Home > News > 歴史に埋もれた叙事詩 - ──『天国の門 デジタル修復完全版』、上映決定
アメリカ映画史に残る傑作、『ディア・ハンター』は当時のヴェトナム戦争後の空気を色濃く映し出しながらも、そこには基本的にはふたりの男とひとりの女が描かれていたと言ってよい。ふたりの男の運命を決定的にわけた「ワン・ショット」......その残響音がスクリーンと観る者の耳にこびりつく、そんな映画である。その作品で一躍時の監督となったマイケル・チミノがその次の作品で描こうとしたのもまた、ふたりの男とひとりの女であった。しかし、その映画は予算も撮影期間も当初の予定を大幅に超え、当初のヴァージョンが切り刻まれて公開され、酷評の憂き目に遭い、興行的にも惨敗。そして結果的に映画制作会社を倒産に追い込み、「呪われたフィルム」として歴史に刻まれることになってしまう。強い連続性を持ったニ作の明暗を分けたものは何だったのか。そして、その映画、すなわち『天国の門』は本当に、当時の評論家が言ったように「災害のような」失敗作だったのか?
そのことを問いに、呪われたフィルムは蘇る。2012年のヴェネチア映画祭の目玉として、チミノ本人の監修で修復されたリマスター版が216分のヴァージョンで上映された。30年以上の時を経て、ようやくその真価が証明されたのである。
しかし、はるか昔のいわくつきの映画を日本で上映するのは難しかったようで、今年の爆音映画祭のオープニングで取り上げられていなかったら、この国ではまた歴史の隙間に埋葬されていたのかもしれない。それは、この映画の持つ力を知る人間の情熱だけを頼りに実現したような上映であった。
果たして、『天国の門』はとてつもない映画であった。とにもかくにも、スクリーンに映し出される夥しいまでのひと、ひと、ひと......。19世紀末のワイオミング州ジョンソン群で起きた移民たちの闘いと悲劇をヒントに、アメリカの血塗られた歴史を語り直すという壮大な叙事詩。たった3人の物語に、そこに居合わせたひとびと、あるいは居合わせなかったひとびとの人生が重なり、それらが巨大な悲しみと愛を立ち上げてゆく。オープニングの卒業式のシークエンス。主人公ふたりが乗る馬車が、教会での記念撮影に突っ込んでいくシーン。移民たちの運命を決める、ローラースケート・リンクでの悲痛な議論の場面......。21世紀の映画作家に、これほどのスケールで撮影をする人間はいない。チミノの誇大妄想に近い野心と熱が、この怪物的な映画を生み出してしまったのだと......呆気に取られるばかりである。だが映画はときとしてそんな風に、ひとりの人間のその奥にある風景の大きさを浮かび上がらせてしまう。
10月5日(土)から改めて、『天国の門』が劇場公開される。映画館を出た後で、見る景色がたしかに変わっている......そんな映画体験が、そこにはきっとある。
ちなみに、音楽を担当するのはボブ・ディランのローリング・サンダー・レヴューのツアー・メンバーでもあったデイヴィッド・マンスフィールド。彼やT=ボーン・バーネットらも参加する「Heaven's Gate Band」と名づけられたバンドは、劇中に実際に登場して演奏する。そのシーン、移民たちが日々の生活の喜びや悲しみを抱えながら、ローラースケート・リンクでダンスに興じるシーンのどこか切ない高揚は、紛れもなく本作のハイライトのひとつである。 (木津 毅)