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Roky Erickson with Okkervil River

Roky Erickson with Okkervil River

True Love Cast Out All Evil

Constant Artists / Lively Up

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松村正人   Aug 23,2010 UP
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 ピンク・フロイドを作ったシド・バレットがソロ活動が間遠になり、死んでようやく思い出されたようになると思っていたロキー・エリクソンの、たぶん94年の『All That May Do My Rhyme』以来の新作を、私はひさしぶりにいった渋谷のレコード店でみつけたとき、死人に会ったとはいわないにしても、渋谷の真んなかでシマにいるはずの父親に出くわしたくらいにはメンくらった。いや、私の父親はもう死んだからそれでも死人にはちがいないが、それくらいには驚いた。数年前、メイヨ・トンプソンに取材したとき「ロキー・エリクソンはどうしてるんですか?」と訊いたとき、彼は「彼はね......」と言葉を濁したが、その口中で噛みつぶした語尾は取材陣にあたりまえの想像をさせた。彼の音楽はもう聴けないだろうと。

 終戦の前年に生まれたメイヨ・トンプソンと、3歳下のロキー・エリクソンはそれぞれヒューストンとオースティンに生まれたが、どちらもテキサスの都会である。20代の彼らはおりからのフラワー・ムーヴメンの波に洗われ、アシッドを摂っては演奏する生活をつづけ、音楽でトリップするのかトリップが音楽なのかわからなくなりかかった60年代も押し詰まったころにレコード盤を出すことになった。地元テキサスが世界に誇る(?)サイケデリック・レーベルである〈インターナショナル・アーティスツ〉のカタログ番号1番が、13thフロア・エレヴェーターズの『ザ・サイケデリック・サウンズ・オブ・サーティーンス・フロア・エレヴェーターズ』であり、66年の暮れにあたる。13thはすでにローカル・バンドとしての地位を確立しており、その年の1月に出したファースト・シングル"ユア・ゴナ・ミス・ミー"はアルバムをリリースする直前の10月にはビルボードで55位を獲得するまでになっていた。この曲はいまでもロキー・エリクソンの代表作といわれる、単純なコード進行のガレージ・ロックだが、つっかかるようなコード・リフにくらべ、演奏はトミー・ホールの吹くエレクトリック・ジャグ(壺)の「トゥクトゥク」いう音に顕著な滑稽さと、どこか余裕をもった軽さを帯びている。ドラッグのせいとばかりいえない、どこか人事の感がある。ロキー・エリクソンのシャウトには感情の爆発というより空洞を吹き抜ける風のような中心を欠いた喪失感に似たものがあるがしかし、その喪失感には快楽と笑いが張りついている。そしてその曲はみずからのを「サイケデリック」と宣したファーストの1曲目にも収録したが、現在の記号としてのサイケデリックとはかけ離れているかにみえる。たしかにトミー・ホールが主導したというサイケデリックな意匠(ドラッグ、歌詞、補色を使ったジャケットはとくにすばらしい)はあるにしても、彼らはヴェルヴェッツのように東海岸のアート志向を体現したバンドではなく、デッドがそうしたようにステージで延々とフリー・インプロヴィゼーションを行わず、ブルー・チアー的な70年代のブルーズ・ロックの兆しもない。

『トゥルー・ラヴ・キャスト・アウト・オール・イーヴィル』のウィル・シェフの詳細なライナーノーツを引用すると、「いかがわしさたっぷりのボ・ディドリーや、同じテキサス出身で甘いラヴ・ソングの名手バディ・ホリー、そして何より、調子を外したようなリトル・リチャード(今日に至るまでのロキーのいちばん好きなシンガーだ)の叫びなどを聴いていた」10代に培ったシンプルでキャッチーで古典的なソングライティングのセンスをロキー・エリクソンは13thで無邪気に実践したが、当時の最新のトレンドだったサイケデリック・カルチャーとの出会いは、シンコペートした70年代と永遠につづくようだった"愛の夏"にはさまれた60年代末をシングル盤の片面の3分間に凝縮し、そのなかに立ち往生したかのようである。ヒキコモルほどの積極的な気持ちさえなかったと思われる。むしろストーンするかのごとくだった。裸のラリーズが生まれた67年に〈インターナショナル・アーティスツ〉の第二弾で出したファースト『ザ・パラブル・オブ・アラブル・ランド』で無定型の音楽形式"フリーフォーム・フリークアウト"を標榜したレッド・クレイオラが13thと同じく曲の副題でアシッド・カルチャーとの関わりをほのめかしながら音楽的実験を意識していたのとちがい、ロキー・エリクソンはサイケデリックにまわりつづけるレコードに運ばれ、パンクとニューウェイヴとグランジとポスト・ロックと、そのほか些末なトピックを素通りした。その間、70年に傑作ソロ『コーキーズ・デット・トゥ・ヒズ・ファーザー』をだしたメイヨ・トンプソンはニューヨークに移り、のちに英国で〈ラフ・トレード〉のプロデューサーとなり、野田努が数日前のレヴューで書いたローラ・ロジックらと『ソルジャー・トーク』『カンガルー?』を残し、ポスト・パンクの音楽的支柱に転身し、90年代にはジム・オルークやデイヴィッド・グラブスをメンバーにしたクレイオラをはじめたが、当時13thは90年代にストゥージズらと同列にパンクの始祖としてわずかに語られただけだった憶えがある。私はもうほとんど忘れてしまったが、当時(もいまも)現役のイギー・ポップはささくれた音楽性と身体性を通じユース・カルチャーとしてパンクを象徴したのに対し、13thはガレージ・ロック調の楽曲がパンクと結びつけてられていたはず。しかし私はロキー・エリクソンの書く曲はラモーンズのロックンロールのバブルガムな側面に、つまり空虚(Vacant)にひきつけるべきである。パンクは、バンド内のドラッグ禍とメンバーの逮捕で空中分解状態にあった13thがステーシー・サザーランドほぼひとりの手で最後のアルバム『ブル・オブ・ウッズ』をしあげた69年に登場したキング・クリムゾンのファーストを嚆矢とするプログレに代表される音楽が重くしたロックの装飾を剥ぎとる役目があった。ロックの原始性の復権といえばかっこいいが、たんにスリー・コードへの先祖返りともいえなくはなかった。しかしパンクの音楽形式ではない、言葉やファッションや言動は、ネオリベラリズムが覆った70年代後半の都市に踏みとどまっていた。そのアンビバレンスはサマー・オブ・ラヴの渦中にあって――無意識にせよ-―50Sを憧れたロキー・エリクソンとどこか似たものがあり、ロキー・エリクソンとメイヨ・トンプソンという、アメリカの巨大な地方出の同世代のふたりがパンクとポスト・パンクに影日向に、あるいは暗喩として働いたのを暗喩するかのようである。

 『トゥルー・ラヴ・キャスト・アウト・オール・イーヴィル』は、ロキー・エリクソンのスタジオ最新作だが、オクラ入りした曲を録り直したもののようだ。曲ができた正確な年代はわからないが、テキサスのラスクの刑務所に触法精神障害者として収監されていたときに書かれたものが多いという。ゆったりと歌いあげる様子から弾き語りをベースにしたものと想像できるし、じっさい全編フォーク・ロック調である。プロデュースを担当したのは前述のライナーを執筆した同郷のウィル・シェフで、彼のバンド、オッカーヴィル・リヴァーがバックをつとめ、名義も連ねている。私は恥ずかしながら、オッカーヴィル・リヴァーは聴いていないが、アルバムを聴く限り、当世の音楽トレンドとはやや距離を置いた歌心を大切にしたバンドだとわかる。センセーショナルなものはなく、歌を実直に聴かせるバンド・アレンジが施されている。正直私は最初、「大人のロック」という禍々しい呼称さえ口にしそうになったが、何度かくりかえすと、すでに伝説の範疇に入れられた彼とともに音楽を作るにあたり、先入観をもたず生身の姿をみようと、ウィル・シェフはしたのだと想像した。

 さらに二度三度くりかえした。神への確信を歌った1曲目の"デヴォーショナル・ナンバー・ワン"は刑務所で録ったテープの音源が使われている。ラッパーでもパンクスでも刑務所では悔いあらためなくともある種の悔恨には襲われる。共和党の票田の中南部に生まれ、熱心なキリスト教徒の母親に育てられたロキー・エリクソンが、神への確信からその遍在を歌った幕引きの"ゴッド・イズ・エヴリシング"に至るこのアルバムを"True Love Cast Out All Evil"と題したのは前後関係を考えるとまことに腑に落ちる。一方で、"ビー・アンド・ブリング・ミー・ホーム"や"ブリング・バック・ザ・パスト"では故郷(Home)や過去の喪失がテーマになり、チーフタンズをバックにしたヴァン・モリソンをたわませたような前者で彼は以下のように歌っている。

「おれを家に連れて帰ってくれ
おれを家に連れて帰ってくれ
うろうろしないで
おれを家に連れて帰ってくれ」

 ディランであれば"Bringing It All Back Home"というべきところを彼は顔のみえぬ誰かに訴えている。誰かとは神だろうか? そうかもしれない。しかしその神は啓示のかわりにドラッグにしろ、刑務所にしろ、過酷な情況をあたえてきた。されるがままだった彼には、犬のように殺された小説の作中人物に似た受動性が身についており、じじつ犬のように死にかけもしたが、結局は生きつづけ、生き残ったことが歌になった。忘れてはならないことだが、そこには詩人の女々しさはなく、ただ私たちがあたりまえに享受している生(Life)や故郷(Home)へ不意に跪きそうになる無垢さがある。そう考えたとき、当初はヤボッたいとさえ思った『トゥルー・ラヴ・キャスト・アウト・オール・イーヴィル』はこのジョン・フェイヒィの風貌をしたレナード・コーエンのような男のホームシック・ブルースとなり、聴く数だけ滋味を増すのだと思える。

 彼は現在、最初の妻と所帯をかまえ、マネージャーは幼少期に生き別れ、のちに再会した彼の息子だという。

松村正人