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Budhaditya Chattopadhyay

Budhaditya Chattopadhyay

Eye Contact with the City

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デンシノオト   Sep 05,2013 UP
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 世界の音を採取=録音する。編集=エディットする。音響的持続を構成=コンポジションする。レコーディング、エディット、コンポジション。だがそれらの真の差異はそれほど明快ではない。録音したときに、音は世界から切り離され、いわば最初の「編集」がなされているのだから。
 フィールドレコーディング作品はそのような明快さ/曖昧さのあいだに存在し、聴き手の聴覚の遠近法と思考のパースぺクティヴにゆさぶりをかけていく。たとえば、〈タッチ〉からリリースされているクリス・ワトソンの作品は、高品質・高機能なマイクロフォンで録音され、ステレオという構造にトランスフォームされていくことによって、未知の音が立ちあがっていく。録音と編集の境界線が揺らぎながら、しかし確実に世界の音が、「ありのままの生の音」とは違う「録音と編集による音響空間」の領域へと達するのだ。
 多くのフィールドレコーディング作品をリリースしている〈グルーンレコーダー〉から発表されたブッダディティヤ・チャトパディヤイ『アイ・コンタクト・ウィズ・ザ・シティ』もまた環境録音と聴取の遠近法の操作という側面で重要な達成に至っている作品である。この作品、もともとはアルスエレクトロニカで受賞をした映像と音響のインスタレーション作品だという。本アルバムは、そのインドのバンガロールで採取・録音されたサウンド部分をCD一枚に収録したものだ。それは完全に音響作品として成立しているようにも思えた。何故だろうか。
 それは全編(本アルバムは55分55秒の1トラックである)にわたって緻密に編集がなされている点である。CDをスタートしてしばしの沈黙の後に聴こえる車らしきものが発するクラクション。その音は何回かにわたってループしており、この時点で聴き手は本作を「生の音のフィールドレコーディング作品」ではなく、全編にエディットを施された作品であると理解するだろう。その意味で本作はサウンド・スケープ作品ともいえる。
 聴き進めていくに従い、インド・バンガロールで採取された音響の連鎖(街の雑踏や地下鉄、工事現場などかから録音されたという)は、ときに反復し、ときに持続し、ときに切断され、ときに反響・残響を付与されていくのが聴きとれるだろう。2年にわたって採取・録音・編集を重ね、作品を作り上げていったという本作の音響は、まるで「イメージのない映画」のように、耳から脳へと音の快楽とイマジネーションを生成していくだろう。
 ちなみに本作は、インドのフリーマーケットで見つけたという古いオープン・リール・テープによって録音されているという。そのため音は独特の霞んだ質感を獲得している。しかし、いわゆるローファイ的な「あえて悪い音」を愛でるフェティシズムとは全く違うものだ、ここにはコンポジションされた豊かな音響空間があるのだ。
 このアルバムの曲は"エレジー・フォー・バンガロール"と名づけられている。そう、「エレジー=哀歌」なのだ。フィールドレコーディングはざわめきの録音から遡行するように、音の発生=サウンド・スケープへと立ち戻るのだ。その音響=環境は、確かにひとつの「音楽」のように鳴り響いている。

 かつてジム・オルークが音響作家として鮮烈に登場したとき、鋭いリスナーはそこに映画からの影響を感じたものだが(たとえば、1993年の『Rules Of Reduction』など)、このインドの音響作家を、映画、それもポスト・ゴダール的な音響作家として位置づけ、聴取することは可能かもしれない。わたしには本作冒頭の控えめなクラクション音のループが、ジャン=リュック・ゴダールの『新ドイツ零年』(1991)冒頭の鮮烈なサイレン音のような見事な「はじまり」(と同時に「終わり」を?)を告げているように思えてならないのである。

デンシノオト