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No Joy

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No Joy

Wait to Pleasure

Mexican Summer / Dffuse Echo

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橋元優歩   May 16,2013 UP
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 晴れた日に、自分の足元の影をじっと見つめる。そのまま瞬きをせずに空を見上げる。そうすると、いままで見ていた影が空に大きく投影される。ノー・ジョイの音像は、「影送り」なる遊びを思い出させる。地面の上の影と、それを網膜に焼きつけることで錯覚する空の影。どちらにも実体がない。「それを見ていた」というわたしの目の記憶だけが、彼らの存在にとってのよすがだ。

 〈メキシカン・サマー〉のシューゲイズ・ポップ・デュオ、LAとモントリオールで活躍するノー・ジョイのセカンド・アルバムは、ドゥーミーなスタイルがかえって浮力を得ていたようなデビュー作に比べると、ストレートに軽快さを増している。いや、音は重いのだけれど、疾走感が生まれている。しかしそのことによって、空を行くのではなく地上を走る作品になった。"プロディジー"などは截然と前作から切り分けられる作風だ。ファズやフィードバック・ノイズの濛濛たる幕のなかを爽快に駆けるリズム隊、風を受けてなびくように漂うウィスパー・ヴォイス。両作品の間にはちょうど空の影と地の影のような対称がある。そして今作は、前作『ゴースト・ブロンド』の発展形というよりも、むしろそれを影送りする前の原型であるような印象を受ける。ピュアな息づかいが感じられるだろう。まさにフィードバックすることでビビッドな輪郭を得た、見事なセカンド・アルバムだ。

 マイ・ブラッディ・ヴァレンタインでもライドでもスロウ・ダイヴでも、オリジナル世代の成果を再生産しつづける特殊なジャンルとして漠然と(しかし広く)認識され、また愛好されているシューゲイザー・シーンだが、本人たちの意識はともかく、ノー・ジョイもまたそこに連なるように聴かれているバンドのひとつだ。〈4AD〉やこの〈メキシカン・サマー〉、〈キャプチャード・トラックス〉などは、こうしたシーンにとってもまだまだ新鮮な音を提示しつづけ、ひとつの起爆剤として機能しているところがある。もちろん、彼らはもっと広いところに向かって音を放っているのだけれども。

 ノー・ジョイのデビュー作は2010年リリース。その頃がレーベルや彼ら自身の与えるインパクトとしてはいちばん旬な時期だったと思うが、今作においてはいわゆるグランジやオルタナ・サウンドの復刻としても磨かれた音が鳴っている。90年代再評価の気分は、いまならR&Bなどに顕著だが、ノー・ジョイの作品においてはとても地味なかたちで、しかしいまおいしく聴くために必要な包丁さばきが丁寧に施されている。ダイナソー・ジュニアやソニック・ユースがいま聴かれるためにはどこを取り出すべきか、"リザード・キッズ"などにはその手がかりを見る思いがする。
 それから、わずかにダンス・ビートが追加されている。こうしたところにも空ではなく地面を感じる。踊る音楽というわけではないが、浮遊することではなくて地面から思考することを選択するように感じられる『ウェイト・トゥ・プレジャー』は、その点でもグランジ的かもしれない。彼らに浮遊はなかったわけだから。そして、「浮遊感」に彩られたこの数年を畳むかのような試行が、その象徴のひとつであったような場所から登場していることも興味深い。

橋元優歩