「PAN」と一致するもの

Clark - ele-king

 オウテカが『Confield』を出し、エイフェックスが『Drukqs』を出したまさにその年に、『Clarence Park』で鮮烈なデビューを飾ったクリス・クラーク。IDMの礎を築いた世代が路線を変更したり長い沈黙に入ったりした時期に、まるでその空白を埋めるかのような形で綺羅星のごとく現れたのがクラークである。当時日本では彼のことをRom=Pariが高く評価していたけれど、以降クラークはコンスタントに……うん、少しは休んでもいいのよと心配になるくらいコンスタントに作品を発表し続け、その成果もあってか、この国における彼の影響力はいまでも衰えていない。たとえば、先日戸川純とともにアルバムを制作したVampilliaも、リミックスという形でクラークとコラボレイトしている。
 そのクラークの新作が4月7日にリリースされる。『Death Peak』というタイトルや、「危険でおそろしい頂にたどり着き、あらゆるものが壊れた光景を眼下に見渡す」という本人のコメントから類推するに、来るべき彼のニュー・アルバムは、2016年という暗い世相を反映したものになっているのではないだろうか(昨年彼が国民投票の結果を嘆いていたことを思い出すべし)。
 ともあれ、いまは公開された新曲“Peak Magnetic”を聴きながら、「破壊を超えた先の絶景」とやらがいったい何なのか、ああだこうだと想像しておこう。

破壊を超えた先の絶景……
3年振り待望のスタジオ・アルバム『DEATH PEAK』完成!!!
新曲“PEAK MAGNETIC”を公開!

自身の名を冠した前作『Clark』から3年、サウンドトラック制作や舞台音楽、オーケストラへの楽曲提供など、〈Warp〉きっての多作家として活躍の場を広げ、さらなる進化を遂げたクラークが、自身の独創性を爆発させた待望の最新作『Death Peak』を携えシーンに帰ってくる。アルバム完成の発表と合わせて新曲“Peak Magnetic”を公開!

Clark - Peak Magnetic
https://soundcloud.com/throttleclark/peak-magnetic

“Peak Magnetic”では、ここ数年で最も明るく、アップビートなクラークを聴くことができる。そのほとばしるエネルギーこそ、彼の新たなサウンドを象徴している。
- Pitchfork

デス・ピーク(死の山頂)というタイトルは2016年の8月からずっと考えていた。完璧だと思ったよ。まるで呪文のように『デス・ピーク、デス・ピーク、デス・ピーク』と繰り返していた。この山の出発地点は、穏やかに蝶の舞う牧草地が広がっている。でも最後には危険でおそろしい頂にたどり着き、あらゆるものが壊れた光景を眼下に見渡すことになるんだ
- Clark

10代で〈Warp〉と契約を果たし、いまやレーベルの象徴的存在にまで成長したクラーク。前作『Clark』リリース後も、BAFTA(英国映画テレビ芸術アカデミー)にノミネートされた海外ドラマ・シリーズ『The Last Panthers』の劇伴や、革新的な作品の上演で知られるヤング・ヴィク・シアターで上演された作品『マクベス』の舞台音楽、さらにLAを拠点とするオーケストラ、エコー・ソサエティーへの楽曲提供など、そのサウンドはさらに進化を続けている。また「不健全で強迫神経症じみた人格を潜在的に備えていればいるほど、作品がより優れたものになる」と語るクラークの内なる狂気とのアンバランスさが、いまだ体験したことのないようなコントラストを生み出し、聴く者の聴覚を完全に支配する。また今作での新たな試みとして、自身が「最も完璧なシンセサイザー」と評する人間の声を、収録曲のほとんどに取り入れ、柔らかで美しいテクスチャーをもたらしている。

クラークのキャリア8枚目となる最新スタジオ・アルバム『Death Peak』は、4月7日(金)世界同時リリース! 国内盤にはボーナス・トラック“Licht (Pink Strobe Version)”が追加収録され、解説書が封入される。初回限定生産盤はデジパック仕様となる。iTunesでアルバムを予約すると公開された“Peak Magnetic”がいちはやくダウンロードできる。


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: CLARK
title: DEATH PEAK
release date: 2017/04/07 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-543 定価 ¥2,200 (+税)
初回限定生産盤デジパック仕様
ボーナストラック追加収録 / 解説書封入

[ご予約はこちら]
amazon: https://amzn.asia/2dFmhIQ
bartkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002147
iTunes Store: https://apple.co/2kVM3F6

TRACKLISTING
01. Spring But Dark
02. Butterfly Prowler
03. Peak Magnetic
04. Hoova
05. Slap Drones
06. Aftermath
07. Catastrophe Anthem
08. Living Fantasy
09. Un U.K.
10. Licht (Pink Strobe Version) *Bonus Track for Japan

 2017年早々に、南アフリカの最西南端の都市のケープタウンに行って来た。元ルームメイトが南アフリカ人で、彼の兄がケープタウンで音楽ライターをしていると言うので、音楽シーンを紹介して貰おうと思ったのだ。NYからヨハネスバーグまで16時間、そこからさらに2時間のフライトで、ケープタウンに降り立った。天気も良いし景色は最高。左手には山があり、右にはビーチが広がる。アフリカ大陸、最南端のポイント、喜望峰に行ったり、ワイナリーに行ったり、サーフィンをしたり、思う存分自然を楽しんだ。
 こんな平和で自然な場所に、興味深い音楽シーンがあると聞いた。南アフリカは、そもそもヨーロッパから入って来たハウス・ミュージックが人気で、私が好きなインディロック・ミュージックというのはまったく聞かない。南アフリカで、いま人気があるのは、gqom(ゴム)ミュージックで、その発祥は、ケープタウンではなく、東にあるダーバンらしい。勿論ケープタウンでも、若者達が集まる観光地エリア(ロングストリート、ループストリート、クルーフストリート辺り)では、大勢の人が集まり、大音量の音楽がかかり、活気に溢れていた。空港近くのタウンシップという貧しい地域には、朝から晩までダンス・ミュージックがかかり、キッズ達がたむろしていた。車で近くを通ると「窓を閉めろ」「物はやるな」と同乗者に注意されるのだが、そのタウンシップで、ゴム音楽やシャンガーンなどの南アフリカ・スタイルの音楽が生まれている。

 南アフリカは、ヨーロッパの影響を受けていると書いたが、音楽と人、自然に魅せられ、何度も南アフリカを行き来している(なかには移住した)ヨーロッパ人を何人か知っている。彼らは「いま、ヨーロッパのクラブ文化において、新しく新鮮なものを求められていて、ゴムの感覚は並外れている」と声を揃えて言う。ノルウェイで、音楽ディストリビューション会社で働くTrond Tornesもそのなかの一人。彼はここ10年の間に20回以上も南アフリカに来ていて、ダンス・ミュージックに精通している。
「南アフリカには、ハウス・ミュージック文化が入ってくる前に、独自の音楽とダンス文化があったし、90年代には自由への戦いが南アフリカであり、オーガナイズされた国の抗議者は至る所で団結していた。南アフリカのアンダーグランド音楽は、70年代後期のパンク・シーンのように、いつも海外の文化に影響を受けていたし、90年代には、ガレージ音楽やハウスがNYやシカゴから入って来た。南アフリカの新しい世代は、まさにアパルトヘイトが歴史で、新しい文化的な定義にニーズがある新しい社会に乗っかろうとしているんだ。プロデューサーたちは、ハウスをただコピーするだけでなく、自分達の独自の物を作った。例えば、テンポを下げたり上げたり(124 bpmから106bpm)、歌を加えたり、ベースラインを入れたりね。そしてクワイトが生まれ、いまはゴムが台頭している」
と熱く語る。

 ゴム音楽発祥のダーバンで音楽フェスティバル/国際音楽コンファレンス、「KZNミュージック・インビゾ」をオーガナイズするSiphephelo Mbheleは、南アフリカの音楽シーンをよく知る人物。この2人に、南アフリカの音楽(主にゴム)について語って貰った。

Pic credit: Thanda Kunene / Courtesy of Imbizo festival


インタビュー : Siphephelo Mbhele (KZN Music Imbizo)
https://www.kzn-musicimbizo.co.za/


まず自己紹介をお願いします。

Siphephelo Mbhele:僕は、Siphephelo Mbhele。南アフリカのダーバンと言う都市でKZN Music Imbizoと言う音楽フェスティバルをオーガナイズしている。今年(2017年)で9回目、8/31-9/2に開催される。世界中から音楽関係者が集まり、音楽や映画を発表したり、音楽機器のデモンストレーションをしたり、意見交換会をしたり、プロデューサーの研究室があったり、様々な可能性を試している。

南アフリカ版SXSWみたいなものですね。その南アフリカで、今話題はゴム(gqom)ですが、それについて教えて下さい。

Siphephelo Mbhele:ゴムは、ここダーバンで生まれた音楽のジャンルで、ハウス・ミュージックにブロークン・ビートやカットされたボーカル、チャンティングが入っている。ハイテンポで、大体はベースラインがなくて、DIYで、低予算のストリートサウンドで、何にも似ていないパターンで作られた、騒々しいトライバル音楽のコレクション。なんて、ゴムは、実はベース・キック(ダフ音)の音から来てるんだよ。

Pic credit: Thanda Kunene / Courtesy of Imbizo festival

ゴムは、何から影響されてスタートしたのでしょう。

Sphe:主にテクノロジーに帰するね。ほとんどのゴム音楽は、プロダクションを学んだ若者たちの深いループで出来ている。ソフトウエアへのアクセス権を通して、ファイルを共有するウエブサイトはスパークし、たくさんの人が、音楽を作れると信じてる。もうひとつの重要な要因は、ダーバンの人は、ダンスが好きなこと。ダンス音楽の、いろんな種類を見つけたかったら、ダーバンは完璧な所だよ。ヨハネスバーグは、クワイト(Kwaito-アフリカの音とサンプリングを組み込んだハウス・ミュージック)を90年代から2000年中盤にもたらしたのだけど、クワイト音楽が、そのアピールをなくした時、ダーバンが音楽を復活させた。なので、「ダーバン・クワイト」と呼ばれたものは、非常に商業的になり、誰もが作っていた。そして別の音楽が、タウンシップから成長して来た。それがゴム(gqom)音楽。ほとんどの初期のゴム音楽は、主にエクスタシーについてで、音楽は、タウンシップから出た町のなかの、薄汚い所でプレイされ、ミニバス・タクシーによっても広められた。

ゴムとクワイトでは、共通する所はありますか? どちらも南アフリカの音楽スタイルですよね。

Sphe:そうだね。クワイトが出てきた時のように、最初ゴムには悪い印象がついていた。ゴムも、クワイトのように、タウンシップ・キッズの実験で、音楽遊びだったし、音楽の流通は存在せず、いまでさえメジャーの企業は、つかまえることが出来ない。こういうことは今年は変わると思うけど。すべての動きは、洋服、タウンシップのスラング、ダンス、そして主に楽しい時間(歌詞は大体エクスタシーを含む)に関してで、ゴムは、自己表現の必要性から出て来たんだ。

ゴムはどのように広まっていったのでしょうか。

Sphe:ゴムは、特に、何人かのプロデューサー/ビートメイカーが、大きなレコードレーベルにサインしてから、少しずつ評判を得てきた。ミックス、マスターされてない、リッチなループをベッドルームで作る輩からのね。レーベルのAfrotainmentを通して、何年もかけ、全国に知れ渡った曲も少しはあったかな。そして2016年、この国の一番のヒット曲は、ゴムの「Wololo」だった。環境は変わり、ゴム音楽プロデューサーは、ベッドルームから抜け出し、いまでは、合唱音楽(聖歌隊)やヒップホップや他とコラボレーションしているよ。

ゴムは、純粋に南アフリカの現象ですか? それとも、南アフリカ以外の場所でも起こり得るのでしょうか?

Sphe:音楽には、地元のタッチが入っているけど、エレクトリック・ダンス音楽から影響されたもので、David Guettaのような、DJ/プロデューサーから広められた。

少し前に話題になった、シャンガーン・エレクトロとは関係ないのですか?

Sphe:南アフリカのタウンシップ(Soweto)で生まれたシャンガーン・エレクトロは、独自の発展を遂げたダンス音楽のスタイルで、地元のフォーク伝統を再現している。早いテンポで、ハードに、ハイパーに、電子的なニューウェイヴで、パフォーマーは、コスチュームやマスクを被ったりすることもある。プロデューサーのNozinjaによって世界的に広められたけど、ゴムとは直接関係してない。どちらも新しい動きだけどね。

ゴムDJのなかで、南アフリカ以外の、海外でプレイした人はいますか?もしいるならどこで、どのようなフィードバックがありましたか。

Sphe:Dj LAGは、ケープタウンのブラックメジャーによって、マネッジされていて、海外でもたくさんプレイし評価を得ている。事実上、地元では知られてないんだけど。The Rude BoyzとDj LAG に加えて、数人がこの4月にNYでプレイするよ。レッドブルに呼ばれてね。Spoek Mathamboも、音楽を海外に広めるのに重要な役割を果たしてる。僕は過去2年ぐらい、アフリカ中を旅をしたんだけど、南アフリカの音楽は、いつも取り上げられていて、Addis Ababa (Ethiopia) / Gaborone (Botswana)からRabat(Morocco)まで、ゴムはいつもプレイリストに入っていた。

ゴムでは、どのDJに注目すればいいですか?アップデートされたプレイリストはありますか?

Sphe:ほとんどどのアーティストは、www.audimack.comに載ってるけど、Datafile Hostからのリンクにもまだたくさんいるよ。チェックした方が良いDJは、Dj LAG, Dj Nkoh, Babes Wodumo (singer Wololo), Madanone, Rude Boys,Distruction Boys (producers Wololo), Sainty Baby, Nokzen, ManiqueSoulなどだよ。

どのクラブに行けば、キチンとしたゴム音楽が楽しめますか?

Sphe:Havana(ダーバン, CBD)、101(ダーバン, CBD)。

これから、ゴムはどうなっていくでしょうか。世界中から新しいトラックが出てくるのでしょうか。

Sphe:プロダクションの質は向上し、バトルも実験的なレベルで向上するだろうね。アフリカ中がそうなるのが見えるし、新しいダンスの形が伴うだろう。この動きには、たくさんの可能性があるし、メインストリームのディストリビューションを通して、簡単に世界中に広まるだろうね。

------------
質問作成&翻訳聞き手: Trond Tornes (phonofile)
https://phonofile.com/

質問作成 & 翻訳: Yoko Sawai

Wiley - ele-king

 Wileyが〈CTA Records〉から通算11枚目のスタジオ・アルバムをリリースした。このアルバムをレヴューする前に、彼がなぜグライムの「ゴッドファーザー」と自らを呼ぶに至ったか紹介したい。
 Wileyがのちにグライムと呼ばれる音楽の原型となるサウンド「エスキービーツ」を作りあげたのは、その語源となった「Eskimo」のリリースから数えれば15年前のことである。ファースト・アルバム『Treddin’ On Thin Ice』に収録されている“Wot Do U Call It?(なんと呼ぶ?)”では、彼のサウンドがガラージ、2ステップ、アーバンと呼ばれることを否定し、まだ名もなきこの音楽と「ともに行こう」とラップした。2001年頃からチャラいUKガラージが突然変異したようなサウンドを、自身のレーベルでリリースし続け、2005年に〈Boy Better Know(BBK)〉に加入した。〈BBK〉には昨年マーキュリー賞を受賞したSkepta、JME、Jammerなど今のグライムを牽引するMCが所属している。Wileyはエスキービート、そして「グライム」と呼称される重たく凍えるような、チープでメロディックなサウンドを作り上げた。

 しかし、Wileyのキャリアはそのあと順風満帆ではなかった。

これが俺たちが今いるところだ
クルーの皆はまるで、トンネルの中みたいだ。
ファミリー、それこそが俺たちの気にかけることだ。
文字通り、レーベルがくれる金なんて無い、クソだ。
全く意味がない。
[“Speaker Box”冒頭のSkeptaの言葉]

 このSkeptaの言葉は、メジャー・レーベルから支持されない音を作ろうとするWileyの苦悩とも重なる。
 2011年に表現を取り戻すべくメジャーを離れ、「Stepフリースタイル」シリーズを開始、Twitterでフリー・ダウンロードで20曲を公開した(*1)。
 今回のアルバムはこの「Stepフリースタイル」シリーズを思い出させる。レーベルと関係なく「やっていく」インディペンデントな姿勢を感じるとともに、「Stepフリースタイル」にトラックを提供した若き才能あるプロデューサー、Preditahや盟友Dot Rottenは今作にも参加し存在感を放っている。
 トラックは全体的にトラップらしいラウドなビートとグライムの定番ホーンやベースラインが重なり、時折無国籍なメロディが顔をのぞかせる。

俺の顔を覗き込むなら、ボスを目にするだろう
クラウドの側を見るなら、モッシュを目にするだろう
ボブ・マーリーとピーター・トッシュのようにやる
これがスピーカーボックスのエスキーボーイ
[“Speaker Box”]

 Rap Geniusで歌詞を読んでみると、全体的にギャルやブリンブリンのアクセサリーといったテーマは控えめで、代わってどのように他のMCより優れているか、そして音楽を作り、成り上がったかについてラップしている。
 前者はグライムのクラッシュ(レゲエから影響を受けたMCバトル)にあるような、MC同士が切磋琢磨する文化から来ているだろう。後者は純粋にWiley自身の真面目さからきているように思える。アルバムの後半、TR.15“Lucid”やTR.16“Laptop”では、彼自身が10代の頃からノートパソコンで曲を作り、フリー・ダウンロードで公開することなど、インターネットを用いてファンに音楽を届けることを大切にする真摯さが伺える(*2)。
 MCの客演では、TR.11“On This”でフィーチャーされたIce Kidが良い。彼は十代の頃からWileyにフックアップされているが、フローのテクニカルさが客演陣の中でも際立っており、140というスピードの奥深さを感じさせる。また、TR.07“Pattern Up Properly”でフィーチャーされたJamakabiのパトワ混じりのMCも一周して今っぽくて好きだ。

Wiley、Chip、Ice Kidが出演するWestwood TVのビデオ(2007年)

 同世代、後続のMCやプロデューサーを刺激し、シリアスに音楽をやり続けるワイリー。
 「この音楽をやっていこう」、彼が2004年に発したメッセージとアクションがこのアルバムに結実した。

(セールスの)数字を俺たちに言ったって意味ない
俺たちは彼らを見ているからだ
俺たちが経験してきたことなんて
今のキッズは経験する必要のないやり方で
このことに没頭しているんだ。
[“Speaker Box”最後のSkeptaの言葉]

*1 ちなみに、このシリーズの“Step 20”はZombyが近年リメイクし、「Step 2001」として〈XL Recording〉からリリースされた。
*2 ちなみにWileyは以前インタヴューで、“Eskimo 2 (Devils Mix)”が収録されたレコードのヒットで車を買ったと話している。ブリティッシュ・ドリーム!

interview with Sampha - ele-king


Sampha - Process
Young Turks/ビート

R&BSoulElectronic

Amazon Tower iTunes

 UKの新しい世代の男性シンガー・ソングライターのひとりであるサンファことサンファ・シセイ。詳しいバイオがなく(生年は1988年とも、1989年とも)、謎めいたところの多いアーティストであるが、ロンドン在住の彼は覆面アーティストとして知られるSBTRKT(サブトラクト)の作品にフィーチャーされたことで、2010年頃から注目を集めるようになった。ソロ・アーティストとしても作品をリリースする一方、ジェシー・ウェア、キャティB、FKAツイッグスなどの女性シンガーたち、ブリオン、コアレス、リル・シルヴァなどUKの気鋭のプロデューサーらと次々とコラボをおこなっていく。ドレイクはじめ北米のメジャー・アーティストとの共演もあり、2016年はカニエ・ウェスト、フランク・オーシャン、ソランジュのアルバムにも参加している。EPを出してはいるものの、アルバムは未発表であったそんなサンファが、遂に待望のファースト・アルバム『プロセス』を完成させた。今回はサンファに『プロセス』についてはもちろん、今までの音楽活動を振り返り、音楽を始めた経緯から、サブトラクトとの出会いなど、いろいろな方向から話を訊いた。インタヴューをしたのは2016年12月上旬で、ちょうどザ・エックス・エックスの公演に帯同して来日し、自身でもピアノ・ソロ・コンサートをおこなった後日のことだ。サンファにとってザ・エックス・エックスも、リミックスやカヴァーするなど昔から交流の深いアーティストなのだが、くしくも彼らの新作『アイ・シー・ユー』とともに、〈ヤング・タークス〉の2017年のスタートを切るのが『プロセス』である。ちなみにサンファは4度目の来日で、今まではサブトラクトとのツアーで来ていたのだが、今回がもっとも長く日本に滞在していたそうだ。



音楽とは自分のいた場所や経験した時間をドキュメントするものだと思うんだ。

サブトラクト、ジェシー・ウェア、ドレイクなどの作品にフィーチャーされたことで、あなたは2010年代の新たなシンガー・ソングライターとして注目されるようになりました。そもそも歌を始めたのは、どんなきっかけからですか?

サンファ・シセイ(Sampha Sisay、以下SS):記憶がある子供の頃からずっと、家の中で歌っていたね。小学校でも合唱団に入っていた。でも、ティーンエイジャーになるとトラック制作とかプロダクションのほうへ興味が移って、歌からは少し遠ざかってしまったんだ。トラックはMyspaceにアップしていたけど、当時はキッド・ノーヴァというコミックから名付けた名前でやっていた。まあ、アンダーグラウンドな覆面プロデューサー気取りで、そんなときにアップした曲をサブトラクトがたまたま見つけて、とても気に入ってくれたんだ。それで彼と連絡を取るようになり、一緒に曲を作り始めたというわけさ。そうして作った曲がラジオとかで流れて注目されるようになったけど、そこで僕は歌を歌っていたから、みなは僕のことをシンガーとして見ていたようだね。でも、そもそもはヴォーカリストを目指していたわけではなく、あくまでトラックメイカーとしてキャリアは始まっているんだ。それでプロダクションと歌を並行して進めていくようになり、今のスタイルに至っているよ。

あなたの歌にはスピリチュアルなムードを感じさせるものが多いです。合唱団にいたという話ですが、ゴスペル・クワイアや教会の聖歌隊などからの影響もあるのでしょうか?

SS:特別にゴスペルや教会音楽を意識したことはないけど、子供の頃からいろいろなことに疑問を持ち、親にもあれこれ質問するたちだった。「神様って本当にいるの?」とか言って困らせたり。そうして、その疑問に対する答えを見つけていく人生だったけど、そうした姿勢が僕の歌にも表われているんじゃないかと思う。そのあたりが君の言うスピリチュアルなムードに、ひょっとしたら繋がっているのかもしれないね。

ちなみに両親はアフリカのシエラレオネ出身だそうですが、あなたの生まれもシエラレオネですか?

SS:いや、僕の生まれたのはロンドンだよ。

神様についての話が出ましたが、宗教はアフリカの信仰だったりするのですか?

SS:神様がいるか、いないかの質問は5歳の頃で、宗教的なことというより、子供ながらの純粋な疑問だったね。僕の家庭はキリスト教だけれど、僕自身は特別に強い信者ではなく、どちらかと言えば特定の宗教に属しているわけではないんだ。いろいろな宗教には興味があって、それに関する本も読んでいるけれど、今も「神様とは?」「自分にとっての信仰とは?」と探し求めている途上にある。

スピリチュアルということにも繋がるかもしれませんが、あなたの作る曲、またあなたの歌声にはメランコリックなムードが通底していると感じます。それは何かあなたの人生体験からくるものなのでしょうか?

SS:確かにそれはあるね。音楽とは自分のいた場所や経験した時間をドキュメントするものだと思うんだ。たとえば、僕が17、8歳の頃に作った曲を聴き直してみると、とても光り輝いていたなと思うことがある。大人になりきれない、ナイーヴなところがある一方、ハッピーで多幸感に溢れている。やっぱり、その頃の自分の心の中を反映しているんだなと。その後、大人になっていろいろと経験をして……家を出て自立し、大学に通ったり……兄が大病を患って、母が癌になって亡くなったり……。人生における苦難や悲しみが、子供の頃とは違う、もっと現実的なものとなってきたんだけど、そうした経験が今の僕が作る曲には反映されていると思うよ。

ずっと音楽を作ってきて、最近は一般的なソウル・ミュージックだけに「ソウル」が存在しているわけではないことにも気づいたんだ。たとえば、ミニマルなテクノやハウス・ミュージックの中にも「ソウル」はあるんだなって。

あなたは歌と同時にピアノ演奏においても優れた才能を持っています。ピアノはどのように学んだのでしょう?

SS:中学の頃に3年ほどピアノのレッスンを受けたけど、あとは全て独学で学んだよ。僕が初めてコード・パターンを理解したのは、アル・グリーンの“レッツ・ステイ・トゥゲザー”を聴いたときだったな。

いまアル・グリーンの名前が出ましたが、ほかに影響を受けたシンガーや音楽家などはいますか?

SS:最初に影響を受けたのはマイケル・ジャクソンだね。それから7、8歳の頃はスティーヴィー・ワンダーやトレイシー・チャップマンをよく聴いていたよ。ティーンエイジャーになるとフランスのエールとかを聴くようになって、あとゼロ7やミニー・リパートンも好きだった。ほかにもトッド・エドワーズ、ダフト・パンク、ネプチューンズとか、いろいろだよ。その頃はグライムも聴き始めて、ラピッドとかはトラック制作の上でも影響を受けたな。

確かに、一昨日(2016年12月7日)に見たあなたのピアノ・ソロ・コンサートの雰囲気とかは、トレイシー・チャップマンを彷彿とさせるところがありましたね。でも、一方でグライムにハマっていたというのは意外ですが。

SS:うん、僕とグライムの結びつきが意外という意見は結構あるんだけれど、でも僕のiTunesには自作の曲もいろいろと入れてあって、実はその中にはグライムもいろいろとあるんだよ。それらはまだリリースしていないけれど、僕は13歳の頃からグライムを作っているんだ。今回のファースト・アルバム『プロセス』には、聴いてすぐそれとわかるグライムは入っていないけれど、たとえば“リヴァース・フォルツ”は最初グライムのイメージで作って、最終的にヒップホップ寄りのプロダクションに落ち着いたんだ。

それでは、いつかあなたの作ったグライムも聴けるかもしれないですね(笑)。ちなみに作曲はどのようにおこなっていますか? 多くの曲はピアノから生まれたメロディが軸となっているようですが。

SS:僕の場合、フリースタイルで作ることが多いね。歌いながらとか、ピアノを弾きながらとか。その場の思いつきで、自由にやるんだ。あと、ひとつの歌詞が思い浮かんだら、そこから広げて曲を作っていくこともある。でも、たいていは曖昧な状態の歌詞があって、その後にメロディをつけて、それをピアノで弾いてみるってことが多いかな。

あなたの曲のキーとなるものはソウルとエレクトロニック・サウンドです。このふたつの異なるルーツを持つ音楽は、あなたの中でどのように融合されていくのでしょうか? もちろん、過去にもスライやプリンスをはじめ、そうしたアプローチをおこなうアーティストはいますが、あなたの場合にはまた違った独自のアプローチがあるように思うのですが。

SS:先にも話したように、僕はもともとシンガーではなく、トラックメイカーだったわけだけど、多くの人の場合は逆のパターンが多いと思うんだ。歌うことから始まって曲作りをするようになるとか。そういった経緯があるから、僕は今もプロデュースという部分についてもとても楽しくやっていて、音をいろいろいじって遊ぶことが好きなんだ。自分にとって新鮮に響く音というものを、常に探し求めている。エレクトロニックなプロデューサー・ワークが、僕の中における音作りを支えていることは間違いない。君が言うソウルとエレクトロニック・サウンドの融合は、そうした背景が生み出しているんだろうね。でも、それはいつも意図的におこなわれるものでもなくて、試行錯誤を重ねていく中で偶然に生まれることもある。そうした実験の中から、いい音楽っていうのはできるんじゃないだろうか。サウンドをいろいろといじくって、トライ&エラーして、そうしてできたものに少し「ソウル」が足りないなと感じたら、ハーモニーやメロディをアレンジして、そうやって「ソウル」を加えていく。僕が思うところの「ソウル」とは感情ってことだけどね。でも、ずっと音楽を作ってきて、最近は一般的なソウル・ミュージックだけに「ソウル」が存在しているわけではないことにも気づいたんだ。たとえば、ミニマルなテクノやハウス・ミュージックの中にも「ソウル」はあるんだなって。今後はそうした方向性でも曲を作ることがあるかもしれないね。

[[SplitPage]]

ある日、録音をそのままにして家を出て、帰ってきたら兄が「ごめん、パソコンのデータが全部消えちゃったよ」と謝ってきて、そんな具合に消えてしまった曲も多かったね(笑)。


Sampha - Process
Young Turks/ビート

R&BSoulElectronic

Amazon Tower iTunes

トラック制作からシンガーに進んだタイプとして、ジェイムス・ブレイクが思い浮かびます。ソウルや歌に対するアプローチについて、あなたとジェイムス・ブレイクには共通するところもあるように感じますが、どうでしょうか? ほかにもUKの同世代の男性シンガー、およびシンガー・ソングライターとして、サム・スミス、ジェイミー・ウーン、クウェズなどがいますが、彼らからは何か刺激を受けるところはありますか?

SS:ジェイムス・ブレイクもジェイミー・ウーンも、それからクウェズも、みな音楽はとても好きだよ。特にクウェズにはシンパシーを感じることが多くて、それは彼がマイスペースで最初に僕をフックアップしてくれたひとりでもあるからなんだ。2008、9年あたりだけど、クウェズとMyspaceで繋がって、その頃の彼が作っていたサウンドはとてもオリジナリティがあるものだった。当時はまだ面識がなかったので、実際に会ってそのサウンドと本人のキャラクターとのギャップに驚いたりもしたけれど、でも同じ黒人ということもあって親しくなった。彼は自分の繊細なところ、弱いところもさらけ出して曲を作るけれど、それはある種僕にも共通するところでもあり、そんなところで惹かれ合うんだろうね。彼と出会った頃、僕の周りにはラッパーとか、ハードな音楽を作っている人が多かったから、クウェズはその対極にあるようなタイプで、僕はとてもシンパシーを感じたし、自分のやろうとする方向性にも自信が持てたんだと思う。ジェイムス・ブレイクとは2010年に初めて会ったけど、彼と僕にも共通点は多くて、そうしたことについていろいろと語り合ったよ。僕たちのようなタイプのミュージシャンはあまり多くはないから、そうした点で共感できる存在だね。同じロンドンで育って、同じような音楽を聴いてきたという共通するバックボーンがあって、もちろんそれぞれ違うところもあるけれど、クウェズやジェイムス・ブレイクはじめ、君が挙げたアーティストたちからはシンパシーを感じ、影響を与え合う存在だと思っているよ。

サブトラクトとのコラボがあなたを飛躍させるきっかけになったと思いますが、彼との出会いについて改めて教えて下さい。

SS:うん、Myspaceを介してサブトラクトと出会ったわけだけど、その頃から彼はレーベルの〈ヤング・タークス〉に所属していて、そこに僕と共通の知り合いがいたんだ。その人を通じて実際に連絡を取り合うようになった。そして、サブトラクトが僕の音楽に興味を持ってくれて、一緒に音楽を作ろうよと言ってくれたんだ。その頃は既に僕もサブトラクトの音楽は知っていたし、とてもいい作品を作るプロデューサーだと思っていた。だから、一緒に曲作りができると聞いて、とてもワクワクしたね。実はサブトラクトのアパートは、僕が住んでる町から地下鉄で3駅先のところにあってすごく近かったから、その後お互いの家を行き来してよく一緒に曲作りをするようになった。もちろん音楽的にも気が合ったので、家でジャム・セッションを何時間でもやっていたよ。毎週火曜の午後を共同作業の日にして、その行きの電車の中で作曲をしたりしていたね。僕にとってあの時期は、アーティストとしての土台を形成する期間だったと思っている。彼との出会いからツアーにも出られるようになったし、世界のいろいろなヴェニューを見ることもできた。ラジオで僕たちの曲がオンエアされたりと、本当に実りの多い時期だった。

最初のEP「サンダンザ」(2010年)も、サブトラクトとのコラボを始めた頃の作品ですか?

SS:いや、あれはもっと前に作ったもので、17歳のときの作品だよ。大学受験の勉強をしなければいけない時期だったけれど、僕はそれが嫌だったから、ああやって曲を作っていたんだ(笑)。

今とは制作方法なども違っていたのでしょうね?

SS:当時は母親のWindows 2000を使っていて、そこに付いているウェブ・カメラのマイクで録音していたんだ。録音もWindowsのサウンド・レコーダーだったので、今とは比べものにならない低スペックのレコーディング環境だったよ。制作や録音のプロセスも違うけど、その頃はまだ本気で音楽をやろうとは思っていなかったから、バックアップもきちんと取っていなかったんだ。ある日、録音をそのままにして家を出て、帰ってきたら兄が「ごめん、パソコンのデータが全部消えちゃったよ」と謝ってきて、そんな具合に消えてしまった曲も多かったね(笑)。

2013年のEP「デュアル」はどのようにして生まれましたか? このEPは今回のあなたのファースト・アルバム『プロセス』へと至る原型のようなものだと思いますが。

SS:2012年にサブトラクトとツアーをしていて、その終わり頃にできた作品だよ。ツアーの合間に曲を作り貯めて、それらを最終的に自宅のスタジオで録音している。だから、そのツアーのリアクションだったり、その頃の心境などが反映されているね。

たとえばアフリカ音楽とインド音楽の共通点を見つけたり、アフリカ音楽と中国の音楽の類似点がわかったりとか、そうした発見があるから音楽って面白いんだ。

ファースト・アルバム『プロセス』について伺います。デビューから随分と時間が経ってのリリースとなりますが、それだけ長い時間をかけ、じっくりと準備して作り上げた作品ということでしょうか?

SS:EPを何枚か出したときは、そもそもアルバムを作ろうとは考えていなかったんだ。一般的にシンガーがEPやシングルをいくつか出すと、次はアルバムを期待されるだろ。僕は周りのシンガーがそうした状況に置かれ、プレッシャーを受ける場面をいろいろと見てきた。僕自身はまだその段階になくて、準備ができていないと思っていた。音楽的にもだけど、人間的にも未熟で、世界が見えていなかったと思う。でも、いろいろと経験を積んで、ようやくきちんとした作品が作れるかなと思うようになった。アルバムを出して、それをライヴで伝える術も身に付いたと思う。アルバムを出すと、それに対する批判を受けることがあるかもしれないけど、それをきちんと受け入れられるくらいに成熟したしね。

〈XLレコーディングス〉のロデイド・マクドナルドが共同プロデュースをしていますが、特に目立ったゲスト参加もなく、あなたひとりで集中して作ったアルバムのようです。それだけパーソナルな部分に向き合ったアルバムでしょうか? “ブラッド・オン・ミー”、“テイク・ミー・インサイド”、“ホワット・シュドゥント・アイ・ビー?”といった曲目にもそうした傾向は表れているように感じますが、何か個人的な体験などが反映されたところはありますか?

SS:“ホワット・シュドゥント・アイ・ビー?”はサブトラクトとのツアーの経験から生まれている。僕の人生で初めて家から離れ、ツアーに出かけるという体験だったけど、父親と離婚してシングル・マザーの母親を家に残して、自分の夢を追うために行ってしまっていいのかと、いろいろと悩んだ。この曲にはそうした自分の夢と母親への責任の間で葛藤する僕が表われている。“ブラッド・オン・ミー”にはヴィジュアル的なイメージがあって、「醒めない悪夢」とでも言おうか。自分を客観的に見たもので、それがインスピレーションとなっている。“テイク・ミー・インサイド”は人間関係、男女関係などにおいて、どれだけ自分の内面をさらけ出せるか、そうしたパーソナルな側面について歌った曲だよ。この3つの中で、もっとも個人的な体験に基づくのは“ホワット・シュドゥント・アイ・ビー?”だね。

“(ノー・ワン・ノウズ・ミー)ライク・ザ・ピアノ”もあなたの内面が映し出された曲で、あなたの歌声以上に美しいピアノの音色がそれを物語っています。ソロ・ライヴでもとても印象的に演奏していて、あなたのピュアなところが出た素晴らしい曲ですが、これはどのようにして生まれたのですか?

SS:母の家を出て、自立した生活を送るようになってから作った曲だけど、レコーディングの最中に母の癌が末期のステージに進行していることを聞かされた。それを知ってから、母の家に戻ってしばらく過ごしたんだけど、居間にあるピアノの前に座ったときに、ふとこの曲のタイトルが浮かんだんだ。ここで登場するピアノはほかのどんなピアノでもなく、母の家にある母のピアノ、僕が子供のときに弾いて一緒に育ったピアノなんだよ。その後、母は亡くなって、母はもうこの世にいないという事実、人生は無常であるという現実に僕も打ちのめされるけれど、そうした母がいたから、ピアノのある家があったから今の自分があると思い、この曲が生まれたんだ。

“コラ・シングス”はタイトルどおりコラの物悲しい響きが印象的です。“プラスティック 100℃”にもフィーチャーされていますが、アフリカの民族楽器であるコラを用いようと思ったアイデアはどこから生まれたのですか? あなたの両親の故郷であるシエラレオネに結び付いているのでしょうか?

SS:シエラレオネが直接結び付いているわけではないけど、ずっと昔に父がウオモサグリという西アフリカのアーティストのCDを買ってきてくれたことがあった。ウォラトンというマリの音楽の一種だけど、その影響が強いかな。そのアルバム自体はコラがそれほど使われてはいなかったけど、それがきっかけでアフリカの民族音楽をいろいろと調べるようになったんだ。アフリカ音楽には独特のリズムやメロディがあって、とても惹かれたんだ。そうした中でコラを知るようになって、YouTubeでいろいろと実演風景も見て研究したよ。実は“ホワット・シュドゥント・アイ・ビー?”のピアノ演奏もコラに影響を受けた部分があるんだ。ここではヤマハのDX-7というエレピを弾いているんだけど、コラに似せた音色となっているんだよ。僕はアフリカ音楽以外にも、世界のいろいろな民族音楽に興味があって調べているけれど、たとえばアフリカ音楽とインド音楽の共通点を見つけたり、アフリカ音楽と中国の音楽の類似点がわかったりとか、そうした発見があるから音楽って面白いんだ。

special talk : Arto Lindsay × Caetano Veloso - ele-king

 どれでもいい、『ケアフル・マダム』から1曲抜き出してみよう。

WHERE HAIR BEGINS
WHERE IN THE AIR
LEAST WEIGHT DISPLACED
LIKES STRINGS AND SEAMS
CROSSED AND UNCROSSED ROADS

毛がはえはじめるところ
空中で
一番少ない重量が
とってかわった場所
糸や縫い目のように
交差し、交差しない道
“アンクロスト(交差しない)”(喜多村純訳)


Arto Lindsay
Cuidado Madame(ケアフル・マダム)

Pヴァイン

AvantgardeAvant PopBossa NovaNo Wave

Amazon Tower HMV

 ホウェアとヘアとエアーで韻を踏み、髪のイメージを糸や縫い目がひきとり、重力に逆らい逆巻き、縺れあったりあわなかったり――視覚と関係性の官能を二重写しにするこの曲はもとより、アート・リンゼイの歌詞のほとんどが短詩形で詩的ヴィジョンをもつのはDNAのころから変わらない。とはいえ、“Horse”の歌詞のネタ元が「リア王」だったとは、アートの基本姿勢が異質なものの同居にあるとしても、連想ゲームとしてはなかなかに高度である。なにがアートをアートたらしめるのか、詳しくは『別冊ele-king』を手にとっていただきたいが、歌詞、とくにポルトガル語での詩作において、アートはカエターノ・ヴェローゾを意識していたのはもって認めるところである。むろん、カエターノの歌詞は、ことばのイメージが科学反応をおこすアートの歌詞よりも、展開の妙味を読む散文詩的なものだが、詩の背負う世界の飛躍の距離と角度において通ずるものがある。
 本稿は『別冊ele-king』第五号に収録したアート・リンゼイとカエターノ・ヴェローゾの特別対談の、紙幅の関係で割愛した部分である。本書ではおもに音楽についての対話を掲載したが、以下はその前段にあたる、音楽におけることばについて、アートとカエターノふたりきりで語っている。いささか高踏的に思われる向きもあるやもしれぬが、やすっぽい感情やメッセージや思想によらない音楽のことばを考えるヒントに!

     

ドロレス・ドゥランの歌詞に感激したんだ。彼女の作詞は、ヴィニシウスより優れていると思うこともあった。(カエターノ・ヴェローゾ)

最初にぼくが歌詞に魅了されたうちのひとつは、ジミ・ヘンドリックスだったんだ。ある種ボブ・ディランに影響されているようなひと。(アート・リンゼイ)

アート・リンゼイ(Arto Lindsay、以下AL):歌詞と音楽の関係性について意識的に考えはじめたのはいつなの? 子どものころからだったの? コンポーザーか歌手か誰かきっかけになったひとがいるの? なにかそのへんのことについて憶えている?

カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso、以下CV):それが、子どものころからなんだ。ことばとメロディに関係がある、歌詞のある歌について考えることがあったんだ。そういうことが印象に残って、頭から離れなかった。子どものころからそういうことを考えるのが好きだった。ベターニア(註1)の名前も、ある歌にちなんでぼくが名づけたんだよ。あのときぼくは4歳だった。

AL:うわぁ。

CV:大好きな歌だったんだ。カピーバ(註2)の“マリア・ベターニア”。ペルナンブッコのひとだ。その曲はネルソン・ゴンサルヴェス(註3)が録音して、詞が大好きだった。「Maria Bethânia / Tu és para mim / A senhora do Engenho」の「Engenho(構想力、発明の才の意)」がなんなのかもわからなかったけど、なんて美しいんだって思ったんだ(笑)。

AL:はい。あははは。

CV:愛するひとに捧げた曲のタイトルで、至極美しい。成長しながら、そういうことに気づいていったこともある。なんというか、年長者からサインを受け取ったというか。少年だったころに、口笛などめったに吹かない、歌うことなんてなかった父が、母はね、よく歌っていて、いろんな歌を歌うひとだったんだけど、父はメロディとかそういうものが頭に入ることもなかったようでいっさいそんなことがなかった、その父が、誰かと話をしていて、こういったんだ「“Três Apitos(三つの笛)”(註4)はブラジルで作られた最高作だ。なんとすばらしい歌詞なんだ!」と。

AL:うわぁ。

CV:ぼくはすごくうれしい驚きを感じたんだ。ぼくがノエル・ホーザの“Três Apitos”に関心を寄せていたからさ。だって、曲のタイトルはすべてを語っていたし、どんな種類の笛だろうとあれこれ想像させるからね。工場から聞こえてくる汽笛なのか、「apito(笛)」はここで繰り返さないけれど、車のクラクションなのかと。最後にわかるわけだよ、曲の主役が夜勤の守衛なんだってことが。父は、曲が非常によくできているということがわかっていたわけだ。だからなおさら、歌詞について考えた。そうして、他にもいろいろあったわけさ。成長して、18歳のころだったか、ぼくはカイミ(註5)が誰よりも完璧だと思っていた。

AL:そういう理由から?

CV:歌詞と音楽の関係性においてね。「Você já foi a Bahia nega não / Então vá / Quem vai a Bonfim minha nega(愛しい人よ、バイーアに行ったことないのか?/じゃあ、行きなよ/ボンフィンに行く人はね……)」。人が語っているようだと思ったよ。だけど、メロディもそこにあって、語りのすべてのイントネーションが含まれているんだ。疑問符も、句読点も、それでいてこうコロキアル(話し言葉的)、誰かに話しかけているみたいでありながら完全に音楽なんだ。ぼくはそれにとても感激した。そうして、ぼくの音楽の素晴らしい二大素地でもあるノエル・ホーザとカイミのおかげでほかのことにも気がついていったんだ。どちらが先だったか憶えていないけどドロレス・ドゥラン(註6)とヴィニシウス・ヂ・モラエスの歌詞が世に出はじめたころのことを思い出すよ。どちらも同時期に出てきたと思う。ドロレス・ドゥランの歌詞に感激したんだ。彼女の作詞は、ヴィニシウスより優れていると思うこともあった。ヴィニシウスは詩人で、後から作詞家になったからね。彼の詩はより複雑で、彼女がしないようなことを書いていたけど、彼女の詞は音節ひとつひとつまでもが完全に音楽を成していた。アイデアもとても明確で、非常によく書かれていた。ヴィニシウスが優れているとわかるまで、時間がかかったくらいだよ。ドロレス・ドゥランはとても――

AL:カイミのようなんだね。とてもパーソナルで、コロキアル。

CV:そうとてもコロキアル。そしてとてもインスパイアされている。コロキアルなんだけれども、フラットではないんだ。その逆だ。

AL:ぼくの経験を語ると、ぼくはナット・キング・コール、それからドリヴァル・カイミをたくさん聴いた。青春時代の初期に母のレコードを聴いていたんだ。印象に残るものはあったけれど、歌詞と音楽にかんしてそこまで意識的に考えたことはなかった。最初にぼくが歌詞に魅了されたうちのひとつは、ジミ・ヘンドリックスだったんだ。ある種ボブ・ディランに影響されているようなひと。

CV:そうだね。すごくボブ・ディランっぽいね。

AL:完全にボブ・ディランに影響されている。

CV:彼がボブ・ディランの詞が大好きだったのがわかるものね。

AL:彼はそこからスタートして、だけどちょっと息切れしちゃった感じがあるよね?

CV:そう。

AL:ボブ・ディランより音楽的だとも思うんだ。彼はちょっと前衛的なアティテュードがあった。厳密にいえば、ボブ・ディランのケースではなかった。ボブ・ディランは結果的に前衛的になったけれど、ジミ・ヘンドリックスのようにみずから前衛的なスタイルをとらなかった。
 ボブ・ディランはまた詩的な意志を、他のアヴァンギャルドとは異なる詩的なアヴァンギャルドをミックスする。詩人のアヴァンギャルドで、それとフォークロアな音楽との類似性を認識させるね。

CV:アメリカのフォークロアとブルースもね。

AL:ブルースとかカントリーとか古いものすべてね。ヒルビリーとかそういうのもすべて。

CV:フォークとカントリー・ブルースもね。じつはぼくにとってアメリカの曲の歌詞も、とても存在感があったんだ。英語がまったくしゃべれないときから。いまはすこししゃべるけど、あのころはまったくしゃべれなかった。フランク・シナトラとか、ビリー・ホリデイとか、中学生のころみんなと同じように英語を勉強していたからね、なにを歌っているかわかったんだ。でもロックンロールが登場してからは、もう全然わからなくなっちゃった。

AL:そうだね。昔は理解できるように作詞がされたけど、ロックの後は、理解されないように作詞されるようになったからね。

CV:ふたつの意味でね。ことばそのものの選択という意味でも、発声の仕方においても。

AL:どちらかというと発声の仕方においてだと思う。

CV:でもどちらもだよ。歌詞を読んでもあんまりさ……わかる? なんか投げられた感じのフレーズで聴くひとの頭に残るような、とても刺激的じゃない? 聴きながら、歌詞を辿っていける感じのものではないというか……

1) Maria Bethânia:1942年生まれのカエターノの4歳年下の妹。トロピカリズモ周辺に出入りし、歌手デビューした65年の“Carcará”で早くも頭角をあらわす。78年の『アリバイ』でブラジル国内に広く知られた。2005年の『キ・ファウタ・ヴォセ・ミ・フェス(Que Falta Você Me Faz)』は全編、文中にも言及のあるヴィニシウス・ヂ・モラエスの楽曲からなるアルバム。カエターノは軍事政権下のブラジルを脱し、亡命したロンドンで1971年に発表した3作目の『Caetano Veloso』に妹に宛てた手紙を模した同名異曲を英語で吹き込んでいる。

2) Capiba(1904~1997):本名ロレンソ・ダ・フォンセカ・バルボサ。ノルデスチ(ブラジル北東部)のカーニヴァルを象徴する音楽形式フレーヴォの作曲家として知られる。

3) Nélson Gonçalves(1919~1998):リオグランデ・ド・スル州生まれ、サンパウロ育ちのシンガー・ソングライター。1950年代(カエターノの幼少期)もっとも人気を集めたラジオ歌手のひとりだった。

4) 20世紀ブラジルのポピュラー音楽を代表するシンガー・ソングライター、ギター/マンドリン奏者ノエル・ホーザ(1910~1937)が1933年に作曲した楽曲名。

5) Dorival Caymmi(1914~2008):バイーア州サルヴァドール出身の歌手、作曲家。のちにハリウッドで成功するカルメン・ミランダの映画『Banana-da-Terra』(1933年)に“O Que É Que A Baiana Tem?”を提供したことで名を知られる。54年に『Canções Praieiras』でデビュー。アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトにも影響を与えた。カエターノが文中であげているのは“Você já foi a Bahia(君はもうバイーアに)”の一節。

6) Dolores Duran(1930~1959):ボサノヴァ成立前の1950年代に活躍した歌手、作曲家。ジョビンの“Por Causa de Você”、“Estrada do Sol”などの共作者でもある。

[[SplitPage]]

DNAのやることは強烈だった。ロックの先端の、エッジというか、ぼくには非常に印象が強かった。ラディカルな経験を思い起こす。歌詞はそれでいて、コミュニケーションへの切迫感があった。(カエターノ・ヴェローゾ)

理念そのものにとても迷いや疑問があった。芸術に横たわっていた哲学的な理念や、60年代からきた、それらの理念の源に疑問があった。それで、ぼくたちはなにか突っ込んでいこうとするところがあったんだ。(アート・リンゼイ)

AL:ヘンドリックスのやったことがおもしろいと思うんだよね。ヘンドリックスは、三つ、四つ、五つくらいのパターンでことばと音楽とを関係づけるというか。ポルトガル語でなんて言うのかわからないんだけど、彼は「ポエティック・デヴァイス」のレパートリーをもっていた。詩的な仕掛けというのか、くりかえして、拍子やアップ、ダウンと関係があって、抑揚とリズムと……彼は早くに亡くなったんだよね。彼が27歳で亡くなったのを忘れるくらい。若すぎたよね。ぼくは作詞をはじめたとき、あなたの最初のインプレッションと似たような、歌詞を会話のようにしたかった。しかしよく聴いて、文字を追えば、より複雑で抽象的で独特なものになるように。歌ったときにまるで自然に響かなければいけないと。DNAの初期の歌詞はすべてそうだった。まるでなんというか……

CV:うん。DNA(の曲)は、ひとがまるで差し迫って主張している感じする。

AL:そう。とても……プレッシャーがかかっていた。

CV:そのスタイルに真の緊急性があるようだった。とても美しいと思う。とても、なんというか……DNAのやることは強烈だった。ロックの先端の、エッジというか、ぼくには非常に印象が強かった。ラディカルな経験を思い起こす。歌詞はそれでいて、コミュニケーションへの切迫感があった。フレーズがとても――

AL:投げられている感じ?

CV:そうなんだけど、よく聴くと、各パーツとても統合的で、いろいろなものが含まれている。とても濃い。

AL:ぼくが思うに、それはあの青春、衝動、願望とがすべて混ぜ合わさった――

CV:青春のバイタリティだね。

AL:そう、青春のバイタリティ。理念そのものにとても迷いや疑問があった。芸術に横たわっていた哲学的な理念や、60年代からきた、それらの理念の源に疑問があった。それで、ぼくたちはなにか突っ込んでいこうとするところがあったんだ。

CV:ぼくは66年から67年ころに確固たる意志をもってそうしようとしはじめた。ぼくは、ほんとうはわざと、子どものときに会得した美的感覚に背いたんだ。

AL:なるほど。でもその後背いたことにさらに背いたよね。

CV:そうだね。背いたことに背いた。いくつか美しい作詞をしたからね。

AL:いや、待って。たくさんだよ。

CV:幼少期から青年のときまで身につけた美的感覚に背いた、その多くが、世に出てきた当時は誰にもそう美しく捉えられなかったんだ。いまでこそ、容易に美しいと認識されるけれど。

AL:その通りだね。英語ではテレグラフと呼ばれるものがあるんだ。なにが言いたいかというと、ある文章が、その方向に要約されるというか。文章それぞれが、世界観がある。別々の異なった世界観が。

CV:それは、ぼくよりあなたのほうが強いよね。ぼくの作品にもいくつかそんなところに行き着くものがあるけれど、でもあなたのほうがずっとそうだよね。でも、よく考えてみたら、アメリカ文学の伝統は、ブラジル文学の伝統というかポルトガル語文学のそれよりその傾向があるよね。テレグラフに寄りかかるところが。

AL:そうね。でも、おもしろいよね。例えば、20世紀の終わりの詩をみてみると、ブラジルの詩はとても具体的で、なんというか、ミニマリストだ。

CV:そうだね。ミニマリストだね。長詩だったビート派と同じ時代にしてね。

AL:ジョン・アシュベリー(註7)とか、そのへんはみんなとても長いよね。苦痛にすら感じるほどに、終わりのない感じ、リズムがない。だけどこの会話とアシュベリーを関連させられる唯一の共通点はコロキアルということだ。彼はさまざまな文章を寄せ集めて、混ぜ合わせて、すべてどこからかとってきて小さな変更を施しただけのような。

CV:ちょっとレディ・メイドみたいなね。レディ・メイドのパーツを寄せ集めた感じ。でも興味深くて、美しい。彼特有の良質な空気感をそれで作り出すから。でも、おもしろいね、あなたがそう話し始めたとき、エズラ・パウンド(註8)について話しているように聞こえたよ。そうそれで、アシュベリーは、リオで見たことがあるよ。彼はリオでおこなった講演で、エズラ・パウンドは大嫌いだと語っていたよ。エズラ・パウンドが書いたものはすべて醜いといったんだ。「ugly」という言葉を使ったからね。彼はエリザベス・ビショップ(註9)が好きだと語っていた。彼にとってアメリカの偉大な詩人であると。

AL:うわぁ。クレイジーだ。

CV:フラメンゴ公園での講演だった。

AL:憶えているよ。たしかワリー(註10)とシーセロ(註11)とが招いたんだ。

CV:そう。それにジョアン・ブロッサもね。ジョアン・ブロッサと、それにジョアン・カブラル・デ・メロ・ネトもね。

AL:ジョアン・カブラルもいたのは知らなかった。

CV:ジョアン・カブラルはすごかったよ。信じられないようなことがあったんだ。ジョン・アシュベリーは唯一のアメリカ人だった。講演の最後に客席からの質問も受けたんだ。3人に対しての質問が客席からあった。こんな質問だった、「ご自身の作品を、声に出して読むことは好きですか?」と。ジョアン・カブラル・デ・メロ・ネトを敬愛するジョン・ブロッサが最初の回答者だった。彼はこう答えた「私にとって詩は、自分自身で声に出して読み、満足できたときにはじめて存在する。だから、ひとり読み上げて、詩の音も含め楽しむのだ」と。それから、ジョアン・カブラルにマイクが渡って彼はこう言った「いや。私は自身の詩を読むのが大嫌いだ。正直、この世にぼくの本を手にとって、ぼくの詩を声に出して読む人がひとりたりともいてほしくない。ぼくは年齢とともに視力が弱くなってきたが、耳が聞こえなくなった方がよかった」って。

AL:うわお。あはは

CV:それで、アシュベリーにマイクが渡って、「ご自身の詩を声に出して読まれることに対してどう思いますか」と質問されて彼は言ったんだ。「それでお金がもらえるならね」と(笑)。それぞれの特徴が表れているよね。ジョン・アシュベリーのユーモア・センスはとてもアメリカ的だ。この返答はハードな皮肉であると同時に、アメリカ的なものを反映している、アメリカン・ジョークだよね。

AL:とてもアメリカ的だ。わかる気がするんだ。エズラ・パウンドをいま読むと、彼はとても他の言語の形式を模倣する人だったのがわかる。それを英語で読む人は――

CV:まるで英語ではないように感じるんだね。

AL:なにか偽りのようなものがあって、まるで彼が英語そのものに喜びを感じていないように感じるんだよ。

CV:ぼくは英語話者ではないのでわからないけれど、エズラ・パウンドの作品をいくつか読んだとき、そのページでぼくは迷子になったよ。中国語の要素があったり、表意文字があったり。文章はオリエンタルなものに似ているかと思えばコロキアルな、ちょっとアメリカっぽい平俗なものが入ってくる。

AL:コラージュのようだよね。

CV:そうして語調が変わる。すごく魅力的だったけど、ぼくは迷子になってしまったよ。でも、ひとつ言っておくと、インターネットとかいう技術のおかげで、エズラ・パウンドが詩を読んでいる映像を見たんだ。なんとも美しいんだ。叫びがあって、そのうちに重低音な声ですごくコロキアルになって、そのあとまた別のものがくる……すばらしく美しかった。詩が非常に美しくなる。

AL:探してみる。彼が読んでいるのは見たことがない。

CV:ぜひ聞いて見てほしいね。

AL:ジョン・ケージ(の朗読)を聞いたことある?

CV:ケージはリオで見たよ。直接、読んでいるのを見た。

AL:彼自身の文章を?

CV:(ジェームス・)ジョイスの文章を(註12)。

AL:彼自身が語を刻みながら?

CV:そう。

AL:ぼくはニューヨークで見たよ。いままで見たなかで最高なパフォーマンスのうちのひとつだった。

CV:最高だよね!? すばらしいと思ったよ。彼は『フィネガンス・ウェイク』の一節を読むんだ。

AL:そう。ハシッ、キッ、ハシッ、キッ(とケージを真似る)。ぼくと同じ作品を見ているかわからないけど、彼は言葉を刻むんだ。

CV:ほんとうに小さなピースにしてしまう。

AL:音節の小さな一部だけが聞こえるんだ。

CV:子音の一部のあとに文章全体とかね。

AL:ぼくも見て、すごく感激したんだ。パフォーマスとして。経験として。芸術の……なんだか定義しないでおいて、とにかく信じられないパフォーマンスだった。

CV:T・S・エリオットが自身の詩を読んでいるのは見たことある?

AL:聞いたことがあるけど、実のところあまり憶えていないよ。エリオットを読むのは大好き。

CV:美しいよね。エズラ・パウンドのような苦しみはない。すべて美しく、英語も美しい。でもエズラ・パウンドが読んでいるのを聞くと、そっちの方がもっと好きなんだ。

AL:あなたがそういうのなら聞かないといけないな。エリオットは、ひととして最悪だったというか、抑制された、存在することに問題を抱えていたというか。プロテスタント的なものが強いというか。

CV:カトリックに改宗したんだよね?

AL:より一層人間らしくなくなっていったというか……

CV:それとも、英国国教か。彼は、アメリカの近代的なプロテスタンティズムよりもクリスティアニズムのよりフォーマルな伝統的なほうへ行ったんだね。

AL:あの当時はなかったものだけど。でも……ぼくはとてもよく聞いたのはバース(註13)だ。音読するバース…

CV:それは聞いたことがない。

AL:なんと! これこそ信じられないほどにすばらしいよ。彼はとても皮肉的で、本は……読んだことある?

CV:読んだよ。

AL:彼はとても気を楽にしてくれるというか…

CV:クレイジーだよ。

AL:そう、クレイジー。でもそこまでではないよ。2回読むと、とてもよく書かれているとわかるんだ。

CV:そうだね。とてもよく書かれている。

AL:彼はとても調節された韻律をもっていて、安定していて、とても……とても皮肉的でおもしろい。エリオットとはとても異なっていて、パウンドが音読しているのは見たことがないけれど、彼は南部の人で、アフリカの影響を受けたアメリカの要素があって、リズムがあり、グルーヴがあり、流れるようなグルーヴ感のある読み方なんだ。(了)

7) John Ashbery(1927~):現代アメリカを代表する詩人。アッシュベリーとも。作風はポストモダンを経由した実験的なもので、米国の主要な文学賞を数多く受賞している。翻訳書に『波ひとつ』(書肆山田)、『ジョン・アッシュベリー詩集』(思潮社)。

8) Ezra Pound(1885~1972):アイダホ州ヘイリー生まれのアメリカの詩人。20代でヨーロッパに渡り、イギリスでイェイツやT・S・エリオットらと親交をもち、パリ、イタリアと移り住むなかで、長文の自由韻律詩を発表し、俳句、漢詩、能などの東洋文化の紹介者として活発に活動した。第二次大戦中、ムッソリーニを支持し反ユダヤ主義をとったかどで告発され、米国に強制送還ののち、精神障害を理由に12年の病院暮らしをおくる。退院後イタリアで没したが、死後20世紀モダニズム運動の中心人物と見なされた。

9) Elizabeth Bishop(1911~1978)アメリカの詩人。マサチューセッツ州ウースター生まれ。1951年の南米旅行で立ち寄ったブラジルに15年間居住し、その間発表した『北と南/寒い春』でピューリッツァー賞を受賞。ほかに全米図書賞、全米批評家協会賞の受賞歴もある、20世紀アメリカを代表する詩人のひとり。

10) Waly Dias Salomão(ワリー・サロマゥン、1943~2003):詩人、作詞家、音楽プロデューサー。トロピカリズモ運動の立役者のひとりであり、ガル・コスタの“Vapor Barato”やベターニアの“Mel”、“Talisma”の作詞者でもある。

11) Antonio Cicero(アントニオ・シセーロ):1945年、リオ・デ・ジェネイロ生まれのブラジルの詩人、作曲家、作家。1993年ワリー・サロマゥンとともに「Banco Nacional de Idéias(アイデアの国立銀行)」をたちあげた。スペインの前衛詩人ジョアン・ブロッサ、具象派の詩人ジョアン・カブラル・デ・メロ・ネトらが参加した後述のイベントもその一環だと思われる。

12) ケージが講演などで話すことばを作曲作品と見なしていたことは主著『サイレンス』(水声社)所収の文章などでもあきらかだが、カエターノの言及する、ジョイスの集大成『フィネガンズ・ウェイク』を朗読するのは1970年の“ロアラトリオ”。ケージはこの曲で、『フィネガンズ・ウェイク』からのランダムなテキストの引用と、作中に言及のある音を録音した音源と、小説に登場するダブリン市内の環境音とを組み合わせる。

13) ピンチョンらとならぶ、米国ポストモダン文学を代表する小説家ジョン・バース(John Barth、1930~)を指すと思われるが、バースが朗読活動をおこなっているかは不明。またバースは南部出身でもない。発言者に問い合わせたが、期日まで回答を得られなかった。追って修正の可能性あり。

Shobaleader One - ele-king

 続・音楽を破壊すべし――スクエアプッシャー率いる覆面バンド、ショバリーダー・ワンからふたたびele-king編集部にインタヴューが届けられました。相変わらずとても興味深い内容です。
 待望のアルバムは3月8日に日本先行でリリース。4月には来日ツアーも決定しています。東京(4/12)、名古屋(4/13)、大阪(4/14)の3都市をまわります。リリースおよび来日公演の詳細はこちらをご覧ください。
 それでは以下、新たなインタヴュー全文をお届けします。

Company Laser :俺がギグを悪用してるなんて話、信じるなよ。その件で何か聞いてるか?

Squarepusher:ショバリーダーが浮遊しているとかっていう話なら幾つか。でも俺は自分で見たことないから、そいつが本当に良いものなのかどうか確かめたいね。そしてこの馬鹿げたミッションのことは忘れるんだ。

■では、あなた達はフォローアリーダー(※先導者の後を追え)に従うんですね。それでは意味がないのでは? それについてはどう感じてます?

Strobe Nazard:俺がどれほど無意味に感じてるかって?

Squarepusher:自分達が模倣されているかどうかについては、あまり考えても仕方ないと思う。プロテクトが必要なのは、アイディアを自分自身で実行した時だ。ミュージシャンはそれぞれが一定量の仕事をこなしてこそ真似できるようになる。創作の技法はどこにでも転がってるんだよ。

■ですが、ミュージシャンが進歩するにつれ、次のような発言やオリジナリティのある音楽を残せるようになるのは確かですよね。

Arg Nution:オリジナリティを気に掛けるやつなんているのかよ?

■ですが、音楽で表現する様々な精神状態に到達するために、人は特別な技術を用いる努力をしてはいませんか? 様々な音楽の感じ方を体験したり、音楽的アイディアを得る方法の1つとして、睡眠不足があると言いますよね。あるいは意識に変化をもたらすような薬物(サブスタンス)についてはどうでしょう?

Arg Nution:俺の本質(サブスタンス)に変化をもたらしてみるってのはどうだ?

■はい?

Squarepusher:こいつは音楽の良心となるべきものなんだよ。だが様々な薬物の使用というのは、人をそういった主張へと導く建物を取り巻いている神秘性を経験するための安易な手段なのさ。さもなければ、そうあるべきだとされる態度を演じるために、人は危険な心理的領域に踏み込んで、アーティファクト(人工物・芸術品)を持ち帰って来なくてはならない。そこで音楽の気体状態が形成されるんだ。このアーティファクトは、そういった移行サービスにとって申し分のない音楽的な精神状態にすぎない。これはミュージシャンとしてのブラウザの概念だが、俺にとってはむしろプロとしての作品に近いね。

■ということは、もしかしたら私達は、ミュージシャンが自分達の音楽的な努力について語っていても、そういった話を信じるべきではないのかもしれませんね。

Arg Nution:信じられるなら、どんなおとぎ話でも信じればいいさ。

■大抵のミュージシャンが口にすることだけれども、実際には嘘をつく機会がなかったこと、何か思い付きますか?

Company Laser:ミュージシャン達がビジネス会議を開くおかげで、圧力がかかっているテーマについては有意義なことは何も語れないってのはよくあるね。

Squarepusher:そういう厄介な状況では、アーティスト自身が満足するようなことは何も伝えられないんだよ。伝記的な部分に空白状態があるのは忌み嫌われる。そして他の誰かがケチをつけるんだ。それどころか大抵の場合、自分が言ったハッタリやデタラメな話を、他の連中が膨らませる方が望ましいのさ。

■では、このインタヴューでこれまで語ったことの中にデタラメはありますか?

Arg Nution:「では、このインタヴューでこれまで語ったことの中にデタラメはありますか?」だとさ。

■私をイラつかせようとしてるんですね、でも今、現実が段々と……どうぞ、真似してもいいですよ。

Strobe Nazard:俺達の発言は全部デタラメなんだよ!

Squarepusher:Strobeは矛盾してるのさ。今言った一文は「うそつきのパラドックス」(※「この文は嘘だ」という命題は真か偽か、いずれにしても矛盾するということ)の一例みたいだろ。

Company Laser:その問題の方が面白いね。むしろ、自分の作品について語っているミュージシャンの話が真実かどうかなんて、そんなの誰も気にしないだろ? って感じ。音楽業界がこれまで築いてきたのは、常軌を逸した物語を求め、それを聞いたら真偽にかかわらず議論を終わらせるっていう土壌だろ。証明書の有効性を公表せずにいる方が都合がいいって話でさ。それで、人の発言について真実を語るのが難しくなる。事実に基づく報告よりも、大げさに誇張した表現をする熱意の方が受け入れられるんだよ。

■特に現在の政治的意思の状況を考えますと、真実を語るということは重要なんではないでしょうか?

Strobe Nazard:俺達の発言は全部本当だよ!

■それが疑わしくなり始めてきたんですよ!

Arg Nution:俺はこうしてあんたと同じ部屋に腰を下ろして喋ってるってことに疑問を感じ始めているぜ。

Company Laser:この件に関して、まともに話さなくてもいいという権利があることが、事態を難しくしているんだよな。俺達もちょっと冷静にならないと。今の政治情勢は、この宇宙の他のどの場所ともかなり異なってるだろ。もしかしたら政治的な部分では合意が成されていて、正直であることが期待されていると分かれば、あんたもホッとできるかもしれない。地上の問題については、何かの破壊を促し、そいつをぶっ壊しているボーブ(愚かな奴ら)は受け入れられないというのが、あんた達の間で浸透している一般的な考えだろ。互いの結びつきを断ち切り続けているというのは嘘だね。

■でもあなたは先ほど、私が嘘ばかりついていたと言いましたよね?

Strobe Nazard:彼は嘘をついていたね。

■ちょっと目まいがしてきたんですが……窓を開けていただいてもいいですか?

Company Laser:俺は想像の星に魚を集めさせ始めたんだ。そこには何でも加えられる、特定の星の魚(ヒトデ)に関するどんな思い出でも、どういった見た目の魚の星がいいかという例でもいい。俺は収集を始めているんだ。

Squarepusher:俺にも幾つかあるぜ、ちょっと待ってな。

Arg Nution:気分は良くなったかい?

■ええ、大丈夫だと思います。あなたがアイディアを生む際、あらゆるネタを集めまくることが重要なのはどうしてでしょうか? 例えば“50 Cycles”という曲がありますが、詩が頭に浮かんで、あなたのクリエイティブな文体がそのプロセスに寄与するよう、そういった言葉が聴こえてくるということですか?

Squarepusher:でも俺は、テキスト形式の音楽という形で曲を書くのが楽しいんだよ。曲は注意を払わないやり方で書かれるべきだからね。俺はそういうことはしないから。名前を電車の軌道整備士(※ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』に、スクエアプッシャーと呼ばれる軌道整備士が登場)から取った場合、どこまで許されるのかってことを言いたくて書いているのさ。

■正にその通りですね、制約なんて、なぜあるんでしょうか? 冷蔵庫のボトル入りの水をお渡ししても?

Company Laser:あんた、名前は?

■私の名前はスティーヴンです。

Arg Nution:でも俺の名前はインタヴュアーじゃなかったっけ?

 アルバムおよび来日公演の詳細はこちらから。

P Money - ele-king

「俺はここにいる」というメッセージ

 10年以上のキャリアでmixtapeやEP作品をハイペースで発表し続けているロンドンのMCピー・マニー(P Money)が、15曲収録のデビュー・フル・アルバム『Live + Direct』を〈Rinse〉からリリースした。これまで、ダブステップやドラムンベースのトラックで名前をご存じの方もいるかもしれないが、彼はキャリアの中で一貫してグライム・サウンドでラップしてきた。今作もトレンドであるトラップの影響を受けたグライム・チューンの上でマイクを握った曲が多く、USヒップホップから入った人でも聴きやすい。

 さて、オープニングトラックのIntroを聴いたとき、このアルバムが単なるヒット曲の寄せ集めではなく、ひとつの作品であることを確信した。シーケンスが重なり合っていく4分のトラックの上で、不在の父に対する報われることのない期待、義理の弟、彼のグライム・クルーとなるOGzとの出会い、トラブル、母への愛をラップする。そして、なぜアルバムを出すのか? という創作の原動力につながる、複雑な感情が表れている。

I had hate for my creator
Only used to see him in the paper
Mum tried to get me to stop stressing
Looking at the front door, wondering and guessing
Now there ain't a thing that could make me forgive him
Once upon a time my dad asked me how old I was on my birthday
Man I thought he was kidding

俺はお父さんを嫌ってた
彼は紙の上でしか見たことがなかった
ママは俺が父にこだわらないようにさせた
家の玄関を見て、考え、想像した
今でも彼を許すようなことはない
いつか、お父さんは誕生日に俺が何歳になったか聞いた
俺はからかわれてるかと思った
(“Intro”)

 15歳の時、濡れ衣で裁判所に呼び出されたP Moneyはそんな父に頼ろうとする。

I called my dad, sent him texts, left him voicemails
But the guy wouldn't pick up
And there's me thinking he would've fixed up
Then randomly out of the blue I got a text from him
Saying "it's gonna be alright, good luck"
Oh my days, what the fuck

お父さんに電話した、テキストを送ってボイスメールを残した
あの男は電話を取ろうとしなかった
俺はお父さんがこの問題を解決できたと思ったんだ。
そして、出し抜けにこんなメッセージが届いた
“きっと良くなるさ、グッドラック”
なんてこった !
(“Intro”)

 TR.02“Panasonic”では、Street Fighterのサンプルとともに、イギリスのグライムにおける自身の存在をボーストし、Stormzyを迎えたTR.04“Keepin' It Real”では、音楽に対する姿勢とフェイクとリアルの境目についてこだわる。OGzを率いて自身が運転するバンで周る彼が言うなら、それはとてもリアルな表現である。

 Terror Danjahの歌フックとP Moneyのスキルが冴える(複雑な)恋愛ソングTR.06“Contagious”、信頼に足る「Man」であるかをへらへら近寄ってくるクソ野郎に問うた“Don't Holla At Me”を挟み、TR.11“Gunfingers”へつながる。

 Skepta、Wiley、JMEをゲストに迎えたこの曲からは、アルバム・ジャケットでBorn & Bred フェスティヴァルのステージから、学生が集まる小さなクラブまで全てのショーをロックするP Moneyの姿が目に浮かんだ。そして、ラスト・ソングの“10/10”へ向かっていく。音が注意深く選ばれたSir Spyroのシリアスな雰囲気漂うトラックの上で、彼はイギリスのManchester、Bristol、Leedsなど各都市でショーを完全にロックする。フードを深くかぶった彼のライヴ映像が入るMVも素晴らしい。

 ラップは声なきものに声を与えると言われる。そして、P Moneyは「俺はここにいる」というメッセージを繰り返し発している。それは紙の上でしか知らない父に向けて、パーティでたまたま遊びに来たお客さんに向けて、ビックフェスのショーを観にくるファンに向けて、生で直接伝え続けることだ。ダブステップからグライムへとトレンドが移り変わっても、彼のラップはUKにあり続けるという宣言でもある。

interview with The xx  part.2 - ele-king






E王


The XX

I See You (ボーナストラック2曲収録)


XL Recordings/ビート

PopHouseIndie Rock



Amazon

 ザ・エックス・エックスのコアは何かと考えたとき、これまでは“VCR”のミュージック・ヴィデオ(https://youtu.be/gI2eO_mNM88)にもっとも分かりやすい形で表れていたと僕は思う。モノクロームの映像のなか、廃墟のような場所でたったふたり親密な愛を交わす恋人たち。ふいに色づく映像と、誰にも知られることのないふたりだけの感情の昂ぶり。その密室性と緊密さこそがザ・エックス・エックスの「わたし」と「あなた」の物語だった。
 だが、予想外の成功を経て、バンドははっきりと変わった。いま、ザ・エックス・エックスを表現しているのは見事なポップ・シングル“オン・ホールド”のヴィデオにおける淡くも眩い光だろう。そこでは無邪気に笑うザ・エックス・エックスの3人がいて、そしてどこにでもいるような10代の男女が楽しそうに踊ったり、愛を交わしたりしている。ジェイミーが少し照れながらDJをして彼らを楽しませている。インティマシーはザ・エックス・エックスにとってもっとも重要なテーマだが、それはいまより多くの音と感情を手に入れて、ダンサブルに、そしてポップに開かれているのだ。

 それでは、先日女性との婚約を発表したばかりのロミー・マドリー・クロフトのインタヴューをお届けしよう。オリヴァー&ジェイミーといくつか同じ質問を投げながらも、より彼女らのラヴ・ソングが描いているテーマに踏み込んだ会話になったと思う。ロミーもまた、シャイな佇まいを残しながらも、気さくに誠実にひとつひとつ答えてくれた。3人の経験したささやかな喜びや切なさが、『アイ・シー・ユー』には変わらず高い純度で、しかしもっとも鮮やかに封じ込まれている。(木津)

わたしたちが考えていたのは、ただ新しいことに挑戦したいということ。それから姿勢としてよりオープンでいること、明かりを取りこんだような音にすること。だからルールも何も設けない、というのがわたしたちが最初に話し合ったことだったね。


発表前の新曲をプレイする気分はいかがでしたか?

ロミー:今回のツアーはとにかく新曲に集中していて。新曲にどんな反応が来るかわからなかったからすごく緊張していたし不安だったけれど、うまくいって良かったと思うな。

オーディエンスの反応を感じました?

ロミー:ええ、すごく良かったと思う。

観客側から見ていてもそう感じられました。

ロミー:そうだよね。新曲は“リップス”から演奏したんだけれど、すぐに頭を動かしたりしてくれるのが見えて、緊張感がほぐれたよね。

それから、ライヴの終盤の重要なポイントでジェイミーのソロ曲を演奏するのが印象的でした。そうしたことも含めて、今回の『アイ・シー・ユー』というアルバムはセカンドの『コエグジスト』の続きというよりは、ジェイミーのソロ・アルバムの続きなんだという認識が3人のなかで共有されていたのでしょうか?

ロミー:延長線上というよりは、ジェイミーのソロがあったから今回のアルバムがセカンドと全然違うものになったんだと思うな。

野田:ジェイミーのソロとザ・エックス・エックスの関係性についてもう少し説明してもらえますか?

ロミー:前回のアルバムだとライヴでプレイすることを意識しすぎたり、みんながどういうものが好きかを考えすぎたりしたんだけど、今回のアルバムは自分たちの好きなサウンドをエンジョイすることができたんだよね。ジェイミーのソロのサウンドもすごく好きだったから、自分たちの好きなものを音にするっていう意味ですごく大きい影響を受けたと思う。自分たちもあとからそのことに気づいたんだけど、それも意識してやったわけじゃなくて、自然とそういう曲の作り方になってたのね。ジェイミーがソロで自分の好きなサウンドを表現したように、ライヴでも曲作りでもこれまでの「バンドらしさ」に囚われずに自分たちの好きなことができたのが大きかったね。

なるほど。ロミーから見て、ジェイミーのソロ作の魅力って何ですか?

ロミー:ジェイミーってすごく想像力豊かだから、オーディエンスを旅に連れていくような曲を作り出すことができるんだよ。構成もおもしろいし、メロディもすごく魅力的だし、あとは遊び心が曲にあると思う。

なるほど、ではジェイミーのソロを経ての『アイ・シー・ユー』の話をしますね。サウンドにもテーマにも広がりが出て、見事な作品だと思いました。アルバムに取りかかる前に3人で共有していたゴールはありましたか?

ロミー:いいえ、何も考えてなかった(笑)。わたしたちが考えていたのは、ただ新しいことに挑戦したいということ。それから姿勢としてよりオープンでいること、明かりを取りこんだような音にすること。だからルールも何も設けない、というのがわたしたちが最初に話し合ったことだったね。

そうでしたか。では、制作しながら見えてきた曲同士で共通するテーマやモチーフはありましたか?

ロミー:コンセプトやテーマっていうのはあまりなくて、一曲一曲がすごく違う折衷的なアルバムになっていると思うんだけど、それがかえってわたしたちのテイストを表現してるんじゃないかな。どんな音楽に対してもオープンだし、ミニマル・テクノだけ聴くとかニューウェイヴだけが好きとか、そういうことはないからね。わたしたちはジャンルってものが好きじゃなくて……そういうわたしたちそのものが表現されたアルバムだと思う。

では、そのヴァラエティに富んだアルバムをまとめるものとして『アイ・シー・ユー』というタイトルを決めたのはあなたですか?

ロミー:ええ(笑)。

それはどういうところから出てきたアイデアだったのでしょうか?

ロミー:制作の本当に最後のほうだったんだけど、タイトルどうしようって考えすぎて頭がおかしくなりそうだった(笑)。タイトルってアルバムのトーン全体を決めるすごく重要なものだと思うからね。だから歌詞を何度も読み返したりしたんだけど、やっぱり作品を作るプロセス自体がすごく重要だったんだと思えて。そのプロセスのなかでは友情っていうのがすごく大きかったんだ。自分たちが成長するなかでより良い友情っていうものが築けるようになっているし、3人の関係性も以前よりいい状態になって、だからこそいい音楽を作ることができた。あともうひとつは、人間って誰しも「見られたい」っていう願望があると思う。見られることによって理解されていると感じることができるし、それを今回すごくお互いに感じることができたからね。だからそのことをタイトルにしたんだよ。

なるほど。

ロミー:もうひとつ付け加えるとすると、わたしたちはバラバラに過ごした時期っていうのもあったんだけど、このアルバムを制作することによってより近くなることができた。そのことも表現しているね。それから、ファンへのメッセージでもあって……自分たちが若いとき、たとえばジャック・ホワイトのライヴを観ているときなんかに「どうせ彼には自分たちなんか見えてないよ」と思ってたんだけど、いざ自分たちがパフォーマンスするようになると、本当にオーディエンスが「見える」んだよね。だから、ちゃんと見ているよ、っていうメッセージでもあるんだ。

それはすごく納得できるお話ですね。それから、『アイ・シー・ユー』という言葉は、親密なコミュニケーションを描いているという点で、すごくザ・エックス・エックスらしいなと思ったんですよ。歌詞でもつねに一対一の関係というモチーフにこだわっていますよね。

ロミー:ええ。

それはどうしてだと思いますか?

ロミー:自分でもどうしてかはわからないんだけど、愛とか、ひととひととの間に起こる感情を描くことに惹かれるんだよね。ミュージシャンによっては怒りや政治について描くひともいるけれど、それは自分にはあまり理解できなくて。自分が惹かれて、なおかつ描きたいのがそういうテーマなんだよ。


[[SplitPage]]

前のアルバムを作ったときは22歳だったけど、今回は27歳だから、その間の成長ってすごく大きいんだと思うんだよね。それがダイレクトに表れたんじゃないかな。

ザ・エックス・エックスの歌詞で特徴的なのは、三人称がほとんど出てこなくて、かつあなたとオリヴァーでヴォーカルを取っているので、ジェンダーレスなラヴ・ソングになっていることだと思うんですね。それはバンドにとって重要なことなんでしょうか?

ロミー:ええ、ええ。それはすごく意識的にやってる。そうすることによって男性であっても女性であっても、年齢がいくつであっても、すべてのひとが音楽に繋がりを感じることができると思うから、歌の物語を決めつけずに、緩さを設けるようにしているんだよ。

なるほど。『アイ・シー・ユー』はそのなかで、これまで描いてきた感情とは異なるものを捉えようとしたのか、あるいは深めようとしたのか、どちらに近いと思いますか?

ロミー:つねにより良ものにしようとトライしているんだけど、より複雑な感情をよりシンプルな方法で表現しようとしているんだよね。今回もそのことを追求したね。

「シンプル」、という部分をもう少し説明していただけますか?

ロミー:言葉をダラダラと並べて表現するのではなくて、より少ない言葉を使うようにしているかな。シンプルで、美しい言葉だね。

なるほど。僕が今回『アイ・シー・ユー』の言葉に感じたのは、“デンジャラス”にしても“ブレイヴ・フォー・ユー”にしても、「勇敢さ」というモチーフが前に出てることだったんです。

ロミー:ええ、そのことに気づいてもらえて嬉しいな。年齢を重ねたことによって自信がついたということもあるし、そのことによっていい意味でリスクを冒すということに繋がっていくと思えるんだよね。自分たちが大人になっているということがそのまま表現されていると思う。今回、自分たちが心地よいと感じるところから抜け出しんだよね。レコーディングの環境を変えたこともそのひとつだしね。ロンドンはやっぱり自分たちにとって心地いいけれど、いろいろなところで曲を制作したし、ライヴでもさっき言ったみたいにルールを設けず、あまり考えずに組み立てていったし。あと歌詞も、メールじゃなくてオリヴァーと同じ部屋で作ったっていうのも新しいこと、リスクを冒すことのひとつだったね。

「勇敢さ」というモチーフに今回僕が惹かれたのは、これまでは儚さや脆さみたいなもののほうによりフォーカスされていたと思うからなんですよ。

ロミー:そうだね。

その変化って、ザ・エックス・エックスというバンドのキャリアとシンクロしているのかなと思って。たった3人ですごくビッグな存在になって、この間のライヴもそうでしたけど、そのプレッシャーをはねのけて前に進んでいるというか。

ロミー:ええ、わたしもそう思うな。

そのことを表現したいという想いはありましたか?

ロミー:それを敢えて表現しようとしたわけではないよね。もっと勇敢であろうとか、もっとオープンであろうとかいう風にね。それは時間とともに自然と起こった変化で、それがそのまま表現されていると思う。前のアルバムを作ったときは22歳だったけど、今回は27歳だから、その間の成長ってすごく大きいんだと思うんだよね。それがダイレクトに表れたんじゃないかな。

なるほど、すごくよく分かります。もうひとつザ・エックス・エックスらしさでいうと、“オン・ホールド”のヴィデオがすごくいいなと思ったんですよね。さっき「友情」って言葉も出ましたが、バンド3人の親密さがよく表れていて。あれはどうやって出来たものなんですか?

ロミー:ありがとう(笑)。まず、レコーディングした場所に戻って撮りたいっていうのがあって、テキサスのマーファっていう本当に小さい町に行ったんだけど。フォトグラファーのアラスデア・マクレランが監督してくれて、温かさや若さといったような、これまでのザ・エックス・エックスからは連想できないテーマを引き出してくれた。そうやってできたヴィデオだね。いままではミュージック・ヴィデオに関してもっと神経質になってたんだけど、今回は誰かに任せてしまおうと思って、自分たちの親密さと温かさ、光と若さ、それからマーファの地元のひとたちを取り入れてほしいということだけフォトグラファーにお願いして、あとは本当に彼に任せちゃったんだ。

“On Hold”

ただ、ヴィデオがいまおっしゃたように光や明るさが表現されているのに対して、“オン・ホールド”の曲そのものはビターなラヴ・ソングですよね。これは言葉と音のどちらが先でしたか?

ロミー:言葉が先だったね。あの曲に関してはすごくいろんなヴァージョンがあって……ありすぎるぐらい(笑)。なかなかしっくり来なかったんだけど、ジェイミーがサンプルを取り入れたことでムードがガラッと変わって、息を吹き込んでくれたんだよね。

ほんとそうですよね。“オン・ホールド”はシングルらしいダンサブルでポップな曲ですけど、切ないラヴ・ソングが明るい曲調になっていることでどのような効果があると思いますか?

ロミー:ポップ・ミュージックのいいところってまさにそこだと思う。クラブに行くとすごく踊れて楽しめるんだけど、ちょっと止まって集中して聴いてみると悲しい失恋の曲だったりするよね。その二面性を楽しめることができることが魅力だなと思う。

[[SplitPage]]

ええ、大好き。わたしもオリヴァーもすごくよく聴くよ。ジェイミーはもちろんだけど(笑)。ポップスやダンス・ミュージックは本当大好きでずっと聴いてきたんだけど、今回のアルバムはリスナーにもわたしたちのそういう一面を感じてもらえるものだと思うな。

ロミーはクラブ・ミュージックってよく聴くほうですか?

ロミー:ええ、大好き。わたしもオリヴァーもすごくよく聴くよ。ジェイミーはもちろんだけど(笑)。ポップスやダンス・ミュージックは本当大好きでずっと聴いてきたんだけど、今回のアルバムはリスナーにもわたしたちのそういう一面を感じてもらえるものだと思うな。

とくにどんなダンス・ミュージックが好きですか?

ロミー:80年代のシンセっぽいサウンド……ニュー・オーダーだったりオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークだったり、それからイタロ・ディスコ。うん、ディスコ・ミュージックだね。エモーショナルなシンセサイザーが感じられるダンス・ミュージックが好きだな(笑)。

“アイ・デア・ユー”はザ・エックス・エックスのなかでも、ダンスという意味も含めてもっともアップリフティングな曲ですよね。とくにコーラスの「singing…oh, oh, oh」っていう部分に僕はビックリしたんですよ。すぐにライヴでシンガロングになりそうだなって。

ロミー:ええ、わたしもすごく興奮してるんだ。まだ6公演しかやってないんだけど、みんな曲をまだ知らないのに曲に繋がりを感じてくれているようなリアクションなんだよね。だからこれからアルバムが出て、曲をもっと知ってくれたときにどうなるかなってすごく楽しみにしてるんだ。

ええ、きっとすぐ合唱になりますよね。ただ、あそこまで一体感のあるものっていままでのザ・エックス・エックスにはなかったんじゃないかなと。

ロミー:ええ、わたしもそう思う。さっきも言ったみたいに、ああいうところから自分たちはポップなものも好きなんだよっていう、新しい面を見せてられていると思うな。今回のツアーのはじめの3公演では“アイ・デア・ユー”からスタートしたんだ。するとすぐにコネクトすることができたね。“リップス”から始めたときは、ミステリアスなムードを残しつつ、だんだん熱をこめていくセットにできたと思うよ。わたしは“アイ・デア・ユー”から始めるほうが好きかな。すぐにオーディエンスとの繋がりを感じることができるからね。それに、それっていままでのザ・エックス・エックスにはなかったものだと思うから。

『コエグジスト』の“エンジェル”なんかもライヴの映像を観るとアウトロで大合唱になってますよね。

ロミー:ええ、すごいよね!

あれって、あなたたちにとってすごく驚きだったんじゃないかなと思って。

ロミー:ええ! ほんとに。感動したよね。日本もそうなんだけど、いろいろな国や場所でそうやって応えてくれるんだよね。それはやっぱり、すごく嬉しいことだね。

いっぽうで、ニューヨークで45人限定のライヴもされてますよね。そうした小さい会場と大きい会場での親密さや一体感の違いってどういうところにあると思いますか?

ロミー:ええ、あれは2、3回同じ日にショウをやったりとか。それが何日も続いて。それは大きい会場でプレイするのとはすべてが違うよね。それは大きさというよりは、ライヴそれぞれで違った親密さというものがあるんだと思う。ニューヨークでプレイしたときも、入ったらすぐに大きいスペースがあるんじゃなくて、サイド・エントランスからトンネルを通って入ってもらうと3人が真ん中にいて、みんなに角で見てもらうっていう状態にしたんだよね。それでみんなは小さい部屋にはじめいるんだけど、天井がどんどん上がっていって、そこで壁が倒れて……そこではじめて大きい部屋にいることがわかるっていう仕組みになってたんだ。

へえー、おもしろいですね!

ロミー:オーディエンスはそこでちょっと混乱しちゃうんだけど、そうやって旅につれて行きたかったんだよね。そこではオーディエンスとの壁が本当になくなっている。触りたければ触れるっていうぐらいね。それを一度やってみたかったんだ。

『アイ・シー・ユー』というアルバムには、そういう最小限の親密感と、大勢のオーディエンスとの一体感の両方が表現されているように思えますね。

ロミー:ええ、ええ。“パフォーマンス”っていう曲なんかにはそういう小さい会場で演奏した経験がすごく反映されているね。そういう静寂のなかで生まれる関係性に影響を受けて作った曲もあるね。そこからアルバムに適した形、ライヴに合った形をイメージして作っていった曲もこのアルバムには入ってるよ。

すごくよくわかります。ザ・エックス・エックスってすごく緊密なコミュニケーションを体現してきたバンドだと思うんですが、これだけビッグになっても、その親密さをより多くのひとに純度の高い状態で届けようとしているように見えるんです。それがすごくよく表れたアルバムではないかなと思いますね。

ロミー:ええ。わたしたち自身もこの変化にはすごく驚いていて(笑)。わたしはバンドにいることによってどんどん自信をつけることができるんだけど、それをすごく嬉しく思ってるな。

では、ザ・エックス・エックスのもっとも変わった部分と、もっとも変わらない部分はそれぞれどんなところだと思いますか?

ロミー:お互いがお互いをより理解するようになったのが一番大きな変化だと思う。自分たちが何をどう感じるかを理解しているし、そのコミュニケーションの取り方もより良いものになったと思うな。変わらないところは、友情そのものだね。それはまったく変わってないね。たとえば今日もみんなでプールに行ったんだけど、オリヴァーとジェイミーは子どもみたいにはしゃいでて(笑)。わたしが感じるオリヴァーとジェイミーとの特別な繋がりはいまだに変わらないね。

(笑)まさにそれがザ・エックス・エックスだな、と思いますね。

ロミー:ええ(笑)。

野田:最後にひとつだけ。さっき政治的なことを表現することに興味がないとおっしゃいましたけど、2016年はブレクジットであるとかトランプ勝利だったり、政治的不安定さが露呈した時代だったと思うんですね。そういう社会的な出来事というのは、ザ・エックス・エックスの音楽にまったく影響を与えないんでしょうか。

ロミー:もちろんわたしたちも大人になってはいるし、世界で何が起こっているかは把握してはいるよね。で、もしかするとそれが将来反映されることもあるかもしれない。ただ、社会でそういうことが起こっていながらも、バンドや自分にとって何が大事かを考えたときに、自分がリスナーとして音楽を聴くときは自分が抱えているものから逃避させてくれたり、あるいは逆に向き合わせてくれて乗り越えることを助けてくれたり勇気づけてくれたりするものを優先しているんだよね。自分にとって一番関係があって、作りたいと思える音楽はやっぱりそういうものだと思うな。

野田:なるほど。ではUKには偉大なバンドがたくさんいますが、たとえばザ・スミスみたいなバンドは好きですか?

ロミー:ええ、もちろん(笑)! こうやってUKを離れてみると、たくさんの国のひとがUKの音楽を好きだって本当に実感したんだよね。それでますます、いまは自分の国の音楽が好きになってるよ。

Thundercat - ele-king

 新年早々、魅力たっぷりのアルバムが続いている。まずはザ・エックス・エックス、アンダーグラウンドではデムダイク・ステア、ブルックリン実験派としての意地を見せるダーティ・プロジェクターズ、いまの英国でもっともエネルギッシュな音楽=グライムの大物ワイリーの新譜、なにも変わらないことがむしろ変わることであるとでも言わんばかりの我らがスリーフォード・モッズ、そして、おそろしいほどドリーミーなソウルを展開するサンダーキャットの新作……そのふわふわで甘々のブラック・ソウル・ファンタジー……もちろん、いま絶好調と言っていいレーベルのひとつ、〈ブレインフィーダー〉からのリリースである。

再び迎えたブラック・ミュージック隆盛の立役者、サンダーキャット
待望の最新アルバム『Drunk』のリリース&来日ツアーを発表!
20曲以上収録の大作に、超豪華アーティストが勢揃い!

ケンドリック・ラマー|ファレル|フライング・ロータス|マイケル・マクドナルド|
ケニー・ロギンス|ウィズ・カリファ|カマシ・ワシントン
80年代を代表する黄金コンビ、マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンス参加の新曲「Show You The Way」公開!

ここ数年のブラック・ミュージックの盛り上がりにおいて、誰もが認める立役者のひとり、サンダーキャットが、待望の最新アルバム『Drunk』のリリースを発表! 20曲以上を収録したこの大作には、ケンドリック・ラマー、ファレル・ウィリアムス、フライング・ロータス、マイケル・マクドナルド、ケニー・ロギンス、ウィズ・カリファ、カマシ・ワシントンら、シーンきっての人気者であるサンダーキャットでしか考えられない、超豪華アーティストが勢揃いしている。脇を固めるミュージシャン/プロデューサーにも、自身のプロジェクトKNOWERなどでも知られるプロデューサーのルイス・コール、人力ビートのパイオニアとも言われるレジェンド・ドラマーのディアントニ・パークス、そしてサンダーキャットとともにケンドリック・ラマー『To Pimp A Butterfly』に大きく貢献したSOUNWAVEらが名を連ねる。

今回の発表に合わせ、80年代を代表する名曲、ドゥービー・ブラザーズの「What A Fool Believes」を生んだマイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスが参加した新曲「Show You The Way」が公開され、『Pitchfork』にて「Best New Track」に選出されている。このコラボレーションは、ケニー・ロギンスの息子がサンダーキャットのファンだったことから実現。ケニー・ロギンスの声がけで、同じく娘がサンダーキャットの大ファンだったというマイケル・マクドナルドまで参加することになったという逸話も、彼のキャラクターと非凡な音楽的才能を証明している。

きっかけは、俺がラジオ番組に出演してインタビューされたことだった。そのインタビューの中で「もし誰かと、どこかの島に取り残されるんだったら、誰がいいですか?」という質問をされたんだ。俺は瞬時に「ケニー・ロギンスとマイケル・マクドナルド」と返答した。そのときは冗談のように聞こえたかもしれないけど、ソングライティングの上で彼らに多大な影響を受けてるんだ。自分をもっと掘り下げることを彼らから学んだ。ラジオでその発言をしたあとに、俺のバンドのピアノ奏者のデニスが、ケニー・ロギンスと何度か演奏したことがあったから、「ケニーに連絡してみようか?」と言ってくれたんだ。信じられなかったね。そこから、ケニーの息子さんとメールをするようになって、いつの間にかケニーもメールに参加するようになったんだ(笑)。ケニーは一緒に音楽を作ることに興味を持ってくれた。俺はケニー・ロギンスとしゃべってるだけでビビッてたよ(笑)。彼は俺の音楽についてほとんど何も知らなかったけど、「僕の子供が君の音楽のファンなんだ。僕の子供が君のファンじゃなかったら、僕はここにいないよ」と彼が言ったんだ(笑)。実現しただけで俺はうれしかったね。彼と初めて会ってレコーディングして、彼が曲を聴き返してたら、彼が「マイケル・マクドナルドを呼ぼうかな」と言い出したんだ。そのときに、俺は本当にオシッコをチビるかと思ったよ(笑)。マジで冷静を装ってた。ケニーがマイケル・マクドナルドに連絡してくれたんだ。マイケルも、たまたま娘さんが俺の大ファンだったから、一緒に仕事をしてくれることになったんだ。ケニーとマイケルがスタジオに来たんだけど、ケニーは「何年間もマイケルに会ってないよ」と言ってた。どうやら、ふたりは10年以上も一緒に曲を作ってなかったみたいで、それにもびっくりしたね。ことの重大さに気づくと、正直心の中ではすごくビビったし、すごくプレッシャーを感じたよ。俺は彼らに曲のアイデアや、新曲、古い曲を聴かせたんだ。それから「Show You The Way」を完成させようということになった。
- Thundercat

------------------------------------

THUNDERCAT Presents
"DRUNK" JAPAN TOUR

さらに、今回のアルバム・リリースの発表に合わせ、単独来日ツアーも決定! これまで〈Brainfeeder〉のレーベル・ショウケースや、フライング・ロータス、エリカ・バドゥのバンド・メンバーとして幾度も来日をしてきたサンダーキャットだが、今回が初の単独公演となる。サンダーキャットの超絶ベース・プレイはもちろん、長らくバンド活動をともにしているドラマーのジャスティン・ブラウン、キーボード奏者のデニス・ハムという超一流ミュージシャン3人による縦横無尽なバンド・アンサンブルと強靭なグルーヴ、そして何より素晴らしい楽曲の数々とサンダーキャットの美しい歌声……そのすべてを至近距離で体験できるこの貴重な機会をお見逃しなく!

【東京】
2017.4.27 (木) LIQUIDROOM

OPEN 18:30 / START 19:30
前売 ¥6,000 (税込 / ドリンク代別途)

チケット詳細
[先行販売]
LAWSONチケット プレリクエスト抽選先行: 1/28 (土) 12:00~2/5 (日) 23:59
beatkart [shop.beatink.com]: 2/6 (月)~
チケットぴあ プレリザーブ: 2/6 (月) 11:00~2/13 (月) 11:00
イープラス・プレオーダー: 2/6 (月) 12:00~2/12 (日) 18:00
LAWSONチケット プレリクエスト2次抽選先行: 2/8 (水) 12:00~2/12 (日) 23:59
[一般発売]:2/18 (土)~
ローソンチケット (Lコード: 76628)、チケットぴあ (Pコード: 322-585)、イープラス [https://eplus.jp]、Beatkart [shop.beatink.com]
INFO: Beatink 03-5768-1277 / www.beatink.com

【名古屋】
2017.4.28 (金) 名古屋ブルーノート

1stステージ 開場17:30 開演18:30 / 2ndステージ 開場20:30 開演21:15
一般価格 ¥8,900 / 名古屋ブルーノートメンバーズ ¥8,500

チケット詳細
2/22 (水)~ 名古屋ブルーノートメンバーズ会員先行
3/1 (水)~ 一般予約受付開始
INFO: 名古屋ブルーノート 052-961-6311

【京都】
2017.4.29 (土) 京都METRO

OPEN 18:30 / START19:30 → 21:00 close 予定
前売 ¥6,000 (税込 / ドリンク代別途)
当日 ¥6,500 (税込 / ドリンク代別途)
早割 ¥5,500 (税込 / ドリンク代別途) [受付期間:1/27~2/2]←枚数限定!

チケット詳細
[一般発売]:2/18 (土)~
チケットぴあ (Pコード: 323-052) 、ローソンチケット (Lコード: 57107)、e+ [https://eplus.jp/]
[限定早割]
★一週間限定! 特別先行早割チケットを発売!!
¥5,500 ドリンク代別途 [受付期間:1/27~2/2]←枚数限定!
※『特別先行早割お申し込み方法』→タイトルを「4/29 サンダーキャット早割希望」
としていただいて、お名前と枚数を明記して 宛てでメールして下さい。
※枚数限定のため、キャンセルは不可となっております。何卒ご了承下さい。
INFO: 京都 METRO 075-752-4765 https://www.metro.ne.jp
Supported by α-STATION 京都FM

【大阪】
2017.4.30 (日) Conpass

OPEN 18:00 / START 19:00
前売 ¥6,000 (税込 / ドリンク代別途) ※未就学児入場不可


------------------------------------

サンダーキャット待望の3rdアルバム『Drunk』は、2月24日(金)に世界同時リリース。国内盤にはマック・ミラー参加のボーナストラックを含め、計24曲が収録され、歌詞対訳と解説書が封入される。初回限定生産盤はスリーヴケース付。iTunesでアルバムを予約すると、公開された“Show You The Way (feat. Michael McDonald & Kenny Loggins)”がいちはやくダウンロードできる。

label: Brainfeeder / Beat Records
artist: Thundercat ― サンダーキャット
title: Drunk ― ドランク

cat no.: BRC-542
release date: 2017/02/24 FRI ON SALE
初回限定生産盤:スリーヴケース付き
国内盤CD:ボーナストラック追加収録/解説書/英詞・歌詞対訳封入
定価:¥2,200+税

Rob Smith & KURANAKA - ele-king

 モア・ロッカーズの『Dub Plate Selection Volume 1』はいまでもポップ・ミュージックの歴史にその名を残す名盤である。「ドラムンベースって何?」と訊かれたら、これを薦めておけば間違いない。その後スミス&マイティを経て、いまはRSD名義でブリストル・サウンドを更新し続けているロブ・スミスが来日する。
 彼を迎え撃つのは、日本のアンダーグラウンド・シーンを支えてきた異才クラナカと、今年で21年を迎えるロングラン・パーティ「Zettai-Mu」。1月21日の公演@梅田NOONにはD.J.Fulltono が、1月27日の公演@渋谷CIRCUSにはGOTH-TRADが出演することも決まっている。詳細は以下を。

日本中の真の新の進の震の深の神の心のミュージック・ラヴァー&ベース・ジャンキーたちがしんしんと集結する、日本唯一のロングラン・パーティ〈ZETTAI-MU〉。コアとなる点はブレることなく、音楽や文化が進化・成熟するたびに、ZETTAI-MUもアップデートを繰り返してきた。時代は移り変わろうとも、常にその最前線・最深部に存在し続けているパーティであり、国内外問わず、数々のレジェントを迎え、幾度となく最高の夜を(至福の朝を!)演出してきたパーティ。内臓が震えているのがわかるほどの重低音と、血湧き肉踊るリズム、生き方すら変えてしまうほどの強靭なメッセージ、そして“集まる”という大事さ。記憶に焼き付く、身体に染み付く、忘れえない体験がそこにはある。
昨年からのKURANAKA ASIA TOUR、China、Shanghai、Beijing、Sichuan、Philippines、Manila、Thailand、Taiwan、Vietnam & Japan行脚を経て、 22年目になる2017年スタートの、1/21 (SAT) @ NOON (Umeda. Osaka)、1/27 (FRI) @ Circus Tokyo (Shibuya ShinMinamiGuchi. Tokyo) は、Massive AttackやWILD BUNCHとともに、 数々のオリジナリティあふれる革新的な音楽を生み出し続ける世界の音楽の発信地ブリストル・ミュージックの代表格SMITH&MIGHTYより、Jungle、Drum&Bass、Dubstep、Abstract Beats etc. のトップ・クリエイター&DJとして世界中に広がるシーンのリヴィング・レジェンド! ROB SMITH a.k.a RSDが登壇!!

https://www.zettai-mu.net/news/1701/robsmith2017/

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

2017.1.21 (SAT) OSAKA
ZETTAI-MU UMEDA NOON Again!!

日本で唯一シカゴ・ハウスからゲットー・テック、ジュークまでを通眼する存在。日本にJuke / Footworkシーンを根付かせた伝道師。Mr Booty Tuneこと、D.J.Fulltono! FatKidOnFire (UK)、Encrypted Audio (UK) などから作品をリリース。2016年にはKarnageとの共作を自主リリースするなど精力的に活動する、岡山在住、気鋭のDUBSTEPプロデューサーDAYZERO!! 深化し続けるNOONの裏名物パーティ“depth”主催、ハード機材を駆使した即興性の高いLIVE MIXを展開するRhy-s! 京都を拠点に活動し、UK TrapシーンのホープHUCCIを擁する「VEYRON ARCHE」に所属。着実に世界との扉を開く新鋭プロデューサーMADKO$MO$! 「ハードヒットレゲエ」を謳うパンクでダビーな音とレベルなルーツロックでジャンルを越えた夜をハードにヒットする。3ピースレゲエダブバンド、バンヤローズ! 日本の大衆文化/サブカルチャーを源に独自の視点で多角的な表現を試みるペインターBAKIBAKI (DOPPEL) によるDJ名義VakiX2! from ATTACK THA MOON中LAのライヴペイントに、BUGPARTY主催、NAGAやCOTYLEDON SOUND SYSTEMの2SHANTI、101、yuki pacificといった関西各地の面々も勢揃い!

:: LINE UP ::
ROB SMITH a.k.a RSD (SMITH&MIGHTY / UK.BRISTOL)
KURANAKA a.k.a 1945 (Zettai-Mu, Outlook jp)
D.J.Fulltono (Booty Tune/Somethinn)
Dayzero (FatKidOnFire / Encrypted Audio)
バンヤローズ
Rhy-s (depth/NOON)
MADKO$MO$ (Veyron Arche / #MADWANT )
VakiX2 a.k.a BAKIBAKI (Doppel / ARHBK)
NAGA (BUGPUMP)
2SHANTI (COTYLEDON SOUND SYSTEM)
101 (DIRT)
yuki pacific
and more...!!!
:: LIVE PAINT ::
中LA (ATTACK THA MOON)

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

2017.1.27 (FRI) TOKYO
ZETTAI-MU

2016年には待望の新作アルバム『PSIONICS』をリリース! UK London MALA (Digital Mystikz) 率いる DEEP MEDi MUSIK所属、世界中で活躍し最も尊敬を集める日本人プロデューサーGoth-Trad!! 初ソロ名義アルバム『The Ja-ge George』をリリースした、東京発世界発信のレーベル/プロダクション「PART2STYLE」の看板アーティスト、オリジナル異型ラガマフィン・ディージェイ、Jage-GeorgeがMAL (PART2STYLE SOUND)とのセットで登場!! 90年代より東京のDrum&Bass / Jungleシーンを牽引するSoi productions DX with Osamu G.Gに加えて、DJ DON! そして新宿Duusraaのサポートによる2nd FloorにはThe Chopstick KillahzよりMars89、Min、HALU、maidable、SYNDROME、Ampsなどの若手も勢揃い!
Bass & Beats Music JunkiesにはマストなまさしくConcrete jungle Music Night!

:: 1st Floor ::
ROB SMITH a.k.a RSD (SMITH&MIGHTY / UK.BRISTOL)
KURANAKA a.k.a 1945 (Zettai-Mu, Outlook jp)
GOTH-TRAD (Deep Medi Musik.UK / Back To Chill.JP)
Ja-ge George + MAL from PART2STYLE
Soi Productions (DX&OSAM "GREEN GIANT")
DJ DON (新宿ドゥースラー)
and more...!!!

:: 2nd Floor ::
Mars89 (The Chopstick Killahz / 南蛮渡来)
Min (The Chopstick Killahz / 南蛮渡来)
HALU
maidable (Shoot Recordings / Rubik Records)
SYNDROME (SKETCH UP! Recordings)
Amps (Weekend Shuffle/TREKKIE TRAX)
and more...!!!

 

△▼△▼△▼△▼ PROFILE and ... △▼△▼△▼△▼

ROB SMITH a.k.a RSD
(Smith & Mighty / More Rockes / Tectonic / Punch Drunk / Black Box / Moonshine / Zettai-Mu from Bristol. UK)

Massive AttackやWILD BUNCHとともに、数々のオリジナリティあふれる革新的な音楽を生み出し続ける世界の音楽の発信地、ブリストル・ミュージックのレジェンド、スミス&マイティ "ROB SMITH a.k.a RSD"!! 80年代前半より、レゲエ・バンドのレストリクションで活動を開始。その後、レイ・マイティとともに、ブリストル・ミュージックの代表格として君臨するスミス&マイティとしての活動をはじめ、マッシヴ・アタックのファースト・シングルをプロデュース。そしてバカラックの古典をブリストル流に解釈した「エニィワン」の大ヒットによって、マッシヴ・アタックと並ぶブリストルの顔としてメディアに大々的に取り上げられるようになる。これまでに「ベース・イズ・マターナル」「ビッグ・ワールド・スモール・ワールド」「ライ フ・イズ…」、2003年には初のベスト・アルバム「フロム・ベース・トゥ・ヴァイブレーション」を発表。また、ロブは、初期のマッシヴ・アタックにも参加していたピーターDとのドラムンベース・ユニット“モア・ロッカーズ”での活動も精力的におこなっており、2004年にはアルバム『セレクション3- トライド・アンド・テスティド』をリリース。DJ-Kicksより『Smith & Mighty』、ソロ・アルバム『アップ・オン・ザ・ダウンズ』を発表。09年には、ブリストルの〈パンチ・ドランク・レコード〉の記念すべき1枚目のアルバムとして『グッドエナジー』をリリースする。2009年スミス&マイティとして【METAMORPHOSE】に来日。現在進行形のブリストル・ミュージックで多くの日本のクラウドを沸かせた。そして、2011年には、ZETTAI-MUよりニュー・アルバム『GO IN A GOODWAY』をリリース、同年3月の "SMITH&MIGHTY" 公演は震災の影響により中止になったが、急遽DOMMUNEによる【WE PRAY FOR JAPAN】に出演、日本中を音楽の力で勇気づけた。近年はスミス&マイティの進化版とも言えるダブステップ名義 "RSD" で数々の傑作を生み出し【GRASTONBERY FESTIVAL】【OUTLOOK FESTIVAL】【Deep Space NYC】などオーディエンスを魅了しつづけている。2014年には、"Rebel Sound (Chase & Status + Rage, David Rodigan, Shy FX)" など世界中で話題になった【Red Bull Music Academy - Red Bull Culture Clash】Bristol大会において (Rsd + Pinch + SGT Pokes + Joker + Jakes + Chef + Riko Dan) "Subloaded Sound force" として、Winnerに輝いたのも記憶に新しい。レゲエ~ダブ~ジャングル~ドラムンベース~ダブステップのトップ・クリエーター/トップDJとして世界中に広がるこのシーンのリヴィング・レジェンド! 正真正銘、最新最核の現在進行形のブリストルサウンド!

========================

KURANAKA a.k.a 1945
(Zettai-Mu, Japan)

11の顔と1000の腕を駆使し日本中のアンダーグラウンドから革命の狼煙を上げ続ける絶滅危惧種の野生の日本人。開放的な上物と相まって叩き打つリズム、体中を行き来する超重量級ベース、フロアを狂喜乱舞させる獣の様なダブ・エフェクト!! 20年以上にわたって日本のダンス・クラブ・シーンの最前線で活動する。Dub、Jungle、Drum & Bass、Dubstepと呼ばれるUK Sound systemミュージック、そして日本のDeepサイド・ミュージックのパイオニア。
今年で21年を迎える日本唯一のロングラン・パーティ「Zettai-Mu」(大阪Bay Side Jenny、梅田Noon、難波Rockets、新宿/恵比寿Liquidroom、代官山Unit、Yellow、Eleven、代官山AIR、渋谷Asiaなど)をはじめ、近年盛り上がりを見せるBass music partyの最高峰「Outlook Festival Japan」そして13年にはAsia初となる「Sonar Music Festival」の国外サテライト・イベント「A Taste of SONAR」の主催者でもある彼は日本初の野外フェスティヴァル・レイヴ「Rainbow 2000」をはじめ、3度の「FUJI ROCK FESTIVAL」「朝霧JAM」「METAMORPHOSE」「Outlook Festival」「Saturn」「Earth Dance」「明宝 Reggae Festa」「渚音楽祭」「舞音楽祭」といった屋内外のフェスティヴァルにヘッドライナーとして出演。シーンの草分け「Drum & Bass Sessions」や 東京アンダーグラウンド・ビーツ最前線「Tight」などのレジテンツ、和太鼓チームとのコラボレーション、DRY & HEAVYのヴォーカルAO INOUEをフィーチャリングしたステージや、REBEL FAMILIA / DRY & HEAVYのベーシストAkimoto "Heavy" Takeshi、BOREDOMSのE-DA、アコーディオン奏者COBAとのセッション、古くはディジュリドゥ奏者GOMAをフィーチャリングして「Rainbow 2000」「FUJI ROCK FESTIVAL」「METAMORPHOSE」といったフェスティヴァルに出演、近年は日本のレゲエ・オリジネーターMUTE BEATのリーダー、こだま和文とのライヴ・セットでの活動や、Shing02との同期コンビでふたつの国際芸術祭(2014年ヨコハマトリエンナーレ、2015年KYOTO PARASOPHIA)1年にわたり繰り広げられたステージを飛び出し観客と深化させる問題作『日本国憲法』がリリースされるなどジャンルや時代の垣根を越え様々なシーンの最前線で活動する。「海底2万マイル ZETTAI-MU 丸腰でトライするエンタープライズ ゼロ足しても掛けてもゼロ」THA BLUE HERBのBOSS THE MCが歌っているように、シーンを底の底で牽引する日本のSUB CULTURE界のラスボス。
20年以上もの間、年間100本近いギグをおこない、これまでに日本・アジア・UK・ヨーロッパなど40回以上のツアー行脚を行っている彼は、LEE PERRYの来日ツアーをはじめ、JAH SHAKA、LKJ、DENNIS BOVELL、ADRIAN SHERWOOD、ABA SHANTIといったRoots Reggae / Dubの来日公演から、世界最大のサウンドクラッシュ「Red Bull Culture Clash」においてGrand Winnerに輝いたRebel SoundのSHY FXをはじめ、CONGO NATTY、RONI SIZE REPRAZENT、ANDY C、DEGO、The BUG、MALA (DMZ)などのJungle / Drum and Bass / Dubstepのアクト、グラミー賞5冠制覇のDAFTPUNKの初来日、UnderworldのDERREN EMERSON、近年にはJAMES BLAKEの初来日公演のACTも務める。またカリフォルニアのFLYING LOTUS、NY・ブルックリンの COMPANY FLOW、AESOP ROCK、NINJA TUNEといったHipHop / Beats系、国内では「HAPPERS ALL STARS (Audio Active. Dry & Heavy. Tha Blue herb. 1945)」での全国ツアーや、BOREDOMSのツアー、THA BLUE HERB、REBEL FAMILIA (GOTH-TRAD + HEAVY)、OKI DUB AINU BAND、O.N.O、QUIETSTORMなどとツアーをおこなっている。
初期のリリースはMOUという名義で (w/ NHK Koyxen) ドイツの名門〈MILLE PLATEAUX (ミルプラトー) 〉よりABSTRACT HIPHOPの先駆け『ELECTLIC LADY LAND』などにDJ SPOOKYやDJ VADIM、TECHNO ANIMAL (THE BUG) などと並びクレジットされている。またコンピレーション『響現』や〈CISCO Records〉よりDRY & HEAVYのベーシストAKIMOTO "HEAVY" TAKESHIをフィーチャリングした楽曲をリリースしている。1945名義では『TIGHT』シリーズのMIXを〈煙突レコーディングス〉よりリリース。リミキサーとしてもAudio ActiveのRemixを〈On-u sound〉よりリリース。REBEL FAMILIA、ORIGINAL LOVEなどの作品を解体~再構築し、ロンドンICAなどでのコンテンポラリー・アート・ショウや、アメリカはネバダ州Burning Manでのプロジェクトに楽曲を提供するなど活動は多岐にわたる。そしてJungle~D'N'B黎明期の片仮名「クラナカ」という名義ももちろん彼であり、世界中で愛用されているKORG「KAOSS PAD」Delay + Reverbe + Sirenが、彼のプレイからヒントを得て開発されたことはあまり知られていない。
強力なビートに乗るメッセージは、そのしっかり踏みしめた両足にのみ伝わる。繊細だが力強く感じ取れる「今まで」「今」そして「これから」へ、貴方が必要とする瞬間、一人ではたどり着けない場所に向かって、現代の太鼓打ちは今日も何処かで大きくバチを振る。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268