「OTO」と一致するもの

interview with Photodisco - ele-king


Photodisco
SKYLOVE

Pヴァイン

ElectronicDream Pop

Tower HMV Amazon iTunes

 子どもの頃、ずっと空を見上げていたあの時間はどこへ行ったのだろう? フォトディスコの3年ぶりのセカンド・アルバムとなるその名も『SKYLOVE』は、その時間をじつに自然なやり方で取り戻す。メロウで清潔で、そして無邪気にドリーミーなフォトディスコらしいメロディが豊かに色づいている本作は、はっきりと「空」をコンセプトとして掲げることで、彼が描こうとしているものが何かを簡潔に示している。ここでフォトディスコが映し出す空は、都市生活者がふと見上げるビルの谷間の空であり、幼い頃虹がかかっているのを発見してはしゃいで指さした記憶のなかの空であり、あるいはどこまでも広がる想像上の宇宙としての空でもある。

 日本におけるチルウェイヴとしてベッドルーム・ポップ愛好者から人気を集めたフォトディスコだが、海外のチルウェイヴがサウンド的に分散していったこの3年という期間を経て、より純粋な意味でエレクトロニカに近づいたように聞こえる。
 “Rainfall”における雨の音のフィールド・レコーディング、あるいは“Endless Love”の透明感のある音使いにはかつてフォークトロニカと呼ばれた感性が息づいているし、アコースティック・ギターの柔らかなリフレインと多重録音によるコーラスの重なりが光を乱反射させる“虹”は、彼のなかの眩い叙情性が溢れだすかのようである。ビビオやフォー・テットといったエレクトロニカ勢、あるいはノサッジ・シングやバスといったLAビート・シーン周辺のトラック・メイカーの現在とも緩やかにリンクしつつ、しかし日本的な色づけも忘れてはいない。“夕暮れ”ではポップスに対する野望を滲ませ、あるいは以下のインタヴューで本人も発言しているようにビートでの挑戦も見受けられる本作ではあるが、描き出す風景やムードはこれまで彼が育ててきたものをより純化させているように感じられる。
 移り行く季節や時間に不意に自分自身が溶け込んでいく瞬間や、過ぎ去った記憶が不意に蘇るような感覚。その甘美さこそが、フォトディスコのポップ・ミュージックとしての強度である。寝ていても醒めていてもいい、夢見心地でいることは、音楽がもたらす豊穣な時間であることを『SKYLOVE』は証明している。

■Photodisco / フォトディスコ
ギターを軸に、シンセ、環境音などをDAW上でミックスする東京在住の音楽家。作曲、演奏、録音、映像などすべて一人で制作している。2009年に本名義での楽曲制作をはじめ、2010年に自主盤としてそれまでのコンピレーションを、翌2011年には〈Pヴァイン〉よりファースト・フル『言葉の泡』をリリース。シネマティックな音像、ベッドルーム・マナーな楽曲群は“和製チルウェイヴ”として注目を集めた。その後〈アンチコン〉のビートメイカー、Bathsの来日公演に出演するほか、オムニバス作品などへも参加、さまざまなメディアで自身の楽曲が使用されるようになる。本年10月にはセカンド・アルバム『SKYLOVE』が発表された。


ガンダムとかって、宇宙のことも「そら」って言うじゃないですか。そういうのを描きたいなって思ったんですよ。

ファースト・アルバム『言葉の泡』からほぼ丸3年なんですけど、最近だと3年ってけっこう――。

PHOTODISCO(以下、PD):長いですよね(笑)。

ネット時代の体感では(笑)。この3年間ってどんな時間でしたか?

PD:自主で出したりもしたんですよ。

そうですよね、カセットで。

PD:はい、アナログ媒体に興味があったのでカセット出そうかなと。あとは……曲をけっこう作ってたんですけど。

曲はずっと作ってたんですか?

PD:作曲はずっとやってましたね。曲は溜まってたんですけど、ただ、これだっていうのがあまりできなかったので。今年に入ってやっと形ができてきたんですよね。

それはコンセプトが見えてきたという?

PD:いや、コンセプトの前ですね。曲が沸々と上がってきまして、じゃあアルバム出そうかっていうことで、じゃあコンセプトを考えようっていうことで。ただコンセプトを考えはじめたときから曲作りのスピードが速くなりました。僕は与えられたほうがけっこう作れる人間なんだなあって。

それまでによく聴いていた音楽ってありました?

PD:そうですね、いちばん聴いてたのは……トロ・イ・モワとかウォッシュト・アウトとかもそうですし。チルウェイヴ勢とか、デイデラスとかフライング・ロータスとかのLAビート周辺だったりとか。ティーブスであるとか。

じゃあチルウェイヴ・その後っていうのは丹念に追ってらしたんですね。

PD:はい、リスナーとして追ってましたね。

どういうふうに見てました? ポスト・チルウェイヴというか、チルウェイヴ第一世代のその後の展開というか。

PD:みんなバンド・サウンドに行きましたけど……彼らって結局バンドに憧れてたキッズたちなんだなって。バンドしても解散したりするし、意志の疎通がうまくいかないとかで曲が生まれないとか(笑)、音楽活動として思い通りに動かないじゃないですか。だけど根っこはロック・リスナーだと思うんですよね。それで成功してからバンド形態になってやってるんじゃないかなと。

たしかに。彼らの場合はライヴをやらないといけないっていうのもありますしね。そんななかで、フォトディスコとしてもバンド・サウンドに惹かれたりすることはそんなにはなかったんですか?

PD:やっぱり惹かれますよね。

ああ、そうなんですか。

PD:惹かれますけど、やっぱり自分の脳内でできた音楽が世に出るってことが僕にとっていちばん大切なことなので。やっぱりひとりでやったほうがいいかなと。

前作のときに「チルウェイヴを勉強した」ってお話されてたんですけど、やっぱりチルウェイヴがおもしろかったんですね。

PD:おもしろかったですね。

でも実際、どうでした? フォトディスコって和製チルウェイヴって紹介がすごくされましたけど、違和感とか抵抗感とかはなかったんですか? 

PD:それがまったくないんですよね。実際にはすごく大きな流れだったのに、なぜかちょっと否定的に言われましたよね。僕はそう呼んでいただけるんならそれはそれでいいって感じです。


エモのひとたちってある時期、だんだんフォークトロニカ風になるんですよね。

なるほど。今回、新作を聴かせていただいて、僕はチルウェイヴよりもエレクトロニカであるとか、10年ぐらい前フォークトロニカって呼ばれたものをすごく思い出したんですよね。そもそもフォトディスコのなかで、エレクトロニカみたいなものって好きなテイストとしてあるんですか?

PD:ありますね。昔エモって言われたひとたち――ゲット・アップ・キッズとか。で、エモのひとたちってある時期、だんだんフォークトロニカ風になるんですよね。ポストロックも結びつくし。そういうのも聴いてたんで、影響を受けてるところもあるのかなって。

ああ、なるほど。僕が84年生まれでウォッシュト・アウトと同い年なんですけど、ちょうどエレクトロニカあたりが記憶としてあるんですよね。その時代を思い出すというか。フォー・テットなんかもお好きですか?

PD:好きですね。

なんとなく、ウォッシュト・アウトがセカンド・アルバムでフォー・テットを勉強したって話とどことなくリンクするところがあるのではないかと思って。

PD:へー、そうなんですか。それおもしろいですね。

今回のアルバムで、いわゆるチルウェイヴと呼ばれる音と離れようと意識したっていうのはありますか?

PD:ありますね、やっぱり。僕はチルウェイヴっていうのは精神論だと思うので、それはずっとありつづけることだと思うんですけど。ただ音色的にチルウェイヴ的なものっていうのが広がり過ぎたかなって思ったので、そこはカブらないようにしようっていう意識で。

その音色的なもの、あるいはサウンド的な方向性ってどう位置づけてらっしゃったんですか?

PD:前回はビートがけっこう単調だったんで、今回はビートをいじろうかなと。そこをすごく意識しましたね。

じゃあ、けっこういろいろ試してみてっていう。

PD:そうですね。その前にノイズとかっぽいものをひとりでむっちゃ作ってたんですよ。でも、自分が気持ちいいだけで(笑)。ひとに聴かせると「ノイズは深く追求しているひとがめちゃくちゃいるからそこに無理に入らないほうがいいよ」って感じで言われまして。

そういう意味では、自分が気持ちいいってところはポイントではなくなってるんですか?

PD:いや、それは大前提としてあります。10曲とも自分にとっての「ザ・ベスト!」みたいな感じです(笑)。

いちばん最初に出来た曲ってどれなんですか?

PD:1曲めの“Skylab”ですね。これは頭にもってきたかったので。

そうなんですか。まさにこの曲について訊こうと思ってたんですけど、このロウビットな音色っていうのは、ベッドルーム・ポップなんだということをあらためて表明するように聞こえたんですがいかがでしょう。

PD:いやあ、ほんとに機材環境がやばいというか(笑)、安い環境なので。いま自分ができることを前提に作ってるんです。

録音の環境は変わってない?

PD:変わってないですね、ぜんぜん。

ほんとに機材環境がやばいというか(笑)、安い環境なので。いま自分ができることを前提に作ってるんです。

この曲のタイトルは後につけたんですか?

PD:これは後ですね。コンセプトが「SKYLOVE」なので、そのコンセプトとよく似た曲タイトルを作ろうと思ったので。

なるほど。じゃあそのコンセプトについてなんですけど、どのようにできたものなんですか?

PD:今回は空がテーマなんですけど。僕ずっとアニメも好きなんですけど、ガンダムとかって、宇宙のことも「そら」って言うじゃないですか。そういうのを描きたいなって思ったんですよ。空ってすごくロマンティックじゃないですか。宇宙もそうですし、空を見上げるのもそうですし。あと僕、海のなかも空だって思うんですよ。そういったアルバムを作りたいなと思ってタイトルをつけましたね。

その空っていうのは風景としての空なのか、記憶のなかの空なのか、ジャケットにあるようにSF的な空なのか――。

PD:それはもうすべてですね。僕の記憶のなかにある空とか、絵やイラストで見る空とか、ありますよね。それをすべていっしょにしたアルバムですね。

空がもともとお好きだったんですか?

PD:そうですね。写真を撮るのがもともと好きなんですけど、ひとを撮らずにずっと空ばっかり撮ってるんですよね。雲とか(笑)。今回トレーラーを作ったんですけど、あれも僕が空を撮って作ったんですよ。



その、空がお好きな理由って自己分析できますか?

PD:うーん……逃げたいんじゃないですか(笑)。逃避的な精神があるかもしれないですね。

なるほど。僕の場合は、空がコンセプトだとお聞きして、空見なくなったなーと思ったんですよね。子どもの頃はよく見てたのに。っていうことを踏まえると、空ってすごくフォトディスコっぽいコンセプトだなと思ったのと、あと風景や自然に興味が向かうっていうのも非常にエレクトロニカ的だなと思いましたね。
 フォトディスコの音楽って、これまでも風景からインスピレーションを受けたものが多かったですよね。このアルバムでも風景からインスピレーションを受けたと思われるタイトルの曲――“Rainfall”、“虹”、“夕暮れ”がありますけど、すべてヴォーカル・トラックになってますよね。今回ヴォーカルを入れようと思った理由はなんでしょう?

PD:それは……ヴォーカル曲があったほうが食いつきがいいんじゃないかなと(笑)。

とくに“夕暮れ”なんかはJポップ的なものに対する欲望も感じるというか。

PD:そうですね、もうJポップですよね。

そこに参照点はあったんですか?

PD:それは僕のバックグラウンドでしょうね。オルタナティヴ・ロックとか、日本のインディ・ロックに憧れてた時代を描写するような曲なんじゃないでしょうかねえ。

それはご自身の思春期的なものなんですか?

PD:そうですね。

なんでですかね、子どものときって空見ますよね。学校から帰るとき暇なのかわからないですけど。

“夕暮れ”はかなりヴォーカルを生で聴かせてますけど、“Rainfall”はヴォーカルにエフェクトかけてますよね。これはどうしてなんですか?

PD:ほんとは歌ってたんですけど、キーがもうちょっと高いほうがいいなと思ったんですよね。で、僕のヴォーカルじゃ合わないなと。それで声をめちゃくちゃ高くしたらああなって、これでアリだなと思って。

これはフィールド・レコーディングもあって、前作の手法を踏襲しつつっていう曲ですね。あと“虹”はヴォーカルを多重録音してますね。

PD:これは音質がすごく粗くて、ミックスのひとにもちょっと笑われたぐらいで(笑)。

これはどうやってできた曲なんですか?

PD:このなかでアコギがメインで作った曲ってなかったんですよね。で、1曲ぐらいアコギがメインの曲が欲しいなと思って作った曲ですね。

この「虹」っていうのは、本当に風景としてある虹なのか、あるいは概念としての虹なんでしょうか。

PD:これも記憶ですね。虹ってそんなに見ないじゃないですか。たまにツイッターとかで誰かが写したものとか、そういうものでしか見れなくて。だけど幼い頃、小学校の帰りなんかでよく見ませんでした?

たしかに。

PD:なんでですかね、子どものときって空見ますよね。学校から帰るとき暇なのかわからないですけど。そういう描写を思い浮かべて。自分で水を撒いて作ろうとしたんですけど、それは無理でした(笑)。

(笑)虹もお好きなんですね。

PD:虹も好きですね。

記憶のなかの虹だとしたら、ちょっとノスタルジックな意味合いもある?

PD:そうですね。そんなにいい思い出があるわけではないとは思うんですけど。

あそこで繰り返している言葉っていうのは――。

PD:「虹」って思い浮かんだ瞬間に言葉が出てきました。

[[SplitPage]]

たとえば怒りみたいなものをテーマにして作っちゃうと結局、自分では聴けないんですよね。自分がいちばんのリスナーなので、聴いてるとそのときの自分の怒りが蘇っちゃうんですよ。


Photodisco
SKYLOVE

Pヴァイン

ElectronicDream Pop

Tower HMV Amazon iTunes

あと“夕暮れ”を聴いてて思ったんですけど、やっぱりフォトディスコのなかでスーパーカーって大きいんですね。

PD:僕のなかでは大きいですね。

中村弘二さんのニャントラなんかも?

PD:そうですね、聴いてましたけど、でもバンドに思い入れがありますね。

へえー。僕も同世代なんですごく記憶にあるんですけど、スーパーカーが『Futurama』から『HIGHVISION』でエレクトロニック化したときってどうでした?

PD:僕は受け入れましたね。スーパーカーってアルバムごとにサウンドが変わるじゃないですか。ああいうのがいいなって思いますね。やりたいことをやってるんだろうなって。

フォトディスコって、その時期のスーパーカー的なエレクトロニカ感っていうのもあるように思えるんですけど、そこはあんまり意識されてなかったですか?

PD:ぜんぜん意識はしてなかったんですけど、僕のなかで根強くあるのかもしれないですね。

じゃあ逆に、リアルタイムで共感するトラック・メイカーっていますか?

PD:僕ティーブスはすごくいいなと思いますね。サンプラーだけで曲作ってるらしいんですけど、そのSP404SXってサンプラー僕も持ってるやつで。よくあれだけで曲作れるなあって。僕一回試したんですけど、作れないんですよね。そこはすごく尊敬します。とてもシンプルなスタイルなんですね。「ボールは友だち」みたいな感じでサンプラーと遊んでいて……。ビートの打ち込み方もすごくカッコいいし。

なるほど。あと先ほどLAビート周辺っておっしゃってましたけど、僕は彼らとも近い感性を感じるんですよ。ライヴで共演されたバスだったり、ノサッジ・シングだったり。フォトディスコが彼らと共通するのって、メロウな感覚なのかなと思うんですけど、どうしてそういうものが出てくるんだと思いますか? たとえば怒りや嘆きみたいな、激しい感情じゃなく。

PD:そうですね……たとえば怒りみたいなものをテーマにして作っちゃうと結局、自分では聴けないんですよね。自分がいちばんのリスナーなので、聴いてるとそのときの自分の怒りが蘇っちゃうんですよ。そんなの僕としては蘇らせたくないんですよ。自分が作る曲は日々感動したものをパッケージングしたいなと、そう思って作ってるんですよね。やっぱり僕が聴いていて気持ちいいものがいいなと(笑)。そういう感覚はありますね。

そういうところも含めての、今回のタイトルに「LOVE」が入っているのかなという気もしますが、けっこう思いきりましたよね。

PD:思い切りましたね(笑)。

これはどうして出てきた言葉なんですか?

PD:いや、「SKYLOVE」って言葉が出てきたときは恥ずかしいとも何とも思ってなくて、単純に「空が好きだな」って感じで。造語っぽい感じで2単語が続いてるんですけど、あとはアポロのスカイラブ計画とちょっとかけてるっていうのもありますね。

ああ、そこで宇宙的な意味もちょっとあるんですね。そういうちょっとSF的な世界観って反映された曲ってありますか?

PD:1曲めの“Skylab”の中盤あたりのぐちゃぐちゃっとしたアンビエントなんかはちょっとあるかもしれないですね。あと“Space Debris”って曲は隕石とかがぶつかり合うようなイメージで作った曲です。ちょっとジャズっぽい要素があって。ほんとはすごくメロディアスな曲だったんですけど、ちょっとダサいなと思って(笑)。で、自分の曲を4トラックのMTRに突っ込んで、ちょっとホワイト・ノイズを乗せて、またPCに乗せて、それを切り刻んでサンプリングしたらなぜかジャズっぽくなって(笑)。


これ作ってるとき、めちゃくちゃエイフェックス・ツインを聴いてたんですよ。

へえー、すごく実験した曲なんですね。とくに終盤が冒険したトラックが多いですよね。

PD:そうですね、後半あたりから自分のこれまでのカラーにないものになってきてます。次のアルバムに繋げたいという意思表示が入ってます。

ラストのタイトル・トラックである“Skylove”なんかはドラムンベース的なリズムで。

PD:ああ、これはエイフェックス・ツインをかなり意識したので(笑)。

おお!(笑) タイムリーな。

PD:これ作ってるとき、めちゃくちゃエイフェックス・ツインを聴いてたんですよ。

それは新譜の話が出る前ですから、偶然ですよね。

PD:これ作ってるとき、たまたますごく聴いてて。

エイフェックス・ツインはもともとお好きなんですか?

PD:好きですね。

どういうところが好きですか?

PD:エイフェックス・ツインはそうですね……生き方とか。

あ、いきなりそっちなんですね(笑)。

PD:いや、もちろん音もですけど。ガチのテクノっていうより、このひともロック的な感性もあるんじゃないかなあっていうところが僕は好きですね。

この曲ができたのはかなり終盤ですか?

PD:最後ですね。これは絶対いい曲を作ってやろうという意気込みで作りました。

“Tokyo Blue”っていうのはまさに東京の空ってことですか?

PD:そうですね、臨海方面というか、お台場方面を意識して作ったんですけど(笑)。

SF的な空であったり、リアルな空が混在してるのがおもしろいですよね。

PD:そうですね、リアルな空もありますね。

じゃあ、タイトルについてももうちょっとお訊きしたいんですけど、「LOVE」っていう言葉をタイトルに入れるのは、ちょっとためらわなかったですか?

PD:ああー……ダサく響くっていう?(笑)

いやいや、ダサいっていうより、誤解を生みやすい言葉だとも思うんですよね。狭い意味だと、それこそJポップ的な恋愛の意味にも捉えられかねない。

PD:まあでも、僕のなかでは、「LOVE」っていうと、二次元になっちゃうんですよね(笑)。アニメでカップルが宇宙見てる感じっていうのが、僕のなかで『SKYLOVE』ですね。

抽象的な概念として。

PD:そうですね。そう言われてみると、思い切ってますね。

まずこの絵、地球じゃないじゃないですか。それから、すべて揃っているところ。雲もあるし虹もあるし、地球もあるし海もありますから。

このアートワークはどういう風にできたんですか?

PD:コンセプトが決まって、自分でイラストレーターを選びたいなと思ったんですよ。でも制作期間がもうなかったので、これはもうpixivしかないと思って(笑)。pixivで宇宙とか空とかキーワード検索を入れて、しらみつぶしに自分の気に入る絵をずっと見てたんですよ。そしたらこのmochaさんが引っかかって、すごくいい絵を描かれるなと思って、ぜひこの絵にしてもらいたいなと。あと僕の頭のなかの映像とすごくリンクしていて。

どういうところに惹かれましたか?

PD:まずこれ、地球じゃないじゃないですか。そういうちょっとアニメっぽいところと、あとはすべて揃っているところ。雲もあるし虹もあるし、地球もあるし海もありますから。まさにこのテーマに合ってるんじゃないかなと思ったんですよ。

アニメは昔からお好きなんですか?

PD:昔から好きですね。

最近は何がよかったですか?

PD:最近は……『ばらかもん』とか(笑)。知ってます?

知ってますよ(笑)。

PD:あとは『月刊少女 野崎くん』にハマってましたね。おもしろかったです。

あ、そこはSFには行かないんですね?

PD:いや、SFも観ますけど、今期僕が好きだったのはそのふたつかなと。『Free!(Free! -Eternal Summer-)』とか。

今期っていうのがさすがですね(笑)。そういうアニメをいくつも見ている生活が、今回アルバムに反映されたところはあります?

PD:どうですかねえ……。あ、でも『残響のテロル』の菅野よう子さんも本当に素敵だったので。そういう感じも出てますかね……いや、出てないか(笑)。

(笑)まあ、後半いろんな音楽的要素が入ってくるあたりは遠からずかもしれないですね。

PD:そうですね、やっぱり刺激的な音楽は作っていきたいと思ってますし。

アニメの話が出たところで、ひとが作る映像に使われたいっていうのはありますか?

PD:もうめちゃくちゃありますね。

それはどうしてですか?

PD:自分の音楽でカッコいい映像を流してほしいんですよね。コラボレーションっていうかはわからないですけど、それが合わさったときに、さらに曲が引き立つんじゃないかなと思って。使ってもらいたいなといつも思ってます。

ご自身も映像を昔作られてたという話で。

PD:そうですね。そういう学校に行ってました。


この前アルバムをおじいちゃんに渡したら、「いやー寝れるわー!」って(笑)。

今後曲に合わせて映像作りたいなって思われたりはしないですか?

PD:とりあえずいま、『SKYLOVE』の曲に合わせてPVを作ってるんですよ。トレーラーとは別に。

ああ、そうなんですか。

PD:空ばっかり一眼レフで写して、素材はできてるんで。落ち着いたら作りたいと思います。

それぜひ観たいですね。そういった映像喚起的ところもエレクトロニカ的というか……いま、海外でEDMに対抗するものとしてエレクトロニカの存在感が増していますよね。日本も案外EDM的な土壌が広がっているので(笑)、フォトディスコがオルタナティヴとしていてくれるのは心強いと思いますよ。

PD:テレビCMとかからもEDMが聴こえてきますもんね。そうですね、カウンターになればいいですけどね(笑)。

バスとライヴをされてましたけど、今後ライヴはしていきたいと思われますか?

PD:そうですね、やっぱり勉強になるんですよね。ライヴってすごく発見の場だと僕は思ってるので、できれば飛び込みたいなというのはありますね。

そこで映像を使うライヴが、僕はフォトディスコにピッタリなんじゃないかなって思います。

PD:映像を作れる友だちを作らないといけない(笑)。すべてひとりでやっちゃってるんで。

ではそろそろ最後の質問なんですが、『SKYLOVE』はどういうときに聴いてほしいアルバムですか?

PD:東京だったら電車のなかで聴いてもらったり、帰り道に缶ビール飲みながら聴いていただけたらと。

生活のなかに溶け込んでいるイメージですよね。

PD:僕はだいたい、夜の静かなときに聴いてほしい感じはあります。この前アルバムをおじいちゃんに渡したら、「いやー寝れるわー!」って(笑)。

(笑)

PD:親にも渡したんだけど、寝る前に聴いてるって。兄貴も寝る前に聴いてるって言ってました(笑)。寝る前に聴く音楽なのかなって。

いいじゃないですか、入眠ポップ。ボーズ・オブ・カナダみたいで。

PD:なるほど(笑)。

セーラーかんな子 - ele-king

10/18 シブカル祭@渋谷PARCO
10/26 @高円寺AMPcafe
10/31 @渋谷OTO, @Le Baron de Paris
11/1 田中面舞踏会@恵比寿リキッドルーム
11/15 CITY HUNTER@BAR SAZANAMI

OGRE YOU ASSHOLE、新作MV - ele-king

 この音、この言葉、なんて説明すればいいのだろう。10月15日に発売されるオウガ・ユー・アスホールの新作『ペーパークラフト』は傑作である。来週、ele-kingでもレヴュー2本載せるぞ。お楽しみに。
 思えば、僕は、この1年、このバンドのライヴを4本見ている。そのすべてにおいて、バンドは堂々としていた。僕は“見えないルール”を歌いながらロードバイクを飛ばす。30キロ・アヴェレージを目標に(あくまでも目標)、およそ3時間ほど、朝の清々しい空気のなかを走る。すれ違う女性がみんな美人に見える。そして朗報が……。
 『ペーパークラフト』の収録曲“ムダがないって素晴らしい”のMVが完成。出戸学が自ら監督・制作・撮影したクレイ・アニメ作品である。

本MVは、OGRE YOU ASSHOLEのオフィシャルwebトップ、〈Pヴァイン〉のYouTubeチャンネル、同日同時放送でバンドが運営するUstream番組「Record You Asshole」内にて公開される。

今回のミュージック・ヴィデオは、ヴォーカル/ギター担当でOGRE YOU ASSHOLEの中心人物である出戸学が自ら監督・制作・撮影・編集全てを手がけた、究極のセルフ・メイドとなっています。

今夏のレコーディング終了後に急遽発案され、約90日をかけて試行錯誤が繰り返された結果、ジュール・ヴェルヌやドイツ表現主義などのレトロSFムービーを彷彿させる、キッチュで不可思議な映像作品が完成しました。
遠い未来の異国のような、あるいは夢で見た風景のようなモノトーンのアナザー・ワールドで起こる様々に無益な事象が、ラテン・パーカッションとドラムスが産み出す反復ビートと重なって、ミニマルで謎めいた陶酔感を生み出しており、つい何度も再生したくなります。

アルバムのジャケットやアーティスト・フォトの細部に至るまで、全てバンドメンバー自らが企画・制作した「ペーパークラフト」からの初MVに相応しく、これまで何度かOGRE YOU ASSHOLEのMVを監督・指揮してきた出戸が、初めて自ら全てを手がけた意欲作です。

前々作「homely」、前作「100年後」から通底するテーマであった「居心地が良いが悲惨な場所」を、手作業の暖かみとミニチュアが持つ硬質感が融合したレトロ・フューチャーな映像で表現した、OGRE YOU ASSHOLEの最新MV「ムダがないって素晴らしい」を、ぜひともご覧ください。
(レーベル情報より)

PヴァインYoutubeチャンネル:
https://www.youtube.com/user/bluesinteractionsinc

Record You Asshole by OGRE YOU ASSHOLE:
https://ototoy.jp/feature/index.php/2012083000

official web:https://www.ogreyouasshole.com/
twitter:https://twitter.com/OYA_band
FB:https://www.facebook.com/ogreyouassholemusic

■OGRE YOU ASSHOLE 『ペーパークラフト』
発売日:2014/10/15
発売元:P-VINE RECORDS

収録曲:
1.他人の夢
2.見えないルール
3.いつかの旅行
4.ムダがないって素晴らしい
5.ちょっとの後悔
6.ペーパークラフト
7 誰もいない

<初回限定盤>
・完全初回限定生産
・特別ボックス仕様
・CD+エクスクルーシブ・セッションを収録したカセット・テープ付属(シリアル・ナンバー入りダウンロード・コード付き)
品番:PCD-18775
値段:¥3,330+税

<通常盤>
・1CD仕様
品番:PCD-18776
値段:¥2,550+税


■OGRE YOU ASSHOLE
ニューアルバム・リリースツアー “ペーパークラフト”

2014.12.13(土)  大阪  CLUB QUATTRO
2014.12.20(土)  山梨  CONVICTION
2014.12.21(日)  長野  ネオンホール
2014.12.27(土)  東京  LIQUIDROOM

2015.01.10(土)  札幌   KRAPS HALL
2015.01.16(金)  名古屋 CLUB QUATTRO
2015.01.17(土)  広島   4.14
2015.01.24(土)  新潟   CLUB RIVERST
2015.01.31(土)  鹿児島 SRホール
2015.02.01(日)  福岡   Drum Sun
2015.02.07(土)  仙台   HOOK
2015.02.08(日)  松本   ALECX (※ツアーファイナル)


アイタル・テックとパズルの世界へ! - ele-king

 東京で最先端なサウンドを最高な環境で体験できるパーティ、〈サウンドグラム〉。ディスタル、ループス・ハウント、そしてテセラなどなど、ユニークかつリリースのたびに注目を集める面々ばかりです。会場に持ち込まれるサウンドシステムもこのパーティの魅力のひとつで、低音で揺れるフロア、そこで聴くアンセムは一生記憶に残ることでしょう。4月のテセラ、最高でしたよ。
 今週末、サウンドグラムが大阪と東京で開催されます。今回は光が乱反射するようなエレクトロニカからフットワークまでを手掛けるアイタル・テックと、あらゆるベース・ミュージックを知りつくしているパズルが登場! 
 本当に何が新しいのかを現場で体感して考えてみませんか? 踊りまくりたい方も大歓迎です。今週末は〈サウンドグラム〉へ! 

■SOUNDGRAM TOKYO/OSAKA
ITAL TEK & PUZZLE Japan Tour

大阪公演
日時:10月11日(土) OPEN/START 22:00
会場:TRIANGLE
料金:ADV 2000yen+1D DOOR 2500yen+1D
出演:
Ryuei Kotoge (Daytripper Records), D.J.Fulltono (Booty Tune), CLOCK HAZARD TAKEOVER 3HOUR, CHELSEA JP (GRIME.JP), madmaid (irregular), utinaruteikoku (irregular), DISTEST, ZZZ, Saeki Seinosuke, KEITA KAWAKAMI, D.J.Kaoru Nakano, PPR aka Paperkraft, SHAKA­ITCHI, DJ AEONMALL, HSC, JaQwa, PortaL

東京公演
日時:10月12日(日曜祝日前) OPEN/START 23:00
会場:TOKYO GLAD & LOUNGE NEO
料金:ADV 3000yen DOOR 3500yen
出演:
Submerse (Project: Mooncircle, UK), 19­t Takeover (TECHNOMAN Utabi SKYFISH Cow'P Amjik), HABANERO POSSE, Mike Rhino (UK), D.J.Kuroki Kouichi VS Gonbuto, Chicago vs Detroit, D.J. APRIL, DJ DON, FRUITY, tesco suicide, Mismi, Nishikawacchi, JaQwa, PortaL HATEGRAPHICS (VJ), knzdp (VJ), XVIDEOS (VJ), GENOME (VJ), Shinjuku DUUSRAA (FOOD), zeroya (FOOD), Broad Axe Sound System (SOUNDSYSTEM)

*各公演にItal TekとPuzzeleは出演

ITAL TEK (Planet-Mu/Civil Music, UK)

イギリスのブライトンを拠点に活動する様々なジャンルをまたぐUKならではのエレクトロニックアーティスト。2007年にPlanet­MuのレーベルオーナーであるMike ParadinasがMyspaceにアップされていた楽曲を聴いて気に入ったのが始まりで「Blood Line EP」をリリース。翌年2008年には1stフルアルバム「cYCLiCAL」をリリース。IDMとDubstepの融合を見せたItal Tekならではの作品となった。2009年には自身のレーベルAtomic River Recordsを設立し、その後も順調に多くのリリースとライブ活動を行いジワジワとその名をイギリス国内から欧州へ、そして世界へと知らしめていく。2012年にリリースをした3rdアルバム「Nebula Dance」では自身の解釈世界観のフットワーク・サウンドで展開させ、多くのリスナーを驚かせた。2013年にはCivil Musicより3rdアルバムをアップデートさせたEPをリリース。同年のミニアルバムではフットワーク/ジャングル/エレクトロニカ/アンビエントと独自のスタイルを一歩前進させることなる。そして今年2014年にリリースされたCivil Musicからの2nd EPではよりディープでハイブリッドなサウンドとなり、デビューから現在までブレることの無い確固たるサウンドを披露し、Planet­Muの主要アーティストとして活動している。

PUZZLE (Leisure System, GER)

15年以上に及ぶDJと作曲の経験を持ち、現在はベルリンの世界的に有名なクラブ「Berghain」で行われている「Leisure System」のレジデントとして活動。またLeisure System Recordsの経営と並行して、世界最大級のクラブやSonar、Dimentiions、Arma 17、Redbull Music Academy、Nitsa等のフェスティバルでプレイしている。2012年にはObjektとAsiaツアーを行い、過去にはClark、Rustie、Jimmy Edgar、Machinedrum、Kuedo、Joy O、Blawanやその他多くのアーティストと同じステージで競演。 常に遊び心に富んだジャンルレスなMIXでフロアを狂喜に導く。


 いまさら、というかここまで女児文化について書いてきて超そもそももいいところなのですが、「女の子」とはいったい何なのでしょうか。たとえば余裕のある「おじさん」はこんなことを言ったりします。「論理や社会にがんじがらめな僕たち男に比べて、感性のままに生きる女の子はすばらしい! 女の子はもともと自由な存在なんだから、勉強したり女性運動なんかしたりして窮屈な男の仲間入りすることはないんだよ」。一方、メディアに登場する「女の子」(たいていは成人女性ですが)たちも「私たち女の子はスイーツを食べてかわいいものに囲まれていれば幸せ。社会問題なんて難しいこと興味ないわ」とニコリ。そういえば、モダンガールの名付け親とされる北澤秀一は、大正時代に出版された雑誌『女性』で、こんなふうにモダンガールを定義していたのでした。

「〈モダーンガール〉は、いはゆる新しい女でもない。覚めたる女でもない。もちろん女権拡張論者でもなければ、いはんや婦人参政権論者でもない。」「私の云ふモダーン・ガールは自覚もなければ意識もない。」「彼らは唯だ人間として、欲するままに万事を振る舞ふだけである。」「モダーン・ガールは、少しも伝統的思想をもたない、何より自己を尊重する全く新しい女性である。」

 自我に目覚めて男性と同じ地位を得ようとする女性たちと対比させた上で、自我を持たない動物的で非社会的存在として「女の子」の自由さを称える思想は、どうやらフェミニズム思想の輸入および女性の社会進出・高学歴化(への反感)とセットで登場したものであるようです。

 こうした女の子像の政治的な正しさ問題はいったん措くとして、現実に本物の女の子・男の子を育てている親からすると、体感的に飲み込みかねるというのが正直なところではないでしょうか。なぜなら自由ということで言うなら、平均的にみて男児は女児よりもはるかに自由な存在であるからです。Twitter上で、男児のお母さんたちが「アホ男子母死亡カルタ」なるタグのもとに「ひとりが脱げばみんな脱ぐ」「アイス8本一気食い」などの男児のおバカでかわいいネタを寄せ合って盛り上がっていたのは、記憶に新しいところ。これらがお母さんたちの誇張でないことは、小学1年生の授業参観に参加してみればわかります。先生の言うことを従順に聞き、熱心に手を動かす女の子。そもそも大人しく座っちゃいない男の子。お勉強はできても挙手には慎重な女の子。積極的に挙手するも指されたら「わからない!」と堂々と宣言する男の子。その差は一目瞭然です。私が「長女がパンツ一丁で「ありのままで」を歌っている」という内容のぼやきツイートしたところ、すぐさま男児のお母さんからこんなリプライがかえってきました。「女の子はいいですね。パンツはいてくれるから」。

 現役「女の子」がいかにまじめか。それがわかる7歳の女の子のお手紙が今年初めにネットで話題になったので、ご紹介します。彼女がLEGO社宛に書いたお手紙を、お母さんがTwitterで画像アップしたものです。

「今日お店に行ったら、LEGO売り場はピンクの女の子ブースとブルーの男の子ブースにわかれていました。女の子のLEGOがすることといえば、おうちで座っていたり、ビーチに行ったり、お買い物したりするだけ。女の子には仕事がありません。男の子のLEGOは冒険に出たり、働いたり、人を救ったり、サメと泳いだりしてるのに。もっとたくさんの女の子の人形を作って、冒険を楽しませてあげてほしいんです。OK!?!」。

 日本のいち母親からすると、彼女がピンクのLEGOと呼んでいる女児向けの「LEGOフレンズ」シリーズは、女の子の興味を制限しないよう、相当な配慮が施されているように見えます。ラインナップの中には、科学実験をしている理系女子から手品女子、空手女子までユニークなものも。もちろんピンク、ラベンダー、水色といういまどきの女児の目をひきつけるカラーリング。わが家の長女も5歳の頃、科学実験を楽しむ少女をモチーフにした「サイエンススタジオ 3933」をLEGOショップで祖父にねだって買ってもらっています(往年のLEGOファンである父は「海賊セットのほうがかっこいいだろ……」と不服そうでしたが)。が、家の中ばかりと言われればたしかにそう。有職婦人率も少なめです。そこに気づくとは、目線が高いとしかいいようがありません。社会が期待している「女の子」像をまだ内面化していない幼い女の子たちは、そうした枠に縛られていないために、退役「女の子」たちよりもかえって社会参加への意識が強いのかもしれません。


Amazon

一部で「リケジョセット」と呼ばれる
「レゴ フレンズ サイエンススタジオ 3933」


Amazon

瓦割りもお部屋の中でするLEGOガール。
「レゴ フレンズ・カラテレッスン 41002」



Amazon

「Research Institute」

 このかわいくも勇ましい女の子の手紙が好意的に拡散されてから約半年後の8月、LEGO社は再び話題の的になりました。女性の化学者、天文学者、古生物学者をモチーフとした「Research Institute」セットを発売したのです。女の子の願いをさっそく叶えた同社に、人々は喝采を送りました。

 とはいえ実際にはこの新製品、ストックホルム在住の女性地球科学者Ellen Kooijman(※1)が「LEGO Ideas」に2012年に投稿し、ネット投票で10,000票を獲得したアイデアがようやく日の目をみたもの。2013年秋の審査では見送りになったアイデアが復活当選した背景には、女の子の手紙がバズったことも多少関係していたかもしれませんが……。実態はどうあれ、この新製品は女の子の手紙に応えたという文脈で多くのネット・メディアに紹介されました。宣伝効果は抜群だったことでしょう。つづいて開設された、イギリスの女性科学者が同製品を使って女性研究者の日常を再現するTwitterアカウント「@LegoAcademics」も話題になっています。

※1 Ellen Kooijmanはギークドラマ『Big Bang Theory』のフィギュア化も「LEGO Ideas」に投稿し、こちらも1万票を獲得して現在レヴュー中。同アイデアの製品化が実現したら、女性科学者フィギュアがまたまた増えることになりそうです。

 この連載でもたびたび取り上げてきたように、アメリカには「女の子はファッションとスイーツと家事のことだけを考えているおバカさんでいなさい」というジェンダー観に抗う「女の子」を応援する風土があるように見えます。自由の国ってうらやましいですね。それにひきかえウチら日本は……とついついスネたくなるところですが、そういえばかの国の「男の子」はどうなのでしょうか。「海賊ごっこをしろだって!? 男だからって盗んだり闘ったりなんてごめんだね。僕らだってカフェでスイーツ食べて、ショッピングして、ビーチで遊んで、かわいいものに囲まれて過ごすようなLEGOで遊びたいんだ!」、あるいは「男の子用のおままごとセットを作って!」といった主張があってもよさそうなものです。しかし、ミシガン州の教育研究機関のコンサルタントMichelle Gravesによれば、おままごとコーナーで遊んだ男児は、そのことを大人に隠す傾向があるとのこと。ソースは失念してしまいましたが、子どもしかいない部屋ならおままごとで遊ぶ小さな男児も、部屋に父親が入ってくるとやめてしまうという調査も見たことがあります。小さな男の子は、いったいなににおびえているのでしょうか。

 2013年放送の『セサミストリート』のとあるエピソードが、「男らしさの概念への攻撃である!!」「性役割の否定だ!!」「セクシャリティとジェンダーに対する破滅的な教えだ!!!」などとキリスト教保守派から厳しく批判されたことがありました。その神をも恐れぬセンセーショナルなストーリーとは……妹といっしょにお人形で遊んでいたクマのお兄さんが、ブルドーザーの玩具を持った男友だちが遊びにきたときに恥ずかしがって人形は妹のものだと言ってしまう。そんな兄に、ゴードンは男の子向け・女の子向けという区分に理由はないし、男の子がお人形で遊ぶことは将来お父さんになるためのレッスンになるんだよ、と説明する……えっそれだけ? 2014年1月には、11歳男子がかわいい馬のアニメ『マイリトルポニー』が好きだともらしたことから学校でいじめにあい、自室の2段ベッドで首つり自殺を図って意識不明の重体に陥る事件が起きました。彼は自殺を図る前、母親に「ママ、僕はもう疲れたよ。みんなが僕を「ゲイ」「キモイ」「うすのろ」って言うんだ」と語っていたそうです。『マイリトルポニー』のバックパックで学校に通ったことから「自殺しろ」などと言われるいじめに遭って登校できなくなったノースカロライナ州に住む9歳の男の子は、学校側から『マイリトルポニー』バッグ禁止令を出されてしまいました(この処分に納得できなかった少年の母親がFacebook上でキャンペーンを行ったことが有名メディアに取り上げられた後、学校側は『マイリトルポニー』禁止令を解いています)。こうしてみると、女の子的な「カワイイ」界に男の子が足を踏み入れることについては差別が激しく、小さい男の子自身が社会に向けて訴えられるほどの自尊心を築くのは難しそうだという印象を受けます。

 欧米に比べて母性原理が強いとされ、育児が母子密着型になりやすい日本では、少なくとも少年期にこれほどの男らしさプレッシャーはないように思えます。ママはかわいい男の子が大好きですし、かわいい趣味に理解がある女性的な見た目の少年なんて、ファンクラブができかねません。でも日本においても「自由でおバカでかわいい男の子」を満喫できる時期は、そう長くはないでしょう。女性が家事育児に囲い込まれて排除される社会は、必然的に男社会にならざるをえず、そこに投げ込まれたら最後、「かわいい僕」とは訣別しなければなりません。競って、勝って、他人を従え、見目麗しく育ちのよい「女の子」をゲットして勝ち組となるレースに参加しなければならないのですから。その厳しさは女性の社会参加率が低いぶん、かえって他国よりも苛烈かもしれません。たとえば動物園などに行くと、小さな男の子が「カワイイね~」と動物を愛でている様子をよく目にしますが、ある程度大きくなると「女の子」への性的評価以外で「カワイイ~」なんて口にしなくなります。そして「カワイイ」は、口にするのもその対象となるのも、「女の子」の専売特許になってしまうのです。私には、「女の子(少女)とは……」と熱を込めて語る日本のおじさんたちが、「かつてお母さんに愛されていた、自由でおバカでかわいい男の子だった自分」を語っているように思えてなりません。

 かわいくあることが許されない男性。子どもの頃と変わらぬ生真面目さで社会が求める「自由でおバカでかわいい女の子」を演じる女性。なんだか息苦しいですね。でも、こうした息苦しさも徐々に変わっていくのかもしれません。というのは、“ポケモン”を凌駕する勢いで現代の男児のハートをとらえているアニメ『妖怪ウォッチ』を子どもたちとしばらくいっしょに見ての感想。こちらの男児アニメに対する先入観、ひいては男児に対する先入観をことごとく覆す内容なのです。どういう内容かというと……いいかげん話が長くなりすぎてなんらかの妖怪に取り憑かれそうなので、この話はまたいずれ。

■いま、早期アクセスが熱い

 みなさんこんにちは、NaBaBaです。今回はいままでと趣旨を少し変えて、最近インディーズ・ゲーム界で流行っている「早期アクセス」という販売形態についての雑感と、それに関連した作品をいくつかご紹介したいと思います。

 この連載で幾度となく言及してきたインディーズ・ゲームですが、その規模は年々大きくなるとともにいろいろな問題が起きてきています。その最たる、かつ普遍的なもののひとつがお金でしょう。デジタル販売が普及し独立系の開発スタジオが自力で販売できる時代になったとはいえ、開発のための予算を確保しペイするのは依然困難なものです。むしろインディーズの裾野が広がっているからこそ、販売形態にも多様性が求められています。

 こうした中で今年に入って急進してきた新たな販売形態が、冒頭で挙げた早期アクセスです。これは開発途中のゲームを先行販売し、そこで得た資金を元手にして開発を継続していくスタイル。
 開発側からすると、はじめから十分な資金を持っていなくても販売と開発の継続ができるチャンスがあり、また開発途中の物を多数のユーザーに触ってもらうことで、実質的なテストができることが主なメリットとなります。

 当然開発途中なので必要な機能が実装されていなかったり、バグが含まれていたりということもあり得ますが、ユーザーもその点を承諾し、一方で完成版よりも割安で購入できたり、バグの報告や新機能の要望等といった形で開発に間接的に関われるというのが購入する側のメリットだと言えるでしょう。

現在Steamでは約270ものタイトルが早期アクセスとして販売されている。
現在Steamでは約270ものタイトルが早期アクセスとして販売されている。

 この早期アクセスが急進してきた背景としては、上記のメリットの他に、クラウドファウンディングの衰退の影響も大きいと言えます。Kickstarterをはじめとしたクラウドファウンディングは、昨年まではインディーズ・ゲーム開発のフロンティアとされてきました。しかしこの方法による資金調達の成功率は非常に低く、有名な開発者が参加していたり、すでに有名な企画だったりという知名度が物を言い、純粋な企画力だけではなかなか成功に繋がらないのが現状。また度重なるプロジェクトの中止等、支援者側からの信頼も低下してきています。

 事実、2014年上半期のゲーム・カテゴリの資金調達額が、昨年の半分以下となったという調査報告が出てきており、クラウドファウンディングのバブルは弾けたというか、多くのスタジオにとってはもはやチャンスを掴める場所ではなくなってきているんですね。

 
ICO Partnersの報告によると、今年上半期のKickstarterのゲーム・カテゴリにおける資金調達額は13,511,740ドルと、下半期を同額と想定しても昨年通期の57,934,417ドルの半分以下にまで下回った。

■早期アクセスとMOD文化の類似点

 早期アクセスが普及したもう一つの主因として、スター的作品の存在にも言及せずにはいられません。インディーズ勃興期にも、またはクラウドファウンディングが登場したときにも、その普及を牽引するスター的作品が存在しました。早期アクセスの場合は『Minecraft』と『Day Z』の2タイトルを挙げることができるでしょう。

 『Minecraft』は言わずと知れたクラフトゲームの始祖であり、今日のインディーズ・ゲーム文化そのものを代表する名作ですが、本作がリリース初期にとっていた、開発途中のものを割安で販売し以後無償でアップデートを繰り返していくというスタイルは、早期アクセスの販売方法のモデルの一つとなっています。

 もう一方の『Day Z』は、もともとは『ARMA II』というゲームのMODとして展開されてきたゾンビ・サヴァイヴァル・ゲームですが、昨年末スタンドアローン版が早期アクセスでリリースされて大ヒットを飛ばし、実質的な早期アクセス・ブームの火付け役となりました。

『Day Z』より。本作と『Minecraft』はゲームデザインから販売形態まで後続のインディーズ・ゲームに多大な影響を与えつづけている。
『Day Z』より。本作と『Minecraft』はゲームデザインから販売形態まで後続のインディーズ・ゲームに多大な影響を与えつづけている。

 さて、以上のように早期アクセスは概念的には『Minecraft』、より実際的な販売形態としてのブームを作ったのは『Day Z』にあると述べましたが、より深い部分にある考え方というか文化的な性質というのは、ずっと前の時代の「MOD」文化から引き継がれているものだと個人的に感じています。

 MODというのは、既存のゲームを「Modification」する、つまり改造し、そのデータをネットで無償で広く公開・共有することを指します。さかのぼるとFPS黎明期である『DOOM』や『Quake』の時代から存在しており、かつてPCゲームを語る上で欠かすことのできない重要な文化でした。

当時のMODの一例。『Shadow Warrior』改め『Sylia Warrior』。98年の作。テクスチャが無秩序に『バブルガムクライシス』のイラストに差し替えられる暴挙。こんな光景当時は日常茶飯事だった。
当時のMODの一例。『Shadow Warrior』改め『Sylia Warrior』。98年の作。テクスチャが無秩序に『バブルガムクライシス』のイラストに差し替えられる暴挙。こんな光景当時は日常茶飯事だった。

 一見して著作権等々の法的問題に触れそうなこのMODですが、改造元のゲームの販売を促進させるということでメーカーも容認する姿勢が一般的で、MOD文化全盛期にはむしろ改造のためのエディターをメーカーが直々にゲームに同梱するのも珍しいことではなかったのです。

 そのMODの内容は多岐にわたり、元のゲームにちょっとした機能を追加するものから、キャラクター・モデルやテクスチャの差し替え、ほぼ完全な別の作品に作り変えてしまう物までじつにさまざま。ほぼ完全な作り変えは「Total Conversion」と呼ぶこともあり、その代表的な作品が『Half-Life』のMODである『Counter-Strike』でしょう。

 ただし『Counter-Strike』という商品化された例があるとは言え、それは特殊なこと。MODは基本的に素人のユーザーが作ったものですからクオリティは玉石混淆、メーカーの保障も受けられない、完全に自己責任で楽しむものでした。Total Conversionについてはいきなり完成版がリリースされることは稀で、大抵少しずつアップデートされていくのを見守るのも楽しみの一つだったのです。

『Counter-Strike』も完成形である『1.6』に至るまで度重なるアップデートを重ねてきた。画像は後年のリメイク作の一つである『Counter-Strike: Source』。
『Counter-Strike』も完成形である『1.6』に至るまで度重なるアップデートを重ねてきた。画像は後年のリメイク作の一つである『Counter-Strike: Source』。

 現代のMOD事情はというと、ゲーム開発がきわめて高度かつ大規模なものになってきたにつれ、素人が手出しできるものではなくなり、かつての勢いはすっかり失われてしまったのが実情です。『The Elder Scroll: Skyrim』等の一部のMODフレンドリーな作品を除くと、現在発売されるゲームでMOD前提とした姿勢は見られなくなって久しいですし、Total Conversionのような大規模なものが話題に上がることも滅多にありません。

 しかしMODにとって代わって興隆してきたのがインディーズ・ゲームです。かつてのゲームに同梱されていたエディターの役目はUnityやUnreal Development Kit等の安価で安定したサポートが得られるゲームエンジンに変わり、既存のゲームを改造するのではなく、1からオリジナルのゲームを作っていくことに軸足が移ってきたのです。

 こうして振り返ってみると、インディーズ文化の先端にある早期アクセスも、単に目新しいだけでなく、かつてのMODやTotal Conversionという文化の土壌があるからこそ生まれてきた、しっかり文脈を踏まえたものだと感じられるのです。またそう考えるとMODからはじまった『Day Z』は、MODとインディーズ、Total Conversionと早期アクセスといった古今を繋ぐ象徴的な作品であるとも捉えられますね。

■お金を取るという事の難しさと責任の重大さ

 しかしながらMODとインディーズには金銭的やり取りの有無に決定的なちがいがあり、これが現在のインディーズ業界にまつわる諸々の問題を引き起こしています。たとえば早期アクセスの場合、開発側とユーザーの認識のギャップが問題になっています。簡単に言えば開発側が公約していた内容、あるいはユーザーが求めている内容と、実際のゲームの内容がちがうということが往々にして起こり得るんですね。

 MODにもそういったことはよくありましたが、MODは商品化でもされないかぎり基本的に無償であり、どこまでいっても所詮は趣味の産物、当然ユーザー側も何が起きようが自己責任だという大前提を暗黙の内に共有していました。

 しかしインディーズは逆に、どんな糞味噌な内容であってもお金を取っている以上は開発側に相応の責任が発生するし、ユーザーもそれを追及する権利を有するという考え方になります。すると開発中であるという前提をすっ飛ばしてユーザー・コミュニティが炎上、ゲームはブランド・イメージを不当に損なうという問題が起きてしまう。

 また開発中止のリスクがつねに伴っているという問題もあり、ひどい場合だと返金処理どころかまともな説明もなくスタジオがばっくれてしまうことも。実際Steamで早期アクセスとして販売されていた『The Stomping Land』の例では、開発半ばでスタジオからの連絡が途絶えそのまま販売停止に至るという事件にまで発展しています。

『The Stomping Land』より。5月30日のアップデートを最後にスタジオは音信不通になっている。
『The Stomping Land』より。5月30日のアップデートを最後にスタジオは音信不通になっている。

 こうした問題を受けて現在Steamでは早期アクセス・ゲームのストアページやFAQで、早期アクセスゲームが開発途中のものであり、最悪の場合は開発中止もあり得るという点を明記するようになりました。しかしながらこれは開発側とユーザーとの信頼の問題でもあり、いくらリスクを明記しても問題が多発するようであれば、ユーザーは関わりを避けるようになるし、健全な開発スタジオにとってもメリットがなくなってしまいます。

 それこそKickstarterにおいてこの数年でさまざまな問題が発生し、クラウドファウンディングの可能性と限界が周知された結果としてそのバブルが弾けたように、早期アクセスも未知数ゆえの評価待ちの状態であり、数年後も安定した販売方法として定着しているかどうかは怪しいところです。

 個人的な見解を述べれば、早期アクセスが数年後もいまの形態のまま存続している可能性は低いと見ています。なぜなぜならゲーム開発とは予定通りいかないものであり、予算も期間も足が出ることは現代の大手のゲーム開発においてでさえ当たり前のことなのです。しかし早期アクセスは将来の完成の可能性を担保に資金を募っている面があるわけですから、これはじつに危ない橋を渡っているものだと感じています。

 しかもベータ版等、ゲームとして必要な機能がすべて実装されている状態ならまだしも、アルファ版やそれ未満の状態で販売しているゲームも多い。ということはそれだけ今後の開発で未知数な部分や問題が起きる危険性が高いのです。しかも開発中のゲームをそういう状態で販売しなければいけないということは、それだけスタジオに余裕がないということの表れでもある。

 早期アクセスが流行りはじめてまだ一年も経っていないので問題も顕在化されていませんが、これから先、募った資金が足りなくなったとか、公約していた機能を実装できない等の問題が間違いなく頻発することが懸念されます。最悪クラウドファウンディングと同じ道をたどり、最終的に信頼も知名度も資金も余裕のあるスタジオにしかうま味がない、何も元手が無い弱小デベロッパーの救いにはならない販売形態になってしまうのではないか、という点を大変危惧しています。

■早期アクセスのその先は?

 より多くの開発者にチャンスを与える。これがインディーズ・ゲーム業界でつねに問われている課題であり、それに応えつづけてきたからこそ、現代の興隆があると思っています。クラウドファウンディングや早期アクセスもそうした試みの一部であり、成功した面もあれば失敗した面もあります。では早期アクセスの次には何が来るのか? その点についても少しご紹介したいと思います。

 インディーズのスタジオにとって資金と同じく問題になるのがプロモーションです。せっかくよい物を作っても十分な宣伝がなされなければ売れるものも売れない。早期アクセスが流行った要因の一つには、じつのところ、とりあえず発売すればSteamのトップページに掲載されるというプロモーション面での理由もありました。こうしたことからもわかる通り、近年ますますたくさんのゲームが発売されひしめき合う中で、いかに目立つかというのは大変重要な課題になっているのです。

 こうした問題に一石を投じる形で最近Steamに登場したのが、「Steam Discovery」および「Steam Curators」という新機能です。この両者はともに多数のゲーム・ラインナップの中からユーザーに適切な商品を紹介することを目的としています。

 Steam Discoveryは個々のユーザーが購入し遊んだゲームをもとに自動生成される商品紹介ページで、これまでの画一的な商品紹介ページでは取りこぼしていた作品の情報をユーザーに届けられるようになることが期待されています。

 もう一方の Steam Curatorsは逆に有人による商品の紹介機能で、キュレーターである個人、あるいは組織が商品を推薦することで、購入の一助にしようというものです。贔屓にしたいキュレーターを登録すれば、先程のSteam Discoveryで生成された商品紹介ページに、キュレーター推薦の商品も掲載されます。

ちなみに僕は『Rock, Paper, Shotgun』を特別贔屓にしている。本来はゲーム専門ニュースサイト(https://www.rockpapershotgun.com/)で、マイナーながら良質なゲームの発掘に定評がある。
ちなみに僕は『Rock, Paper, Shotgun』を特別贔屓にしている。本来はゲーム専門ニュースサイト(https://www.rockpapershotgun.com/)で、マイナーながら良質なゲームの発掘に定評がある。

 これらの新機能はいずれも実装されたばかりなので効果的かどうかの判断はできませんが、こうした試み自体は評価できますし、また引きつづき行われなければいけません。インディーズ・ゲーム業界が今日の形を成しているのは、作っていくため、売っていくための試行錯誤が続けられたからであり、その結果としてマネタイズとクリエイティヴィティを両立しながら市場を拡大してきたことは財産であると誇ってもいいものです。

 そして早期アクセスとMODの繋がりが示すように、今日の試行錯誤や新しい試みの中にも、文化的な土台としての過去をしっかり引き継いでいることに、根底の部分での力強さを感じています。今後もさまざまな問題が起きるでしょうが、それらを乗り越えインディーズ・ゲーム業界をさらに発展させていってほしいと思っています。

[[SplitPage]]

 ここから先は早期アクセスの作品を具体的にいくつか紹介していきたいと思います。ただしどれも開発中のものですから、ここでの評価は最終的なものではないことを念頭に入れてください。

Broforce

 

 開発はFree Lives、パブリッシャーは一癖も二癖もあるゲームの販売でお馴染みのDevolver Digitalによる作品。往年のアクション映画のヒーローたちを堂々とパロディしたキャラクターが大暴れする、肉密度1000%、木曜洋画劇場的なアクション・ゲームです。

 パッと見、『魂斗羅』や『メタルスラッグ』等の純粋な戦場アクションかと思いきや、地形を崩して回り込んだり敵の足場を無くしたりといったパズル的側面もあります。プレイヤーが操作する兄貴たちはどれも強力な火力を持っていますが、敵の攻撃一撃で倒れてしまうため、強力な攻撃をぶっ放しつつ、それによって削れていく地形をも利用し、いかに敵の射線に入らないかを考える、アクションと戦略性をあわせ持ったゲームと言えます。

 とは言えそこまでタイトではなく、そればかりか実際はかなり大雑把なゲーム・バランス。地形は半ば制御不能なくらい削れていくこともあるし、操作する兄貴たちは毎回ランダムで決まる上に性能差が激しくて、使えない兄貴ではクリアはままならない。ただどうせすぐ死ぬし、そしたらまた別の兄貴を操作することになるからいずれクリアできるっしょ? みたいなノリ。同じDevolver Digital販売で、タイトなアクションと戦略性が高いレベルで融合していた『Hotline Miami』とは比べるべくもないアバウトさです。

 しかしながら、本作はそれがいいのではないかとも思います。現在Beta版でゲームとしての根幹部分は大分でき上がっていると思います。一方でいまなお新しい兄貴たちを次々と実装しようとしているところからもわかるように、本作は磨き上げられたゲーム・バランスを味わうものではなく、次々と登場する新たな兄貴にワクワクしながらその場その場の爆発を楽しむ、ファストフード的な楽しみ方のゲームなんだと思います。

 ちなみに法的に大丈夫なのかと心配になるくらいあけすけなパロディをしている本作ですが、なんと本家本元の筋肉映画『Expendables 3』との公式コラボが決定、その名も『Expendabros』という兄弟作をリリースするに至っています。世の中どう転ぶかわからないですね。


『Expendabros』より。ヘタにプロモーション用ゲームを委託開発するより、よっぽどできがいいし話題性もある。

■Dream

 

 Hyperslothが開発、Mastertronicが販売の、題名通り夢を題材にした作品。古くは『Myst』等に代表される、雰囲気系、探索パズル系のゲームですね。開発は順調そうで、月1からそれ以上のペースでアップデートされているので、その点についての心配はなさそうです。

 僕はこの手のゲームが好きなのでそれなりに遊び込んできたつもりですが、しかし本作は残念ながらピンときませんでした。まず第一にヴィジュアルのセンスがない。雰囲気系のゲームはその世界に引き込むヴィジュアルのインパクトが必要ですが、美しさと超現実性、どちらにおいても突出したものを感じない。変化も乏しく、長時間変わり映えのしない空間を歩きつづけさせられることが多く苦痛です。

 またパズル性についても一定のエリアを何度も行き来して解くタイプのものが多く、難易度も高いため個人的にはとてもテンポが悪く感じる。これに変わり映えのしない見た目が加わると、退屈で面倒くさくて、とてもじゃありませんが夢の中を彷徨っているような幻想的な感覚は味わえません。

 夢の中を彷徨っているような体験ということであれば、他に『Kairo』や『NaissanceE』、『Mind: Path to Thalamus』等の作品があり、どれも『Dream』より出来がいいのでそれらを僕はお薦めします。とくに『Kairo』と『NaissanceE』はシンプルなジオメトリで構成された空間が抽象的かつ幻想的で、夢の捉えどころのない感じが具現化されているようで好きですね。

『NaissanceE』より。グレー1色の世界だが巨大構造物の数々はSF的でもあり、こちらのほうがはるかに夢っぽい。
『NaissanceE』より。グレー1色の世界だが巨大構造物の数々はSF的でもあり、こちらのほうがはるかに夢っぽい。

■The Forest

 

 Endnight Gamesが開発・販売を手掛けるオープンワールド・サヴァイヴァル・ゲームで、早期アクセスの中でも人気の高い作品です。ベースは『Minecraft』が発明したクラフト&サヴァイヴァルのシステムを踏襲しつつ、敵の襲撃を想定した拠点や罠の作成、体調管理等といったサヴァイヴァルの側面がより強化されています。

 昼夜を問わず敵である原住民が襲ってくるため難易度は高い。最初の頃、僕はスタート地点である飛行機墜落現場付近に拠点を作っていたものの、すぐ敵に見つかっては殺されるを繰り返してまったく楽しめませんでした。

 しかし敵にも巡回ルートがあるようで、海岸沿いの崖下の僅かな平地に拠点を作成。さらに敵に見つかっても逃げ込めるように各地に臨時避難所を用意することで、ゲームを軌道に乗せることができました。

 以上のように説明不足で大変とっつき難い面があるものの、ゲームの法則を試行錯誤で学習していくおもしろさがあり、一度軌道に乗れば『Minecraft』譲りのエンドレスなクラフト&サヴァイヴァルの世界が開けています。

 現状、ヴァージョンはまだ0.07のアルファ段階で、未実装の要素もあれば挙動も安定していません。ただ基本的な部分のおもしろさは十分実感できるし、グラフィックスもインディーズにしてはよくできているほうなので、今後の開発でしっかり肉付けしていけば、よい作品になる予感がします。

 ただ僕は個人的にはエンドレスなゲームって好みではないし、その方向性であれば『Minecraft』が最強なので、本作には何らかの大局的な目標を用意してほしいところ。ゲームのオープニングで主人公の息子が原住民にさらわれる場面があり、その後とくに説明がないのですが、そのへんの背景設定をゲームの大局的な目標に組み込んでくれることを期待したいです。

■Invisible, Inc.

 

 Klei Entertainmentが開発・販売のステルスゲーム。ここのスタジオはゲームのできに定評がある上、前作の『Dont't Starve』も早期アクセスで販売し完成させた実績があるので、信頼度は申し分ありません。

 本作の最大の特徴はターン性のステルスゲームということで、いままでありそうでなかったタイプです。ターンごとにアクション・ポイントの範囲内で行動をとる、という点を除けば基本的なルールはステルスゲームを踏襲しています。つまり敵に見つからず、監視網を掻い潜ってアイテムを収集し、速やかに離脱する。

 しかしながら非常に難易度が高く、自キャラは敵に見つかったらほぼ死亡確定で、対抗手段もほとんどないのでゴリ押しはまったく利きません。しかも一定ターンごとに警戒レベルが上がり敵勢力が強化されていくため、無駄のない行動と、ときには引き際をわきまえないと、あっという間に包囲網ができ上がり詰んでしまいます。さらにステージはランダム生成なので決まりきった攻略法もない。

 そういうわけでターン性を活かして個々のターン内ではじっくり戦略を練られるものの、大局的には時間制限を意識して行動しなければいけない点が、従来のリアルタイムのステルスゲームの、瞬間的なアクションは問われるものの大局的には牛歩戦術が利く性質とは真逆なのがおもしろいですね。

 しかしそれにしても難しい。自キャラが複数いる内は各ステージはツーマンセルで挑むことになりますが、いまだに2人とも生還してクリアできたことがない。アイテムの購入やレベルアップで自キャラも強化させていけますが、そうした軌道に乗せるためにまずはゲームオーバーになりまくってコツを掴まなければいけません。そのあたりを良しとできるかどうかが好みの分かれどころでしょう。

 現状ランダム生成とはいえステージのヴァリエーションは少ないし、アイテムやレベルアップ時のアンロック要素も十分ではありません。ただ基本部分は大変しっかりしているので、あとは要素を増やしていけばいいという点では、今後の開発も安心して見守れる気がします。

■The Long Dark

 

 Hinterland Studioが開発と販売を手掛けるオープンワールド・サヴァイヴァル・ゲーム。『Minecraft』や『Day Z』のサヴァイヴァル要素のみを抽出・深化させたような作品ですが、ゾンビとか原住民だとかいったフィクション要素はいっさい出てきません。かわりにプレイヤーが立ち向かうのはカナダの豪雪地帯という、厳しい自然環境そのものです。

 サヴァイヴァルに特化しているだけあって、管理しなければいけない自キャラのパラメータは疲労、冷え、飢え、渇き等にわたり、さらに怪我だ病気だといった状態異常にも気をつけなければいけません。

 これらを満たすためにつねに探索しつづけ、食料や衣服、燃料を集めつづけなければいけませんが、これまたとても難易度が高い。極寒の地での活動はそれだけで体力を奪いますが、何もしなくてもパラメータは低下していく。かといって探索したところで物資が見つかる保証も、いざ吹雪いてきたときに非難する場所がすぐそばにある保証もない。

 そんな状況だから、体調が万全なのはゲームを開始したときだけで、以降はつねに何らかの体調不良に悩まされることになります。この問題を抱えたままプレイしつづける感覚は、初代『Half-Life』の、HPがつねに半分前後になりがちなゲーム・バランスに通じるものがあります。

 ただ本作は半分どころか油断していればすぐ詰んでしまいます。といっても即死するわけではなく、何も打つ手がなくなってしまったが後2日くらいは生きられる体力が残っているので、その間ゆっくり衰弱していく、っていう流れになるのがじつに生々しい。

 現状アルファ版でストーリーモードはまだ実装されておらず、純粋なサヴァイヴァルに挑むサンドボックスモードのみを遊んだ上での感想ですが、それでも本作のエッセンスは十分に感じ取ることができました。基本的な操作感は大変しっかりしているし、難易度は高いものの徹底してリアルなサヴァイヴァル・シミュレーターに徹したゲーム・デザインも渋くて好みです。グラフィックスもシンプルだけど自然の険しさと美しさの両面を感じさせてくれます。

 要望としては、現状ではインベントリが文字だけなので、画像を交えて直感的な仕様にしてもらいたい。ただ不満点はそれくらいで、これから先肉付けしていけばかなりいい作品になりそう。今回ご紹介したゲームの中では、個人的には本作がいちばん期待値が高いです。後々実装されるというストーリーモードにも大いに期待したいと思います。

■World of Diving

 

 Vertigo Gamesが開発と販売を行うダイビング・シミュレーターです。海に潜って数々の魚の写真を撮ったり、埋蔵物を収集したりといったことが主な遊びになります。

 最初は海中の美しさにワクワクさせられますが、所詮は作り物。景観のヴァリエーションがなく、もしくは海中なので出しようがないのかもしれませんが、とにかくすぐ飽きてきてしまい、何か遊びはないかと考えるのですが、上記の2種類しかやることがないのでたまりません。

 埋蔵物の収集でゲーム内通貨を貯め、ダイバースーツ等の装備を買い揃えることもできますが、それがゲーム自体のおもしろさに繋がるわけでもなし。いちおうダイビングの諸要素を再現はしているのかもしれませんが、ゲームとしてはただただ退屈なものでしかありません。

 類似した作品はどうなんだろうということで、『Depth Hunter 2』という作品も遊んでみました。開発中のものと完成品を比較するのもフェアではないのですが、『Depth Hunter 2』のほうがグラフィックスは若干綺麗だし、泳いでいる魚の種類も多い。また写真撮影や埋蔵物収集の他にも、スピアガンを使っての魚のシューティング要素もあります。

『Depth Hunter 2』より。見た目が似ていますが別作品です。
『Depth Hunter 2』より。見た目が似ていますが別作品です。

 ただこちらも五十歩百歩という感じで、ゲームとしておもしろいかどうかというと大いに疑問。どちらも実際のダイビングの再現に気を取られていて、ゲームとしてのおもしろさが蔑ろにされている気がします。

 では、ゲーム性優先の海中ゲームはあるのだろうかと探して見つけたのが『Far Sky』という作品。こちらは言うなれば海底版『Minecraft』で、有限の酸素や水圧による活動限界という海中ならではの要素が要所に組み込まれていますが、基本的には『Minecraft』を踏襲したクラフトゲームです。

 前述の2作よりは圧倒的にゲームとして遊べますが、それでも『Minecraft』の縮小再生産の感は否めず、海中ゲームとしてのオリジナリティを実感するには至りませんでした。

『Far Sky』より。こちらも見た目が似ていますが、やっぱり別作品です。
『Far Sky』より。こちらも見た目が似ていますが、やっぱり別作品です。

 今回『World of Diving』を通じていろいろ探し回って感じましたが、海中を舞台にしたゲームは少ないです。それはここで取り上げた3作を遊んでも感じたように、海中という舞台自体が景観の変化に乏しく、飽きがくるのが早いというのも理由の一つかもしれません。

 『World of Diving』のダイビング・シミュレーターとしての再現性については、僕は実際のダイビングをしたことがないので量りかねますが、ゲームとして捉えたらおもしろくないのはたしかです。ただ本作がシミュレーターと銘打っている以上、ゲームとしてのフィクション性を取り入れる気はあまりないようなので、今後のアップデートについても個人的には期待できません。

 それにしても海中を舞台にしたゲームで、これはという作品はないのでしょうか。探しているのでご存知の方は教えてください。ちなみに『BioShock』シリーズは抜きでお願いします。

Aphex Twin - ele-king

五野井郁夫/Ikuo J. Gonoï
1979年、東京都生まれ。国際政治学者・政治哲学者。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHK出版)など。世界中のフェスや美術展、流行の研究と批評も行っている。去年は新語・流行語大賞を受賞。

若山忠毅/Tadataka Wakayama
1980年生まれ。写真家。
主な展示 第10回写真「1_WALL」展 / 銀座 ガーディアンガーデン(2014)。テクノ・ハウス全般に造詣が深い。
https://twitter.com/t_waka1980
https://www.facebook.com/waqayama.tadataqa
https://rcc.recruit.co.jp/gg/exhibition/gg_wall_ph_201403/gg_wall_ph_201403.html

Aphex Twinにいつ、どのようにして出会ったか

五野井:Aphex Twinといえば、われわれの世代からすると、挑むにせよ、模倣するにせよ、ひとつの準拠点なわけですが、まだネットがなかった頃の電子音楽、そしてAFX体験っていつでしたね? 思春期の頃には、お互いすでに聴いていたのだけど。

若山:はじめて知ったのはレコード屋ではなく、まず雑誌ですね。クラブミュージックを取り扱ったほとんどの雑誌の情報はなんでも仕入れていました。あとは海外の雑誌をたまに。高校ぐらいからは『ele-king』が創刊されて読むようになった世代ですね。そんな情報の中でアンビエントってジャンルがあるんだと知りました。いろいろ聴いていると変なのが引っかかった。それがAphex Twinです。音としては、最初に〈Warp Records〉が発表した『Artificial Intelligence』(1992)。あとはソニーの〈Warp〉のコンピに入っていた、Polygon Window名義の“Quoth”(1993)って曲ですね。90年代は何々テクノやらハウスやらがいろいろあって、それを必死で追いかけていました。

五野井:そうですね。『Artificial Intelligence』にはThe Diceman名義の“Polygon Window”(1992)が入っていたんですよね。ネットが普及していないので、まず、音を紙で聴いて、情報を仕入れてCDを買いに行くっていう感じでしたね。身体性を気にしない澄んだ音だったから、90年代の帰宅部カルチャーだったわれわれにとっては、すぐれて心地よくもあったわけで。1992年にアルファ・レコードから『HI-TECH / NO CRIME』と1993年の『Hi-Tech / U.S. Crime』(YMOのリミックスCD)が相次いで発売されて、これが未来なんだって当時感じましたね。徹底的にテクノの「洗礼」を受けた時期かな。雑誌といえば『i-D』や『Face』、あと季刊の『Vouge Hommes』で、音楽はもちろんモードや写真にも入っていきましたね。2000年にターナー賞受賞したウォルフガング・ティルマンスなんかが、90年代当時のUKクラブシーンを撮っていたし。

若山:ぼくはティルマンスが写真撮っていたことは、当時まったく気づかなかった。あの頃は写真に興味がなかったから(笑)。でも彼がAphex Twinの写真を撮っていたんですよね。当時のAphex Twinへの入り方は、お互い歳がそんなに離れていないから、ここは2人の共有できる点ですね。そのCDから誰がリミックスしているとかから、アーティスト名を調べていた時期です。彼らのオリジナルやその周辺のアーティストを漁りはじめたころ。最初のころは曲名の意味や発音が分からなかったですから。Aphex Twinの場合だと『Selected ambient Works 85-92』(1992)の“Xtal”や“Tha”とか、そもそも辞書に載っていないじゃないですか。現に存在する言葉をいじる、もしくは作ってしまえという発想は新鮮でした。それは今回もやっていますね。

五野井:しかもAphex Twinはもちろん、ほかのアーティストも別名義を幾つか持っていたりするから、ああいう文化も衝撃的だったなあ。いずれにせよ、ベンチマークになりましたよね。多重人格ではなくして、分割可能な人格って、政治哲学者のウィリアム・コノリーとかが現在でも唱えているプルーラリズム(pluralism:多元主義)そのものですから。

若山:あのころ分割可能なアーティストって多かったですね。リチャード・D・ジェイムスの旧友のTom Middletonなんかもいろいろ使い分けていたなぁ。本人も様々な名義を使い分けてトラックをリリースしていましたね。でも、だからこそ抽象的な次元から飛び出てくる多様な音や言葉(=意味不明な曲名)を視聴することで、音楽の自由さみたいなのを知ることができたといっても過言ではないです。パンクの人がNeu!を聴いた衝撃に近いかも。「あ、こんなのでいいんだ!」って。あとは中二的ですけど、無機質人間っぽさのない状況に入り込んでみたかったっていうのは、郊外における日々の生活の退屈さゆえにありましたね。
※「neu!」https://www.youtube.com/watch?v=vQCTTvUqhOQ/
「neu!2」https://www.youtube.com/watch?v=tOfhR6uybNo

五野井:そういえばYMOやクラフトワークへと続く古典的な黎明期テクノのロボティックで機械的な音だとされているなかで、Aphex Twinの位置づけって、電子音楽というよりはむしろ牧歌的で、とくに第二期以降は露悪的だとする評価がありますけど、どうです?

若山:たしかにAphex Twinをそう位置取りする方が多いのかもしれませんね。いくつかの仕事を取り上げれば、牧歌的で露悪的というのは賛同できます。でも当時テクノの細分化のなかで、もっと露悪で牧歌的なのってあったと思うんです。だから彼だけにそうした意識を強く感じることはなかったです。

五野井:70年代後半以降生まれの世代からすると、シェーンベルクからメシアンという純粋音楽の延長線上にブーレーズ、シュトックハウゼンら、「管理された偶然性」としてジョン・ケージから貶された系譜だとも云える。とくにYMOの『増殖』と2枚のHi-Techが所与だったせいか、社会風刺としての露悪や諧謔もテクノの一部だと思っていました。  とりわけ、90年代前半に中学生って、Blurの“Park life”(1994)を日本で実体験していた世代だから、あの露悪は自然な流れというか、妙なリアル感があるんですよね。あとはクリスチャン・マークレーみたいに音の外のアイデアで戦うのはなく、あくまで諧謔は補足的なものでしかなく、何だかんだいって純粋に音の中で勝負するっていう姿勢には感銘を受けました。

若山:パークライフ的な冴えない生活環境だからこそ、純粋な音楽で別次元に行きたいっていうのはありましたね。まだ郊外に住んでいるから、それはいまでも変わらないかな。

五野井:むかしだと、寺山修司が演劇『レミング 世界の涯まで連れてって』(1979)のなかで「室内亡命」という提案をしていますね。いまだとネットに逃げそうだけど、当時は普及してなかったからできなかった。「室内亡命手段」の1つは、書を捨てて街に出るのだけど、行き着く先はクラブ。そういえばそのダンスフロアからも、苦手な音の時は室内亡命をするっていうのは、建築雑誌の『10+1』に以前書いたなあ。まあ、でもフロアも疲れるときってありますよね。

若山:でも、なぜAphex Twinなのかといえば、爆音のフロアで聴かなくても、チルアウトスペースでも、さらには自宅の畳の部屋でも電気を暗くすれば、同じ効果が得られるっていうところですよね。「畳とテクノ」って(笑)。まぁ、ベッドルームテクノの本質ですね。

五野井:家で聴けるって、お金もかからないし、中高生の懐にも優しい音楽でしたよね。

若山:当時のクラブ・ミュージック、とりわけ・は退屈な曲が多くなっていっていましたよね。それよりもAphex Twinは、普通の音でも、爆音で聴いてもいい。そんな特徴があったのだと思います。“Didgeridoo”(1991)や“Polynomial-C”(1992)なんかは、面白いですよね。ダンス・ミュージックの名曲って箱でも家でもどちらでも聴いても楽しむことが可能なのが多いですね。

五野井:“Didgeridoo”は当時のワールド・ミュージックに対する嫌がらせであるとともに、引きずられた感じの両方があるのではないかと。第二期へのとっかかりとも取れるわけですけど、あれって、ジャングルとかトリップ・ホップの前で、目の前の不安感をそのまま出した感じがするんですよ。ウィトゲンシュタインの「言語のザラザラした大地」を音で垣間見たというか。

若山:バカにしているのか、本気なのか、どっちだったのでしょう。「流行りの音なんて、もううんざりだー!」って風潮はあったのかもしれない。失礼かもしれませんが、AFXってあまりクラブとか行かなそうだし。仮に家で地道にやってたいらなおさらなわけです。

五野井:本人に聞いたら絶対にはぐらかされるだろうけど、90年代のいくつかの雑誌インタヴューで本人は代表曲としていたから、本気でしょうね。当時のアーティストがみんな語り口からして真面目だったのに対して、Aphex Twinって基本姿勢は諧謔キャラだけど、でも音はもちろんとして、インタビューでも真面目な部分がちらりと見えます。誰に似ているかというと、デミアン・ハーストの、シニシズムでキャラをつくりながらも「俺の作品は残酷だって言うくせに、一番スキャンダルなのは新聞の紙面で、戦場で兵士の頭が吹っ飛んだって書いてあるのに平気な奴らだ」っていうアレかな。

若山:ぼくらがみてきたイギリス人特有のふざけた感覚ですね。ストレートな面白さと真面目さではない、ねじれた面白さと真面目さですね。多感な時期に斜に構えたスタンスを植え付けられたというか。今考えるともっと普通に青春時代を過ごしていればよかったなぁって、感慨深いです(笑)。

[[SplitPage]]

新作『Syro』について

五野井:で、『Syro』なわけですが。あの純粋な音、何か懐かしい感じがしませんか。

若山:トラックごとに聴いてみると、初期の別名義の作品に似ていたりするのかなと。そして格別に新機軸ってわけでもないんですよね。AFX名義で「Analord」(2005)シリーズを発展させた感じで聴いてくださいっていうAFXの新しい楽しみ方をみつけました。

五野井:たしかにそれは新しい提案だと思う。さて、しっかりと分析していきますか。

若山:まず、“minipops 67 [source field mix]”ですね。これはGAK(AFX変名)に似ているのかな。基本に帰るっていうかアマチュアっぽいのがなんとも、どうでしょう?

五野井:GAK 1”(1994)はビートがいわゆる「完全に一致」ってやつで懐かしくもあります。Aphex Twinをこれから聴いてみようっていう人には、入門としてよい1曲目ですね。でも一般的な商業テクノの市場はこれを求めているのだろうか。

若山:たぶん、この人は一般的な市場とかどうでもいいんじゃないでしょうか。市場でのエレクトロニカ系は知的な音楽っていう嫌いがある。話がずれますが、岡崎京子の『東京ガールズブラボー』(1990-1992)でも、ニューウェーブ好きの男の子ってそういう設定で描かれていますよね。

五野井:『東京ガールズブラボー』の犬山のび太くんは、かなりナードですよね。その設定を商業的なマーケットからは求められているけど、あえて今回『Syro』では肩透かししたった、と。

若山:おそらく。先ほどから言っている予期せぬ作用があるわけです。“XMAS_EVET10 [thanaton3 mix]”はそこまでキャッチーじゃないけど、Metro Areaの“Caught Up”(2001)を思い出してしまいました。メローだからかな。

五野井:2000年代初頭の音に還っていってますね。にしてもマッシュアップ感、パねえなあ……(笑)

若山:03. produk 29、前半の緩めのビートの部分はやはり2000年代前後のダブディスコを想起してしまいます。Chicken Lipsとか……その辺かと (笑)

五野井:このあたりはさほどAphex Twinの得意分野でもないのかもしれませんね。とまれ、「神は細部に宿る」とは云ったもので、Aphex Twinが他のミュージシャンが保ち続けることの出来なかったベテランとしてのクオリティを保っていることは分かるわけで。そういう意味では、この辺りはフォロワーに対して「過去のグラマーお前らに教えてやんよ」、なのですかね?

若山:一応ベテランなわけですしね。04.4 bit 9d api+e+6はピッチを曲げるデトロイトっぽいシンセがいいですね。似ているというわけではないのですが、このトラックのシンセやベースの懐かしさがわかるといえば、Rhythm is Rhythmの“Nude Photo”(1987) とMr. Fingersの“Washing Machine”(1986)あたりとかを聴くと「おぉ!」ってなるんじゃないかな。

五野井:たしかに。この前『短夜明かし』(河出書房新社)を出した作家の佐々木中さんが講義で学生にRhythm is Rhythm聴かせたら、学生が感動したらしいですからね。われわれの世代が聴くと今回の『Syro』は2000年代初頭にくわえて、80年代〜90年代のいくつかの牧歌的な音にも戻ってきている気がするのですよ。踊らせてやるぜっていう感じとこれがテクノのクロノロジー(年代記)だよっていうメッセージも感じます。

若山:“180db_”は4つ打ちになりますね、これに関してはフロアチューンと言わないまでも、そっちの方向ですよね。でもすごいだるーいですね。ハードコア・テクノみたいだけど、音がスカスカ。Human Resourceの“Dominator[Joey Beltram remix]」”(1991)、全然違うかもしれないけど、思い出してしまいました。

五野井:刻みのよいビートなので素材としても使えるしフロア的ですね。他方、“CIRCLONT6A [syrobonkus mix]”は擬似的な感じですね。速さがあり、クラシックで、やはりベーシック。いじくり回して打ち込んでいる感じがたまらない。これがうまくいくというのは往年の技を見た気がします。とくにリズムの刻みが激しくなり巻き返すところは極めてオーソドックス。必ずどこかで聴いているような気がするっていうのはすごいことですよ。

若山:すでに聴いたことがある、どうでもいい音を再度取り上げるスタンスは大切だと思います。“CIRCLONT6A [syrobonkus mix]”も2000年くらいのBreaksってこんな感じでしたね。Plump DJsの“Soul Vibrates”(2004)はたしかこういうビートでした。でも、やはりAphex Twinらしさは十分にありますね。あと中盤のところがPsycheの“Crack Down”(1990)の後半みたいな疾走感がありますね。

五野井:たしかにPsycheのときのカール・クレイグっぽいかも。他方“fz pseudotimestretch+e+3”は転調しますね。“CIRCLONT14 [shrymoming mix]”のアンビエントな入りだけど、這うような音が入り、スピードが上がる。不安さから心地よい速さへすすむ。Aphex Twinが歳をとったのか、我々がこの音のもとで育ったからなのか、追いかけてくるような音もずしんと来る音も、オーソドックスで安心しますね。Roland TR-808と909ですよね。

若山:はい、ぼくらはこの音にやられていた。大好きな808と909です。やっぱり加工していない生の音に安心する。“CIRCLONT14 [shrymoming mix]”は極端なシャッフルが面白くて聴き入ってしまいます。クセになりますね。DJがターンテーブルで遊んでいる感じですね。リズムボックスで遊んだことがある人だったらこの機能は試したことあるんじゃないかな。おそらく機材をそのままの使っているかのようで。

五野井:生の音、というか安心できる素の音ですよね。。電子音楽における「生」っていうのは、明らかに語義矛盾なのだけど、これはたしかに生の音だなあ。TR-808、TR-909あたりで、音圧で潰さない感じがそういって差し支えないかと。

若山:いまはソフトシンセでトラックを作る時代。過去の機材もソフト上でその音を再現してくれます。最近はこうしたビンテージ機材を見直す動きみたいなのがあるのでしょうかね。

五野井:“syro u473t8+e [piezoluminescence mix]”のシンセのベタなメロディが引っ張って、後半の高音4音が純粋に気持ちいいし、そのあとのテンポの下げ方もよい。まるで他のエレクトロニカを嘲うかのように、他ジャンルをAphex Twinの音に仕上げているけど、これやる人あんまりいないですよね。

若山:こうやってコミカルにやるのはコーンウォール一派の人たちですかね。みんないいやつです(笑)。

五野井:先生と生徒(mentor and disciple)の関係ですね。そういえばスクエアプッシャーがジーマのCMに曲提供していたけど、そういう時代になったんですね。ええと、“PAPAT4 [pineal mix]”ですが、テクノポップみたいなシンセの入り方でお得意のスネアのうねりがあって、聴覚だけではなく、他の五感や身体性が拡張される感じがします。メトロノームの刻みのような音はウィリアム・ケントリッジの『The Refusal of Time』(2012)なんかにも影響を与えている、安定のAphex Twinサウンドですね。

若山:もっともAphex Twinっぽいですよね、聴きやすい。10の雰囲気はAFX名義の“Hangable Auto Bulb”(1995)みたい。

五野井:かわいた感じがたまらないですね。近頃、世界はウェットなもので溢れているから。

若山:ええ、あらゆる事象がウェットすぎですね(笑)。まま、ドリルンベースで刻むところとかいいですね。こういう音を昔のサンプラーで編集するとかなり時間がかかるんですよね、それに比べるとだいぶ楽ですよ、いまは。

五野井:“PAPAT4 [155][pineal mix]”と“s950tx16wasr10 [earth portal mix]”まで聴いていると、ひさびさにホアン・アトキンス先生のModel 500“Night Drive”(1985)が聴きたくなります。今回の『Syro』はback to the basicだと感じるのはこういう昔からの音をもう一度聴きたい気にさせる曲調が多いからでしょうか。“s950tx16wasr10 [earth portal mix]”はドリルンベースとはかくあるべしと言う曲ですね。鉄線を擦るような、ウォルター・デ・マリアの“Apollo's Ecstasy” (1990)のように、ジリジリとした感じがたまらない。曲の作りはグラマーのお手本だなあと。でも、最後の“aisatsana”は、評価が分かれますね。

若山:11曲目のタイトルにある「S950」ってサンプラーの名前かな? 最後はどうなんでしょうかね。ここまで打ち込みだったから、最後まで同じノリでやるのかなと予想していたのですが、意外な展開ですね。『Drukqs』の“jynweythek”的なのを思い出してしまって、少し驚きました。

五野井:11はAKAIのあれですかね。12曲目はたしかにウェブ上にアップされている“jynweythek”をピアノで弾いたのを聴いてみると、曲調がかなり似ている気がします。欧州圏のミックスCDのお手本のような無理のない終わり方ですね。

『Syro』を聴いてから、もう一度Aphex Twinの意義を考える

若山:今回『Syro』を聴いてみて気づいたのは、やはりルーツを調べることや戻ることの大切さということですかね。音だけで勝負するのってわれわれの世代にはすごく影響を与えていますよ。例えばテクノとハウス最初に聴いていた頃は、白人が作っているって先入観がありましたから。それこそ初めて聴いたときはDJピエールって字面であの音聴いたらみたらね。そしたら違った(笑)。テクノとハウスの歴史を紐解いてみると必ずしもそうではない。世界では音と実力で勝負出来るのだと理解できて、価値観が変わったのを今でも覚えています。それ以降、通り一遍で物事を考えず、多方面から物事をみるのがデフォルトになりましたね。

五野井:とくにAphex Twinは実際どの方向から攻め込んできてもおかしくないですからね。今回の『Syro』がそうだったけど、聴く側の隙あらばやられてしまう(笑)

若山:その隙があればやられてしまうのって、たしかに聴く側もそうですが、ポップスにとっても最大級の脅威だと思うのですよ。宅録してさじ加減ひとつでああいうものができちゃうから、お金儲けという意味での音楽関係者にとっては恐ろしいでしょうね。

五野井:いつの時代もテクノって人生の闘い方を教えてくれるよね。

若山:そうですね、そんなポップスからも奪えますからね、さらにそれで攻撃が出来るっていう、サンプリングとかでいろんな手段を使って取り込んで、ショッピングモールとそこでたれ流される音楽とか、すでにある生産物から自分に都合のよいものを、都合のよいやり方で利用することができますし。

五野井:ポップスに代表される社会の「戦略」は、どうでもいい曲を大量生産し、碁盤の目のようにレコード屋やダンスフロアを区切り、流行を押しつけてくる権力です。対してテクノの「戦術」は、この流行の権力を逆手にとって利用し、巧みにあやつり、サンプリングによってアプロプリエーションしていくわけですよね。社会が押しつけてくる「戦略」の隙をついて、押しつけてくる「戦略」の武器をそのまま逆機能にして、オセロをひっくり返すのがテクノの「戦術」。ポップスは資本の「戦略」側に「踊らされる音楽」。対してテクノとは、踊れる音楽だけど「踊らされない音楽」かな。そこではポップスの曲調はYMOがテクノポップとしてやってみせたように、すべて「戦術」へと転用可能だけど、ポップスはテクノを取り込むことはできない。ポップスでそれをやるとただの剽窃になるし、なによりも商業的な採算も合わないから。身を委ねない音楽としてのテクノと、他の身を委ねていい音楽の違いはこういったところでしょうね。

若山:Aphex Twinに話を戻すと、テクニカルな面白さと全体的な面白さもある。電子音楽の基本とは違うし、クソみたいなポップスの詰め込みました、っていうのとも違いますよね。AFXは醜悪な映像は持ってきても、たとえば適当なアイドルとかグッズとか二次元キャラとか、音楽以外の付加価値で騙すってことをしないから。利潤追求じゃなくて、たぶん面白いとか適当にやっていた。その程度の事なんじゃないでしょうか。その結果として、たまたま評価されて大変なことになったみたいな状況なんじゃないでしょうか。

五野井:Aphex Twinの場合、第二期以降とくにそうですけど、騙すときは、商業的な理由とは別のどうでもいい理由で騙しますよね(笑)。しかも、皿や電子音というフラットなかたちで。アプロプリエーションの極地ですね。でも主戦場はあくまで音という。ジョン・オズワルドの「プランダー・フォニックス(plunder phonics:略奪音)」の電子音楽版というか。

若山:こうしてAphex Twinについて話をしていると、突き抜けそうで、突き抜けてない(笑)。奇才とか言われているけど、意外とコツコツ真面目な人だと思いますよ、彼は。

五野井:音だけを追求するっていう突き抜け感だけでは、シカゴやデトロイトの先行するアーティストのほうが振り切っていますね。でも、Aphex Twinの自分が他人からどう見られているのかを気にする「まなざしの地獄」(見田宗介)は、現代人の多くが抱えている悩みでしょう。そのシャイさがAphex Twinに身体性からは自由なはずなのに、人間味や憎めなさを与えている。なぜ我々はAphex Twinにわくわくするのかといえば、Aphex Twinは洒脱で諧謔なフリして、実際にはそれなりに本気で作り込んでいるところですね。

若山:おそらく、過去の遺産を食いつぶし、切り貼りをする貼り合わせがどのように文化産業のなかで行われているのが現代じゃないですか。Aphex Twinは音楽も映像も、すべてどこかで聴いた音(過去のAphex Twinの音も含む、あのback to the basic感など)、どこかで見たもの、拾って彼の音に再構成してくるというスタイルはダンスミュージックの基本に忠実な人ですね。

五野井:どこかで聴いたかなっていう断片を虚焦点にして、そこから新しい音を作っている点が今回の聴きどころかなあと。自分の過去の作品も含むコピー(コピーのコピーの……)からオリジナルを作る技というのは、つねに今の自分をも越えようとする試みです。この完成度をもって今回世に出た『Syro』というアルバムは、過去の遺産の切り貼りになっている現在の「n周目の世界」におけるひとつの到達点なのかもしれないですね。

※10月7日(火)
21:00-23:30 DOMMUNE「ele-king TV エイフェックス・ツイン特集」
https://www.dommune.com/
https://www.3331.jp/access/
出演者:
野田努(ele-king)、佐々木渉(クリプトン・フューチャー・メディア)、五野井郁夫(政治学者)、三田格(音楽ライター)
DJ:DJまほうつかい(西島大介)

※10月15日
ele-king vol.14「エイフェックス・ツイン特集号」発売
リチャード・D・ジェイムス、独占2万字インタヴュー掲載!

interview with Tofubeats - ele-king

 この数年、若いアーティストに接してしばしば感じるのは、とにかくきちんと自分たちのことを説明する、ということだ。そして、そう感じる相手はたいてい25歳前後の人びとだったりする。乱暴な世代論を振り回すようで恐縮だが、彼らのことを「プレゼン世代」と呼んでみてもいいだろうか? これは三田格さんがずいぶん前にふと口にされた言葉で、どんな意味でどんな対象を指すものだったかは覚えていない。けれど、こちらのインタヴューや問いかけに対して「べつに……」と靴を見つめることもなく、「言うことはない、ただ感じてくれ」とそっくり返ったりもしない、むしろエントリーシートに書き込むような慎重さと戦略性でもって回答する、ある世代のアーティストたちには、そうした呼び方を当てはめてみたくなる。村上隆『芸術闘争論』ではないけれども、音や作品を神秘化しないできちんと説明していかなければ外に伝わらないという感覚が、はじめから骨身に沁みているとでも言おうか。あるいは、調子のよかった頃の日本の空気にかすりもしていない年齢の人たちにとっては、そうしたことは不況や世知辛さと結びついたひとつの倫理観として内面化されているのかもしれない。説明せずにわかってもらおうだなんて、貴様(=自分)何様だ──「プレゼン」とは、そんなことでは生きていけないぞという、したたかさと謙虚さのあらわれであるようにさえ思われる。


Tofubeats
First Album

ワーナーミュージック・ジャパン

J-PopHouseHip-Hop

初回限定盤
Tower Amazon


通常盤
Tower Amazon

 筆者にとってtofubeatsは、音楽のフィールドにおいて、そんな「プレゼン」をもっともシャープに、鮮やかに、また自身を被検体のようにして提示しているアーティストのひとりだ。彼が「説明」するのはなにも彼自身の音楽についてばかりではない。自身の出自でもある〈マルチネ・レコーズ〉などネット・レーベル界隈の動向、そして国内に限らないインターネット・アンダーグラウンドのトレンド、ハウスやテクノ、Jポップへの愛、音楽産業の現在と行く末、地元としての、あるいはニュータウンという特殊性を帯びた場所としての神戸、対東京というスタンス、80年代や90年代カルチャーへの憧憬の感覚……彼が「インターネット時代の寵児」と呼ばれるのは、ネット云々というよりも、ポスト・インターネットの情報空間において物事を効率よく整理・翻訳し、適材を適所にはめてプロダクトを生み出すことができるというプロデューサーとしての才を指してだろう。さまざまな文脈を縫い、串刺しながら、彼の饒舌な「説明」は、音やパフォーマンスとなり、ひいてはある世代やカルチャー自体を翻訳するものとなった。そのふるまいは、プレゼンせずにはやっていけない世知辛い時代を生きる20代にとって頼もしく輝かしいロールモデルとなろうし、彼らの感覚やその生活の悲喜こもごもを容れられる器であったからこそ、「水星」はスマッシュ・ヒットとなったのではないか。

 いま彼の饒舌とプレゼンは、ようやくメジャー・デビュー・アルバムというかたちでさらに大きなフィールドに手をかけようとしている。その名も「First Album」。以下読んでいただければわかるように、tofubeatsの「説明」は、ドメスティックな範囲を越えて、Jポップ=日本を世界へ伝えていくという大きな目標へ向かって一歩距離をつめた。彼にいま見えているものはどんなものだろうか。意外にもちょっとしたエクスキューズからはじまったこのインタヴューには、しゃべらないtofubeats──音楽をつくり聴くこそがただひとつの喜びだというtofubeatsの姿と、そんな彼に音楽についてしゃべらせてしまう状況の不幸さとを垣間見る思いもする。けれども不幸と言ってはすべてが不幸で終わってしまう。「景気がいいって、いいじゃないですか」と言うtofubeatsは、日本のプレゼンを通してそんな空気とたたかうつもりなのかもしれない。「音楽サイコー!」という偽らざる本心をあえて冒頭で宣言し、それを空転させないために、みずからツモって上がる覚悟の勝負を彼は仕掛ける。『First Album』はその遠大な取り組みの「first」だ。そして、それが世間や業界に対すると同時に「人生を進めるため」の勝負であり、音楽がサイコーであることを証明するための自らへの勝負でもあることに、心を動かされる。

■tofubeats / トーフビーツ
1990年生まれ。神戸で活動するトラックメイカー/DJ。〈Maltine Records〉などのインターネット・レーベルの盛り上がりや、その周辺に浮上してきたシーンをはやくから象徴し、インディでありながら「水星 feat.オノマトペ大臣」というスマッシュ・ヒットを生んだ。
くるりをはじめとしたさまざまなアーティストのリミックスや、アイドル、CM等への楽曲提供などプロデューサーとして活躍の場を広げる他方、数多くのフェスやイヴェントにも出演、2013年にはアルバム『lost decade』をリリースする。同年〈ワーナーミュージック・ジャパン〉とサインし、森高千里らをゲストに迎えたEP「Don't Stop The Music」、藤井隆を迎えた「ディスコの神様 feat.藤井隆」といった話題盤を経て、2014年10月、メジャー・ファースト・フルとなる『First Album』を発表。先のふたりの他、新井ひとみ(東京女子流)、okadada、の子(神聖かまってちゃん)、PES(RIP SLYME)、BONNIE PINK、LIZ(MAD DECENT)、lyrical schoolら豪華なゲスト・アーティストを招いている。


やっぱりポップになったんだなあと思いますね。

それこそ『lost decade』をリリースするころ、tofubeatsって人は、メジャーという場所にするっともぐりこんで、古くなった業界の論理とかルールを自分たちがおもしろいように書き換えようとしているんだなってふうに見えました。そういうモチヴェーションとか野心をビリビリと放出していましたよね。

TB:はい、はい。

それで、今回満を持してメジャーからのファースト・アルバム──その名も『ファースト・アルバム』がリリースされるわけですけども、ここに至って、何かを書き換えている手ごたえみたいなものはありますか?

TB:うーん、書き換えたところもあれば、折れたところもあるアルバムだというか。「折れる」というか、順応した部分もあるなと感じますね。前のアルバムは、スキットが入って17曲でフルだったんですけど、今回はスキットがなくて18曲、聴き味が重たくないものになっていると思います。けっして明るいアルバムではないんですけど、するりと聴いてもらえるんじゃないかなと。それを考えると、やっぱりポップになったんだなあと思いますね。数字のこととかを考えたんだなー、みたいな。

ああ、なるほど。

TB:そこからバランスを取るために、後半のような流れがあるかなと思いました。

ご自身のことなのに、言い回しからもう、すごく客観的な見方をされてますね。

TB:いや、すごく短期間でアルバムを制作しなければならなくて。そういう事情もあって、シングルにぶつけるアルバムの曲というのは、ほんとに1ヵ月くらいでガーっと作ることになったんですよ。すごくタイトでしたね。

それこそ、アルバムという単位はどうなんですか? tofubeatsはシングルで問題提起してきたアーティストだと思いますし、それこそツイッターのタイムラインで音楽を聴いていくような世代でもありますよね。アルバムにすると、問題を出し終わったものを集めるような感じがありませんか?

TB:そうですね、だから、本当は全部アルバム・ヴァージョンにしたかったんです。それが時間の関係でどうしても無理だったというのが正直なところですね。

アルバム・ヴァージョンにするというのは、たとえばどんな感じになります?

TB:“おしえて検索”とかって、もともとそういうふうにアルバム・ヴァージョンをつくる予定で、サビ前にジュークっぽいパートがあったりとかシーケンスが入ったりとか、いくつかの要素を忍び込ませてあったんですよ。で、アルバムになるとそこを全部808に変えたりとかできたなーと……。そういうアイディアはいくつかあったんですよね。それをかたちにする時間が足りなかったので、それならばもっとちゃんと新しい曲を入れたほうがいいなって思いました。


前はもっと、3~4ヵ月あったんで、「自分なくし」みたいなことを最後にできたんですよ。

でも、グッとパーソナルな、小品みたいな曲も入ったんじゃないですか?

TB:そうですね、時間が本当になかったから、自分を切り売りしていく方向になっていくというか……。

ははは。

TB:前はもっと、3~4ヵ月あったんで、「自分なくし」みたいなことを最後にできたんですよ。だから自分でも聴けるアルバムになっているんですけどね。

自分なくし! では“ひとり”みたいな曲は?

TB:もっと推敲したかったなというのはありますね。

へえー。ロックやフォークとの差というところかもしれないですけど、ある種の表現領域においてはパーソナルなものがゆるされるというか、自分の切り売りってけっして悪いことではないですよね?

TB:まあ、そうっすね。だから『First Love』(宇多田ヒカル)とかをすげえ聴いて、「パーソナルなこととか言ってもまあいっかー!」みたいな。……そのような気持ちになったきっかけが『First Love』の15周年記念盤(2014年発売)ですね。

おっと! なるほど、『First Love』と『ファースト・アルバム』。

TB:そのエディションで宇多田さんの手書きの歌詞とか見て、「まあ、これが日本でいちばん売れたんだったら、俺も(パーソナルな曲づくりを)やっちゃっていいか!」と。

ははっ。だから、なぜそこでそんなエクスキューズが必要なんですか(笑)。そういうところがすごくおもしろいですけれどもね。では、“ひとり”がパーソナルな曲だといっても、一周回った視点があるわけですね。

TB:これでもちゃんと、(自分のことを)言わないようにしてるんですよ。自分のことを書いてしまうと他人が共感できなくなるというんでしょうか……そういう目線は必要じゃないですか? 「自分のことのように書かなければなりません」というのが基本にあるにせよ。
 あと、思い入れがある曲は人前でやりにくいというか。なぜ僕が“No.1”をライヴであんなにやるかというと、思い入れがぜんぜんないからなんですよね。曲のテクノロジーとしてはすごく好きなんですけど。ある意味では健全なんだと思いますね。そういう曲は自分でも扱いやすいし、外に広まっても自分が傷つかない。

その「健全」の線引きが興味深いですね。わたしくらいの世代だと──まあ、一概に世代の問題と括れないですが、いわゆるロック、オルタナティヴが入口だったりすると、音楽が生々しい一人称と結びつくことにとくに違和感もないというか。そこを忌避する感覚に、やっぱりちょっと差を感じますね。

TB:なんか、そういうふうに思っちゃうんですよね。

なるほどー。


Jポップって、狭い点に絞って作っていくほど、最終的に大きな容れ物になるというか、いろんな人に受け入れられるものになっていくというか。

TB:あと、自分の作った曲ならば、どんなにクソな曲だったとしても、それを作っていたときのことを思い出すというか。だから、そういう個人性みたいなものはなにも意識しなくても出てくるから、あとで薄めるくらいがちょうどいいという気もするんです。
 実際、自分の中でも成功した曲というのは“水星”とか“No.1”とかなんですけど、あれは何にも考えないで作った曲でもあるんですよね。“LOST DECADE”とか思い入れがあるけど、だからこそライヴでもやんないし。

野田:逆にファンは“水星”みたいな曲に思い入れがあると思うんだよね。

TB:そうそう、だから「容れ物」になるってことなんですよね。空っぽの物を出すというのは。Jポップって、狭い点に絞って作っていくほど、最終的に大きな容れ物になるというか、いろんな人に受け入れられるものになっていくというか。「思い」みたいなものは、意識しなくても自分が作ったものであるかぎりは入ってしまうものだとも思いますし。

野田:たとえば「生々しい自分をさらけ出す」というような、ちょっと上の世代がやってきたことへのアンチ・テーゼだったりはしない?

TB:どうなんですかね? 好きなアーティストはあまりそういう感じではないかもしれないですね。BONNIE PINKさんとかすごく好きなんですけど、彼女がはたして自分のことをそんなに歌っているのかというと……わからないですからね。
 でもべつに自分をさらけ出すというような表現が嫌なわけではぜんぜんないです。むしろ、最近のアイドルとかの手法に対して思うところが大きいですね。「こんなに大変でした!」みたいに説明するのとかって、そんなに品のいいやり方じゃないなというか。まあまさにいまこのインタヴューがそうだ!ってのもあるんですが(笑)。

ストーリーはもとからあるものじゃないですか。

 最近そういう音楽が増えている気はしますかね。ストーリーを意図的に作ろうとしている。ストーリーはもとからあるものじゃないですか。たとえば僕だったら「インターネットから出てきました」「インターネットに救われました」みたいな(笑)。それは本当の話ではあるけど、自分から吹聴するものでもないというか、そういう部分での品のよさとか塩梅っていうのはあるじゃないですか。

たしかに、利用しているわけではないですよね。

TB:最近だと「インターネット時代の寵児」みたいによく書かれて、ダルいなーみたいな(笑)。

野田:はははは! それは書かれるよね。

TB:いや、書いてもいいですし間違ってるわけでもないですけど──新幹線がある時代に生まれたから東京まで来れる、みたいなもので、インターネットがあったからデビューできた、というところはありますからね。かといって僕はべつに〈マルチネ〉のスポークスマンでもないし。〈マルチネ〉だけがネットレーベルというわけでもない。

[[SplitPage]]

冒頭で「音楽サイコー」とかって言ってますけど、あれは言わせてるんですよね、台本書いて。


Tofubeats
First Album

ワーナーミュージック・ジャパン

J-PopHouseHip-Hop

初回限定盤
Tower Amazon


通常盤
Tower Amazon

「インターネット時代の寵児」という言い方もそうなんですけど、トーフさんたちは、インターネットのなかにもストリートが存在してるんだということをいちはやく象徴したアーティストでもありますよね。そんな人たちにとってクラブとかハコでのライヴとか、具体的な場所を持ったイヴェントってどういうものだったんですか?

TB:状況のひとつっていうか、自分にとってはそこまで大きなものではないですね。家で音楽を聴く、電車で音楽を聴く、そういう中にクラブで音楽を聴くという状況もあるっていうような。自分の性格としては家が好きだし、家で聴くのが好きっていうところがあるんですけどね。関西ではもうDJほとんどやってないし。

野田:Seihoくんとやったりしてたじゃない?

TB:あれは1回だけですよ(昨年dancinthruthenights、sugar's campaign、PR0P0SEの3組で行われたイヴェント〈fashion show〉)。夕方の時間帯にやったやつで、そういうのもやっぱり楽しいんですけど……。
 最近は「音楽はライヴがいいよね」ってノリがありますよね。あれってライヴがいいというよりも、みんながiTunesとかでいろんなものを家で聴けるようになったから相対的にいいって感じられるだけであって、CDの売り上げが下がってライヴの質が上がるというようなことではぜんぜんないと思うんですよ。それも環境のひとつってことです。クラブに行ったらクラブの聴き方があるし、自分の曲でもクラブでかけるものはアレンジがちがう。

なるほど。『lost decade』も今作もそうですけど、パーティが終わるところからはじまりますよね。「バイバイ、ありがとう」っていう。あれは何か意図があるんですか?

TB:前回が終わりからはじまって、今回も終わりからはじめたかったんですけど、かつ外からはじめたくって。

外?

TB:前回は「わー」ってパーティが終わって、部屋で僕が「ふぅ……」って小芝居して、ってカットになるんですけど、今回は某野外フェスのときの録音なんですよ。で、そのまま曲に入っていくんです。

はい、はい。

TB:だから、家を出たってことを暗に示しているというか。……まあ、自分だけにわかることなんですけど。

あ、そうなんですね。

TB:デビューしたぞ、と。

なるほどー。

TB:だから、前回と同じなんですけど、家は出たぞと。

へえー。磯部涼さんのご著書を思い浮かべたりしたんですけどね、「音楽が終わって、人生が始まる」って。

TB:ああ、そういう気持ちもあるかもしれません。あとは、あそこで「音楽サイコー」とかって言ってますけど、あれは言わせてるんですよね、台本書いて。

おおっ、なるほど。私はあの「音楽サイコー」についてぜひ訊きたかったんです。

TB:このアルバムありきでやってますね。「こんなふうに言ってね」ってライヴ前に伝えて。

あの「音楽サイコー」ってなんなんですか?

TB:もう、メジャー行ってもやりたいことはそこっていうか。音楽がやりたくて、それをやるために最善の策は何かって考えて、いまはひとまずメジャーに行って、アルバムを出してみたりしているわけなんですけど、そういうことをわかってほしいというか。
 たとえば、僕は森高(千里)さんといっしょにやって、この曲を森高さんに食われたとは思ってないし、藤井(隆)さんもしかりで、僭越ながらそういうメジャーな仕事を通して音楽への入り口のひとつを作れたらって思います。あとは、いままで僕の音楽を聴いてきてくれた人たちも裏切りたくないとも思いますし。後半のインスト群とかオカダダさんとの曲とかもそうですね。大人が絡むことで煩雑さが増したりすることはあるんですけど、そういう中で最善のことをやってるよってところを見せたい。

うん、うん。

TB:1ヵ月半でアルバム作れっていうのも、無茶な話じゃないですか。もっと時間をかけたかったというのは断言しておきたいです。……でも、大変だったぶん、前のアルバムより直感的なものにはなってるかなと思いますね。前のはなんか、病気のときに作ってるなって感じがするんですよね(笑)。今回は畳み掛けるようなところがあります。昔の曲も入っているんですけど、限られた中ではよくやったほうなんじゃないかと。


シングルに毎回すごいカロリーを使ってるんですよ。“Don't Stop The Music”とか“ディスコの神様”とかは、すごく個人的にもプレッシャーがかかっていたんです。

野田:前のアルバムから1年以上経つから、もっとはやく出してもよかったんじゃないかって気もするけどね。

TB:そうですね。でもシングルに毎回すごいカロリーを使ってるんですよ。“Don't Stop The Music”とか“ディスコの神様”とかは、芸能の世界も絡むという意味でこれまで作ったことないものでしたし、何よりすごく個人的にプレッシャーがかかっていたんです。

野田:いつも自信たっぷりみたいに見えるけどねー。

TB:やっぱりメジャー・デビューということもあるし、そのわりに数字的にそれほど跳ね返りがあったわけでもなかったり。そんななかで「もうどうでもいいやー」って感じで“CAND\\\LAND”みたいな曲ができたのはよかったですけどね。あんまり気にしていてもしょうがないなって。

でも“CAND\\\LAND”って大事な曲ですよね。

TB:そうなんですよね。

どっちかというと、「音楽業界の仕組みを変えてやる」っていうよりも、「お茶の間にとんでもないものを流してやる」っていう方向で。

TB:そうそう(笑)。


パラパラとトリル(Trill)っていうのはやりたくて。

〈マッド・ディセント(Mad Decent)〉とパラパラ。

TB:2年前からパラパラとトリル(Trill)っていうのはやりたくて。トリルは作れたんですけど、パラパラはできなくて、勉強した結果やっと生まれたんですよ。幸いヴォーカルもリズムも間に合って、アルバムに入ることになりました。今回作った中でいちばんうれしかった曲ですね。締切の2日前にトラックダウン用のヴォーカル・データが届いて……それがイヴェントの会場の楽屋だったんですけど(〈音霊OTODAMA SEA STUDIO〉@鎌倉由比ヶ浜)、その場でトラックダウンして、その日にかけました(笑)。

へえー。アルバムの腰の位置で、重要な役割をもった曲だと思います。

TB:ていうかこの曲がなかったら、アルバムのイメージがだいぶ変わっちゃうんじゃないですか? だから相当慌てて、急いで入れてよかったです。

Jポップ革命であると同時に、Jポップによって外を変えるんだっていうような、tofubeatsの意志みたいなものが通ってますね。

TB:どっちかというとその後者を目指していて、「Jポップというコンテクストを説明するチャンスを与えてもらっている」と思ってますね。Jポップってめちゃくちゃいいものだって思うんですよ。BONNIEさんとかも世界的に売れるはずの人だと思っているんですけど、まだ誰もそれを説明できていなくて……というか、ピチカート(・ファイヴ)とかは、それを説明できていたからそのままKCRWとかにも出ていたわけで、そういうことがなんでいまないんだろうなって感じますね。彼らがKCRWの公開収録で日本語のまま歌を歌っていることがけっこう衝撃で。

アメリカ人とか海外の人に向けてその人たち用の曲を作るんじゃなくて、あくまで自分たちが日本人であるということを通していかないと。醤油を売るみたいな感じで、そのままを海外に売るというか。

 ああいうのを見て勇気づけられるところがあるし、宇多田さんがUtada名義でそこまでセールスを伸ばせなかったけど、アメリカ人とか海外の人に向けてその人たち用の曲を作るんじゃなくて、あくまで自分たちが日本人であるということを通していかないと。醤油を売るみたいな感じで、そのままを海外に売るというか、そういうことがちゃんとできたらいいなっていうのはずっと思っています。だから、BBCのレディオ1に出られたことで、それをちょっと証明できたかなと思います。好きなことをやっていれば大丈夫なんだなって思えました。Jポップから影響を受けたことを恥ずかしがらずにいていいんだと。

野田:なるほどね。ピチカートは本当に人気があったけど、半分オリエンタリズムとして受けてたところもあるからね。

TB:それでもいいんです。僕がR・ケリーを聴いていいなと思うように、R・ケリーが僕のを聴いていいなと思うことだってあると思ってるんですよ。

野田:日本人が海外でウケるときのパターンってふたつあると思っていて、三島由紀夫として売れるか、村上春樹として売れるか。

TB:三島由紀夫的な見方をされてもオッケーですよ。

野田:なるほどね(笑)。

[[SplitPage]]

Jポップって、日本のポップスじゃなくて「J-POP」っていうひとつのジャンルなんだってことなんです。

TB:そもそも(ボーエン)bo enとかの話を聞いていると、Jポップっていうのは何かしら海外にないものをもっているんだろうなあと思わせられるんですよね。ボーエンなんて、曲をアップするときに「J-POP」ってタグをつけるわけですよ。ぜんぜんJポップじゃねえじゃんって思うんですけど、つまりはJポップって、日本のポップスじゃなくて「J-POP」っていうひとつのジャンルなんだってことなんです。
 宇多田ヒカルだってそうですよ。あれはR&Bじゃないんですっていう。

野田:まあ、R&Bだけどね。

TB:いやいや、ちがうんですよ。それっぽくなってますけど、あんなメロディであんなアレンジでっていうのはありえない。日本語で、プロデューサーにもあのメンツが集まらないとあんなふうにはならないってところがありますよ。

野田:いまフランスでJハウスっていうか、日本の90年代初頭のハウスを集めまくっているコレクターが増えているみたいだけどね。そこでは、たとえば宇多田ヒカルとかもすごく好んでかけられたりしている。でもその理由の一つはとても単純で、日本語で歌われているのがたまらないっていうんだよ。

TB:そうなんですよね。母音に合わせて作られる音楽の感じとか、そういうものがすごくいいと思うんですよね。

野田:これだけいろんな音楽がアーカイヴされているのに、外国人からみると日本はブラックボックスになっている。

TB:だからレッド・ブルだったか〈BOILER ROOM〉だったか、日本のレコードだけを1時間えんえん聴くっていう企画をやってましたよね。日本の音楽ばっかりを集めているコレクターの家で、まったく曲名とかも明かさないまま日本の音楽をかけつづけるんですよ。僕らは日本語もわかるし、「ああ、じゃがたらかかってるわー」とかって感じなんですけど、海外からしたらマジでブラックボックスで、コレクターは曲名すら出そうとしないし、レーベルだけ見せて、でもお前ら読めへんやろ日本語、みたいな感じでドヤ顔なんです。

野田:なるほどねー。


tomadが言っている言葉ですごく好きなのが、「動かずに旅をせよ」っていうもので。自分にとっては、音楽が、Jポップが、動かずに旅をするためにできることなので……。

日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とかの頃とはちがうかたちでおもしろがられたり参照し直されたりするタイミングなのかもしれませんが、その機運にパッケージを乗せてやろうというようなもくろみがあったりしますか?

TB:tomadが言っている言葉ですごく好きなのが、「動かずに旅をせよ」っていうもので、BBCとかだって、いかに神戸から動かずに世界に音を届けるかっていうところで得た結果のひとつなんですよ。自分にとっては、音楽が、Jポップが、動かずに旅をするためにできることなので……。

野田:“インターネット時代の寵児”じゃない(笑)。

TB:いやいや(笑)、tomadとか師匠がいての僕なんで。

野田:あ、師匠って位置づけなの?

TB:や、もうなんていうか──

社長?

TB:あ、社長はありますけど、なんていうんだろう、困ったときに電話する人ではありますね。

ああー。

TB:人生に悩んだときに電話する人がふたりいて、──あ、3人かな、まずはマネージャーの杉生さん。あと、tomad、オカダダです。

杉生:全員ロクでもないじゃねーか。

TB:うん。あと、全員無職。

杉生:俺は無職じゃないし!

(tofu注:全員マネージャー、社長業とDJとして働いていますのでこれはジョークです。悪しからず。)

(一同笑)


やっぱりいい曲を作って出すことがうれしくてやっているわけですからね。バンドキャンプでこれまでにリリースしてきた曲って、僕いまだにすごく好きで。

まあ、そんなふうに「インターネットつないでヴァカンス」とか「wi-fiあったらどこでもいい」(“#eyezonu”)みたいなことをいちはやく体現してこられたわけですけれども、一方で、いまは状況がそれに追いついちゃってるところもあると思うんですね。そのなかで次にtofubeatsはどんな存在になっていくんですかね。

TB:ふつうにもっとミュージシャンになりたいというのはありますね。いまは、言ってるばっかりのヤツですからね(笑)。

野田:ははは!

いやいや、それが輝いてますから。

TB:言ってることとかスタンスとか、そんなんばっかりですから(笑)。でも。やっぱりいい曲を作って出すことがうれしくてやっているわけですからね。バンドキャンプでこれまでにリリースしてきた曲って、僕いまだにすごく好きで。ああいうときの気持ちをメジャーでもうちょっと出せないかなって思いますね。
 今回だと“衣替え”とかそれにちょっと近いです。

うんうん!

TB:でもBONNIEさんを呼ぶことによってちょっとコマーシャルになっていて、バランスがとれたかなって思います。ほんとに、音楽を作って人に聴いてもらうっていうのが好きなので、そのときどきでそれに適した状況に自分をもっていくってことですかね。


ゲームよりも人生を進めたい、って。

なるほどなあ。音楽っていうところでは、トーフさんにひとつ切ない姿勢みたいなものを感じるんですよ。冒頭の「音楽サイコー!」の話に戻りますけどね、あのちょっと薄っぺらなパーティ感とか、あるいは「音楽」に対する執拗な自己言及──「朝が来るまで終わる事の無いダンスを」とかもそうですけど、本当に音楽の真ん中で十全にそれを味わいきっている人は、そんなに音楽音楽って言わない気がするんですよ。じつは音楽に対して距離がある、みたいな。そこになにか非常に切実で切ない、リアルで生々しいものがあるように感じるんです。

TB:ああ……、でも音楽くらいしか本当に楽しいことがないというか。それ以外に楽しいことなんてあんのか、みたいな。

野田:じゃあ、けっこう素直な言葉なんだ?

TB:そうっすね、ゲームよりも人生を進めたい(※)って書いてますけど、ヒップホップってよくゲームってふうにたとえたりするじゃないですか。僕はそんなにおっきい枠では楽しめへんというか、そんな俯瞰できひんみたいなところがあるんです。音楽をやっていてそれをゲームだなんてふうには言えないです。

※「ゲームに良く例えるけど/本当は俺は人生を進めたい」(“20140803”)

ああ──

TB:だって音楽しかやったことがないし、それこそ中1のころから曲を作っていて。カヴァーとかコピー・バンドとかもしたことがなくて、でもそれのおかげで作った音楽をインターネットで他人に褒めてもらったりとか、それこそtomadとかとも友だちになれて、いまのこの状況があって……。音楽を作ったはいいけど、それを乗せてくれる電車のようなインターネットがなかったら、すべてがないですからね。

そうかもしれないですね。

TB:でも音楽を「流す」って言うように、音楽は流れもんで、つまりは無くなるものでもありますよね。それから、自分の好きなものが変わっていってしまうという、いい意味でも悪い意味でも切ないようなところがある。
 ドラマの最終回とかってむやみやたらによかったりするじゃないですか。でもJポップってそういうことのような気もするというか。そのために作られている音楽でもあるし。

最終回にJポップがめちゃくちゃ効いてくるっていうのは、ありますよね。

TB:軽薄であるがゆえによいみたいなところがありますよね。というか、そういうJポップが好きなのかな。でも軽薄であることがかなしいというような切なさもある……。

いい、切ない回答です。そんなに音楽が好きな人がなぜこんなに「音楽音楽」って言わなきゃいけないのか。

TB:だからそれは、さっき言ったように「説明しなきゃわかってもらえない」っていう。

野田:なるほどね。

音楽が昔ほど若者カルチャーの超真ん中ってわけじゃなかったりもしますしね。

TB:それは、ありますね。

野田:むしろ「インターネット」ってキーワードのほうが取り沙汰されてしまったりするしね。

そんなところに対する、「こんなに音楽がただ好きなのになあ」っていう感じが、ヒリヒリくるんですよ。ペラっとした「音楽サイコー」から。

TB:そうかもしれないです。結局、音楽を作っても音楽的なバックがあんまりないというか。先日初めてバンドで自分の音楽をやってもらったんですけど、あれって自分への音楽的なバックがあるものだなって思いますね。あとは音楽をやることでお金をもらって生活がよくなって機材を買ったりすることができるとか、それも音楽によるバックだと思います。
 でもたとえば自分の音楽が売れて、自分の顔をさして「めんどくさい」とか言われたりするようになったとしたら、それははたして音楽で得しているのか。そういう芸能的な部分での葛藤もあるにはありますね。メジャーでもし自分がうまくいくことがあれば、ちやほやされたいだけで音楽をやっている人と自分とは何かがちがうんだっていうことを証明したいなとは思いますね。──そういうのを否定したくはないですし、証明もまったくできていないんですけれども。

[[SplitPage]]

藤井さんは本当に音楽が好きで、ただの音楽オタクで。みんなに知ってもらいたいなという部分もあります。僭越ですけれども。


Tofubeats
First Album

ワーナーミュージック・ジャパン

J-PopHouseHip-Hop

初回限定盤
Tower Amazon


通常盤
Tower Amazon

いやいや、藤井隆さんとの曲(“ディスコの神様”)なんて、まさにそういうところでつながっているんじゃないですか?

TB:そう、あの人も本っ当に音楽が好きな人なんですよね。

最初は、なにかコンセプチュアルに藤井隆というアイコンが引っぱり出されてきているのかなと思ったんですよ。tofubeatsだし。でも曲を聴いて実際に感じるのは、音楽つながりなんだなあというような。

TB:そうそう、藤井さんはすごくジョディ・ワトリーが好きで、しかも高校生のときに〈ブルーノート〉に観にいっていたりとかしてるわけなんですよ。前もスタジオで、「96年にオランダで買ったレコードが思い出せないんです。“エターナリー”って言ってる……」とかって突然言い出して、何を言ってるんだろうと思っていたんですけど、実際に探したらその曲があったりしたんですよね。本当に音楽が好きで、ただの音楽オタクで。そういうことをインタヴューとかの端々から感じていたからこそ、この人にオファーしようって思ったんです。

そういうキラキラとしたマジックが、メジャーというステージでは可能になるんだなというところはありますよね。

TB:それに、藤井さんがこんなに音楽が好きなんだっていうことを、これを通じてみんなに知ってもらいたいなという部分もあります。僭越ですけれども。

なるほど。すごく素敵な話ですよ。それに、遊び場がひとつ増えた、広がったというところもあるんじゃないですか?

TB:いやー……。そうですね、ほんとにBONNIEさんとか、藤井さんとか、〈ワーナー〉に来ないとできないことではあったので。

その一方で、ERAさんとかPUNPEEさんとか、前作のひとつのインディ感からは異なるものにもなっていると思いますが。

TB:それはでも、今度出るアナログとか、企画段階のリミックス盤とかには自分に近いところからブッキングしていて。
 とはいえ、アルバム自体はこのかたちでラッピングしておかないと、自分のやっていることがいっしょすぎてしまうし、そこはメジャーから出すということを意識しました。

野田:どんな人たちなの?

TB:BUSHMINDさん、STARRBURSTさん、(DJ・)HIGHSCHOOLさん、MASS-HOLEさん、ENDRUNさん、SH-BEATSさん、YOSHIMARLさんです。

野田:うわ、すごいね(笑)。


いっぱい曲が入っていれば、嫌な曲を消してもふつうのアルバムくらいの分量は残る。聴いている人が金額的に得なもの、というところでアルバムを考えています。

ところで、アルバムという単位についてもうちょっと掘り下げて訊いていいですか? いまは、タイムラインで1曲単位の消費、しかも1時間後に消えていてもおかしくないようなものを追ったりするわけじゃないですか。トーフさんはそういうところで生き生きと呼吸をしている人ですが、それに対してアルバムというのは、それこそ産業的に完成されたひとつのフォームでもありますよね。

TB:このアルバムについては、俺ならこう並べるってだけですけどね。あとは、いっぱい曲が入っていれば、嫌な曲を消してもふつうのアルバムくらいの分量は残る。このあたりの気持ちは『lost decade』のときと変わらないですね。聴いている人が金額的に得なもの、というところです。ただ、プレイリストありきでは作ってないですけどね。
 通常のメジャーのアルバムの作り方だったら、2曲めに自分のラップなんて絶対に入れずに“Don't Stop The Music”をもってくるわけですけれど、そういうことはやってないです。あと、CDで出しているのはあくまで〈ワーナー〉とサインしているからで、でもディスク2がついていて安い。

「安い」「お得」というのも、コンセプチュアルに仕組まれているように感じますね。

TB:でも、安いっていうのは会社の提案なんですよ。2枚組で2,400円って、頭おかしくなっちゃったのか? って思いました(笑)。

(一同笑)

真ん中にも思いきって4曲ほどインストが入っていたりするじゃないですか。

TB:あれはもう絶対に入れたくて。

“Populuxe”とかが好きです。

TB:あれは60年代のアメリカの、郊外開発のときのキーワードなんです。ニュータウンについていろいろ研究しているときにぶちあたった単語で、けっこう好きだったのでデモ曲のタイトルにしていたんですが、それをそのまま使いました。

どういう意味なんです?

TB:60年代に、郊外に一戸建てを買ってわりとリッチに暮らすっていうようなスタイルが流行って、そのころのひとつの価値観を表す言葉というか。ポップでデラックスっていうことなんです。成金というとまたちょっとニュアンスがちがいますけど。

ああ、なるほど。

TB:郊外での暮らしが、いわゆるサバーブっていう感じのものになっていって、レッチワースみたいな、田園都市の根幹を成す考え方と合流していくという。でも、曲に使用しているのは単純に単語が好きだからですね。曲自体はポリリズムがやりたかったというだけのものなんです。4拍子と5拍子の。菊地成孔とかもやってるから俺も、って。

野田:意識するの?

TB:いえ、意識するわけじゃないんですが。でもJAZZDOMMUNISTERSを聴いていて、本当に菊地成孔さんのラップはいいなあって思って。あのアルバム、僕はすごく好きで。というか菊地さんのラップが好きなんですよ。やっぱりラッパーってパーソナリティなんだなってことをヒリヒリ感じました。もう、そいつがおもしろいかどうかってのが大きいなって。

そういえば、これも素朴に気になっていたんですが、トーフさんって二次元カルチャー的な入口が意外にないですよね。アニメとか、あるいはニコニコ動画、ボカロみたいな文脈がない。

TB:それは意識的にやってますね。日本のものを世界に明け渡すにあたって、ニコ動にアップしていたら外国人は見ないので。

なるほど。言語の問題を措いても、特性ともいうべき独特の閉鎖性がありますよね。弾幕が流れて画像がブロックされますし(笑)。

TB:あとは、ボーカロイド周辺の雰囲気があまり自分の肌には合ってないみたいで。思っている以上にクローズドなものがあるのかなと思います。いってみれば、シカゴ・ハウスとかよりもずっとハードコアなんじゃないですか? 初音ミクを使わなきゃいけないっていうのは。


707って使わなきゃいけないものだったけど、そこからいろんな発明が生まれてきたわけじゃないですか。でも初音ミクはどう彼女を運用していくかみたいな部分が大きい気がします。

野田:なんで(笑)?

TB:いや、それこそいちばん病んでいたころのデトロイト・テクノくらい開いていないというか。

野田:909を使わなきゃいけない、っていう?

TB:キャラなわけだから、「初音ミクはこんなこと言わない」みたいな次元も生まれてきたりするわけですよね。アイディアで何かが入れ替わっていくのではなくて、キャラクターとしての閉鎖性とプラグインとしての機能の制限が複雑に絡み合っているみたいに見えて、自分からするとちょっと面倒くさいというか。そもそもキャラに思い入れがなければ参入しにくいですし。最終的にその閉じまくった複雑さが海外でパーンとウケたりもしてますが、自分には向いていないなって思いますね。
 707って使わなきゃいけないものだったけど、そこからいろんな発明が生まれてきたわけじゃないですか。でも初音ミクって、それを使って発明をしたりしようというものではない。どちらかというと、どう彼女を運用していくかみたいな部分が大きい気がします。

予算をかけて作れた時代の音楽が好きなんだなって自分で思います。そしてそういう人たちの音楽はブックオフにあるんです。

なるほど、では反対に、昔ながらでメガな受け皿について。単に個人的なルーツなのかもしれないんですけど、BONNIEさんだったり森高さんだったりって、「芸能」とか「テレビ」とかに象徴される種類の豊かさが反映されたものだと思うんですね。そのへんはわざわざフォーカスしたものなんですか?

TB:半分意識的で半分そうじゃないかもしれませんね。BONNIEさんとか、予算をかけて作れた時代の音楽が好きなんだなって自分で思います。そしてそういう人たちの音楽はブックオフにあるんです。

なるほど(笑)。

TB:だから僕が出会いやすかった。ということに尽きます。BONNIE PINKさんとか、1万円札を持っていけば全部かえる揃うと思います。言い方は最悪に聞こえるかもしれませんが。森高さんも全部ブックオフだし、藤井さんもそうだし、今回お呼びしているなかで、誰ひとりとしてリアルタイムで正規盤を買っている人はいないです。残念ながら。

(一同笑)

TB:だから今回はじめて還元ができるという言い方もできるかもしれないですね。

では、それなりに素直に自分の背景でもあるわけですよね。

TB:そうですね。あとは、景気がいいっていうのはいいなって思います。そんな時代の音楽に憧れている部分はありますね。

いかにお金をかけないかっていう工夫合戦が、ある種の音楽を進化させてきた側面もありますけどね。

TB:それもあると思います。でも、だからこそ「音楽、音楽」って言わなきゃいけないのかもしれない。

ああ、なるほど。

TB:ハイプなものではまったくなくなってますから。音楽は。

今日なんかは、テレビの収録もあったわけですよね。テレビ出演につながってくるというのは、トーフさんにとって大きいことですか?

TB:まあ、大きいことですねー。ありがたいです。営業の方とかも、こんなやつをテレビに出させてくれて。でも一方で、それで数が動くことの切なさみたいなものもありますね。知名度っていうのはそんなところで上がっていくんだなって。

いまだテレビは大きいんですね。

TB:まずは聴いてもらうところからはじめなきゃいけないので、それは本当にありがたいんですが。ただ、自分が本当に音楽が好きなので、音楽を好きじゃない人に届けるという概念があまりよくわかんないです。実際出ると反響はあるんですけどね。
 やっぱりそういうことを感じるために神戸にいるという部分もあります。世のなかそんなに信用できないなっていうことを、神戸にいるとよく感じられるというか。

ははは! ここにいると麻痺するんですかね?

TB:そんな気がします。あとはスピードを遅らせたい。結局は「中の人」になっていっちゃうだろうし、就職もしないで音楽をやる仕事に入ってきてしまったので、きっと他の人からずれていくと思うんです。それを遅らせたいという気持ちはありますね。


何の手も借りない、自立したポップス──それはもしかしたらポップスと言わないのかもしれないですけどね──そんなものになれたらいいなって思うんですよね。

方向としても、さらにプロデューサーという感じになっていくんですかね? いまやっていることもコンセプターとしての気質みたいな部分もそうかと思いますが。

TB:プロデューサー側になれたらいいなと思うんですけどね。繰り返しになりますけど、音楽を作って、聴いてもらうことがうれしいわけなので。でも本音を言うと、自分でいいなと思える曲ができた瞬間がいちばんうれしいです。それ以上はないですよね。

なるほど。でもそのあたりが次のステップということになっていくわけですね。

TB:そうですね。あまり内向的にならないようにしようと思います(笑)。

ははは! そこは、内向的になってもいいんじゃないですか?

TB:いや、もっとEDMくらいの開き方をしていかなきゃぐらいに思ってますよ(笑)。

野田:EDMにはならなくていいけど、ポップスは目指してほしいよね。

TB:いまは、何かに寄りかからなくていいポップスをやっている人がいないですから。AKBもEXILEも、何か別のものとポップスを掛け合わせたものじゃないですか。何の手も借りない、自立したポップス──それはもしかしたらポップスと言わないのかもしれないですけどね──そんなものになれたらいいなって思うんですよね。ポップスとしてひとつで立ってるもの。

よくわかりますよ。

TB:がんばるって言うしかないんですけどね! よく言われんですよ、「〈マルチネ〉の人柱」って。僕が突入していくと、みんながそこにつづいてくれるわけです。いちばん若いので、鉄砲玉として働きますよ。

[[SplitPage]]

いや、ほんとに、“Shangri-La”のときのインタヴューを読んで“No.1”を作ったんですよ、僕は。

野田:20年前にはたくさんいたタイプだと思うんだよね。いまは少ないけど。

TB:そうそう、そう思います。マリンさんとか寺田創一さんとかテイトウワさんとか、そういう人たちにシンパシーを感じるんですよ。

野田:まあ、こうやって話していると思うけど、すごく石野(卓球)とかに似てるよね。デビューした頃の。アマチュア時代にいちばん人気があったのが“N.O.”っていう曲なんだけど、それは石野が唯一自分の本心を吐露している曲なんだよね。

TB:ああー! でも、そうですね。

野田:でも、彼はそれをメジャーで出すこともライヴで演奏することも嫌がったし、レコーディングし直すことも拒否してるんだよ。それはやっぱり、自分のことを正直に歌っているから。

TB:ああー! なんですかその話。それ聞いて、今日すごいよかった!

野田:言ってることいっしょでしょう。

TB:いや、すごくわかります! “Shangri-La”とかはなんも考えてないっていう感じがするんですよ。

野田:そう、あれはエンターテインメントで芸なのね。

TB:いや、ほんとに、“Shangri-La”のときのインタヴューを読んで“No.1”を作ったんですよ、僕は。たしか、“Shangri-La”の歌詞を考えるためにスタジオを借りたけど、歌詞が出てこなくて、「瀧がトロフィーって言ったんだよね」みたいなことを言っていて……。「トロフィー」って言葉は歌詞には入れなかったけど、いちばん売れた曲だからあれは「トロフィー」だったんだな、っていうような話で。で、そうか、縁起のいい言葉を曲名にすればいい曲になるんだなって思って、先に“No.1”というタイトルを決めてから作りはじめたのがあの曲なんです!

野田:はははは!

TB:だからいまの話をきいてちょっとビビったっすね。

野田:正直な自分は出したくないっていう考え方は、すごくあるよね。

TB:そういうのは人の考えであれ嫌だから、今回のアルバムも、会社から“朝が来るまで終わる事の無いダンスを”を入れませんかって提案されたとき、快諾はしたんですが、思うところはあって。たまたま『WIRED』の原稿とかでそのことについて説明することができたのでよかったですが、もし何の説明もなくこの出したら、すごくやるのが嫌になっただろうなって思います。
 何度かその曲を人前でやる機会をもらったんですが、なんか、風営法の問題が盛り上がっているときにすごく運動で使われたんですよね。結構ショックでしたね。


自分が大事に作った曲が自分の手を離れていくっていう感覚はわかりました。アルバムを出すというのはそういう理由かもしれませんね。出ちゃったんだから、どうとられてもしょうがない。

そうなんですか? 意図はどうあれ、アンセミックにも響くような大きさのある曲ではありますよね。

TB:たしかに、自分が大事に作った曲が自分の手を離れていくっていう感覚はわかりました。こういうことかあって。でも世の中にあんまり期待しないっていうところもあるので、ポジティヴな意味で諦めていますけどね。……アルバムを出すというのはそういう理由かもしれませんね。出ちゃったんだから、どうとられてもしょうがない、諦めるというような。

野田:でも、なんで風営法のキャンペーンに使われるのがダメなの?

TB:いや、風営法のために作ったものじゃないからですよ。僕は反対というわけでもなかったし。でもこの曲のおかげで風営法反対の公演とかへの出演依頼がめちゃくちゃ来たんですよね。

へえー!

TB:風営法に反対だっていうことを一回も言ったことがなかったのに。それで勝手にキャンペーン・ソングみたいになってるのがつらかったので、クリエイティブ・コモンズをつけてフリー・ダウンロードにしたんですよ。もう、知らぬ存ぜぬということで。音楽はそういうものから自由だからいいのに。

野田:政治に利用されるのが不本意だったのね。

TB:ダンス・ミュージックってそういうものじゃないじゃないですか。「イエーイ!」みたいな……あ、そうでもないか(笑)。

(一同笑)

TB:でも、505っていいなみたいな、そういう気持ちを僕は大事にしたいんですよ。「505に宿ってるソウル」とかじゃなくて、もっと「いいよねー」みたいなところを。だから、“ディスコの神様”みたいなものが売れたら、とても景気がいいじゃないですか。
 SMAPではじめてオリコンの1位を獲った曲が“Hey Hey おおきに毎度あり”なんですよ。その話がめっちゃ好きなんです。あんな歌詞のものがオリコンの1位っていう──あんな、っていうのは1周まわって最高だっていうような意味なんですけど。あんな曲が1位を獲るというのは、つくづく景気のいい時代だったんだなって。

505っていいなみたいな、そういう気持ちを僕は大事にしたいんですよ。

さっき言っていたような、空っぽのものがいいと思う理由は、そのへんにもありますね。しかもそれが受け入れられているのはある意味で健全だと思います。みんな薄っぺらいラヴ・ソングがどうこうって揶揄したりしてますけど、薄っぺらいラヴ・ソングが売れていることがどんだけいいことかって話ですよ。

野田:まあ、でも、景気がよかった頃ってメガ・ヒットはないんだよね。みんなが平均的に売れていたってだけで。むしろ景気が悪くなってからミリオンが出るようになる。

TB:それは、言われてみればそうですかね。“らいおんハート”とか“世界に一つだけの花”とかの頃はもう不景気だって思うっす。

でも、tofubeatsの仕事というのは、自分がバーっと売れればいいという種のことではないですよね。

TB:自分の曲が育ってほしいなって思いますね。

そうですね。それが種を生むというか、ひとつの状況を準備できたらっていう。でも、そんなふうに何かを引き受けてやるぞっていうのが、メジャーになるということかもしれないですね。

TB:そうですね、プロ野球選手になったって感じです。プロの二軍の人よりうまいアマチュアの人ってぜったいいるはずじゃないですか。でもプロはプロって看板はらなきゃいけない。僕にしたって僕よりいい曲書く人なんていっぱいいるわけです。

でも、音楽って、ぜんぜんなにも引き受けなくてもいいものじゃないですか。

TB:そうかもしれないですけど、引き受けること以外にメジャーがやれることって、いまそんなにないなって思います。

野田:本来ならそういうプロ意識って、こんなふうに公言しなくてもよかったものなはずなんだけどね。でも公言しなければならないくらい、一種のアマチュアリズムがはびこっている部分はあるんじゃないかな。

そうですね。今日は非常に心強い言葉がきけました。

野田:でも10年後ぜんぜんちがうことを言ってるかもしれないよ(笑)。

TB:歌は世につれ……ですよ。そこは変わっていけばいいと思います(笑)。


次回は紙ele-kingに掲載された過去のインタヴューをお届けします!



HOLY (NO MORE DREAM) - ele-king

~MY 90's HEAVY METAL CLASSIC ALBUMS 10~
ティーン時代のリアルタイム炸裂盤。MR.BIG入れ忘れました。

完全孤高のヘヴィメタルDJパーティ“NO MORE DREAM"が、10.5(sun)青山蜂に再臨!
興奮、涙、激愛が神の領域でスパークする奇跡の夜を、是非とも体感しに来て下さい。

NO MORE DREAM
~THE WORLD'S HEAVIEST HEAVY METAL PARTY~

@青山蜂
2014.10.5(sun)
17時~
入場料 ¥1000

DJS
HOLY
増田勇一
クボタタケシ
JAM DIABRO
山名昇
BLACK BELT JONES DC FROM METALCLUB
METAGURO
Wcchei

METAL DIRECTION&ARTWORK
ヴィッソン

TEQUILA GIRL
yucco&ミサンガ

FOOD
POOPTHEHOPE

HEADBANGER
PAUL

ROADIE
ロベルト吉野

HM-T&PINS
Rhododendron


1
HOLDEN - The Illuminations (Arpsolo) - border community recordings

2
Commodity Place - Ahura Mazda’ - électronique.it records

3
SHOCKS - PULSE - ESP

4
CRUISE FAMILY - BE PART OF IT(CLUB MIX) - not not fun records

5
PANACUSTICA - loto a : rat’s poem.cosmic metal mother - food & music lab,rama

6
COSMIC HANDSHAKES - the delicate details - M1S-SESSIONS

7
PRINS THOMAS’ - Bobletekno (DJ Sotofett’s Ride-On-411-Disco-Mix) - FULL PUPP

8
LEISURE CONNECTION - WAVE RIDING - NO SOUND IN SPACE

9
COLDFEET - IN MY LUCID DREAMSKARMA RMX - SPECTRUM WORKS

10
Kim Brown - People’s Republic - just another beat

blog : https://djkazushi.blogspot.jp
Twitter : https://twitter.com/DJ_KAZUSHI
Face Book : https://www.facebook.com/kazushi.minakawa

DJ Schedule
14.9.27(sat) MAJIO EXHIBITION CLOSING PARTY@仙台PANGAEA
14.9.28(sun)寺フェス&神社フェス@仙台 徳泉寺&榴ヶ岡天満宮
14.10.1(wed) TRAVESSIA@神宮前bonobo
14.10.3(fri) @阿佐ヶ谷Cafein
14.10.4(sat) immix@東高円寺GRASSROOTS
14.10.24(fri) BASED ON KYOTO Releace Party@仙台PANGAEA
14.11.1-3 FLOWER CAMP@長崎 トリカブト生活科学研究所
14.11.29(sat) @鹿児島

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114