぐ」とはなんぞやと首を傾げられた方もおられようが、これはじゃがいもはえぐいという悪口に由来するのである──という説明もまたぞろ混乱のもとかもしれないので真相をつきつめたい御仁には本作を手にとられるのをおすすめする。さすれば列島にあまたある童歌が土地土地の風土と歴史が育む厚みを有することをかならずやおわかりいただけるであろう。『わたしの好きなわらべうた2』の掉尾をかざる笠利の “なくないよ” に耳を傾けながら私はそのように確信するのだが、時代背景から女性と子どもが歌い手であり聴き手である子守唄の労働歌の側面に思いをいたせば、ありし日の彼らのたくましさやつましさに尽きない、暮らすことの多層性がうかびあがる。“なくないよ” では等々力政彦のイギルの助演を得て、寺尾紗穂は行間からそのようなものをよびさましている。これほどおおどかで透徹した視線の歌い手はそうはいない、ソングキャッチャーの面目躍如たるものがある。

いま最も注目を集めるカリスマ経済学者
実際に危機を経験したギリシャ元財務大臣の代表作
世界中のメディアから称賛を浴びた起死回生への道筋

14ヶ国で翻訳のNo.1ベストセラー、待望の邦訳がついに登場!

解説:松尾匡

通貨統合が招いた悲劇──
強い者はやりたい放題、弱い者は耐えるのみ?

鋭い洞察と鮮やかな筆致が浮き彫りにする、各国リーダーたちの苦悩と策略、次々と覆される通説、知られざる戦後世界経済の壮大なドラマ

欧州の危機的状況を疑う人は、ヴァルファキスの説明を読むべし ──『ガーディアン』
卓越した経済学者で、政治アナリスト。その並外れた才能が全開になっているのが、欧州危機に関する最近の研究だ。過去半世紀にわたる世界経済の展開と、それがもたらした深刻な影響が欧米社会を脅かしている現状についての、もっとも開明的で鋭い分析 ──ノーム・チョムスキー
素晴らしい本……ヤニスは欧州プロジェクトが民主主義の欠損を原初の設計段階から抱えていたことを見事に説明する……当代のトゥキディデスだ ──ジェフリー・サックス
数少ない私の英雄のひとり……彼の成し遂げたことはとてつもなく重要だ……欧州で守る値打ちのあるものを救うため、ヤニスは正しいことを試みた……EUにとどまり内部から撹乱することだ。それゆえ彼は大きな脅威だったのだ……この見事に書かれた複雑な書物が、わたしたちを憤激させ、思考させる。それこそ、いまわたしたちに必要なことだ。ヤニスのような人々がいる限り、まだ希望はある ──スラヴォイ・ジジェク
才気あふれる人物、欧州で起きていることについて彼の基本的な主張は正しいと思う ──マーティン・ウルフ
ヤニス・ヴァルファキスのように経済学の才に恵まれた財務大臣は稀だ ──ジョセフ・スティグリッツ(ノーベル経済学賞受賞者)
BBCニュースにとって最大の悪夢は他局がヤニス・ヴァルファキス・ショーを流すこと ──マーク・ローソン(『ガーディアン』)
世界的なセレブ ──『エコノミスト』
彼はユーロ圏の複雑な歴史に登場する重要人物の内面に切り込み、彼らの危惧や願望、外的制約などを明らかにする……まるで面白いスリラー小説……倫理感のめざめを促す ──『オープン・デモクラシー』
世界一興味深い男 ──『ビジネス・インサイダー』
堂々とした、読ませる文体。この本の読みどころのひとつは、登場人物の個性が果たす役割が重視されているところだ。 ──『タイムズ・リテラリー・サプリメント』
誠実で知的な正直さをもつ人……卓越した金融経済学者。その業績は欧州各国の政府高官たちをたぶらかしてきた連中を霞ませる……彼の経済学のロジックは論破できない ──マイケル・ブレナー
純粋に進歩的な大義のために立ち上がる彼の勇気と情熱には賞賛を禁じ得ない ──マイケル・ゴーヴ(『サンデー・タイムズ』)

サブプライム住宅ローン危機を予言し、シリザ政権時にギリシャの財務大臣を務めた反緊縮派の筆頭、現在は「Diem25」*を指導する経済学者によるベストセラーがついに翻訳刊行!

* 哲学者のスラヴォイ・ジジェクやアントニオ・ネグリ、言語学者のノーム・チョムスキー、社会学者のサスキア・サッセン、経済学者のジェイムズ・K・ガルブレイス、アクティヴィストのスーザン・ジョージやフランコ・ベラルディ(ビフォ)、ジャーナリストのナオミ・クライン、ジュリアン・アサンジ、音楽家のブライアン・イーノやジャン=ミッシェル・ジャール、ボビー・ギレスピー、映画監督のケン・ローチなど、錚々たる面子が名を連ねる、欧州の民主主義改革運動。

ブレグジットに揺れるヨーロッパ、その危機の原因を三つの歴史的な出来事──ブレトンウッズ会議、欧州の通貨統一、リーマン・ショック──にスポットライトを当てながら、大国アメリカとの関係で入念に考察、ウィットに富んだ筆致で巧みに分析していく本書は、グローバル資本主義経済の歪みを解き明かす希望の光であり、国の借金がことさらに強調され格差が広がり続ける日本、そこに暮らすわれわれにとっても非常にリアルな1冊と言える。

ギリシャ元財務大臣が贈るNo.1ベストセラー、待望の翻訳がいよいよ刊行!

■ ヤニス・ヴァルファキス (Γιάνης Βαρουφάκης / Yanis Varoufakis)

1961年アテネ生まれ。ギリシャの経済学者、政治家。アテネ大学教授。2008年のサブプライム住宅ローン危機を予見したことで知られる。2015年、シリザ政権時にギリシャの財務大臣を務め、債務帳消しを主張。2016年にヨーロッパの民主主義改革運動「DiEM25」を起ち上げる。邦訳に『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ダイヤモンド社)、『黒い匣──密室の権力者たちが狂わせる世界の運命』(明石書店)、「ヨーロッパを救うひとつのニューディール」(松尾匡編『「反緊縮!」宣言』所収、亜紀書房)がある。

■ 中野 真紀子 (なかの まきこ)

ニューヨークの独立報道番組デモクラシー・ナウ!の日本語版グループの代表。翻訳業者。訳書にエドワード・サイードの『ペンと剣』(ちくま学芸文庫)、『遠い場所の記憶 自伝』(みすず書房)、『バレンボイム/サイード 音楽と社会』(みすず書房)、ノーム・チョムスキーの『マニュファクチャリング・コンセント──マスメディアの政治経済学』(トランスビュー)など。

■ 小島 舞 (こじま まい)

早稲田大学政治経済学部経済学科卒業、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)哲学科修了。日系シンクタンクを経て、現在外資系企業に勤める。

■ 村松 恭平 (むらまつ きょうへい)

ル・モンド・ディプロマティーク日本語版の会代表理事・翻訳者。フランス語講師。2017年、東京外国語大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。

わたしたちを救う経済学──破綻したからこそ見える世界の真実

目次

序章──赤い毛布
拒絶された手/丘の上のかがり火/「お金はいつ返ってくるの?」/キリギリスはそこら中に/欧州とアメリカ──本書の3つの出来事/わたしたちの1929年/借金と罪/共通の過去の亡霊

1 弱い者は耐えるのみ
ずっと前からわかっていた/荒廃した欧州のための単純なアイデア/弟子が師匠を打ち負かす/メロス人の返答/晴れの日だけの還流システム/政治的な黒字還流か、野蛮に委ねるか/「われわれの黒字、われわれの還流メカニズム」/領分の防衛/米国の赤字、ドイツの不安、フランスの慢心

2 とんでもない提案
フランスの抱擁が二度退けられる/二度目の抱擁/別の手段による戦争/アメリカのグローバル・プラン/ド・ゴールの洞察/ギリシャの引き金/ドル化したカルテル/ラインをまたぐ動乱

3 不安な巡礼者
タガの外れた世界でヘビが這いずる/妙にまともな提案/「ヴォルカーのくそ野郎」、再び/選んだわけじゃない/コンドルセの小さな秘密/ヴォルカーが決闘を挑む/楽観主義の勝利?/時を超えた獣/アテネ巡礼

4 トロイの木馬
サッチャーの間違い/本来の性質ではない/ドイツ連銀の影響力/厚かましい連中/フランスの緩慢な凋落/残酷なグライドパス

5 捨てられたもの
メージャーの愚行、ラモントの入浴/結末/金融化が後押しする/加入の礼儀/共有される通貨、共有されない欠点/ヨーロッパ贔屓、ドイツ嫌い、フランスのエリート

6 逆戻しの錬金術師
熱狂/「否」の3乗/欺瞞/拒絶/財政的水責め/ポンジの緊縮/無力/ドミノ倒しか、それとも登山家の滑落か/無知/ポンジの緊縮の拡大/独裁支配/モンティの抵抗/モンティは行動の必要性を知っていた。そして、彼は行動した!/不履行/何がなんでも?/北と南/帝国の反撃/不穏な緩和/非常にヨーロッパ的なクーデター/悪意

7 バック・トゥ・ザ・フューチャー
ヘビのDNA/移民の夢、ポンジ詐欺による成長、不満の増大/入閣せずに、ナチが権力を掌握/ロトスの実を食べる者たち(すべてを忘れ至福の境地で暮らす)/メッテルニヒの残響/合衆国に戻る/ショイブレの計画/主権なくして民主主義はない/民主主義と裁量権の対決/分権的な欧州化、またはティナをタチアナに置き換える秘訣

8 欧州の危機、アメリカの将来
ヴェルサイユの亡霊/米国の将来が危機にさらされる/ガイトナーの憤怒からルーの懊悩まで/エピローグ──宗教支配の機が熟する

あとがき──不協和音からハーモニーへ

謝辞

補遺──ささやかな提案
どんな解決策にもかかってくる政治的な制約/ささやかな提案──四つの危機、四つの政策/結論──四つの現実的な政策が五つの誤った選択肢にとって代わる

解説 (松尾匡)
訳者あとがき (中野真紀子)

参考文献
索引

FUNGI-菌類小説選集 第Iコロニー - ele-king

ペーパーバック仕様のキノコ+SF+海外文学

ようこそ、真菌(しんきん)の地へ。

ロマン・ノワールからダーク・ファンタジー、スチーム・パンクからボディ・ホラーまで。


植物よりも動物に近く、どちらともまったく異なる存在である「キノコ」。
本書は、共編者のオリン・グレイとシルヴィア・モレーノ=ガルシアが、
日本の怪奇映画『マタンゴ』の話題で意気投合し、不思議な菌類の小説を集めたアンソロジーだ。
目のくらむような、キノコの物語の森へようこそ。


■FUNGIとは……

菌類、菌類界の意。
広義ではバクテリヤ類、(Schizomycetes)をも含むが、
狭義では粘菌・カビ類・酵母菌類・キノコ類など真菌類(true fungi)をいう。
「新英和大辞典 第六版」(研究社)より


■序文より

菌界の仲間は、植物よりは動物に近いが、
それでいてどちらとも根本的に異なる別種の神秘的なしろものである。

編者は、ボディ・ホラーやウィリアム・ホープ・ホジスン流きのこ人間を越えて、
菌類小説の潜在的可能性を広く探究する作品を求めた。
作家たちは、彼らの胞子を遠く、かつ広範囲に放出してくれた。

読者はあらゆるたぐいのキノコが、多様な役割を演じ、
ホラーからダーク・ファンタジーにいたる全領域にわたるあらゆる種類の物語を味わうであろう。


■解説より

何よりも嬉しかったのは、編者たちがこの本を構想するきっかけになったのが、
「マタンゴ」だったということだ。
「マタンゴ」(1963年公開)はいうまでもなく、
古今東西のきのこ映画の最大傑作というべき作品である。
「ゴジラ」(1954年)の名コンビである本多猪四郎(監督)と円谷英二(特撮監督)が、
「変身人間シリーズ」の番外篇として製作したこの映画は、
男女七人がヨットで遭難し、無人島に漂着する所から始まる。
食料が尽き、島に生えていた「マタンゴ」と称するきのこを口にすると、
一人、また一人とおぞましいきのこ人間に変身していくのだ。
「マタンゴ」は、全身にきのこが生えてくるという生理的としかいいようのない恐怖感と、
遭難者の一人を演じた女優の水野久美の妖しげなエロティシズムが相まって、
観客にとってはトラウマ的な衝撃を与えるカルト映画となった。
編者たちもアメリカで公開されたこの映画を見て、
「片方はこの映画を恐怖し、他方は大いに楽しんだ」というから、
その時点できのこの胞子に取り憑かれてしまったのだろう。
そこから、じわじわと、このアンソロジーを編み上げるようにという指令が、
脳細胞に伝わっていったのではないだろうか。


■訳者あとがきより

原本の刊行後、編者二人が応じたインタビューに於いて、
あまりにもテーマが狭すぎるため、
どれだけの作家たちが寄稿してくれるか心配したと語っていたのは印象的だった。
最初にこの企画を聞いたときの訳者も、真っ先に同じ危惧の念を持ったからである。
当然だろう。テーマ・アンソロジーはあまた存在するが、
キノコに特化したものなど聞いたことがない。
ユニークであるのは疑いないが、野心的に過ぎるだろう。
だが、いざ仕事にかかってみると、それが杞憂であるのがたちどころにわかった。
本書の実現に執念を燃やした、具眼の士はこちらにもいたのである。
長短さまざま、完成度や狙いもさまざまながら、
ホジスンの焼き直しや無理矢理キノコにこじつけただけの作品は、嬉しいことに皆無だった。
さらに喜ばしい驚きは、堰を切ったように書き始めた若手を中心とする作家たちならではの、
意欲と熱気があふれていることだった。
スチーム・パンクからクリエイティヴ・ノンフィクション風、
ニュー・ウィアードからダーク・ファンタジー風までジャンルも広範囲に及んでいる。
だが、この精華集の本当の良さはもう少し別のところにあると思われる。
それは、野放図感につきる。
ほかでもない、小説本来の醍醐味、初心と言い換えてもいい。生き生きとした想像力が横溢しているところだ。
もちろん、その自由奔放なフィクションの翼に乗りたければ、個々の作品に直接触れてもらうしかない。
ちなみに、ジェフ・ヴァンダミアとジェーン・ヘルテンシュタインの二篇以外、
すべて本アンソロジーのための書き下ろし作品である。

■収録小説

1
菌類が匂い立つほどの粘着質な描写に戦慄する正当派ホラー
「菌 糸」ジョン・ランガン

2
奇妙なキノコ辞典から抜粋してきたようなキノコ・クロニクル
「白い手」ラヴィ・ティドハー

3
ある目的のためにキノコの潜水艦に乗った男の悲しいストーリー
「甘きトリュフの娘」カミール・アレクサ

4
スチーム・パンクと魔法とラヴクラフトをミックスしたウエスタン風の冒険活劇
「咲き残りのサルビア」アンドルー・ペン・ロマイン

5
共同幻覚体験をもたらす奇異なキノコが異世界へと誘うダーク・ファンタジー
「パルテンの巡礼者」クリストファー・ライス

6
現実と非現実が交錯する幻想的なゴシック・ロマンス
「真夜中のマッシュランプ W・H・パグマイア

7
人間をゾンビ化させる菌類が潜むメキシコの密林にある小さな村を舞台にしたスリラー
「ラウル・クム(知られざる恐怖)」スティーヴ・バーマン

8
ハードボイルド探偵小説仕立てのボディ・ホラー・ノベル
「屍口と胞子鼻」ジェフ・ヴァンダミア

9
保守的な植民村に暮らす人々の欲望の物語
「山羊嫁」リチャード・ガヴィン

10
擬人化された動物たちとずる賢い貴族たち、キノコ、そして意匠陰毛のお話
「タビー・マクマンガス、真菌デブっちょ」モリー・タンザー& ジェシー・ブリントン

11
チェコからの移民の娘が綴った心に沁み入るキノコ小説
「野生のキノコ」ジェーン・ヘルテンシュタイン

■編者

オリン・グレイ
超自然的な恐怖小説を書いている。その作品は、インスマス・フリー・プレス(Innsmouth Free Press)の多くのアンソロジーに収録されているのみならず、「邪悪行き」(Bound for Evil)や「デリケートな毒素」(Delicate Toxins)といった他社の舞台でも発表されている。彼の第1短篇集「悪魔に賭けるなかれとその他の警告」(Never Bet the Devil & Other Warnings)は2012年エヴィルアイ・ブックス(Evileye Books)から刊行された。彼の怪物や菌類、そしてキノコ・モンスターに寄せる積年の愛着ぶりは、当分弱まるきざしはない。

シルヴィア・モレーノ=ガルシア
小説では「イマジナリウム 2012年:ベスト・カナダ・スペキュレイティヴ・ライティング」(Imagina rium 2012:The Bes t Ca nadianSpeculative Writing)、「クトゥルーの書」(The Book of Cthulhu)、〈Bull Spec〉誌ほか多数の出版物に発表されている。2011年シルヴィアは、グロリア・ヴァンダービルトと〈Exile Quarterly〉誌の後援によるカーター・V・クーパー記念賞を受けた。その年には、マンチェスター小説賞の最終候補にもなった。また、「歴史的ラヴクラフト」(Historical Lovecraft)、「屋根裏窓のろうそく」(Candle in the Attic Window)、「未来のラヴクラフト」(Future Lovecraft)の各アンソロジーの共編者をつとめた。彼女の第1短篇集「この奇妙な死にざま」(This Strange Way of Dying)は、2013年に上梓された。

R.I.P.生悦住英夫 - ele-king

河端一(ACID MOTHERS TEMPLE)

 1996年、Musica Transonic / Mainlinerで欧州ツアーを行った際、ベルギーの某レーベルからソロ作品のリリースを持ち掛けられ、当時未だ自身のソロやリーダー作品を発表した事がなかった私は、結成始動したばかりの自身のグループ「Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.」の丁度録音中だった1stアルバムを以て、この依頼を受けた。録音には結局2年を要し、遂に完成したマスターを送れば返事は「レーベル閉社」。
 斯くしてこの宙に浮いたマスターを携え、知人友人の紹介等もあり、国内外のレーベルあれこれ打診したが、返事は全て「申し訳ないが興味無し」。
 私のリーダー作品に対するこのような評価は、今に始まったわけではなかったので「またか」と落胆しリリースを諦めていた頃、モダーンミュージック店内にて生悦住さんと歓談していた際「そういえば河端君のソロとかリーダーバンドの作品とかはないの?」と尋ねられ、奇しくもなぜか偶然そのオクラ入りしたマスターDATを持参しておれば、オクラ入りした経緯なんぞ笑い話として添えつつも、その場にて試聴して下さる運びとなり、生悦住さんは腕組みしながら僅か数分聞いたのみで「いいね! これ! じゃあうちで出そうか!」
 まさかP.S.F. Recordsからリリースとは、レーベルの既成イメージもあり、俄かに信じられなかったが、結局あの時点において、私の音楽、Acid Mothers Templeの音楽に興味を抱いたのは、生悦住さん唯一人であったことに間違い無し。そもそも生悦住さんは、P.S.F. Recordsから、私の人生初のフル・アルバム『東方沙羅 1st』そして『Musica Transonic 1st』をリリース下さった経緯もあり。
 私の音楽は、1978年に自身の音楽活動を始めた当初からほぼ一貫して、ほぼ誰にも理解支持されない類いらしく、どうせ誰にも理解されないし、誰も必要としていないのだろうと、半ば絶望的にすらなっていたが、生悦住さんは私の音楽にとても興味を持って下さり、そして好意的に支持して下さった稀な存在だった。P.S.F. Recorddsから東方沙羅、Musica Transonic、Acid Mothers Temple等の諸作品がリリースされた事は、私の音楽活動のあり方や生活全般を大きく変え、正に私の「人生のドア」を開けるという一大事件を起こしたと言える。
 だからこそ生悦住さんには感謝してもし切れないほどに感謝、もしも生悦住さんが、私の作品をP.S.F. Recordsからリリースしてなければ、間違いなく私は今ここにはいないと断言出来るのだから。

大久保潤
 
ひとりのレコード店主・レーベルオーナーの死を悼む声が世界中から寄せられている。モダーンミュージックおよびP.S.F.Recordsの生悦住英夫。長年にわたり日本のアンダーグラウンド・シーンを支えた大功労者である。
 P.S.F.はHIGH RISEのファースト・アルバム『Psychedelic Speed Freaks』からスタートした。レーベル名もそこから取られている。以後、サイケ、ノイズ/アヴァンギャルド、フリージャズ、フォークといった地下音楽を続々とリリースしていく。その作風はJOJO広重率いるアルケミーと通じるものがあるが、よりストイックな印象だ。
 灰野敬二やAcid Mothers Templeなど、いまや「海外で評価の高い日本人アーティスト」の代表といえるような面々も、かつてはほぼP.S.F.が一手にリリースしていた時期がある(それこそ孤軍奮闘という雰囲気だった)。
 ACID MOTHERS TEMPLEのグル、河端一はele-kingのインタビューでAMTのファースト・アルバムを録音したもののリリースしてくれるところがどこもなかった、そんな中で唯一快くリリースしてくれたのがPSFだったと明かしている。
 ゆらゆら帝国やOgre You Assholeのプロデュースで知られる石原洋のWhite Heavenや、現在はThe Silenceで活動している馬頭將噐のGhostも、もともとはP.S.F.からリリースされていたし、三上寛や友川かずきも近年でこそ再評価が進み精力的に活動しているが、90年代にP.S.F.がコンスタントにリリースを続けていたからこそ今があるのだと思う。
阿部薫を筆頭に、吉沢元治、井上敬三など日本の伝説的フリージャズメンの作品をコツコツとリリースしていたのも重要な仕事だ。
 そういったレジェンド級のミュージシャンだけでなく、コンピレーション・アルバム《TOKYO FLASHBACK』シリーズなど、積極的に若手のフックアップも行っていた(初期のゆらゆら帝国なんかも収録されていた)。
 リリースしたのは日本人だけではない。アーサー・ドイルやピーター・ゲイルなどの知る人ぞ知るフリージャズプレイヤーや、韓国の伝説的アシッドフォークシンガー、キム・ドゥス、アルゼンチンのアヴァンギャルドロッカー、アンラ・コーティス(Reynols)など、そのアンテナは世界各国の最深部に及んでいる。
 雑誌『G-Modern』の存在も忘れるわけにはいかない。初期の「灰野敬二4万字インタビュー」をはじめ、CDだけでなく言論でもアンダーグラウンドミュージックをサポートし続けた。P.S.F.からリリースのあるミュージシャンが多く掲載されるのはもちろんだが、それだけにとどまらず、数々の埋もれた音楽を取り上げていた。だいたい、タイニー・ティムやピーター・アイヴァースが表紙になる音楽雑誌なんて考えられますか。
そして、東京で人と違った音楽に興味を持った人間であればほぼ全員が一度は足を運んでいるはずの店。それが明大前のモダーンミュージックである(数年前に店舗としての営業は終了し、通販のみになってしまったが)。喫茶店の上にあり、薄暗い階段をのぼっていくと、そこには決して広くはない一室に夥しい量のレコード、CD、カセットが詰め込まれていた。裸のラリーズのポスターがずっと貼られていたが、あれはいつからあったのだろう。
 ネット上の多くの追悼コメントやメッセージでも言及されているが、生悦住は非常に話好きな性格で、この店でいろんな音楽を教わったという人は数多い。筆者は直接会話をする機会はなかったが、来客とにこやかに(しかし時に辛辣に)会話している彼の話をちょっと盗み聞きするのは密かな楽しみだった。
 音楽はミュージシャンとオーディエンスだけではなかなか成立しない。両者を媒介する存在がどこかで必要になるのだ。そしてレーベル、雑誌、ショップとあらゆる角度でそれを続けた氏の功績は計り知れない。
 闘病中の氏を応援するべく、ゆかりの深いミュージシャンたちによるコンピレーション・アルバムが計画されていたそうだ。当人は聴くことができなかったそのアルバムを待ちながら、冥福を祈りたい。本当にお疲れ様でした。あなたがいなければ世に出ることのなかった、奇妙で歪で美しい音楽の数々をこれからも大切にしていきます。

松村正人

 モダーンミュージックにはじめていったのは90年代にはいったばかりのころで、その顛末は剛田武の労作『地下音楽への招待』(ロフトブックス)の解説にしたためたのでそちらにあたられたい(本書には生悦住さんのインタヴューも載っている)が、モダーンミュージックにいくというのは生悦住さんに会うことでもあった。店にいなこともあったはずだがいつもいた気がするのは不思議である。それだけ世田谷区松原の寺田ビル2階のチラシに埋め尽くされた階段をあがった先のひとがふたり行き交うのも難儀な店内の磁場そのものと生悦住さんは化していたのだろう。私はそこで灰野さんのをはじめ多くのレコードやCDを買ったが、十代や二十代のころはなにを買うかで試されているようで、こちらが金を払うのに気が抜けなかった。理不尽な気がしなくもないし、そのような音盤を介したひととひととの関係が、かろうじてまだなりたった時代の、いうなればこれはノルタルジーにすぎないのだろうが、そのようなかかわりは音盤にたいする感覚を養ってもくれた。なんとなれば、音盤を選ぶには耳だけでなく目も手もつかう。匂いも嗅ぐなら鼻も要る。むろん骨董趣味に堕してはならない。市場価値が重要なのではなく、聴く人間が個の感覚に忠実であろうとするときにかぎり、音盤はその綜合の反転したもののように私たちの前に(音)像を結ぶ――というようなことを、私は生悦住さんに教わったわけではないが、青年期なる気恥ずかしいことばをつかうなら、そのときモダーンミュージックのようなよくわからない音楽をあつかう店があってまことに幸甚です。
 あるいはたすかったというべきか。1980年9月に開店したモダーンミュージックはおりからのサイケデリック・リヴァイヴァルで発掘が進んだ60年代サイケをひとつの軸にフリージャズや現代音楽やパンク以後のインディと呼ばれる以前の自主制作盤といった逸脱を旨とする音盤などをめきめき集め、ひとことでいうならアンダーグラウンドな世界を新宿から三つ目、渋谷から七つ目の明大前の片隅に展開していた。隣の駅にはネッズがあり、クララやロスアプソンが新宿にあった、そのような90年代前半、モダーンミュージックはハイライズの1~2作、不失者の最初のLPからしばらく間を置き、しだいに活発になっていくPSFレーベルの拠点としてしだいに知られていく。
 三上寛、友川かずき(現カズキ)、灰野敬二の諸作、石原洋と栗原ミチオと中村宗一郎のホワイト・ヘヴン、ゆらゆら帝国やキャプテン・トリップを主宰する松谷健のマーブル・シープをはじめて聴いたのもPSFのレーベル・サンプラー『Tokyo Flashback』だったし、現サイレンスの馬頭將器のゴーストや向井千惠のシェシズ、金子寿徳の光束夜や角谷美知夫の作品もあった。吉沢元治やAMMやバール・フィリップスやチャールズ・ゲイルなどの国内外の即興演奏家、阿部薫や高柳昌行の発掘音源等々、すべてここにあげるのはかなわないが、そのラインナップは90年代初頭澎湃として興った(自称他称を問わない)インディペンデントなレーベルのなかでもきわだっていた。そしてそこには生悦住さんの音楽観が通底していた。ひとことでいえばそれはプロレスの味方でもあった生悦住さんがレーベル名でも標榜した「ストロング・スタイル」(PSFはハイライズのファースト『Psychedelic Speed Freaks』の頭文字をとり転じてのちに「Poor Strong Factory」の文字をあてた)ということになるだろう。録音状態や演奏能力によらず、ひたらすら音楽の芯をみつめつづける、そのようなスタンスは、俗にいう先鋭的なジャンルばかりか、歌謡曲やフォーク(ロア)にもおよび、小林旭とちあきなおみとアタウアルパ・ユパンキとタイニー・ティムとシャーラタンズ(アメリカのほうね)とボルビトマグースは同一線上にあった。その線の向こうには、灰野敬二からオーレン・アンバーチやスティーヴン・オマリーらを経由し、いまや日本のアンダーグランドな音楽のあり方のひとつともいえる世界が広がっている。
 くりかえすがそこに形式はない。暗黙裏の秘密はあったにせよ、すくなくとも生悦住さんにとってはことばにすべきことでもなかった。いうまでもないということかもしれなかった。「あれはダメだねー」「ひどかったねー」「売れないねー」という生悦住さんの朗々とした声には悲愴感はまるでなかったが、言外に評価軸の厳しさをにおわせていた。透徹した審美眼とアンチ・コマーシャリズムはときに軋轢も生んだにちがいないが、若かりし日愛読した高柳昌行の批評(それらは『汎音楽論集』にまとまっている)がそうであったように、どこか父親めいた厳しさだった。似たような読後感を私は塚本邦雄の『薔薇色のゴリラ』(人文書院)の厳格なシャンソン観(ともにジョルジュ・ブラッサンスのファンでもある)にもおぼえたが、歌心のようにときとともに変化しつづける定義しがたいものをことばでとらえるのはのこされた私たちの役目かもしれないと、いまは衿を正す思いである。最後に、生悦住さんが船村徹先生の『演歌巡礼』の再発盤に寄せた一文を引用し、拙文を〆ようと思い、方々探したが盤がみあたらない。船村先生が生悦住さんの十日ばかり前に鬼籍にはいられたのは奇縁というほかないが、かわりに塚本邦雄の歌を手向けたい。先達に初学とは僭越にすぎるが、同道のはるか後方を歩む者からの呼びかけとしてお許しいただきたい。

眠る間も歌は忘れずこの道を行きそめしより夜も昼もなし
塚本邦雄『初学歴然』より

 猪木イズムさえ髣髴させる、ストロング・スタイルそのものじゃないでしょうか。(了)

※文中一部敬称を略しました。

interview with ASA-CHANG&巡礼 - ele-king


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

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 古代インド神話におけるトリムルティ(三神一体論)に登場するシヴァ神は、破壊神でありながら、破壊後の創造をも担うという両義性を持つ。ヒンドゥー教の経典『リグ・ヴェーダ』では、シヴァは暴風雨神ルドラとして現れ、暴風雨による風水害を引き起こす一方で土地を肥沃に潤し、作物の恵みをもたらす。またルドラには人々の病を治癒する超能力があるという。

 破壊とその後の再生を担うという両義性。病を治癒する力。ルドラやシヴァのこうした特性は、ASA-CHANGという優れて特異な音楽家の創作態度とぴったり重なる。既成の様式を破壊するだけでなく、根底から創り直して再生させる――ASA-CHANG&巡礼のこれまでの軌跡は、文字通り破壊と再生の連続であった。ASA-CHANGが切り開いた“けものみち”に咲きみだれる、美しくも異形の花々は、いつしか世界中に散らばる同志たちにとってのひとつの道標となっている。

 2009年の5thアルバム『影の無いヒト』をピークとして、翌10年にこれまでの編成を一旦解体したASA-CHANG&巡礼から、7年ぶりの新作『まほう』が届いた。後関好宏と須原杏という二人の新メンバーを迎えて制作された初のオリジナル・アルバムとなる今作は、全曲歌モノで構成された、まさに初ものずくしの作品となった。とりわけその核となる“まほう”と“告白”の2曲は、かつてない方法論でつくられ、体験したことのない衝撃を聴き手にもたらす未知の音楽であると同時に、日本語のポップスが未踏の領域に足を踏み入れた瞬間の記録でもある。前者の歌詞は、『惡の華』(『別冊少年マガジン』09年10月創刊号~14年6月号連載、講談社コミックス全11巻刊)などで知られる漫画家の押見修造が、吃音に悩む少女を主人公にした学園物の短篇“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”(太田出版WEB連載空間『ぽこぽこ』11年12月~12年10月連載、13年1月同題のコミックス全1巻刊)からサンプリングしたことばのぶつ切りと作中に登場する歌詞の引用がミックスされ、後者の歌詞は、今作のジャケットも手がけたアート・ディレクター/映像作家の勅使河原一雅のウェブサイトに上げられた赤裸々なプロフィールをそのまま引用した。「そんなのありか!?」と思わず叫びたくなる意表をついたアプローチだが、チョップされたことばと音が曼荼羅のように脳内を回り出す、ASA-CHANG&巡礼の専売特許というべきえもいわれぬ聴き心地がさらに深まって、なんと形容していいか分からない、まったく新しい感情が自分の中に芽生えるのを感じる。

 1969年にカナダのトロントで行われたマーシャル・マクルーハンとジョン・レノンの対話のなかで、マクルーハンは言う。「言葉というものは、どもりを整理した形態だ。人は喋るときに、文字通り音を切り刻んでいる。ところが、うたうとき人はどもらない。つまり、うたうという行為は、言語記号をひきのばして、長く調和のとれたさまざまなパターンと周波をつくり出すことなのだ」。

 一方、レノンは言う。「私にとって言葉とか歌は、理論的に震動がどうのこうのということを別にすれば、夢を語ろうとするようなものなのです」。そして、「どもることに関しての話はたしかにおっしゃるとおりですね――言いたいことって言えないものです。どんなふうに言っても、いいたいようにはけっして言えませんよ」と述懐した後、「音楽が新しいリズム、新しいパターンを採用する方向に向いつつあることをどう思う?」というマクルーハンの問いかけに対し、「完全な自由があるべきですね。とにかく、人間が何千年もかかえてきたパターンをいったん捨ててみることです」と言い切っている。

 「ビートルズの音楽はよい趣味になりつつある危険に瀕しているのかね?」とマクルーハンに問われたレノンは即答する。「その段階はもう通りすぎましたよ。もっと徹底的にむちうたれなくてはいけないのです」。ぼくには、ASA-CHANGとレノンが、47年間という時の隔たりを超えて、方法論こそ違えども、創造にかかわる問題意識を共有しているように思えてならない。マクルーハン曰く、「それが、中央集権化している現代の世界を白紙に戻す方法でもある」。

 押見、勅使河原の両氏は、ASA-CHANG&巡礼が14年に始動した、異なる分野の表現者とマンツーマンでセッションするライヴ・イヴェント「アウフヘーベン!」のvol.3とvol.2 にそれぞれ出演しているが、aufhebenというドイツ語には、廃棄する・否定するという意味と、保存する・高めるという二つの矛盾する意味がある。これはドイツの哲学者ヘーゲルが提唱した弁証法の基底となる概念であり、否定を発展の契機としてとらえる考え方である。テーゼ(命題)に対するアンチテーゼ(反対命題)として古きを否定する新しきものが現れるとき、矛盾するもの同士を高次の段階でジンテーゼ(統合)することにより新しい何かを生み出し、さらなる高みに到達しようという、このプロセスをアウフヘーベン(止揚)と呼ぶ。それはまさしく「ASA-CHANGという哲学」そのものだ。

 今作『まほう』は、否定の感情をぶつけあい傷つけあって、いたずらに混迷するばかりの世界に向けてASA-CHANG&巡礼という破壊神が投じた、止揚への大いなる一石であり、決して癒されることのない痛みに苦しむ人たちにおくる鎮魂歌集である。


■ASA-CHANG&巡礼
1997年、ASA-CHANGのソロユニットとして始動。国内で評価されるとともに各国のメディアにも取り上げられる。 また、ミュージックビデオにおけるコンテンポラリーダンサーとの共演が世界的な話題となり、09年に音楽×ダンス公演『JUNRAY DANCE CHANG』を世田谷パブリックシアターにて開催。 12年に後関好宏、須原杏をメンバーに迎え、国際的な舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT 2012」への参加、アニメ『惡の華』のEDテーマ曲の提供など、多岐にわたり活動を展開している。 また、14年9月からライブシリーズ「アウフヘーベン!」を始動、世界的な舞踏家・室伏鴻や映像作家・勅使河原一雅、漫画家・押見修造といったジャンルを横断した作家とのコラボレーションを行う。2016年3月、6thアルバム「まほう」をP-VINEより発売。

音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。

新しい編成になって、いろんな意味で新しいスタートラインに立った──ご自身もそういう気持ちでレコーディングをされたのでしょうか?

ASA-CHANG(以下AC):そうですね。メンバーが変わりましたからね。で、ひとが変わったわけだから、音も変わりますね。

前の3人編成のときに、ASA-CHANG&巡礼の音楽は確立されていました。ぼくは活動が広がっていくにつれて、少しずつ理解できるようになったというか。最初は突然変異系の音楽だと受けとめていたんです。だけど、やっぱり“花”という曲がぼくも好きで、ずっと心に残っているんですよね。あの曲があるから、たとえ変わったとしても全然関係のないところへ行ってしまうことはないだろう、という気持ちはありますね。今回のアルバムを聴いても、作品から受ける感動の性質は変わらなかった。生と死の両方を感じさせ、なおかつ、ぎりぎりの果ての果てからそれでも先に行かなければいけないときに支えになってくれる音楽というか。新しいメンバーはどういう経緯で集まったのですか?

AC:前のメンバーとの形が解体して、それ以降、自分のソロとして続けると告知したんですけどね。そのちょっと前から舞台芸術というか、コンテンポラリー・ダンサーといっしょにやったり、世田谷パブリックシアターなんて大きな劇場から声をかけてもらったりとか。やっぱりソロでは活動できなかったので新メンバーを公募したりしていたのですが、なかなか見つからない……。それでようやく巡りあったメンバーが後関(好宏)さんと須原(杏)さんだったんですね。

後関さんは在日ファンクのメンバーですよね。

AC:そのときは在日ファンクのメンバーじゃなかったと思います。いまはそうですが……。ちょっと定かではないです。

管楽器ができるひとが欲しかったのですか?

AC:正直そういう見方でもなくて、音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。だからヴァイオリニストにヴァイオリンだけを望まないし、管楽器奏者から管楽器だけを望まない。その限られた人数のなかでつくっていこうと思うと、どうしても起こってくるんですけど。かといって、そのひとを深く知ろうとするわけでもないんですけど。

そのひとがピンとくるポイントってどこですか?

AC:んーわかんない。相性というか。感覚よりも明確な何かがあるでしょうけれども……、わからないですね。鍵穴みたいなものというか……。

音を出す前から、どんな感じかわかるのですか?

AC:音は関係なくなっちゃいますね。当然音はいいだろうと確信しているので。

後関(好宏) さんとの出会いはどんな感じでしたか?

AC:覚えてないです(笑)。メンバーになる前から知っていたので。ゴセッキーというアダ名がありまして。ゴセッキーとまさか巡礼をやるとは思いもしなかったですね。この東京の音楽業界の片隅に必ずいた人物なので。念頭にはなかったんですが、メンバーを探していたときにお願いしてみたというか。

須原(杏)さんは?

AC:ひとづてです。こういうことを話しても、ドラマ性がなくて面白くないんですよ(笑)。

「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。

きっとなにがしか引き合うものがあって、メンバーになっているわけですよね?

AC:そうですね。でも僕らは、バンド体質を持っていないというのは大きいですね。ベースがいてドラムがいてピアノがいないと成り立たない音楽だとは思わないので。バンドマンが持っているような考え方や、出会いのドラマチックさが、ある意味全然なんですよ。

それは前からそうなんですか?

AC:うん……。あんまりそういうのはないかもですね。あったらロック・バンドをやっていますって。スカ・バンドしかやってないですから。「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。自分の好き嫌いは相対的なもので、もっとかっこいいものが他にあったら、浮気症な男なんで、自分の音楽哲学みたいなものは変わってしまいますよね。だから、出会いかたはつまんないんですけど、いまは本当に大切なメンバーですね。

新編成になってからの第一歩を、どういう形で記したのですか?

AC:前の編成(ASA-CHANG、ギタリスト/プログラマーの浦山秀彦、タブラ奏者のU-zhaan) を2009年に解体しました。加入した時には、まさかお茶の間レベルにまで浸透するなるなんて想像もつかなかったU-zhaanという存在、彼と活動をともにしなくなってから、3年後ですか。京都で舞台芸術のイヴェント(「KYOTO EXPERIMENT 2012」) があって、それに出ることになったんですが、そのとき初めて新体制で動きました。

2010年から2012年の間は、朝倉さんがひとりでいろんなことをやっていたのですか?

AC:いや、何もやってないです。正直ちょっと面倒くさくなっちゃいました。

ある意味、一旦解散したような感覚があったのですか?

AC:辞めようとまでは思っていませんでした。でも、言い方が悪いですが、本当に面倒くさくなっちゃったんですよ。これはぼくのいけないところだと思うんですけど、(巡礼以外の)他のプロデュースや演奏に集中してしまうと、そこに鍵をかけて置いておけるんです。一旦そうすると、自分で何か始めるまでおいておけるんですね。そういうナマケモノの場所が自分にはあるので、数年間はほっぽっておいちゃいました。

ASA-CHANG&巡礼は、朝倉さんが他所に心がいっているときは、別に動かさなくてもいいわけですね?

AC:それがすごくナマケモノなところだと思います。

舞台芸術なんていうと、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。

「KYOTO EXPERIMENT 2012」に参加したときに、新メンバーとリハーサルで音を出してみて、そこでいっしょにやる音楽が見えてきた感じですか?

AC:舞台表現だから、相当な稽古量なんですよ。だからその音楽だけのリハーサルなんていうのは、本当に歯車の一個という感じで。台本に合わせた細かい打ち合わせを毎日やるわけです。ライヴバンドみたいに「やっちまえ!」という感覚は許されない。

演出家が指示を出して、それにミュージシャンも従うという。

AC:その演出家が自分なんですよ。だからいい意味で音だけに集中しなくて済んだので、音は他のふたりに預けておけた。それが自分にとって良い形のスタートを切れたのかもしれないですね。舞台芸術なんていうと、なんかアカデミックで、モノクロの光がわぁーっときて、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。なんでいつもこう暗黒舞踏みたいなのだろう、と。誰が決めたんですかね? 舞台芸術の常識っていうのはとても不思議だなと。

ぼくは観客として舞台や演劇に接するとき、なかなかその世界に素直に入れないタイプなんです。

AC:ぼくもそうです。ちょっとかゆくなっちゃうというか(笑)。正直、わざわざお金を出して観に行こうとは思わなかったんです。突然奇声を張り上げたりとか、ステージ脇から走ってきて止まってバタンと倒れたり(笑)。あのスタイルは誰が決めたんだと。それが(効果的に)作用するときがあったんだろうと思うんだけど、それを固定してやられても、ちょっと気持ち悪いですよね。でも、気持ち悪いと思っているひとだから切り開ける部分もあって。だとしたら、ずっと走っていてバタンと倒れるのが上手くなれば「最高」ってなるわけじゃないですか?

それってコントみたいですね。

AC:何かの思想だけで表現しているみたいなのがね……。しかしそういう界隈で巡礼の音楽はすごく評価されているんですよ。それで観に行って勉強するというか、通ってみたりして。ただ嫌い、って言うのもいやになっちゃって、好きなものもあるかもしれないぞと。でも、どうしても嫌いで。

そんなに急には変らないですよね(笑)。

AC:好きなカンパニーも少しは出来たんです。そのひとたちと手を組んで強烈にいろんなことをやっていったら、「KYOTO EXPERIMENT」の舞台の演出の話がきたんです。嬉しかったですね。

その試みは『JUNRAY DANCE CHANG』(※09年5月15日~17日、世田谷パブリックシアターで開催された音楽×ダンスの3DAYS公演。音楽・演奏:ASA-CHANG&巡礼/構成・総合演出:ASA-CHANG×菅尾なぎさ/振付・出演:熊谷和徳、菅尾なぎさ、斉藤美音子、康本雅子/出演:井手茂太、上田創、酒井幸菜、佐藤亮介、鈴木美奈子、須加めぐみ、中村達哉、中澤聖子、松之木天辺、メガネ、U-zhaan、ASA-CHANG、他)/空間美術:宇治野宗輝×ASA-CHANG)からはじまっているんですか?

AC:そうです。その前(06年3月29日~31日)にも、六本木の〈スーパー・デラックス〉で『アオイロ劇場』(※ASA-CHANG&巡礼とMV“つぎねぷと言ってみた”、“背中”、“カな”のミュージック・ヴィデオに出演したダンサーたちが舞台空間で競演する、JUNRAY DANCE CHANG名義の3DAYS公演)というのをやりました。そういう感じですね。

『アオイロ劇場』はどういうきっかけではじめたのですか?

AC:自分の作った“花”とか、“つぎねぷと言ってみた”を「公演で使っていいか?」という依頼が、いろんなダンス・カンパニーから――ヨーロッパやアメリカ、もちろん日本からもくるようになって。

それは思いがけない反響でしたか?

AC:思いがけないです。まさか身体表現のひとからそんなに愛されるとは思っていなかったですね。そういう反応があって、自分もそっちへ接近していったんです。

なぜ身体表現をするひとたちに好かれるのか。あるいは、なぜ彼らがASA-CHANG&巡礼に触発されるのか。その理由について、朝倉さん自身が接近していくにつれて何か見えてくるものはありましたか?

AC:「なぜ」かはわからないですね。ただみんな好きで使ってくれたみたいです。「なぜ」を問うたりしなかったです。既存の曲のように1番があって2番があって間奏があってエンディングに向かって盛り上がってダンっと終わる曲が踊りづらいんでしょうね。同じビートが続いて……それじゃ、クラブ・ミュージックで自然に反応するような動きしかできなくなっちゃうんですよ。パルス過ぎるんでしょうね。かといって、巡礼の“花”なんかクラブで結構かかっていた時期もありましたね。

エクスペリメンタルな音楽には、想像力を喚起して身体を動かしたくなる不思議な作用があって、そういう要素がASA-CHANG&巡礼には入っているような気がしますね。

AC:そうだと嬉しいのですけれど……。ぼくは例えば本を作ろうとすると、紙の原料になるコウゾやミツマタの木を伐採に行くようなことから始めるわけです。そこから作って紙をすいて、そのインクまで作るみたいなことをしないと、自分のなかではオリジナルだとは思えなくなってしまって。そうしないといけないと前世で誰かに言われてしまったんだと思うぐらいです。

家を作るんだったら、まず瓦を作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。

そういう気持ちが高まってきたのはいつぐらいからですか?

AC:昔からです。スカパラのときもそうでした。どこにもないから作るという、収まりきらないようなモノをね。家を作るんだったら、まず瓦から作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。例えば、DJはターンテーブルを作らないでしょう?

そうですね。ターンテーブルはすでに用意されている、という前提がありますね。

AC:それだと個人のスタイルが違うだけで、フォーマットは違わないじゃないですか? そこでフォーマットを変えることが音楽だと思っちゃったんですよ、ぼくは。ただそんなことをやっているとキツいんです。それは80年代に当時のファッションの最高にアツい現場にいて、20代でそういうことを感じてしまったことが影響しているのかもしれないですけどね。雑誌の「流行通信」などの撮影現場で、ものすごいモノを作り上げていて、ぼくはびっくりしたんです。そこで初めてクリエーターと呼ばれるひとたちに会うわけですよ。

朝倉さんはヘアメイクのお仕事をされていましたよね。その頃に出会って、とくに印象に残っているひとたちは?

AC:写真家の小暮徹さん。いまでも親交があります。伊島薫さんもそうです。素晴らしいひとたちと会い過ぎちゃって。自分は全然ダメで、ただ東北の田舎から出てきてカタカナ商売に憧れていただけの未成熟な少年で、ここで何かしなきゃ!と焦って、もがいていました。原宿のど真ん中で……入り込んだ美容集団が凄すぎたのは、ぼくにとってはとても大きいですね。そのなかで小泉今日子さんとも出会うわけですけど。だから、音楽にもその当時のクリエイティヴの熱気を求めますね。

あのころの……80年代の熱気って特別な感じがしますね。

AC:ただ、いまと空気が違うから、そのまますり合わせるのも無理なので、それをいまの自分とすり合わせて上手く作っていこうと思うんですけど。

創造性を触発されるクリエイターとセッションするという感覚は、朝倉さんのなかでずっと続いているんでしょうね。

AC:そうですね。ぼくはあまりにもそのひとたちと世代が違ったので、(相手が)デカすぎたんでしょうね。そういう風になりたい、大人になりたい、と常に思っています。「スタイリストって本当に洋服を選んでいるだけのか?」って思っちゃうくらいすごかったので。だから、音楽をやるために音楽だけに入り込むというのがまったくつまらなく思えたんですね。それよりも音楽を壊していくことが音楽を作ることに近い気がします。

スカパラも、初期の頃は魑魅魍魎が現れたというか、それまでの日本には存在しないニュータイプの楽団だった。でもスタイリッシュでカッコいい、まったく新しいグループとして世に出た記憶がありますね。

AC:とにかく人数が多くて、ライヴハウスのステージから常にひとりかふたりはみ出しているわけですから(笑)。

しかも当時はクリーンヘッド・ギムラという煽り役がステージの中心にいて、担当は“匂い”だという。そういうスペシャルなメンバーもいましたからね。

AC:それを作ろうと思ってああなったわけじゃないけど、いまでも使われている“東京スカパラダイスオーケストラ”というあのロゴをぼくが書くわけなんです。そういうデッサンみたいなものをぼくが(スカパラを構想したときに)書いているわけですよ。そういうことをイメージしちゃうと、それを実際にやりたくなって。でもそれは数年しかやれないわけですよ。じゃあ辞めて別のバンドに入ればいいわけですけど、ぼくの場合はそうじゃないんです。

スカパラのロゴが頭に浮かんで、そのデッサンを形にした後は、イメージが膨らんでくるのを楽しんでいる状態でしたか?

AC:ぜんぜん楽しくないですよ。焦りともがき。「これかっこよくない?! やろうよ!」って常に周りに勧誘してたと思います。やっぱり(実現するにはふさわしい)時があるんでしょうね。急速に集まり出すんです。それでデビューしていくわけですけど。

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みんなで、世間をかき回せればいいと思いました。何かを挑発してね。そういう気持ちはいまでも全然ありますね。


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80年代の終わりから90年代の頭にかけての東京の空気って、ぼくがこれまでに経験したなかでも、いまだにああいうザワザワした感じってなかったな、と思うんですよね。街中に新しいものが生まれる空気があって。

AC:それは、いまだとネット上のあるところには存在するのかもしれないけど。でも当時は街角とか、ある店に行くと(何かハプニング的な出会いがある)……っていう感じでしたからね。あの煩わしいくらいのひととの(距離感の)近さは、いまは作れないですよね。

街の空気はあの頃のようには戻らない、そこは決定的に変わっちゃったなと思いますね。いまは音楽と人間との関わり方が新たに問われている時代というか。

AC:そういう場所が好きだったら、そのままやっていたでしょうけど、そうじゃないんですよね。あと、音楽業界に慣れないんですよ。所属事務所も(スカパラを)どう扱っていいかわからない、でも人気があるぞ、と。だからスカパラの代表としてのぼくは、風当りが強かったですね。なのにメンバーはみんな暴れん坊だし……。

ぼくらからすると、突然ASA-CHANGが抜けちゃったっていう感じだったので困惑しました(93年3月、3rdアルバム『PIONEERS』発表後に脱退)。創始者がいなくなったんですから。スカパラも、メジャーデビューしてからは音楽業界の仕組みのなかに入って、既成のルールに則って動かなきゃいけないような感じになって、そこにハマらないメンバーは順次抜けていったようにも見えたし……。

AC:でも、脱退のことは20年ぐらい前にどこかの雑誌で聞かれても答えようとしなかったんですけど、「お茶の間にスカを」なんて言ったのはぼくですからね。そういうことをやりたかったんです。『夜のヒットスタジオ』に出たいとか。みんなで、世間をかき回せればいいと思いました。何かを挑発してね。そういう気持ちは(いまでも)全然ありますね。

静かに、すごく挑発していると思いますよ。

AC:前までの巡礼は、本当にひとの心の奥までムリヤリ触りに行っていたと思うんですよ。そういう挑発をやっていたと思うんですけど、今の作品は、そんな気持ちにはなれなかったんですよね。

『まほう』にはすごく痛みを感じるんですよね。完全には癒しきれない、ずっと引きずらざるを得ないその痛みにどう寄り添えるのか、懸命に取り組んでいる。そういう音楽にも聴こえましたね。

AC:嬉しいですね。

聴き終えたとき、自分のなかに新しい感情が芽生えたんですよね。“まほう”というタイトル曲とか、まさにそういう感じで。これは吃音の女の子を主人公にした押見修造さんという漫画家の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という作品に触発されて生まれたわけですよね。押見先生との出会いは、まず作品を読んで?

AC:いや。押見先生って講談社からコミックスを出してるくらい有名な方で、代表作の『惡の華』、それがアニメ化されるんですね(2013年4月よりTOKYO MXなどの独立局、BSアニマックスなどのアニメ専門局で放送)。そのとき、押見先生から直々に指名されて「エンディングに“花”を使わせてほしい」と。でもいろんな意味でリニューアルしないといけなくて。あれは古い作品ですもんね。

押見先生がすごいのは、吃音のハンデを理解してほしいという漫画じゃないってことなんですね。もっと上のレベルにいっている。さらにいうと、こういうひとが普通の社会にもあるでしょ、という描き方。

古い作品といっても、あれは真のクラシックだと思います。

AC:でも、巡礼の作品を指名してくれて。それで訊いてみたら、押見先生は巡礼のライヴにすごく来てくださっていたんですよ。初期のライヴから見てくれていて。しかも『惡の華』は巡礼からインスパイアされている部分もあると。それを聞いて本当に嬉しかったから、「ぼく、作り直します」て言って、もう一回全然違うひとの声をレコーディングして、その音声を切ってはめていくってことをやったんですけれども……。それが先生との出会いですね。それから、実は押見先生自身が吃音を持っていたと。(ご自身の経験を下敷きにして描いた)その作品に出会うんですけど、押見先生がすごいのは、吃音のハンデを理解してほしいという漫画じゃないってことなんですね。もっと上のレベルにいっている。さらにいうと、こういうひとが普通の社会にも存在するでしょ、という描き方。登場人物には、普通の基準からズレている子たちがたくさん出てくるけど、それも普通の子たちといっしょにいて。それがただの重い作品として終わらないんですよ。それが“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”っていう作品なんですけど。この漫画の風通しのよさを音楽にできないかなと思いました。普通の日常が普通に終わっていく作品なんですが、だから風通しのよい曲にしちゃいました。

作詞のクレジットは押見先生と朝倉さんの共作になっていますが、それは漫画から朝倉さんがことばをちぎってはエディットしていくようなやり方ですか?

AC:押見先生のセリフなんですけど、それをある程度いじっちゃったので。使う言葉もぼくが決めちゃったので。

“花”とか“つぎねぷ”もそうですが、ASA-CHANG&巡礼の代表作に共通するコンストラクション/コンポジションを感じる作品ですね。

AC:普段はポップスで使わないリズムにはめていくというか。いまだに日本語はグルーヴしないと言われているけれども、日本語(の特性)に起因することが多いんですよね。流れていかないから。韓国語もそうですけど、サウンドがブツ切れなので、だからこそのかっこいい音楽ができるんじゃないの、と。そこにすがるようにね。それで今でも自問自答して作るんですけどね。気持ち悪いひとにとっては気持ち悪いと思いますけどね。

それこそ60年代から70年代にかけてフリージャズのムーヴメントがあったときに、詩人とジャズメンが共演して、ことばと音のセッションは当時盛んに行われていました。ことばと音をなんとかしたいという気持ちは、詩人や音楽家には同じようにあったけれど、いまは必ずしも即時性に拘らなくて、サンプラーが生まれて以降だから、わりといろんな要素を組み合わせることがやりやすくなっているのかもしれないですね。

AC:そうですね。昔はそういうのをやるにしても、いちいちアナログテープを切ったり貼ったりしてやっていたけれども。ターンテーブルを使ってコラージュしたりね。だけどそれもスタイルになっちゃったっていうのもあって。

どうしても、何事も生まれたときがいちばん面白くて、それをみんなで共有できるようになると、それが型になりますよね。

AC:巡礼はもうちょっと仲間を増やしたいですけどね(笑)。

仲間だと思えるひとたちは国内外にいますか?

AC:ヨーロッパのDJやアーティストはよく扱ってくれて、仲間というか、かけてくれる時点でありがたかったですね。

どういうかけ方をするんですか?

AC:普通にDJフォームですよね。日本語のブツ切れ感がエキゾチックに感じるのかもしれないんですけど。

ことばの使い方が最初から厳密な意味性に捕われていない。ぽっとことばが出てきて、それがつらつらっと想念のように続いていく。もしくは途切れて、また次に飛んでいくというか。

AC:日本にはレイ・ハラカミがいました。なんでこんなことができるんだろうって思うような美しさを、ハラカミくんは安いシーケンサーでやっていて惚れました。あとはコーネリアスでしょうか。小山田くん本人が言ってくれていますけど、彼の声の捉え方には巡礼の影響があると思います。

(コーネリアス・リミックスは)すごかったですね。すべての音の光沢がきれいで、嗚咽して聴きました。

ぼくもそれは『Point』以降のコーネリアス作品に感じますね。

AC:だから、音楽界ももうちょっと巡礼を汲み取ってもいいと思いますけど(笑)。コーネリアスに巡礼の影響があるのも、まさか?!っていう感じなんですかね。

でも、小山田くんとはフリッパーズ・ギター時代から交流があったりして、〈トラットリア〉から巡礼のデビュー・アルバムが出ますよね。あれが出たときは、コーネリアスは現在のようなスタイルではなかったですよね。

AC:コーネリアスのレコーディングに呼ばれたのは、まだ初期の頃でしたね。バンド編成で、まさに渋谷系直系の音でしたね。

初期のコーネリアスは、ポップスとしてオーソドックスなコンポジションだったけれど、どんどんそれ以降変わっていきますよね(※97年9月にコーネリアスの3rdアルバム『FANTASMA』が、翌98年にASA-CHANG&巡礼の1stアルバム『タブラマグマボンゴ』がリリースされた)。2000年代以降はエクスペリメンタルな、まさに巡礼的なフォームになっていった。

AC:あとSalyu × Salyuの声をチョップする感じとか。ただ、格好のつけ方は巡礼と違うので面白いんですよ。「これどうやってんの?」って訊いちゃうもん。そしたら、「……っていうか、巡礼のあれはどうやってるんですか?」みたいな会話になって(笑)。ある日「小山田くん、巡礼の新譜を出すんだけど関わってくれないか?」って依頼したら「OK」と。そしたら、ものすごく作業が早いんですよ。他の曲ができる前にコーネリアスのリミックスが出来上がっていて。ぼくらの他の曲のミックスダウンが終わってないのに、コーネリアスのやつだけドーンっと届いて(笑)。「これは超えらんないかも。頑張るしか……」みたいな。

元になる“告白”のトラックは、すでにできていたのですか?

AC:できていました。ただ“告白”と“まほう”の2曲は、不思議なんですけど、バンドっぽくライヴをやっていたらできちゃったんですよ。そのときにはリズム分割や声を切っていく作業もすでに終わっていて、あとは磨き上げるだけの状態でした。ここから仕上げるぞいうときに、コーネリアス・リミックスが届いたんですよ。すごかったですね。すべての音の光沢がきれいで、嗚咽して聴きました。

ASA-CHANG&巡礼 - 告白 (Official Music Video)

ぼくはこのアルバムの最後の曲というかたちで聴くことになったから、余計にそういう気持ちになりました。心が洗われるというか。小山田くんは一音一音をどう研ぎ澄ませるかという作業を延々と続けてきているから、音楽的な筋肉が鍛え上げられている。だけど、彼の場合は緻密な作業を軽やかにやってのける。そこがすごく好きですね。本当に美しい形でASA-CHANG&巡礼とコーネリアスが合流した。

AC:小山田くんの音の磨き方は素晴らしいけど、それを真似して磨いても敵わないんで。ぼくにはそんな研磨剤はないんです。粒子の荒い写真だってかっこいいですよね? だからああいう感じのザワザワした肌触りしかできなかったですね。そういう雑味というか、生活ノイズみたいなものも今回は普通にありますね。

口ずさめる事こそポップスの定義だというひとがいて、だから巡礼はポップスなんです、と。それを聞いて嬉しいような感じもしました。

たしかに流れるように聴けるアルバムじゃなくて、あちこち引っかかりながら聴いていく感じではあるんですけど、最後まで聴き通さずにはいられない。

AC:いちいちなんでこんな歌い方をしなきゃいけのっていう曲もありますもんね。前のインタヴューで「もっと歌えるひとにちゃんと歌ってもらえばいいじゃないですか?」って言われたみたいなことが(笑)。

資料のキャッチコピーに「全曲歌モノ&インスト曲なし!」と書いてあって、たしかにインスト曲ではないけれど、これを歌モノと言っていいのかと。

AC:たとえば「花が咲いたよ」と自分でそう言ってみて口ずさめたら、口ずさめる事こそポップスの定義だというひとがいて、だから巡礼はポップスなんです、と。それを聞いて嬉しいような感じもしました。そういうことで言えば、ぼくもまだポップスの領域にいるかなと。自分ではその領域にいてほしいんですけどね。

■極めてエクスペリメンタルな音楽なのに、ポップスの領域にちゃんと足を引っかけている。聴くひとを選ばず、リスナーの心にこれまで見たことがない足跡とか爪痕とか、何かを残そうとしている。普通はなかなか成立しづらい難しいことに挑戦しつづけてきた巡礼だからこそ果たせた、ネクスト・レヴェルの達成を感じます。“告白”の、ひとのプロフィールをチョップして歌詞にするなんて作り方も聞いた事がないですね。

AC:これは(原型を) ほとんどいじっていないプロフィールですね。

最初からいきなり主語も何もなしに「産まれた。」というフレーズからはじまるので、てっきりプロフィールをチョップしたのだと思っていました。

AC:固有名詞のところだけ濁して「工場」だけにしたりしますけど。勅使河原(一雅)さんの作家ネームのqubibiのサイトを見ればわかるんですけど、本当にいじっていないんです。場所を断定するようなところだけ消してるんです。勅使河原一雅っていう映像作家なんですけど。

あの草月流の勅使河原家の一族の方ですか?

AC:本人は違うって言っていますけどね。ぼくも絶対にそうだと思ったんですけど。もちろん本名なんですけどね。去年あたりからの定期的なコラボをしていくと気になるキーワードが現れてきたんですよ。学園ものというか、学校を舞台にしているところというか、青春感が漂うもので。押見先生の“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”もモロにそうで、勅使河原さんの生い立ちというか、「登校拒否をしていた」というクダリとか、そういう合致も自然にうまれていて。それのリアルさは巡礼にとっては追い風でした。

自分は音楽家ですけど、自分の音楽なんて震災のなかではなんの効力もないとつくづく思い知らされました。

朝倉さん自身はどういう少年時代を過ごされたのですか?

AC:普通ですねぇ……。自宅とくっついているタイプの住宅地のなかの美容院の息子です。

じゃあ岡崎京子さんみたいな。

AC:あ! そうです。町の美容室の。でも町の美容室の娘と息子では、けっこう立場的な違いが大きいと思いますけど。父親は本当に髪結いの亭主でしたね。ダメ人間でした。赤い鉛筆を耳に挟んで、週末は競輪ばっかり行ってました。

競輪場に連れて行ってもらったりはしなかったのですか?

AC:なかったですね。酒に溺れるようなひとでほとんどいい印象がないです。

自分はこうはなるまいと思った?

AC:完全にそう……。自分の高校時代に父親が死ぬんですけど、完全に自分の進路が変わっちゃったんですよね。家業の美容室を継がなきゃいけなくなったわけです。正直、こんな片田舎の美容室なんて継いで「先生」とか言われて終わっちゃうのかなと思ったら、なんだかどうにも継げなくて。そういうときに美容雑誌をなんとなく見てたんです。そしたらバルセロナのガウディや詩人のランボーが白日夢のように登場するサントリーのTVCMの美術担当がヘアメイクのひとで「自分がやろうとしている仕事から派生したところに、こんな仕事があるのか!」と閃光が走ってね。で、継ぐという点から飛躍しないで嘘をつくように上京しました。

朝倉さんはどちらのご出身ですか?

AC:福島県のいわき市出身です。いまは震災でいろいろあるところです。

震災のときはかなり心配された……。

AC:そうですね……。でも心配のしようのないくらいの大変な出来事だったので。うちは半壊、というかヒビが大きく入れば行政では半壊認定になるんですけどね。その程度で収まって。知り合いを辿れば、津波で流されたひとはいっぱいいます。それ以降ほぼ毎年、地元いわき市で鎮魂の念仏踊りの行事に参加しているんです。自分は音楽家ですけど、自分の音楽なんて震災のなかではなんの効力もないとつくづく思い知らされました。だから例えばギターを抱えて応援しているシンガーソングライターに対して、やるなとは思わないですけど……ある種の違和感がね。巡礼の音楽なんてとくに機能しないし。それで、地元に伝わる念仏踊りを手伝うようになりました。御盆の行事なので、夏フェスのシーズンと重なるんですが、毎年稽古に通うようにしていますね。

それはパーカッショニストとして参加したということですか?

AC:違いますよ。「プロジェクトFUKIUSHIMAいわき」といって、DOMMUNEとも近い存在なんですけど、大友良英さんがやっているチームと暖簾分けするような形で活動してます。

震災があったのは、巡礼が活動を停止しているときですものね。

AC:そうでしたね。ただ不思議なのは、ばく自身、3月11日は大友さんのレコーディングをしていたんですよ。で、その前日までいわき市にいたんです。いわきでワークショップをしていて、大友さんのレコーディングのために常磐線に乗って戻ってきたんです。

■震災はどういうかたちで知ったのですか?

AC:いや、だから東京も揺れましたから。あの震災を大友良英とともに経験するわけですよ。ぼくは大友さんが毎年福島市でフェスティバルをやる日に、いわき市での弔いの郷土芸能が必ず重なるので、いわき市から数時間かかる大友さん達の福島市の行事には物理的に行けないわけですよ。毎年の行事の日程は変わらないですから。それと、福島は原発事故でとんでもない事態になっちゃったけれど、それをも知らないで津波で流されたまんまのひとが、いわき市にはたくさんいるんだと。この風習はね、レクイエム過ぎるほどのね……。

今回は「ひと」なんですよ。ひとに向けているし、なにげなく生活のそのへんに存在する音楽であってほしい。

死についてなにか言及したいというつもりも何もないのに、生きていたらこんなふうになったんです。ただ巡礼としての曲をつくっただけなんですけどね。いびつに見えるかもしれないけど、きわめて愛に満ちた音楽ではあると思ってるんですよ。

そのレクイエムの空気は、このアルバムに確実に確実に入っていますね。

AC:(“花-a last flower-”の歌詞の)「花が咲イタヨ」の「花」もそうかもしれません。でも、あれはちょっと神様っぽいというか……今回は「ひと」なんですよ。ひとに向けているし、なにげなく生活のそのへんに存在する音楽であってほしい。そういう思いが強いですね。

今作には“2月(まほうver.)”が入っていますね。オリジナルの作者、bloodthirsty butchersの吉村秀樹さんもすでに亡くなられていますし。

AC:死んでしまったとか、生きてないとか、そういうことが多く関わっている作品ですよね。ただ、やっぱり、死んじゃうんですよね……ひとは。だからといってこの作品が「死のまとめ」ということにはならなくて。死がいっぱいというだけではね。

結局受け入れるしかないというのか。震災にしてもいろんな理不尽に対する怒りはありつつ、しかし、受け入れないとどうしようもないことが多すぎる。死はその究極ですよね。

AC:悲しんでいる場合でもないというか。たしかに、受け入れるということでしょうね。受け入れなくてもいいけど、ただそうある。

(目の前の過酷な現実を)認めるというのはつらいことだけど……。

AC:死を語らないという死への触り方もあるのかもしれないですけど、死についてなにか言及したいというつもりも何もないのに、生きていたらこんなふうになったんです。ただ巡礼としての曲をつくっただけなんですけどね。だから、後付けではいろいろ言えるんですが。ただただ、出会ったり、死んだり、人間に普通に起こることが起こってくるんです。不思議なものです。いびつに見えるかもしれないけど、きわめて愛に満ちた音楽ではあると思ってるんですよ。

愛に満ちていると思いますよ。「受け入れる」という行為だって、愛をもってそうしなければ、できないですよね。とくに死は。

AC:あとは、ごまかすということですね。悲しみなんてごまかしちゃえばいいとも言えるんです。ことばって、終わっていくじゃないですか。僕はそういうときのことばが好きなんです。リズムというか。たとえば強めにものを言うときに「あ」とか「えっと」とか言う、これもひとつのリズムだし。なぜかわからないですけど、リズムのことや太鼓のことを考えていると、それを音符で書けるようになっちゃって。それがベーシックなんです。それをPCでチョップしていくんです。

それはすごいな……どうして音符に書けるようになったんですかね。

AC:ぜんぜん複雑な構成のものでも、即興的なものでもないんですけど。「お お おお おお しま お お」(“まほう”)……とか、こういうのも全部音符で書いているんですよ。

譜面化できるんだ! コードは付いていないんですよね?

AC:まだ付いていないですね。このリズム譜で言葉はチョップできるんです。僕はPCで作業をするのが下手なので、こういう譜面がないとイメージ通りにならないんですよ。ウチコミ担当のひとといっしょにつくっていくんですけど。

いっしょにつくる方というのはどなたですか?

AC:安宅(あたか)秀紀さんといいます。クレジットではエンジニア扱いになってますけど、メンバーみたいな人です。

いつから共同作業をされているんですか?

AC:えっと、以前に巡礼でプログラミングとかをやってくださっていた浦山秀彦さんが辞める前後からですね。

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最近ミャンマーのトラディショナル・ミュージックがおもしろくて。これまであまり紹介されてこなかったみたいなんですけど、ハマっちゃって。


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まほう

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今回はゲストがたくさん参加されていますけれども、どんなふうに決められたんですか? たとえば「おかぽん」さんはどういう経緯でのオファーになったんでしょう。

AC:おかぽんは普通の女の子なんですけど(笑)。あんまり自分の名前を出したくないということでそういう表記になってます。とてもこのアルバムに似合うような、声優っぽい声をした子で、それで「やってくんない?」って誘ったんです。匿名希望の一般人です(笑)。

朝倉さんがイメージされている声にぴったりだった、と?

AC:「お お 」(同前)とか言ってるのも全部彼女なんですけど、あの声が魅力的だなと思って。

“ビンロウと女の子”にもすごく合いますね。

AC:李香蘭とかじゃないんですけど、結果的にあんなふうになりましたね。ぜんぜん中国風のものではないものをつくろうとしていたんですけどね(笑)。アジアの中でも南国のほうの雰囲気で。

ビンロウ(※中国語で檳榔。ヤシ科の植物。種子は嗜好品として噛みタバコに似た使われ方をする南方の特産物)ですからね。  

AC:そうなんですよね。最近ミャンマーのトラディショナル・ミュージックがおもしろくて。これまであまり紹介されてこなかったみたいなんですけど、ハマっちゃって。すごくかわいいんですよ。コシが入っていなくてふわふわしていて、でもかっこよく聴こえて。それに影響されているかもしれませんね、この曲は。

どこで聴く機会があったのですか?

AC:民族系パーカッションみたいなことをやっていたりすると、コメントを書いてくれっていう依頼がきますから、それで知ったんです。まあ、“ビンロウと女の子”だってそれほどミャンマーっぽいわけではないんですけどね。ベトナムとかカンボジアとかって、映画とかの影響かもしれないですけど、ちょっとエロティックなイメージもあって。それに口の中を真っ赤にしてビンロウを噛んでいる男性がいっぱい登場しますよね。そんな不思議な感じにも影響されているかもしれません。

作詞の松沼文鳥さんはどういう方ですか?

AC:NHKの番組なんかに作品を提供していらっしゃる方なんですが、作詞家さんというわけではないんです。ただ、とても言葉がおもしろいので、けっこう前からいっしょにやらせていただいています。

松沼さんの言葉のどんなところに惹かれるのですか? 今作では“アオイロ賛歌”、“ビンロウと女の子”、“木琴の唄 –Xylophone-”と3曲の作詞に参加されていますよね。

AC:“アオイロ賛歌”は、2012年にお願いしました。戦前感というか、そんな雰囲気のものがおもしろくて。「壊れちゃった懐メロ」という感じの曲が巡礼には多いので、彼女の詞がおもしろくなっちゃったんですね。

スカパラ時代から知っている人にしてみれば何にも変わらないじゃんっていう感じだと思います。メインストリームからの外れ方も、昭和感も……そんなふうに言ってくれる人がいるのはとてもうれしいですよ。

壊れた懐メロ(笑)。そうですよね、昭和歌謡がブームになるずっと前──スカパラ時代からそういう和モノの影響は垣間見えましたよね。

AC:そう、あまりテイストは変わってないんですよ。

一貫していますよね。

AC:で、ヴォーカル・チョップ以外の曲がはじまると、「スカとマンボ」(=“スカンボ”  )なんて感じで壊して、ごちゃ混ぜミックスするようなことをやって楽しんでみちゃう。やっていることはわりといっしょなんですよね。“木琴の唄”の詞がすごく好きですね。

あ、これは『つぎねぷ』(02年)の収録曲“Xylophone”をつくり直したんですね。

AC:『つぎねぷ』にも入っていた曲ですね。こういう曲調にもかかわらず英語の詞だったんです。それを今度は和モノでやろうという。テイストは、スカパラ時代から知っている人にしてみれば何にも変わらないじゃんっていう感じだと思います。メインストリームからの外れ方も、昭和感も……そんなふうに言ってくれる人がいるのはとてもうれしいですよ。よくぞ、ずっと聴いてくださっているなあと。

撒かれた胞子が世界中にどんどん広がって、これからもたくさん、不思議なおもしろい花が咲いていくのでしょうね。ところで、“2月(まほうver.)”の間奏に“ハイサイおじさん”っぽいメロディが出てきますよね。あれはかなり意識されて入れられたものなんですか?

AC:意識したわけじゃないんですけど……。“2月”は、ほんとはダークな曲で。それで、なにか、茶化したい気持ちがあったんですね。bloodthirsty butchersの名曲中の名曲なんですけど(96年発表の4thアルバム『Kocorono』収録)、映画になっちゃうくらいの吉村(秀樹)くんの精神の暴れん坊が凄いというか、彼とは結構深く付き合っていた時期があったんです。それで、ななんだか茶化したかったというのが、なぜかあるんですよね。ブッチャーズ・ファンからは相当糾弾される曲なんじゃないかと思うけど。でも、似たヴァージョンをすごく前に出したことがあるんですけど、そのときは無反応でしたね(笑)。

どう受け止めていいかわからない?

AC:そう、わからないみたいです。フォロワー的なアーティストによるトリビュート・アルバムとかも出たんですけど(※14年1月、3月、5月にかけて『Yes, We Love butchers ~Tribute to bloodthirsty butchers~』という通しタイトルのもと、『Mumps』、『Abandoned Puppy』、『Night Walking』、『The Last Match』と計4作が〈日本クラウン〉からリリースされる。ASA-CHANG&巡礼による“2月”のカヴァーは『The Last Match』に収録)、いちばんいじっちゃいけないような曲なので……。

“花”を聴いたときに、同じタイトルを持つ喜納昌吉さんの曲(“花~すべての人の心に花を~”)  をどうしても思い浮かべてしまったんですけど、あれもいつのまにかスタンダード中のスタンダードになりましたよね。そういう「いつのまにか」感も似ているなと思いました。

AC:最初は言われましたね、やっぱり。「あの“花”やろ? 最高やなあ!」とかって。「人は流れて……ってやつやろ? よくぞあれをカヴァーしたねえ!」(笑)。もう面倒くさいから「ハイ」って言っとくしかないかなあって思ってました。

朝倉さんの“花”は、安直な解釈を受け付けない、ある種のカウンターとして現れたというところはあると思うんです。これからも、ぼくらの想像を超える残り方をしていくんじゃないかと思います。

エンディング曲だけは、お話をいただいたりはするんですけどね。でもサントラそのものはあまりお声が掛かんなかった。だから、やれることがとてもうれしくて。

椎名もたさんのお話も伺いたいのですが、昨年7月に20歳という若さで亡くなられたボカロPですよね。前からお付き合いがあったんですか? 

AC:亡くなるちょっと前にイヴェントでいっしょになったんですよ。対バンというかたちで。それで、30歳も離れているのに意気投合しちゃったんです。「今度いっしょに何かつくろうねー」って。でも、いつ死んじゃってもかまわないっていうような……ポーズではなくて、本当にまわりが危機感を感じるくらい、生への執着がないようなところがありましたね。(レイ)ハラカミくんが亡くなった後、関係者が彼のPCに残っていた未完の音源を発掘したりしてましたよね。あのとき僕はあんまりいい気持ちがしなかった。そんなの当然望んでないよって。でも、今回は何か大丈夫な気がして、実際に提案すると反対も起きなかった。レーベルからもご親族の方からも。それでつくっちゃいました。ボカロの人なんですけど、本人の声があるのでそれを使って。

生声で、というところに意味があるのでしょうか。

AC:彼は歌がボカロかどうかというところは執着があまりないみたいでね、できれば自分で歌いたいと思っていたみたいです。ちょうどそういう時期だったというか。

では、ある意味ではその願いが叶ったというか。

AC:そうですね、ちょっと未完成っぽく、リハスタで録ったみたいなラフな感じの音にしました。完成形にはしない──僕だけが完成形をリリースするということはしたくないなと。ほとんど言い訳ですが。

ASA-CHANG&巡礼が音楽を手がけた映画『合葬』(監督:小林達夫、原作:杉浦日向子/2015年9月公開)のED曲をリアレンジしたもの(“エンディング”)が、ラストの“告白(Cornelius ver.)のひとつ前に置かれていますが、丸ごとサントラを手掛けられたのは初めてですか? 

AC:初めてですね。エンディング曲だけは、お話をいただいたりはするんですけどね、“花”はそうです(01年、監督:須永秀明、原作:町田康の映画『けものがれ、俺らの猿と』主題歌に起用) 。でもサントラそのものはあまりお声が掛かんなかった。だから、やれることがとてもうれしくて。サントラが盤になりにくい時代に盤になったりとかもしているので、そのあたりもありがたいです。それで、このアルバムに使っているものは、この作品に合うようにつくり直したものです。

ANI(スチャダラパー)くんは前からASA-CHANG&巡礼の舞台公演やライヴにダンサーとして参加していたのですね?

AC:そうなんです。もう、声は出さなくてもいいよって。存在がつねに大好きです。職業「ANI」っていう……(笑)。彼はしゅんしゅんと敏捷には動けないんだけど、とても存在感があるダンスをしてくれるんです。フリースタイルというわけではなくて、ちゃんと振付があるんですが、それも覚えてくれてるし。舞台人としてとてもちゃんとしているんです。

演劇人であるかのように存在してますよね、この“ANIの「エンドレスダンス」体操”という作品の中に。。

AC:そうですね。宮沢章夫さんのところとかでもやっていると思うんですよ。あとは映画とか。……ちょい役のスーパースターみたいなところで。

そこを攫っていく。

AC:そうそう。「さっき出てたの誰!?」みたいな(笑)。そんな良さがあって。それで、幕間に「ANIの声だな」ってなったらおもしろいなと思ったんです。おもしろい、というか、景色が変わってくる気がして。

挑発するような、トゲのある音をやめてしまったし、風通しのいい音だけにしちゃったので、「巡礼は“花”の時代で終わったな」「巡礼・イズ・デッド」って言われるんじゃないかって。

そう、まさにそんな役割ですよね。今作『まほう』は、これまで以上にいろんな言葉がアルバムの中で跳ねたり、宙を舞ったり漂ったりして、それが音と絡み合っている様が、シアトリカルでもあり、すごく立体的に世界がひろがってくる感じがして、本当に独特ですよね。こういうのを何て表現したらいいんだろう。映像的だというのもちょっとちがうし……今回のアルバムは、結果的に全部歌ものになったという感じですか?  

AC:そうですね。(出来上がってから)「インストないや!」って、びっくりしちゃって。

ある意味ではインストありきのバンドであるかのように感じますけれども。

AC:ねぇ、あたらしく器楽奏者を2人も迎えといてね。「これちょっと歌って」っていうことばかりで、みんな我慢してて偉いなあって思います(笑)。

(笑)では、完成したときの手ごたえはいかがでしたか?

AC:こうやって取材をしてくださって、褒めていただいたりしてから、ちょっと勇気が出ましたけど、はじめはもうダメだと思ったんです。

それはどうしてですか?

AC:挑発するような、トゲのある音をやめてしまったし、風通しのいい音だけにしちゃったので、「巡礼は“花”の時代で終わったな」「巡礼・イズ・デッド」って言われるんじゃないかって。それを考えると、マスタリングをして完成しても通して聴けなかったりしました。失敗作をつくってしまったんじゃないかと……。巡礼の音楽には雛形がないから、擦れ合わせるような保険がないんですよね。

聴いたひとのリアクションを待たないとわからない。

AC:だから、ライターさんとか、こうやって取材で質問してくれるひとが褒めてくれるだけで、いまは僕は幸せです。

01年にセカンドの『花』が出た後に、ファーストとセカンドをカップリングしたイギリス盤が出ますよね(『Jun Ray Song Chang』02年/リーフ)。最近リイシューされましたけれども(『20th anniversary vinyl reissues』15年/リーフ)、僕はヴァイナルが欲しいなと思って、それを買っちゃいました。

AC:ほんとですか。あれカッコイイですよね。いったい何枚入ってるんだっていうボックス・セット(『Leaf 20 Vinyl Box Set』15年/リーフ)俺も買おう(笑)。 

(『花』の当時は)音楽評論としてはどう書いていいかわからなかったんじゃないですかね。あたりさわりのないかたちで触れられていたと思います。

『Jun Ray Song Chang』が最初に〈リーフ〉から出たとき、『WIRE』誌の2002年ベスト・アルバム第4位に選ばれましたよね。『MOJO』や『MUSIK』の年間ベストにも取り上げられたりして、ヨーロッパで大評判になったわけですけれども、そのときはどんなふうに感じられました?

AC:もう、褒められるのが好きなので、そりゃあうれしかったですよ。ざまーみろ日本て(笑)。

国内の反応は?

AC:まあ、ゲテモノ扱いですよね(笑)。「なんだかヤバい」──これはいまふうの言い方ですが、そんな雰囲気はありましたけども、音楽評論としてはどう書いていいかわからなかったんじゃないですかね。あたりさわりのないかたちで触れられていたと思います。ディスるならディスってくれ、とまではいはいわないんだけど……。

それが、意外なことに海外では評判だったと。

AC:はい。チリとかアルゼンチンとかからの反応もあって。あとはヨーロッパ。でも、不思議とアメリカからの反応はほとんどなかったですね。カレッジ・チャートとかにもかすりもせず。

そうなんですね。「ピッチフォーク」とかにも載らなかったんですか?

AC:どうだったかなぁ(※2003年1月8日付で『Jun Ray Song Chang』、同年3月23日付で『つぎねぷ』のレヴューが掲載されている。前者は8.0、後者は7.0と評価された)。でも、トーキング・ヘッズの──

あ、デヴィッド・バーンが?

AC:そう、彼と周辺のひとたちが追っかけてくれたりはしました。ものすごく褒めてくれたのは覚えていますね。本当にうれしかったですよ。フランスだと、日本で言えばマツキヨみたいな、どこにでもあるドラッグストアのCM音楽になってました。

フランスに親和性があるというのは、なぜかわかる気がしますね。アヴァンギャルドとポップが入り混じることに対する許容度が高い。しかし〈リーフ〉から出たASA-CHANG&巡礼のイギリス盤は、レーベル始まって以来の売り上げだったそうですね。

AC:ススム・ヨコタとか、巡礼とかっていうイメージはありますよね、〈リーフ〉は。

ススム・ヨコタさんの『Sakura』とかも〈リーフ〉なんですね。今回の作品は海外リリースの予定はあるんですか?

AC:それは、お話があればぜひ。でも、どういうかたちで出そうかというのは迷うところですよね。

CDの前にライヴで曲をつくるなんてことは考えられなかった。でもいまはなぜかアルバムの前にライヴでを新曲をやっているんですね。

朝倉さんは、「かつては楽曲を再現することに苦労していたけれど、いまはライヴ先行なんだ」と発言されていましたけれど、それはいつごろから意識の変化が起きたのですか?

AC:“まほう”とか“告白”とか、僕らにとって大きな意味のある曲は、まずCDでどーんと発表して、まさかライブで演奏なんかできるのか、という感じだったんです。それをあとから演奏可能にしていくというね。CDの前にライヴで曲をつくるなんてことは考えられなかった。でもいまはなぜかアルバムの前にライヴでを新曲をやっているんですね。人とコラボする「アウフヘーベン!」っていうライヴ・シリーズがあって(※「vol.1 室伏鴻(振付家/舞踏家)」14年9月23日@青山CAY、「vol.2 勅使河原一雅(アート・ディレクター/映像作家)」14年12月6日@青山CAY、「vol.3 押見修造(漫画家)」15年3月10日@渋谷WWW)  

ここまで越境的な異種格闘をしているのは、他に七尾旅人くんぐらいしか思い浮かびません。旅人くんとは時々共演されていますね。表現の可能性を探る実験としてものすごくアヴァンギャルドなのにポップな表現として成立するところが、朝倉さんと旅人くんの共通点であり、稀有なところだと思います。新編成になる前(10年4月)に事務所をプリコグに移籍されていますね。そのへんも何か影響があったのでしょうか。

AC:そうですね。ミュージシャンをマネジメントするのではないひとたちのほうが、僕らとうまくタッグが組めるのかなと思いました。演劇というか、パフォーミング・アーツのチームですけどね。

J-POPにも現行の東京インディー・シーンにも属さないASA-CHANG&巡礼の居所としては、いちばんしっくりきているような気がしますね。今後どういう活動をしていきたいというふうに思っておられますか?  

AC:活動がここまで本当にとびとびだったので、巡礼をもうちょっとうまく機能させていくっていうことが、僕の力だと──僕のやるべきことだと思っていますね。

Interview with Open Reel Ensemble - ele-king

 はじめに言っておくと、オープンリールというのは記録再生装置であって、けっして楽器の名ではない。しかし「オープン・リール・アンサンブル」なるこの5人組ユニットの発言にはたびたびそれを「演奏する」という表現が登場するから、困惑する人もいるだろう。

 はたして彼らはそれを本当に「演奏する」のである。

 東京を拠点として、いまや世界を舞台に活躍する5人組、オープン・リール・アンサンブル(以下ORE)。言葉を積み上げるよりも、ここは一見にしかず。ライヴ映像を一本ご覧になれば、彼らがどんな「演奏」をするのか、そのおおよそが見てとれるだろう。そして同時に、彼らがいかに定義と説明の困難な表現活動を行っているかということも、一瞬でご理解いただけるはずだ。

 以下は、そのオープンリールを「演奏する」男たちに、彼らの活動原理と理念、表現内容について解きほぐしてもらったインタヴューである。

 それは音楽のようであり、パフォーマンス・アートのようであり、ただ実験であり、遊びのようでもあり、歴史の研究であり、ワークショップ(教育)でさえある。さまざまな形態に分化しながらも、彼らは、はじめてオープンリールに触れたときの驚き──テープが回り、手のひらでダイレクトに音が歪む感触を得たという、その鮮やかな感動に駆動されて、いまも活動と探求を続けている。「オープンリール」と発音するときの彼らの目は、表現者というよりも、ほとんど冒険者であり科学少年のそれだ。


Open Reel Ensemble
Vocal Code

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 いったい彼らはオープンリール──歴史的にはいちどその役目を終えている装置を通して、何を再生しているのだろうか。

 今月発売されたアルバム『Vocal Code』への質問から、話題はいつしか宇宙をめざすエキゾチズム、“空中特急”の隠されたテーマ──彼らの持つ近代観/未来観、そして文明という「主電源」をオンにすることの興奮と畏れについての述懐へと深まっていった。

 演奏をご覧になったならばぜひ、「3ページめ」だけでもお読みいただきたいと思う。2020年、かの祭典の5つの輪に向かって5台のリールを回すのは彼らしかいない。

■Open Reel Ensemble / オープン・リール・アンサンブル
2009年より、和田永(Concept, Programming, Compose)を中心に佐藤公俊(Compose)、難波卓己(Vln)、吉田悠(Per)、吉田匡(Bass)が集まり活動開始。旧式のオープンリール式磁気録音機を現代のコンピュータとドッキングさせ、「楽器」としてして演奏するプロジェクト。リールの回転や動作を手やコンピュータで操作し、その場でテープに録音した音を用いながらアンサンブルで音楽を奏でる。2011年6月に発売されたNTTドコモのスマートフォン「GALAXY S SC-02B」”Space Balloonプロジェクト”(第15回文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門大賞プロジェクト)に音楽で参加し、10月には初となる音源作品『Tape to Tape』を5号オープンリールテープにて限定数リリース。ライブパフォーマンスへの評価も高く、Sonar Tokyo、Sense of Wonder、KAIKOO、BOYCOTT RHYTHM MACHINEなどに出演。海外ではSONAR 2011 Barcelona、ARS ELECTRONICA(in Linz of Austria)に出演している。2015年9月、佐藤と難波が「卒業」。

オープン・リールを初めて触ったときに、これは何かできるぞ、という感触があった──それがともかくもスタートなんです。(和田永)

これ……すごいですよね。


『回転 ~En‐Cyclepedia』(学研マーケティング、2013年)

和田永:はははは!

真面目な話、ネットにインタヴューもいっぱい上がってますし、なによりこの本を読めばOpen Reel Ensemble(以下ORE)については十分なんじゃないかと思います。編集者の方も素晴らしいですが、みなさんご自身もこの中ではかなり編集的に立ち回っておられますよね。誰にどんなインタヴューをするか、みなさんが決められたんですか?

吉田悠:そうですね。それぞれ要素に分けてお話をききたいと思ったんです。音楽的な面は誰で、機械の面は誰で、という感じで。

そうそう。ただ憧れの人に訊きました、というのではなくて、一冊を「編んで」いますよね。

吉田匡:ドクター中松が入っていないのが……心残りなんですけど。

お、では第2巻に期待ですね。そもそもOREはコンセプチュアルなバンドだなと思うわけなんですが、高木正勝さんへのインタヴューの中では、高木さんが「OREは僕と似ているんじゃないか」という旨のご発言をされていますね。いわく、「僕たちはプロではなくて“素人”なんじゃないか」と(※)。

和田:ああ、なんか思い出してきました!


※「いきなりですけど、実はね、オープンリールアンサンブルって僕と似てるなって思っているんです。僕って「音楽家」じゃないんですよ」「音楽のジャンルっていろいろあるじゃないですか。そこに「素人」っていうジャンルがあったら、僕はそこにぜひ入れてほしいなって思ってて(笑)」


たしかに、たとえば「エレクトロニカを突き詰める」というようなジャンル・マスター的な性質のバンドではなさそうですし、「年間シングル何枚出さなきゃいけない」というような産業的な条件にしばられたポップ・バンドでもないですし、かといってアート・パフォーマンス集団、と言うには音楽的すぎる。「プロ」じゃないという独特のニュアンスはよくわかるんです。
 みなさんご自身は、自分たちを何だと思っていらっしゃるんですか?

和田:そうですね、自分たちでそういう線引きを考えたことはあんまりないというか。オープン・リールを初めて触ったときに、これは何かできるぞ、という感触があった──それがともかくもスタートなんです。そのおもしろさや感触を伝えようと思ったし、どうやったら伝わるんだろうって考えた。それで生まれたものが、結果的にはジャンルの横断を起こしていたという感じでしょうか。オープン・リールによる演奏を見つけていく中で聞こえてきた音楽や見えてしまった世界を表現しているというか。

吉田匡:使える技術があって、知っている古い機械があって、それを併せたら新しいことができると思いました。しかも、オープン・リールをズラっと並べて、人も揃えれば、バンドみたいなことができるんじゃないか、って──感覚的にはバンドの結成みたいなものでしたね。僕や兄は楽器ができる人間だったし、バンドの経験があったので、そういう役割としてOREに加わったという感じです。
 でも、やっているうちに、このオープン・リールっていう機械がどこまでのポテンシャルを持ったものなんだろうって、その可能性を掘りつくしたいという思いもどんどん出てきて。

和田:確かに(笑)。

吉田匡:だから、たとえばオープン・リールのことを知らない人たちに向けて、このデッキの素晴らしさを伝えるワークショップをやったりとか、そういうことに専念した時期もありましたね。
活動としては、CDを出したり、音楽事務所に所属したりでミュージシャンっぽいんですが、もう……ほとんど、オープン・リール宣教師というか。

和田:まさに。

吉田悠:うん。

ははは! いや、まったく同じ表現を思い浮かべましたよ。「オープン・リール宣教師」──私のほうは「オープン・リール伝道師」かな。

吉田悠:高木正勝さんの言葉をいま思い出していたんですよ。先ほど「アート集団」とか「ミュージシャン」とか、いくつか表現が挙がりましたけど、そういう言葉には歴史とともにいろんなイメージが付随しているものじゃないですか。そういうイメージのために僕たちのやっていることが定義づけられてしまうのはもったいないなという感覚があるので、自分たちで自分たちのことをとくに名づける必要はないかなと思ってます。そういう意味で「素人」かもしれないですね。
 やっぱり、なにか、答えられないんですよね……「ミュージシャンなんですか?」って言われても、「はい」って(笑)。

和田:ひとつひとつ、便宜的な表現でしかないんですよね。

もう……ほとんど、オープン・リール宣教師というか。(吉田匡)

やっぱり、なにか、答えられないんですよね……「ミュージシャンなんですか?」って言われても、「はい」って(笑)。(吉田悠)

そうですね。まあ、資本主義においてはそれがないと流通していかないから、仕方なくプレス・リリースに一言で説明しなきゃいけない(笑)。

吉田悠:そうなんです、ぜったい訊かれますから。「何をする集団なんですか?」って。ビデオの資料をつくるときなんか、「何をする」っていうよりも、あれもこれもできることをすべて入れていきます。でも、それで納得してくれる人もいれば、「で、結局何に特化した人たちなの?」って困る人も多くて(笑)。

わかりますよ。

和田:それでもやっぱり、言葉に区切りきれない部分があるんです。ただ、いちばん中心にあるのはヴィジョンかもしれないですね。オープン・リールっていうものの、まさに宣教師、伝道師──それを使った独自の進化、風景を見せるものというか。OREっていうのは、ガムラン・アンサンブルをもじってるものでもあるんですよ。オープン・リールでアンサンブルをすることを中心にして、いろんなところに触手が伸びていってる。
 どこかに到達したということはなくて、いまもつねにそのときの興味で模索している感じです。CDをリリースするというのは、アウトプットのひとつですね。

ええ。アルバム制作の論理とか動機が、いわゆるミュージシャン的なものとはちょっとちがいますね。

和田:いろんな表現の架け橋として、オープン・リールという媒体があるというか。オープン・リールは、いろんなものをつないでミックスしていくメディアみたいなものです。


「OREのパフォーマンスはとてもおもしろいけど、CDになるとあのよさがわからなくなる」って言われて。(吉田悠)

なるほどなあ。根本の動機というか、オープン・リールの伝道師という面では、みなさんは本当に強烈なライヴを行っていらっしゃると思うんですよ。伝道師というからには、その魅力を言葉なり何なりの方法で伝えなければならないですよね。

吉田匡:そうですね。

ワークショップとか本も効果的かもしれませんけど、みなさんの場合はなんといってもライヴがすごい。オープン・リールがズラっと並んで、まず視覚的なカタルシスがやばいじゃないですか。もう、教会のミサでパイプオルガンに向いあうようなもので、儀式性がハンパないですよ。

吉田悠:正面向けてますからね、オープン・リール。

そう、奏者が背中を見せている(笑)。音を出す道具ってだけなら、卓みたいなものだから、こっち向けばいいんですよ。だけど、あくまでオープン・リールを神というか、祭壇みたいに──

和田:おっ立てて、照明で光らせるという。そして回転を見せる。

そう(笑)。ステージであれが5台、神々しく発光している。それに、あの和田さんの楽しそうに飛び回る姿、みなさんがなにかめちゃくちゃ真剣に回したり止めたりしているパフォーミング。あれを見ると、なんだかわからないなりに、いっしょに感染して打たれるというか……「ああー、なんか、オープン・リールすごいな万歳」って(笑)。一種敬虔な気持ちになってしまう。ほんと、ミサか何かなんですよ。

和田:たしかにそれはあるかもしれないですね(笑)。オープン・リールっていうものを前の世代から受け取って、自分たちなりに命を吹き込んでいく、新解釈を加えていく、っていうことなんですけどね。

「自分たちなり」すぎる(笑)。しかし、先ほども少し話題に上がりましたが、そうなるとますますOREにおけるアルバムの位置づけが気になりますね。もう、あの「ああ、回っている!」というライヴの瞬間に途方もないエネルギーがあるので。

吉田悠:今作の前に、〈コモンズ〉さんからリリースになったファースト・アルバムがあるんですが、あれはOREがパフォーマンスとして蓄積してきたものを一度音源化しようという試みだったんです。そのときにいろんな問題が表面化したんですよ。「OREのパフォーマンスはとてもおもしろいけど、CDになるとあのよさがわからなくなる」って言われて。
 自分たちも薄々そうかもしれないと思っていたことでもあったので、それはやっぱりひとつの壁になりました。もちろん意識してパフォーマティヴに見せているし、ORE自体が映像作品的な面を持っているとも思っているんですけれど、そうでありつつも、どうやって音でOREの世界に引き込むことができるのかというのは課題だと思っていて。そんなふうなことを感じながら、次のアルバムはどうするべきかということが話し合われたんです。

なるほど。


CDを出すって、ものすごく普通のことなんですけど、OREにとって「挑戦」になっている(笑)。(和田永)

吉田悠:だから、今回は「テープ・ポップ」なんてキーワードが出たりもしたんですが、ORE的な解釈に基づいてポップ・ソングをつくってみようということになりました。OREというものを音で伝えるための手段というか……「曲」的であるというか。

「曲」的。そうだと思います。

吉田悠:ORE的エッセンスが、「曲」というフォーマットの中で聴こえてきたほうが、アルバムをつくる上では武器になるんじゃないか、と。

ええ。

和田:まぁ、けっこういろんなフィードバックがある中でできあがっているので、ある瞬間にアルバムのすべてが決まったということではないんですけどね。

吉田匡:ひとつわかりやすい手法としては、声が吹き込まれていて、それがテープの中で歪(ゆが)んでいくというのは、きっと作品として魅力になるだろうと。それはたまたまみんなが出してきたもののなかで一致した要素でした。メンバーごとに曲を出し合ったんですけど、結果として声はひとつのテーマになっていきました。

和田:アルバムをリリースするというのは、アウトプットのかたちを選ぶときにいちばんスタンダードなフォーマットでもありますよね。そのスタンダードなフォーマットに対してどんなことができるだろう、っていうところに興味もありました。
──というか、CDを出すって、ものすごく普通のことなんですけど、OREにとって「挑戦」になっている(笑)。

ははは! たしかに。CDなりレコードなり配信なり、アルバムっていうものが自明で絶対的な単位になっていないってことですね、OREにとっては。CDを出すっていう普通のことが実験になってしまう。音楽産業というレールの上で何ができるのかという実験。

和田:そうなんですよね。それがインタヴューとかをしながら不思議な感覚に陥る瞬間なんですけど(笑)。OREのひとつの側面を切り取って、それがどう伝わるかという挑戦だったりもして。
オープン・リールにはアート的な側面にも可能性を感じているのですが、一方で、そこから出てくる音、奏でて出てくる音が純粋に特徴的で。あるときは暴力的で、ある時は幻想的。音それ自体にもキャラクターを感じます。今回はメンバー全員が作詞か作曲を通して「楽曲」に携わっているんですけど、そういうバンド的な作曲行為と、僕たちがこれまでに見つけてきた「オープン・リールのおいしさ」だなっていう音とがうまく結びついたらいいなという思いはありました。テクノロジー的なアプローチと、音楽的なアアプローチをつなげたいなと。


オープン・リールというものから想像した物語とか景色を歌ってもらっているんです。オープン・リールの歴史とシンクロしていたり。……物語の中の登場人物。(和田永)

Open Reel Ensemble - 帰って来た楽園 with 森翔太

そのふたつを結びつける上で、ポップ・ソングというフォームが機能するのではないかと。ということであればすごく今回のアルバムの意味はわかって、本当に、まず「曲」っぽいですよね。あと、それぞれの歌い手さんたちも、どういう原理で呼び寄せられているのかなということをお訊きしたかったんです。以前参加されていたやくしまるえつこさんや高橋幸宏さんは、「歌(唄)」をうたってもらうというよりは、もう少し「声」として、解体して戯れるという関係だったのかなって感じますが、今回は歌を歌ってもらっているという感じでしょうか。

吉田匡:そうですね。1曲めはいきなり「ヴォーカリスト」ではないですが(笑)。

和田:オープン・リールというものから想像した物語とか景色を歌ってもらっているんです。オープン・リールの歴史とシンクロしていたり。……物語の中の登場人物。キャスティングさせていただいたという感じに近いですかね。
1曲目に関しては、ザ・フォーク・クルセダーズの“帰ってきたヨッパライ”の勝手な続編をつくるっていう着想があって──歌とオープン・リールということで浮かぶのがあの曲だったんです。それで、勝手なオマージュを捧げようと思って、ヨッパライの息子が登場したらいいな、と。それで、お酒が飲めなくてミルクが大好きで、上京してきて社会に揉まれる髪が薄めのサラリーマンという設定が生まれてきて、森翔太さんにお願いすることになりました。

なるほど、息子はiPhoneユーザー。21世紀です。

吉田悠:森翔太さんについては、歌声を知らずにオファーしていました。

あ、声をずいぶん歪めている?

吉田匡:いえ、まるで編集したかのようなんですが、ほとんどそのままなんです。

すごい。『回典』の中の大友良英さんとの対話の中に出てきましたね、「レコード・ウィズアウト・ア・カバー」(クリスチャン・マークレー)。もともとノイズだけ録音されていて、カバーがないから後からどんどん傷が付くんだけど、再生するとそれがもともとのノイズか盤の傷のノイズかわからないっていう。あれみたいな(笑)。

吉田匡:ははは! 森さんの存在がすごい。

和田:森さんがふざけるとオープン・リールの声みたいになるもんね(笑)。

もう一回聴きなおしたい。すごいインパクトの冒頭曲です。2曲目の“回・転・旅・行・記 with 七尾旅人”ですが、七尾旅人さんはご自身の歌と世界と声、それぞれにあまりに強い個を持っておられると思います。それこそ簡単に解体なんてできるものではないですよね。

吉田悠:解体というより、これはもう完全にコラボレーションでしたね。両者が制作者でした。

和田:七尾さんと僕らの世界が一体になったような。

吉田匡:歌の部分はほぼ、歌詞もメロディも七尾さんにつくっていただいたような感じです。キャスティングといいつつ、本人役で出ていただいているような。それじゃただの歌い手と変わりないじゃないかとも言えますが、その方の持っておられるバックグラウンドをそのまままるごと中に置けるような人にお願いしています。七尾さんも、七尾旅人として入っていただいているので、そこはもう全部出してくださっていいというか。

なるほど。先にトラックはあるということですか?

吉田匡:トラックと曲のテーマから、歌詞もメロディラインも七尾さんのアウトプットでつくってもらって。

あ、テーマは先に伝わってるんですね。

吉田匡:曲名は決まってないですけど、ニュアンスとしてはお伝えしてました。

回転とか、そういうイメージですかね。歌詞にも「磁気テープ」って触れられていましたよね。

吉田匡:あれは、七尾さんからのウインクだと思ってます!

なるほど! 七尾さんの声自体を加工しようとは思いました? それこそ高橋幸宏さんのヴォーカルを加工したい、挑みたい! というのとは別の原理の歌や声かと思うんですが。

吉田悠:僕たちも高橋さんのときはそんな気持ちがありました。僕たちのテープの世界へようこそ! みたいな。連れ込ませていただいたからには、いじらせていただくぞ、と。

ええ、ええ。七尾さんの歌はその意味で崩すのが難しい?

和田:基本的に、中心にある歌はほとんどそのままにさせてもらって、僕たちの世界がそのまわりにあって、という感じです。ただ、いくつか声の素材としていただいたものについては、ちょっとオープン・リールを使って加工したりして、音源ではバランスをとってやらせてもらいました。ライブではけっこう歪ませていたりします(笑)。

そういう作業は、やっぱりPCも使ってですよね?

和田:そうですね、行ったり来たりですね。5人の家のすべてで、ほとんどつねにオープン・リールとパソコンとかつながったままになっているんです。それでデモを投げ合ったり、素材を投げ合ったり。


やっぱりオープン・リール伝道師的には、「回転崇拝」は重要なキーワードです(笑)。(和田永)

「Cyclatrous(サイクラトラウス/回転崇拝)」という言葉もできましたから。(吉田悠)

なるほど。七尾さんの歌詞は、地名とか国の名前がつながっていって、それ自体に反復的な雰囲気もありながら、意味の上でも、ああ、地球は丸いよなっていうモチーフが生まれていくような内容で。本当にたくみで。

吉田悠:そこは本当に七尾さんが素晴らしいんですよ。僕たちの世界を汲み取っていただいたので、それに応えたいという気持ちでした。これ、曲名も「回転」+「旅行」だから、「オープン・リールと七尾(旅人)さん」になっていると思いません? そのくらいいっしょにできたなって。

やけのはらさんとの“Rollin' Rollin'”って曲があるじゃないですか。あの曲もMVふくめて回転がモチーフになっていますよね。なにか、レコードが回ることに対する──みなさんはテープですけど、回転と音楽ということに対するある種の感覚には、通じるところがあるんじゃないでしょうか。

吉田匡:それはあるかもしれないですね。

和田:やっぱりオープン・リール伝道師的には、「回転崇拝」は重要なキーワードです(笑)。

吉田悠:「Cyclatrous(サイクラトラウス/回転崇拝)」という言葉もできましたから。

和田:“Cyclatrous”っていう、4楽章ある曲を作ったんですよ(※)。時間や反復は回転として空間に展開されますよね。音楽が時間であるならば、それは回転運動で視覚化するとやっぱりしっくりくる──

※『回典 ~En-Cyclepedia~』に「特転」DVDとして付属・収録されている。

わかりますよ。

吉田悠:ははは。大抵のひとは「は?」なんですけどね。

いや、よくわかりますよ(笑)。

吉田悠:うれしいな(笑)。

しかもテープの場合は、ほんとに手のひらの感覚として、それが現実の空間を歪めてるんだってことが感じられるわけでしょう? 音とつながってるんだって、和田さんがどこかで言っておられた。まさにその感じがすべてのはじまりというか、OREがダテではないんだということがわかるお話です。

和田:それは……すごく大事なことですね。(微笑む)

(一同笑)

うれしそうっていう(笑)。なにか、和田さんは中学くらいの頃からオープン・リールで始終遊んでいた、みたいなエピソードを読んだんですが。「ボールは友だち」的な。

吉田悠:実際、彼がオープン・リールに出会ったのは中学で、その前から自作楽器とか、自分の世界で何かをつくることには興味があった奴なんですよ。だから、オープン・リールだけが特別というよりは、その中の出会いのひとつという感じだと思います。
 でも他にも楽器をいろいろ作っていた中で、オープン・リールがいちばん大きいプロジェクトで、いまでも続いているという点では、やっぱりポテンシャルの高さがあったんだろうね。

和田:(感慨深げに)そうなんだねえ……。

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オープン・リールとは究極の「エキゾ」を立ち上げる装置である……のか!?
OREとそのニューエイジ的宇宙観を探る

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僕たち自身がまさに、正しい使い方を知らずに(オープン・リールに)出会ってるんですよ。僕たちが勝手に解釈したおもしろさから入り込んでいるんですね。(吉田悠)

いや、たとえばオーディオ・ファンのひととか、あるいは古くからご活躍のミュージシャンとかがオープン・リール愛を語るときって、もっと角度がちがうと思うんですよね。「オープン・リールだと太くて丸い音がしてね……」とか、もっぱら音質の話であって、みなさんはちょっとヘンですよね。オープン・リールそのものへのフェティッシュな愛というか……。

吉田悠:世代かな?

吉田匡:うん。それなりに値段も高くて、立派な現役の機材として使われていた時代があったわけですよね。僕らはそれが廃れた後の世界で、引っぱり上げてきて使っている。その感覚には差があると思います。

吉田悠:よく和田が譬え話として言うんですけど、オープン・リールがアマゾンとかを漂流していって、奥地にたどりついて、何も知らない原住民たちがそれを拾い上げて、用途を誤解したままそれを使いはじめた──結果、生まれてきたパラレル・ワールドなんです。僕たち自身がまさにそうで、正しい使い方を知らずに出会ってるんですよ。僕たちが勝手に解釈したおもしろさから入り込んでいるんですね。

うんうん。

吉田悠:そこは機械が現役だった時代の人たちからすれば楽しみ方がちがうというか、もしかしたら怒られるかもしれない部分ですよね。

吉田匡:テープだから音がいいとか、音楽編集においても優れているというような部分は、ある種、追求され尽くして廃れていった部分だと思うんですね。それとはまったく別のレールを歩いていると思います。

……ですよね。だから、オーディオ・マニアとかが抱く興味とはまるで関係ない。

和田:ああー、そういう関心とはちがうね。

ええ。もっとワンダーな感覚というか。

吉田匡:ワンダーですね。

和田:そう、エキゾチズムですよ。

そう、エキゾチズム。

ワンダーですね。(吉田匡)

そう、エキゾチズムですよ。(和田永)

和田:本(『回典』)の中で宇川直宏さんもおっしゃっていたキーワードですね。オープン・リールに対して抱く感情にはいろんなレイヤーがあるんですけど、出会いの瞬間はなんだこの異物はっていう。そしてそこから出て来るサウンドに異国性を感じましたね。一種の民族楽器のような。音や魅力の謎を紐解こうとするとサイエンスな興味関心も湧いて来る。磁気録音の仕組みとか、松岡正剛さんともお話ししているような──回転と自然界の関係性とか、っていう。で、次のレイヤーには触って楽しいとかっていう身体感覚がある。あとは、もうキュイーン! って回ることの高揚感とか。

吉田悠:僕らが高い塔の上にオープン・リールを置いてライヴをやったりするのも、単純にそのプロポーションがかっこいいとか、その程度の理由だったりするんですよね。

うん、うん。その驚きというか、ワンダーな感覚を、思いっきりきちんと表現できているから、見ているわれわれもつい感染してしまうんですよ。なんだろう、ドラえもんが取り出してくる道具みたいな驚き──あ、そうそう、古い機器なのに、まるで未来の道具かのような感触があるのかなあって。

和田:古い機械だけど、録音というテクノロジーのやばさをつねに体験できますね。


古い機械だけど、録音というテクノロジーのやばさをつねに体験できますね。(和田永)

だから、世代っていうのはそのとおりかも。リアタイ世代のおじさんが同じようなことをやっても、あの未知のものに触れるような楽しそうな感じって出ないかもしれませんね。

和田:もう、オープン・リールを早回しにして出てくる音とか、エキゾ以外のなにものでもない。ぐにゃーって歪む感じとか。

吉田悠:練習中にサウンド・チェックとかをしていると、中に何が入っているかわからないままテープを再生することがあるんです。そうすると前回のライヴの音が残っていたりするんですね。それがまた関西とかの公演だったりすると、電圧の関係で回転速度がちがっていることがありまして。急にヘンなピッチの音が流れてくるんですよ。その瞬間、みんな同時に手をとめて、「いいねー」みたいな(笑)。

あはは!

和田:そう、もう結成から5年経ってますけど、まったく変わらないですね。ヘンな音が出てきた瞬間に「いいね~」って(笑)。

アナログの可能性ですね。宇川さんが本の中で、エキゾチズムは究極的には宇宙に向かうっていうようなことを言っておられましたよね。アフリカだ何だっていうワールド志向は2000年代の半ばにも一回すごくリヴァイヴァルしましたけど、そういう借りてきたトライバリズムなりエキゾチズムではなくって、OREにはOREならではの、なんか別次元にスイッチするものがありませんか? 異界との出会いなんですよ、きっと。関西と東京の電圧の差の中に宇宙があって──

和田:50ヘルツと60ヘルツの境界にね。

(一同笑)

吉田匡:地理的なものじゃなくて、ちがうヘルツの世界に行ったっていう(笑)。

和田:関東と関西でモーターの速度が変わって音楽が変化する。そこにバージョン違いが生まれる(笑)。

そう、地理では分けられない異界なんだけど、地理も存在する。つまり、大阪なら大阪という現実の場所を何層にも分けるような感じ方なんですよ。異界をつくりだして何倍も楽しめる。──不況型かもしれないですね。お金かけないで世界を2倍にする楽しみ方。


実際、祭りにして巡礼したいと思ってるんですよね。(吉田悠)

とすると、ニューエイジ的でもあるというか。現実が変わらないなら薬でとんで脳内を変えよう、っていうのとある意味で似ていて、オープン・リールひとつを通して現実を変えないまま変えるという。

和田:そうなのかもしれない……。

吉田匡:しみじみしとる(笑)。

そうすると、やっぱりエキゾチズムの極致なのかもしれない。

吉田悠:実際、祭りにして巡礼したいと思ってるんですよね。

え、祭ですか? 「充電」……?

吉田悠:巡礼です。伝統と呼ばれているもの──いつ誰がつくったのかわからないお祭も、遡っていけば必ずそれをスタートさせた人間たちがいるわけじゃないですか。僕らがオープン・リールを通していつのまにかその第一回をやっていた、というふうにならないか。何十年か経ったときに、「この地域ではこの時期になるとオープン・リールの祭りをやるんだよ」ってふうにならないかなと思うんですよ。そういうかたちでのエキゾチズムへの接続もあるかもしれません。

ああ、なるほど。

和田:オープン・リールを紐解いていくと、すでにいろんな先人たちが築いてきた歴史が積み重ねられていますし。

オープン・リールを囲んで男たちが踊っている様子が、絵巻になって残ったりとか。「初期はこのように催されていたのだ」みたいな(笑)。

吉田悠:やぐらを建ててね(笑)。

吉田匡:俺たちのライヴ映像が資料として残る(笑)。

和田:「オープン・リール・トラディショナル」っていうキーワードも出たりしましたね。オープン・リールっていう歴史の軸に、われわれも登場したいです。大野松雄さんがいたりとかスティーヴ・ライヒがいたりする──

吉田匡:せまい(笑)。

おもしろいですね。ふつうトラディショナルな祭りって土地に紐付いて存在しているものだと思うんですよ。東京で催されていたとしても、河内音頭は河内のものだし、よさこいは北海道のもの。その意味では土地からは離れられないものなんですよね。でも、モノを介して、大野さんとかライヒとか、時空を超えたところにフラグを立てる祭があってもいいですよね──四次元祭みたいな?

和田:うふふふ。毎年録音して声を重ねていったり。

時空を超えた地図の上の祭なんて、やっぱりエキゾチズムの究極なんじゃないですか(笑)。

オープン・リールの最期を見届けるっていうのもやってみたかったり……(微笑)。(和田永)

だから、僕たちは「こういうお葬式をしてください」っていうことを遺していけばいいと思うんです。(吉田匡)

回典 ~En-Cyclepedia~ Open Reel Ensemble PV


ところで、オープン・リールってもう生産されていないわけじゃないですか。ということは、みなさんを見て「楽しそうだな」「やってみたいな」って思ったとしても、これからさらにどんどん手に入れにくくなる……?

和田:まあ、徐々には。

吉田匡:所有している方から譲ってもらったり、買ったりということになりますね。

和田:僕らのデッキについては、近所に偶然すごいエンジニアの人がいて、修理してもらえるんですよ。

ええ、すごいですね。おいくつくらいの方ですか?

和田:もう定年退職されて……。

やっぱりそんなご年齢なんですね。じゃあ、またみなさんの課題が見つかりましたね。グループの中で、修理できる能力を持った奴を育てないと。

和田:うふふふ。たしかに。製造もしないといけないし。

吉田悠:そういう意味では、CDのリリースだったりとか産業的な流れに僕たちがコミットしているのは、オープン・リールの需要を活性化させていきたいなということでもあるんですよ。世間を巻き込んでいって、未来にこの機材を生き残らせるぞという。内輪の楽しみだけじゃなくて、外の世界に関係していかなきゃというところもあります。

ああ、なるほど。

吉田匡:僕たちを見て、捨てようと思っていたデッキを譲ってくださる方もけっこういらっしゃるんですよ。「可愛がってあげてください」って。そもそも、捨てられようとしているものでもあるんです。

うん。みなさんが消えたら消えてしまうかもしれない。だから残さないと。

和田:そうですよねえ……。……でもどうなんだろう。なんか、こう……。

そんな文化的社会的な貢献とかよりも、もっと、パーソナルで原初的な楽しみを大切にしたい?

和田:いや、そういうことじゃなくて、(オープン・リールの)最期を見届けるっていうのもやってみたかったり……(微笑)。

(一同爆笑)

(笑)フェティシズムの極みだな。

吉田匡:結成と同時に解散の要件も決めているんですよ、僕たちは。

和田:でも、僕らが死ぬ頃くらいじゃ、きっとまだぜんぜん残っていますから。そういう意味では、まぁ、まだ遊んでていいかなって思ってます。

狂ってるよ……。

吉田匡:だから、僕たちは「こういうお葬式をしてください」っていうことを遺していけばいいと思うんです。

(笑)

和田:でも、この、死が前提っていう感じもいいというか、制約の中で今しかできないとか、テクノロジーの宿命も感じさせるじゃないですか。

うん、なるほど。みなさんの場合、オープン・リールが一度終わったところからはじめていますしね。

和田:そうですね。僕らが結成する前年にテープの生産がほぼ終了しました(笑)。

そうそう。逆に、そのあたりから、フォーマットとしてカセットテープを選択するアーティストが増えましたね。ブームというか。

吉田悠:僕たちはいちおう、もともとのテープ世代ですよ。カセットテープからMDに、っていう時代を知っています。

そうか、テープはいちおう日常にあったんですね。……というか、どうしよう。ぜんぜんアルバムの話きけてないですよ。

吉田匡:こういう話のほうがいいかもしれないです。


たとえば「テープが泣く」って表現したりするんですよ、エンジニアの人とか。立ち上がりのときにちょっとピッチが歪むことを指すんですけどね。そういう音をデジタルの世界で細かく構築していくということには、興味があるんですよね。(和田永)

ははは。でも、いちおうアルバムの話に戻りますと、資料には「声」がコンセプトとして挙げられていますね。便宜的な説明ではあるかもしれないですが、もう少し音と声の話をきかせてもらえませんか?

和田:オープン・リール自体が、そもそも肉声を録るというところからはじまったものなんですよね。

吉田悠:録音の歴史の最初が、人間の声の録音ですから。僕たちも、史上最初の磁気録音と言われる、フランツ・ヨーゼフ一世の声を楽曲に使ったりしているんです。

前作ですよね。ちょっと不思議なのが、「音」ということにこだわるなら、それこそ波形を気にしながら、画面とにらめっこして整えていくみたいな道もあるじゃないですか。そういう意味でのこだわりは、あまりないんでしょうか?

吉田悠:僕たちが空間が歪んだように感じて楽しいと思うときの音を、波形レベルで調べてみようとしたことはないですけど、たとえば“NAGRA”とかは、テープでパーツをつくって、その音を多用して構築していますね。ちょっと質問からはずれるかもしれないですが。

和田:この“Telemoon(with Babi)”という曲は、オープン・リールで出したピョーンという音をコンピュータにどんどん蓄積していって、それを音楽編集ソフトで細かく刻んで、こと細かに配置してつくりましたね。
なんていうんだろう……シズル感というか、ちょっと、いじったことのある人にしか伝えづらい感覚があるんですけど……(笑)、たとえば「テープが泣く」って表現したりするんですよ、エンジニアの人とか。立ち上がりのときにちょっとピッチが歪むことを指すんですけどね。そういう音をデジタルの世界で細かく構築していくということには、興味があるんですよね。

それって、波形っていうようなレベルよりは、もうちょっと神秘的なものへの興味だと思うんですよね。

和田:そう……ですね。波形からつくるというよりはある音がオープン・リールによってぐにゃっと変化する瞬間に、不確定な、ゆらぎが生まれて。

吉田悠:それはある意味では波形をいじることにはなるかもしれない。

和田:やっぱり最初に耳に入ってくる感触に対して、何かもっとできないかなというのは、いつも思っていることですね。


僕たちはオープン・リールのヴィブラートのことも「ヴォーカル・コード」って呼んでいたんですね。テープが起こす音の震え。だから「人の声にフォーカスした」というのは、ほんとはちがうんです(笑)。(吉田悠)

なるほど。その、最初に出てくる音って、みなさんの場合、マウスで削ったり計算したりじゃなくって、手でテープを押したり止めたりして出てくる、何かすごく身体的なものじゃないですか。本当に楽器を演奏しているような。

和田:そうですね。でもそのへんはほんとに行き来している感じですよ。なんか、いちどコンピュータで構築した音を、崩したいなってなったときに、オープン・リールに通して戻す。コンポジションするときにもそういうフィードバックがあります。
 ただ、今回はそうやってつくったトラックにヴォーカルを乗せているので、そこはあんまりオープン・リールを通しているわけではないですね。

なるほど。なんか、「声がコンセプト」って情報を読んじゃうと、音声というレベルとは別に、なにか人間主義的なものを感じさせるニュアンスも感じてしまって。

吉田悠:ああー。『ヴォーカル・コード』っていうタイトルは、当初はちょっと意味がちがっていて、「コード」のスペルが「cord」──つまり「声帯」っていう意味だったんですよ。のどの震え。僕たちはオープン・リールのヴィブラートのことも「ヴォーカル・コード」って呼んでいたんですね。テープが起こす音の震え。だから「人の声にフォーカスした」というのは、ほんとはちがうんです(笑)。

吉田匡:“Tape Duck”って曲はアヒルの声でやってますしね。クリウィムバアニーのように(“ふるぼっこ with クリウィムバアニー”)、歌じゃなくて叫び声でやることもあるし。

吉田悠:気持ちの上では、ひとがのどを震わせることと、テープが音を震わせることを掛けているんですよね。

なるほど! 「裸足になって声を出す」とかね、生命とか人間を祝うというか、「初音ミクには表現できないもの」とかなんとか……そういう意味での「声」じゃないんですね。
 なんだろう、こんなにコンセプトが一貫しているというか欲望が一貫しているというか、そんなバンドも珍しいと思います。

和田:いろいろ言われると、次にやりたいことが出てきちゃうな。プロモーションしなきゃいけないのに(笑)。

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“空中特急”の隠されたテーマとは?
僕たちが押す「主電源」は発展のためのスイッチか、それとも滅亡のためのそれなのか──。
OREの「近代的」未来観を解体する!

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- いや、僕らは僕らの現実認識がありますよ。でも、そういう素朴な科学少年の夢みたいなものが、オープン・リールに宿ってるんです。(吉田匡)

これも訊きたいんですけど、OREにはレトロフューチャリスティックなヴィジョンがあるじゃないですか。昔の人が思い描いていた未来観みたいなもの──OREの世界とか音楽には、そういう「60年代かよ」的な明るい未来観を感じるんですよね。戦争は終わって、文明とか技術はさらに飛躍的に発展して、未来はどんどんよくなる、みたいな。それが不思議なんですよ。基本的に、同世代の人はもうちょっとシニカルじゃないですか? 右肩上がりの成長とかもうないでしょうし、みたいな。

和田:いや、まさにそういうテーマを隠した曲があるんですよ。

吉田悠:“空中特急”とかまさにいまおっしゃっていたような内容の曲なんです。

和田:希望と絶望を空中特急になぞらえて歌っている感じ。いや、ほんと、現実に対しては絶望してますよ。

(一同爆笑)

そうなんだ(笑)。

吉田匡:いや、僕らは僕らの現実認識がありますよ。でも、そういう素朴な科学少年の夢みたいなものが、オープン・リールに宿ってるんです。

……! ああ、なるほど、そういうことか! それはすごい。あれは「彼らの」夢なのか!

吉田匡:そうです。「彼らが」出している音なんです。

それを再生しているわけだ……。また媒体になって。

吉田悠:また伝道師なんですよ。

吉田匡:オープン・リールって、『スパイ大作戦』じゃないですけど、当時の科学力の象徴じゃないですか。その立ち居振る舞いはそのまま借りているんですけど、でも僕ら自身が未来に超希望を持っていたりするわけではないんです。

吉田悠:(明るい未来観に対して)それがいいとも言ってないですしね。そういう映画は観るけど(笑)。

たしかに、それがいいとは言っていない(笑)。

吉田匡:ただ、そういうヴィジョンをいやでも感じとってしまうほど、匂い立つものがあるんですよ、オープン・リールには。

和田:そういう音楽や世界観を楽器が引き出してくれる。

いや、ある意味いっしょなんですよ。未来に希望を抱いているということと、それの行きつく先が絶望であるというのは。(吉田悠)

科学が進歩すればより良い未来が来る、みたいなかつての明るい科学感と、確実にそうとも言えない現実と。(和田永)

うんうん。なんか、OREはつねに躁状態というか、ハレとケでいえばケがない感じがするんですよね。穏やかな曲も気持ちのいい曲もあるけれどチルアウトしないというか。つねに、前に前に向かってめちゃくちゃ回転しているものがある。

吉田悠:つくってる側が鬱だから出てくるのが躁なのかもしれない(笑)。

和田:でもオープン・リールが持っている生命力っていうは確実にあるんですよね。

吉田悠:どうしようもない事実として60年代という時代が存在して、その時代の未来観や、その時代のテクノロジーが象徴していたものがあるわけですよね。それを歴史として僕たちは共有しているわけだけど、全面に押し出して表現しているというわけではないですね。

なるほど。シンセ・ポップひとつとっても、ダークウェイヴだったり、ディストピックで暗いものっていうのはたくさんあるわけですよ。でもOREはその中の明るいものばっかり採ってきている感じがする、それはなんだろうって思ってたんです。

吉田悠:OREでディストピアはやりたいですよ。

和田:ディストピアなものは潜んでいますけどね。

その明るい未来観自体がディストピックなのかなあ(笑)。

吉田悠:いや、ある意味いっしょなんですよ。未来に希望を抱いているということと、それの行きつく先が絶望であるというのは。

和田:科学が進歩すればより良い未来が来る、みたいなかつての明るい科学感と、確実にそうとも言えない現実と。

なるほどね、結果が出たあとでみなさんはデッキを掘り出したんだから。

吉田悠:それが一体なのが現実というか、意外にそこに本質がある気もしますね。ネガティヴなものとポジティヴなもの。

和田:ふたつとも回ってるんですよ。互いに互いを生み出しながら、ぐるぐる。

回ってるのか……。

吉田悠:“空中特急”も、曲調的には希望的で、どんどん上に向かって推進していくような曲になっているんですね。で──

和田:でも、そのままさよならなんですよ。

はははは!

吉田悠:──このあと空中特急は墜落するしかないんです。それがわかっていても飛べるだけ飛ぶしかないってことなんですよ。もしこの曲のつづきがあるとしたら。

そう、この曲はたしかにそういう後日談をもっている。

和田:もっとそこが伝わりやすい歌詞にすればよかったかな。

いや、このほうがいい。象徴性があって。

和田:向かう先は闇。歌詞でいうと、「主電源」を点けることは、文明のスイッチを押す、みたいなことなんですよ。パンドラの箱を開けるというか。それに対する畏怖もあります。

なるほど。電源を入れるっていうのは、かつてはもちろんポジティヴなことだったはずなんですよ。スイッチをオンするってことは。

吉田悠:いまや「再稼働」させるための行為ですからね。

まさに。

和田:発展と滅亡、どちらのスイッチを押しているんだろうっていう。どっちも押しているのかも。


発展と滅亡、どちらのスイッチを押しているんだろうっていう。どっちも押しているのかも。

Open Reel Ensemble - 空中特急 short version (Official Video)

「特急」って飛行機とかじゃなくて電車にしか使わない言葉でしょう? かのトルストイの『アンナ・カレーニナ』って、まあ「進歩」を呪う話なんですけど、アンナは当時の「進歩」の象徴たる汽車に飛び込んで死ぬんですね。だから何か、特急とか汽車っていうとすごく呪われた近代の感じがある。──あと「主電源」って、ドイツ語に聞こえる。

和田:もちろん、それで作詞しましたね。シュデンゲン、シュデンゲン(笑)。

吉田匡:めっちゃドイツ語っぽく歌ってみてって、やってて。

編集長の野田努が……言っていいのかな、このあいだ「自転車は未来の乗り物だ」って言ってたんですよ。「テクノの最終形態だ」的に。なにげなく。

吉田悠:回転だ……。

たしかに、合理的で効率的で、しかもエコで、かつ美しい。たしか、起源はドイツらしいんですね。クラフトワークの『ツール・ド・フランス』のイメージもありますが。これもまたテクノ観だなって。

和田:テクノロジーと人間っていうのはOREのひとつのテーマかもしれないですね。

吉田悠:ロスト・テクノロジーという感覚もありますよね。人類がかつて一度失ったものに、もう一回チャレンジしているだけかもしれないという。

SFですね、ドキドキする。しかし自転車が未来で汽車が過去だとして、つくづく文明は車輪で回りますね。さっき「回転だ」っておっしゃったけど、オープン・リールしかり。

和田:いや、もう。

“空中特急”っていちばんくらいに好きなので、こんなに掘れる曲だったというのはうれしいです。名曲ですね。

和田:嬉しいですね。オープン・リールを触っていると、高度経済成長期の素朴な憧れと、今の現実を行ったり来たりする感じがして、その中から生まれた曲ですね。

オープン・リール(録音機)がモダンのひとつの象徴だとすれば、ニコ動なりがポストモダンにすごくおもしろい音楽のかたちを示しているいま、OREはわざわざモダンにフォーカスしていって、かつそれとは関係ないヘンなものを揺さぶり起こしている──

和田:モダンを再生しながら読み変えていくような。

──っていうのは、なんなんだろうって(笑)。ライヴを観たときから消えないですね、その感じが。

経済性とか効率性とかと別のところでオープン・リールを回してあげたい。(和田永)

さて、もうひとつ突っ込んでどうしてもおうかがいしたくて、変な意味はないので個人的な興味として聞いていただければと思うのですが──「モダン」って、まだ父権的なものに導かれる時代じゃないですか。前作の音源にも使用されているソニーの井深大さんとか、音効の大野松雄さんとかは、技術が国や未来を引っぱっていく時代の人だと思うんですね。その意味で彼らは父。で、フランツ・ヨーゼフ一世のエピソードにも顕著なように、技術と権力は結びつく。となると、けっしてみなさんをマッチョだと言うわけじゃないんですが、父権的なものへの漠然とした憧れってあるんじゃないかなと。

和田:うーん、権力は大嫌いですけど、言われれば漠然と父なるものへの憧れはあるかもしれないですね。ただ、さっきの話と同じで、それに対する揺らぎ、疑問はあるというか。近代的な当たり前っていう感覚は、ほとんど人為的につくり出されたものだから、そこに対してはつねに批評的な目線が必要だなって。経済性とか効率性とかと別のところでオープン・リールを回してあげたい。

ええ、なるほど。みなさんジェントルというか、むしろ草食とかフェミニンとさえ言えるような、ほんと柔軟で配慮のある方々だと思うので、誤解されたくはないんですけれども。……でも、この“Tape Duck”とかも、こんなグリークラブみたいにやらなくてもいいわけじゃないですか(笑)。

和田:男の子的な「好きなもの」っていうのはあると思いますけどね(笑)。指摘されて「そうかも」っていう程度で、意識的なものではないですね。

吉田匡:父権的な、ってなると、個人レベルの興味になるかもしれないです。僕ら兄弟はとくにないかな……。

吉田悠:これはとても繊細なニュアンスの話なので、言うのを躊躇してしまいますが、ナチスって……もちろん、まったく認められるべきでない非道であることは間違いないですけれど、あのデザインであったり意匠であったりを、どこか「かっこいい」とする視点もずっと存在してきたわけじゃないですか。

ええ、そうですね。

和田:ドイツにはそもそも、日用品なんかのレベルでも、ものすごいデザイン性があったわけじゃないですか。そういうものが、いい方向と悪い方向のどっちにも出ると思うんですが、その極端な例というか。方向がちがえば、ドイツにはバウハウスもあればクラフトワークもいるわけで。

そうですね。効率性のデザインというか。擁護ではなったくないですが、ナチスだって、おそらく非道さのみで歴史に刻まれているわけではない。


何か新しい領域に踏み出すような技術が発見されるときに、最初にあるのは、戦争に勝ちたいというような目的意識ではなくて、それを発見しようとした人たちの初期衝動だと思うんです。(吉田悠)

和田:言葉を選びますけれど、井深大さんとかが生みだしてきた技術には、もちろん権力的なものが絡んできたりはしますけど、でも、根本的に魅力を感じるのはその初期衝動なんですよ。井深さんがレープレコーダーを日本で初めてつくった、その初期衝動にはある種の探究心が強くあって、それはオープン・リールという楽器にも通じる。

吉田悠:戦争があったからテクノロジーが進んだという言われ方もありますよね。まったく戦争を支持しませんが。でも、何か新しい領域に踏み出すような技術が発見されるときに、最初にあるのは、戦争に勝ちたいというような目的意識ではなくて、それを発見しようとした人たちの初期衝動だと思うんです。それが権力によって利用されてしまうというだけで。

和田:原爆に関わった「E=mc2」だって、人の命を奪うために追求されたわけじゃなくて、宇宙の秘密を紐解こうとしたものですからね。

オープン・リールが再生する記憶には、そういう夢と影とが同時に宿っているわけですね。

和田:もはや壮大すぎてオープン・リールを越えすぎていますが(笑)僕らはオープン・リールを通して、楽園の側から現代を眺めてみるような。


日本だと、ものづくりにしろ、個人がいろんなものをつくれるようになっている技術とか、そういうものに希望を感じることもあるし、ある瞬間にはなんでこんなに頑張ってディストピアつくっているんだろうって絶望を感じることもあるし。(和田永)

ええ、なるほど。どっちが楽園かという議論も複雑で、回転するものかもしれない。いま現在において、夢を見る余地って、それほどヴァリエlーションがないかなって思うんですけど、OREは夢を見るための資材をオリジナルなやり方で掘り出してきてますね。

和田:そうかもしれませんね……。でも、いやいや、さっき「絶望してる」って言いましたけど、もちろん希望を感じる瞬間もある訳で。

都度、未来が書き換えられている(笑)。

和田:日本だと、ものづくりにしろ、個人がいろんなものをつくれるようになっている技術とか、そういうものに希望を感じることもあるし、ある瞬間にはなんでこんなに頑張ってディストピアつくっているんだろうって絶望を感じることもあるし。いい未来がくるかもしれないとも、いや、このままどん詰まりだとも、どっちも思いますね。諦めも奮起も絶望も希望も、個人のレベルでも国のレベルでもあります。

ええ。回るっていうのがね……生命とか宇宙とかのレベルでもそうだし、輪廻的な理もそうかもしれないし、もっとちいさな、近代とか現代という枠組みの中にも回転があるんだろうし。あまりにもリールとか回転ということの持つ哲学的な深度が深いものだから──

和田:ありますよね(笑)。ほんとに。

吉田匡:何でも回転って言っちゃう。

たとえば、ゼロって概念を表す記号がマルだっていうのも、ねえ(笑)。

吉田悠:無限とゼロがつながりますよね。

あはは、そうそう。きっとそういうものを最初からコンセプチュアルに見出したわけじゃないでしょうけど、オープン・リールを触っておもしろいなっていう感覚の中から、その「円」とか「回転」っていうコンセプトを拾い上げていったのは興味深いです。

吉田匡:後から発見したことも多いんですよ。僕らが思っていた以上のことばっかりで、いろんなものに接点があって。でも回転というモチーフに興味を持ってもらいたいという思いは一貫してありますね。

やっぱり……OREはオリンピックに何かしなきゃいけないですね。あれこそ近代の象徴にして棺桶っていうか(笑)。

和田:なるほどねー(笑)。僕らが──

吉田匡:代理をやる。

だって、シンボルマークだって、円がいくつ重なってんだよっていう。

吉田悠:五大陸の連帯だって言ってるけど……ほんと、近代の光と闇ですね。

ポストモダンにおいて、しかも東京で、なぜモダンの再現にわずらわされねばならないのか……。でも、今日のお話だと、OREは近代というものをその両側から見る目を持っていて、若くて、アイディアと衝動に溢れている。これはみなさんがなんとかしないと。5年後だから、ちょうどいろいろ脂が乗ってるころじゃないですか?

吉田悠:5年後にその目標設定しなきゃ(笑)。

和田:毒を隠し持ちつつやりたいですね。

吉田匡:解釈次第では真逆になってしまうようなことをやる。

それをやってくれるんだったら、私はオリンピックを楽しみにしますよ。

(一同笑)

和田:課題がたくさんあるなあ。CDの宣伝してる場合じゃない(笑)。近代の光と闇。

そんなこと大上段で言ってるやついないよ(笑)。

吉田悠:そういうことに思いを馳せるきっかけはありますけどね。アナログテレビが終わっちゃったとか。そんなときにはっと気づくんです。別の世界線の存在に……。

ああ、なるほど。そしてそれがもっとも祝祭的に表現されるのが──

和田:それがやっぱりライヴですね。儀式的なものを通して何かを感じて、気づいてもらう。でもそこに音楽があるというか、そこで音楽を生みだしているというのは、なにか大きいことだと思うな。やっぱりすごく音楽の力を感じる瞬間ですね。

White Hex - ele-king

 かつてスラッグ・ガッツ(Slug Guts)というバースデイ・パーティーをグランジにしたようなどうしようもないオーストラリアの田舎モンのバンドが、何を思ったのか誰も呼んでないのにジャパン・ツアーを敢行、なぜか僕がツアー・マネージャーにかりだされ、真夏にクーラーが壊れたハイエースの中、大所帯バンドと途中でナンパしたお姉ちゃんをギュウギュウに詰め込んだ極限状態で全国を巡礼したことがある。もちろん誰が呼んだわけでもないのでほとんどのブッキングがスベっていたわけで、全員の肉体疲労は限界をこし超え、精神状態はヤケクソのメガ・ハイな状態で混沌を極めていた。
 当時、自分たちの新たなレコードのリリース先を探していた彼らを僕は完全にバカにしながら、お前らみたいなアホバンドでも〈サクレッド・ボーンズ〉とかからリリースしたらヒップスターになれるんだろうな、と吐き捨てた。

 翌年、オースティンにいた僕は本当に〈サクレッド・ボーンズ〉からリリースした彼らとSXSWで再会する羽目となり、オーストラリアからの助成金を酒とドラッグに注ぎ込んで豪遊する彼らをいっしょになって鼻下を真っ白にしながら祝福した。彼らの自暴自棄なハシャギっぷりはまさしくふるき良きロックンロールの夢そのものであったといえる。

 そして例外なくそんなものは長つづきはしない。誰かが死ぬより先にバンドが解散するのが幸いである。スラッグ・ガッツは木っ端微塵に砕け散った。

 ギターのジミーが数年前から彼女とともに開始したゴシック・シンセ・ポップ・デュオ、ホワイト・ヘックス(White Hex)が某レコ屋でフィーチャーされているのを見つけてそんな思い出が脳裏を過った。近年、オーストラリアのアンダー・グラウンド・パンク史を綴った著書、『ノイズ・イン・マイ・ヘッド(NOISE IN MY HEAD)』が出版され、そのイモ臭いオージー・パンク美意識を世の中に知らしめたジミーのヒロイックな世界観がこのポップ・アルバムには詰まっている。この絶妙にキモチ悪いトロピカルな感じもいまっぽいな!

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