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(デンシノオト)
自らの声/ヴォーカルを大胆に導入したということで話題の新作だが、ヴォーカル(=メロディ)が全面化したことにより、作曲家の才能とパフォーマーとしての肉体の刻印が露わになった点こそが重要ではないかと思う。
刺激的な音響とヴィジュアルに眼と耳が向かいがちだが、彼はまずもって作曲家として才能がある。パフォーマーとアーティストの両極を生きることができる稀有な人物なのだ。今思えばファースト・アルバム『ゼン』、セカンド・アルバム『ミュータント』、インターネット上にアップされるいくつものミックス音源などは、作曲家、パフォーマー、サウンド・デザイナーとして、それぞれの実験をおこなっていたように思える。そして、〈ミュート〉から〈XLレコーディングス〉移籍後となるサード・アルバムである本作において、その三つがついに統合された。
本作は、2016年にインターネット上で公開されたミックス音源『Entrañas』に収録された曲も収録されているが、戦争を思わせる破壊的な音響が炸裂する『Entrañas』と比べると、この『アルカ』は、比較的静謐な作品である。自身の肉体性が生々しくも美しく音楽として昇華されている、とでもいうべきか。13曲中9曲にアルカ自身のヴォーカルが導入されているのもその証に思える。
『アルカ』には、恐るべき完成度と、魅惑と、逸脱と、均衡と、破格と、美がある。新しいオペラであり、強烈な電子のロックであり、ポスト・ヒューマン時代の民族音楽であり、越境する人間の音楽/ダンスである。ジェシー・カンダのアートワークとの相乗効果もあり、アルカは歌手=歌い手として、自らの体を、ベネゼエラへの生贄のように捧げているかのようにすらみえる。そう、人間という「個」の刻印の芸術の実践のように。
まずは不穏な美を称える電子民族歌謡のような“Anoche”や“Reverie”、荒廃した世界へのレクイエムのような“Sin Rumbo”、アルバム中もっともポップな“Desafío”などの音の肌理に触れてほしい。そして、肉体=個という戦争の記憶を想起・生成するような“Castration”に戦慄してほしい。
これらの楽曲を聴き込むにつれ、デヴィッド・ボウイの死後、ロックという仮面と肉体=個を音楽(という擬態?)というモードに時代性を刻印したのは、昨年のアノーニのアルバムと、このアルカの新作ではないかとすら思ってしまう。アノーニも個というものの崇高さ、個という多様性、しかし安易に「同調しない」という個の姿勢に貫かれている。このアルカの新作も同様だ。そこで還元されるのは、個=自身の肉体である。ゆえに本作はセルフタイトルなのではないか。
音楽とは共同体に深く根づいているのでいっけん分かりにくいが、しかし、やはり音楽の真の力とはアナーキズムであり、共同体の破壊でもある。既存の政治形態、社会思想、社会通念を壊すものでもある。なぜか。そもそも、あらゆる音楽は個の身体から発しているからだ。音楽とは原=社会な芸術なのである。このアルカの新作に収録された楽曲すべてに横溢する血の匂いは、21世紀の電子音楽を身体という原=社会的なものへと還元させようとする、強い欲望と意志に思えてならない。
私は2010年代的なエクスペリメンタル・ミュージックが、これほどの芸術性を獲得したことに深い感動を覚えた。断言しよう。アルカ史上、最高傑作である。
デンシノオト