![]() 高木正勝 かがやき felicity |
高木正勝が久しぶりにリリースする「オリジナル・アルバム」は、今年もっとも心を揺さぶられた作品のひとつだった。であるにもかかわらず、筆者は彼が今作で録ったものが何であるのかをはっきりと言い表すことができない。
2枚組となる『かがやき』のディスク2には、スタジオジブリを描いた映画『夢と狂気の王国』、NHKのドラマ『恐竜せんせい』のサントラが収録されている。そこでは『おおかみこどもの雨と雪』や数多くのCM音楽などますます充実する高木正勝の近年の仕事の一端を垣間見ることができるだろう。しかし筆者が驚くのは1枚めの、なかでも昨年引越したという山村で録られた作品群だ。 ある山村でのフィールドレコーディング作品だと言えば説明としては間違っていない。だが高木は山へわざわざ出かけていって採音してきたわけではない。彼はそこに住んでレコーダーを回している。となると、音による生活環境の記録だと言うほうが正確だろうか。それも間違ってはいないだろう。しかし彼は録ったままの自然ばかりではなく、そこで演奏をし、そこに住む人びとに演奏もさせている。ばかりか、その依頼の模様の録音をそのまま収録してさえいる。
それならば素人とともに作り上げた一種のリレーショナル・アートと言うのはどうか。これまた見当はずれではないと思う。しかしそのリレーションというのは、作品を離れてからもつづいていく、隣人たちとのあいだにつながれたものなのだ。 高木が録音したものはつまり環境であり生活であり関係でもある。そしてそこに歴史と文化が加わることも、以下を読み進めていただくとよくわかるだろう。土地の歴史と独自の習俗が彼に及ぼした影響は、「天気にすべてが左右される」という厳しい自然環境からのそれと同等以上に大きいことがしのばれる。環境、生活、関係、歴史、文化……。これだけ挙げると、高木が録ったものは世界なのだと要約できるのかもしれない。本作中には、第5回アフリカ開発会議(TICAD V)の一環として依頼された、エチオピアでの滞在とそれをもとにした作品制作企画「うたがき」からもいくつか収録されているが、ここで言うのはそうしたものに表象される「世界」とはまた意味を異にする世界のことである。自分を真ん中に入れて成立しているさまざまなことがら。高木が『かがやき』において行っているのは、それをひとつひとつ確認するような営みであるように思われる。そしてそのなかに彼は“かみしゃま”を見つける──それがどんなものなのかは、本作を聴き本文を読んでみてもらいたい。 間をあけてみたび現れる“かみしゃま”の、そのそれぞれに涙腺がゆるむだろう。サントラとちがってそれは「ヴァージョンちがい」ではなく、ひとつひとつが生きた解釈として響いてくる。そして、何の説明がなくとも、たとえこのインタヴューがなくとも、こうしたことはディスク1を聴いていけばすべて明白に語られている。難しいものではない。高木の美しいピアノと旋律はそれに聴き心地のよいフォームを与え、音響作家としての、あるいは映像作家としての優れた感覚が、それを上質で飽きることのないBGMのようにも仕立てている。うっかり聴きはじめて、いつしかそのなかに溶け入ってしまう。そして作家の経験を通してその世界をすっぽりと追体験してしまう。素晴らしい読書をしたあとのようだ。
高木正勝 / Takagi Masakatsu
1979年生まれ、京都出身。2013年より兵庫県在住。美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。『おおかみこどもの雨と雪』やスタジオジブリを描いた『夢と狂気の王国』の映画音楽をはじめ、コラボレーションも多数。
自分の音がエレクトロニカと呼ばれるのは、その頃エレクトロニカと呼ばれていた音を作っていた人たちに失礼なんじゃないかと思っていましたね。
■高木さんのキャリアのスタート地点には──こう括られるのが本意ではないかもしれませんが、エレクトロニカのひとつのブームがあったと思います。フォークトロニカとかグリッチとかブレイクビーツとか含めて、ですね。フェネスとかピタとか池田亮司さんとかがいるもう片方で、高木さんの『コイーダ』(2004年)のジャケなんかが思い浮かびます。実際に高木さんのなかでは、そうしたシーンの一部であるような意識があったんでしょうか?
高木:最初の1、2枚くらいは、あったと思います。海外のレーベル(〈カーパーク〉や〈カラオケ・カーク〉など)から出していたのは、まだ「エレクトロニカ」っていう呼び方があったかなかったかという頃でした。タワーレコードとかでも「その他」っていう棚で──音響とかアヴァンギャルドとかの一角が「その他」という感じで、いまエレクトロニカと認識されているようなものは「実験音楽」というような呼ばれ方もしていたと思います。
自分の音がエレクトロニカと呼ばれるのは、その頃エレクトロニカと呼ばれていた音を作っていた人たちに失礼なんじゃないかと思っていましたね。「素人音楽」というような名前があればいいのに、って(笑)。自分の仕事は、映像制作がメインだと思っていたので。
■ジャンル全体としては、コンセプチュアルに手法とか実験性を詰めていくような流れがありましたよね。高木さんご自身はもっと感覚的に作られていたという感じでしょうか?
高木:そうですね、そういう人たちがやらないことをやろうとしていました。オヴァルとかフェネスとかが出てきたときは、とてもいい音なのに、なぜこの音を使って旋律を作らないんだろう? って。あとは、なんで楽器の音を上に乗せないんだろう、足さないんだろう、とか。たぶん、そういう隙間を見つけて、自分でもドキドキしながら作っていたと思います。ピアノの音を上に乗せてみたらどうだろう、とか、いまコンピュータで流したよくわからない音をピアノで弾いてみたらどうなるだろう、っていうふうにやっていたら、『コイーダ』の“GIRLS”みたいな曲ができたりして……。そういうのが「エレクトロニカ」だったのかもしれないですけどね(笑)。
■まだいろいろと柔らかい部分があったかもしれません(笑)。そういういろんな取り組みのなかから「エレクトロニカ」っていうものの輪郭が立ち上がってきたのかも。
高木:いろいろと考えていましたよね、みんながみんな。
■そうですよね。その「考える」ことをしなかったりメロディアスだったりすると、ちょっと厳しく見られたり……その意味では変なストイシズムもあったんじゃないかと思います。
高木:そうだと思いますね。
■高木さんも、最初の頃はピアノが少なかったですよね。あるいは、モチーフの底に沈んでいたというか。
高木:はい、はい。
■でもそういうものが、あるときからばーっと出てきたというか。生音とか声とかを積極的に使われたり、フィールド・レコーディングに寄っていったりっていう流れがあって、そのひとつの極点が今作『かがやき』のディスク1なんじゃないかと思うんです。
高木:案外変わってないかもしれないですね。むしろ、すごく濃密にその時期やっていたことを詰めると、今回みたいなことになるのかもしれません。演奏も入っているし、あの頃のフィールド・レコーディングだったり、映像的に作ったりしていたのを、いまちゃんとやるとこうなるっていう……。だから、10年前にこれができていたら確実に「エレクトロニカ」って呼ばれたんじゃないか(笑)。
■ははは!
高木:電子音入っていなくても。
■たしかに。でも、どの棚に置くかというのはレコ屋さんにとってますます悩ましい問題になっていると思います(笑)。
高木:今日、たまたま時間があったので、本当に久しぶりにCDショップに行ったんです。もう、何年ぶりという感じで。そしたらJポップ、Jインディというのはわかるんですが、「アニメ」ってジャンルができていて、アニメって何だろう!? って思って。
■映像作品が置いてあるのかなと思われたわけですか?
高木:というか、どういうジャンルのことだろうと思って行ってみたら、ああー! ってなりました。アニメの音楽っていうのが、「ワールド」とかみたいに、こんなに大きな括りになってるんやって。「ワールド」のところに行ってみると、今度は「Kポップ」とか。
■ははっ、浦島太郎みたいじゃないですか! アニメなんてチャートもすごいんですよ。
高木:そうなんですね。さらに田舎に引っ越してしまって……。大きな店もなくなってしまいましたから。
■あ、そうですね、本当に久しぶりだったんですね。
去年引越をしたんですが、それこそ昔話が暮らしのなかに残っているようなところなんです。何か無理をしなくても、マイクを置いてピアノを弾いただけで、勝手にそういうものが入ってきちゃうんですよ。
■さっき「フィールド・レコーディング」と言ってしまいましたが、とくに今回のアルバムで使われている録音(素材)に触れると、「フィールド・ワーク」というほうがしっくりくるような感じがするんです。なんというか、「環境音」として、コンセプチュアルに音楽に取り込んでしまうのではなくて、実際にそこに入っていってありかたそのものと関わるというか。
高木:ああ、あると思います。
■何かの折に柳宗悦さんについても言及されていたかと思うのですが、たとえば民芸だったり民俗学みたいなモチヴェーションが、創作の深い根元にあったりするんでしょうか?
高木:ずっと興味がありました。でも、日本でそれをどうやったらいいかわからなくて、海外の、昔話の生きているような生活がある土地をねらって撮影に行ったり。新興住宅地で生まれ育ったので憧れもあって、実際に見たり聞いたりしたいなと。
でも、去年引越をしたんですが、それこそ柳田國男さんなんかが追われていたような昔話が暮らしのなかに残っているところなんです。だから、何か無理をしなくても、マイクを置いてピアノを弾いただけで、勝手にそういうものが入ってきちゃうんですよね。
■ああ、すごくそんな感じです。
高木:たとえば誰かおばあちゃんの声で歌ってほしいなって思ったら、まず誰かに探してもらって、決まったら挨拶にいって、っていう手順を踏むことになると思うんです。でもそうじゃなくって、1年つきあってきたおばあちゃんに「曲あるけど、ちょっと助けて! 歌って!」って声をかけて、「んー」って……「譜があるんやったらいいけど、こんないきなりは無理やわ!」ってやりとりをして(笑)。
■ははは!
高木:住んでなければそうやって歌ってもらうって発想もないんですけどね。でも「いやー、歌ってよ!」って家によんだり、縁側で録ったりして。
■なるほどー。それがアルバムの頭からしばらくつづくパートでしょうか。
高木:ちょこちょこ入れてますね。以前だったら、たとえばいろんな音を使いたいっていうような──音を素材として考えて、レゴブロックみたいに組み立てたいというようなところもあったと思うんです。でも、今回はそんなふうに考えなくても、窓を開けたらカエルがわんさか鳴いているし、車の光にも集まってきてぴょんぴょん跳ねてるし、鳥もすごくいて、ピアノを弾いていたら寄ってきたりするし、いろんな音が録れてしまう。そういうのが毎日のことなんです。そんな風景をなんとか残せたらいいのにな思うと、自然にフィールド・レコーディングみたいな発想になっていきますね。
でも、いわゆるフィールド・レコーディングというか、なんというんでしょうかわざわざ山に出かけたりして──
■わかります、「山へいって素材を採ってきました」という感じともちがうと。
高木:そう、そういう感じじゃないんですね。自分の住んでいる家の音、村の音をなんとか聴けるかたちまで整える。整えるっていうか、音として届けようとするとこのかたちにしかならなかったというか……(笑)。
■いえ、すごくよくわかります。あのおばあちゃんの歌は、練習していないんですか?
高木:いえ、いちおう練習はしてくれたんですけど、CDに使えたのは最初に遊びでやっているところですね。そのあと練習したいというので譜面も渡したんですけど、後日「練習したけど、(録音は)まだかい?」って言われたときには、「いやー、じつはもう終わってて」って(笑)。
■ははははっ。
高木:「いや、練習してるがなー」っていうから、「じゃ、録ってみるかー?」って録ってみたら、ぜんぜん歌えてない。むしろ悪くなっている(笑)。
■ピアノの音に頼ってつられようとしている感じ、音程に迷いが生まれている感じとか、リアルにわかりました(笑)。
高木:新しいメロディになりすぎたりして。
■はははっ。
高木:あかん、好き勝手やりすぎや、って。……僕が欲しかったのは、普段の素敵な、おばあちゃんのしゃべっている延長の声なんです。でも練習したり録音したりってなると、すごく何かの型にはまってしまうんですよね。おばあちゃんたちのなかの録音のイメージ、たとえば氷川きよしだったりとか、演歌の人、テレビの人の歌い方に近づいていってしまうんです。そうじゃない、そうじゃない、まんまでいい。
■ああ、むしろ「まんま」ってコンセプトを伝えることのほうが難しい、みたいな。
高木:そう、難しいんです。だから何も説明せずに録っとくしかないですね。
[[SplitPage]]いまはカメラを向ける側ではなくて、カメラを向けられた側にいるというか。そっち側にいる自分を撮りたいやと思うようになったんです。
![]() 高木正勝 かがやき felicity |
■“かみしゃま”の朗読とかも、ぶつっと切って使われてますね。ぶつっと入れて、ぶつっと切って。あの使い方もすごくはっとするものがありました。
高木:ははは。
■たぶんそのようにしか入れられないんですね。
高木:入れられないですね。
■だから、ある意味では実験性も高いと思うんですが、一方ですごく聴きやすいものでもあると思います。イージーなんじゃなくて音楽至上主義的じゃないというか、あくまで人と人の間にあるものとして発想されているというか。
高木:たぶん、ちゃんとした録音で、間違いのないものを録ろうっていうふうに、はなから思っていないところがありますね。あるときからライヴ・アルバムを作るようになって、こんないわゆる「オリジナル・アルバム」って感じのものを作るのは久しぶりなんですよ。
■ああ、そうですね。
高木:前回はそういう意味でのアルバムというよりも、コンピレーションという感じだったし、ほとんどが仕事の曲でもあったんです。今回もそのつもりだったんですが、なにかうまくハマらなくって……。それで新しく録り出したりしました。だから、「アルバム」っていう感じで作ったものは2006年くらいが最後で。すっごく久しぶりだから、ドキドキしたんですよ。
■オリジナル・アルバムとしての緊張感がすごくあります。
高木:おばあちゃんの曲とか作るじゃないですか。映画の音楽とかCMの音楽だったら、誰かが、「そこまで」とか「これでいいです」って、締切やOKの合図をくれるんですよね。でもこのアルバムは、曲を入れるか入れないかということを含めて自分で判断しなくちゃいけない。レーベルの人に反対されるじゃなし、さて、このおばあちゃんのを入れるべきかどうかって、すべて自分で決めなくちゃいけないんです。だから毎晩のように、「これ……。録ったはいいけど、どうしようかなー……」って悩んで(笑)。
■ははは!
高木:誰が聴きたいのかな、これ、って。久しぶりにそんなことを思いました。
■なるほどー。でも、たとえば『Tai Rei Tei Rio』だって、エチオピアに行こうという企画先行の作品にせよ、暮らしとか人と人のなかに入っていこうという作品だと思うんです。そういう原型はすでに少しずつかたちづくられていたのかなとも感じます。
高木:今回は2枚めがいわゆるサウンドトラック集になるんですが、やっぱり、サントラとしてじゃなければ作っていないだろうなという曲が多いんですね。同じ曲の編曲ヴァージョンあったりとか、展開の仕方だったりとか、こういう曲を、なんにもないのにわざわざ自分で作ったりはしないだろうなと。1枚めを聴くととくにそう思います。
■はい、まさにわたしもそう思って──今日おうかがいするのはディスク1についてだと思って来ました。それこそ『ミクロコスモス』(『Mikrokozmosz 2003-2007』、2012年)の冒頭の曲(“Private/Public”)とかは、まだ「素材」という感じのフィールド・レコーディングのフォームだったと思うんです。
高木:あ、そうですね。というか、たぶんいまとはすごく大きくちがっていると思います。エチオピアでやった『Utagaki』(2013年)とかに入っている音にしてもそうなんですが、それらはたしかに自分が体験したことではあるんですけど、相手が何をしゃべっているかもわからないし、音としてしか聞いていないようなところがあるんです。それに、どうしてもカメラを向けている感じがあって、自分はその中にいるけど、本当の意味ではその中に入っていないんですね。ただ「見ている」という感じ。うらやましいなと思って見ているんだけなんです。Facebookで「いいね!」って押している感じというか……。
■はい、はい。
高木:それが、いまは見ていた側ではなくて、カメラを向けられた側にいるというか。そっち側にいる自分を撮りたいやと思うようになったんです。だから、「いいね!」って思っていた環境に近いところが見つかったから、そこに引っ越してしまいました。今回のアルバムの1枚めっていうのは、もう、そういうことでしかないですね。
■すごくよくわかります。
高木:引っ越してからは、自分のまわりに起こることがおもしろいから、それだけでいいんです。誰かが録ってくれればいいんだけど、録ってくれないからつねに録音機を持ち歩いていました。だから、旅行をしながら撮っていたようなものとはぜんぜん目線がちがいますね。この1年2年の暮らしぶりというか、写真のアルバムみたいな感じです。
■まさにそこに感動するアルバムだと思います。でも、ここであえて反対側からも考えてみると、わたしの耳には、おばあちゃんの発語もポリネシア語もある意味で同列だったりするんですね(笑)。何を言っているかよくわからなかったりしますし。でも音としてはっきりと何かを訴えかけてくる。そういう「音」っていうレベルから言えば、『Tai Rei Tei Rio』とかもふくめて、高木さんの仕事のなかで溶け合うものでもあると思います。
発話、発語、何かが音といっしょに生まれてくる瞬間、そういうものがぐわっと取り出されていますよね。
高木:たぶん、僕はそこしか見ていないと思います。たとえばコンサートでも、ずっと練習してきた曲で少し整わない部分があっても、うまくいかなかったというのではなくて、間違いがきっかけでものすごい境地にいけたりします。何かがポンと出てくる瞬間がすべてなんです。
「山で何がおもしろい?」ってまわりの人に訊いたら、とにかく春だと言われて。
高木:1曲め(“うるて”)でしゃべっているのは97歳のおばあちゃんなんですけど、よく柿を採ろうとして曲がった腰のまま手を伸ばしてたりするんです。それがもう、最高の褒め言葉のつもりなんですけど、猿にしか見えない。「シヅさーん」って呼びかけてビクッて振り返る感じも本当に……「猿だ」って(笑)。
■ははは!
高木:でも、自分もだんだんそっち側になっているというか、同化していっているところがあります。まだ引っ越して一年ですけど、いろんなことがありました。山のなかではじめて冬を越して、春を味わったんです。「山で何がおもしろい?」ってまわりの人に訊いたら、とにかく春だと言われて。
■ああ、春。
高木:そうなんです。「何があっても春だけは体験していって」って言われました。冬は雪も降ってすごく厳しくて、村じゅうが鬱になっていって。
■村じゅうが!
高木:はい(笑)。家の中でも、はじめて妻と喧嘩になって……閉ざされた空間で、寒いし動けないし、世界にポツリっていう気分になってくるんです。もう、厳しいなあって。
■へえー。
高木:その後くる春の感じが──。もう、日に日にという感じで、あ、芽が出てきた、双葉が出てきたっていうところからはっきりわかるんです。ひとつひとつの変化がうれしくて。鳥がいなかったのに来はじめる瞬間とか、虫がいなかったのに、今日、いま、まさに卵から孵って出てきたんだなっていうようなこととかに全部気づくんですよ。いままで見えてなかったものが一気に見えはじめるんですね。
■ああ……。
高木:桜の枝とか花が咲く前に赤くなるって知ってました?
■いえ? それはなんというか、オーラとか、比喩的な意味とかではなく?
高木:ええ、見たままというか。おばあちゃんが「枝が赤くなってきたから、花ももうすぐやわー」とかって言うから見てみると、「あ、ほんまや」って。
■へえー! それは知らなかったですけど、たしかに、花が赤いからにはその色素がどこかからきているわけですからね。
高木:そうです。昔は、咲く前の枝を切って布を染めるというのが最高の贅沢だったと言ってました。枝から出てくるんですね、色が。それは東京でもどこでも同じはずなんですけど、見えてなかった。いまはすごく解像度が上がったというか。味覚だってそうなんです。野菜なんかもいままではスーパーでしか買ってなかったけど、それはけっこういろいろ壊れたあとのものなんですよね。消毒もされているし。でも自分で育てたものとか、おばあちゃんからもらったものとかだと、採ってそのまま食べますし、少なくともその日のうちに料理して食べてしまうから、ぜんぜん味がちがうんですよ。いままで味わっていたその味覚の幅がすごく広がって、こんな味があるんやってことがわかってきて、おもしろいですよ。
■その「解像度が上がる」っていう感覚が、今回の音においては単にプロダクションをクリアにしていくっていうのとは違う方向に出ている気がします。ロウというかなんというか──
高木:うん、そうかもしれませんね。でも本当はクリアに全部録れているならそれでいいのかもしれないです。やり方が……わからないだけで(笑)。たとえば、ホーミーとかがわかりやすいんですけど、声にもたくさんの倍音が含まれているんですよね(※1)。それを感じるか感じないかというのは、生活を大きく違うものにすることだと思います。気にしなくてもいいことではあるんですが。
※1 ひとしきり担当のHさんとホーミー講座を受け、i音で倍音を感じました
■なるほど。
高木:気にしはじめると止まらなくなることなんですよね。たとえばピアノを弾くときも、「ド」しか感じない弾き方というのもあるんですけど、その一音に「ドソドミソシ♭ドレミ……」とたくさんの音が重なって鳴っていることにきちんと意識を向ける。奏でた音の響きに耳を澄ませて、それから次の音を鳴らすという弾き方に変わっていくと、同じ楽器といってもまったくちがったものになっていくんです。
■ありがとうございます、感覚の感覚はわかった気がします。ちょっとずれちゃうかもしれませんけど、“かみしゃま”って、歌とピアノを同時に録ったものですか?
高木:別ですね。
■そうですよね。ピアノが後ですか?
高木:後ですね。
■あ、ですよね。なんか、普通はピアノ伴奏に合わせて歌をうたうものですけど(笑)、あの曲は歌にピアノを合わせにいっている──寄り添わせていっているというか。
高木:ははは!
■そこに感動がありました。それが、さっき言っていた「音楽至上主義じゃない」っていうことなんですよ。音楽に人を合わせるんじゃなくて、人に音楽を合わせる。
高木:僕はそればっかりしかやってないかもしれない(笑)。
■ははは。いえ、その感じがいちばんラディカルに出ているのが、この『かがやき』の1枚めなんじゃないかって言いたかったんです。
高木:ああ、2枚めはそれが映像相手ということになるかもしれないですね。
■悪い意味ではなく、きちんとした製品にもなっているんだと思います。その意味では対極的な2枚組ともいえますよね。
餅を食べて、なにか「入った」っていう感じがしました。山を食べたような気もしましたし、なんだろう……生殖にかかわる何かだという感じもしました。
高木:ねえ。1枚めは村に引っ越していなかったらなかったものです。まあでも毎日気にしないといけないものが変わったり、どこでどんな風に暮らしているかは大きいです。雨が降ってきても前の家では大して気にしなかったですけど、山では降ってくるだろうなってことが目にも見えるし、肌にも感じるし。数時間後にくるから洗濯物しまおう、とか、古い家だから通気しないとすぐカビるんですが、あ、閉めたほうがいいかな、とか。
■感覚がフルに働きはじめるというか。
高木:うん、そうですね。聞いたことのない音がきこえるなって思うと、何かがいたりもします。妻なんかはすごく聞こえるんですね。ごはんを食べていて「なんか音する」って。僕はぜんぜん聞こえないんですけど、「なんかいつもしいひん音がする」って言うんですよ。それで「こっちや」って見にいったらムカデがいたんです。
■ええー! ムカデの音ですか?
高木:そう、「カサカサっていうとったよ」って。僕も「ええー!」って思いました。で、危ないから取って。
それから、離れにスタジオがあるんですけど、夜、真っ暗な中でそこに行こうとしたときに、何かいるって思ったんですね。何かいつも嗅がないにおいがする、って。
■はい。
高木:これはマムシだなと思いました。そしたら、マムシで。
■ええー!
高木:やっぱりいたなって。
■ええー! って、さっきから「ええー」しか言ってないんですけど(笑)、誰でも住めばそうなれるものですかね?
高木:うーん、はじめはこわいですけどね。でも、自分でもなんでわかったんだろう? って思いましたよ。マムシはつがいで出るって聞いていたんですが、やっぱりそうで、一回家に戻って出たら、におうんですね、もう一匹おりました。
■ははは! 今作は、マムシのにおいがわかるようになった高木さんのフィーレコなわけですね。
高木:そりゃ、変わりますよね。
■うーん、なるほど。その感じは「かみしゃま」ってものにも結びついていくんじゃないかと思うんですよね。実際、「神様」のイメージは高木さんのなかでどういうものなんですか?
高木:その歌詞どおりで。自分だけじゃなくて、村の人もみんな感じているところを拾おうと思いました。狙ったわけじゃないんですけどね。たとえば、村にいろんなお祭りがあるんです。ひとつひとつはちっちゃいものなんですが、そのひとつに「やまのかみさま」っていうのがあって。
■お祭り名が「やまのかみさま」なんですか?
高木:そうなんです。「今日、やまのかみさまやし」って言われて。
■ははっ! なに言ってるのかわかんないですね。
高木:はい、「なんやそれ?」って。それで、「男だけやから」って言われて、前の日にお餅をついて、それを藁でできた包みの中に入れるんです。楕円形のような……子宮みたいな感じですね。そこに卵なのか精子なのか、本当に真っ白な餅を入れるんです。女の人はさわってはいけなくて、男だけでやるんですね。
■へえ。
高木:それを持って朝早くに山の中に行くんですけど、時間通りに行ったら誰もいなくて(笑)。約束したやん。みんなどこよ? って(笑)。
■ははは。
高木:探しながらもっと山に入っていったら、みんな焚き火をしていました。その餅をくべて、焼いて食べるんです。「山とセックスしてるみたい」「山から産まれてきたみたい」って思いました。そういう、山が女で男で……っていうような民俗学みたいなものは、情報としては知っていましたけど、素直にそう思いました。餅を食べて、なにか「入った」っていう感じがしました。
■ああ、命か、魂みたいなものか。
高木:山を食べたような気もしましたし、なんだろう……生殖にかかわる何かだという感じもしました。
■ええ、なるほど。
高木:お祭りって全部そういうものだと思うんですけど、その感じをみんななんとなくわかってやっているという感じですね。おじいちゃんから子どもまで。で、「いいねー」って食べて、「じゃ帰ろかー」って(笑)。
■ははは! ささやか。
高木:なにか、そういうものが生きているんですよね。歌ってくれているおばあちゃんなんかも、お地蔵さんの前を通るときに「あっ」ってやるんです。
こういう毎日なので、暮らしの中でいろいろ発見できる。それを素直に歌詞に書いていくと、神様ひとつとっても、あまり宗教的にならずに、借り物じゃない言葉で表現できたんですね。
■どういうことですか?
高木:軽く身を引くというか、お辞儀するというか。神社とかでもお社の何かに触れると「あっ」ってやっていて。診療所に行きたいっていうから車で送ったんですけど、お地蔵さんの前を通るときに、やっぱり「あっ」って言うんですよ。「ん? いまなんか言ったぞ」って思って(笑)。
■なんなんですか(笑)。
高木:次の、隣の町の神社のところでもまた、「あっ。今日は若いもんに乗せてもらってます。あっ」みたいな。報告するんですよ。
(一同笑)
高木:それが僕らにも伝染ってきて、東京に来るときも「あっ。東京行ってきます」って(笑)。
■ははっ。それが「あ」であることが不思議ですけどね(笑)。お参りのときに出る声みたいな息みたいな。
高木:それをなんて言ったらいいんだろうって……。「神様」っていうとなにか──
■なるほど。まして「ゴッド」じゃないですし。
高木:そう。なんか、「かみしゃま」ってふうにはぐらかしたかったし、見近な感じにもしたかったし。それが“かみしゃま”ですけれど、でもそのうたを紙にして持っていって、おばあちゃんに読んでもらうと、「かみさま」って言うんです。
■え?
高木:「かみしゃま」を「かみさま」って読む。そこはちゃんとしたいんです。
■そこは(笑)。
高木:そこは「かみさま」なんやーって思って。
■ははは。すみません、確認なんですが、この詩は村の伝承とかから採ったものなんですか?
高木:いえ、これは僕が作ったものですね。だから「かみしゃま」をかみさまって読むのもわからなくはないんですけど、でも歌のときは「かみしゃま」って歌うんですよ。歌のときはかみしゃまで違和感ないの? ってきくと、「これはかみしゃまでわかるよ」って。
■へええ……。
高木:あ、そんなに難しい話じゃないんだなって思いました。引っ越す前はこんな詩はいまの半分も書けなかったかもしれません。たとえば、「みずはくもにあめにゆきにちになり」っていう歌詞が出てくるんですけれども、それも引っ越したあとの暮らしの中で気づいたことなんです。とにかく天気を気にすることから出てきた言葉というか……天気のせいでいろんな事件が起こるので(笑)。
太陽自体は変わらないんですけど、雲が遮るとくもりになって、それが降り出すと雨になるじゃないですか。以前はそれだけだったんですけど、いまは目の前で雲ができあがっていくのが見えるので、「ああ、雲って水か」って実感できるんですよ。そうすると、天気って全部水のことやん、って思って。家の横の川も、それが何かでせき止められると土砂崩れが起きたり家の中がかびたりするので、つねに流れているようにしなくちゃいけないんですね。それで溝を掘ったりする。そういう水の循環の真ん中に自分たちが立っているという、こういう毎日なので、暮らしの中でいろいろ発見できる。それを素直に歌詞に書いていくと、神様ひとつとっても、あまり宗教的にならずに、借り物じゃない言葉で表現できたんですね。
僕は、日本語で歌詞を書きたかったんです。それがずーっとできなくて、でも引越しをしてそれがようやくできるようになりました。毎日起こったことを普通に書いていくだけでいいので……。
■なるほど。そういう「かみしゃま」については、わたしも知識としては「アニミズム」なる言葉に結びつくようなかたちで知っていたりするわけなんですが。高木さんはもっと皮膚で感じるような具体性とともに理解されたってことなんですね。
高木:そういう言い方でわかる人ならいいんですが、おじいちゃんとかおばあちゃんとかだと、どういうふうに言うのか……というところですよね。
■そうですよね。かといって「これはアニミズムをテーマにしたアルバムなんです」というのもちょっとちがいますしね。そんな言い方のレベルの解像度ではとらえきれないような、すごい情報量のつまったアルバムだと思います。
いまの歌詞の部分はわたしも訊きたかったところなんですが、「くもにあめにゆきに」はわかるんですが、「ちに」なるというところはちょっと驚きがありました。「ちに」なるんですね……「地」か「血」かわからないですけども。
高木:そうそう、「血」のことですね。でもたぶん「地」のことでもあります。前のアルバム(『おむすひ』)で絵本を付けたときに、ひとつひとつの言葉について知らないと、言葉を扱えないなと思ったんです。前から言葉には興味があって。日本語がおもしろいのは、「あ」とか「い」とか、ひとつひとつの音にすごくイメージや意味があって、「葉(は)」だって「歯(は)」だって、あとは「はな」だって同じ「は」という音を持っていますけど、音しかない時代にそういう言葉ができたとすると、どれも何らかのイメージは共有していたんじゃないか──たとえば「刃(は)」と「歯(は)」は同じ鋭利なものというところは共通していますよね。そうなると、「あいうえお」ひとつひとつを知らないと、こわくて使えないなっていう気持ちになるんです。
■なるほど。
[[SplitPage]]何かこの先があるだろうという予感だけはあって。思い返すと、そのときのひとつの限界にはきていたと思うんですね。新興住宅地に住んでいることの限界。
![]() 高木正勝 かがやき felicity |
高木:「ち」の話に戻ると、ようやく「ち」って使っていいって気持ちになったんだと思います。急にというよりも、たぶん何年もかけて。
■中西進さんとかを引用してお話されていたことがありましたよね。万葉というか、現行の日本語につながるものの前、言葉以前のものに近いところに戻っていくような感覚なんだなって思いました。
高木:そうですね。そういう言葉遊びができるのがおもしろいです。「やみのおくとひかるおくのまじわり」っていうときに、音だけだと「奥」なのか「億」なのかわからないですよね。それぞれでイメージも変わります。さらに、「ひかるおく」の「おく」が「億」だとすると、億と億が交わるってすごいイメージになるじゃないですか。僕はそっちのイメージで書きました。
■なるほど、たしかに。
高木:でも、説明しなければ、多くの人は「闇の奥」と「光の奥」のさらなる光の交わりを想像するだろうなと思いました。それが「闇の億と光る億の交わり」になると、夜は夜ですごい闇がいっぱいあって、朝になってくると光がつぶつぶにたくさんあって、それが毎日毎日交わっているのが「かみしゃま」っていう感覚なんだよって……。
■ああ!
高木:おばあちゃんとかはなんにも説明しなくてもわかってくれていて、ちゃんと「やみのおくとひかりのおくとまじわる」って読むんですよ。「まじわり」って書いたのに、なんで「まじわる」って読むんだろうって思って……すごくぞっとしたんですね。なにかいますごいことが起こったって(笑)。そういうことはどこまで聴いている人に伝わるかわからないんですが。
■そういうものの原アイディアみたいなものは、すでに“Nijiko”とかに端的に表れているとも思うんですが、でもその発想が本当に音の世界で肉を得たのが今作という感じがします。つながってますよね。
高木:よかった。だから『おむすひ』を作ったときに、すごく気に入っいて、「これの次を作るのやだな」ってずっと思っていたんです。でも、何かこの先があるだろうという予感だけはあって。思い返すと、そのときのひとつの限界にはきていたと思うんですね。新興住宅地に住んでいることの限界。この次はなにか本当に体験しないと、さっきのホーミーみたいに、すでに存在しているものに気づきもできないということになると思った。それで、もう引っ越さなきゃって思ったんです。
■なるほど。
高木:村だと80代から上の人がほとんどで、その下はもう僕らって感じになるんですね。もう、上の人たちにはぜんぜんちがう文化があって、断絶がめちゃくちゃ大きいんです。憧れるものとか大切にしているものがぜんぜんちがうし、見ているものもそう。お祭りなんかでも、口に出したりするわけじゃないですけど、いわゆるアニミズムみたいなものを本当に大切にしているんです。性的なものとか愛情のようなものも含めて。でも、そのひとつ下の世代はそこまで思っていない。おじいさんたちほどに自然と一体化していないというか。お祭りなんかでも、下の世代が中心になると、かたちは真似ることができるけど、核心はそこまで引き継げていない感じがしました。だから、兵庫県の山の中のお祭りなのに、平気で北海道の踊りを踊れたりします(笑)。
■ははは、それは各地でありそうですね。えっと……
高木:「ソーラン節」ですね。だけど、おじいちゃんおばあちゃんはあんまりそこに入ってこないですね。そういうことは住まないとわからなかったです。「ああ、この人しいひんねや。なんでや」って思ったことが、いまはわかります。いろいろ気づいていくんですけど、でももう長くて20年くらいしか、その人たちから学べる時間が現実としてなくなってきているんですよね。
それまでは外の世界を憧れをもって見ていたんですけれど、自分が住んでいる郊外の感じを肯定したい……映画『おおかみこどもの雨と雪』のサントラが仕上がったとき、ニュータウンに響く音楽がつくれたと思いました。同時に、できることをやりつくしたという想いもありました。
■ああ、そうですよね。……ちょっと品のない質問かもしれないんですけど、引越しされたのは、創作のモチヴェーションに一種の危機を感じたからなんですか? それとも、たとえば震災以降に地方に越される方も多かったですが、そういうようなことが関係していたりもするんでしょうか?
高木:どうなんでしょうね。でも、震災がなかったら、もしかしたらもう少し違う意識で移っていたかもしれないですね。
■じゃあ、いまのところは「見つかったから」引っ越したという感じなんですか。
高木:たまたま行ったらそうだったから、もうここに住んどこうと思って、けっこうすぐ決めました。どこかに引っ越したいとは思っていたんですけど、不動産屋さんのサイトの情報でいまの家を見つけて、いい感じだったから冷やかしついでに見に行こうと思って、そしたらすごくおもしろそうだったので……。でもいまは1年経ちましたけど、最初は寝るのもドキドキしましたよ。囲炉裏で火をおこしたりというのも、テレビでは見て知っていても、「え、ほんとに家の中で火を燃やしていいの?」って。誰も責任を取ってくれる人はいないですしね。
■いわゆる郊外というところが原風景というか、お育ちになった環境なんですか?
高木:そうですね、ニュータウンです。最近まで住んでいたところも「~ヶ丘」というようなところ。山をきりひらいてできたような場所で、文化がないんですよね。歴史もありようがない。ニュータウンですから。
■育った場所としての郊外への愛着はありますか?
高木:それはありますね。映画『おおかみこどもの雨と雪』のサントラをやらせていただいたんですが、あの作品の舞台と少し似ていて。後半は田舎に引っ越しはするんですけど、僕が知っている感じのニュータウンが前半の舞台で。その郊外の住宅街の雰囲気が、震災の影響もあってとても愛おしく思えたんですね。それまでは外の世界を憧れをもって見ていたんですけれど、自分が住んでいる郊外の感じを肯定したい……『おおかみこども』が仕上ったとき、ニュータウンに響く音楽がつくれたと思いました。同時に、できることをやりつくしたという想いもありました。この暮らし方で、僕から出てくるメロディとしてはもうこれで限界かもしれないというところまでいって。
あの土地でつくった曲は大切ですね。あるときぽっと出てきた“GIRLS”みたいな曲とか『おおかみこども~』のお母さんの曲とか、やっぱり人生のいろいろが全部入ってます。毎年毎年繰り返し弾いて育てていきたいなと思います。ちゃんと歌いなおすというか。そのほうがきちんと次にいけるって思うし。
■歌って、そもそもそういうものかもしれないですよね。
高木:そうそう、そんなに数はいらないですよね。
■はい。継承されていくものでもあるだろうし、メロディというか節だけを頭にインストールさせとくものでもあるというか。
高木:子どものころに聴いたポップ・ソングとかだったとしても、ずっと頭の中で育っていて、あらためていつかラジオなんかで聴いたときに、何かちがうもののように響いたりする──あえて聴かなかったり歌わなかったりするほうが育つということもあると思うんです。
■よくわかります。あの、高木さんが先導して一節を歌って、それをたくさんの人たちが追いかけて歌うかたちの録音が入っていますよね(“あげは – 合唱”)? あれはどういうときのものなんですか?
子どものころに聴いたポップ・ソングとかだったとしても、ずっと頭の中で育っていて、あらためていつかラジオなんかで聴いたときに、何かちがうもののように響いたりする──あえて聴かなかったり歌わなかったりするほうが育つということもあると思うんです。
高木:あれは、台湾の台北でオーケストラといっしょに演奏会をやったときのもので、まとめるのがけっこう大変だったものですね。文化も言葉もちがえば、時間もなく。それで、一通りやっと終わったというアンコールでの模様なんです。せっかくこんなに音楽を奏でられる人たちがいるんだから、ちょっと自由にやりたいなって……お客さんに「僕がまず歌うので、山びこみたいに同じ旋律を歌い返してください」って声をかけて。みんな一回歌うたびにくすくすって笑いながら──
■そう、ちょっと戸惑うような空気感もそのまま録られていましたね。
高木:そうですね。だから最初はうまくいかなくて、なにかふにゃふにゃとなってしまう。次にやってもそう。でも、ちょっとうまくなってきたときに、急に空気を変えたんです。本気でいきますよ、あそびじゃないですよっていう感じで雰囲気を切りかえたら、お客さんも急に声が変わってきて、すごく声の立つ人が出てきたりして。
■ああ、そうですよね! プロみたいな発声の人が何人かいらっしゃるみたいに聴こえました。
高木:そう、オーケストラもそこまでは様子を見てる感じだったのが、急に演奏しだして、最後の最後にばちっと合う瞬間があったんです。たった数分でここまでたどりつくんやっていうような感動をみんな味わっていて、結局その日の感想はみんな、「あれが楽しかった」っていうのばっかりでした(笑)。
■ははは! すごいですね。ライヴならともかく、演奏会ってなかなか煽られても声を出せないですよ。そのお話に鳥肌が立ちますね。あれは、ホール……いや、体育館みたいな音響ですよね?
高木:あ、体育館みたいなところですね。
■なるほど、でもハコに集まってきた人たち……音楽好きな人たちではあるわけで、それに対して今回録っているのは村、庭先、そのつもりのない人たちじゃないですか。その両者、あるいはエチオピアだったりっていうものの差までが、今回はひとつに統合されるという印象も受けます。
高木:ね。だから細かいところでいえば、場所もちがったり、音の処理なんかもちがうし、違和感のある人はあるかもしれませんけど、音を使って何をやるかという点では全部同じなんです。たとえば、ピアノを弾いて、鳥がなくのを待って、それを聞いてからまた弾こうかなと思うと、思ったとおり「ほーほけきょ」ってなくんですよ。後から編集しようと思えばできることですけど、現実にちゃんとそうなるので、こっちは音を鳴らすだけでいいんです。ぜんぶその耳で聴いてもらえれば……。“せみよび”っていう曲があるんですけど、あれも合成じゃなくて、やっていたら蝉が自然に歌ってきたっていう感じです。
■ああ、そうなんですね。
高木:なにか、「これが答えです」っていうようなつもりはないんです。読書とかもそうなんですけど、好きな読書体験って、いかに勘違いできるかということだったりして。
一同:ああー。
高木:数ページ進んでしまってから「ああっ!」って。読みながら空想してしまっていて、ああ、いますごくいいことを空想していたけど、読めてない! っていう感じになって、ちょっと戻ってもう一回読むんです。それで、その本の内容がすごくおもしろかったという話を他の人にしたりするんですけど、後で読んでみたらぜんぜんそんなこと書いてないんです(笑)。
■はははは! そこまではないですけどね。
高木:だから、たぶん空想の誘発剤になるところが好きなんです。
今回ほどハンディなレコーダーに頼った録音はいままでになかったと思います。それに耐えられるだけの機材が出てきましたよね。
世の中がデジタルに移行していったことで、ようやく何か作れるようになった世代ですから。そういうタイミングでなければ、別の仕事をしていたかもしれません。
■なるほどー。初期から一貫している部分も変化のように見える部分もあるわけですが、環境については今回大きな動きがあったということをすごくたくさんおうかがいできました。録音の仕方や方法については、これから変化していくことはありますかね?
高木:そうですね……。今回ほどハンディなレコーダーに頼った録音はいままでになかったと思います。それに耐えられるだけの機材が出てきましたよね。それに、カメラの性能が上がったのといっしょで、わざわざ後からInstagramみたいなものを用いなくても、iPhoneなんかでさえすごく見たままのものを撮ることができる。カメラで撮った場合についてしまう脚色が極力なくなっている……みんなそれがいやでInstagramとかを使うのかもしれないですけどね。
■ああ、そうですよね。
高木:だからいいことか悪いことかはわからないですけど、僕はけっこう見たままのものがいいと思うので、その意味ではけっこう頼れるものが出てきているなと思います。昔にくらべて、いま聴いたままのものが録れるようになっている。
あとは……やりたいことの理想はあるんですけどね。つねにぱっと録りたいし、事を起こしたいです。引っ越したし、いろんなことをやれる空間もありますし。いままではひとりひとり会いにいって録音したりしていましたけど、これからはばっと家に集まって録ることができるなあということはありますね。ひとりでずっと作っているのに飽きてきて。だから合宿みたいにやれたらいいなって。まあ、他のミュージシャンの人たちがふつうにやっていることではありますけれども(笑)。
■そうですけど、それもおもしろそうですね。
高木:自分にとっては新鮮で。泊りがけでずっと何かをやるとかっていうことが、これまであんまりないんですよ。そのほかには、次に映画音楽を頼まれていますね。それはピアノを使っちゃいけないというしばりがあって……じゃ、何やるんだっていう(笑)。
(一同笑)
■ははは! でも、お住まいがすごい田舎になっているけど、テクノロジーを嫌わない感覚って高木さんの音楽にとってもけっこう本質的なことのような気がします。エレクトロニカという出自も併せて。
高木:コンピュータが安くなったり、デジカメが出てきたり、インターネットを使うようになったり、世の中がデジタルに移行していったことで、ようやく何か作れるようになった世代ですから。そういうタイミングでなければ、別の仕事をしていたかもしれません。たしかにあの頃は新しく出てくる機材やソフトやアイデアがいちいちおもしろかったですが、だんだん何でも簡易に大雑把になっていく傾向があって物足りなくなっていったんですね。
僕自身は、その頃からきちんと根本的なことを学びたいとか、時間が掛かってもいいから自分の身体で何かしたいという風に変わっていきました。
世の中もひと回りして、音質や画質がぐんといいのが当たり前になって、だからこそ何を記録するのか、何を残したいのか、核心部分にきちんと取り掛かれるようになってきたと思ってます。
高木:そうこうしている間に、世の中もひと回りして、音質や画質がぐんといいのが当たり前になって、だからこそ何を記録するのか、何を残したいのか、核心部分にきちんと取り掛かれるようになってきたと思ってます。僕としてはいい流れというか、演奏できる身体になってきたなと思ったら、ぽんと気楽に置いておくだけでいい音で録音できる機械がでてきて。村での録音も、ひと昔前だったらここまで簡単に鮮明にはできませんでしたから。いいところに落ち着いたなと思ってます。僕と同じように、「こんなにきちんと残せるならこれを残したい」っていう人はこれからきっと他にもたくさん出てくると思いますよ。













