「寺尾紗穂」と一致するもの

寺尾紗穂 - ele-king

 春先に寺尾紗穂の新作が出たとき、子どもたちは学校にかよえなくなっていたが、世界はまだこのような世界ではなかった。ひと月たち緊急事態宣言が発出し通りは森閑としたが、雨がちな夏も終わるころには人気ももどり、人々はあらたな暮らしの基準に心身ともに調律をあわせたかにみえるものの、またぞろ次の波のしのびよる気配がたかまる冬のはじめ、寺尾紗穂からまたしてもアルバムリリースの報せがとどいたのは、音楽をとりまく環境も深刻な影響をこうむった2020年においてにわかには信じがたい。
 『北へ向かう』と『わたしの好きなわらべうた2』——前者は3年ぶりのオリジナル作で、後者は伝承歌、伝統歌を編んだ4年前の同名作の続編にあたる。性格も、おそらく彼女のディスコグラフィでの位置づけもちがうこの2作はしかし生まれ来る場所をともにしているかにもみえる。もっとも寺尾紗穂の音楽はすべてそのようなものかもしれない。古くてあたらしく、現代的な意匠にむきあうのになつかしい。『わらべうた2』はカヴァー集だが、アンソロジーでもある、レコードであるばかりかフィールドワークであり、そこでみいだしたものを音楽という時制におきなおす野心的なこころみでもある。そのような主体のあり方をさして寺尾紗穂は「ソングキャッチャー」と述べるのだが、「歌をつかまえるひと」というこの語に私は彼女の歌にたいする能動的な姿勢と、野っ原の避雷針のような受動態が二重写しになった姿をみる。米国のローマックス父子やハリー・スミス、本邦では小泉文夫など、かつての歌の保存と伝承はそれを採取し記録するものの探究心と使命感に負うところ大だった。その一方で歌の採取に熱心だった作曲家のバルトーク・ベラの作風がハンガリーの国民楽派を基礎づけたように歌という不定型の素材を記録することはネイションの輪郭を確定する補助線でもあった。私たちはしばしば、音楽に基層のようなものがあるとして、文化、風土、習慣、歴史などの複合要素からなるそれは民俗ないし民族なる概念とわかちがたい。やがて正統性に昇華するそのような考えは国とか社会とかいった極大の視点にたたずとも、私のふだん暮らす組織や共同体内でも抑圧的にふるまうこともある。そこに家父長制をみてとることについては議論の余地もあろうが、つたえることは右から左へ流れ作業するのともちがう、歴史が偽史の含意をはらみかねない今日、それ自体がきわめて問題提起的な行為である。民謡や伝統芸能はいうまでもない。
 童歌はどうか。寺尾紗穂が童歌に興味をもつきっかけは彼女の生活の変化に由来したのは『わらべうた1』のレヴューでものべた。童歌の定義は一概にはいえないが、子守唄、遊び歌、数え歌などをふくみ、調子よく歌詞は多義的でときに不条理である。“かごめかごめ” や “はないちもんめ” も童歌だといえばイメージを結びやすいかもしれない。そう書いたとたんノスタルジックになってしまうのは童歌もまた先にのべた音楽の基層に位置するからだろうか。とはいえ世間と暮らしの波間に漂うばかりの俗謡である童歌は基層としてはいささかおぼつかない。だれかの口の端にのぼらなければひとは忘れ歌は歌いつがれない。逆をいえば歌うかぎりにおいて童歌は歌い手の数だけ変奏し遍在する。2作目をむかえた〈わらべうた〉シリーズでの寺尾紗穂の歩みからはそのようなメッセージがききとれる。前作は長岡や小千谷の “風の三郎~風の神様” にはじまり徳之島の “ねんねぐゎせ” まで、全国津々浦々の全16曲をおさめていた。2作目も曲数は同じ、ソングブックとしてのフォーマットをそろえている。特定の地域にかたよらず、列島を巡礼するような選曲のかまえも前作をひきつぐが『わらべうた2』は前作以上に多様性に富んでいる。とはいえ一聴して耳を惹くのはアイヌの鬼遊び唄 “タント シリ ピルカ(今日はお天気)”、沖縄は読谷の “耳切り坊主”、奄美の笠利の “なくないよ” など。ことばの響きのちがいでほかからうかびあがる。寺尾は3月の『北へ向かう』でも “安里屋ユンタ” をとりあげるなど、南西諸島の唄も積極的にとりあげる歌い手である。『北へ向かう』の “安里屋ユンタ” はその前に置いた福島原産の “やくらい行き” との対で、寓話的な語りの空間を創出するだけでなく海と山の二項対立を止揚するヴィジョン、森の樹々のなかの道をとおり海にぬけるかのごとき石牟礼道子的なヴィジョンを構造的に暗示する役割も担っていた。寺尾紗穂のCDを聴くのはアルバムという形態でしかあらわせない構想に耳を澄ますことでもある。その点は『わらべうた2』でも変わらない。もっとも構想の力点の置き方を書物になぞらえるなら、フィクションとドキュメンタリーほどのちがいはあり、後者となる『わらべうた2』ではまずもっておのおのの唄の歌唱と解釈が前に出てくる。私は奄美の産なので地元の歌にかぎっても、ヴァナキュラーなニュアンスをつかまえる彼女の避雷針が前作以上にみがかれているのがわかる。歌でいうコブシや琵琶などの弦楽器のサワリなど、譜面に記さずとも曲の決め手になる唱法、奏法はいくつもある。これらを身につけるのが正統的な系譜にのるかそるかの分かれ目ともいえる。私は音楽の価値は歴史や体系内の位置によるとも思わないので、正統性にこだわらないが、かといって破壊的だけなのも古めかしい。その点で『わらべうた2』は童歌という伝統的な題材を選びていねいによりそいながら、実験的なサウンドを対象に対置させる点であり、そのかねあいが作品全体にゆたかな多様性をもたらしている。
 『わらべうた2』は歌島昌智が吹くスロバキアの管楽器フラヤの音が印象的な “山の婆 山の婆” で幕をあける。歌島は『1』の冒頭でもフラヤを奏していたから、寺尾のなかにはこの2作を対として提示する意図があるのだろう。ただし『2』の2曲目の兵庫県川西市の子守唄 “うちのこの子は” は前作の “あの山で光るものは” (東松山市)の静けさとは対照的なはずむようなリズムでアルバムのグルーヴの基準をしめすかのような仕上がりとなっている。この曲のリズムセクションをつとめるのはやはり前作にも名を連ねた伊賀航とあだち麗三郎、ふたりに寺尾をあわせた三人がその後冬にわかれてとして活動をはじめたのはみなさんよくごぞんじである。三者の息の合い方はすでにひとかどのものだが、本作ではそれぞれのカラーを活かしながら、楽曲には音をつめこみすぎないよう配慮もゆきわたっている。アルバムはピアノトリオと民俗楽器が交互に登場する構成をとっているが、空間をたっぷりとったことで、指板にあたる弦の振動や打楽器の音がたちあがるさいの空気の震え、先述のことばをくりかえすと音楽のサワリまで掬いとる葛西敏彦の録音は見事というほかない。
“やんやん山形の” と読谷の “耳切り坊主” には冬にわかれてのスペクトルの幅とでもいうべきものを記録している。民俗楽器では岐阜の根尾村の “鳥になりたや” でやぶくみこが手にするグンデル、つづく “なるかならんか” で歌島がとりだすバラフォン、ボウラン、ティンシャ、ゴングなどなど、響きとリズムをかねるものが多い。使用楽器やアレンジは曲によるのだろうが、童歌にむきあう寺尾と演奏者の自由連想的な姿勢はときの風化にさらされた唄を現代によみがえらせるだけでなく、現行のジャズやポップスに拮抗する力をあたえ和的な意匠にとどまらない広がりももたらしている。
 寺尾紗穂がそれらの楽曲をひとつずつ、慈しむようにつみあげる先に『わらべうた2』は全貌をあらわしていく。ことに石巻の “こけしぼっこ”、北巨摩郡の “えぐえぐ節” ときて笠利の “なくないよ” で幕を引く終盤は白眉である。このような構成もまた『1』の延長線上だが『2』は色彩感においてはいくらかひかえめ。そのぶんグルーヴは漬物石のごとく重みを増し唄からは滋味がにじみだす。めざとい読者には “えぐえぐ節” の「えぐえぐ」とはなんぞやと首を傾げられた方もおられようが、これはじゃがいもはえぐいという悪口に由来するのである──という説明もまたぞろ混乱のもとかもしれないので真相をつきつめたい御仁には本作を手にとられるのをおすすめする。さすれば列島にあまたある童歌が土地土地の風土と歴史が育む厚みを有することをかならずやおわかりいただけるであろう。『わたしの好きなわらべうた2』の掉尾をかざる笠利の “なくないよ” に耳を傾けながら私はそのように確信するのだが、時代背景から女性と子どもが歌い手であり聴き手である子守唄の労働歌の側面に思いをいたせば、ありし日の彼らのたくましさやつましさに尽きない、暮らすことの多層性がうかびあがる。“なくないよ” では等々力政彦のイギルの助演を得て、寺尾紗穂は行間からそのようなものをよびさましている。これほどおおどかで透徹した視線の歌い手はそうはいない、ソングキャッチャーの面目躍如たるものがある。

世界文学の21世紀 - ele-king

「世界」の意味が変わりつつある時代の「世界文学」とは?

いま、文学の世界では何が起こっているのか。世界の中で文学はどんな位置にあるのか。

人気の翻訳者であり研究者であり教育者である著者が、ドラマや映画、音楽など異なるジャンルも絡めつつさまざまトピックから現代文学の潮流を紹介!

音楽、美術、ノンフィクション、建築、情報技術といった分野で活躍するゲストとの対談も掲載、現代文学の最先端との交点に迫ります。

目次

単純な脳への抵抗──まえがき

第1話 「ジュノとコンマリ」
第2話 韓流のアメリカ
第3話 韓国文学の恵み

対談「ヒップホップと反ロマン主義」(大和田俊之)

第4話 半沢と渋沢
第5話 前立腺の教え

対談「言葉と意味から離れて」(椹木野衣)

第6話 世界の狭間
第7話 温もりと尊敬
第8話 すべてのものに仏性あり

対談「ちゃんとしたことって窮屈ですよね」(寺尾紗穂)

第9話 みんな娘がほしいわ
第10話 家に蛇がいると幸せになる

対談「モダン、ポスト・モダン、そしてオルタナティヴ・モダン」(五十嵐太郎)

第11話 フランスお洒落帝国
第12話 アイス売りのおじさんとの再会

対談「身体という他者と共存する」(ドミニク・チェン)

第13話 聖霊とテクノロジー
第14話 空に書かれた名前

あとがき

都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年福岡生まれ。翻訳家、早稲田大学文学学術院教授。著書に『引き裂かれた世界の文学案内──境界から響く声たち』(大修館書店)、『「街小説」読みくらべ』『今を生きる人のための世界文学案内』(立東舎)、『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)、訳書にジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(共訳、新潮社)、『わたしの島をさがして』(汐文社)、チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、ジャクリーン・ウッドソン『みんなとちがうきみだけど』(汐文社)などがある。 読売新聞(2010-2011)、朝日新聞(2018-)書評委員。


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TERAO SAHO - ele-king

 清らかにして芯のある歌で多くの人びとに勇気を与えてきたシンガーソングライター、寺尾紗穂が3月4日にニュー・アルバムをリリースする。前作『たよりないもののために』(17)の後は、盟友・あだち麗三郎、伊賀航とのバンド=冬にわかれての一員としても活躍し、他方で文筆業にも精力的に取り組むなど、充実した創作をつづけてきた彼女だけれど、今度の新作『北へ向かう』はなんとキャリア最高傑作との触れ込みである。これは期待せずにはいられない。詳しくは下記をチェック!

現代に於いて最も真摯に「歌」の姿を追い求めて来たシンガー・ソングライター、寺尾紗穂によるキャリア最高傑作『北へ向かう』、3月4日リリース

今こそ、本当の「歌」が輝きを放つとき──。
現代に於いて最も真摯に「歌」の姿を追い求めて来たシンガー・ソングライター、寺尾紗穂によるキャリア最高傑作『北へ向かう』がここに完成。ともに「今」を歩みつづける音楽家たちと作り上げた、11の輝きと、それぞれの物語。

2007年のデビュー以来、真の「歌」の姿を紡ぐように、数々の名作の発表やコンサート活動を続けてきた、シンガー・ソングライター、寺尾紗穂。常に時代の先端にありながらこの世界の様々な人びとや物事に慈しみを注いできた彼女の活動は、今や老若男女の全世代から、そして国境を超えた数多くのリスナーからも厚い支持を受けるに至っている。その美声とともに全国各地をめぐる音楽家としての真摯な活躍の傍ら、多くの単著を持つ文筆家としても活動する彼女。その可憐にして凜とした存在感は、今まさに多くの人へ安らぎと勇気を与えていると言えよう。

近年では、自作曲の発表とあわせて各地のわらべうた/子守唄を発掘し、清廉なアレンジを施した上で現代に提示する、稀代の「ソング・キャッチャー」としても活躍するなど、その活動のフィールドをますます広げている。また、ソロ活動と並行して、盟友・あだち麗三郎、伊賀航とのトリオ・バンド「冬にわかれて」を結成。ライブ出演はもちろん、アルバムのリリースも敢行するなど、その創作の充実はとどまるところをしらない。

そんな中、2017年の前作『たよりないもののために』以来約3年ぶりとなるオリジナル・ソロ・アルバム『北へ向かう』を発表することとなった。まさに待望と言うべき本作は、これまでの寺尾紗穂の活動を集大成する傑作だと断言すべきであるとともに、2020年代における「歌」の姿とそのゆくえを鮮やかに提示するものだ。

ゲスト・ミュージシャンにはともに「今」を歩み続ける多彩な面々が集結し、寺尾紗穂の流麗な歌声とピアノ演奏に、華やぎと豊かな感情を注いでいる。寺尾の実父・寺尾次郎の逝去に際し書き上げた “北へ向かう” は、キセルによるふくよかな編曲と演奏を伴い、キャリアに燦然と輝く名曲の誕生を予感させる。また、あだち麗三郎と伊賀航という気の置けない二人を交えた、“心のままに”、“選択” の温かでいて鮮烈なグルーヴ。蓮沼執太による編曲の元、歌とオーケストレーションの新たなスタンダードを作り上げた “やくらい行き”。マヒトゥ・ザ・ピーポーのエモーショナルかつ繊細なギターが彩る “白虹”、“夕まぐれ”。U-zhaan によるメロディックなタブラが寄り添う “記憶”……。収められた全ての楽曲が、「今歌われるべき」という細やかな萌芽に満ちた、決定的アルバム作品がここに完成した。

「歌」は、聴くものによってその物語を紡ぎ出す。すべての人の胸に、このうつくしい歌がとどきますように。

《商品情報》
アーティスト:寺尾紗穂
タイトル:北へ向かう
レーベル:Pヴァイン
商品番号:PCD-27044
フォーマット:CD
価格:定価:¥2,700+税
発売日:2020年3月4日(水)

収録曲
01. 白虹
02. 北へ向かう
03. 一羽が二羽に
04. やくらい行き
05. 安里屋ユンタ
06. 君は私の友達
07. 選択
08. そらとうみ
09. 記憶
10. 心のままに
11. 夕まぐれ エレクトリックギターバージョン

参加ミュージシャン:あだち麗三郎(ドラム、パーカッション)、伊賀航(ベース)、池田若菜(フルート)、歌島昌智(民族楽器)、キセル(編曲、ギター、ベース、コーラス)、北山ゆうこ(ドラム、コーラス)、ゴンドウトモヒコ(ユーフォニアム、フリューゲルホルン)、千葉広樹(バイオリン)、蓮沼執太(編曲)、マヒトゥ・ザ・ピーポー(ギター)、U-zhaan(タブラ)

寺尾紗穂
1981年11月7日生まれ。東京出身。
大学時代に結成したバンド Thousands Birdies' Legs でボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム『御身』が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミリ」(安藤サクラ主演)の主題歌を担当した他、 CM、エッセイの分野でも活躍中。2009年よりビッグイシューサポートライブ「りんりんふぇす」を主催。2017年6月にアルバム『たよりないもののために』を発表、来る2020年3月、待望されていた最新作『北へ向かう』をリリースする。
坂口恭平バンドやあだち麗三郎、伊賀航と組んだ3ピースバンド冬にわかれてでも活動中。

著書に『評伝 川島芳子』(文春新書)『愛し、日々』(天然文庫)『原発労働者』(講談社現代文庫)『南洋と私』(リトルモア)『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』(集英社)『彗星の孤独』(スタンドブックス)があり、新聞、ウェブ、雑誌などでの連載を多数持つ。

2006年3月 1stミニアルバム『愛し、日々』発表。
2007年4月 メジャー第一弾となる2ndアルバム『御身onmi』発表。
2007年6月 1stシングル『さよならの歌』発表
2008年5月 3rdアルバム『風はびゅうびゅう』発表。
2009年4月 4thアルバム『愛の秘密』発表。
2010年6月 5thアルバム『残照』、2ndシングル『「放送禁止歌」』発表。
2012年6月 6thアルバム『青い夜のさよなら』発表。
2015年3月 7thアルバム『楕円の夢』発表。
2016年8月 『私の好きなわらべうた』発表。
2017年6月 8thアルバム『たよりないもののために』発表。
2020年3月 9thアルバム『北へ向かう』発表。

www.sahoterao.com

冬にわかれて - ele-king

 「シティポップ」のリヴァイヴァルが2012年ころから喧伝され、沢山のミュージシャンがその呼称に含まれることに違和感を表明しながらも、結果として「都市の音楽」としてのシティポップを磨きあっていた頃から、寺尾紗穂はそのような時流などどこ吹く風といった風情で、軽やかにピアノを弾きながら自分の歌を歌っていた。そしてそれは、本来的な意味におけるシティポップの美しさ(都市に生き、考え、人を眼指す音楽の美しさ)が、彼女が血肉としてきた音楽と、今を見つめる視点によって、とてもみずみずしい形で息づいているものでもあった。
 しかし彼女にとって、きっと自分の音楽がどんな呼称で評されるか、そんなことはどうだっていいだろう。私はそれがとても嬉しかった。今、音楽を音楽のままだけにしておけるというのは、とっても稀有な才能だから。
 だから、アルバム『楕円の夢』で寺尾紗穂という稀代のシンガーソングライターとともに仕事をする機会を得た私は、彼女の音楽にある何者にも冒し難い清廉を、いかにしてそれが清廉であるまま人々の耳にとどけるかに努めた。早いもので、それから3年半が経った。『楕円の夢』の日々は、音楽制作者としての私の人生において、最も美しい時間でありつづけている。

 「冬にわかれて」は、寺尾紗穂と、これまでも彼女のソロ活動を支えてきたあだち麗三郎、伊賀航というふたりのミュージシャンによる「バンド」である。
 コミュニティの生まれる最小単位である3人というトライアングル、その形態を慈しむように、彼らはそれをバンドと呼んだ。シンガーソングライターとそのサポート・ミュージシャンというにはあまりに有機的な音楽表現主体になっていたこの3人の関係を素直に発展させたとき、自然とバンドという見えない紐帯が浮かび上がってきたのだろう。

 今作『なんにもいらない』は、そんな3人の間に流れる空気をそのままに閉じ込めたようなデビュー・アルバムだ。
 昨年 7 inch でリリースされたシングル“耳をすまして”を始め、寺尾作の曲では、歌と演奏の相関はより密接となった。あだちのドラムスは、寺尾のピアノにも増して全体を包み込むように駆動していく。ときに響く彼のサックスも、アレンジという枠を超えて、鮮やかな肉感を楽曲に与えていく。盤石であり、ときにトリッキーな伊賀のベース・プレイは、サポート・プレイの際の寺尾に付き従うような奥ゆかしさをかなぐり捨て、バンドとしての「合奏」を大胆に形作る。そして、彼らふたりによって提供された“君の街”と“白い丘”(伊賀作)、“冬にわかれて”(あだち作)では、寺尾紗穂の記名的歌声がこれまでと違った旋律、違ったリズムに乗ることで、バンド作品でしか生まれえない好ましい異化作用とでもいうべきものが引き出されている。特に、伊賀がギター演奏を披露する“白い丘”の新鮮さはどうだろう。ゲスト参加の池田若菜による流麗なフルートを交えた、あのカエターノ・ヴェローゾにも通じるようなエヴァーグリーンな和声感覚を湛えたこの曲は、緊張感あるメロディーを寺尾が切々と歌うことによって、小品ながらまったくもって素晴らしい楽曲となっている。

 そしてもちろん特筆すべきは、寺尾作の各曲の充実ぶりだ。モータウン・ビートを大胆に取り入れた躍動的な“月夜の晩に”は、珍しくコーラスも交え、清涼感溢れるシティ・ソウル。アブストラクトな演奏がかえって詩情を引き寄せる“なんにもいらない”と、暖色のフォーキーとも言うべき“優しさの毛布でわたしは眠る”の豊かさ。「君が誰でもいいんだよ ただ今伝えたいことは プリンの美味しいあの店の場所と それがどれほど美味しいか」というチャーミングな一節が、日常を生きる私とあなたの背中を優しく押してくれるような、終曲“君が誰でも”の零れるようなポップネス。そのどれもが、彼女がかつて私に「普通に生きていると歌が生まれてくるんですよ」と笑いながら語ってくれた通り、生活者としての寺尾紗穂の視線にしっかりと貫かれている。そういった意味で、各曲の詩作は、そのどれもがとても「今」であり、その「今」の匂いが聴くものの胸を温めたり、ときにはハッとさせる。

 音楽が音楽そのままでいるということ。「冬にわかれて」の3人は、そんな、貴くてこわれやすいことを得意とする、不思議な人たちだ。私たちも、届けられた音楽がこわれないように、大切にこの作品を聴き継いでいきたい。
 私たちが耳をすませば、この音楽は、音楽そのままの形のままでずっと、私たちに寄り添ってくれるだろう。

Yuta Orisaka - ele-king

 10月3日にアルバム『平成』をリリースする折坂悠太(おりさかゆうた)、スケールのでかい新人──とはいってもここ数年アンダーグラウンドで活動している──だ。バンド・アンサンブルによるみごとな音楽性は、ラテン、アフロ、ジャズ、ヒップホップなどあらゆるスタイルを飲み込んで(いわゆるグローバル・ビートだ)、それは折坂悠太の「うた」と調和し、まるであたたかい海のように広がる。つまり人生には意味があり、それは冒険であるという、意気揚々とした感じがとても良い。

坂道を駆け下りる
この体に開かれた
世界を置き去りに
鳥のように駆け下りる
“坂道”

 本人はフランク・オーシャンにそうとう入れ込んでいるようだが、その影響は今作『平成』には見られない。むしろ、サンズ・オブ・ケメットめいたアフロ・ジャズからの影響があったりして、しかもそれがいかにも「アフロやりました」的な嫌らしさがないというか、自分たちのモノにしている。

 この度、アルバムの表題曲“平成”のミュージックビデオが公開となった。バンドの演奏に名古屋のトラックメイカー、RAMZAが手を加えた楽曲で、映像監督は寺尾紗穂やバレーボウイズなど手掛ける玉田伸太郎。

 ま、とにかく、名前は覚えておいてソンはない!

 なお、今回のリリースに伴い、全国6都市のタワーレコード店舗(名古屋パルコ店、梅田NU茶屋町店、新宿店、福岡パルコ店、広島店、仙台パルコ店)でのインストアライブが決定。

【リリース情報】

アーティスト:折坂悠太
タイトル:平成
リリース:2018年10月3日
定価:2500円+税
品番:ORSK-005

1. 坂道
2. 逢引
3. 平成
4. 揺れる
5. 旋毛からつま先
6. みーちゃん
7. 丑の刻ごうごう
8. 夜学
9. take 13
10. さびしさ
11. 光


【インストアライヴ情報】

全国6ヶ所の下記店舗にて観覧フリーの弾き語りライブ+サイン会を行います。

10/25(木)20:00~ TOWER RECORDS 梅田NU茶屋町店(6Fイベントスペース)
10/27(土)15:00~ TOWER RECORDS 名古屋パルコ店
11/2(金)21:00~ TOWER RECORDS 新宿店(7Fイベントスペース)
11/4(日)12:00~ TOWER RECORDS 福岡パルコ店
11/4(日)18:00~ TOWER RECORDS 広島店
11/16(金)19:00~ TOWER RECORDS 仙台パルコ店

ご予約者優先で対象店舗にて、2018年10月3日発売 折坂悠太「平成」(ORSK-005)をご購入頂いたお客様に先着でサイン会参加券を配布致します。イベント当日、サイン会参加券をお持ちのお客様は、弾き語りライブ終了後のサイン会にご参加いただけます。サイン会は商品にサインをさせていただきますので、当日、商品を忘れずにお持ち下さい。

【ライヴ情報】

折坂悠太 “平成” Release Tour

名古屋 11/22(木) 名古屋Live & Lounge Vio
open 18:30 / start 19:30 \3,000(前売り/1ドリンク別)
#052-936-6041(JAIL HOUSE)

大阪 11/24(土) 心斎橋CONPASS
open18:00/ start 19:00 ¥3,000(前売/1ドリンク別)
#06-6535-5569 (SMASH WEST)

東京12/2(日) SHIBUYA WWW
open18:00/ start 19:00 ¥3,300(前売/1ドリンク別)
#03-3444-6751 (SMASH)

※各公演ワンマン、特別ゲストあり


■一般販売
チケット発売中
名古屋: ぴあ(P:126-568)・e+(pre:8/24-27) ・ローソン(L:42980)
大阪: ぴあ(P:125-915)・e+(pre:8/22-26) ・ローソン(L:55628)
東京: ぴあ(P:125-936)・e+(pre:8/22-26) ・ローソン(L:71310)

お問合わせ:
SMASH:03-3444-6751 smash-jpn.com ,smash-mobile.com
JAILHOUSE:052-936-6041 jailhouse.jp

寺尾紗穂 - ele-king

 たとえば出稼ぎにやってきた外国人労働者を描いた“アジアの汗”、愛や他人への無知や無力を歌い上げ、それが原発作業員の労働環境へと接続される“私は知らない”。寺尾紗穂は、こうした世界に黙殺される小さな声に耳を傾け続けている人だ。彼女はそれをビッグ・イシューのサポートによるフェス「りんりんふぇす」の主催や、ノンフィクション・エッセイの執筆など、多角的に、かつ継続して行ってきた。

 特にここ数年の寺尾は音楽と並行して精力的に執筆活動をこなしており、近年の著作は3冊。2015年には原発作業員への聞き取り調査をもとに構成された『原発労働者』と、長い歳月をかけて南洋をめぐりながら戦争の痕跡を書き留めた『南洋と私』の2冊。そして今年の8月には、パラオを訪れ、日本の植民地下だった1920年代のこの島国の当時を知る老人たちに話を聞きながら探っていく『あのころのパラオをさがして』を上梓した。連載をまとめたものもあるとはいえ、かなりのハイペースだ。そしてどれもいわゆるアーティストが自身の感性を頼りに書いたようなタイプの本ではなく、「シンガー・ソングライター」という肩書きからは切り離されて存在している。寺尾自身がそういった肩書きを特に標榜していないので、こうした観点がそもそも野暮かもしれないが、それでも「自分はどういう人なのか」を決めず、ひとつを選ばない寺尾のスタンスは、その活動を考える上で重要な視点になるのではないかと思う。

 前作『楕円の夢』もそうだった。第二次世界大戦中・戦後に活躍した評論家、花田清輝の『楕円幻想』にインスパイアされてできたというこの作品で、彼女は楕円というモチーフを「1や「真実」を否定するもの」と話している

 円には中心がひとつしかないが、楕円には中心となる焦点がふたつある。花田は他を無視してひとつの中心だけを見て円を描くのではなく、ふたつの点を焦点に楕円を描くことが、矛盾しながらも調和した社会に必要だと暗示した。寺尾はその「楕円」を多様性の象徴としてアルバムのテーマに据え、路上生活者をメンバーに擁する舞踏グループ「ソケリッサ!」のMV起用やツアーでの共演を行い、その存在を表舞台に引っ張り上げた。

 昨年発表された『わたしの好きなわらべうた』も、各地のわらべうたをリアレンジして、忘れ去られようとしているわらべうたの中に残る人びとの暮らしの跡をすくい上げようとしたものだった。これもまた過去のものを過去のものと決めつけず、そこに息づく手触りの確かさを信じた試みだったといえる。

 一方で、こうした活動は彼女を通好みの存在にしてしまっている側面もあるかもしれない。たとえば前作“楕円の夢”のMVを見て、ごく普通のおじさんが街中でゆらゆらと舞踏を踊る姿に、戸惑いを覚えた人もいるだろう。コンセプチュアルな『わたしの好きなわらべうた』に、食指が動かなかった人もいるかもしれない。熱心な原発や外国人労働者についての活動も、聞く人に選択を迫る。その真面目な姿勢は、近年の彼女を絶賛する声を増やす一方で、間口を狭くしてしまっていた。

 活動初期の彼女にはこうした社会派ともとれる表現は少なく、時にエキセントリックながら情熱的な恋愛模様を歌い上げるシンガー・ソングライターだった。もっと個人的で、内省的に歌を歌ってきた人だ。しかしながらその個人的な考えが社会的なメッセージ性を身にまとった時にこそ、寺尾の歌はより強く輝いた。“アジアの汗”や“私は知らない”が聴く人の胸を打つのは、寺尾が何かを告発するようにではなく、ただ自分にはこう見えている、というような純粋さで歌うからだ。その視点に異物感を覚える時、私たちは自分たちの暮らしがどれだけいびつに歪められているかを思い知る。しかし近年の彼女の活動は、そうした純粋な視点が見えにくくなっていたところがあった。それは寺尾自身が変わったというよりは、扱われ方の問題でもあると思うのだけど。

 その寺尾が2年ぶりに発表したオリジナル・アルバムのタイトルは『たよりないもののために』。いかにものように思えるタイトルだが、今作には直接的に労働者や路上生活者など「小さな声」の主は登場しない。その代わり、これまで以上に普遍的な強度を持ったポップ・ソングが、寺尾らしい凜とした佇まいで並んでいる。

 様々なミュージシャンと共演して楽曲を深化させる方法はこれまで通り。蓮沼執太やゴンドウトモヒコ、柴田聡子、マヒトゥ・ザ・ピーポーなどが名を連ね、アルバムに彩りを添えている。中でも変化を感じるのはオープニングを飾るナンバー“幼い二人”だ。これまでの寺尾の作品では、自身の音楽性を印象づけるようにピアノと歌が前面に出ている曲がオープニングに選ばれていたが、この曲はあだち麗三郎のドラムと伊賀航のベースが刻む素朴なリズムで幕を開ける。さらに、寺尾がピアノではなくエレクトリック・ピアノのウーリッツァーを弾いているのも特徴。エレクトリック・ピアノは前作『楕円の夢』でも何曲か使われているが、オープニングに配置されたことで、これまで寺尾のアルバムを聴いてきた人は新鮮に感じたのではないだろうか。新たに公開されたMVでは新バンド・冬にわかれてを寺尾と結成したことがアナウンスされたあだち麗三郎、伊賀航との3人での演奏がフィーチャーされており、洗練された映像からは寺尾の新たな一面を見ることができる。他にも疾走感のあるポップ・ソング“雲は夏”や、尾崎翠の歌詞に曲をつけた郷愁を誘うメロディの“新秋名果”など、ピアノと歌というアイデンティティを大切にしつつ、様々なアプローチが試みられている。賑やかというのではないが、明るく、生命力に満ちた1枚になっている。それは大森克己が手がけた鮮やかな草花のジャケットが示す通りだ。

 しかし、寺尾は小さな声に耳を傾けるのをやめたわけではない。タイトル・トラックの切実さはやはりどこか、そうした存在を想起させる。今作で社会的な事柄は具体的に描かれてはいないが、それは意図的というより、必ず登場させようと意気込んでいるわけではないということなのだろう。このことからは、路上の生活にも都市の恋愛にも同じように情熱を傾ける彼女の姿勢が浮かび上がる。その結果、『たよりないもののために』は聴き手に開かれた作品になった。

 たよりないもののために
 人は何度も夢を見る
 ぼろぼろになりながら
 美しいものを生む
“たよりないもののために”

 今作の英題は「For the Innocent」。“たよりないもの”の訳語に“イノセント”を持ってきたところに寺尾の現代社会へのスタンスがあらわれているが、とても多様性のある表現だと思う。たよりなくて、イノセントなもの。それは信念だったり、誰かの未来だったり、まったく別の何かであったりするだろう。前作のモチーフになった「楕円」よりさらに曖昧で、しかし誰もが何かを思い浮かべるもの。

 “たよりないもの”は、誰の日常にも息づいている。私にも、あなたにも、路上生活者のおじさんにも。ゆるやかに束ねられて気づく普遍。寺尾が放つ美しい最大公約数の言葉は、多様な生に向けられる眼差しを塗り変えていく。

寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー - ele-king

 寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー、さらに前野健太。なにが起こるんでしょうか。
先日、マヒトゥ・ザ・ピーポーがギターで参加した、寺尾紗穂の“たよりないもののために”がYoutubeで公開されましたが、みなさんもう聴きました? その言葉と音響に浸ることができたひとたちに、以下のイベントを紹介します。まだ聴いていないひとたちは、ヴィデオを観てみてください。

 寺尾紗穂は6/21に最新アルバム『たよりないもののために』を、そして6/28にはマヒトゥが2ndアルバム『w/ave』をリリースします。6月27日はなにが起こるんでしょうか。詳細は以下にまとめたので、お見逃しなく。

■にじのほし9『月の秘密Prime』

出演:寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー/前野健太
日程:2017年6月27日(火)
会場:渋谷WWW(東京都渋谷区宇田川町13-17ライズビル地下/TEL:03-5458-7685)
時間:19:00開場/19:30開演
料金:前売券¥3500+1d/当日券¥4000+1d
※ 一部座席有り/整理番号順入場


■寺尾紗穂
1981年11月7日東京生まれ。
2007年ピアノ弾き語りによるアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミリ」、中村真夕監督作品「ナオトひとりっきり」など主題歌の提供も多い。2015年アルバム「楕円の夢」を発表。路上生活経験者による舞踏グループ、ソケリッサとの全国13箇所をまわる「楕円の夢ツアー」を行う他、2010年より毎年青山梅窓院にてビッグイシューを応援する音楽イベント「りんりんふぇす」を主催。昨年リリースの最新アルバム「私の好きなわらべうた」では、日本各地で消えつつあるわらべうたの名曲を発掘、独自のアレンジを試みて、「ミュージックマガジン」誌の「ニッポンの新しいローカル・ミュージック」に選出されるなど注目された。
みちのおくの芸術祭「山形ビエンナーレ」での絵本作家荒井良二とのコラボ、金沢21世紀美術館企画「AIR21:カナザワ・フリンジ」でのソケリッサとの共演など、演奏の場もライブハウスを超えて広がりつつある。
活動はCM音楽制作(ドコモ、無印良品など多数)やナレーション、書評、エッセイやルポなど多岐にわたり、著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)、「原発労働者」(講談社現代新書)、戦前のサイパンに暮らした人々に取材した「南洋と私」(リトルモア)。8月に集英社より「あのころのパラオをさがして」を発売予定。平凡社ウェブにて「山姥のいるところ」、本の雑誌ウェブで「私の好きなわらべうた」を連載中。その他資生堂の広報誌「花椿」、高知新聞、北海道新聞でも連載を持つ。6月21日最新アルバム「たよりないもののために」と伊賀航、あだち麗三郎と結成したバンド「冬にわかれて」の7インチを同時発売。
https://www.sahoterao.com/


■マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。
2011年沈黙の次に美しい日々をリリース。HEADSの佐々木敦の年間ベスト10のデイスクに選出され、全国流通前にして「ele-king」誌などをはじめ各所でソロアーティストとしてインタビューが掲載されるなど注目が集まる。
2014年、kitiより2ndアルバムPOPCOCOON発売。
2014年には青葉市子とのユニットNUUAMMを結成し、アルバムを発売する。
2015年にはpeepowという別名義でラップアルバム Delete CIPYをK-BOMBらと共に制
作、BLACK SMOKER recordsにてリリース。
2016年には今泉力弥監督の映画の劇伴やCMの音楽などを手がける。
また音楽以外の分野では中国の写真家REN HANGのモデルや国内外のアーティストを自
身の主催レーベル、十三月の甲虫でリリース、
野外フェスである全感覚祭を主催したり、近年は仲間とweb magazine PYOUTHを始
動。ボーダーをまたいだ自由なスタンスで活動している。
2017年 6/28にNUUAMMの2nd album「w/ave」を十三月の甲虫より発売。
https://mahitothepeople.com/


■前野健太
シンガーソングライター。俳優。
1979年埼玉県生まれ。
2007年、自ら立ち上げたレーベル"romance records"より『ロマンスカー』をリリースしデビュー。
2009年、全パートをひとりで演奏、多重録音したアルバム『さみしいだけ』をリリース。2009年元日に東京・吉祥寺の街中で74分1シーン1カットでゲリラ撮影された、ライブドキュメント映画『ライブテープ』(松江哲明監督)に主演。同作は、第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」で作品賞を受賞。
2010年、『新・人間万葉歌~阿久悠作詞』へ参加。桂銀淑(ケイ・ウンスク)「花のように鳥のように」のカバー音源を発表。
2011年、サードアルバム『ファックミー』をリリース。映画『トーキョードリフター』(松江哲明監督)に主演。同年、第14回みうらじゅん賞受賞。
2013年、ジム・オルークをプロデューサーに迎え『オレらは肉の歩く朝』、『ハッピーランチ』2枚のアルバムを発表。
2014年、ライブアルバム『LIVE with SOAPLANDERS 2013-2014』をリリース。文芸誌『すばる』にてエッセイの連載を開始。
2015年、雑誌『Number Do』に初の小説を発表。CDブック『今の時代がいちばんいいよ』をリリース。
2016年、『変態だ』(みうらじゅん原作/安齋肇監督)で初の劇映画主演。ラジオのレギュラー番組『前野健太のラジオ100年後』をスタート。
2017年、『コドモ発射プロジェクト「なむはむだはむ」』(共演:岩井秀人、森山未來)で初の舞台出演。初の単行本となる『百年後』を出版。
https://maenokenta.com/

寺尾紗穂 - ele-king

 『青い夜のさよなら』から昨年の『楕円の夢』までしばらくまがあいたので、ときをおかず新作が出ると聞いたときは意外だった。『楕円の夢』にせよ『青い夜のさよなら』にせよ、その前の『愛の秘密』もそうだったけれども、寺尾紗穂のアルバムは聴く者の身を切るような鋭さがある一方で身にしみるやさしがある。ときに原発問題や貧困や格差を歌いながら、それらを観念にとどめず、暮らしと地つづきの場所に足を踏みしめた反動で飛躍する声とことばのひらめきをもっている。時事問題を道具立てにするのではなく、道具になりがちなそれをいろんな角度からためつすがめつする――、というかやはり「うた」なのだと思うのですね、ともってまわったことを言い出しかねないほど、寺尾紗穂の歌が説得的なのは彼女の歌を耳にされた方はよくご存じである。しかも近作では編曲や客演でも野心的な試みがなされていて、個々の歌の集まりとして以上にアルバムの作品としての印象がきわだっていた。ピアノを弾き語るシンガー・ソングライターのたたずまいをくずさずに、歌のつくる磁場がひきよせるひとたちとの関係は寺尾紗穂の音楽を実らせてゆくのを耳にしてきた私たちにこのアルバムはしかし、ここ数作とはちょっとことなる肌ざわりをもたらすかもしれない。
 というのも、『わたしの好きなわらべうた』と題したこのアルバムはタイトルどおり、日本各地に伝わる童歌を集めたもの。童歌を厳密に定義するのはいくらか紙幅がいるが、wikipediaにならって端的にいえば「こどもが遊びながら歌う、昔から伝えられ歌い継がれてきた歌」となる。作者不詳の伝承歌で民謡の一種であり、子どものころだれもが口ずさんだ「ちゃつぼ」「かごめかごめ」「とおりゃんせ」「ずいずいずっころばし」などの遊び歌、数え歌、子守歌などの総称であり、つまるところこのアルバムに寺尾の筆になる曲は1曲もない。というと、オリジナリティに欠けると早合点する方もおられるかもしれないし、この手のコンセプトにありがちな教条的な作品かもしれないとみがまえる方もいないともかぎらない。ところが『わたしの好きなわらべうた』はそのような心配をよそに飄々とゆたかである。歌とピアノ、ときにエレピを寺尾が担当し、『楕円の夢』にも参加した伊賀航やあだち麗三郎はじめ、歌島昌智や青葉市子や宮坂遼太郎らが客演した抑制的な作風は原曲のかたちを崩さず、いかに伝えるかに主眼を置きながらも、聴けば聴くほど、歌い手と演奏者の自由な解釈と発想がうかがえる仕上がりになっている。なかでも、多楽器奏者歌島昌智の活躍は特筆もので、スロバキアの羊飼いの縦笛「フヤラ」を吹き鳴らしたかと思えば、インドネシアのスリン、南米のチャスチャス、十七弦箏まで自在に操り、『わたしの好きなわらべうた』に滋味深い味わいを添えている。楽器のセレクトからうかがえる意図は、童歌というきわめてドメスティックな媒体にワールド・ミュージック的な音色を向き合わせる実験性にあるはずだが、新潟の長岡と小千谷に伝わる冒頭の「風の三郎」での歌島のフヤラが尺八を思わせるように、寺尾の狙いはおそらく異質なものの同居というより地理的な隔たりを超えた響きのつながりを聞かせることにある。地球の反対側の楽器なのにどこかなつかしい音色。その数々。
 「ノヴェンバー・ステップス」で尺八を吹いた横山勝也の師匠である海童道祖はかつて武満徹との対談で彼が望む音とは「竹藪があって、そこの竹が腐って孔が開き、風が吹き抜けるというのに相等しい音」だと述べた(立花隆『武満徹 音楽創造への旅』からの孫引き、p475)。「鳴ろうとも鳴らそうとも思わないで、鳴る音」こそ「自然の音」であり尺八の極意はそこにある――などといわれると禅問答っぽいというかもろそのものだが、子どもが適当に孔を開けた物干し竿でもいち音の狂いもなく奏したといわれる海童道祖の楽音もノイズもない音楽観は武満のいう「音の河」とほとんど同じものであり、武満の雅楽への開眼に大きな影響を与えたが、一方で西洋音楽の作曲家である武満は東洋と西洋はたやすくいりまじらないといいつづけた。ここで武満の考えの細部に立ち入るのは、毎度長すぎるとお小言いただく拙稿をいたずらに長引かせるのでさしひかえるが、武満のフィールドである西洋音楽と大衆歌では形式と独創性にたいする態度がちがう。大衆の音楽は混淆を旨とし伝播の過程で姿を変える。寺尾紗穂は童歌をとおし歴史と地理の裏のひとびとの交易と親交を音楽で幻視する。「ねんねんねむの葉っぱ」のマリンバはバラフォンのようだし、「いか採り舟の歌」や「七草なつな」は日本語訛りのブルースである。図太いベースとピアノの左手は齋藤徹のユーラシアン・エコーズを彷彿させるし、ペンタトニックが人類のDNAに刻まれているのは、エチオピアの例をもちだすまでもない。
 というと、いかにも気宇壮大だが聴き心地は質朴で恬淡としている。歌詞のもたらす印象もあるだろう。「ごんごん」と吹く風や「ねんねん」と子どもをあやす母親、「こんこ」と降る雪やあられの呪文めいたくりかえしを基調に、寺尾紗穂は歌詞の一節をリレーするように歌で北陸、山陰、山陽、東海、東北、関東、関西をめぐり、われにかえったかのようなピアノ一本の弾き語りスタイルによる「ねんねぐゎせ」で『わたしの好きなわらべうた』は幕を引く。
 寺尾紗穂はこれまでも童歌を舞台にかけてきたが、『わたしの好きなわらべうた』をつくるにいたった経緯を「WEB本の雑誌」の連載に記している。それによれば、子どもをもち母になり、子どもたちにYouTubeでみせた「日本昔ばなし」の山姥の話に興味をそそられ、調べていくうちに小澤俊夫氏が主催する季刊誌「子どもと昔話」で徳之島の民謡「ねんねぐゎせ」に出会ったのだという。寺尾紗穂が文中で述べるとおり、小澤氏はあの小沢健二の父であり、オザケンの「うさぎ!」の連載でこの雑誌をご存じの方もおられよう。寺尾紗穂はこの本が採録した「ねんねぐゎせ」の譜面の主旋律にたいして左手(和声)のとりうる動きの多様さに表現欲を駆り立てられた。単純な旋律と繰り返し、ヤマトのひとには意味のとりにくいシマグチの歌詞とあいまって、「ねんねぐゎせ」はおそらく童歌に憑きものの呪術性を帯びていたのではないか。
 私は両親とも徳之島の産の島の人間だから「ねんねぐゎせ」はそれこそアーマの、あまり上等とはいえない歌声で記憶の基底部に眠っているがしかし私の記憶では「ねんねぐゎせ」の歌詞は『わたしが好きなわらべうた』のヴァージョンとは似ても似つかない。ためしにアーマに歌ってもらったら以下のようであった。

ユウナの木の下で
ゆれる風鈴 りんりらりん
ねんねぐゎせ ねんねぐゎせ
ねんねぐゎせよ

なくなくな なくなよ
あんまがちぃから ちぃぬまさ(母さんがいったら乳をのませるよ)
ねんねぐゎせ ねんねぐゎせ
ねんねぐゎせよ

 1行あけて下はアルバム収録ヴァージョン。ユウナの木は和名をオオハマボウといい、徳之島町の町木であるが、町のHPにも「徳之島の子守唄にも登場する」とあるので、公式にも現在は上段の歌詞が一般的であることを考えるとアルバム収録の歌詞はかなり古いものだと断定してよいだろう。これはあくまでも仮説だが、大正終わりごろから昭和初期にかけての新民謡ブームが「ねんねぐゎせ」の歌詞の変形におそらくは寄与したのではないか。新民謡とは演歌のご当地ソングにそのなごりをとどめる、土地土地のひとびとの愛郷心が高めんと、名勝旧跡、物産名産を歌詞に織り込んだ歌で、田端義夫の「島育ち」(昭和37年)ももとは在奄美の作曲家三界稔による戦前の新民謡である。バタヤンの復活からほどなく三沢あけみと小山田圭吾の父三原さと志が在籍したマヒナスターズとの歌唱による「島のブルース」(吉川静夫作詞、渡久地政信作・編曲)もヒットを飛ばし、昭和38年の紅白に両者はともに出演。にわかに島唄ブームとなっていた、とはいえ、これは古来から歌い継がれたシマ唄ではない。話がまたぞろ長くなって恐縮ですが、シマ唄のシマは島ではなくムラ、共同体の最小単位を指す、ヤクザがなわばりの意味でつかうシマにちかい。方言を意味する「シマグチ」のシマも同義。おなじ島でもシマどうし離れていると言い回しがちがってくる。
 寺尾紗穂が準拠した歌詞も、私は聴きとりがどのような契機でなされたのか存じあげないが、私のシマでは母を「アーマ」と呼ぶが、歌詞では「あんま」と詰まっていることを考えるとおなじシマではない。それをふまえ、訛音を補いつつ採録した歌詞を読むと、どうしても一箇所私の解釈とはちがうところがでてくる。
 「ねんねぐゎせ」は四連からなる歌詞だが、その四連目、つまり最終ヴァースは以下の歌詞である。

ねんねぐゎせ ねんねぐゎせ
あんまとわってんや なぁじるべん
ねんねぐゎせ ねんねぐゎせ
ねんねぐゎせよ

 2行目の歌詞を寺尾紗穂は「母さんとお前は実のない汁だね」とヤマト口に訳している。「なぁじる」の「なぁ」は「No」にあたることばでそのあとにつづくものがないという意味であり、「なぁじる」だと「具のない汁」だし、頭を意味する「うっかん」の頭に「なぁ」をつけた「なぁうっかん」となればアホとかバカの意で、私が子どものころは友だちのあいだではラップでいうところの「ニガ」のニュアンスでもちいていた。「YOなぁうっかん」といった具合である。それはいい。私はちょっと不思議に感じたのは、「わってんや」の解釈で、資料では「お母さんとお前」となっているが、「わってん」のように「わ」系列の主格は単数にせよ複数にせよ「私(たち)=IないしWe」を指すことが多く、「お前(You)」はふつう「やぁ」か尊称では「うぃ」となる。言葉尻をとらえたように思われたくはないが、ここが「お前」であるか「私」であるかは歌詞の視点に大きく影響する。では歌詞のなかの「私=わん」とはだれか。おそらく母が水汲みや畑仕事で不在のあいだ幼子の子守を任された年長の姉ないし兄だろう(とはいえ、子守は当時女の子の仕事だったから兄の線はまずない)。つまり歌詞は子守をたのまれた姉の視点であり、姉はさぼりたいから第二連で「わんがふらんち なくなよ(私がいないからって泣くんじゃないよ)」というのであり、「なきしゃむんぐゎどぅ なきゅりよ(泣く子は泣き虫の子だよ)」には親が子をさとすのではなく、「泣くな」と赤ん坊の二の腕をつねるような調子がこもっている。「なぁじるべん」の「べん」は限定の助詞だが、ここにも「なぁじるばっかだな」という不満を私は聴きとってしまう。そもそも赤ん坊は第一連で歌うように「あんまがちぃから ちぃぬまさ(これも「母さんがいったら」となっているが「母さんが来たら」のニュアンスにちかい。つまり「ちぃ」を「Go」ととるか「Come」ととるかということである)」わけだから、わざわざなぁじるを啜らなくともよい(から赤ん坊はいいよなという含みもあるだろう)。
 年端のいかない少女たちに視点を定めると唄は生活苦におしつぶされそうな悲哀を歌ったというより生活の苦しさの理由を理解しえない幼子たちの直感的なそれゆえに反論のしようのないが微笑ましくもある異議申し立てに聞こえてくる。生活はたしかに苦しい。ワンのアーマの時代には水道は引かれていたらしいが、祖父母の代では水汲みは暮らしのなかの大切な仕事だった。それでも、この島の連中の気性を身につまされている私なぞは、ツメに明かりを灯すような生活であっても、灯した火で汁でもゆがいて食うか、なぁじるだけどな、というほどの意思を感じるのである。
 徳之島の秋津には「やんきちしきばん」ということばがあった。「家の梁がうつるほど(薄い)おかゆ」のことだが、それほど貧しくとも、子はきちんと育てあげるという意味がある。これは根拠のない連想にすぎないが「なぁじる」とそのことばは引き合ってはいまいか。私にとって「なぁじる」は具はなくとも反骨の出汁が利いている。
 私が高田渡の「系図」を聴くたびに涙するのはそのような理由からかもしれない。そして寺尾紗穂は高田渡の境地にちかづきつつある数少ないシンガー・ソングライターだろうというと寺尾さんはかぶりをふるかもしれないが、古今東西津々浦々の歌をかきあつめ、あらたな息吹を吹きこむのは歌手としてなまなかなことではない。私は彼女の歌がなければ島の歌をあらためて考えることもなかった。シマ唄では、とくにすぐれた歌い手は唄者と呼ばれるが、唄者にもっとも求められるのは、そのひとの唄を聴いた者がみずからのシマに帰りたくなるような気持ちをかきたてるような唄であること。シマ口でその感情は「なつかし」というのだが、「なつかし」にはヤマト口の「懐かしい」以上の、唄にふれた瞬間おとずれる情緒の総体の意をそこにこめている。
 数学者の岡潔はエッセーで頻繁に「情緒」にふれているが、昭和39年に書いたタイトルもズバリ「情緒について」と題した一文で絵画や禅や俳句における日本的情緒を検討した著者は文章の後半で不意に以下のように述べている。

この前もこういうことがあった。前田さんがしばらくぶりで家に見えて、やがてピアノを弾いた。私は何とも知れずなつかしい気持になった。そしてなつかしさの情操は豊かな時空を内蔵しているものであることがよくわかった。最後に私は子供の時正しくこの曲で育てられたのだと思った。これは世にも美しい曲であって、西洋の古典を紫にたとえるならば瑠璃色だといいたい感じであって、しかも渾然として出来上がっている。何ですか、と聞くと「沖の永良部島の子守歌です」ということであった。この曲はバリエイションを添えて売り出されているということであるが、もとのものを弾いて欲しいと思う。真に日本的情緒の人ならばこの曲は必ず「なつかしい」と思う
 (岡潔著、森田真生編『数学する人生』新潮社 p131)

 寺尾紗穂の「WEB本の雑誌」の原稿にあるように、徳之島を民謡音階の南限とすると、その南隣の沖永良部は琉球音階の北限となる。これは学説的にもよくひきあいに出され、私としては単純にその説にあてはまらない例も多々あると思うのだが、それはさておき、岡潔がヤマトの音階と琉球音階の境界に日本的情緒を見出したのはなぜか。岡潔がなにを聴いて「なつかしい」と感じたかはいまとなっては知るよしもない。この原稿が上述のバタヤンや三沢あけみの歌がヒットしたまさにそのときに書かれたことも考慮しなければならないだろう。とはいえ、岡潔はそこに日本的な情緒を聴きとった。私は柳田や折口が南の島に日本の原風景をみたことは、官僚であり国学の出身であった者たちのことばとしておいそれと賛同しがたいところもある。そんなものを押しつけるなよと思いもする。そこに誇りを感じずとも歌は歌であり、学術の対象となりはてるより日々歌われたほうが歌もよろこぶでしょうに。
 島には「なつかし」のほかにも多義的なことばがいくつもある。「ねんねぐゎせ」のような子守歌が感じさせるのは日々の営みへの慈しみではないだろうか。私はまたしてもながながと書き連ねたが、作中の人称の問題など些末なことにすぎないのである。それよりも、そこにある日々がどのようなものであるかであり、歌がなにをリスナーのなかにたちあげるか。考えるより先に無条件につつみこみたくなる感情をシマ口では「かなし」という。漢字をあてるなら「愛(かな)し」。『わたしの好きなわらべうた』がおさめるのは、ときと場所を問わず現代の私たちにうったえかける「かなしゃる歌ぐゎ」の数々である。(了)

『ele-king vol.17』 - ele-king

インディ・ミュージックの2015年
僕たちは1枚を決める──のか! ?

特集:2015年の音楽、:政治の季節「2016年の歩き方」

【2015年間ベスト・アルバム20】
2015年は時代の占い棒としての音楽が健在であることを証明した。
USではケンドリック・ラマーやディ・アンジェロ、UKではヤング・ファーザーズやジャム・シティ、日本では寺尾紗穂やKOHHがそうしたものの代表だ。
そして、ジェイミーXXの若いロマン主義は冷えた心を温めた。
しかし、2015年に欠けているものはユーモアだった。
年間ベスト・アルバム20枚。

【特集:政治の季節「2016年の歩き方」】
音楽は逃避的なサーカスであり、夢のシェルターだ。
が、ものによってはリアリズムに目覚めさせもする。
いまや現実が騒がしくて夢見る暇もないって?
時代を描こうと思ってピンで留めても、時代はつねに動いている。
私たちが思っている以上に、激しく。
日本ではSEALDsがあって、アメリカでは#BlackLivesMatterがある。そ
れらは音楽文化ともどこかで結びついている。
政治の季節2015年から2016年へ、私たちはどのように歩いていけるののだろうか。

【目次】
写真 Jun Tsunoda

interview OPN(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー) 三田格+坂本麻里子

2015・年間ベスト・アルバム20枚(泉智、木津毅、北沢夏音、高橋勇人、デンシノオト、野田努、橋元優歩、ブレイディみかこ、三田格、矢野利裕)
ラフトレードNYの2015年 文・沢井陽子+George Flanagan
映画ベスト10(木津毅、野田努、水越真紀、三田格)
2015年私談 文・増村和彦

特集:政治の季節「2016年の歩き方」
interview 奥田愛基(SEALDs)、牛田悦正(SEALDs)泉智+水越真紀+小原泰広
ケンドリック・ラマーと戦後70年の夏 泉智
UKミュージックの救いの妖精、マーガレット・サッチャー 文・ブレイディみかこ
「ワン・スローガン、メニー・メソッド」──#BlackLivesMatter 文・三田格
20代がクラブに行かないワケ──ダブステップとグライムから考える マイク・スンダ×高橋勇人×野田努
大学に文学部はいらない? 坂本麻里子×三田格
ダンシング・イン・ザ・ストリート──2016年のための路上の政治学 五野井郁夫×水越真紀

REGULARS
初音ミクの現在・過去・未来(中編) 文・ヴィジュアル 佐々木渉
ハテナ・フランセ 第4回 戦争よりも愛のカンケイを 文・写真 山田容子
音楽と政治 第7回 ストレイト・アウタ・サムウェア 文 磯部涼
アナキズム・イン・ザ・UK 外伝 第8回 恋愛とPC 文 ブレイディみかこ
ピーポー&メー 人々と私 第8回 故ロリータ順子(前編) 文 戸川純

interview 渡辺信一郎 橋元優歩+野田努+小原泰広

interview KODE 9 高橋勇人+青木絵美

gallery 横山純

13年の幕間──2015年のジム・オルーク 松村正人+菊地良助

ele-king vol.17 - ele-king

 わずか1年前というのは、感覚的には、つい数ヶ月前のような気がする。しかし2015年の場合は、2015年1月を生きた自分といま2015年12月を生きている自分とでは、明らかに何かが違って見える。それは何なのだろう? そして音楽はこの1年、世界をどのように見ていたのだろう? つまりリスクを持って、この危うい世界に挑んでいたのは誰なのだろうか? 「1ドルの真の代価とは?/いやな問いだな、思考が麻痺してくる」(by ケンドリック・ラマー)
 エレキングの年間ベスト号、22日発売です。ベスト・アルバム20、ベスト映画10本、そして政治特集「2016年の歩き方」。
 どうぞ注目してください。

【2015年間ベスト・アルバム20】
2015年は時代の占い棒としての音楽が健在であることを証明した。USではケンドリック・ラマーやディ・アンジェロ、UKではヤング・ファーザーズやジャム・シティ、日本では寺尾紗穂やKOHHがそうしたものの代表だ。そして、ジェイミーXXの若いロマン主義は冷えた心を温めた。しかし、2015年に欠けているものはユーモアだった。それでは年間ベスト・アルバム20枚。どうぞご覧下さいませ。

【特集:政治の季節「2016年の歩き方」】
音楽は逃避的なサーカスであり、夢のシェルターだ。が、ものによってはリアリズムに目覚めさせもする。いまや現実が騒がしくて夢見る暇もないって? 時代を描こうと思ってピンで留めても、時代はつねに動いている。私たちが思っている以上に、激しく。日本ではSEALDsがあって、アメリカでは#BlackLivesMatterがある。それらは音楽文化ともどこかで結びついている。政治の季節2015年から2016年へ、私たちはどのように歩いていけるののだろうか。

【目次】

002 Jun Tsunoda

012 interview OPN(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー) 三田格+坂本麻里子
026 2015・年間ベスト・アルバム20枚(泉智、木津毅、北沢夏音、高橋勇人、デンシノオト、野田努、橋元優歩、ブレイディみかこ、三田格、矢野利裕)
050 ラフトレードNYの2015年 文・沢井陽子+George Flanagan
052 映画ベスト10(木津毅、野田努、水越真紀、三田格)
060 2015年私談  文・増村和彦
064 特集:政治の季節「2016年の歩き方」
 066 interview 奥田愛基(SEALDs)、牛田悦正(SEALDs)泉智+水越真紀+小原泰広
 080 ケンドリック・ラマーと戦後70年の夏  泉智
 083 UKミュージックの救いの妖精、マーガレット・サッチャー  文・ブレイディみかこ
 086 「ワン・スローガン、メニー・メソッド」──#BlackLivesMatter 文・三田格
 128 20代がクラブに行かないワケ──ダブステップとグライムから考える マイク・スンダ×高橋勇人×野田努
 134 大学に文学部はいらない?  坂本麻里子×三田格
 138 ダンシング・イン・ザ・ストリート──2016年のための路上の政治学  五野井郁夫×水越真紀

 

101 REGULARS
102 初音ミクの現在・過去・未来(中編)  文・ヴィジュアル 佐々木渉
104 ハテナ・フランセ 第4回 戦争よりも愛のカンケイを  文・写真 山田容子
106 音楽と政治 第7回 ストレイト・アウタ・サムウェア  文 磯部涼
108 アナキズム・イン・ザ・UK 外伝 第8回 恋愛とPC  文 ブレイディみかこ
110 ピーポー&メー 人々と私  第8回 故ロリータ順子(前編)  文 戸川純

088 interview 渡辺信一郎  橋元優歩+野田努+小原泰広
118 interview KODE 9 高橋勇人+青木絵美

138 gallery 横山純

158  13年の幕間──2015年のジム・オルーク  松村正人+菊地良助


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