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Femi Kuti

Afrobeat

Femi Kuti

No Place for My Dream

Naïve / Pヴァイン

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鈴木孝弥   Jul 29,2013 UP
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 フェラ・クティの音楽的継承者としての姿を求める人には、このフェミ・クティよりも彼の異母弟(フェラの末っ子)シェウン・クティの方がより"正統"として響くだろう。62年生まれのフェミより20年もあとの80年代に生まれたシェウンは、父親の音楽に、一定の距離を置いたところからかなり純粋な畏怖と憧憬をもって接している印象を受ける。現在30代以下のミュージシャンをして、70~80年代サウンドを"新しいもの"として解釈させるようなポジティヴな隔世感も少なからず作用しているだろうが、末っ子シェウンは父フェラのアフロ・ビート様式の泥臭さをフレッシュなものとしてほぼ全肯定し、自分の手で素直に再提示できるメンタリティーを持っている......つまり、父親のバンド:エジプト80を引き継ぐにふさわしい(無論いい意味で)ピュアな継承者なのだと思う。
 それに対し、父親の黄金期の70年代から父のバンドで修業し、そのスタイルを間近で学んだ長男フェミは、当然独り立ちする際には父親との差別化を意識したに違いない。加えて、ときは80年代、いわゆる"ワールド・ミュージック"が、主にパリ経由で、一定の西欧ナイズ&モダナイズを強要されながら......というか、事実その効果で、世界のマーケットに食い込み始める時期だ。フェミの西欧マーケットを視野に入れた〈アフロ・ビート×モダニズム〉の方向性は、おそらくそのときから一貫している。彼がしばしばインタヴューで語る"自分の音楽の原則"も実に明快だ。曰く:〈基礎が堅牢なアフロ・ビートの原理をあまり危うくしないこと〉。それは、父親の音楽様式をそのまま継ぐつもりはない、という意思の婉曲表明になっている。

 しばらく前にパリのエリゼ・モンマルトルでフェミ・クティのライヴを見たときに驚いたのは、演奏よりもむしろそのMC......というより演説だった。アフリカの窮状、その原因となっている西側諸国とアフリカ諸国の権力者間の密約、それによるアフリカの政治腐敗と、西側の後ろ盾によって温存され続ける、アフリカの市民が搾取される構造、慢性的貧困。それを理論的に担保する新自由主義経済/グローバリゼイション・システムの欺瞞を、演奏の合間に何度も、長々と、激しい口調で語るのだが、その演説がすべてフランス語だったのだ。
 生まれこそロンドンだが、旧英国領で英語を公用語とするオリジン国ナイジェリアのラゴスで育ち暮らすフェミが一体いつどこでフランス語を習得したのかと思ったら、実はラゴスのアリアンス・フランセーズ(フランス語学校)に自分から通い、それを音楽活動が軌道に乗って久しい30代に入って以降もしばらく続けていたらしい。そう報じる《ラディオ・フランス》の最新インタヴューでのフェミは、次のようなことも語っていた。

 ......フランスはアフリカ音楽の"メッカ"だ。サリフ・ケイタもアンジェリック・キジョもフランス経由で世界的な名声を得たし、昔、父がアフロ・ビートを世界に広めようとした際も、フランスより旧宗主国イギリスの方が父の音楽に対してずっと冷淡だった。その後、自分が初めてヨーロッパで公演しようとした際も、イギリスでブックできたのは2ヶ所だったが、フランスでは15ヶ所で演奏できた。財政面の問題で自分のバンド:ポジティヴ・フォースが解散の危機にあった際、在ラゴスのフランスの文化機関が尽力してナイジェリア=フランス文化交流イヴェントに招聘してくれたことで、オレのことをフランスの新聞が一面で評価してくれ、それが自分にとって決定的な転機となった、と。

 今回のアルバムでは、近作(『Day by Day』『Africa for Africa』)にあった派手さや、ポップなフィーリングが、音の生々しさ、ゴツゴツした感じに取って代わられている。しかし15年来の相棒であるフランス人プロデューサー/エンジニアのソディ・マルシスヴェール(Sodi Marciszwer)との共同作業の流れのなかで見れば、ああなるほど、今回はこういう音にしたかったんだな、と、すんなり腑に落ちる。

 これまでは単に Sodi と表記されることが多かったソディ・マルシスヴェールは、日本ではほとんど語られることがないが、フランスのストリート・ミュージック/プロテスト・ミュージックの分野では篤い信頼を置かれている人物だ。古くはレ・ネグレス・ヴェルト、マノ・ネグラから、IAM(アイアム/仏ヒップホップ・グループの最高峰)、ラシッド・タハ(ぼくが先日レヴューした『Zoom』のパリ録音部分のエンジニアは彼だ)など錚々たる面々と仕事をしてきたが、なにより1980年代後半以降、つまりパリがアフリカ音楽にとって最大の友好的"ハブ都市"になって以降の晩年のフェラ・クティが、時代感覚に長け、世界に売れるアフリカ音楽の音を作れる男と踏んで信頼を置いたエンジニアが彼なのである。それでソディはフェラの『Just Like That』『Beasts of No Nation』『O.D.O.O.』、遺作『Underground System』で仕事をするようになったし、フェラが没したのち、エイズ・チャリティーのフェラ・トリビュート盤『Red Hot + Riot』でも活躍したのだった。

 父が他界したあとにそのソディと15年以上もタッグを組んでいるフェミが父親から最も直接的に引き継いだのは、思うに、アフロ・ビートの様式以上に、その政治性、闘争心と、時代感覚に優れた相棒のソディなのである。父のバンド(音)を引き継いだのがシェウンなら、そのブレインを引き継いだのがフェミ、という対比を見ることもできるわけだ。そのシェウンの録音のプリミティヴな質感も当然意識したに違いないし、ここ最近の世界中のアフロ・ビート・バンドの、アナログでパワフルでシンプルな音のトレンドも考慮して、フェミは今回の音をソディとともに作ったはずだ。フェミ特有の持ち味(ソウル・ジャズ~ファンク・テイスト、メロディアスなヴォーカル・ライン、キャッチーでアップリフティングなホーンのリフ、コーラス隊とのコール&レスポンス etc.)はそのままに、それを近作にない"raw"なストロング・サウンドで表現したのだ。

 つまり戦略。フェミは戦略の人だと思う。アフロ・ビートを伝統芸能として守ることが目的ではなく、アフリカの問題が世界の問題(の象徴)である以上、より広く世界規模でその現状をつまびらかにすることを第一義と考える、そんな音楽家/活動家である。その手段として、(最もそれを届けなくてはならない対象である)西側のリスナーの耳を常に意識し、彼らに馴染みやすいそのときどきの時代の音を適度に採用することを全く厭わない。むしろその方が逆に、雄弁で舌鋒鋭いメッセンジャーとしてのフェミのキャラが鮮やかに立ち上がってくる。"アフロ・ビートの原理をあまり危うくしない"ように留意しながら、毎回そこを緻密に計算していると思うのだ。

 今作のリード・チューン"The World is Changing"のPVも、同じ意味で実にフェミらしい。例によって分かりやすい英語で歌われ、さらに非英語話者でも理解しやすいようにすべての歌詞を随時表示し、重要な単語は視覚的に強調されている。地球が苦しみに変わっていく......というテーマのヘヴィーさに軽快なギターの刻みとポップでテンポのいい映像が対置されて観る者を引き込む工夫がなされているし、持たざる者とすべてを失った者が呆然と立ちすくむとき、その背後に、歌詞で一切触れずして、地球規模で暴利をむさぼる打倒すべき巨大な権力構造を、観る者に意識させる。この、誰も心躍らない気の重いテーマを、いかにスムースに伝えるかに心を砕くのがフェミなのである。(余談だが、もちろんシェウンのプロテスト性もかなりのもので、『From Africa with Fury : Rise』でも〈モンサント〉や〈ハリバートン〉といった企業を名指しで糾弾していたくらいだが、その直接的なやり口も父親譲りな気がするし、その点のフェミとシェウンの表現法の違いに注目するのも面白いだろう)

 とにかく、そういう汎地球的メッセンジャーたらんとするフェミのアティテュードを思うに、彼が自分からフランス語を習得したことにも合点がいく。もちろん相棒ソディが仏人であることや、アフリカ音楽にとってのフランスの重要性を身をもって知ったフェミが、その自分を評価してくれ、世界へメッセージする足掛かりとしてもふさわしい場所を重要な活動拠点に位置づけようとしたことも、その大きな要因だろう。
 しかし、おそらく彼にとってフランス語のもっとも大きな有用性は、ツアーで各地を回ってステイジ上からメッセージする際、西側のフランス語圏だけでなく、フランスやベルギーの旧植民地/旧統治領であったアフリカ諸国の"同胞"にも、その国の公用語で語りかけられることなのだろうと想像する。ひとくちにアフリカといっても、植民地政策の成り行きから公用語の面で主に英語圏とフランス語圏とに二分されてしまっている。フェミの性格からしたら、"アフリカ・ユナイト"主義のメッセンジャーとしての理想像をストリクトに追求しそうではないか? 仏語圏アフリカのトップ・ミュージシャンで英語も使える人はいても、その逆はそう、いない気がする。

 そうしたフェミとフランスとの関係はあまり知られていないと思うが、ついでに言えば、フェミは自分のマネージメント・オフィス、レコード会社、ビジネス上のコネクション、銀行もすべてパリに置いている。そんな事情もあってだろう、前掲の《ラディオ・フランス》のインタヴューでのフェミは、〈パリのナイジェリア人〉とも形容されていた。ジョージ・ガーシュウィン『パリのアメリカ人』以降長らく、この言い回しはお約束の決まり文句なのだが。
 その〈パリのナイジェリア人〉は、この新作『No Place for My Dream』のワールド・ツアーを、パリ郊外のラ・デファンスからスタートさせた。ラ・デファンス地区とは、世界有数の多国籍企業が数多くそのフランス支社を構える同国最大のビジネス街、つまりフランスでもっとも新自由主義を象徴する場所だ。その場所で、この悲惨きわまりない荒廃したゴミの街(ラゴスのスラム)のジャケットの新作をアピールしたのである。近未来的な高層ビルが林立する、世界でも屈指の"ハイパー・アーバン"なビジネス街に、このポスターが貼られた場面を想像してみて欲しい。それがフェミ・クティのやり方なのである。

‪Femi Kuti‪ - The World is Changing (official video)‬

鈴木孝弥