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“Drugs”は、文字通りドラッグについての曲だが、Kohhのラップはとことん乾いている。はったりも、享楽も、酔いしれるセンチメントも感じさせない。ああ、なんて冷めた「Lucy in the Sky with Diamonds」だろう。ハードボイルドとも違う。まずもって、これは、昔からアメリカでよく引用されるチャック・Dの言葉「CNNのゲットー・ヴァージョン」の優れた一編である。昔、もし日本にブロンクスがあるとしたら、それは北区になるだろうと予言した人がいるって本当? 僕の前でレヴューを書いている泉智なる男(本サイトにこのアルバムを取りあげさせた何人かのうちのひとり)は、この作品について僕と語っているなかでディジー・ラスカルの名前を持ち出したが、そう言いたくなる気持ちも理解できる。
それにしても、あの手この手でゴシップ好きまで巻き込んでおいて……、これか。お望み通りのKohhを見せつつも、『MONOCHROME』は返す刀で切る。トラップを意識したトラックもいま風でクールだが、僕にはKohhのラップ/リリックが興味深い。「もし俺が金持ちになっても誰かは貧乏/自分ひとりだけじゃなくって/いろんな人たちと幸せになるのが理想」という“I'm Dreaming”は、読み方によっては、「平等」なるコンセプトについての曲であり、社会を描こうとする日本の音楽がもっとトピックにしておかしくないはずの「金」についても向き合った曲だと言える。
『MONOCHROME』にわかりやすいポリティクスが表現されているわけではない。しかし聴いていると、音楽は広がって、社会のいろいろな場面に突き刺さる。『Illmatic』を初めて聴いたアメリカ人の感動もこんなだったのではないだろうか。
“No Sleep”は「自由」についての曲だ。「自由」──この、いまやもっともアンビヴァレントな響きの言葉、自由に生きたいとかの曖昧な「自由」、新自由主義の明確な「自由」、経済は自由で人間は不自由、自由は企業社会のもの……と、Kohhがこんなことを言っているわけではないが、僕の頭のなかではこのように意訳されうる曲が“No Sleep”である。Kohhが口にする「自由」には、「金」には、「ドラッグ」には、哀しみが漂っている。その哀しみは、感情のおもむくままに描かれたものではない。「貧困」という生々しい主題に立ち向かいながら、そこには距離感がある。都営団地での自らの経験を語りながら、ある種のストイシズムというか、何かに溺れている風ではない。
たびたび描かれる母親との関係は、初期のエミネムのそれというよりも、やれやれと思いながらも断ち切れない「仲間」や「連れ」みたいなものに感じる。「親子」という関係性はひとまず終わり、生まれ変わっているようだ。「ママに吸わされた初めてのマリファナ」というフレーズを聴いて僕が思い出したのは、初めて欧州を旅した1991年、道中で知り合った青年のごくありふれていそうな家庭の、母親は吸って息子は吸わないという日常的なひとこま、である。こっちはやっぱすげーなーと印象深く残っている。が、もう変わったのだ。いろいろなことが。10年前に日本を出て行った人がいま日本に帰ってきてこのアルバムを聴いたら驚くだろう。なんて紹介しよう。彼は、格好いい服を着て、格好いいタトゥーを入れて、格好いい音楽をやっている若者だと、言うべき言葉を持っている若者だと、そう言ってあげよう。(thanx to MUTAI-KUN)
文:野田 努