偉大なるミュート・ビートの全作品でベースを弾いていた松永孝義さんが7月12日午前11時、横浜の病院で肺炎のために亡くなられた。54歳だった。
彼は、今井秀行との(ときに屋敷豪太との)最強のリズムセクションを成していた。名作『フラワー』をはじめ、もちろん『ラヴァーズ・ロック』でも、『マーチ』でも、『スティル・エコー』でも弾いている。ほかにも、じゃがたらの『それから』やUAの『ターボ』、高木完『Grass Roots』、ヤン富田『Music For Living Sound 』などでも弾いている。2004年には46歳にして初のソロ・アルバム『The Main Man』を(オーバーヒート)からリリースしている。icchie、土生"TICO"剛、YOSSYとのコラボレーションも記憶に新しい。
クラシックを学びながら、音大卒業後にピアニカ前田やこだま和文らと出会ってミュート・ビートに参加する経緯、あるいはわずらっていた食道がんの話などは、新世界のホームページに詳しい(http://shinsekai9.jp/yorimichi/archives/20)。
僕の世代のレゲエ好きは、ステージの上の彼を見て、低音を感じ、そして彼のベースラインをいろいろな録音物で聴いている。彼は、がん細胞と戦いながら、つい最近までステージでベースを弾いた。この週末は多くの人に、ミュート・ビートの諸作や『The Main Man』を聴いて欲しい。この国の音楽シーンを切り拓いていったベースがある。松永孝義さん、お疲れ様でした。レスト・イン・ピース。(野田 努)