「巡礼」と一致するもの

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つまり識は「テクノ」にへと 文:三田 格

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 「踊れるサムラ・ママス・マンナ」。それがバトルズの正体だろう。SMMは70年代にスウェーデンで結成されたプログレッシヴ・ロックの4人組で、例によって解散→再結成を経てゼロ年代からはドラムスにルインズの吉田達也が参加している。悲しいかなバトルズは超絶技巧だけでなく、ユーモアのセンスまでSMMを模倣していて、オリジナルといえる部分はレイヴ・カルチャーからのフィードバックと音質ぐらいしか見当たらない。疑う方はとりあえずユーチューブをどうぞ→
http://www.youtube.com/watch?v=yqSmqh-LdIkhttp://www.youtube.com/watch?v=ZYf7qO9_MV8http://www.youtube.com/watch?v=jkWL1lOi1Hg、etc...

 ......といったことを割り引いても、昨年の『グロス・ドロップ』はとても楽しいアルバムだった。バーズやP-ファンクにレイヴ・カルチャーを掛け合わせたらプライマル・スクリームで弾けまくったように、SMMにレイヴ・カルチャーを掛け合わせてみたら、思ったよりも高いポテンシャルが引き出された。そういうことではないだろうか。おそらくはまだロックにもそうした金鉱は眠っているはずである。テクノやハウスだって、どう考えてもそれ自体では頭打ちである。何かを吸収する必要には迫られている。アシッド・ハウス前夜にもどれだけのレア・グルーヴが掘り返されたことか。そう、アレッサンドロ・アレッサンドローニやブルーノ・メンニーなんて、もはや誰も覚えちゃいねえ(つーか、チン↑ポムなんてザ・KLFのことも知らなかったし......)。ためしに誰かブルース・スプリングスティーンにレイヴ・カルチャーを掛け合わせてみたらどうだろう......なんて。

 本題はそのリミックス・アルバム。人選がまずはあまりにも渋い。しかも、様々なジャンルから12人が寄ってたかってリミックスしまくっているにもかかわらず、おそろしいほど全体に統一感がある。シャバズ・パレス(元ディゲブル・プラネッツ)の次にコード9だし、Qのクラスターからギャング・ギャング・ダンスなどという展開もある。しかも、そこから続くのがハドスン・モーホークとは。全員がバトルズに屈したのでなければ、セルフ・プロデュースの能力が異常に高いとしか思えない。

 オープニングからいきなりブラジルのガイ・ボラットーが情緒過多のミニマル・テクノ。マカロニ・ウエスターンに聴こえてしまうギターがその原因だろう。ミニマルの文脈を引き継いだシューゲイザー・テクノのザ・フィールドは、一転してヒプノティックなテック-ハウス仕上げ。続いてドラマ性に揺り戻すようにしてヒップホップを2連発。このところ壊疽=ギャングルネとしての活動が目立っていたアルケミスツはソロで90年代末に流行ったダンス・ノイズ・テラー風かと思えば、昨年、一気にダブ・ホップのホープに躍り出たシャバズ・パラスは彼の作風に染め上げただけで最もいい仕事をしたといえる。ダブステップからUKガラージに乗り換えつつあるコード9はそれをまたコミカルに軌道修正し、2年前に"エル・マー"のヒットを飛ばしたサイレント・サーヴァントやラスター・ノートンからカンディング・レイはそれぞれのスタイルでダブ・テクノに変換と、いささかテクノの比重が高すぎる気も。これは自分たちにできないことをオファーしているのか、それとも自分たちが次にやりたいことを先行させているのか。いずれにしろ、その結果はユーモアの低下とリズムの単調さを招き、チルアウト傾向ないしはリスニング志向を強めることになった(クラスターの起用はまさにその象徴?)。

 後半で最大の聴きどころは、珍しく同業のパット・マホーニーを起用した"マイ・マシーン"で、シンプルなリズム・ボックスに絡むゲイリー・ニューマンのヴォーカルは最盛期の気持ち悪さを思わさせるインパクト。ジャーマン・トランスにありがちなリズム・パターンなのに、ロック・ミュージックとして聴かせてしまう手腕はかなりのもので、思わず、ほかにはどんなリミックスを手掛けているのだろうと調べてみたら、まったくデータが見つからなかった(これが初仕事?)。エンディングはヤマタカ・アイで、トライバルとモンドの乱れ打ちはこの人ならでは。ダイナミズムよりもリスニング性を優先したことで最後に置くしかなかったのかもしれないけれど、それはちょっと消極的な判断で、僕ならギャング・ギャング・ダンスとハドスン・モーホークのあいだに置いただろう(バトルズの意識が「テクノ」に向かっている証拠ではないか)。

文:三田 格

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そして『グロス・ドロップ』の完全なる分解 文:松村正人

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 アンダーグラウンドのスーパーバンドから『ミラード』で転身したバトルズはタイヨンダイ・ブラクストンは抜けたが、『グロス・ドロップ』で前作をさらに発展させ、そこでは初期のハードコアを構築し直した鋭利な、しかし同時に鈍器のようだったマス・ロックの風情は退き、かわりにポップな人なつこい音が顔を出した。強面だった数年間からは考えられない柔和な表情をしていたが、いまのパブリック・イメージはむしろこっちである。それまでのいくらかすすけたモノトーンはツヤめいた内蔵の色に塗りこめられた。ジャケットがそれを暗示する。有機的であり抽象的であり生理的でもある。私は以前にレヴューを書いてから聴いていなかった『グロス・ドロップ』を、『ドロス・グロップ』を書くために、しばらくぶりに苦労してひっぱりだして聴いたが、おもしろかった。たしかここに書いたレヴューは最初おもしろくないと思ったと書いたと思ったが、聴き直したらやはりおもしろくないことはなかった。私は『ドロス・グロップ』を先に聴いて、原曲をたしかめるために聴いたからかちがいがおもしろさを後押ししたが、オリジナルとリミックスの幸福な相乗効果がうまれたのは、前者が音で語ることに腐心したアルバムであったことに多くを負っている。そこには内面は投影されていない。語るのはあくまで音楽であり、バトルズの連中ではない。それに任せる。タイヨンダイというアイコニックな人材を欠いた逆境がある種のスプリングボードとなり、バンドを、音楽の生成を何よりも彼ら自身がたのしんでいる(たのしまざるを得ない)、陽性の作品性へ追いこんだのだと穿つこともできなくはないが、この結果はいってみれば、往時のダンスカルチャーの匿名性を思わせるものであり、その意味で、リミックスという行為との親和性はいうまでもなかった。
 
 アルバムは先行した4枚の12インチを若い順に並べた。テクノ~ヒップホップ~(ポスト)ダブステップ~ミニマル~ワールド~ディスコパンクなど、ゼロ年代以降のダンスミュージックを巡礼する構成で、総花的なつくりでもあるが、散漫な印象を与えないのは、カテゴリーの遍歴そのものが音楽を前のめりにさせるからだろう。サンパウロのギ・ボラットとストックホルムのザ・フィールド、〈コンパクト〉勢のループは『ミラード』までのバトルズの交響的な――つまり縦軸の――ループを横倒しにしたように、渦を巻き滞留するようでありながら、前方へジワジワと音楽を煽り、ヒップホップ/ブレイクビーツ~2ステップ/UKファンキーのブロックへバトンタッチすることでアルバムのタイムラインは最初の山と谷(もちろん逆でもいい)を経過する。山はすくなくともあとふたつはあるようである。3つかな?と思うひともいるであろう。それはどっちでもいいが、この高低差は現行のダンスカルチャーの地形図であり、すくなくともリミキサーたちは所属するジャンルに奉仕する職人的な仕事に徹することで、楽曲を解体するだけでなく、原曲とリミックスとの間の、あるいはトラックごとの偏差が彼らの特質をあぶりだしもする。なんであれ解釈が生じる場合、ズレがうまれる。その隙間を広げるか埋めるかが、音を仲立ちにした対話では焦眉の問題になるが、原曲はどうあがいても完全な姿で回帰しない。このあたりまえのところにうまみがある。
 私は先に職人的な仕事と書いたが、解釈はいずれも大胆である。とくにクラスター、ブライアン・デグロウ(ギャング・ギャング・ダンス)、ハドソン・モホークのブロックは原作を再定義したというか、たとえばデグロウのリミックスは原曲のリフの音色が喚起するリズムのつっかかりをビートに置き直し『グロス・ドロップ』でいちばんポップでカラフルだった"Ice Cream"をデジタル・クンビア的な疑似アーシーな場所にひきつけることで、スラップスティックかつフェイク・トロピカリアとでも呼ぶべき原作のムードを二重に畳みこんでいく。ハドソン・モホークの着眼点もたぶん同じで、クラスターの作家性とはちがう――しかしそれはこのアルバムのアクセントでもある――が、デグロウ=モホークの視点はバトルズのそれとも同期し、元ネタの笑いをトレースし、さらに展開する、難儀な作業を的確にやっている。もっともそのユーモアはモテンィ・パイソンがミンストレル・ショーを実演するような、ねじれた、くすぶった笑いではなく、現代的な抑制が利いたものなのだが、であるからこそ、LCDサウンドシステムのドラマー、パット・マホーニーのディスコ・パンク調の"My Machine"という最後の山だか谷だかのあとのヤマンタカ・アイの、原作にひきつづきシンガリをつとめた"Sundome"で『グロス・ドロップ』は完全に分解したように思える。そして私は聴き終えたあと、ヘア・スタイリスティックスが聴きたくなった。

文:松村正人

 これはマジ、すごい!!!
 かつてその音楽は怨歌と形容され、70年代の日本のアンダーグラウンドの脅威のひとつだった歌手、いまや欧州では裸のラリーズなみに評価の高い、JAP ROCKの巨匠、三上博と土生剛と二羽高次とのコラボレーションである!!

 『新世界』1周年記念スペシャルLIVEにて、弾き語りの巨人(ジャイアント)と呼ぶに相応しいリビングレジェンドが、西麻布「新世界」に遂に初登場!
現代詩が持つ調和無きジオメタリックを、シュールリアリズムとも称される東北の土着性で溶解し三上流の演歌=怨歌にまで昇華した巨人、三上寛。90年代を境に、演奏はエレキ・ギターとなり、歌はエモーション溢れる寛流のブルーズ/浄瑠璃に。詩はモノリスのような言葉へと変換。世紀をまたぎ、現在、その評価は国内に止まらず、欧州、中米、アジアにまで拡大飛び火中である。

 巨人に挑むは、リトル・テンポのバンマス、土生"TICO"剛(ときたけし)とブレスマーク=二羽高次(ふたばこうじ)から成る異色デュオ「たけしこうじ」。各々のルーティーンバンドの音楽性とは一線を画す、ディープな歌世界を探求。"巡礼"と称す神出鬼没な辺境ライブ活動で、波止場、田んぼ、盛り場、はたまた鎮守の森にまで!

三上 寛 (みかみ かん) プロフィール

 1950(昭和25)年青森県小泊村(現中泊町)出身。警察学校中退後、上京し、音楽活動を始める。71年、(21歳の時) レコードデビュー、アルバム『三上寛の世界』をリリース。同年の中津川フォーク・ジャンボリーで伝説的なライヴ・パフォーマンスを行い一躍脚光を浴びる。翌年、藤圭子のヒット曲『夢は夜ひらく』を三上寛流の演歌=怨歌に昇華。74年、山下洋輔トリオのメンバーやカットアップの手法なども取り入れた『BANG!』をリリース、78年には、"70'S三上寛スタイル"の完成をみた『負ける時もあるだろう』をリリース。それまでの活動に対して、本人は「これまでにオレの作詞方法は、現代詩から学んだ技術の延長上にあった。そこで言葉はデザイン化され、オレの『声質』がそれを細かく選択していく、とういう風に作られていったように思う。」と著書で語っている。

 79年には、処女詩集『お父さんが見た海』を発表。又、俳優としても活躍。寺山修司監督の『田園に死す』(1974年)を皮切りに、『新仁義なき戦い組長の首』(1975年/監督:深作欣二)、『戦場のメリークリスマス』(1983年/監督:大島渚)、『トパーズ』(1992年/監督:村上龍)、日活ロマンポルノ作品など20本近い映画やTVドラマに出演、映画音楽も手懸ける。ちなみに映画出演で親交を深めたピラニア軍団のアルバムもプロデュースしている。80年代は、2枚のアルバムをリリースするが、新曲のリリースは無く、82年を最後に8年もの間、レコーディング活動から遠ざかる事になる。この時期は、TVのレポーター、司会、コメンティーターとして繁栄に出演、役者として活動、エッセイの連載などで、新たなる才能が知れ渡るようになる。

 90年代に入り<PSF Records>から怒濤のリリース・ラッシュが開始される。自己のアルバムを毎年1枚ずつのペースでリリース。吉沢元治/灰野敬とのコラボレーション、石塚俊明/灰野敬二とのバンド「バサラ」でのリリースなど、80年代から一転して90年代は歌手・三上寛の改たな幕開けとなった。これまでの演奏、曲作り、歌い方とは違うスタイル~演奏はエレキ・ギターとなり、歌はエモーション溢れる寛流ブルーズに。詩はモノリスのような言葉が立ちはだかった。2000年には、音楽活動30周年記念の13枚組『三上寛ボックス』を発表、自伝の書籍『三上寛怨歌に生きる』も刊行する。

 2000年代も、その活動ペースは更なる加速が加わる。自己のアルバムの定期的なリリース。古沢良治郎/明田川之/林栄一/國中勝男/小山彰太/ JOJO広重/山本精一/辛恵英/佐藤通弘/沢田としき、とのコラボレーション。浦邊雅祥/石塚俊明とのバンド「三社」、そして「バサラ」のリリース。又2004年にはフランスのレーベルからもアルバムがリリースされ、海外でのライブ活動も繁栄化して行く~ 〇2004年/フランスツアー【パリ、ブレスト、ナント、リヨン、ジュネーブ、マルセイユ、メッツ】、〇2005年/イギリス【グラスゴー】、〇2006年/イギリス【ニューキャッスル】、〇2007年/ヨーロッパツアー【ブルックセル、リヨン、ジュネーブ、メッツ、ブレスト、パリ、マルセイユ】、〇2008年/ベルリン/ポーランド、/ イギリス【ロンドン】、/ヨーロッパツアー【パリ、リール、ナント、リヨン、ジュネーブ、オランダ、ベルギー、イギリス】、〇2009年/フランス【ニーム】、/イギリス【ロンドン】、〇2010年/キム・ドウス招聘~韓国【ソウル、テグ】、〇2011年/メキシコ、等。昨年、還暦を迎えるも、その音楽は止まる事を知らず、近年は寛流の浄瑠璃<語りもの音楽>といった方が判りやすい唯一無比なスタイルへと辿り着ている。別格な、声、言葉、ギターを三位一体に、前人未踏の荒野に足を踏み込んでいる、今の三上寛のブッ飛び方、半端ないっス!!

☆「新世界」HPにて、三上寛の最新インタヴューがUPされています、
滅茶苦茶面白いので、是非御覧下さい!
http://shinsekai9.jp/yorimichi/2011/10/03/mikami-interview/

たけしこうじ プロフィール

 波止場、田んぼ、盛り場、はたまた鎮守の森にまで!?
現在地、推定不能の巡礼活動。究極の唄ものを探求する、Little Tempoのバンマス土生"TICO"剛(ときたけし)とBREATH MARK=二羽高次(ふたばこうじ)の異色デュオ「たけしこうじ」。日本発、最高峰のレゲエ・インスト・バンド"LITTLE TEMPO"のバンマス、土生"TICO"剛と、ワン&オンリーな声と歌唱を持つシンガーソングライター"BREATH MARK"=二羽高次の夢のコラボレーション!
ルーティーンバンドのコンテンポラリー性とは一線を画す、そのディープな歌世界を引っさげ全国絶賛ドサまわり巡礼中!
愛に溢れる繊細な音色のスティール・パン!魂を鷲掴みにされる、圧倒的な唄声!フォークより無骨で、島唄のような懐かしさがタイムレスな感覚を誘う。日本人の心(ゲノム)を思い出させる、魂の唄の数々 (感動、泣けマス)
http://www.littletempo.com/
http://myspace.com/breathmarkofficial

●イベントタイトル:
『新世界』1周年記念スペシャルLIVE!
最高峰の"弾き語り・歌もの"クラッシュ!!

●出演
三上寛:Vocal & Guitar
VS
たけしこうじ
 土生"TICO"剛(リトルテンポ):Steel pan
 二羽高次(BREATH MARK):Vocal & Guitar

●公演日:
11月2日(水・祝日前)
開場:19:00 / 開演:20:00 / ☆限定100人

●会場:
西麻布「新世界」

●料金:
前売予約:¥2,800 (ドリンク別)
当日券: ¥3,300 (ドリンク別)

●インフォ・チケット予約・お問い合わせ先
西麻布「新世界 」 
http://shinsekai9.jp/
http://shinsekai9.jp/2011/11/02/mikami1/
TEL: 03-5772-6767 (15:00~19:00)
東京都港区西麻布1-8-4 三保谷硝子 B1F

interview with The Raincoats - ele-king

 緊張していた。アリ・アップやマーク・スチュワートのときはビールがあったから良かったのだ。取材時間も1時間以上押していた。待つことは苦ではないが、こういう場合は時間の使い方に困惑する。カメラマンの小原泰広くんがサッカー好きで助かった。われわれは六本木のスターバックスでおよそ1時間に渡って今回のワールドカップについて論評し合った。

 「僕はいま46歳ですけど......」、正直に打ち明けることにした。「1979年、15歳のときに地元の輸入盤店でザ・レインコーツのデビュー・アルバムを知って、そして買いました。それは僕にとってもっとも重要な1枚となりました」

 音楽ごときに人生を変えられるなんて......と昔誰かがあざけりのなかで書いていた。ところが僕の場合は、音楽ごときに人生を変えられたと認めざる得ない。もし自分が中学生のときパンクを知らずに、そして高校生になってザ・スリッツやザ・ポップ・グループやPiLや......エトセトラエトセトラ......あの時代のポスト・パンクを知らずに過ごしていたら、まったく違った人生を送っていただろう。
 そしてあの時代のすべての音楽が説いてくれた"現在"に夢中になることの大切さと"未来"に向かうことの重要性をいまでも忘れないように心がけている。よって......ザ・レインコーツのライヴの2日前のS.L.A.C.K.、Rockasen、C.I.A.ZOO、その前日の七尾旅人、iLL、トーク・ノーマルといった"現在性"の並びで30年前に死ぬほど好きだったバンドのライヴを観るというは、残酷な郷愁と純真な愛情が入り混じった、なんとも複雑な思いに支配されることでもあった。僕は......聖地を目指す巡礼者のように、余計なものを入れずにその日を迎えるべきだったのだ。そうすればもっとたくさんの違った言葉が溢れ出たかもしれない。

 が......、そんな不埒な思いを巡らせながらも、なんだかんだとこうしてぬけぬけと彼女たちに会いに来てしまった。煮え切らない46歳のオヤジとして。
 アナ・ダ・シルヴァとジーナ・バーチのふたりは、その日8時間も取材をこなしているというのに、ステージと同じように、おそろしく元気だった。


向かって右にジーナ・バーチ、左にアナ・ダ・シルヴァ。ソロ・アルバム、楽しみっす。
(photo by Yasuhiro Ohara)

奇妙な発音の外国人やアウトサイダーが多かったのよ。なぜなら私は当時スクウォッターだったから。パンクのコミュニティのなかで暮らしていたの。空き家に住んでいた。都市のアウトサイダーたちの溜まり場よね。

ライヴで"歌っていて楽しい曲"と"演奏していて楽しい曲"をそれぞれ教えてください。

アナ:歌っていて楽しいのは"シャウティング・アウト・ラウド"ね。演奏して楽しいのは......ないかも、失敗ばかりするから(笑)。

ジーナ:私は"シャウティング・アウト・ラウド"が演奏するのが楽しいわよ。まるで空中を滑るようなベースラインが好きだし、演奏しているあいだに異なった雰囲気が出てくるんだけど、それをフォローしていくのが楽しい。

アナ:私は演奏して楽しかったのは"ノー・ワンズ・リトル・ガール"かな。私はギターを引っ掻いたりしてノイズを出すのが好きだから。

ジーナ:歌うのが楽しいのは"ノー・サイド・トゥ・フォール・イン"よね。コーラス・パートがあるでしょ、あのみんなで「わー!」って声を出すのがいいのよ。ひとりで歌うなら"ノー・ルッキング"。ファースト・アルバムの最後に入っている曲よ。

今日はたくさんの取材を受けて、さんざん昔の話をしたと思うのですが。

アナ&ジーナ:ハハハハ。

1979年。ザ・レインコーツのデビュー・アルバムがリリースされた年、あなたがたはまず何を思い出しますか? 

アナ:1979年の4月にシングルが出て、で、たしか11月よね、アルバムが出たのは。「わお!」って感じだった。あるとき〈ラフ・トレード〉に務めていたシャーリー(後のマネージャー)が言ってきたの。「あなたたちのシングルを出すわよ」って。そのとき「あー、私たちはバンドで、シングルを出すんだ」と実感した。そしてツアーに出て、〈ラフ・トレード〉からアルバムを出した。それは素晴らしい感動だったわ。

ジーナ:私はノッティンガムからロンドンにやって来たばかりだった。で、パルモリヴがスペインから来た子だったでしょ。彼女の英語の発音がおかしくてね、たとえばフライングVの「V」を発音できずに、「B」と発音するのよ。当時私は音楽のこと何も知らなかったから、その楽器の名前をフライングBだと思っていたのよ。シングルが出たとき、初回プレスがクリア・ヴァイナルだったから、私たちが「ヴァイナルが出たわね」とか言ってると、パルモリヴがそれを「ヴァニール」って発音するのよ(笑)。「ヴァニラじゃないのよ」って(笑)。

アナ:ハハハハ。

ジーナ:そう(笑)。私はイングランドに住んでいるはずなのに、私のまわりにはそんな人ばっかだったの。奇妙な発音の外国人やアウトサイダーが多かったのよ。なぜなら私は当時スクウォッターだったから。パンクのコミュニティのなかで暮らしていたの。空き家に住んでいた。都市のアウトサイダーたちの溜まり場よね。

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決してエリート主義にはならなかったわ。でも、とてもインテリジェンスがあったし、そうね、ジョン・ライドンには会ったことがあるんだけど、他人に気配りができて、率直にモノが言えて、すごく誠実な人だと思ったわ。

ザ・レインコーツのまわりにはディス・ヒートやレッド・クレイヨラのようなバンドがいましたが、あなたがたからみて当時のバンドやアーティストで他に重要だと思えるのは誰でしょうか?

アナ:まず思い出すのは、ペル・ウブよね。それからディス・ヒートもすごかった。ライヴが素晴らしかったのよ。普通のバンドはドラムのカウントからはじまるでしょ。ディス・ヒートはそんなことなしに、いきなり「ガーン」とはじまるのよね。

ジーナ:ヤング・マーブル・ジャイアンツは偉大だったし......。

あの当時はPiLの『メタル・ボックス』やザ・スリッツの『カット』やザ・ポップ・グループの『Y』や......。

ジーナ:ザ・ポップ・グループ! そう、それものすごく重要! 私がいま言おうとしたのよ。私はザ・ポップ・グループの最後のライヴを観ているのよ。もうそのライヴでバンドからマーク・スチュワートが抜けるっていうことがわかっていて、私はマーク・スチュワートのところまで駆けていったわ。「どうかお願い、ポップ・グループを辞めないで。ポップ・グループはやめてはいけないバンドなのよ!」って叫んだわ(笑)。

ハハハハ。ちょうど1979年、最初に話したように、僕は地方都市に住んでいる15歳でした。近所の輸入盤店に、ザ・スリッツ、ザ・ポップ・グループらとともにザ・レインコーツのファーストのジャケットが壁に並びました。当時は、円がまだ安かったのでイギリス盤はとても高くて、2800円しました。それでも1年かけて、僕はその3枚を揃えました。1979年には他にも素晴らしい音楽がたくさん発表されました。他によく覚えているのはPiLの『メタル・ボックス』でした。イギリスだけではなく、日本からもいくつもの興味深いバンドが登場しました。で......。

アナ:あなたのその話、私知ってるわよ。あなた私のMy spaceにメール送ったでしょ?

僕じゃないです(笑)。

アナ:いまのあなたの話と同じ話だったのよね。

なんか......パンクという火山があって、その火山が爆発したら、いっきに空からたくさんの素晴らしい音楽が落ちてきた、そんな感じでした。

アナ:私もまったくそう感じたわ。セックス・ピストルズやザ・クラッシュの最大の功績はそこよね。「自分たちでやれ」と言ったことよ。バズコックスのようなバンドだってセックス・ピストルズを観てはじまった。あらゆるバンドがそうだった。私はアメリカのバンドも好きだったわ。パティ・スミス、テレヴィジョン、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ、トーキング・ヘッズ......彼らは音楽的に興味深かった。彼らはイギリスのバンドに影響を与えた。当時のポスト・パンクが素晴らしかったのは、それぞれが違うことをやっていたことよね。セックス・ピストルズやザ・クラッシュの物真似みたいなバンドもいっぱいいたけど、私たちのまわりにいたバンドはそれぞれ違うことをやっていたわ。

ジーナ:私はアナよりも年下だったから、私はイギリスのパンクの第一波に影響を受けたわ。アメリカのバンドを知ったのはもっと後になってから。

アナ:そうね。私があるパーティに行ったとき、ものすごい特徴のある声が聞こえてきたの。それがパティ・スミスの『ホーシズ』だった。しばらくして彼女がロンドンの〈ラウンドハウス〉というライヴハウスに来ることを知った。そこに私は行ったのよ。まだセックス・ピストルズが出てくる前の話よ。

パティ・スミスは、やはりその後の女性バンドのはじまりだったんですね。

アナ:彼女が「自分たちで何かやりなさい」という勇気づけ方をしたわけじゃないけどね。ただ、その音楽がすごく良かったのよ。

ジーナ:パティ・スミスがロンドンに来たとき会場でアリ・アップとパルモリヴが出会って、で、ある意味でそれでザ・スリッツが生まれたとも言える。で、ザ・スリッツからザ・レインコーツが生まれたとも言えるわけだし、繋がっているのよ。

アナ:そういえば、パティ・スミスとロバート・メイプルソープとの関係を中心に書かれた彼女の本が出版されて読んだんだけど。

ジーナ:ああ、あれね!

アナ:そうそう、あれはとても美しい話だったわよ。

パティ・スミスのレコード・スリーヴは、まあ、いわゆる"ロックのレコード"じゃないですか。でも、ザ・レインコーツや『カット』や『Y』のジャケットがレコード店に並んでいるのを見たとき、すごい違和感があったんですね。ロックのレコードとは思えない、いままで感じたことのないものすごいインパクトを感じたんですね。初めて見たザ・レインコーツのプレス用の写真もよく憶えていて、みんなで普段着のままモップを持っている写真がありましたよね。あれもまったくロックのクリシェを裏切るような写真だったと思いました。アンチ・ロック的なものを感じたんです。

アナ:そこまで深い理由はないんだけど、自然にそう考えたのよ。たしかに普通はジャケットにバンドの写真を載せるものだったんでしょうけど、そのアイデアは最初からなかったわね。しかし、あなたも若いのによくそこまで気がついたわね。

ジーナ:まるで私のママみたいだわ(笑)!

はははは。

アナ:セックス・ピストルズやジョイ・ディヴィジョンにはそれぞれデザイナー(ジェイミー・リードとピーター・サヴィル)がいたけど、私たちにはいなかったわ。デザインのアイデアもすべて自分たちで考えたのよ

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インディペンデント・レーベルにもネガティヴな面があるからね。〈ラフ・トレード〉や〈ファクトリー〉は考えもお金もすごくしっかりしていたけど、いい加減なレーベルも多かったのよ。

パンクというのはすごく極端なエネルギーだったじゃないですか。だからパンクに関する議論のようなものもあったと思うんですよ。パンクに対する"議論"みたいなものと、音楽はまだ前進することができるという野心があれだけの多様性を生んだのかなと考えたのですが、どうでしょうか?

アナ:議論?

たとえば......僕はザ・クラッシュが大好きですけど、やっぱマッチョなところがあったと思うし、あるいはマガジンの有名な曲で、えー、なんでしたっけ? "ショット・バイ・ボス・サイド"?

ジーナ:そう、ショット・バイ・ボス・サイド"ね。

「両側から撃たれる」っていうあれは、「右翼」にもつかないし、「左翼」にもつかない、どちらにもつかないんだという、政治的だったパンクへの批評精神の表れじゃないですか。あるいはセックス・ピストルズやザ・クラッシュはメジャーでやったけど、ポスト・パンクはインディペンデント・レーベルだったじゃないですか。そこにも批評性があったと思うし......。

アナ:そうね。リスクを背負ってもやりたいことがやれる、クリエイティヴなインディペンデント・レーベルを選んだわ。メジャーはわかりやすいものを好むのよ。だから、自然と多様性はインディペンデント・レーベルのほうにあったわね。

ジーナ:でもね......ヒューマン・リーグみたいにメジャーで成功したバンドもいたし、ギャング・オブ・フォーはものすごく左翼的なバンドだったけど、メジャーと契約したわよ(笑)。いいのよ、それは彼らの論理で、ケダモノたちのなかから変えてやれってことだから。でも、私たちはインディペンデント・レーベルが性にあったのよね。

アナ:それにインディペンデント・レーベルにもネガティヴな面があるからね。〈ラフ・トレード〉や〈ファクトリー〉は考えもお金もすごくしっかりしていたけど、いい加減なレーベルも多かったのよ。

ちょっと僕の質問の仕方が悪かったんで、話がずれてしまったんですが、言い方を変えると、何故この時代のバンドは情熱と勇気がありながら同時に頭も良かったんでしょうか? ということなんです。ジョン・ライドンやマーク・E・スミスのような人たちは独学で、大量の読書を通じてメディアやアカデミシャンを小馬鹿にするほどの知識を得ていたし。

アナ:ええ、ジョン・ライドンは本当に偉大な人だと思う。

ええ、とにかくあれだけ情熱的で、頭も良くて、で、しかもわかる人だけにわかればいいというエリート主義にならなかったじゃないですか。

アナ:そうね、決してエリート主義にはならなかったわ。でも、とてもインテリジェンスがあったし、そうね、ジョン・ラインドンには会ったことがあるんだけど、他人に気配りができて、率直にモノが言えて、すごく誠実な人だと思ったわ。

ジーナ:そうね、マーク・E・スミスでよく憶えているのは、彼はちゃんとした学校教育を受けていないのよ。でね、ザ・フォールをはじめたときに、普通だったら16歳から19歳のあいだに修了しなければならないAレヴェルの英語を、マーク・E・スミスは成人してから独学で修得したの。ザ・フォールであのアナーキーなキャラクターをやりながらよ! 私はそれがすごくファンタスティックだと思ったのよね。独学というのは素晴らしいことよ。

アナ:そこへいくと〈ラフ・トレード〉のジェフ・トラヴィスはケンブリッジ大学出ているからね。

スクリッティ・ポリッティの歌詞なんか何を言ってるのかさっぱりわからかったですからね。グリーンが現代思想を読み耽って書いていたっていう。

アナ:あー、あれはわかるわけないわ(笑)。

ジーナ:安心して、私たちもわからないから(笑)。

アナ:てか、読んでないから(笑)。

ハハハハ。

アナ:(グリーンのナルシスティックなゼスチャーを真似しながら)おぇー。

ジーナ:いわば大学院の博士課程路線よね。それをポップ・カルチャーにミックスしようとしたのよ。

まあ、スクリッティ・ポリッティの話はともかく、ポスト・パンクにはどうして情熱と頭の良さの両方があったんでしょうね?

アナ:私たちは情熱だけよねー。まあ、知性はぜんたいの30%ぐらいかな(笑)。

ジーナ:アナはインテリよ(笑)。サイモン・レイノルズの『ポストパンク・ジェネレーション』を読んだけど、いろんなアーティストを過去の偉大な作家たちと比較したりしていて、そこはまあいいんだけど、何故か女性バンドの話になると「彼女たちもそうだった」ぐらいの扱いになっているのよね(笑)。ちょっと注意が足りないんじゃないかな。

ハハハハ。質問を変えましょう。僕はいまだにザ・レインコーツみたいなバンドを見たことがありません。それってザ・レインコーツがこの30年消費されずにいたことだと思うんですよね。

アナ:ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいわ。「ザ・レインコーツに影響されました」というバンドがたまにいて、音を聴かされるとただケオティックなだけだったりするの。カオスはザ・レインコーツのいち部でしかないのよ。まあ、ザ・レインコーツの真似されても嬉しくないしね。

ジーナ:だけど私は、MAGOは私は気に入ったわ。繊細さと大胆さがあって、オリジナルだと思った。彼女たちから「影響受けた」って言われるのはわかるような気がする。

アナ:そうね。重要なのは「自分たち独自のもの」を探すことよ。それがザ・レインコーツってことでもあるから。

ただ、いまの時代、1979年のように音楽を新しく更新させることはより困難になっていると思いませんか? 音楽のパワーが落ちていると感じたことはありますか?

アナ:昔と比べるのはあんま好きじゃないけど......いまでも新しいものは出てきていると思うわ。ただし、インターネットの影響は大きいわよね。選択肢があまりにも多すぎて、選ぶ気がおきない。それでパワーが落ちたというのはあると思うけどね。

僕個人はむしろ"現在"のほうに興味があるのですが、なんだか多くの人は"過去"を向いているように思えるフシが多々あるのです。

アナ:そうねー。

ジーナ:わかるわかる。友だちの娘に「あなた何が好き?」って訊いて「レッド・ツェペリン」だもんね(笑)。

ビートルズとかね?

アナ:ビートルズは偉大よ(笑)!

ジーナ:でも、あなたのように"現在"に夢中な人だっているわよ。

アナ:そうね、あなたが会ってないだけよ!

ハハハハ。いないこともないんですけどね......。ちなみに新しい世代の音楽では何が好きですか?

アナ:やはりどうしても、15歳の音楽体験は特別なものなのよ。ボブ・ディランやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ローリング・ストーンズを初めて聴いたときの衝撃というのは消えないもので、年齢を重ねていってもそれと同じような衝撃を受けることはないと思うの。

アナはでも、チックス・オン・スピードのレーベルからソロ・アルバムを作っているじゃないですか? テクノは聴かない?

アナ:ひとつのアーティスト、ひとつのスタイルばかりを強烈に聴くことはもうないのよ。

そうですか。わかりました。ありがとうございました。近い将来にリリースされるというおふたりのソロ作品を楽しみに待っています。

アナ:それでは15歳の少年にサインしよう(笑)。

ぜひ!

 ......それから記念撮影までしてしまった......。
 
 これは『EYESCREAM』の連載でも書いたことだが、ザ・レインコーツのデビュー・アルバムのアートワークは、いま思えば可愛らしいとも思えるかもしれないけれど、当時あれは『カット』や『Y』と並んで、レコード店のなかで強烈な異臭をはなっていたのである。パティ・スミスの『イースター』が古くさく感じてしまったし、手短に言えば彼女たちのアンチ・ロックのセンスは音楽の世界に明白な亀裂を与えた。音のほうも......とてもじゃないが、キュートだなんて思えなかった。破壊的で、混沌と調和が入り交じって、それでいて素晴らしい生命力を感じたものだった。

 と同時に、写真で見る、いたって普段着の彼女たちは、ショービジネスの世界で女性がありのままの普通でいることが、どれだけ異様に見えるかを証明し、逆にショービジネスの世界の倒錯性を暴いてみせたのだった。レディ・ガガのような人が哀れなのは、本人はアートのもつもりでもあれは結局のところ、型にはまったショービジネスそのものでしかないからだ。ちなみにアートとは......ジョン・ライドンやマーク・E・スミスのような連中がとくに馬鹿に言葉である。

 ザ・レインコーツは〈ラフ・トレード〉らしいバンドだった。ジェフ・トラヴィスが経営した〈ラフ・トレード〉は、"男の世界"だったレコード屋のカウンターのなかに女性を送り込み、ザ・スリッツ、デルタ5、エッセンシャル・ロジックなど女性アーティストを積極的に後押しした。

 そして「50:50」契約も実現した。これは経費を除いた利益をレーベルとアーティスト側で半々に分配するというやり方だ。音楽業界の印税率を考えると、おそろしく破格の契約であるばかりか、弁護士の出る幕をなくし、わかりやすい平等思想を具現化したものだった。そうしたフェミニズムとコミュニティ意識のなかで、ディス・ヒートやレッド・クレイヨラとともにザ・レインコーツはいた。彼女たちのセカンド・アルバム『オディシェイプ』ではチャールズ・ヘイワード(ディス・ヒート)が叩き、ロバート・ワイアットとリチャード・ドゥダンスキー(PiL)も参加した。『オディシェイプ』はデビュー・アルバムとはまた違った方向性を持っている作品で、これもまたこの時代のクラシックの1枚である。

Flashback 2009 - ele-king

 手許にある音楽雑誌をパラパラめくる。音楽評論家やライターたちがこんなふうにつぶやく。――音楽が生成し浸透する現場に足を運ばなければ、なにもわからない/いろいろなパーティやライヴに足を運べ/PCでYouTubeとかマイスペースだけ見てわかった気になってしまうのはとても危険だ――や、てことはみごとにぼくは危険なんだな。

 10年くらい前まではたぶんぼくもその音楽評論家と同じような意見を持っていたのかもしれません。アグレッシヴに聴いていた時代があったのです。でも、ここ数年は特に新しい音楽シーン(というものがあれば)とはあまり縁のない世界に席を追いていたおかげで、すっかり世情に疎いアラフィフになってしまったのはまぎれもない事実なのです。だって『スヌーザー』見ても『ロッキング・オン』読んでも『クロスビート』眺めても、さっぱりわからない名前やジャンルばかりになっているじゃないか。

 俺は「グライム」ってわかりません。「ダブステップ」もよく知りません。つか、「エレクトロニカ」って何?ってこないだ奥さんに聞かれたんですけどよくわからないって答えておきました。だって説明できないのです。たとえばそのジャンルで代表的なアーティストは誰?って聞かれても閃かないのですよ。つか、俺って今なにを聴いてるんだろうと自問してしまうくらい、実はなにも考えずに音楽を聴いていたことに最近気づきました。

 でも、ここ1、2年はそれでも数年前に比べたらいいほうだと思うのです。少しは意識的に聴くようになってきたし、誰それが「これがいい」と親切に教えてくれたもののうち、多少は自分でそれを探して聴くということをするようになってきました。

 ......うーん、自分でも情けないね。こんなことを書いてる自分が情けない。だけど事実だからしかたがありません。そんな自分が選んだアルバム20枚(シングルははっきり言いますけど2009年は10枚買ってません......ですのでセレクションは当然割愛せざるをえませんでした)ですが、そういうわけでなにか指標があって選んだものではなく、結局2009年に聴いてフィットした20枚のセレクションなのです。だから、この文のお題目である「2009年を振り返って」と言われても、たぶん編集部が要求しているであろう内容はまったく書けない。だからこんな、自己憐憫みたいな文章をだらだらと綴っている次第なのです。

 よって、ここに選んだアルバム20枚というのは、なんの脈絡もない、単なる自分のコレクションのなかから今年気に入って聴いていたもの(=iPodに入っている率が高かったもの)を選んだだけなのです。まあしかし、それでもele-kingの読者で、ぼくの昔のことを知っている人なら(名前は違いましたけどね)、あのころからあまり趣向が変わっていないことを感じてもらえるかもしれません。結果として、サイケデリックで暗いんだけど、その中に一筋の光が見えるようなアルバムばかりがやはり自分の中で残ってきてるなあと感じています。

 ちなみにベスト20はほとんど順不同。ただしヨ・ラ・テンゴ(特に後半3曲のアンビエント・シンフォニー!)は圧巻でダントツ。その次が渋谷慶一郎といろのみのアルバムで、どちらも生ピアノの音を生かした沁みる内容で、相当な時間をともに過ごしました。感謝します。

■Top 20 Albums of 2009 by Shiro Kunieda

Yo La Tengo / Popular Songs(Matador / Hostess)
Keiichiro Shibuya / for maria(Atak)
いろのみ / ubusuna(涼音堂茶舗)
Kaito / Trust(Kompact)
Moritz von Oswald Trio / Vertical Ascent(Honest Jon/ P-Vine)
Andrew Weatherall / A Pox On The Pioneers(Rotters Golf Club / Beat)
David Sylvian/ Manafon( Samadhisound / P-Vine)
The Field / Yesterday and Today(Kompact)
Atlas Sound/ Logos(Kranky / Hostess)
Gong / 2032(Wakyo)
Jebski & Yogurt / Jebski &Yogurt(Rose)
ASA-CHANG & 巡礼 / 影の無いヒト(Comonds)
The Orb / Baghdad Batteries(Third Ear)
Simian Mobile Disco/Temporary Preasure(Wichita / Hostess)
Prefab Sprout / Let's Change The World With Music(Kitchenware)
Animal Collective / Merriweather Post Pavilion(Domino / Hostess)
Devendra Banhart / What Will We Be(Warner Bros.)
Mum / Sing Along to Songs...(Morr Music / Hostess)
Jackie-O-Motherfucker / Ballad of the Revolution(Fire)
Tim Hecker / An Imaginary Country(Kranky)
Tyondai Braxton / Central Market(Warp / Beat)

#1:ベルグハインの土曜日 - ele-king

ベルリンのダンス・ミュージックの歴史、狂気、快楽、自由、そして懐の広さ......その全てが凝縮されていると言っても過言ではないクラブ、それがベルグハイン/パノラマ・バーだ。世界最高、現代のパラダイス・ガラージと称され、世界中のDJやクラバーたちが憧れる場所。これが存在していることが、ベルリンがどれほど特別な街なのかをよく物語っていると思う。

 以下は今年ドイツで出版された本、『Lost and Sound: Berlin, techno and the Easyjetset』からベルグハインに関する記述の一部を抜粋したものである。この本の英語翻訳版をベルリンのレコード・レーベル、Innervisionsが発売*するにあたり、Resident Advisorに掲載されたものを和訳した。行ったことのある人はうんうんと頷ける、行ったことのない人にはかなり妄想を掻き立てられる的確な描写なのでここにご紹介したい。

*英語版は限定のハードカバー(予定販売価格:22ユーロ)が12月15日にInnervisionsウェブショップといくつかのセレクトショップで、ペーパーバック(予定販売価格:14ユーロ)が2010年2月に全世界に向けて発売予定。

  正確には、土曜日とはいつのことを指しているのだろうか? ほぼすべてのクラブは深夜にオープンするのだから、常に土曜の夜のクラビングはすでに日曜日になっている。クラブに出かけるまでの時間は、どうにかして潰さなければならない ―― バーに行くなり、街をブラつくなり、家で待つなりして。1時前にクラブに到着してしまおうものなら、空っぽのダンスフロアに迎えられるだろうし、DJもこの時間に踊る人などいないことを良く知っているので、たとえ誰かがいたとしても踊らなそうな曲をプレイしている。そう、まだお客さんは中ではなく、外にいるからだ。外の行列に。

 これはどこのクラブでも変わらないことだが、〈ベルグハイン〉では特に顕著だ。行列は砂の地面にヘビのように長く伸びている。後方は建設現場用のフェンスで区切られ、前方のドア付近ではS字に組まれた鋼鉄の柵に囲い込まれていて、まるで違う国に入国しようとする人々の列のように見える。ある意味、彼らは違う国に入ろうとしているとも言える。一般的には、ドアの外で待たされる時間が長ければ長いほど、そのクラブの特別さが増すと信じられている。この考えは恐らく1970年代に、20世紀で最も有名なディスコテックだったニューヨークの〈スタジオ54〉に入るために並ばされていた人たちから継承されてきたものだろう。ここでもドアマンの恐怖政治によってセレブリティー、カネ、美、若さの見事なミクスチャーが形成されていたわけで、その影響は今も残っている。中に入れと手招きされるか ―― もしくはされなかった場合は、外に突っ立って見ることしかできない。そんな光景が一晩中繰り広げられることもある。誰に強要されたわけでもないのに待ち続けるのは、富と名声とセンスがナイトライフを支配する街で、人気が人気を呼ぶクラブに少しでも足を踏み入れたいという欲求があったからだ。

 しかし、ベルリンはそういった類いの街ではない。

 それどころか、こうした考えで90年代にクラブをオープンさせたプロモーターたちは皆大失敗に終わった。ベルリンでは、アート・シーンを除いて、カネとセンスは別ものだからだ。90年代以降、このシーンはかつて親密な関係にあったテクノ/ハウス・クラブから完全に離れてしまい、ただエキジビションのオープニングにだけはDJを欠かしてはならないという考えだけが残った。今日アーティストやギャラリー・オーナー、アート・コレクターに批評家たちは、ベルリン=ミッテ地区のレストランやバーで内輪に集まることを好んでいるようだ。またこの地区には、〈スタジオ54〉のドア・ポリシーを僅かに思わせる唯一のクラブもある。ウンター・デン・リンデンの〈クッキーズ〉だ。

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 〈ベルグハイン〉外の有名な行列に並んでいると、そんなあれこれが頭を巡るが、この行列が他の行列と決定的に違うのは全員が体験するという点だ。ゲストリストも存在するが、決して長くはないしそれ以上の重みはない。リストに載っていても待たなければならず、支払いが免除されるというだけである。行列を飛び越すことができるのは、その夜出演するDJとその取り巻き、そして極一部の〈ベルグハイン〉関係者だけだ。行列の進み具合にはほとんど影響がない。1時間の間に3~4組が通り過ぎる程度で、それ以上はない。彼らを眺めながら待つのだ。1時だろうが、朝の6時だろうが、待たされることに変わりはない。ときには行列半ばのところにドアマンが立っていることがあることがあるが、彼の役目は誰もが同様に見定められる〈ベルグハイン〉のドアにおいて、なぜか自分だけは例外だと思い込んでいるワナビーたちを追い返すことなのである。

「今夜は追い返されるんじゃないか?」

 このポリシーの徹底ぶりは、かすかにジャコバン派(フランス革命期の政党)の恐怖政治を連想させるものがある。女王だろうが農民だろうが、誰にでもその恐怖が降り掛かるからだ。つまり、ここのドアは何よりも第一に民主主義的なのである。それでいて第二に、何年間通っていようとも、行く度に自分に「今夜は追い返されるんじゃないか?」と問いかけ続けなければならない独断的な面もある。

 この疑問は〈ベルグハイン〉の行列の全員によぎるものだ。そわそわしないようにお互い注意し合っているカップルも、ベルリンのクラブ・ファッションを地元の雑誌で研究してきたかのようなイタリア人グループも。彼らは大振りのサングラスにこれでもかとアシンメトリーにしたヘアカットという、ニュー・レイヴ・ルックできめてきている。女の子たちはパープルのレギンスに毒々しいグリーンのトップス、男の子たちは脱アイロニック・スローガンがプリントされたTシャツを着ている。ある女性は追い返されるかもしれないという恐怖心からか、故郷のヴッパータール(ドイツ西部の町)のことを延々と喋っている。彼女が行列で知り合った2人のオランダ人男性は、何とか彼女との会話からフェードアウトしようと、たまに「んー」、「あー」と相づちをうつ。別の2人組の男は追い返された人たちを笑いものにしながらも、あまり声が大きいと今度は自分たちが同じ目に遭うと牽制し合っている。
 
〈ベルグハイン〉は建物自体が大聖堂を思わせる造りになっているだけでなく、実際にテクノの教会そのものだ。どこまでが意図的に仕組まれているのかは定かではないが、行列に並ぶところから儀式は始まっていて、ドアに近づくに連れてお腹の中に蝶が舞うような感覚を味わうことになる。前に並んでいる人たちが追い返されるのを見つめながら、入店条件を割り出そうと必死になる。大抵の場合はシンプルである。若い男性のグループは苦労することが多い。それが観光客で、ストレートで、さらに酒に酔っていようものならなおさら難しい。しかし、これはかなり大ざっぱな分析でしかない。入れなかった若者が「ファック・ユー、ドイツめ! このスカムどもが! 俺はウィーンから来たんだぞ!」と怒鳴るのを聞いて、みんな小さな声で笑う。

 パーティする相手は誰でもいいという訳にはいかない。だから、追い返された人たちに同情する者はいない。それと同時に、その独占権を得るためには、自分も追い返されるリスクを追わなければならないのだ。

 冷酷なドアマンとの関係性には期待と不安が入り交じる ―― 〈ベルグハイン〉までの道のりには、矛盾する様々な感情が駆け巡る。そう、それでいいのだ。クラブの中に最初の一歩を踏み入れた瞬間の解放感を味わうために、その緊張感があるのだから。入店の儀式は、次にレジ横のエントランス・エリアで行われる、念入りなドラッグ検査へと続く。清めの儀式だ。そしてお布施を納め、クロークルームへの通過が許される。その広々としたスペースにはいくつかのソファがあり、ポーランドの芸術家ピョートル・ナザンによる「The Rituals of Disappearance」(消滅の儀式)と名付けられた巨大な壁画がそびえている。

 照明がまた儀式の雰囲気をしっかり演出している。真っ暗な屋外から、薄暗いエントランス・エリアを通り、明るいクロークルームに入る。そして最後の敷居をまたぐと、低音が轟くホールはまた真っ暗なのである。ホールを横切って大きな鋼鉄の階段を登っていき、ダンスフロアを前に立って雷のような音を浴びると、何のために何時間もかけてここに来たのかわかっていても、毎回同様の鋭い衝撃を味わう。そして数秒、ストロボに目が順応しようとするまでの間、半減した視覚にしばし彷徨う。少し顔を殴られた時の感じに似ている ―― まだ素面状態の自分よりも、2時間ほど長くここにいたと思われる汗ばんだ身体をかき分けて自分の行く手を進まなければならないだけでなく、音楽の波動による身体的な攻撃も受けるからだ。

 まずは一杯飲もう。

 〈ベルグハイン〉と〈パノラマ・バー〉には、合計6つのバーが全三階に渡って設けられている。ひとつは〈ベルグハイン〉のダンスフロアの右側、ゴシック教会の側廊のようなイメージの空間にある。かつての建築家たちが窓や細い柱の視覚効果を上手く使って天国との繋がりを強調したように、ここでもスポットライトの巧みな配置によって天井が実際以上に高く感じられる。もうひとつのバーはダンスフロアの左側、"ダークルーム"付近に隠れている。近くにある階段を上ると、〈ベルグハイン〉よりも少し小さくて明るめの〈パノラマ・バー〉がある。上の階はハウスでストレート、下の階はハードでゲイ、となっているのだ。

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「上の階はハウスでストレート、下の階はハードでゲイ、となっているのだ。」

 〈ベルグハイン〉には遅めか、場合によってはとても遅い時間に行く。ベルリンっ子は観光客のピーク時間を避けて、家で寝ながら朝8時まで待つこともある。そして長時間滞在する。そんな長い間自分が何をやっていたのか、思い出せないことがほとんどである。それはその間に摂ったかもしれない気分を変えるお薬やおやつの影響だけでなく、〈ベルグハイン〉特有の時空間に入り込んでしまったからだ。他のクラブの場合は、中に入ってしばらく滞在したら、また他の場所に移動する。だが、ここではみんな残る。外の世界は消滅してしまう。〈ベルグハイン〉に入ると、地図上から消えてしまうのだ。ここは、その意思がある人だけが来る場所。何百人という完全に出来上がったパーティ・ピープルが盛り上がっている中で自分だけが素面だと、置いて行かれたような気分になることもあるだろう。これほど巨大な ―― 多い日は延べ3000人以上が入場する規模のクラブでは、なおさらだ。その一方で、それぞれに完璧に調和のとれた各スペースでは、まるで自分の家のような ―― というと言い過ぎだが、「魚の水を得たるが如し」とでも表現すべき居心地の良さがある。何しろ、みんな自分の家とは違うからこそここに集っているのだから。

 写真撮影は〈ベルグハイン〉内では許されず、携帯のカメラでさえも禁止されている。理由を尋ねたところ、多くのお客さんは自分のセクシャル・ファンタジーを実体験しているところを撮られたくないからだ、とドアマンは言っていた。それもあるだろうが、それ以上に写真は中と外界とを繋ぎ、外の世界を思い出させてしまうからだろう。〈ベルグハイン〉ほど外界を切り離すことに成功したクラブはない。外では太陽が空高く昇っていようとも ―― 常に店内は早朝の薄暗さに覆われているようなのだ。

 もちろん、ここでは暗い隅っこでなければできないことをしている人たちもいる。ここに来たことがある人ならみんな、バーでセックスをしている人を見たことがあるか、話には聞いているはずだ。もしくはソファーで。あるいはダンスフロアの横で。より露骨なセックス・パーティは隣接する別の店、〈ラボラトリー〉で(広義のゲイに含まれるあらゆる性的趣向に合ったテーマのイベントが夜な夜な行われている。「Yellow Facts」に「Fausthouse」、「Beard」に「Slime」、バイカー専用のパーティ「Spritztour」まで)開かれているが、〈ベルグハイン〉内にも"ダークルーム"がふたつ存在する。そしてその中では、あらゆる抑制から解放され、あんなことやこんなことが繰り広げられているという話がいろいろある。

 しかし、これら〈ベルグハイン〉の逸話のほとんどは、こんな変な人がいたとか、こんなにぶっ飛んだ人がいたといった体験談ばかりだ。誰かが別の誰かと一緒にトイレの個室に入り、その後極端に気分が良くなって、あるいは悪くなって出て来たとか。だいたいのエピソードは2~3日は笑いのタネになるようなものだが、ちょっと笑えないものもある。

 いずれにせよ、こうした物語は勝手に広まっていく。〈オストグート〉(同じオーナーが経営していた〈ベルグハイン〉の前身となったクラブ)や〈ベルグハイン〉に何年も通っているような常連は、逸話が次々と生み出されては、このクラブの伝説を塗り替えていることを実感しているはずだ。大勢がその週末の出来事を振り返っては話題にし、誰かがこんな体験をした、自分はどんな光景を見た、あんな話を聞いていたが実際にはこうだった、といった会話があちこちでされている。物語の数々が繰り返し話題となり、強調され、膨れ上がり、検証され、説明されていく。そして、みんなお互いにこんなことばかり続けていてはダメだよねと言い合いながらも、密かに次に行く機会を待ちわびるのだ。

 これらはクラビングにまつわる当たり前の物語で、他のクラブでも起こることばかりだ ―― ただし、ここ以外の場所では現実世界に戻るのが日曜の夕方5時ということは滅多にない。他と異なるのは、これらの物語が常に〈ベルグハイン〉そのものの話題性を築き上げているところである。〈ベルグハイン〉のダンスフロアでパートナーに拳を突っ込んでいた男は、二の腕にセンチメートルの目盛りを入れ墨していたとか。友人ががトイレで出会った見知らぬ女は、彼を見るなり「今すぐファックして、早く」と言ってきたが、気が進まなかったので断ったらパンチをくらわしてきて何日も目の周りのアザが残ったとか。あるいは、ある男がトイレで小便をしていると、隣に立っていた男がいきなり丸めた手のひらでそれを受け止め、飲み干したかと思うとまた消えて行ったとか......「せめて一言断ってからにして欲しいよね!」といった具合に。

 〈ベルグハイン〉の伝説はそうやって築き上げられ、維持されている。さらに、そうした話題はベルリンの電話ネットワークを遥かに超えた規模に広がっている。体験談がニュースグループで議論され、中国からの発言がストックホルムやミラノにまで伝わる。メルボルンの人たちの耳にも届いていたりする。『New Zealand Herald』紙がベルリンにはダンスフロアでセックスするのが当たり前だというクラブがあるらしいと書き立てたかと思えば、それを読んだ何人かのニュージーランド人がベルリン行きの航空券を予約するのだ。

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"調子のいい夜の〈ベルグハイン〉と〈パノラマ・バー〉のダンスフロアは、世界で一番だ"

 伝説を築くという意味においては、それらの出来事が本当に起こったことなのか否かはさほど重要ではない。そんな逸話が存在し、語り継がれているというだけで十分なのだ。

 そして〈ベルグハイン〉は〈バー25〉ともまた違う。シュプレー川のほとり、カラスが飛び交える数百メートル程度しか離れていない距離にあり、ここも奔放なパーティ伝説が先行している場所ではあるが、〈バー25〉はさらにエクストリームでグロテスクだ。ある逸話では、女の子が芝生に寝転び、自分の携帯をヴァイブレーター代わりに使って「ヴァギナ会話中! ヴァギナ会話中!」と叫んでいたとか。それと比較すると、〈ベルグハイン〉の営みはまだ文明的に思える。確かに〈パノラマ・バー〉の横にある金属製の棚スペースのところでセックスする人たちは存在する。でも、基本的にここに来ている人たちは自分の行動をわきまえているのだ。もしくは、ちゃんと一言「ごめんね、しばらくどうでもいいことを喋りたいんだけど、いいかな?」と断りを入れる礼儀を持ち合わせている。

 そう言ってもらえれば、我慢するのもそれほど苦にならない。

 中を歩き回ってみて、あちらやこちらで何が起こっているか把握しつつ、一杯飲み、トイレに行って〈パノラマ・バー〉背後の小便器越しに、窓の外の荒れ地に奇妙に伸びた行列を眺める。知り合いや、全くの他人や、多種多様な人々に会う。バーで順番を待っていると、20代前半のフランス人青年が、モンペリエでテクノDJをやっている自分にとってベルリンに来ることは、イスラム教徒がメッカに巡礼するようなものだと説明してくる。階段では半裸でスキンヘッドの大男が、笑顔でこんなクラブは他にない、「ロシアでさえも」と話しかけてくる。ダンスフロアの隅っこでは、数週間前に途絶えていたダブ・レゲエについての議論がまた始まっている。

 そして、踊る。

 調子のいい夜の〈ベルグハイン〉と〈パノラマ・バー〉のダンスフロアは、世界で一番だ。ハウスとテクノ20年の歴史の集大成を作り上げているかのように。客の音楽的理解も素晴らしいが、盛り上がってくればそんなこととは無関係に思いっきり楽しむという姿勢もあるところがいい。その客層のユニークさは、ゲイとストレート、若者と年配者、男性と女性、ベルリンっ子と観光客といった多文化が混在しているというだけではなく、独特のダイナミズムをもたらす能力にある。ベルリンのテクノのベテランたちに埋め尽くされたダンスフロアでは、みんなパーティを知り尽くしている。だから、DJが8ビートのブレイクを挿んだ後にベースをぶち込んでも、期待通りの熱狂が得られないこともある。このようなトリックは聴き慣れているからだ。これが、初めて〈ベルグハイン〉に来て思いっきりはしゃいでいる若きゲイのイタリア人相手だったとしたら、トリックの善し悪しなどはどうでもいい ―― 毎回必ず盛り上がってくれるはずだ。でも、そうした客のバランスが素晴らしいのである。何年もかけて形成された、どのDJに何を期待すべきか知り尽くしたダンスフロアに勝るものはないが、場合によっては通常のパターンを打ち破る柔軟さも備えているのだ。

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「ドアマンに別れの会釈をしてしまうのは、
何か彼らに恩義があるような気持ちになるからだ」

 そして、目の前に霧がかかったようなおぼろげな意識の中、エレクトロニック・ダンス・ミュージックにおける行動学があることを確信することになる。それはダンスフロアにおける人々の関わり方に表れているのがわかる。ここでは行動をわきまえ、自分のスペースを確保し、他者の邪魔にならないよう気をつける。これらは自らの経験で学んでいくことで、誰かが教えてくれることではない。

 心得ておかないと、かなり強烈な憎悪を向けられる瞬間がある。例えば、ドアからバーへの最短距離がダンスフロアを横切るルートであると思っている集団に押しのけられたとき。もしくは、踊りながらどうしてもタバコも吸わなければならないと思い込んでいる隣の男に、腕に根性焼きされたとき(残念ながら、今では喫煙室以外の場所では喫煙することができなくなってしまったが)。あるいは、人を押しよけてまでそのスポットで踊りたいという欲求をコントロールする経験を持たない2人組の男が目の前で踊りはじめ、しかもしばらくして別の場所に移ったかと思えばまた戻ってきて、押しよけてきたとき。

 このような状況下に置かれたとき、クラブにもある種のグッドガバナンスの必要性を感じる。優れたダンスフロアでは、そこにいる全員が、どんな状態であれ自分が何をやっているか把握している。好きなだけ酔っぱらい、ぶっ飛んでいても、周囲に対するリスペクトは失わない。スペースが足りなくても、みんなが必要以上にスペースを取り過ぎないことを暗黙の了解としている。

 ここで踊っていると、そんなことを意識するのである。

 〈ベルグハイン〉と〈パノラマ・バー〉では、他のクラブとは異なる次元の高揚感がある。パーティの山場は、日曜の午後まで上がり続ける。これは、パラレル社会のような世界がクラブ内に作り上げられていることと関係している。ここでは、外の世界を完璧にシャットアウトすることに成功している。それどころか、パーティを盛り上げる刺激として、それをエフェクトとして活用しているのだ。〈パノラマ・バー〉の照明係が窓のブラインドを数秒感開け、太陽の光でフロアを照らすと、ダンスフロアが高揚感の波に飲み込まれるのを身体で感じることができる。人々が喝采し、両手を振り上げると ―― あまり急激に太陽の光をあて過ぎると世界が消滅してしまうんじゃないかという気になる。ヴァンパイアのように、客が全員灰になってしまうんじゃないかと。

 でもいつかは、終わりがやってくる。何しろ、〈ベルグハイン〉はクラブであって、アフター・パーティの会場ではないのだから。クロークに行って、タグを手渡す ―― これも細かい気遣いがよく表れている部分だ。他の店のような番号の書かれたチケットではなく、紐の付いた金属製のタグになっているので、首から下げたりどこかにくくり付けておくことができるのだ。だから店を出るときがどんな状態であれ、必ずコートを返してもらうことができる。ここではそういったところまで考え抜かれているのである。そこまで落ち着いた精神状態の人ばかりではない状況下では、とても重要なことだ。

 そして、ドアから光の下によろめき出る。ドアマンに別れの会釈をして ―― 彼らと知りだからというわけではないのだが、何か彼らに恩義があるような気分になってしまうからだ。その一晩の終わりを締めくくるような動作が欲しくなるのだ。周りを見渡し、新鮮な空気を肌に感じ、自分がどれほど汗をかいていたのか実感する。耳の奥のかすかな残響が小鳥のさえずりや、その辺りでビールを飲みながらお喋りしている人々の声や、建物から僅かに漏れてくるサウンドシステムの音が聴こえている。

 やっと家に帰る時間だ。それとも、〈バー25〉に寄って行こうか。

トビアス・ラップ
著者について

この記事は、トビアス・ラップの素晴らしい著書、『Lost and Sound: Berlin, techno and the Easyjetset』からの抜粋である。複数の短い章から成る本著書では、ラップはベルリンのクラビングの歴史を掘り下げ、客観・主観両方の観点から詳細に取り上げている。それも、彼のジャーナリストとしての経験に裏付けられたもの。この本の執筆中、現在38歳の彼は左傾の日刊紙『taz』の音楽エディターだった。英語版の紹介文の表現を借りれば、彼は「年老いたロッカーやアンダーグラウンド・トレンドを興味本位で追いかけるブルジョワとは一線を画す」視点で原稿を書ける人物だと評価されている。本著の成功と『taz』紙での仕事ぶりが認められ、現在ラップはより大きな舞台、ドイツで最も高い売上を誇るニュース雑誌『Der Spiegel』で、ポップ・ミュージック・エディターとして活躍している。

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