「K A R Y Y N」と一致するもの

 朝一番に知人から届いた携帯メールでボウイの死を知った。起き抜けの寝ぼけ頭ということもあって最初は「ネット発のデマでは?」との疑惑の方が大きかったし、たまたま最新作『★』を前日に聴いていたタイミングということもあって余計に信じ難い。しかしBBC他のニュース・サイトを複数確認していくうちに徐々にリアリティが浸透し始め、それに伴いショックも少しずつ心に広がっていった。

 諸メディアに関連報道が次々にアップデートされ、セレブのトウィートはもちろん英首相デイヴィッド・キャメロンが定例記者会見の場で追悼の意を表し、現在現カンタベリー大主教までボウイ・ファンだったことを告白(!)。国際宇宙ステーションに乗船した初の英国人宇宙飛行士ティム・ピークからも追悼メッセージが届いた(ティムではなく「トム」だったら最高だったな)。ベルリン、ロンドンのブリクストン、とボウイゆかりの地にファンが花束を捧げ始めた映像に続き、夜が明けて彼の終の住処となったニューヨークのアパート前にも人びとが集い出した。朝刊にこそ間に合わなかったものの、第一陣を切ったロンドンの夕刊紙『Evening Standard』追悼号が街頭に溢れ出し……といった具合だったが、1月11日は「まさか」「何かの間違いでは」と、どこかキツネにつままれたような思いで過ぎていった気がする。

 その思いは多くの人びとも共有していたようで、テレビ(定時ニュース番組でのトップ報道を筆頭に、BBCやChannel 4は番組編成を変更して追悼特番やアーカイヴ番組を放映)やラジオをチェックしていても「信じられない」の声はよく耳にした。2003年の発作以降ツアー活動は停止、イベントのサプライズ・ゲストや他アクト作品への客演他こそあったものの00年代半ばから10年代始めにかけて彼が公けの場に滅多に登場しなくなり、「ロック界のグレタ・ガルボ」〜半ば隠遁者のエニグマと化していったのはよく知られている。今にして思えばそれすらもこのフィナーレを視野に入れた「終わりへの準備」だったように映るし、創作面の最後のメイン・パートナー役だったトニー・ヴィスコンティも彼の死を「これまでの彼の人生同様、芸術作品だった」と評している。が、当時の自分はむしろボウイの尊敬するマルセル・デュシャンが絵筆とキャンバスを捨てて「網膜芸術ではなく、観念としての芸術」を生き方において実践したように、「これも彼流の『不在』パフォーマンスであり、自己神話作りのひとつなのだろうな」と認識していた。

 というのも:面白いことに、この時期の彼のメディア・プロファイルはレコーディング・アーティスト/パフォーマーとしてアクティヴだった90年代よりも逆に大きかったからだ。「もっとも影響力の強いアーティスト」「ロック名盤」他の各種リストはもちろん、イギリスのヘリテージ・ロック雑誌界隈では手を替え品を替え「The Dame」(=デイムはイギリスのパントマイム劇で伝統的に男性が女装で演じるキャンプな中年女性の役柄で、ジョークと愛情を込めてボウイをこう呼ぶ人間は英音楽メディアに多い)を表紙特集に引っ張り出していた。2012ロンドン・オリンピックの非公式アンセムとして“Heroes”が繰り返し使われ、感動の波で人心を包んだのも記憶に新しい。2000年に行われたBBCとの取材でボウイが「インターネットは人間の生活を変える!」と、いささかネットに懐疑的な面持ちのインタヴュアー(ボウイよりも年下の著名ジャーナリスト)にアツく断言してみせる場面があるのだが、こうしたアート・テクノロジー・メディア・社会に関する先見性は不在時ですら彼の存在を様々な場で感知させることになった、と言える。

 その沈黙〜潜伏状況は、2013年に突如発表され人びとの度肝を抜いた前作『The Next Day』で変化した。とはいえ、同作に寄せられた賞賛には「老醜をさらさないボウイ」への祝福・感嘆・憧れも多分に含まれていたように思う。同作の音楽的なクオリティや知的でコンテンポラリーなコンセプトはもちろんだが、彼とほぼ同期のシルヴァー世代ロッカーの多くのように禿げも肥りもせず/あるいは年輪が刻まれ過ぎてフリーキーになることもない彼の久々のイメージは「ボウイ健在!」を刻み付け、ファンの期待をみごとに裏切らなかった。『★』発表時の(おそらく最後とされる)公式プロモ写真にしても、特有のニカッとした笑顔の若々しさとバロウズやレナード・コーエンを思わせるフェドーラ+スーツ姿は実にスタイリッシュで「さすが」と思わされた。

 これはまあ、「あまりに浅い、年齢差別な発想」と笑われても仕方ない意見なのかもしれない。が、3年前にヴィクトリア&アルバート博物館が企画した『David Bowie Is』と題された展示(コスチューム、メモリアル・グッズ等の私蔵コレクションの回顧展)がV&Aのチケット販売歴代記録を破る大ヒットになったように、音楽だけではなくイメージとスタイルの変遷を繰り広げ、現中年〜熟年層世代のファッション観に多くの影響を与えたアイコンに①気楽なジャージ+Tシャツ姿、あるいは②(アーティであれブリングであれ)頑張り過ぎな高級ブランド服を着られたら──やっぱりがっかりするだろう。イメージの重要さを知り尽くしていた彼は、最期までセルフ・イメージを維持し切ったことになる。

 もちろん我々に「オフ」でのボウイを見るチャンスはなかったとはいえ(実は自宅ではユルくビーサンとか履いていたんじゃないか? とも思うけど)、アルバムや銀幕を通じボウイがクリエイトしてみせた(あるいはクリエイターたちが彼に投影した)「異星人」「アンドロジニー」「人獣ミュータント」「吸血鬼」「魔王」等々のペルソナはアザーズ/ミスフィッツ/アウトサイダーの言い換えであり、そこには常に人知を越えた一種の神秘性〜肉体という限界を超越し、(驕ることなく)あざ笑いうっちゃり、かぶいてみせる「スーパー・ヒューマン」の魅力が漂っていた。たとえば昨今人気の高いイギリス俳優にしても、ベネディクト・カンバーバッチ、エディ・レドメイン、トム・ヒドルストン等、表=よく見えるとフリーク気味なマスク、裏=お茶目な素顔のコンビネーションがメインストリームに台頭しているのは、彼らの登場をはるか昔に地ならししたボウイDNA効果のひとつの顕われじゃないか?と。

 そんな風にボウイが全キャリアを通じて体現してみせたと言える「不可能を可能にする在り方」は、ファンである一般人にとっての憧れ・夢でもあった。もちろん自分のような凡人にボウイのような不老の秘訣は持ち合わせがないし、逆立ちしたって真似るのは無理と重々承知している。しかし、彼のようなスーパーな人間──それはロック界に限らずスポーツでも映画界でも、突出して秀でた人物のすべてに当てはまるが──が存在することそのものが自分の潜在意識の中で生に対するポジな励み、あるいは目標として「支え」になっていたとは思う。テレビで某コメンテーターが「私たちは導いてくれる『灯り』を失ってしまった」と語ったのはなるほど納得で、彼がインスパイアしたと言っても過言ではないパンク/ポストパンク/ニューウェイヴ/ニュー・ロマンティクス/シンセ・ポップ/ゴス〜ひいては若いアート・ロック勢は言うまでもなく、60年代UKロック黄金時代に間に合わず、混沌とした世界に迷い、疎外感を抱えていた世代のイギリスの子供や若者たちにポップを通じて未来やポスト・モダンの感性を浸透させ、進化を続けたボウイは、やはりリーダーでありアイコンだった。

 しかし何よりも素晴らしいのは、仮に「ボウイ」の名の下に人びとが集まれば、そこにはグラム・マニアからソウル好き、クラウト・ロック愛好家にプログレ人、ディスコ・ダンサーにインダストリアル・ロッカー、現代芸術家にファッショニスタ等々、種々雑多なサブカル・トライブと年代と性とが混じり合う図を容易に想像できる点だ。ミスフィッツによる「影の集団」と呼んでもいいだろうし、こうした「はみだしっ子の連携」はロバート・スミスやモリッシー、スウェードにジャーヴィス・コッカー、マドンナ〜レディ・ガガらのレゾンデートルにまで引き継がれている系譜とはいえ、ここまで長くアウトサイダーたちに心の拠り所を提供し続け、アクセス・ポイントを幅広く多く持つアーティストというのは──やはりボウイ以外にいないのではないだろうか。

 グラム好きなイギリス人の知人は、悲しみにくれて「まだ起きるべきじゃなかった、早過ぎる死。ひとつの時代が終わった」と話していた。それは、既にマーク・ボランを失っている彼にとっていよいよ本当に青春期が終焉したという意味なのだろうし、先に書いたように我々の心を見えないどこかで支えている(今風の「セレブ」ではなく真の意味での)「スター」の消失は、これからイギリスの深層心理にどんな影響を及ぼすだろう?と懸念すらしてしまう。彼のようなスーパー・ヒューマンですら、やはり死神がドアをノックするのを食い止めることはできなかったわけで。

 もっとも、ボウイの輝きに免疫がある人びとはいくらでもいる。1月12日早朝にスーパーに買い物に行き、大手新聞の朝刊一面をすべからく飾ったボウイのポートレートを眺めていたところ、たまにすれ違い会釈する間柄の近所のおっさん(たぶん50代)が新聞を掴みがてら「もう(ボウイ報道は)たくさんだよなぁ」と苦笑気味に話しかけてきた。なーる、イギリス人の誰もがボウイに感電したわけではなかったのね……と自らの近視ぶりを認識したのだが、この人と同じ世代の音楽好きの友だちも、意外や訃報に対するリアクションが冷たいのには驚いた。のだが、これは彼のアンチ・コマーシャリズムで硬派な元パンクスとしてのつっぱった姿勢ゆえだった模様(翌日、わざわざ「昨日は言い過ぎた、ごめん」と謝りの電話をかけてきた)。ジェンダー・ベンディングを始めとするボウイの危険分子としての存在感や厭世型のアポカリプス思想が苦手なもうちょい上の世代は、ディランやポール、ミックやニール・ヤングの伝統性や団結志向にアイデンティファイしている。若い子にいたっては、「ボウイ、Who?」な反応の方がむしろ普通だろう。

 ゆえに自分があれこれ心配する必要はないのだろうし、時間は刻々と過ぎ、新たなニュースも続々寄せている。この拙文のタイトルはアフォリズムを得意としたデュシャンの墓碑銘にちなんでいるのだが、ファンへの最後の贈り物として新作アルバムを発表し、「飛ぶ鳥後を濁さず」とばかりに実にさりげなくスマートに逝ってしまったボウイもまた、どこかデュシャンのように自らの死を客観視できる、一時的に地球を訪れた「Visitor」のひとりだったのかもしれない。というわけで、世界は前に進み続けている。が、うざったいのを承知で書かせてもらうと──イギリスのコンシャスな音楽好きにとって、ボウイの死はおそらくジョン・ピールの死(2004年)と同じレベルのショックと余波とを残していくだろう。かたやBBC=公共放送の場でラディカルな/他局ではオミットされる/アンダーグラウンドな音楽を情熱と共に紹介し続けた怪傑、かたやトレンドを嗅ぎながら独自のひねりを添えてマス・マーケットに提示できるスター・マイスター……とキャラクターは違うものの、英音楽カルチャーの織地における信頼できるナビゲーターがまたひとつ消えたのは間違いない。

 こうしたハブの遺失がすべてマイナスというわけではなく、ジョン・ピールの志しを継ぐ存在と言える音楽専門ラジオ局=BBC6は今も元気で意欲的なプログラムを組んでいるし、ボウイが早いうちから積極的に取り組んでいたネットはいまや最大の音楽発信源/リスニング・ポータル/発見ツールとしてアクティヴに進化している。優れたミュージシャンや音楽はこれからも生まれ続けるだろう。だが、今の自分の中にどこか、広い海と長く続く砂浜にひとり取り残された子供のような頼りない感覚があるのもまた、確かだ。

 擬装チェンバー・ポップの傑作『Ansiktet』(Inpartmaint)以後、ピアノ・カルテットを結成し、このところ弦楽曲に注力してきた渡邊琢磨(akaコンボピアノ)が、本媒体でも何度かとりあげた気鋭の映像作家、牧野貴とタッグを組み、「Origin Of The Dream(夢の起源)」と題した音と映像によるステージを渋谷WWWで初演する。具体的なイメージを重層化し、縦横無尽に運動させる牧野の映像と、古今東西の弦楽曲の批評的乗り越えを目する渡邊琢磨のスコアにもとづく13台の弦楽器の52本のストリングスが織りなすドラマの交錯は、逃れることのできないほど官能的な、夢の起源(Origin Of The Dreams)を思わせる舞台になることうけあいです!


写真:Yasuhiro Koyama


写真:Ryo MItamura

渡邊琢磨 × 牧野貴 Live Concert
'Origin Of The Dreams'

2016年3月17日(木) 
渋谷WWW
開場20:00/開演20:30
 
映像:牧野貴
音楽:渡邊琢磨

Piano,Conduct : 渡邊琢磨
1st Violin : 梶谷裕子、大嶋世菜、高橋暁
2nd Violin : 須原杏、帆足彩、波多野敦子
Viola : 中島久美、中山綾、河村泉
Cello : 徳澤青弦、橋本歩
Double Bass : 鈴木正人、千葉広樹
 
料金:3,300円(全席自由/ドリンク代別)
会場:渋谷WWW
住所:東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル地下
アクセス:https://www-shibuya.jp/access/
お問い合わせ:WWW 03-5458-7685
チケット購入ページURL(パソコン/スマートフォン/携帯共通)
https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002179310P0030001

牧野貴(映画作家)
2001年日大芸術学部映画学科撮影・現像コース卒業後、単独で渡英、ブラザーズ・クエイに師事する。2002年よりテレシネ・カラーリストとして多くの劇映画、ミュージックビデオ、CF、アーカイブの色彩調整を担当する傍ら、2004年より単独上映会を開始する。フィルム、ヴィデオを駆使した、実験的要素の極めて高い、濃密な抽象性を持ちながらも、鑑賞者に物語を感じさせる有機的な映画を制作している。また、ジム・オルーク、ローレンス・イングリッシュ、コリーン、マシネファブリーク、大友良英、山本精一、渡邊琢磨、カール・ストーン、タラ・ジェイン・オニール、イ・オッキョン等の前衛音楽家と共同作業においても、世界的に高い評価を獲得している。2009年には上映組織「+」プラスを立ち上げ、今まで日本に紹介される事の無かった映画作品を多数上映している。2011年よりエクスパンデッドシネマプロジェクトを開始、ヨーロッパ、北米、南米、オーストラリア、アジア等数多くの国際映画祭で受賞、上映多数。作品の発表は主に映画祭、映像芸術祭、音楽祭などの他、映画館、美術館やギャラリー、ライブハウスでも行い、その活躍の場は増幅を続けている。現代日本実験映像界を率先する作家である。https://makinotakashi.net/

渡邊琢磨(作曲、ピアノ)
97年、米バークリー音楽大学で作曲を学ぶ。帰国後、「COMBOPIANO」名義で活動を開始。2000年、NYに渡り鬼才プロデューサー、キップ・ハンラハンとの共同制作でアルバムを次々とリリースし注目を集める(英、音楽専門誌「WIRE」などに取上げられる)以降、国内外のアーティストと多岐に渡り音楽制作活動を行う。2004年、内田也哉子、鈴木正人(little Creatures)と、「sighboat」を結成(サマーソニック'10出演ほか)。2007年、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアー18カ国30公演にピアニストとして参加。2008年、内橋和久(gt)、千住宗臣(ds)とCOMBOPIANOをバンドとして再編(フジロックフェスティバル'09出演ほか)2014年、本人名義としては6年ぶりとなるアルバム『Ansiktet』をリリース。同年、本人主宰による室内楽アンサンブル「Piano Quintet」を結成(アラバキロックフェスティバル'15出演ほか)映画音楽、CM、舞台等、多岐に渡り楽曲制作・提供する。https://www.takumawatanabe.com/


 

都築響一×平井玄 - ele-king

 正直、東京(ま、西側っすね)に30年以上住んでいても、いまだに東京人というアインディティティを持てないんですよね。まったくピンと来ない。で、ぼく(=野田)のように、たまたま仕方なくここに住んでいる人が、ぼくのまわりには多い。家賃は高いし、次から次へと再開発されるし、味気ない街ばかりだし、クラブも中心地ばっかだし、歩くの早いし、自動車うるさいし、恐いし、世界のいくつかに都市を見てきたけれど、これほどコミュニティが形成しづらい都市もなかなかないと思う。大声で「東京」っていうのが、いまだに違和感があるっす。
 御大、都築響一と平井玄が「東京」をめぐって対談する。果たして「リアルな東京」とはどこか?

1月22日(金)19時開場/19時30分開始
第3回「街から」トークライヴ
TOKYO 右なのか? 左なのか?
都築響一と平井玄が首都の臍の下、新宿二丁目でガチンコ対決する!

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入場無料(但しワンドリンクオーダー)投げ銭制
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「マスコミが垂れ流す美しき日本空間のイメージで、なにも知らない外国人を騙すのはもうやめにしましょう」(『TOKYO STYLE』)と言ってデビューした都築響一。麴町育ちの彼は20年を経て『東京右半分』をものした。隅田川西岸しか知らない平井玄は、去年『ぐにゃり東京』で「神は街の底に宿る」とのたまわった。垂れ流しの怪しいオリンピックが迫る
東京の「リアル」は右か、左か。はたまた・・・・・どこに?
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主催:街からトークライブ実行委員会 03-6638-6685
「街から」誌:https://www.machikara.net/

https://cafelavanderia.blogspot.jp


星から零した水たまりの話 【前段】 - ele-king

 何時ごろだったんだろう。おぼえが凪いでは遠くけだるげに薄靄へとまぎれこみ、ぼくはといえばおおかた放心していた。おどろくほど菫がかった濃い空にも、次第しだいに暗がりが満ちてくる頃合いではあったのだけれど。時計で時刻をたしかめるたんびに吐息のような軽い失望。刻限なんですって、でもなんの? かならずしも視界は良くない。墨版ヲ抜イタノハ誰カ? やがてはついえ、なんにもかにもなくなってしまうよりかはほんの、ほんに少ぅしだけ手前、市営バスなら停留所から次のんまでのちょっきり真ん中らへん。うろついてた猫が流し目くれながらわざとらしく目の前を横切り、ラジオはありきたりな軽音楽を鳴らしていた。不思議なほど眠くはなかった。ねむたくないのならでも、ただただ、だからこそ、いつもながらの夕くれどきだった。
 と、音楽が不自然にやや遠のいて、雑音ともなんとも、だけどさっきまでのジョッキーとはあきらかにちがう、なんだよ、これ。胸騒ぎよろしくときめいては、壊れた信号機さながら三原色に瞬く電波に乗って、揺れながらもなお近づいてくるなんて。囁くような波動のこれって「こえ」? 

  子どもたちを 夢中にさせて
  子どもたちを、めざめさせて
  子どもたちみんなに ブギーを

 たったの一度っきりしかない恩寵というものがある。あとにも先にも二度とはおこりえない。ただいっぺんこっきりの僥倖。
 ぼくにもそれは訪れた。
 テレビから来た。え、TV? そうテレビ! 木枯らしモンローや無用の介あたりを最後に殆ど省みられることもなくなっていたブラウン管。ウルトラQもプリズナーNo.6もゲバゲバ90分もとっくに終わってしまってて、腐った夕方の奇妙な吹き替え洋画(J・ロージーBOOM! 『昼顔』、エリオ・ペトリ!)か再放送のマグマ大使(お母さんが人間モドキに! だのに江木俊夫は三色ロッテの半ズボン!)あるいは記憶もいくらか前後してるか。
 でもその、陳腐化はなはだしかったはずの四角い箱から、うそじゃないけどうそみたいな、そいつは、ほんとうに来たんだ。
 1980 Floor Show。
 ビデオなんてあるわけない。大急ぎで受像機の前に、でっかいテープレコーダーを据えてテレビのボリュームをあげる。ジャックなんか差し込んじゃったらこんどは音がきこえないだろう。日本全国でこの夜、いったいどれだけたくさんの少年少女が同じように、つかわないコンセントをこっそり抜いて、レコーダーに付け変えてしまっていたことか。人差し指を口の前に立てて「いいからあっち行っとけってば」騒ぎたて煩い弟や妹を遠ざける、シーってあんた、“China Girl”なんかまだ2年は先だよ。
 なんとも幼稚な、ぶざまで、おまけに、なんてイノセントな15才。どんなにロックに飢えていたろう。なんと渇き、餓えていたことか。
 その前年には神戸に、船で(!)来日したボウイのライヴにも行っているというのに。因果にも疑り深い日本人は、でも目が悪いのと、巨大ホールでの演出に疎外感というより、周囲の観客の目が気になってたのかも。慣れてないから。すべて想いおこせばJUN ROPEのCMが入っていたよなあ。国営放送とおもいこんでいたのはきっと“Starman”のせいだ。大阪でNHKは2チャン(ネル)だったから。

♭ たまらなく 誰かに知らせたくなって 
   電話したんだ 知らせなきゃってね
   遠いけど ほら、きこえるよね?
   TVにだって映ってるじゃないか! 
   チャンネルは2だ 回してごらん
   窓からだって見えてる あれって?
   あの光が「彼」だよね もしか
   ぼくらが合図したら 来たりしてね
   この地上に? まさか でも 
   パパたちにはないしょだよ だって
   バレたらぼくら さらわれちゃうかも
   (連れてって欲しいくせに……!)
  

 「1980 Floor Show」を見たのは家のテレビでだった。ほんとうに偶然だった。生放送だったのかって、あんたね、文脈読み違えるのもたいがいにしておくれでないかって、李礼仙かっちゅうねん。だれが少女仮面やねん、だれが薪能で大鶴義丹やねん。“All You Need Is Love”ちゃうちゅうねん。

 やれ魂が揺サブラレただの、あたまの中心までズドンって撃ちこまれたみたいだったのって、けっして、そう、けっして、
 誓ってそんな、なまやさしいものではなかった。
 使い古され、たとえ究極の名言ではあっても最近、使用過多かもしれなくてもやはり、言明する義務はある。すなわち、
 マルクスのいう「命がけの飛躍」がそこにはあった。
 すくなくともあの日、「あれ」を見た瞬間からわたしは、後戻りすることなどできなくなってしまったのだ。厳然たる事実だ。然るにこのていたらく……なのかもしれない。反省なんか…、いや反省くらいふつうにいくらでもするし、ただ、再び同じ繰り返しが訪れたら躊躇無くまた、おんなじ轍を必ず踏んでやる、というだけだ。ミック・ロンソン(死んでる)のソロでボウイ(死んじゃいました)が歌った“Like A Rolling Stone”聞いてるか。かつて間章(死んだ)はパリの本屋の店先で、モーリス・ブランショ(故人)の新刊の題名が「友愛」なのを見て、人目もはばからず街中で泣いた。ぼくだってめっきり涙を流さなくなって久しいけど、いや泣くのはECDに譲るとしよう。わたしには別の主題がある。とうてい一代では終われないし終わるつもりもない。1回だけで追悼しきれるものではない。
 誰にとって? ぼくに、わたしに、ボウイに、オレに、やつがれに、拙者に、自分に、みどもに、おいらに、ミーに、ハルミにとって、ああ。
 絶対に「決定的」で、だからこそ……、
 じじつぼくはいまだに、打ちのめされたそっから一歩も、立ち直れてさえいない。

 さて、年寄りになればなるほど懐古趣味高じては時代環境も背景も顧みずに、昔日を美化しては頑固に言い張り言い募る傾向が、ある。あるね、じつによく。とはいえこの「1980 Floor Show」のビデオも売ってたけど。買って、そして見たけど。
 それで?
 おまえな、『迫力ありますね』とか心にもないこと言うなや。あほにおもわれるで。ええ? オレが傷ついたりするかいな、知ってるか? KINKI KIDSの“硝子の少年”って、ゲイやらオカマに人気あんの。むろんのこと時間などあるはずもないし、猶予などあろうはずもない。お金はどうだろうか、わからない。
 ぼくには、ついにわきまえられそうにもない。「どうしてモロッコ行きを繰り返すんですか?」ときいてくる人までいる。つまり、この2016年にデヴィッド・ボウイを、ぼくが追悼することは、かつてのぼくがある種の、へんな嫌われかたをしたのはなぜか、というのに通底はするにちがいない。
 それは「かっこいい」と「かっこわるい」
の二元論、姫と坊主、美女と野獣…ではなしに、いいやそれだけじゃない以上、次回に回そう。それにしたって、
 もしもわたしが死んだら、そしてお葬式まで出すことになったとしたら、まずはAlladine Saneで、出迎えて欲しい。それといまひとつ、“Time”の中の「We Should Be On By Now」について、
 「わたしたちは 間に合ってっているはずだのに」と、
 それと、Ryco盤CDの『LOW』のボーナス最後の「サウンドアンドヴィジョン」途中からのノイズが、空襲に聞こえるのはわたしだけ?

 京都にいたんだ。
 だいたい現代音楽家が不摂生だからこんな羽目に陥るんだ。ピエール・ブーレーズがあとさきも考えずよりによって正月明けなんかに死んじまうもんだから。知らんぷり決めこもうにも、ふくれっつらした切手貼る用のスポンジが水を含んでなきゃ意味を為しえないようにね。言い過ぎだわ、いくつだって思ってるの? かくてそんなようにして、体内に蓄電されすぎた真冬の人の手が、深い毛のふさふさした猫をなぜたりなんかしたら。電気掃除機のでっかくて意味のわからない、ほんのちょっぴり触れるだけで、わざとらしくぱちぱちとはぜる。そうよそれ。静電気が摩擦熱のあおりくらって、おかげで狂った予定の歯車は留めゴムが一方的に勝手にのび、のびのびとエントロピーの羽根をひろげはじめてしまう。空腹なのに繕いごとに余念がなくなってしまっては間にあわない。しっちゃかめっちゃかな徹夜続きのまま新幹線に飛び乗るのがやっとというこんなありさまじゃねぇ。掛けた目覚ましに跳ね起きて眠たい目をこすりながら、五条烏丸にほど近いゲストハウスまで。なんて立派な2階建ての、木造のでもしんしんとなんて冷えるのかしら。昼の日なかからひたひたと飲み続けたあげく22時もまわって京阪の駅地下にあるクラブ「メトロ」に。31才で夭逝したアシッド・フォーク歌手(山田仁というらしい)の没後十年記念オールナイトのギグ。友川(カズキ)さんと……。

 以下、後段に続く

文:山崎春美

LUSH - ele-king

 ジーザス&メリー・チェインから始まり、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、チャプターハウス、スワーヴドライヴァー、スロウダイヴ、ライドら、甘いメロディと壁のような轟音ギターの波とともに80年代末〜90年代頭を駆け抜けたUKバンドの再結成が相次ぐなか(ele-king的に言うところの「UKオヤジロックの逆襲」ですね)、かつてのシューゲイザー界隈(ハッピー・ヴァレーでもテムズ・ヴァレーでもいいけれど、いまや誰もそんなふうに呼ばない……)においてもっとも華々しい輝きを放っていたバンド、ラッシュがついに再始動した。

 当時「あなたミキ派? それともエマ派?」なんて浮かれた議論が飛び交うほどにスペシャルなスター性を備えていたフロントの女性ふたり、赤髪のミキ・ベレーニ(ギター&ヴォーカル)と黒髪のエマ・アンダーソン(ギター&ヴォーカル)。音楽性云々よりも彼女たちの立ち振る舞いに異様なまでの注目が集まっていたのは懐かしくもうなずける話だが、そんな輝きとは対照的に、97年に起きたクリス・アクランド(ドラム)の自殺という何とも悲劇的で後味の悪い事件を後にシーンから静かに去っていったラッシュ。その後、フィル・キング(ベース)はメリー・チェインに加入。エマはリサ・オニールをヴォーカルに迎えたユニット=シング・シング(筆者は運良くエマと連絡を取り、数少ない彼女たちのライヴをロンドンで目撃しているがもちろん最高だった!)を結成し、フレッシュなギター&エレポップを聞かせる2枚のアルバムを残すもすでに解散。そして、ミキはいくつかの作品にゲスト参加していたものの、その後、雑誌の編集者として働くなどしてほぼ音楽シーンから離れてしまっていた。そんなこともあり、ラッシュだけは再結成とは縁のない存在だと思ってある意味ほっとしていたのだが……世のなか何がどうなるかわからない。

 そんな折に古巣〈4AD〉からリリースされたのが、彼女たちの歩みを完全網羅したこの5CDボックス・セットだ。デビュー・ミニ・アルバム『スカー』のアートワークをあしらった豪華ブック仕様のゴージャスな装丁から香る、美しい歪みとデカダンスな危うさを秘めたオリジナル〈4AD〉臭に、往年のファンは鼻をかぐわし目頭を熱くするにちがいない。ヴィジュアル面において初期〈4AD〉のカラーを決定づけたデザイン・ユニット〈23エンヴェロップ〉のデザイン集としても楽しめるこの感じ。いまのスタイリッシュでイケてる〈4AD〉とはどこか様子が違うこの感じ──そうなんだよ。つまり耽美なんだよ! 耽美!!

 そんなことはともかく内容の話をしよう。まずディスク1は、コクトー・ツインズやディス・モータル・コイルとの仕事でもお馴染みのジョン・フライヤーがプロデュースした前述の『スカー』(1989)と、コクトー・ツインズのロビン・ガスリーがプロデュースしたEP『スウィートネス・アンド・ライト』(1990)、そしてEP『マッド・ラヴ』(1990)を寄せて集めたプレデヴュー・アルバム『ガラ』(1990)である。いまだに後のアルバムよりこの作品を好むファンが多いことからもわかるように、コクトー・ツインズ直系の透明感とニューウェイヴの洗礼(ミキとエマは14歳の頃からの知り合いで、学生時代にいっしょにニューウェイヴのファンジンを作っている!)がぷんぷんと香り立つ。コーラス成分多めの空間的なアルペジオに、美しくもときにエッジーなコード・ストロークが織りなすツイン・ギターの響き。艶やかに重なる自由でナチュラルなミキとエマの声とハーモニー。それらを屋台骨として支える男ふたりの安定感抜群のリズムのコンビネーションがこの時点で見事に完成している。ラッシュを語る上で欠かせないインディ・ダンスな名曲“スウィートネス・アンド・ライト”ほか、“ブリーズ”“デラックス”“ソートフォームス”“エスリール”はこのアルバムに収録。さらにボーナス・トラックとして、熱心なファンにもうれしいさまざまなBBCセッション音源が収録されている。

 続くディスク2には待ちに待たれたデヴュー・アルバム『スプリット』(1992)を収録。切ないメロディに乗る「可愛い女の子が輝いてるわ 若さに笑みがこぼれる」なんて可憐な歌い出しが印象的な“フォー・ラブ”ほか、“ナッシング・ナチュラル”“スーパーブラスト!”などの代表曲。さらに、“タイニー・スマイルズ”“オーシャン”“ローラ”などの隠れた名曲にも清らかに湧き出る泉のようなアイデアを聴くことができる。ロビン・ガスリーによるプロデュースということで『ガラ』の延長線上にありながらも、アルバムとしての統一感がはっきりと表れた内容だ。ボーナス・トラックには、EP『フォー・ラブ』のカップリング曲“スターラスト”(後に『スプーキー』に収録されるヴァージョンよりも断然カッコいい!)や彼女たちが敬愛するワイヤーの名曲“アウトドア・マイナー”のカヴァーほか、ケヴィン・シールズとDJスプーキーによるリミックス曲なんかもばっちり入っている。

 ディスク3にはセカンド『スプリット』(1994)を収録。冒頭の“ライト・フロム・ア・デッド・スター”からストリングスを導入するなど、堂々とした貫禄も感じさせる内容。“ブラックアウト”“ヒポクライト”“ラヴライフ”と続く華麗でダンサブルな疾走も素晴らしいが、“デザイアー・ラインズ”“ネヴァー・ネヴァー”など、ゆるやかにたゆたう長尺曲におけるアレンジ力に、バンドの成長過程を楽しむ要素が多かったこれまでのおもしろさに加え、バンドの洗練もそこここに感じとることができる。ボーナス・トラックにはEPのカップリング曲ザ・ジストのカヴァー“ラヴ・アット・ファースト・サイト”のほか、レアなアコースティック・セッションも収録。

 続くディスク4はサードにしてラスト・アルバム『ラヴ・ライフ』(1996)を収録。冒頭の“レディキラーズ”からストレートでグランジーなギターに、ファルセットではない迫力あるミキの素のヴォーカルが飛び出したりして驚く。また、ストリングスのほかに管楽器も導入されたり、パルプのジャーヴィス・コッカーが参加したり、“500”“シングル・ガールズ”などの60Sテイスト溢れるとびきりのバブルガム・ポップが弾けたりと、ラッシュの大きな転換期をとらえた内容だ。コーラス、リヴァーブ、ディレイなどの深いエフェクト空間に包まれていた靄が晴れ渡り、当時隆盛していたブリットポップに接近したとかなんとか言われたりして、かつての物憂げなラッシュを期待したファンからは賛否両論な作品。だが、いま聴くと何てことはない……時流に乗るどころか、この先何年経っても色あせることのない王道ポップが並べられた(でも、どこかにそれに対するわだかまりもある)挑戦的なアルバムだったことがわかるはずだ。

 そして、最後のディスク5は日本来日記念盤として発売されていたコンピレーション作品『トポリーノ』(1996)。『ラヴ・ライフ』に収録されていたシングル“レディ・キラーズ”と“500”のカップリング曲をまとめた1枚で、とくにマグネティック・フィールズ、ザ・ルビナーズ、ヴァシュティ・バニヤンの秀逸すぎるカヴァーに心踊らされる。その後、グー・グー・ドールズとのアメリカ・ツアーを余儀なくされたりして、本人たちがまったく望んでなかった「メインストリームでの成功」というプレッシャーは相当なものだったのだろう。そんな居心地の悪さからの解放感がサウンドに表れた楽しい内容となっている。クリスが手掛けた唯一の曲“パイルドライヴァー”ほか、ボーナス・トラックに、ミドル・オブ・ザ・ロードの“チピチピ天国”、エルヴィス・コステロの“オール・ディス・ユースレス・ビューティー”、ワイヤーの“マネキン”、さらにイギリスの子供番組「ルパート・ザ・ベアー」のテーマ曲など、彼女たちの目からウロコすぎる選曲眼とカヴァー・センスをこれでもかと味わうことができる。

 ミキのお母さんが日本人で、いとこがハナレグミで、またいとこがコーネリアスで……なんていまさらそんな情報を語るのも野暮だけれど、日本にゆかりがあるラッシュの作品がこぞって廃盤状態にあるいま、この6時間半にもおよぶボックス・セットは、彼女たちが後のシーンに与えた影響をどうのこうの考えるよりも、彼女たちが残したきららかな魅力を変わらぬ鮮度で伝えてくれて素直に楽しむことができる(ちなみにクレジットにはないが、音も丁寧にリマスタリングされていて心地よさもアップしている)。また、その反面、恐いもの知らずの夢見るニューウェイヴ少女があれよあれよという間に注目を浴びてシーンからはみ出るほどの人気者になり、それゆえに与えられた苦悩と大親友の自死の末にバンド解散という影のストーリーも抱えていただけに、今回の再結成はじつに感慨深く晴れやかで頼もしいかぎりである。なんとも……歳月が薬なんていうけれど、彼女たちは20年もかかったってわけだ。

 ちなみに、ドラムに元エラスティカのジャスティン・ウェルチを迎えたラッシュの再結成ライヴは、いまのところ今年4月のマンチェスターを皮切りに、5月にロンドン、9月にNYでの開催が決定している。さらにこれから新作EPのリリースも予定されているというから本格的だ。もうこうなったら、ブラーもダイナソーJr.もマイブラもメリー・チェインも現役バリバリでいることなんで、そこにラッシュも加えて92年の再来〈ローラーコースター・ツアー2016〉なんか仕掛けて日本に来てくれい! お願い!!

Kyle Hall - ele-king

 デトロイト・テクノは、複数の位相において起点となり、価値観を更新したという意味において、ターニング・ポイントであり、ビッグバン(はじまり)だった。都市のレポートとしての音楽、都市という牢獄から脱出する術としてのベッドルーム・テクノ、ヨーロッパとアフリカの衝突、ポスト・ブラック・ナショナリズム……、ある意味ではより民主主義的なインディ・シーン、いち個人いちレーベルの現代の先駆けでもあった。
 クラフトワークは理解できても「エイフェックス・ツインの音楽はどうしてもわからん」という御人はいまも少なくなく、しかし、その“てんで話にならない”音楽は、この30年間で膨張し、がっつりとひとつの価値体系をモノにしている。その契機となったのが、デトロイト・テクノだ(現代ではさらに新たな価値体系が生まれつつあることは、OPNを聴いている人はうすうす感じているだろうけど、しかしそれはダンス・ミュージックではない)。
 とにかく、「これ普通やらないだろ」というときの「普通」に囚われない自由さを、技術よりも先立つものの重要さを「黒い」と表現できるなら、それはエレクトロニック・ミュージックにおけるビバップだったとも言えよう。

 あるいはまた、ホアン・アトキンスがエレクトロ、デリック・メイがハウス、URがファンク……と喩えるなら、カイル・ホールのセカンド・アルバムはジャズだ。ジャズのセンスが色を添えている。デトロイトの音楽一家出身で、叔父が高名なジャズ・ピアニストのローランド・ハナ、叔母もミュージシャン(ヴァイオリン奏者)で、母も歌手。彼が10代でありながら大人びたハウスでデビューしたことは、そうした家庭環境も大きく関係しているのだろう。ホールの初期の作品に、「新しく古い世界」という曲があるように、新しさと古さを持ち合わせながら語りかける。古さを温ねることが前進に繫がるという好例である。

 それで待望の新作だが、1曲目の“Damn! I'm Feeln Real Close”、ぼくはこれを聴いて、3枚組で5千円以上もする高価な3枚組を買うことに決めた。リズムからはダブステップ以降を感じる。が、全体はメロウなムードに包まれている。ピアノはエリック・サティめいた静謐さを思わせ、ときおり美しいフルートの音色、そしてアシッド・サウンドがカットインされる。前作『ザ・ボート・パーティ』が破壊的とも言えるほどリズミックな躍動を前景化している作品だとしたら、『フロム・ジョイ』は夜のムードをキープしつつ、随所に実験を試みながら、しかし滑らかでメロウに展開するアルバムだ。
 “Dervenen”を聴いていると、ステファン・ロバーツの〈Eevo Lute〉レーベルの初期作品を思い出す。エレガントで、ドリーミーで、メロディアスなハウス・ミュージック。曲の後半でシンセサイザーが歌いはじめるような“Wake Up and Dip”、〈Retroactive〉時代のカール・クレイグを思い出さずにはいられない“Strut Garden”、どんなに閉ざされた心でもこじ開けてしまうであろう、ジャズ・ピアノ・ハウスの“Mysterious Lake”。そして、3枚目の裏面つまり最後の曲“Feel Us More”は、本作において3本の指に入る名曲だ。若々しい感性(リズムの組み方、チョップ)、そして古きもの(ハウスにおける美しいメロディ)が絶妙なバランスで展開する。ちなみに今回のアートワーク、どう考えても、初期のデトロイト・テクノの名作を手掛けてきたアブドゥール・ハック直系の感性だよなぁ……。

 ハウス・ミュージックから30年以上の年月が流れて、社会もダンス・ミュージックを受け入れるようにはなった。しかし、デトロイト・テクノを起点とする価値体系が広く認められているわけではない。ヨーロッパがいまだにデトロイト・テクノへの思いを馳せるのは、この音楽が、どん底で生まれていることを忘れたくないからである。

David Bowie/Our Brixton Boy/RIP - ele-king

 月曜の朝、BBC1でデヴィット・ボウイの死が緊急ニュースとして報道された。私は彼の音楽をほとんど知らず、“Life on Mars”と“Space Oddity”を「聴いたことがある」程度であった。翌日近所のテスコで売っている新聞はすべて1面がボウイの写真だった。
 ブリクストンにあるボウイの壁画の前にはたくさんの花束とメッセージが置かれ、人だかりができていた。小雨が降って来たので、そこから少し離れたカフェの軒下に行くと、花束を持ったままタバコを吸っている男性が壁画を見つめていた。彼の花束にはメッセージが添えられていた。
タバコを吸う彼の表情が気になったので声をかけた。
「15歳の時、小さなベニューでボウイの音楽を聴いたことが俺の自慢なんだ」。彼の言葉からはたださびしさが伝わってきた。
 壁画から歩いて10分もかからない住宅街に彼の住んでいたアパートがある。そこにも花束やレコードがあった。
 追悼パーティーが行われた広場の前にあるリッツィーシネマ(Ritzy Cinema)の看板には「David Bowie/Our Brixton Boy/RIP」と記されていた。
 世界を魅了したボウイが、彼の生まれ育ったブリクストンで今でも大切に想われている。その事に胸が熱くなった。献花の中にあった、泣きながら星を見上げる人々の絵のように、ボウイの最後のアルバムBlackstarが彼の音楽を愛した人々と共にありますように。

岩沢蘭


vol.80:今年は中古レコード店が熱い - ele-king

 ここ数年ヴァイナル・レコード市場が熱いと言われている。とくに2016年、自分をハッピーにしてくれる何かがあると言うことを覚えておいて欲しい。毎日の生活に忙しいのはわかるが、週に1回でも、レコード店に足を伸ばしてみるのはどうだろう。人間らしい喜びと、価値ある消費者経験が待っているかもしれない。
 ラフ・トレードアーバン・アウト・フィッターズも、新譜から定番まで、新しいレコードを扱っている。カフェやバーにレコードが置いてあるのはもちろん、人気ホテルのエースホテルには客室に1台ずつレコードプレイヤーが置いてあり、スタッフが選択したレコードがプレイできるようになっている。レコードは、人びとの生活のアクセサリーとなった。

 中古レコード市場はどうだろう。マンハッタンにはたくさんの中古レコード屋があったが、一部を除き、いつの間にか消えた。レコードはどこに行ったのだろう……。2016年、中古レコード・ビジネスを世界的に考える男がいる。マイク・スニパー、キャプチャード・トラックスのオーナー、無類のレコード好き。
 以前、キャプチャード・トラックスの5周年フェスをレポートしたが/、あれからすでに3年経ったいまも、キャプチャード・トラックスの挑戦は拡大している。
 2008年に、アカデミー・レコードで働いていたスニパーが、地下で始めたレコード・レーベル、キャプチャード・トラックス。何度かオフィスを移動し、2013年にグリーンポイントにレコード・ストアを構えている。やがてオフィスはブシュウィックに移動。そこでは、キャプチャード・トラックスの傘下に生まれた新しいレーベルの集合体、オムニアン・ミュージック・グループ(OMG)が運営されている。目的は、OMGの様な大規模な構造から利益が受けられる革新的レーベルや、新しい別個のレーベルを探すと同時に、既存レコード(ボディダブル、ファンタジーメモリー)やキャプチャード・トラックスのパートナーシップ(フライング・ナン)を発展させることである。
 OMGファミリーには、シアトルのカップル・スケート、ニューヨークのスクオール・シング他、OMG傘下にできた新レーベルのシンダーリン、再発レーベルのマニファクチャード・レコーディングス、イタリアンズ・ドウ・イット・ベター、トラブルマン・アンリミテッドのマイク・シモネッティが運営するダンス・ミュージック・レコードレーベルの2MRレコーズ、パーフェクト・プッシーのメガデスが運営するブルックリンのレコード・レーベル、出版社のホナー・プレスがある。
 そのすべてを統括するのがスニパーだ。彼は仕事をしている以外は、レコード・ハントしている、というくらい中古レコード好きだ。田舎のガレージセール、誰かの地下コレクション、バケーションの間にレコード・ハントなど、「中毒みたいなものだよ」とスニパーは言うが、元アカデミー・レコーズの店員である彼の個人コレクションは、驚くほどの量と質を誇る。
 その中毒をフィードするために、と言うわけでもないが、キャプチャード・トラックス・ストアでも中古レコードの売り買いはやっているが、彼が考える新しい中古レコード・ビジネスは世界規模。フォート・グリーンのサイドマン・レコーズを共同経営。それはヒップな床屋内にある。「サイドマン・レコーズは、会社のアウトポストとして考えて、僕らの店だけでなく、アメリカ中、世界中のお店のライフ・スタイルのストックとしてレコードの売り買いが出来るように、会社を発展させようと思っている」

 サウス・ポートランド・アベニューにあるサイドマン・レコーズは小さい。スタイリッシュな男子のためのパーソンズ・オブ・インタレストという床屋内にオープンし、10,000個ぐらいのアルバムをストックする。パーソンズ・オブ・インタレストのウィリアムバーグ店はパーラーコーヒーと提携、フォート・グリーン店ではすでにカフェ・グランピーと提携していたが、サイドマン・レコーズのオープンの話を聞いてレコード店と床屋の組み合わせも悪くない、と思ったらしい。
 スニパーとサイドマン・レコーズのダミアン・グレイフとロブ・ゲディスは古くからの友だちで、18年前にはニュージャージーにある伝説のプリンセトン・レコード・エクスチェンジで一緒に働いていたこともある。いわゆる中古レコード・オタク仲間だ。
 共同経営にしたのは、単純にスニパーひとりではすべてできないからだ。お店はレコード好きな、スタッフに任せ、ふたりはレコード・ハントに出かける。彼らが見つけた価値ある珍しいレコードは、サイドマンやキャプチャード・トラックスだけでなく、世界中のお店に並ぶことになる。
 「ロブとダミアンは中古レコードのことになると熱いんだ。1日中あらゆるところでオタクなことを話し、コレクションを集めたりできる。ぼくにはそんな時間がないから」とスニパー。ロブが、主に大きなヴァンを運転して、今日収穫したものを、ドンドン、フェイスブックに載せていく。
 スニパーが世界の中古レコードのアイディアを思いついたのは、アメリカの中古レコードをお店にストックするのは難しいと、ニュージーランドのレコード・ストアと話しているときだった。
 「通り過ぎるには、難しすぎるし、ヴァイナルの復活もひとつの決め手だった」
 中古レコードのビジネスは別のゲーム。エキサイティングだが、ストックするのが難しい。
「新しいレコードを求めてお店に入ったときは、何があるかは予想ができる。レコードXが欲しくて、そこにあるとお店に入ったときにわかる。でも中古レコードは、インターネット前の不思議なポータル買い物経験が出来る。宇宙規模のね」
 ひとつのコンピュータ・スクリーンが、この惑星にある、購入可能な物体の詳細をリストしてくれる。ほとんどがバルク状態で入手可能である。中古レコード屋に行くことは、燃料を蓄えた宝探しの心を保有し続ける、数少ない消費者経験のひとつである。「中古レコード店に入ったら、壁にかかっているレコードは何だ? 新しく入ったコーナーはどこだ、カウンターの向こうで誰かがプレイしているのは何だ? いままで聞いたことないといくらでも訊けるし、すべてがクールだ」


Sideman record's sound track


@ Sideman records


@ Sideman records


@ Sideman records

photo:Via bk mag

 オーナーとして、中古レコードの方が利益率が良いことも魅力だ。新品は返品できない。中古なら、小売店は30パーセントしか利益はないが、リスクは少ない。
 「例えばミッドウエストの田舎の屋根裏部屋にある、誰かの見捨てられたレコード・コレクションが、ペニーに値するかもしれない。誰かのゴミは誰かの宝でもある。経済的にも環境にもいいし、面白いショッピング経験ができるし、やり遂げる感が良いんだよね」
 サイドマンはまだ初期段階で、ただいま、スニパー・チームはニューヨーク近辺から他の土地でもレコードを集めるのに大忙し。ヴァイナルも売って、新しいヴァラエティに富んだ物も売りたいと、例えばストランドのようなお店を例えに使う。
 スニパーのもうひとつの大きなヴィジョンは、中古レコード店をクリントン・ヒル、フォート・グリーン地域に持ってくること。3年ほど前、この地域に住んでいたスニパーは、グリーンポイントと違って、中古レコード店がないことにがっかりしていた。
 「ニューヨーカーにとって、週末に中古レコード屋に行く事は、ファーマーズマーケットやコーヒーを買ったりするのと同じ事。一種の儀式だよ。例え、カジュアルなレコード・バイヤーでもね。」

 数ヶ月前、ブシュウィックのバーに行ったときに、DJブースの隣にレコードの箱がいくつか置いてあり、そこにたくさんの若者がフラッシュライトを片手に、群がっているのを見た。聞くと、毎週水曜はサイドマン・レコーズ・ナイトがあり、レコードを販売しているのだった。ほとんどのレコードが1ドル。「これが好きだったら、これ聞いてみなよ」とダミアンと話しながら、レコード箱を漁るのは楽しいし、お酒も入り、勢いでまとめ買いする人もいる。そのときお店はまだオープン前だったが、このときも目を輝かせ、「もうすぐレコード店をオープンするんだ。絶対気にいるから遊びに来てね」と言った。

 そして、ついにオープンしたサイドマン・レコーズ。中古レコード市場が新たな展開をするかもしれない2016年。自分のニーズを考えるとビジネスに行き着くという例。好きなことをやり続けるとこうなったと、彼らの冒険はまだ続く。

Captured tracks
195 Calyer St
Brooklyn, NY 11222
12 pm-8 pm

Sideman records
88 s Portland Ave
Brooklyn, NY 11217
11 am-8 pm

2014年に公開されたイギリス映画『パレードへようこそ』(日本での公開は2015年)。その主人公であるLesbians and Gays Support the Miners(LGSM)の活動を紹介する写真展が開催される。撮影はフォトグラファーの横山純によって行われた。横山氏は2014年8月から一年間イギリスに滞在し、現地の抗議運動やグライムアーティストを撮影。その写真はイギリスの音楽媒体『FACT』の年間ベストフォトにも選出された。写真展は2016年1月13日から25日にかけて、大阪のコミュニティースペースdistaで開催される。

以下、開催中の写真展の様子。

日程:
2016年1月13日〜25日
17:00〜22:30
火曜日休

会場:
コミュニティースペースdista
大阪市北区堂山町17-5 巽ビル4F
https://www.dista.be/access/

入場無料

1980年代のイギリスで生まれたLGSMは、2014年のイギリス映画『パレードへようこそ』公開後、にわかにLGBT(性的マイノリティ)コミュニティやアクティビストの世界を越えて「LGBTのヒーロー」の一つとして数えられるようになりました。

サッチャー政権はストライキを行う炭鉱労働者に対して弾圧を行い、労働者の生活は逼迫していきました。ロンドンで活動するLGBTの活動家たちは「かれらはおれたちと同じようにサッチャーにいじめられている。なにかできることはないか?」と、自分たちが置かれている状況に炭鉱労働者の姿を重ねあわせ、労働者や組合をサポートするために「Lesbians and Gays Support the Miners」というグループを作り、活動を始めました。地道なLGSMの活動は徐々に炭鉱の街の人たちの信頼を得て理解者を増やし、音楽やダンスで絆を深め、最終的にその運動はイギリス全土を巻き込んだ民衆の運動になりました。

それから30年が経った今もLGSMのメンバーたちは今年のロンドンプライドパレードで、警察や保守層から弾圧や妨害を受けていたソウルクイアパレードへの連帯を表明しただけではなく、イギリス中のプライドパレードや労働者たちのお祭りなどでバナーを持って行進しました。イスタンブールのプライドパレードにおける弾圧に対するトルコ大使館前の抗議でも、東ロンドンにおける公営団地からの住民立ち退きに抗議するデモでも、LGSMのバナーとメンバーたちを見つけることが出来ました。

LGSMは今でも「誰かのために立ち上がる」ことを忘れず、古びれることなく、変わりゆく社会環境の中で、闘争の最前線に立ち続けています。
虹のもとで、連帯こそ力であると信じて。
その、かれらの姿を見に来て下さい。


interview with Alixkun - ele-king


Various Artists
ハウスOnce Upon A Time In Japan... by Brawther & Alixkun

Les Disques Mystiques/Jazzy Couscous

House

Amazon

 外から日本をどう見るかなんて、人の勝手なんだけど、アイドルと通勤ラッシュの構図こそを日本だとしたがる海外メディアの報道写真には多少腹が立つ。せめてポップ・カルチャーぐらいは……と思っても、『ブレードランナー』イメージを劣化再生産させたヴィジュアルがヴェイパーウェイヴではお約束になっていたり。キッチュな頽廃というのか、とりあえずsamuraiよりはマシか……と思ってみたり。ま、よく言えば、ミステリアスなんだろうな。
 一時期は、加速するグローバリゼーションによって世界は均一化する……などと言われたりもしたが、ダンス・ミュージックを聴いていると、世界はひとが思っている以上にアメリカナイズされていないことがわかる。たとえばUKグライムは、いくら彼らがUSラップに憧れていたとしてもUSラップにはならない。強固なまでの「らしさ」すなわち個性ってものがある。エスニシティも独創性も感じる。北欧でも、東欧でも、南欧でも、どこの土地にも、消せないにおいがあるのだろう。
 おもに80年代末から90年代にかけて、欧米の影響を受けて、日本でもハウス・ミュージックが制作されている。当時のぼくには、その多くは一生懸命にNYを追っているようにしか見えなかった。だったらNYハウスを聴けばいいじゃんと思っていた。
 ところが、である。ブラウザー(昨年、初のアルバム『Endless』をリリースしたパリのディープ・ハウスDJ)とアリックスクン(日本在住のフランス人DJ)の耳には、当時のいくつかからは、NYハウスとは違う、日本らしさとも言える特徴を持つ「ハウス」が聴こえた。つまり、日本人がNYに憧れてやったことが、結局のところ、はからずとも日本らしさを醸し出していたと。
 それは「和」の感覚があるとか、伝統的だとか、そんな嘘くさいことではない。プロダクションの繊細さも日本らしさだろうし、とくにメロディの作りには個性が出るだろう。少し考えてみれば、ジャズでもロックでもそうであるように、当たり前のことなのだけれど……、電子機材のプログラミングで作られるハウス・ミュージックにおいても「日本」が浮き出てしまうことにいちばん驚いているのは、作った日本人かもしれない。
 そしてふたりのフランス人は、数年前から、日本のハウス・ミュージックを──当時は数百円で買えたが、いまではン千円に値上がった──漁り続けている。その研究と長きにわたってのディグの成果が、アナログ盤4枚組のコンピレーション『ハウスOnce Upon A Time In Japan... 』となって、昨年の11月末にリリースされた。国際的なトレンドになりつつある「ハウス」を本格的に紹介するものとして、海外では話題になっている。
 以下は、昨年の12月にアリックスクンと渋谷でランチを取りながら対話した記録である。

根本の部分はアメリカなんですけど、そこに日本的なレイヤーが被さってジャパニーズ・サウンドになるんですね。だから、ハウスやディープ・ハウス、ソウル・ジャズとかヒップホップは、日本人が作ったものではないんですけど、そこに自分のヴァイブを入れて日本の音楽になっている。そこにぼくは魅力を感じますね。

コンピレーションの完成おめでとうございます。

アリックスクン(Alixkun、以下A):ありがとうございます。

何年くらいかかったの? 

A:作ろうと決断してから1年半から2年ぐらいかかったと思います。でもコンピレーションを作ろうというアイディアは前からありました。最初はドキュメンタリー(映画)といっしょにリリースしたかったので、コンピレーションの方はなかなか先に進まなかったんですね。ドキュメンタリーは制作に時間がかかるとわかっていたので、そちらを優先的に進めていたんです。

具体的にはいつから動きはじめたの?

A:ジャザデリック(Jazzadelic)の永山学さんと食事したときに、彼がけっこうプッシュしてくれたからじょじょに動き出しました。それが2014年の春ぐらいだったと思います。でもその段階ではドキュメンタリーの方を進行させたかったんですね。ただ秋ぐらいに〈ラッシュ・アワー〉が寺田創一さんのコンピを企画しているのを知って、ぼくらも動かなきゃマズいなと焦りだしました。ジャパニーズ・ハウスの盛り上がりに乗っかって、ぼくたちがコンピを作ったというイメージがついてしまうのは嫌だった。だから積極的にコンピを進めることにしたんです。それからぼくは「この曲を入れたい」というメールをいろんなひとに送りはじめました。

アリックスクンは、もう前からジャパニーズ・ハウスに興味を持っていたもんね。

A:最初に興味を持ったのは2009年くらいですかね。ブラウザー(Brawther)と繋がったのは2010年。面白いことに、ぼくらはYouTubeで繋がった。彼が自分のYouTubeのチャンネルにジャパニーズ・ハウスのプロデューサーが関わった曲をあげていたんですね。それを見つけてぼくが「いいね」を押したら、彼がぼくのページにきて、そこにあげていたピチカート・ファイヴのテイ・トウワさんのリミックスを見て、彼が「お前、この曲知ってんの?」とコメントをくれました。

こうやってコンピレーションを作ってみて、あらためてジャパニーズ・ハウスの魅力とはなんだと思いますか?

A:音のクオリティが高いことは魅力のひとつですね。

それは音質ということ?

A:そうです。ぼくはジャパニーズ・ハウスだけじゃなくて、70年代の歌謡曲以降の日本のソウル、ジャズ、ポップ、ヒップホップに興味がありました。そこにある大きな共通点は、アメリカやヨーロッパからインスパイアされていることです。でも単にコピーするだけじゃなくて、日本のトラディショナルな楽器を入れたり、日本語で歌っていたりする。あと日本を思い出させるようなメロディがあるんですね。根本の部分はアメリカなんですけど、そこに日本的なレイヤーが被さってジャパニーズ・サウンドになるんですね。だから、ハウスやディープ・ハウス、ソウル・ジャズとかヒップホップは、日本人が作ったものではないんですけど、そこに自分のヴァイブを入れて日本の音楽になっている。そこにぼくは魅力を感じますね。
 ぼくはヨーロッパ出身ですが、ヨーロッパで作られたものにはフランスっぽいとかイギリスっぽいとかって、あんまりない気がするんですね。フレンチタッチとかUKガレージとか、そういう区分はありますよ。ただ、それらがフランスやイギリスを思い出させるかというと、ぼくはそうではないと思います。ジャパニーズ・ハウスのすべてが日本のことを思い出させるわけではないですが、多くの曲にはその要素があります。

たぶん、日本人のプロデューサーはそういうことを意識せずに、ニューヨークのプロデューサーに近づけようと作っていただけだと思うけどね。

A:ぼくもそう思いますよ。ドキュメンタリーを作ったら、アメリカに好きなプロデューサーがいたからハウスを作りはじめたってひとが多かったんですね。日本っぽく作りたかったとか、ジャパニーズ・ハウスとして認められたかったとかっていうのは、全然思っていなかったんですよね。

で、コンピの1曲目は、タイニー・パンクス(T.P.O.)の“Punk Inc. (Hiroshi's Dub)”で、これは日本でも当時から人気の高いなんだけど、この曲の日本っぽさって何よ?

A:正直に言いますと、この曲にはあんまり日本っぽさはないと思います(笑)。このなかでいちばん日本を感じる曲は寺田さんの曲、“Sawauchi Jinku (Terada mix)"ですね。もちろん金沢明子の影響もあります。あとはGWMの“Deep Loop(edit)”、ヴィオレッツ(Violets)の“Sunset”という曲からもかなり感じる。
 このコンピレーションは、ぼくとブラウザーのもっとも好きなジャパニーズ・ハウスを集めたわけではないんです。もしそういう意図で作っていたら、同じアーティストで2、3曲は入れていたと思いますね。でもいろんなアーティストを紹介しなければならなかったので、そこのバランスをとりました。15曲くらいのコンピレーションを作るのに、アーティストが5人しか入っていなかったら、もったいないなと思って。それよりも、いろんなアーティストを紹介して、そこからみんなが自分でディグってほしいんです。

日本で同じようなことを日本人がやろうとすると、交流関係のしがらみとかが入ってきちゃうだろうけど、『ハウス』は、アリックスクンやブラウザーみたいな業界とはいっさい関係のないひとが外から見て選曲している。そこがこのコンピレーションのユニークなところだよね。

A:ぼくらはドキュメンタリーを先に作ろうとしていたので、このコンピレーションに入っているほとんどのアーティストにはインタヴューをしていたんですね。だからもう関係があったんです。例えば、寺田さんとはすごく仲が良くなったんですけど、だから寺田さんの曲をたくさん入れましょうということではなくて、ジャパニーズ・ハウスのシーンを紹介するためにコンピレーションを作りたかった。だから特定のアーティストに寄らずに、できるだけ客観的に選曲しました。

そういう意味ではとても画期的なコンピレーションになったと思います。日本人が選んだら、エクスタシー・ボーイズは入っていなかったんじゃないかな(笑)。

A:そうですか(笑)。それはどうしてですか? 全然知られていないから?

いや、彼らも当時はかなり有名だったよ。ぼくは一度、天宮志狼さんに大阪でインタヴューをしたことがあるんだけど、ぶっ飛んだひとだったなぁ。

A:ぼくとブラウザーもいろいろディグってみましたが、エクスタシー・ボーイズには、ぼくらもついていけない曲がたくさんありました(笑)。でも、この曲は素晴らしかったから入れることにしたんです。

そういうところが良いよね。だって、他にはYPFにもよくたどり着いたなと思ったよ(笑)。これも日本人なら絶対に行かないな。どうやって知ったの? 

A:〈Balance〉からトーキョー・オフショア・プロジェクト(Tokyo Offshore Project)がリリースしたシングルから知りました。それでいろいろ調べたら、このリミックスを見つけたんです。

YPFをやっていた清水さんとは一緒にデトロイトへ行ったことがあるんですよ。

A:そうなんですか! YPFの連絡先を知らなかったので、トーキョー・オフショア・プロジェクトのメンバーに聞いてみたんですが、彼らも連絡先を知らなかった。だから結局連絡が取れなかったんです。

この記事を読んで連絡をくれたら嬉しいね。

A:記事を読んだりして、この企画を知ったら是非連絡してきて欲しいです(笑)。

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ブラウザーはもっとすごいんですよ。彼は日本語を話せないし、日本にいないのに、すごい時間をかけてネットで翻訳ツールを使いながら日本語ページを調べています。インターネットのアーカイヴを調べたり、シャットダウンされたページとかを掘り出したり(笑)。あとヤフー・オークションを使って名前を検索して、いままで見たこともないレコードにたどり着いて、買ってみてたり。

俺も全然知らない曲ばかりで、アリックスクンとブラウザーのオタクっぷりに感服しました(笑)。アリックスクンは、わざわざ立川、埼玉、千葉の中古レコード屋まで探しにいってるもんね。

A:ブラウザーはもっとすごいんですよ。彼は日本語を話せないし、日本にいないのに、すごい時間をかけてネットで翻訳ツールを使いながら日本語ページを調べています。インターネットのアーカイヴを調べたり、シャットダウンされたページとかを掘り出したり(笑)。あとヤフー・オークションを使って名前を検索して、いままで見たこともないレコードにたどり着いて、買ってみてたり。
 (浪曲師の)国本武春の“Home (6 a.m. mix)”が入っていますが、このコンピレーションのレヴューが海外で出たとき、「われわれがまだ知らなかった曲をタケハル・クニモトが提供している」と書かれていたんですが、実はこのミックスをしたのは福富(幸宏)さんなんですね(笑)。国本さんの原曲とは全然違ってて、これは完全に福富さんワークだから面白いと思った(笑)。クレジットにはそうやって書いてあるんですけどね。
 あと、ジャザデリックの “I Got A Rhythm (1991 original mix)”ってパール・ジョーイ(Pal Joey)の曲なんですよね。でも本当はジャザデリックの曲。彼らが作ったプロモ盤をパール・ジョーイが聴いて、ビューティフル・ピープル(Beautiful People)で作ることになった。でもこのミックスはそのプロモ盤にしか入っていないんですね。しかもそのプロモ盤は50枚くらいしかない(笑)。

それはどこで手に入れたの?

A:もともとはそのレコードが存在していることを知らなかったんですが、永山さんをインタヴューしたときにプロモ盤を作ったことを教えてくれたんです。それで探しはじめました。みんなこのレコードをビューティフル・ピープルのプロモ盤だと思っているんですよ。でもそれは違って、本当はジャザデリックのプロモ盤なんですね。このレコードはオークションで買ったんですが、その出品者のひともパール・ジョーイのプロモ盤と書いていて、全然高くなかった。テクストにも書いているんだけど、たまにインディ・ジョーンズみたいな気持ちになりますよね(笑)。忘れられた宝を掘り出すみたいな。

はははは。ジャザデリックはどういうひとたちなの?

A:ジャザデリックは永山さんと森(俊彦)さんのユニットで、ニューヨークのDJスマッシュの〈ニュー・ブリード〉なんかと関わっていました。

このコンピレーションを作っていて、一番大変だったことは? やっぱりライセンスの連絡とか? 日本では著作権が厳しいから、入れたくても入れられなかった曲があったと思うんだよね。

A:ピチカート・ファイヴの曲も検討していたんだけど、著作権のせいで諦めることになりました。

大阪のベテランDJ、紀平くんがプロデュースを手掛けた曲もあるんだよね。

A:そう、そのフェイク(Fake)の曲も、あるいは、カツヤさんの曲もレコードでしかなくて、情報がとても少なかったから、プロデューサーを探すところからはじめました。例えば、カツヤさんについてはレコード屋のテクニークのスタッフに尋ねてみたら知っていて、繋げてくれたんですね。いまカツヤさんはベルリンに住んでいます。YPFの場合はさっきも言ったように、探してみたんですが見つからず……。

ホント、労作ですね。これも時代というか、でも、日本で音楽を作っているひとたちに自信を与えるものにもなっていると思うな。

A:ありがとうございます。意図としては曲のクオリティが大事だったんだけど、それに加えていろんなアーティスト、あまり知られていない曲も紹介したかったというのがあるんですね。たしかにT.P.O.の“Hiroshi's Dub”はすごく有名なんだけど、それとは反対にすごくマイナーな曲も入っているんじゃないかな。あと福富さんも入っているし、マイナーなアーティストも入っているから、幅広い内容になったと思います。

リリース後のリアクションについても教えてください。

A:いまのところ、とくにヨーロッパにおいてはかなり良いリアクションが返ってきています。

どこか特定の国がすごいっていうのはある?

A:全体的にヨーロッパでは良く受け取られていますね。いまディープ・ハウスのリヴァイヴァルがいちばん熱いのはヨーロッパですからね。「知らなかった曲を紹介してくれてありがとう」という気持ちでみんな評価してくれているんです。15曲が全部ヒット曲かというとそうではない。でもそれはぼくらも認めている。

もちろん、ヒットしてないと思うよ(笑)。あのね、本場志向っていうか、当時のハウスのリスナーもNY産しか認めないみたいなところがあったし、デトロイトだってB級扱いだったから、ましてや日本産となると……。柱になったレーベルもなかったしね。

A:寺田さんのレコードも少なかったんですよ。自分のレーベルがあったけれど、当時はあまり知られていなかった。

寺田さんは当時の印象では、ものすごくメディアに露出していたから、有名人って印象だったんだけど、それでも苦戦していたんだね。ところで、アルバムのインナーの日本語はアリックスクンが書いたの?

A:最初はぼくが書いて、友だちの日本語ネイティヴに直してもらいました。

ちょっと日本語が間違っているんだよね。

A:そうなんですよ(笑)。ぼくが書いた日本語を見てくれたひとが原文を生かそうとしたから、場合によっては文章が変かもしれません。

はははは。でも、最後に書いてある「House is the feeling」っていう言葉がすごく良いね。感じることで、国籍がどこであろうと、わかる。

A:そうそう、本当にそういうこと。ハウスって、感じることだから。

コンピレーションを作っていて、当時の日本のハウス・シーンは見えてきたの? 見えてはこないでしょう(笑)?

A:先ほど野田さんが言っていたように、当時このひとたちはヒットしていませんでした。小さいレベルで2、3曲作ってそれっきりというアーティストも多く、けっして大きなシーンではなかったようですね。アメリカの影響がデカすぎて、国内シーンは生き残れなかったというかビッグにはなれなかった。あと、アメリカのカッコよさへの憧れもあったんじゃないかな。

全員がそうじゃなかったけど、概してものすごくあったね。ただ、いまでは信じられない話だけど、当時の日本のミキシングの知識では、メーターがレッドゾーンにいったら音が歪んで悪くなるからっていうことで、EQなんかも適度に調整されてしまって、作った人の意図とは別のとこで、ペラペラの音になっているのが多いんだよ。そこは、今回リマスターをしてある程度音をそろえているよね。

A:難しいですね……。リマスターはしています。でも、半分以上は元のマスターを貰えたんだけど、残りはヴァイナルから音を落としました。でもどんなにきれいに落としても、いろんなノイズが残ってしまうから、あとはブラウザーがきれいに仕上げてくれたんです。


Various Artists
ハウスOnce Upon A Time In Japan... by Brawther & Alixkun

Les Disques Mystiques/Jazzy Couscous

House

Amazon

アルバムのジャケットのデザインがすごく良いと思ったんだけど、これは?

A:もともとはぼくたちが好きな日本のアーティストに声をかけたかったんだけど、3人くらいに依頼したらタイミングが合わなかったり、興味がなかったりで、実現しませんでした。そこでイギリスのアーティストに頼んだんですよ。ヴィクトリア・トッピング(Victoria Topping)というひとです。ぼく、本当はコラージュがあんまり好きじゃないんですよ(笑)。でもこのコンピレーションで一番大事なのは音楽だから、コラージュについてはブラウザーと多少喧嘩しました(笑)。ブラウザーはデザインを気に入っていたし、期限もあったからジャケットはお任せして、ぼくの趣味に合わなくてもしようがないと割り切りました。でもリアクションを見ると、みんなジャケットを評価しているから、自分のテイストを犠牲にしてよかったです(笑)。

浮世絵って、江戸幕府からは監視されていたぐらい、実は、ものすごくエロティシズムを含んだ大衆文化なんだよね。たぶんこの絵は、花魁といって、まあ、当時の人気の娼婦ですね。だからその意味で、まさにハウス・ミュージック的なんだよ。

A:そうなんだ(笑)。それは日本人にしか理解できないことですね(笑)。

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