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Julien Baker

Alternative Rock

Julien Baker

Little Oblivions

Matador / ビート

木津毅   Mar 09,2021 UP
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 アルバム・ジャケットには手書きの字体で「There's no glory in love / Only the gore of our hearts(愛に栄光はない、あるのは血まみれの心だけ)」と添えられている。もし自分がいまアメリカで暮らす10代だったなら、この言葉をタトゥーにして身体に刻んでいたかもしれない。ジュリアン・ベイカーのその歌でさらけ出す生々しい感情は、なにか深いところで共感するとともに、それが彼女の芯から絞り出されたものだとわかるからだ。インクは血液に溶けて、やがて心臓に届くだろう。
 けれどもジュリアン・ベイカーの「エモ」は、いたずらに自分のトラウマや痛みを振りかざすものではない。エモ・リヴァイヴァルがポップやラップとも合流し、いまの若い世代の閉塞感を掬っていると言われる昨今だが、そのなかにあってベイカーは卓越した抑制でこそ内面のドラマを描き出してきたシンガーソングライターだ。デビュー作『Sprained Ankle(捻挫した足首)』(2016)の時点で多くのひとが魅了されたその声と歌唱は、どこか俯きがちな控えめさと暗がりでそっと見せられるような親密さを湛えていた。あるいは弾き語りによるインディ・フォークの名作『Turn Out the Lights(灯りを消して)』(2017)ではやむにやまれぬ昂ぶりを表したような高音の歌声を聴かせていたが、それを受け止めるのはあまり大きくない音量で丁寧に演奏されるギターやピアノだった。熱心なキリスト教徒が多いバイブルベルトでレズビアンとして育ったベイカーが様々な抑圧を受けてきたことは想像に難くないが、自分(薬物依存、信仰に対する疑念、自殺未遂、孤独)を音楽とともに外側に解放していくことは、それだけデリケートなことだったのだろう。

 そのことを思うと、3枚めとなる本作『Little Oblivions(小さな忘却)』での音楽的飛躍は息を呑むような新鮮な驚きがある。オープニングの “Hardline” における、厚みのあるシンセ・ノイズ、躍動するドラム、音の壁となるシューゲイズ・サウンド……どれもが彼女のこれまでの歌からは聞こえてこなかったものだ。アコースティック・ギターの弾き語りを基調にしながら印象的にブレイクするビートを持った “Heatwave”、柔らかいギター・アルペジオが包容力のあるドラミングや色味のあるシンセと合流する “Faith Healer” と、構成のダイナミックさによって光を増しているナンバーも目立つ。スケールを増したサウンドのなかで、そして、いっそう輝くのがベイカーの歌にほかならない。微妙にジャストな拍から遅れるそのヴォーカリゼーションは内側の深いところから振り絞られるようで、ドラマティックに広がっていく。聴き手のなかに眠っていたエモーションを覚醒させるようだ。
 ベイカーの表現者としての同志フィービー・ブリジャーズが跳躍を見せた昨年のアルバム『Punisher』と、ちょうどシンクロするようなアルバムだと言えるだろう。ただ、ソーシャル・メディアでのキャッチーな振る舞いなどから今後ヒップな存在になっていくだろうことを予感させるブリジャーズに対して、ベイカーはもっと遠慮がちでシャイなところがあると思う。だからこそ、たとえば “Ringside” のギター・ストロークの激しさには圧倒され、よりロウ(raw)な手触りを感じる。ベイカーが得意とするところのフラジャイルだが温かみのあるピアノ・バラッド “Song in E” から、後半の反復がストレートにロック的なグルーヴを擁した “Repeat” へと至る流れも感動的だ。

 その大きな影響元にパラモアなどのいわゆるエモがあること、エリオット・スミスのソングライティングに何よりもそのフラジャイルさでアクセスしてきたことを鑑みても、ベイカーは現在のフォーク・ロックとエモの接近を象徴する存在だ。フォーク(・ロック)という伝統的に公共性を負ってきた音楽と、あくまで私に立脚するエモが固く結びついていることを僕は興味深いと思うのだけれど、本作にも参加しているブリジャーズやルーシー・ダッカス(ふたりはベイカーとボーイジーニアスという魅力的なフォーク・ロック・ユニットを結成している)らクィア女性がその中核を担っていることは、時代を表しているように感じられる。抑圧されてきた私的な情感こそが、他者と深いところで共有されうるものとなるのである。『Little Oblivions』は前作に比べて、ベイカー自身がバンジョーやシンセ、ドラムにパーカッションといった多彩な楽器を演奏していることが伝えられているが、それは彼女のマルチ・プレイヤーとしてのテクニカルな側面を示すものではなく、その音楽において自分のエモーションを自分でコントロールする意思の表れだろう。
 自分の感情を自分で扱う──書いてしまうとシンプルに見えるそのようなことが、ベイカーにはずっと困難だった。それは聴き手のわたしたちも抱えているはずの生きがたさだ。『Little Oblivions』には変わらぬ痛切さがあるし、その内面の問題は何ひとつ解決していないのだろうけど、音の眩しさにはそれらをそのまま受け止める強さがあると僕は思う。冒頭で引用した言葉でベイカーは、当然のように「our hearts」と複数形を使っていた。わたしたちの血まみれの心。それらは温かい血を滴らせたままで、この美しいエモ・フォークと共鳴する。

木津毅