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「ポスト-クラシカル」は、いま、売れるらしい。ポスト・ロック/エレクトロニカ系のディストリビューターと打ち合わせをしていたら、余談でそのような話になった。コリーンがきっかけだったのか、シルヴァン・シャボーだったのか。いずれにしろ10年ぐらい前からその辺りがじわじわと動き始め、いま、「ヨハン・ヨハンソンはスっゴい売れる」とも。たしかにヨハンソンは一時期、中古盤の数がハンパなく、それで揃えられてしまったほど。
とはいえ、どうも食指がそれほど活発には動かない。ジム・オルークの『ザ・ヴィジター』も明らかにポスト-クラシカルの文脈に沿った内容で、スティーヴ・ピーターなどシカゴ音響派か、そのフォロワーがまとめてそちらに移動している印象も強く、実験性の行き所としては安易な印象もなくはない。ヨハンソンなどはたしかジーザス&メリー・チェインに影響を受けて......とか、そんなような人だったらしく、実際、『ディス』のように快楽性の高い内容のアルバムもあったりはするんだけど、評価されている部分はまったく異なり、やはり(ポスト-クラシカルというぐらいで)ストイックなほうが明らかに人気がある。その幼さもわからないではないけれど、まー、それに付き合うのは面倒くさいなーと。
元々素養があったから不思議ではないけれど、ワールズ・エンド・ガールフレンドも「ポスト-クラシカル」の先駆として時々、名前が挙がる(ミュージアム・オブ・プレイトはまったく出ない?)。これはまー、なるほどで、そう思うとエイフェックス・ツインがフィリップ・グラスに興味を示した辺りをルーツとして考え直すことも可能に思えてくる。リチャード・D・ジェイムズにはレイヴから遠ざかろうとするアンビバレンツな感情が常に見え隠れしていたので、批評的な要素もあるだろう。あるいは、もっと音楽的な解釈もありうるのかもしれない......。
そして、ワールズ・エンド・ガールフレンドを皮切りにカズマサ・ハシモトやミドリ・ヒラノらを送り出してきたミディ傘下のノーブルも「ポスト-クラシカル」のレーベルだったといえるし、これからもそうあろうとしている......ように見える。「メンバーの数もわからない」という触れ込みの新人、フィルムスのデビュー・アルバムは直球の「ポスト-クラシカル」といえ、辛気臭くも穏やかでゆったりとした世界観を丁寧に広げていく。レーベルからのインフォメイションには「厳かな」という形容が散見できたけれど、ゴシック風の重みはなく、ましてやバロック風の躍動感からも掛け離れ、強いていえばボーズ・オブ・カナダが中世音楽のダウランドをリメイクしたようなスタティックな音楽性に終始する。流れよ我が涙~フロー・マイ・ティアーズ......というアレですね。
ちなみに「ポスト-クラシカル」というタームは日本独自のようで、欧米で「ポスト・クラシカル」というと、6世紀から10世紀ぐらいの中世期を指し、そういう意味でもフィルムスのやっていることは当たってはいる(欧米ではかなり長いレンジで「モダーン・クラシカル」という分類があり、それはそれでヘンな用語だなーと)。
10年も続けば、しかし、裾野は相当に広く、層も厚くなっているし(スタジオ・ボイスがあれば特集もアリだったか)、昨年はじめのバルモーヒーのように見過ごせない存在もいることはいる。フィルムスも完成度は高く、ネクストを見せてくれないとは言い切れないものがある。
最初にニック・チャコーナの存在を知ったのはゼロ年代も半ばのこと。彼の出世作となった作品「バンドプラクティス!」と、そのイジャット・ボーイズによるリミックスは僕のまわりの好事家たちのあいだでちょっとした話題盤になっていた。ニック本人の手による楽器演奏、とりわけレゲエの影響を色濃く感じさせるギター・フレーズとベースラインが印象的な曲だ。DJがこの曲をプレイすると、ダブワイズされたその音像とミックスされるように、好き者たちの「煙ぃー!」とか「ワリぃー!」といった嬌声が聞こえてきたことを良く覚えている。
「バンド・プラクティス!」をすっかり気に入ってしまった僕は、彼の名前を見かけるたびにとりあえずチェックするようになった。すると、このアーティストの特異性がみるみる明らかになってくる。あるときは生音主体のダビーなコズミック・ディスコ、またあるときは〈インナー・ヴィジョンズ〉一派を彷彿とさせるテック・ハウスと、とにかく引き出しが広い。そして決してひとどころに留まらず毛色の違う多数のレーベルから次々とシングルをリリースし、しかもそのどれもがよく出来ていた。同一人物とは思えないほどの器用さだ。
今作は、そんな彼が10年のキャリアのすえにようやくリリースしたデビュー・アルバムだ。ある意味では12インチ・シングル文化の申し子のような活動をしていた彼が、如何にして1枚のアルバムというアート・フォームに作品をまとめ上げたのか? アルバムを聴く前にこんなにワクワクした気持ちになったのは久々のことだ。そもそもアルバムを聴くときにきちんとその作品と正面をきって対峙する機会自体が、思えば最近は随分と少なくなってしまっていたかもしれない。iPodに音楽を入れても大体シャッフルして聴いてしまうし。例えばビートポートあたりでデータを買ってる人のなかで、アルバム1枚分丸々購入する人って、いまどれくらい居るんだろうか? そんなことを考えながらCDの再生ボタンを押すと聴こえてくるのは、初めて彼のサウンドを耳にしたあの夜を思い起こさせるようなイーブンキックと、そして重く、煙たいベースラインだった......。
お得意のコズミック・ディスコ・サウンドのなかに、ほんのりとリエゾン・ダンジェルーズあたりのジャーマン・ニューウェイヴからの影響を匂わす"ターニング・アンド・トッシング"を筆頭にして、ニュージャージー・ハウスの重鎮ブラザーズ・ヴァイブとコラボレートした"ウェイト"、ミスター・フィンガーズを彷彿とさせるアンビエント・ハウストラックにTB303のアシッド・ラインが絡むモロにオールドスクール・マナーな"ビー・ライク・オリーブ"など、全編を通してこのアルバムは彼の音楽的出自への深い愛と尊敬で溢れている。
そしてなにより強固に打ち出されているのは、数ある音楽的ルーツのなかでも彼にもっとも強い影響を与えたであろう、レゲエ・ミュージックへの愛だ。アルバムのちょうど中央に位置する6曲目に収録されている"エスカイェレーター"は、この作品においてたった1曲のイーブンキックが鳴らないド直球なレゲエ・ダブ・トラックだ。『ラヴ・イン・ザ・ミドル』というタイトルを冠したこのアルバムの真んなかにこの曲を配置したことは、彼がどれだけ真摯に自分の原体験と向き合いながらアルバムを制作したのかを物語っているように思える。深読みかもしれないが、こういう深読みもまた、1枚のアルバムを通しで聴くことの楽しみだったりする。

1990年代後半にムーディーマンやセオ・パリッシュらによって押し広げられたテンポ・ダウンされたハウス・ビート。そのキックとキックの「間」には漆黒のサイケデリックが埋め込まれているかのようで、我々を排水溝に吸い込まれていく水のようにゆっくりと別の場所へと連れて行く。ザラついたサンプル同士が交錯し、幻聴のような効果を生む彼らのトラックは実験的でもあるのだけど、それ以上に官能的で、セオの霞がかかったような半覚醒状態のトロけ具合は本当に素晴らしいと思うし、ムーディーマンに至ってはエロとサイケは同義語みたいなものだろう。
そういえば今年の3月にロンドンでおこなわれた〈Red Bull Music Academy〉のトークショーに登場したムーディーマンことケニー・ディクソン・ジュニアは、まわりにはべらせたセクシーな黒人女性たちにヘアー・セットをさせたり、酒を作らせつつ「マザ・ファッキン!」を連発しながら喋りまくり、勝新的俺流な時空のネジれを発生させていた。しかし、何だったのだろうアレは......。
そしてムーディーマン(Moody名義)の新作「Ol'dirty Vinyl」は、その濃度にむせるようなジャケット・ワークに包まれて届けられた。内容はいつも以上にヴァラエティに富んでいて、タイトル曲の"Ol'dirty Vinyl"などは珍しく爽やかな雰囲気もありつつ「気分がいいと思ったらいつの間にかあの世だった」というような感じだし、"We Don't Care"はKDJ自身のVoがのるジャズ・ナンバーで、"No Feed Back"は歪みまくったギターがのたうつKDJ流ブラック・ロック。そして、彼らしいセクシーなハウス"It's 2 Late 4 U And Me"の後には、混沌とした電子音楽" Hacker"が待っているという具合だ。
ある意味、寄せ集め的な作品集なのだけど、最近それなりに洗練されていく傾向をみせていたことに若干不満を感じていた僕のような人間からしたら、この自由度の高い錯綜ぶりは大歓迎だ。さぁ我々をエロとサイケの奈落の一番深いところまで連れて行ってくれよ、KDJ。
オールドスクールなシカゴのエッセンスやアレやらコレやらをデトロイトのフィルターを通して再定義した俗に言うビートダウンの種子は様々な場所へと伝搬し、そのBPMと同様にゆっくりと、しかし確実にそれぞれの場所で独自の発展を遂げている。ドイツのソウルフィクション(Soulphiction)、モーター・シティ・ドラム・アンサンブル(Motor City Drum Ensemble)、ニューワールドアクアリウム(newworldaquarium)、イギリスのトラスミー(Trus'me)やロシアのヴァクラ(Vakula)(UKの〈Firecracker〉からリリースされるシングルが素晴らしい)などなど、エトセトラエトセトラ。ようするに国境を越え、それぞれがあちらこちらの地下で重心低めのディープなリズムを響かせているというわけだ。
そしてその影響力は巡り巡って、昨年ひっそりとリリースされた日本のモンゴイカ a.k.a. T.Contsuの12インチにまで及んでいたりもする。モンゴイカ(戸田真樹)とは、ヒップホップ・ユニットの降神をはじめとした〈Temple ATS〉のアートワークを手掛ける画家でありトラックメーカー。その彼が、自身の〈Close Eye Recordings〉から出した「KIMI EP」のローファイでスモーキーな4つ打ちには、やはり何処か日本的な叙情と孤独が忍び込んでいて、その事実がとても面白く思う。
このようにデトロイト・ビートダウンが拡散し、かつ各エリアで様々なヴァリエーションを見せるなかで、ドイツのSoulphiction及び彼の主宰するレーベル〈フィルポット〉は、もはやフォロワーという域を越えた存在になりつつある。ソウルフィクション(Michel Baumann)のアナザー・プロジェクトであるというミッシング・リンクスの前作「Who to Call」に収録さていれた"a Short History of..."は、強烈なバネをもった美しい野獣のようなファンクだったし、この新作の「Got A Minute」も削ぎ落とされた筋肉のようなビートが脈打っている。
ドイツから放たれたこれらの音は、本家とはまた異なる種類の緊張感を漂わせ、非常にシンプルでタイトだ。黒人音楽をサンプリングしてそれっぽく仕上げただけのフォロワーも多いけれど、リスペクトとコピーは別ものだし、ときにはリスペクトなんて言葉は忘れるべき。
ちょっと手前味噌なのだけど、僕がリミキサーとして参加した作品を紹介させていただきたい。HUMAN RACE NATION(以下HRN)から出たG.I.O.N.の「Echoes of Our Minds Pt.1」がそれだ。言うまでもなく、デトロイトから影響を受けつつ、そこから受け取ったものを独自に展開し活動している者は日本にも存在する。音楽ユニットG.I.O.N.として硬派なミニマリズムを追求するフジサワ・アツシとコシ・シュウヘイによるHRNもそのひとつ。
HRNは長野で活動しながらもドイツ経由でワールドワイドにヴァイナルをリリースするという、ローカリズムとグローバリズムを兼ね備えた日本では非常に希有なレーベルである。 今まで彼らは地元長野でデトロイトやドイツを中心としたアーティストを迎えたパーティーを行い、地道にコネクションを築いてきた。それは2007年のシングルでのフランク・ムラー、本作における元UR、ロス・ヘルマノスのメンバーのDJ S2ことサンティアゴ・サラザール、そして次のリリースでのDJ3000とレニー・フォスターのリミキサー起用にも繋がっている。一方そこにトラックス・ボーイズや岩城健太郎、d.v.dとしても活動するJimanicaや僕などの国内リミキサーも混ぜることにより、既出の4枚のヴァイナルはちょっとした異文化交流の機能も果たしてもいる。
「Echoes of Our Minds Pt.1」は昨年末にヨーロッパでリリースされ、G.I.O.N.のオリジナル、DJ S2 REMIX、僕の手掛けたREMIXそれぞれが、ベルリンのBerghainのレジデントDJであるMarcel Dettmannや、フランスの Syncrophone(Theo ParrishとかAnthony Shakirのリミックス盤を出している)のオーナーDidier Allyneらのチャートに入るなど高い評価をもらった。しかし、ヨーロッパで品薄となり、日本には極少数しか入荷されない状態で残念だったのだが、近々ディストリビューターを変えて再リリースされるとのこと(そんな理由もあり、出てから少し時間が経っている本作を敢えて紹介させてもらった)。そして間もなく「Echoes of Our Minds Pt.2」の方も出るようだ。
彼らとは今後も諸々関わっていく予定で、実際に現在進行中のプロジェクトもある。そういえば僕と彼らの最初の接点はというと、確かmixiのデリック・メイのコミュに僕がパーティの告知を書き込んだのを、HRNのフジサワくんが見てコンタクトをとって来たのがそもそもの始まりであった。ここはmixiとデリックに感謝するべきなのだろう。
〈A.R.T.〉〈B12〉に〈ラッシュ・アワー〉、〈プラネットE〉と、このところAS ONEことカーク・ディジョージオがリリース・ラッシュである。同じく90年初頭のデトロイト・リヴァイバル~インテリジェント・テクノを代表するアーティスト、B12が同名のレーベルを一足先にリスタートさせたのに続き、カークもかつて自身が運営していたA.R.T.を復活させたりと、何だかこの辺り盛り上がっている模様。一時期〈モワックス〉などでリリースしていた生ドラム再構築モノは封印し、完全にテクノ/ハウスへ舵を切っているものの、音自体は〈A.R.T.〉の頃の音というよりも、疾走するリズム+エレガントな上モノのコンビネーションの、昨今割りとよくあるデトロイト・フレイヴァーのテック・ハウスという感じのものが主だったりする。
そんななか、ドイツの良質なディープ・ハウスレーベル〈Mojuba〉のサブ・レーベルである〈a.r.t.less〉は、その〈A.R.T.〉とカール・クレイグの名曲"At Les"を掛け合わせたような名前からもわるように、恥ずかしいほどの初期デトロイトへの愛が丸出し状態だ。更にオーナーであるドン・ウィリアムス自身の「Detroit Black EP」からはじまる黒、赤、青のデトロイト三部作は、モロに初期〈トランスマット〉。とくに青盤は初期のカール・クレイグ、ひいてはインテリジェント・テクノであり、もうところ構わず「好きだ~!」と叫んでいるような1枚。
思えば当時のデトロイト・リヴァイバル~インテリジェント・テクノというのは、結局のところ初期のカール・クレイグのサウンドのコピーだった。例えばデリック・メイのラテンにも通じるようなバウンドするリズム感ではなく、それは 69名義で豪快な実験を繰り広げる以前のカール・クレイグ、ようするにPsyche名義での"Elements"や""Neurotic Behavior"などの音を指す。孤独で繊細で壊れやすく、思わず「詩的」なんていう恥ずかしい言葉がまるで恥ずかしいと思わなくなる程に、それは魅惑的な青白い輝きを放っていた。そう、色で言うとデリック・メイは赤で、カール・クレイグは青だ。
それにしても、このドン・ウィリアムスの「Detroit Blue Ep」は、何だかこちらが赤面するくらいの青臭さに満ちていて、これをどう評価するべきなのか正直僕にはわらない。しかし、カール・クレイグがPsycheで描いた音世界は、当の本人でさえもう作れない類いのものだと思うし、結局その後放置されたままになっているのもたしか。その先の音が知りたい。
DJ ネイチャーことマイルス・ジョンソン。またの名をDJ MILO。ネリー・フーパー、ダディー・G、3D、マッシュルームが在籍していたブリストルのDJチーム、ワイルド・バンチの中心人物である。82年から86年まで活動したこの伝説的DJチームは、その後のUKサウンドの核、つまりパンク~ニューウェヴの残響とレゲエのサウンドシステムとヒップホップの接点を体現した存在であり、解散後、ネリー・フーパーはSOUL II SOULを、そしてダディー・G、3D、マッシュルームはマッシヴ・アタックとして活動することとなる。一方のMILOはUKの喧噪と離れ、ニューヨークのハーレムで黙々と音を紡ぐこととなるのだが、それはなかなか世に出ることはなかった。しかし、元ワイルド・バンチという伝説に彼を閉じ込めるべきではないし、実際に彼の音楽はブリストルで得たものを更なる深みに向けて解き放ったものである。
そして今年、彼の12インチが日本の〈ジャジースポート〉から届けられた。この「Necessary Ruffness」と題されたヴァイナルに収録されたトラックは、いずれもディープ・ハウスよりもさらにディープでロウなハウスであり、そのくぐもった音質が独特の空間を生み出していて、それは意識しているのか無意識なのか、デトロイトのビートダウンやベルリンのシーンなどとも共振する類いのものになっている。そして、その音楽性は日本の〈DIMID〉から2003年にリリースされたMILOの初のアルバム『Suntoucher』(表記はDJ MIL'O)ですでに示されていた。
ここで個人的な話しを少々。2004年に出た僕のS as in Soul.名義のアルバムは、元々は〈DIMID〉から2003年に出る予定だったのだが、途中でA&Rが独立することとなり、それに伴い1年後に〈Libyus Music〉の第一弾としてリリースされた。当時の〈DIMID〉~現〈Libyus Music〉の竹内君とS as in Soul.のリリースの打ち合わせしている時、このMILOのアルバムを出すべきかどうかを相談されて、僕は絶対出すべきだと答えたのを憶えている。そのことがどれだけの影響したのか知らないが、あのアルバムが世に出るキッカケを僅かでも与えることが出来たのならば、それは非常に光栄なことだ。
僕としては、現在のマッシヴ・アタックよりもMILOの音のほうが遥かに魅力を感じるのだけれど、そんな比較など本人からしたら迷惑な話しでしかないだろう。この12インチの後に控えているというニュー・アルバムを楽しみに待つのみだ。
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MAYNARD FERGUSON
PAGULIACCI-JOE CLAUSSELL REMIX
COLUMBIA (US)
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HIRAGEN from TYRANT『CASTE』
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SEMINISHUKEI PRESENTS『WISDOM OF LIFE』»COMMENT
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STARRBURST『INSTRUMENTALS』
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ROCKASEN『WELCOME HOME』
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HIKARU『Sunset Milestone』
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KIRIMANJARO
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DJ Holiday『The music from my girlfriend's cnsole stereo』
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Shhhhh『Ritmo del baile futuros』
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DJ ASAMA『Spread Pure Darkness』
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VIKN『the 6 MILLIONDOLLAR MAN』
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環ロイと二木信の対談を読みながら、制度化されたヒップホップということについて考えてみた。パンクでもハウスでもヒップホップでも、どんなジャンルでも時間とともに制度化される。制度化とは、この社会のなかでのある種の妥協点でもある。良くも悪くも......、そう、ホントに良くも悪くも......。
しかし、東京の〈セミニシュケイ〉は「良くも悪くも......」などとは思わないだろう。そのアティチュードにおいて15年前のムードマンの〈ダブレストラン〉を彷彿させるこのインディペンデント・レーベルは、音楽が制度化に屈服することを許さない。音楽は不定型なまま流動的に変化し、その本来的な危うさを保ち続ける。決して"奴らの手"に渡さないのだ。
彼らはいままで1枚の7インチ・シングル(やけのはら+ブッシュマインドによる名曲"Daydream"を含む)と1枚のコンピレーション・アルバム『Culture Expands The World』(08年)を発表している。それらは彼らが望むようにアンダーグラウンドなシンジケートによって確実に伝播しているようだ。仲間は増え、新たな音が生まれている。2枚目のコンピレーションとなる本作は、その成果と言えよう。
レーベルの背後には3人のDJ/トラックメイカーがいる。昨年のSFPのシングルに参加しているスターバースト、自らをサイケデリック・Bボーイと形容するブッシュマインド、レーベル社長を兼任するドン・Kである。本作には、前回に引き続き――彼ら3人に加えてガバの達人DJ PK、彼らの精神的支柱であるアクト、女性DJのイレヴン、杉並区の最終兵器と言われるタック・ロックとソネトリアス、名古屋のトム、京都のデイドリームネーション、アブラハム・クロスのソニック、あるいはギルティ・Cやノー・ルール......といった面々が参加している。今回は新たに、C.I.A.ZOOのラッパーとして知られるハイデフとトノ、あるいは北海道のZZY、いま話題のメデュラのトラックメイカー/ラッパーのマス・ホール、ミステリアスなデッド・ファッキン・ニンジャ、そしてアメリカのミシガン州からはカク......といった面々が加わっている。全24曲、1枚のCDには77分詰まっている。ちなみに値段は1800円。ここにも彼らのメッセージが見て取れる。
冒頭では最近素晴らしいアルバムを発表したばかりの六歌仙がラップをかましている。そして、ラウンジーで軽やかなブレイクビートを展開するスターバースト、ジャジーなフィーリングを弄ぶドン・Kやカク......まずはレーベルのピースな側面を見せる。で、ソネトリアスとふたりのラッパー(オーアイ& エラ)が彼らの気怠く煙たい日常を描写すると舞台は暗転、ポッセたちの薄汚れた素晴らしい世界が待っている。そして、イレヴンがダブの重低音を響かせれば......、ようこそ〈セミニシュケイ〉のドープな世界へ、というわけだ。ノー・ルールやブッシュマインド、ハイデフやトノ、デッド・ファッキン・ニンジャといった連中が待ってましたとばかりに彼らのタフなビートを叩きつける。アルバムは22曲目からレーベルのもうひとつの顔を見せる。それは深いサイケデリック・トリップだ。ソニックとデイドリームネーションが前作に引き続きその役目を見事に引き受ける。最後はドン・Kのやわらかいチルアウトで幕引きをする。
個々のアーティスト名をチェックしながら聴くよりも、作者名など気にせず流しっぱなしで聴くほうがいい。牢獄のようなこの街のプレッシャーに打ち負かされることのない彼らの日々の音から"自由"が聴こえてくるかもしれない。それは清々しくもあり、ときに力強くもある。そして彼らの音楽が実はフレンドリーであることに気づくだろう。
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