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RIP

R.I.P. 遠藤賢司

R.I.P. 遠藤賢司

文:松村正人 Nov 28,2017 UP

●不滅の男遠藤賢司

 昭和くさいが平成のことである。学校の試験を受けに夜行列車と新幹線を乗り継いで鹿児島から仙台にいった私はひとっ飛びに帰るのはもったいない、どれひとつ花の都とやらを見物してみるでごわすとばかり、東北本線だか常磐線だかをくだり、上野で西郷どんの銅像を眺めた足で山手線をぐるっとまわり渋谷に降りたのは1990年、2月のよく晴れた日の午後であった。不案内ゆえところかまわずうろつくしかなく、嗅覚たよりに宇田川のレコード屋をひやかし(というか買うほど懐もあたたかくなく)いまのアムウェイの脇の坂をのぼりきって公園通りとの交差点をわたったところで見憶えのある男の姿を目にとめた。洗いざらしのジーパンにジャケットをはおり――と思い込んでいるのはその少し前のシングルのジャケットに頭のなかで置き換えているからからもしれないが、だれあろうそれが遠藤賢司さんそのひとだった。私がはじめて東京で目にした憧れのひとである。私はびっくりしたけど意を決めそばにいって、遠藤賢司さんですよね、と声をかけた。CD(音楽媒体の主流はレコードからCDに完全にきりかわりつつあった)は『東京ワッショイ』しかもってないですけど、この前の「ミッチー音頭」は鹿児島のレコード屋さんには入らないかもしれないので予約して買いました、といま考えると失礼なことを述べる私ににこやかに耳を傾けておられたエンケンさんはこのあとここで演奏するからよかったらおいでよ、地階に向かう階段をさしておっしゃったのである。あのやさしい声で笑いながらはにかむように。

 ところがその日のエッグマンのライヴのメインは当時イカ天で人気だった人間椅子でエンケンさんはワンマンのゲストだった。したがって私のはじめてエンケン体験はハードロックだったのである。むろん日本のフォークの始祖的な方だとは仄聞していたが、フォーク的な四畳半空間にはおさまりきらない存在として目の前にあらわれた、あるいは四畳半にハードロックをひっぱりこんだといえばいいか、ステージ狭しとかき鳴らすギターはせせこましいリフレインとは無縁にフィードバックしオレンジ色のグレッチ・ロックジェットはレスポールにみえたが、ギターの胴と弦とアンプとシールドはおろか演奏者と空間そのものが共鳴するというより帯電し雷鳴のようだった。ちょうど遠藤賢司バンドの活動が活発になってきたところでそのようなモードに入っていたのだろう。翌年の「史上最長寿のロックンローラー」はブルー・チアーがギターを電気琵琶にもちかえたような語りものロックの一大傑作だったが、根本さんの双六を裏に載せた60センチ四方の特大ジャケットのせいで、はれて上の学校にあがった私のバイト先のレコード屋では尊影さながら棚のそばにたてかけられたまま90年代なかばにやめるまでそこにあった。

 大きすぎると目に入らない、規格外のものがなかなか受け入れられないのは世の常だとしてもそこに甘んじるわけにはいかない。遠藤賢司は日本の音楽界に孤高の位置を占めたが、その歌は万人にひらかれている。65年のディランに触発され、68年ごろにはフォーク・シーンで頭角をあらわしながらそこに安住することなく、やがてはっぴいえんどとなる細野晴臣、松本隆、鈴木茂をバックに70年のURCからのファースト『niyago』で日本語のロックの礎をも築いた。「夜汽車のブルース」「ほんとだよ」「たそれだけ」「君がほしい」「雨上がりのビル街(ぼくは待ちすぎてとても疲れてしまった)」「君のこと好きだよ」「猫が眠っている、NIYAGO」――結局全曲題名を書き出してしまった、それらの歌には若者の焦燥と倦怠と愛情と詩情があり叙情の底には痛切さが横たわっている。アコースティックギターの持続音はあたかも自身の真ん中で失われないものがあるかのごとく響いてくる。おなじくはっぴいえんどの面々と共同した翌年のセカンド『満足できるかな』のテレビのなかの三島の割腹事件と台所の彼女と自分とを歌った「カレーライス」の多層化した描写の恬淡としながらひりつくような感覚。のちに生を鼓舞する歌を幾多もつくりだした遠藤賢司の歌の叱咤激励の下に脈打つそのような翳りこそ、聴く者の生に陥入する端緒だった。言音一致の純音楽家の純はなんら生得的なものではなく獲得すべきものであるから遠藤賢司は努力することこそ才だといったのではないか。そのようなことに、私はあとおいだけでれども、エンケンさんのレコードを聴いていくうちに思いいたった。はじめてのオンタイムの新作アルバムは96年の『夢よ叫べ』だから浅学の身でこのような文章をしたためるのは身も細る思いだが、それさえもう20年前のことである。エンケンさんはデビューして四半世紀を超えていた。若者たちははっぴえんどを発見し日本語ロックの祖型とみなしていたが、遠藤賢司はそのさらに先の日本(語)と歌と音のかかわりをつきつめていた。アルバムは前年に長い沈黙を破り復活した早川義夫に向けた「俺は勝つ」の激演で幕を開ける。日本の音楽史に消せない足跡を刻んだ両者の対比を描いたこの歌はふたりがふたたび交錯したことを祝うとともに、つづく「裸の大宇宙」では「過去も未来もあるものか ありったけの現在(赤字にルビ:いま)をかきなぐれ」と歌う遠藤賢司の歌は停滞の言い換えとしてのノスタルジーとは無縁にあくまでいまに繋留する。「おでこにキッス」や「君の夢はどんな夢」のはかなさと美しさ、ピアノ独演「風車」の質朴さ。「ボイジャー君」はゆらゆら帝国の「ひとりぼっちの人工衛星」をさきがけるばかりか「雨上がりのビル街」や「カレーライス」の抒情と詩性を裏打ちする遠藤賢司の焦点深度の深さをあらためて彷彿させる。

「夢を叫べ」を最後にナマで聴いたのは草月ホールだった。

 東京にやってきてからは演奏の会場にも足を運ぶようになった。そのうちこのような仕事に手を染め、湯浅さんの家に原稿をとりにいったとき、その家の庭で『夢を叫べ』のジャケットを撮ったのだと知って一目置くようになった、というのは冗談だが、いやこんなところで冗談を書くべきではないのだろうが、ことほどさように遠藤賢司の歌は私の裡に根をおろした。おそらくそれは遠藤賢司の歌にふれた老若男女にもあてはまるだろう。会場に行けば、その歌に涙を流すひとの姿を目にしないことはなかった。デビュー45周年の草月での場面を私はきのうのことのように思い出す。がんを患っていると知ったときも復活を信じて疑わなかったのはなぜか。そのすぐあとの年明けのライヴに行かなかった自分はおろかだった、とそのときの私はそんなこと思いもせず舞台をみあげ歌の渦中にいた。45年目の再デビューを期するステージを遠藤賢司はひとりで歌い継いだ。「不滅の男」でエンケンさんは客席に降りてくる、満場の客席を練り歩き猫の手ポーズでハイタッチ。アンコールの最後は「夢よ叫べ」である。その凛とした絶唱は満場の草月ホールから都下に広がり世界の襟を正す、そのなかには遠藤賢司自身も含まれていたにちがいない。45年目にして再スタートを切る決意のほどがそこにはうかがえた。以前雑誌媒体に籍をおいていたとき、ご寄稿いただいた原稿では音楽と生活の一致と、自分のリズムの重要性を説かれていた。三橋美智也を起点にフォークもロックもテクノ(ポップ)もニューウェイヴも特撮映画や伊福部昭や武満徹も罐にくべ邁進した純音楽トレインは原点に回帰する気配をみせたが、巨大な円環を描く道のりにおそらく終着点はなかったはずだ。2017年10月25日遠藤賢司がこの世を去ったことで、不断の歩みこそいったん停止を余儀なくされたが、音楽は聴きつげば現在に再生する。それこそが不滅ということではないか。

 享年70歳。新作の準備とりかかったところだったという。
 ご冥福をお祈りします。(了)

文:松村正人

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