「IO」と一致するもの

interview with Takagi Masakatsu - ele-king


高木正勝
かがやき

felicity

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 高木正勝が久しぶりにリリースする「オリジナル・アルバム」は、今年もっとも心を揺さぶられた作品のひとつだった。であるにもかかわらず、筆者は彼が今作で録ったものが何であるのかをはっきりと言い表すことができない。

 2枚組となる『かがやき』のディスク2には、スタジオジブリを描いた映画『夢と狂気の王国』、NHKのドラマ『恐竜せんせい』のサントラが収録されている。そこでは『おおかみこどもの雨と雪』や数多くのCM音楽などますます充実する高木正勝の近年の仕事の一端を垣間見ることができるだろう。しかし筆者が驚くのは1枚めの、なかでも昨年引越したという山村で録られた作品群だ。

 ある山村でのフィールドレコーディング作品だと言えば説明としては間違っていない。だが高木は山へわざわざ出かけていって採音してきたわけではない。彼はそこに住んでレコーダーを回している。
 となると、音による生活環境の記録だと言うほうが正確だろうか。それも間違ってはいないだろう。しかし彼は録ったままの自然ばかりではなく、そこで演奏をし、そこに住む人びとに演奏もさせている。ばかりか、その依頼の模様の録音をそのまま収録してさえいる。
 それならば素人とともに作り上げた一種のリレーショナル・アートと言うのはどうか。これまた見当はずれではないと思う。しかしそのリレーションというのは、作品を離れてからもつづいていく、隣人たちとのあいだにつながれたものなのだ。

 高木が録音したものはつまり環境であり生活であり関係でもある。そしてそこに歴史と文化が加わることも、以下を読み進めていただくとよくわかるだろう。土地の歴史と独自の習俗が彼に及ぼした影響は、「天気にすべてが左右される」という厳しい自然環境からのそれと同等以上に大きいことがしのばれる。環境、生活、関係、歴史、文化……。これだけ挙げると、高木が録ったものは世界なのだと要約できるのかもしれない。本作中には、第5回アフリカ開発会議(TICAD V)の一環として依頼された、エチオピアでの滞在とそれをもとにした作品制作企画「うたがき」からもいくつか収録されているが、ここで言うのはそうしたものに表象される「世界」とはまた意味を異にする世界のことである。自分を真ん中に入れて成立しているさまざまなことがら。高木が『かがやき』において行っているのは、それをひとつひとつ確認するような営みであるように思われる。そしてそのなかに彼は“かみしゃま”を見つける──それがどんなものなのかは、本作を聴き本文を読んでみてもらいたい。

 間をあけてみたび現れる“かみしゃま”の、そのそれぞれに涙腺がゆるむだろう。サントラとちがってそれは「ヴァージョンちがい」ではなく、ひとつひとつが生きた解釈として響いてくる。そして、何の説明がなくとも、たとえこのインタヴューがなくとも、こうしたことはディスク1を聴いていけばすべて明白に語られている。難しいものではない。高木の美しいピアノと旋律はそれに聴き心地のよいフォームを与え、音響作家としての、あるいは映像作家としての優れた感覚が、それを上質で飽きることのないBGMのようにも仕立てている。うっかり聴きはじめて、いつしかそのなかに溶け入ってしまう。そして作家の経験を通してその世界をすっぽりと追体験してしまう。素晴らしい読書をしたあとのようだ。

高木正勝 / Takagi Masakatsu
1979年生まれ、京都出身。2013年より兵庫県在住。美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。『おおかみこどもの雨と雪』やスタジオジブリを描いた『夢と狂気の王国』の映画音楽をはじめ、コラボレーションも多数。

自分の音がエレクトロニカと呼ばれるのは、その頃エレクトロニカと呼ばれていた音を作っていた人たちに失礼なんじゃないかと思っていましたね。

高木さんのキャリアのスタート地点には──こう括られるのが本意ではないかもしれませんが、エレクトロニカのひとつのブームがあったと思います。フォークトロニカとかグリッチとかブレイクビーツとか含めて、ですね。フェネスとかピタとか池田亮司さんとかがいるもう片方で、高木さんの『コイーダ』(2004年)のジャケなんかが思い浮かびます。実際に高木さんのなかでは、そうしたシーンの一部であるような意識があったんでしょうか?

高木:最初の1、2枚くらいは、あったと思います。海外のレーベル(〈カーパーク〉や〈カラオケ・カーク〉など)から出していたのは、まだ「エレクトロニカ」っていう呼び方があったかなかったかという頃でした。タワーレコードとかでも「その他」っていう棚で──音響とかアヴァンギャルドとかの一角が「その他」という感じで、いまエレクトロニカと認識されているようなものは「実験音楽」というような呼ばれ方もしていたと思います。
 自分の音がエレクトロニカと呼ばれるのは、その頃エレクトロニカと呼ばれていた音を作っていた人たちに失礼なんじゃないかと思っていましたね。「素人音楽」というような名前があればいいのに、って(笑)。自分の仕事は、映像制作がメインだと思っていたので。

ジャンル全体としては、コンセプチュアルに手法とか実験性を詰めていくような流れがありましたよね。高木さんご自身はもっと感覚的に作られていたという感じでしょうか?

高木:そうですね、そういう人たちがやらないことをやろうとしていました。オヴァルとかフェネスとかが出てきたときは、とてもいい音なのに、なぜこの音を使って旋律を作らないんだろう? って。あとは、なんで楽器の音を上に乗せないんだろう、足さないんだろう、とか。たぶん、そういう隙間を見つけて、自分でもドキドキしながら作っていたと思います。ピアノの音を上に乗せてみたらどうだろう、とか、いまコンピュータで流したよくわからない音をピアノで弾いてみたらどうなるだろう、っていうふうにやっていたら、『コイーダ』の“GIRLS”みたいな曲ができたりして……。そういうのが「エレクトロニカ」だったのかもしれないですけどね(笑)。

まだいろいろと柔らかい部分があったかもしれません(笑)。そういういろんな取り組みのなかから「エレクトロニカ」っていうものの輪郭が立ち上がってきたのかも。

高木:いろいろと考えていましたよね、みんながみんな。

そうですよね。その「考える」ことをしなかったりメロディアスだったりすると、ちょっと厳しく見られたり……その意味では変なストイシズムもあったんじゃないかと思います。

高木:そうだと思いますね。

高木さんも、最初の頃はピアノが少なかったですよね。あるいは、モチーフの底に沈んでいたというか。

高木:はい、はい。

でもそういうものが、あるときからばーっと出てきたというか。生音とか声とかを積極的に使われたり、フィールド・レコーディングに寄っていったりっていう流れがあって、そのひとつの極点が今作『かがやき』のディスク1なんじゃないかと思うんです。

高木:案外変わってないかもしれないですね。むしろ、すごく濃密にその時期やっていたことを詰めると、今回みたいなことになるのかもしれません。演奏も入っているし、あの頃のフィールド・レコーディングだったり、映像的に作ったりしていたのを、いまちゃんとやるとこうなるっていう……。だから、10年前にこれができていたら確実に「エレクトロニカ」って呼ばれたんじゃないか(笑)。

ははは!

高木:電子音入っていなくても。

たしかに。でも、どの棚に置くかというのはレコ屋さんにとってますます悩ましい問題になっていると思います(笑)。

高木:今日、たまたま時間があったので、本当に久しぶりにCDショップに行ったんです。もう、何年ぶりという感じで。そしたらJポップ、Jインディというのはわかるんですが、「アニメ」ってジャンルができていて、アニメって何だろう!? って思って。

映像作品が置いてあるのかなと思われたわけですか?

高木:というか、どういうジャンルのことだろうと思って行ってみたら、ああー! ってなりました。アニメの音楽っていうのが、「ワールド」とかみたいに、こんなに大きな括りになってるんやって。「ワールド」のところに行ってみると、今度は「Kポップ」とか。

ははっ、浦島太郎みたいじゃないですか! アニメなんてチャートもすごいんですよ。

高木:そうなんですね。さらに田舎に引っ越してしまって……。大きな店もなくなってしまいましたから。

あ、そうですね、本当に久しぶりだったんですね。


去年引越をしたんですが、それこそ昔話が暮らしのなかに残っているようなところなんです。何か無理をしなくても、マイクを置いてピアノを弾いただけで、勝手にそういうものが入ってきちゃうんですよ。

さっき「フィールド・レコーディング」と言ってしまいましたが、とくに今回のアルバムで使われている録音(素材)に触れると、「フィールド・ワーク」というほうがしっくりくるような感じがするんです。なんというか、「環境音」として、コンセプチュアルに音楽に取り込んでしまうのではなくて、実際にそこに入っていってありかたそのものと関わるというか。

高木:ああ、あると思います。

何かの折に柳宗悦さんについても言及されていたかと思うのですが、たとえば民芸だったり民俗学みたいなモチヴェーションが、創作の深い根元にあったりするんでしょうか?

高木:ずっと興味がありました。でも、日本でそれをどうやったらいいかわからなくて、海外の、昔話の生きているような生活がある土地をねらって撮影に行ったり。新興住宅地で生まれ育ったので憧れもあって、実際に見たり聞いたりしたいなと。
 でも、去年引越をしたんですが、それこそ柳田國男さんなんかが追われていたような昔話が暮らしのなかに残っているところなんです。だから、何か無理をしなくても、マイクを置いてピアノを弾いただけで、勝手にそういうものが入ってきちゃうんですよね。

ああ、すごくそんな感じです。

高木:たとえば誰かおばあちゃんの声で歌ってほしいなって思ったら、まず誰かに探してもらって、決まったら挨拶にいって、っていう手順を踏むことになると思うんです。でもそうじゃなくって、1年つきあってきたおばあちゃんに「曲あるけど、ちょっと助けて! 歌って!」って声をかけて、「んー」って……「譜があるんやったらいいけど、こんないきなりは無理やわ!」ってやりとりをして(笑)。

ははは!

高木:住んでなければそうやって歌ってもらうって発想もないんですけどね。でも「いやー、歌ってよ!」って家によんだり、縁側で録ったりして。

なるほどー。それがアルバムの頭からしばらくつづくパートでしょうか。

高木:ちょこちょこ入れてますね。以前だったら、たとえばいろんな音を使いたいっていうような──音を素材として考えて、レゴブロックみたいに組み立てたいというようなところもあったと思うんです。でも、今回はそんなふうに考えなくても、窓を開けたらカエルがわんさか鳴いているし、車の光にも集まってきてぴょんぴょん跳ねてるし、鳥もすごくいて、ピアノを弾いていたら寄ってきたりするし、いろんな音が録れてしまう。そういうのが毎日のことなんです。そんな風景をなんとか残せたらいいのにな思うと、自然にフィールド・レコーディングみたいな発想になっていきますね。
 でも、いわゆるフィールド・レコーディングというか、なんというんでしょうかわざわざ山に出かけたりして──

わかります、「山へいって素材を採ってきました」という感じともちがうと。

高木:そう、そういう感じじゃないんですね。自分の住んでいる家の音、村の音をなんとか聴けるかたちまで整える。整えるっていうか、音として届けようとするとこのかたちにしかならなかったというか……(笑)。

いえ、すごくよくわかります。あのおばあちゃんの歌は、練習していないんですか?

高木:いえ、いちおう練習はしてくれたんですけど、CDに使えたのは最初に遊びでやっているところですね。そのあと練習したいというので譜面も渡したんですけど、後日「練習したけど、(録音は)まだかい?」って言われたときには、「いやー、じつはもう終わってて」って(笑)。

ははははっ。

高木:「いや、練習してるがなー」っていうから、「じゃ、録ってみるかー?」って録ってみたら、ぜんぜん歌えてない。むしろ悪くなっている(笑)。

ピアノの音に頼ってつられようとしている感じ、音程に迷いが生まれている感じとか、リアルにわかりました(笑)。

高木:新しいメロディになりすぎたりして。

はははっ。

高木:あかん、好き勝手やりすぎや、って。……僕が欲しかったのは、普段の素敵な、おばあちゃんのしゃべっている延長の声なんです。でも練習したり録音したりってなると、すごく何かの型にはまってしまうんですよね。おばあちゃんたちのなかの録音のイメージ、たとえば氷川きよしだったりとか、演歌の人、テレビの人の歌い方に近づいていってしまうんです。そうじゃない、そうじゃない、まんまでいい。

ああ、むしろ「まんま」ってコンセプトを伝えることのほうが難しい、みたいな。

高木:そう、難しいんです。だから何も説明せずに録っとくしかないですね。

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いまはカメラを向ける側ではなくて、カメラを向けられた側にいるというか。そっち側にいる自分を撮りたいやと思うようになったんです。


高木正勝
かがやき

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“かみしゃま”の朗読とかも、ぶつっと切って使われてますね。ぶつっと入れて、ぶつっと切って。あの使い方もすごくはっとするものがありました。

高木:ははは。

たぶんそのようにしか入れられないんですね。

高木:入れられないですね。

だから、ある意味では実験性も高いと思うんですが、一方ですごく聴きやすいものでもあると思います。イージーなんじゃなくて音楽至上主義的じゃないというか、あくまで人と人の間にあるものとして発想されているというか。

高木:たぶん、ちゃんとした録音で、間違いのないものを録ろうっていうふうに、はなから思っていないところがありますね。あるときからライヴ・アルバムを作るようになって、こんないわゆる「オリジナル・アルバム」って感じのものを作るのは久しぶりなんですよ。

ああ、そうですね。

高木:前回はそういう意味でのアルバムというよりも、コンピレーションという感じだったし、ほとんどが仕事の曲でもあったんです。今回もそのつもりだったんですが、なにかうまくハマらなくって……。それで新しく録り出したりしました。だから、「アルバム」っていう感じで作ったものは2006年くらいが最後で。すっごく久しぶりだから、ドキドキしたんですよ。

オリジナル・アルバムとしての緊張感がすごくあります。

高木:おばあちゃんの曲とか作るじゃないですか。映画の音楽とかCMの音楽だったら、誰かが、「そこまで」とか「これでいいです」って、締切やOKの合図をくれるんですよね。でもこのアルバムは、曲を入れるか入れないかということを含めて自分で判断しなくちゃいけない。レーベルの人に反対されるじゃなし、さて、このおばあちゃんのを入れるべきかどうかって、すべて自分で決めなくちゃいけないんです。だから毎晩のように、「これ……。録ったはいいけど、どうしようかなー……」って悩んで(笑)。

ははは!

高木:誰が聴きたいのかな、これ、って。久しぶりにそんなことを思いました。

なるほどー。でも、たとえば『Tai Rei Tei Rio』だって、エチオピアに行こうという企画先行の作品にせよ、暮らしとか人と人のなかに入っていこうという作品だと思うんです。そういう原型はすでに少しずつかたちづくられていたのかなとも感じます。

高木:今回は2枚めがいわゆるサウンドトラック集になるんですが、やっぱり、サントラとしてじゃなければ作っていないだろうなという曲が多いんですね。同じ曲の編曲ヴァージョンあったりとか、展開の仕方だったりとか、こういう曲を、なんにもないのにわざわざ自分で作ったりはしないだろうなと。1枚めを聴くととくにそう思います。

はい、まさにわたしもそう思って──今日おうかがいするのはディスク1についてだと思って来ました。それこそ『ミクロコスモス』(『Mikrokozmosz 2003-2007』、2012年)の冒頭の曲(“Private/Public”)とかは、まだ「素材」という感じのフィールド・レコーディングのフォームだったと思うんです。

高木:あ、そうですね。というか、たぶんいまとはすごく大きくちがっていると思います。エチオピアでやった『Utagaki』(2013年)とかに入っている音にしてもそうなんですが、それらはたしかに自分が体験したことではあるんですけど、相手が何をしゃべっているかもわからないし、音としてしか聞いていないようなところがあるんです。それに、どうしてもカメラを向けている感じがあって、自分はその中にいるけど、本当の意味ではその中に入っていないんですね。ただ「見ている」という感じ。うらやましいなと思って見ているんだけなんです。Facebookで「いいね!」って押している感じというか……。

はい、はい。

高木:それが、いまは見ていた側ではなくて、カメラを向けられた側にいるというか。そっち側にいる自分を撮りたいやと思うようになったんです。だから、「いいね!」って思っていた環境に近いところが見つかったから、そこに引っ越してしまいました。今回のアルバムの1枚めっていうのは、もう、そういうことでしかないですね。

すごくよくわかります。

高木:引っ越してからは、自分のまわりに起こることがおもしろいから、それだけでいいんです。誰かが録ってくれればいいんだけど、録ってくれないからつねに録音機を持ち歩いていました。だから、旅行をしながら撮っていたようなものとはぜんぜん目線がちがいますね。この1年2年の暮らしぶりというか、写真のアルバムみたいな感じです。

まさにそこに感動するアルバムだと思います。でも、ここであえて反対側からも考えてみると、わたしの耳には、おばあちゃんの発語もポリネシア語もある意味で同列だったりするんですね(笑)。何を言っているかよくわからなかったりしますし。でも音としてはっきりと何かを訴えかけてくる。そういう「音」っていうレベルから言えば、『Tai Rei Tei Rio』とかもふくめて、高木さんの仕事のなかで溶け合うものでもあると思います。
 発話、発語、何かが音といっしょに生まれてくる瞬間、そういうものがぐわっと取り出されていますよね。

高木:たぶん、僕はそこしか見ていないと思います。たとえばコンサートでも、ずっと練習してきた曲で少し整わない部分があっても、うまくいかなかったというのではなくて、間違いがきっかけでものすごい境地にいけたりします。何かがポンと出てくる瞬間がすべてなんです。


「山で何がおもしろい?」ってまわりの人に訊いたら、とにかく春だと言われて。

高木:1曲め(“うるて”)でしゃべっているのは97歳のおばあちゃんなんですけど、よく柿を採ろうとして曲がった腰のまま手を伸ばしてたりするんです。それがもう、最高の褒め言葉のつもりなんですけど、猿にしか見えない。「シヅさーん」って呼びかけてビクッて振り返る感じも本当に……「猿だ」って(笑)。

ははは!

高木:でも、自分もだんだんそっち側になっているというか、同化していっているところがあります。まだ引っ越して一年ですけど、いろんなことがありました。山のなかではじめて冬を越して、春を味わったんです。「山で何がおもしろい?」ってまわりの人に訊いたら、とにかく春だと言われて。

ああ、春。

高木:そうなんです。「何があっても春だけは体験していって」って言われました。冬は雪も降ってすごく厳しくて、村じゅうが鬱になっていって。

村じゅうが!

高木:はい(笑)。家の中でも、はじめて妻と喧嘩になって……閉ざされた空間で、寒いし動けないし、世界にポツリっていう気分になってくるんです。もう、厳しいなあって。

へえー。

高木:その後くる春の感じが──。もう、日に日にという感じで、あ、芽が出てきた、双葉が出てきたっていうところからはっきりわかるんです。ひとつひとつの変化がうれしくて。鳥がいなかったのに来はじめる瞬間とか、虫がいなかったのに、今日、いま、まさに卵から孵って出てきたんだなっていうようなこととかに全部気づくんですよ。いままで見えてなかったものが一気に見えはじめるんですね。

ああ……。

高木:桜の枝とか花が咲く前に赤くなるって知ってました?

いえ? それはなんというか、オーラとか、比喩的な意味とかではなく?

高木:ええ、見たままというか。おばあちゃんが「枝が赤くなってきたから、花ももうすぐやわー」とかって言うから見てみると、「あ、ほんまや」って。

へえー! それは知らなかったですけど、たしかに、花が赤いからにはその色素がどこかからきているわけですからね。

高木:そうです。昔は、咲く前の枝を切って布を染めるというのが最高の贅沢だったと言ってました。枝から出てくるんですね、色が。それは東京でもどこでも同じはずなんですけど、見えてなかった。いまはすごく解像度が上がったというか。味覚だってそうなんです。野菜なんかもいままではスーパーでしか買ってなかったけど、それはけっこういろいろ壊れたあとのものなんですよね。消毒もされているし。でも自分で育てたものとか、おばあちゃんからもらったものとかだと、採ってそのまま食べますし、少なくともその日のうちに料理して食べてしまうから、ぜんぜん味がちがうんですよ。いままで味わっていたその味覚の幅がすごく広がって、こんな味があるんやってことがわかってきて、おもしろいですよ。

その「解像度が上がる」っていう感覚が、今回の音においては単にプロダクションをクリアにしていくっていうのとは違う方向に出ている気がします。ロウというかなんというか──

高木:うん、そうかもしれませんね。でも本当はクリアに全部録れているならそれでいいのかもしれないです。やり方が……わからないだけで(笑)。たとえば、ホーミーとかがわかりやすいんですけど、声にもたくさんの倍音が含まれているんですよね(※1)。それを感じるか感じないかというのは、生活を大きく違うものにすることだと思います。気にしなくてもいいことではあるんですが。

※1 ひとしきり担当のHさんとホーミー講座を受け、i音で倍音を感じました

なるほど。

高木:気にしはじめると止まらなくなることなんですよね。たとえばピアノを弾くときも、「ド」しか感じない弾き方というのもあるんですけど、その一音に「ドソドミソシ♭ドレミ……」とたくさんの音が重なって鳴っていることにきちんと意識を向ける。奏でた音の響きに耳を澄ませて、それから次の音を鳴らすという弾き方に変わっていくと、同じ楽器といってもまったくちがったものになっていくんです。

ありがとうございます、感覚の感覚はわかった気がします。ちょっとずれちゃうかもしれませんけど、“かみしゃま”って、歌とピアノを同時に録ったものですか?

高木:別ですね。

そうですよね。ピアノが後ですか?

高木:後ですね。

あ、ですよね。なんか、普通はピアノ伴奏に合わせて歌をうたうものですけど(笑)、あの曲は歌にピアノを合わせにいっている──寄り添わせていっているというか。

高木:ははは!

そこに感動がありました。それが、さっき言っていた「音楽至上主義じゃない」っていうことなんですよ。音楽に人を合わせるんじゃなくて、人に音楽を合わせる。

高木:僕はそればっかりしかやってないかもしれない(笑)。

ははは。いえ、その感じがいちばんラディカルに出ているのが、この『かがやき』の1枚めなんじゃないかって言いたかったんです。

高木:ああ、2枚めはそれが映像相手ということになるかもしれないですね。

悪い意味ではなく、きちんとした製品にもなっているんだと思います。その意味では対極的な2枚組ともいえますよね。


餅を食べて、なにか「入った」っていう感じがしました。山を食べたような気もしましたし、なんだろう……生殖にかかわる何かだという感じもしました。

高木:ねえ。1枚めは村に引っ越していなかったらなかったものです。まあでも毎日気にしないといけないものが変わったり、どこでどんな風に暮らしているかは大きいです。雨が降ってきても前の家では大して気にしなかったですけど、山では降ってくるだろうなってことが目にも見えるし、肌にも感じるし。数時間後にくるから洗濯物しまおう、とか、古い家だから通気しないとすぐカビるんですが、あ、閉めたほうがいいかな、とか。

感覚がフルに働きはじめるというか。

高木:うん、そうですね。聞いたことのない音がきこえるなって思うと、何かがいたりもします。妻なんかはすごく聞こえるんですね。ごはんを食べていて「なんか音する」って。僕はぜんぜん聞こえないんですけど、「なんかいつもしいひん音がする」って言うんですよ。それで「こっちや」って見にいったらムカデがいたんです。

ええー! ムカデの音ですか?

高木:そう、「カサカサっていうとったよ」って。僕も「ええー!」って思いました。で、危ないから取って。
 それから、離れにスタジオがあるんですけど、夜、真っ暗な中でそこに行こうとしたときに、何かいるって思ったんですね。何かいつも嗅がないにおいがする、って。

はい。

高木:これはマムシだなと思いました。そしたら、マムシで。

ええー!

高木:やっぱりいたなって。

ええー! って、さっきから「ええー」しか言ってないんですけど(笑)、誰でも住めばそうなれるものですかね?

高木:うーん、はじめはこわいですけどね。でも、自分でもなんでわかったんだろう? って思いましたよ。マムシはつがいで出るって聞いていたんですが、やっぱりそうで、一回家に戻って出たら、におうんですね、もう一匹おりました。

ははは! 今作は、マムシのにおいがわかるようになった高木さんのフィーレコなわけですね。

高木:そりゃ、変わりますよね。

うーん、なるほど。その感じは「かみしゃま」ってものにも結びついていくんじゃないかと思うんですよね。実際、「神様」のイメージは高木さんのなかでどういうものなんですか?

高木:その歌詞どおりで。自分だけじゃなくて、村の人もみんな感じているところを拾おうと思いました。狙ったわけじゃないんですけどね。たとえば、村にいろんなお祭りがあるんです。ひとつひとつはちっちゃいものなんですが、そのひとつに「やまのかみさま」っていうのがあって。

お祭り名が「やまのかみさま」なんですか?

高木:そうなんです。「今日、やまのかみさまやし」って言われて。

ははっ! なに言ってるのかわかんないですね。

高木:はい、「なんやそれ?」って。それで、「男だけやから」って言われて、前の日にお餅をついて、それを藁でできた包みの中に入れるんです。楕円形のような……子宮みたいな感じですね。そこに卵なのか精子なのか、本当に真っ白な餅を入れるんです。女の人はさわってはいけなくて、男だけでやるんですね。

へえ。

高木:それを持って朝早くに山の中に行くんですけど、時間通りに行ったら誰もいなくて(笑)。約束したやん。みんなどこよ? って(笑)。

ははは。

高木:探しながらもっと山に入っていったら、みんな焚き火をしていました。その餅をくべて、焼いて食べるんです。「山とセックスしてるみたい」「山から産まれてきたみたい」って思いました。そういう、山が女で男で……っていうような民俗学みたいなものは、情報としては知っていましたけど、素直にそう思いました。餅を食べて、なにか「入った」っていう感じがしました。

ああ、命か、魂みたいなものか。

高木:山を食べたような気もしましたし、なんだろう……生殖にかかわる何かだという感じもしました。

ええ、なるほど。

高木:お祭りって全部そういうものだと思うんですけど、その感じをみんななんとなくわかってやっているという感じですね。おじいちゃんから子どもまで。で、「いいねー」って食べて、「じゃ帰ろかー」って(笑)。

ははは! ささやか。

高木:なにか、そういうものが生きているんですよね。歌ってくれているおばあちゃんなんかも、お地蔵さんの前を通るときに「あっ」ってやるんです。


こういう毎日なので、暮らしの中でいろいろ発見できる。それを素直に歌詞に書いていくと、神様ひとつとっても、あまり宗教的にならずに、借り物じゃない言葉で表現できたんですね。

どういうことですか?

高木:軽く身を引くというか、お辞儀するというか。神社とかでもお社の何かに触れると「あっ」ってやっていて。診療所に行きたいっていうから車で送ったんですけど、お地蔵さんの前を通るときに、やっぱり「あっ」って言うんですよ。「ん? いまなんか言ったぞ」って思って(笑)。

なんなんですか(笑)。

高木:次の、隣の町の神社のところでもまた、「あっ。今日は若いもんに乗せてもらってます。あっ」みたいな。報告するんですよ。

(一同笑)

高木:それが僕らにも伝染ってきて、東京に来るときも「あっ。東京行ってきます」って(笑)。

ははっ。それが「あ」であることが不思議ですけどね(笑)。お参りのときに出る声みたいな息みたいな。

高木:それをなんて言ったらいいんだろうって……。「神様」っていうとなにか──

なるほど。まして「ゴッド」じゃないですし。

高木:そう。なんか、「かみしゃま」ってふうにはぐらかしたかったし、見近な感じにもしたかったし。それが“かみしゃま”ですけれど、でもそのうたを紙にして持っていって、おばあちゃんに読んでもらうと、「かみさま」って言うんです。

え?

高木:「かみしゃま」を「かみさま」って読む。そこはちゃんとしたいんです。

そこは(笑)。

高木:そこは「かみさま」なんやーって思って。

ははは。すみません、確認なんですが、この詩は村の伝承とかから採ったものなんですか?

高木:いえ、これは僕が作ったものですね。だから「かみしゃま」をかみさまって読むのもわからなくはないんですけど、でも歌のときは「かみしゃま」って歌うんですよ。歌のときはかみしゃまで違和感ないの? ってきくと、「これはかみしゃまでわかるよ」って。

へええ……。

高木:あ、そんなに難しい話じゃないんだなって思いました。引っ越す前はこんな詩はいまの半分も書けなかったかもしれません。たとえば、「みずはくもにあめにゆきにちになり」っていう歌詞が出てくるんですけれども、それも引っ越したあとの暮らしの中で気づいたことなんです。とにかく天気を気にすることから出てきた言葉というか……天気のせいでいろんな事件が起こるので(笑)。
 太陽自体は変わらないんですけど、雲が遮るとくもりになって、それが降り出すと雨になるじゃないですか。以前はそれだけだったんですけど、いまは目の前で雲ができあがっていくのが見えるので、「ああ、雲って水か」って実感できるんですよ。そうすると、天気って全部水のことやん、って思って。家の横の川も、それが何かでせき止められると土砂崩れが起きたり家の中がかびたりするので、つねに流れているようにしなくちゃいけないんですね。それで溝を掘ったりする。そういう水の循環の真ん中に自分たちが立っているという、こういう毎日なので、暮らしの中でいろいろ発見できる。それを素直に歌詞に書いていくと、神様ひとつとっても、あまり宗教的にならずに、借り物じゃない言葉で表現できたんですね。
 僕は、日本語で歌詞を書きたかったんです。それがずーっとできなくて、でも引越しをしてそれがようやくできるようになりました。毎日起こったことを普通に書いていくだけでいいので……。

なるほど。そういう「かみしゃま」については、わたしも知識としては「アニミズム」なる言葉に結びつくようなかたちで知っていたりするわけなんですが。高木さんはもっと皮膚で感じるような具体性とともに理解されたってことなんですね。

高木:そういう言い方でわかる人ならいいんですが、おじいちゃんとかおばあちゃんとかだと、どういうふうに言うのか……というところですよね。

そうですよね。かといって「これはアニミズムをテーマにしたアルバムなんです」というのもちょっとちがいますしね。そんな言い方のレベルの解像度ではとらえきれないような、すごい情報量のつまったアルバムだと思います。
 いまの歌詞の部分はわたしも訊きたかったところなんですが、「くもにあめにゆきに」はわかるんですが、「ちに」なるというところはちょっと驚きがありました。「ちに」なるんですね……「地」か「血」かわからないですけども。

高木:そうそう、「血」のことですね。でもたぶん「地」のことでもあります。前のアルバム(『おむすひ』)で絵本を付けたときに、ひとつひとつの言葉について知らないと、言葉を扱えないなと思ったんです。前から言葉には興味があって。日本語がおもしろいのは、「あ」とか「い」とか、ひとつひとつの音にすごくイメージや意味があって、「葉(は)」だって「歯(は)」だって、あとは「はな」だって同じ「は」という音を持っていますけど、音しかない時代にそういう言葉ができたとすると、どれも何らかのイメージは共有していたんじゃないか──たとえば「刃(は)」と「歯(は)」は同じ鋭利なものというところは共通していますよね。そうなると、「あいうえお」ひとつひとつを知らないと、こわくて使えないなっていう気持ちになるんです。

なるほど。

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何かこの先があるだろうという予感だけはあって。思い返すと、そのときのひとつの限界にはきていたと思うんですね。新興住宅地に住んでいることの限界。


高木正勝
かがやき

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高木:「ち」の話に戻ると、ようやく「ち」って使っていいって気持ちになったんだと思います。急にというよりも、たぶん何年もかけて。

中西進さんとかを引用してお話されていたことがありましたよね。万葉というか、現行の日本語につながるものの前、言葉以前のものに近いところに戻っていくような感覚なんだなって思いました。

高木:そうですね。そういう言葉遊びができるのがおもしろいです。「やみのおくとひかるおくのまじわり」っていうときに、音だけだと「奥」なのか「億」なのかわからないですよね。それぞれでイメージも変わります。さらに、「ひかるおく」の「おく」が「億」だとすると、億と億が交わるってすごいイメージになるじゃないですか。僕はそっちのイメージで書きました。

なるほど、たしかに。

高木:でも、説明しなければ、多くの人は「闇の奥」と「光の奥」のさらなる光の交わりを想像するだろうなと思いました。それが「闇の億と光る億の交わり」になると、夜は夜ですごい闇がいっぱいあって、朝になってくると光がつぶつぶにたくさんあって、それが毎日毎日交わっているのが「かみしゃま」っていう感覚なんだよって……。

ああ!

高木:おばあちゃんとかはなんにも説明しなくてもわかってくれていて、ちゃんと「やみのおくとひかりのおくとまじわる」って読むんですよ。「まじわり」って書いたのに、なんで「まじわる」って読むんだろうって思って……すごくぞっとしたんですね。なにかいますごいことが起こったって(笑)。そういうことはどこまで聴いている人に伝わるかわからないんですが。

そういうものの原アイディアみたいなものは、すでに“Nijiko”とかに端的に表れているとも思うんですが、でもその発想が本当に音の世界で肉を得たのが今作という感じがします。つながってますよね。

高木:よかった。だから『おむすひ』を作ったときに、すごく気に入っいて、「これの次を作るのやだな」ってずっと思っていたんです。でも、何かこの先があるだろうという予感だけはあって。思い返すと、そのときのひとつの限界にはきていたと思うんですね。新興住宅地に住んでいることの限界。この次はなにか本当に体験しないと、さっきのホーミーみたいに、すでに存在しているものに気づきもできないということになると思った。それで、もう引っ越さなきゃって思ったんです。

なるほど。

高木:村だと80代から上の人がほとんどで、その下はもう僕らって感じになるんですね。もう、上の人たちにはぜんぜんちがう文化があって、断絶がめちゃくちゃ大きいんです。憧れるものとか大切にしているものがぜんぜんちがうし、見ているものもそう。お祭りなんかでも、口に出したりするわけじゃないですけど、いわゆるアニミズムみたいなものを本当に大切にしているんです。性的なものとか愛情のようなものも含めて。でも、そのひとつ下の世代はそこまで思っていない。おじいさんたちほどに自然と一体化していないというか。お祭りなんかでも、下の世代が中心になると、かたちは真似ることができるけど、核心はそこまで引き継げていない感じがしました。だから、兵庫県の山の中のお祭りなのに、平気で北海道の踊りを踊れたりします(笑)。

ははは、それは各地でありそうですね。えっと……

高木:「ソーラン節」ですね。だけど、おじいちゃんおばあちゃんはあんまりそこに入ってこないですね。そういうことは住まないとわからなかったです。「ああ、この人しいひんねや。なんでや」って思ったことが、いまはわかります。いろいろ気づいていくんですけど、でももう長くて20年くらいしか、その人たちから学べる時間が現実としてなくなってきているんですよね。


それまでは外の世界を憧れをもって見ていたんですけれど、自分が住んでいる郊外の感じを肯定したい……映画『おおかみこどもの雨と雪』のサントラが仕上がったとき、ニュータウンに響く音楽がつくれたと思いました。同時に、できることをやりつくしたという想いもありました。

ああ、そうですよね。……ちょっと品のない質問かもしれないんですけど、引越しされたのは、創作のモチヴェーションに一種の危機を感じたからなんですか? それとも、たとえば震災以降に地方に越される方も多かったですが、そういうようなことが関係していたりもするんでしょうか?

高木:どうなんでしょうね。でも、震災がなかったら、もしかしたらもう少し違う意識で移っていたかもしれないですね。

じゃあ、いまのところは「見つかったから」引っ越したという感じなんですか。

高木:たまたま行ったらそうだったから、もうここに住んどこうと思って、けっこうすぐ決めました。どこかに引っ越したいとは思っていたんですけど、不動産屋さんのサイトの情報でいまの家を見つけて、いい感じだったから冷やかしついでに見に行こうと思って、そしたらすごくおもしろそうだったので……。でもいまは1年経ちましたけど、最初は寝るのもドキドキしましたよ。囲炉裏で火をおこしたりというのも、テレビでは見て知っていても、「え、ほんとに家の中で火を燃やしていいの?」って。誰も責任を取ってくれる人はいないですしね。

いわゆる郊外というところが原風景というか、お育ちになった環境なんですか?

高木:そうですね、ニュータウンです。最近まで住んでいたところも「~ヶ丘」というようなところ。山をきりひらいてできたような場所で、文化がないんですよね。歴史もありようがない。ニュータウンですから。

育った場所としての郊外への愛着はありますか?

高木:それはありますね。映画『おおかみこどもの雨と雪』のサントラをやらせていただいたんですが、あの作品の舞台と少し似ていて。後半は田舎に引っ越しはするんですけど、僕が知っている感じのニュータウンが前半の舞台で。その郊外の住宅街の雰囲気が、震災の影響もあってとても愛おしく思えたんですね。それまでは外の世界を憧れをもって見ていたんですけれど、自分が住んでいる郊外の感じを肯定したい……『おおかみこども』が仕上ったとき、ニュータウンに響く音楽がつくれたと思いました。同時に、できることをやりつくしたという想いもありました。この暮らし方で、僕から出てくるメロディとしてはもうこれで限界かもしれないというところまでいって。
 あの土地でつくった曲は大切ですね。あるときぽっと出てきた“GIRLS”みたいな曲とか『おおかみこども~』のお母さんの曲とか、やっぱり人生のいろいろが全部入ってます。毎年毎年繰り返し弾いて育てていきたいなと思います。ちゃんと歌いなおすというか。そのほうがきちんと次にいけるって思うし。

歌って、そもそもそういうものかもしれないですよね。

高木:そうそう、そんなに数はいらないですよね。

はい。継承されていくものでもあるだろうし、メロディというか節だけを頭にインストールさせとくものでもあるというか。

高木:子どものころに聴いたポップ・ソングとかだったとしても、ずっと頭の中で育っていて、あらためていつかラジオなんかで聴いたときに、何かちがうもののように響いたりする──あえて聴かなかったり歌わなかったりするほうが育つということもあると思うんです。

よくわかります。あの、高木さんが先導して一節を歌って、それをたくさんの人たちが追いかけて歌うかたちの録音が入っていますよね(“あげは – 合唱”)? あれはどういうときのものなんですか?


子どものころに聴いたポップ・ソングとかだったとしても、ずっと頭の中で育っていて、あらためていつかラジオなんかで聴いたときに、何かちがうもののように響いたりする──あえて聴かなかったり歌わなかったりするほうが育つということもあると思うんです。

高木:あれは、台湾の台北でオーケストラといっしょに演奏会をやったときのもので、まとめるのがけっこう大変だったものですね。文化も言葉もちがえば、時間もなく。それで、一通りやっと終わったというアンコールでの模様なんです。せっかくこんなに音楽を奏でられる人たちがいるんだから、ちょっと自由にやりたいなって……お客さんに「僕がまず歌うので、山びこみたいに同じ旋律を歌い返してください」って声をかけて。みんな一回歌うたびにくすくすって笑いながら──

そう、ちょっと戸惑うような空気感もそのまま録られていましたね。

高木:そうですね。だから最初はうまくいかなくて、なにかふにゃふにゃとなってしまう。次にやってもそう。でも、ちょっとうまくなってきたときに、急に空気を変えたんです。本気でいきますよ、あそびじゃないですよっていう感じで雰囲気を切りかえたら、お客さんも急に声が変わってきて、すごく声の立つ人が出てきたりして。

ああ、そうですよね! プロみたいな発声の人が何人かいらっしゃるみたいに聴こえました。

高木:そう、オーケストラもそこまでは様子を見てる感じだったのが、急に演奏しだして、最後の最後にばちっと合う瞬間があったんです。たった数分でここまでたどりつくんやっていうような感動をみんな味わっていて、結局その日の感想はみんな、「あれが楽しかった」っていうのばっかりでした(笑)。

ははは! すごいですね。ライヴならともかく、演奏会ってなかなか煽られても声を出せないですよ。そのお話に鳥肌が立ちますね。あれは、ホール……いや、体育館みたいな音響ですよね?

高木:あ、体育館みたいなところですね。

なるほど、でもハコに集まってきた人たち……音楽好きな人たちではあるわけで、それに対して今回録っているのは村、庭先、そのつもりのない人たちじゃないですか。その両者、あるいはエチオピアだったりっていうものの差までが、今回はひとつに統合されるという印象も受けます。

高木:ね。だから細かいところでいえば、場所もちがったり、音の処理なんかもちがうし、違和感のある人はあるかもしれませんけど、音を使って何をやるかという点では全部同じなんです。たとえば、ピアノを弾いて、鳥がなくのを待って、それを聞いてからまた弾こうかなと思うと、思ったとおり「ほーほけきょ」ってなくんですよ。後から編集しようと思えばできることですけど、現実にちゃんとそうなるので、こっちは音を鳴らすだけでいいんです。ぜんぶその耳で聴いてもらえれば……。“せみよび”っていう曲があるんですけど、あれも合成じゃなくて、やっていたら蝉が自然に歌ってきたっていう感じです。

ああ、そうなんですね。

高木:なにか、「これが答えです」っていうようなつもりはないんです。読書とかもそうなんですけど、好きな読書体験って、いかに勘違いできるかということだったりして。

一同:ああー。

高木:数ページ進んでしまってから「ああっ!」って。読みながら空想してしまっていて、ああ、いますごくいいことを空想していたけど、読めてない! っていう感じになって、ちょっと戻ってもう一回読むんです。それで、その本の内容がすごくおもしろかったという話を他の人にしたりするんですけど、後で読んでみたらぜんぜんそんなこと書いてないんです(笑)。

はははは! そこまではないですけどね。

高木:だから、たぶん空想の誘発剤になるところが好きなんです。


今回ほどハンディなレコーダーに頼った録音はいままでになかったと思います。それに耐えられるだけの機材が出てきましたよね。

世の中がデジタルに移行していったことで、ようやく何か作れるようになった世代ですから。そういうタイミングでなければ、別の仕事をしていたかもしれません。

なるほどー。初期から一貫している部分も変化のように見える部分もあるわけですが、環境については今回大きな動きがあったということをすごくたくさんおうかがいできました。録音の仕方や方法については、これから変化していくことはありますかね?

高木:そうですね……。今回ほどハンディなレコーダーに頼った録音はいままでになかったと思います。それに耐えられるだけの機材が出てきましたよね。それに、カメラの性能が上がったのといっしょで、わざわざ後からInstagramみたいなものを用いなくても、iPhoneなんかでさえすごく見たままのものを撮ることができる。カメラで撮った場合についてしまう脚色が極力なくなっている……みんなそれがいやでInstagramとかを使うのかもしれないですけどね。

ああ、そうですよね。

高木:だからいいことか悪いことかはわからないですけど、僕はけっこう見たままのものがいいと思うので、その意味ではけっこう頼れるものが出てきているなと思います。昔にくらべて、いま聴いたままのものが録れるようになっている。
 あとは……やりたいことの理想はあるんですけどね。つねにぱっと録りたいし、事を起こしたいです。引っ越したし、いろんなことをやれる空間もありますし。いままではひとりひとり会いにいって録音したりしていましたけど、これからはばっと家に集まって録ることができるなあということはありますね。ひとりでずっと作っているのに飽きてきて。だから合宿みたいにやれたらいいなって。まあ、他のミュージシャンの人たちがふつうにやっていることではありますけれども(笑)。

そうですけど、それもおもしろそうですね。

高木:自分にとっては新鮮で。泊りがけでずっと何かをやるとかっていうことが、これまであんまりないんですよ。そのほかには、次に映画音楽を頼まれていますね。それはピアノを使っちゃいけないというしばりがあって……じゃ、何やるんだっていう(笑)。

(一同笑)

ははは! でも、お住まいがすごい田舎になっているけど、テクノロジーを嫌わない感覚って高木さんの音楽にとってもけっこう本質的なことのような気がします。エレクトロニカという出自も併せて。

高木:コンピュータが安くなったり、デジカメが出てきたり、インターネットを使うようになったり、世の中がデジタルに移行していったことで、ようやく何か作れるようになった世代ですから。そういうタイミングでなければ、別の仕事をしていたかもしれません。たしかにあの頃は新しく出てくる機材やソフトやアイデアがいちいちおもしろかったですが、だんだん何でも簡易に大雑把になっていく傾向があって物足りなくなっていったんですね。
 僕自身は、その頃からきちんと根本的なことを学びたいとか、時間が掛かってもいいから自分の身体で何かしたいという風に変わっていきました。

世の中もひと回りして、音質や画質がぐんといいのが当たり前になって、だからこそ何を記録するのか、何を残したいのか、核心部分にきちんと取り掛かれるようになってきたと思ってます。

高木:そうこうしている間に、世の中もひと回りして、音質や画質がぐんといいのが当たり前になって、だからこそ何を記録するのか、何を残したいのか、核心部分にきちんと取り掛かれるようになってきたと思ってます。僕としてはいい流れというか、演奏できる身体になってきたなと思ったら、ぽんと気楽に置いておくだけでいい音で録音できる機械がでてきて。村での録音も、ひと昔前だったらここまで簡単に鮮明にはできませんでしたから。いいところに落ち着いたなと思ってます。僕と同じように、「こんなにきちんと残せるならこれを残したい」っていう人はこれからきっと他にもたくさん出てくると思いますよ。

死の黒は春の黒へ - ele-king

 現〈アンチコン〉を代表するビートメイカー、バスが、今年発表したEP『オーシャン・デス』でみせた意外な展開──ダークでミニマルなテクノ──は、音楽のモードばかりでなくもうひとつの“モード”にも接続した。〈ディオール・オム〉2015年春のビデオ・ルックブックのサウンドに、そのタイトル・トラックである“オーシャン・デス”が起用されたのだ。
 デイデラスの寵愛を受けるLAビート・シーンの鬼っ子、といった説明はすでに過去のものになっているが、当時もいまも、「どこか」のジャンルに繰り入れられることなく、アーティに、かつポップに、そしてオリジナルなフォームのもとに独自の世界をひらいてきたバスが、ファッションとの交差においてするどい緊張感をはらみながら魅せる音の色は、『オブシディアン』(2013)から引き継ぐ黒。3人の男たちのまとうディオールからは、そのつややかな黒をやぶって萌えいづる春の色がのぞいている。パリのクリエイティヴ・ユニットM/M (Paris)によるデザインが完璧なフレームを提供する、この欠けるところなきヴィデオをご覧あれ。



 Dior Homme 2015年春ビデオルックブックのサウンドに、Baths「Ocean Death」が起用されました!!

 ビデオに登場する、モデル達が佇むモジュラー式シーティングのデザインはビョークやカニエ・ウェスト、そして数多くのビッグメゾンとコラボレーションをした、パリを拠点に活動するクリエイティヴ・ユニットM/M (Paris)(エムエムパリス)によるもの。

 コレクションの世界を象徴するBathsの曲“Ocean Death”のエネルギッシュなビートにのって映像ははじまります。

■詳細
https://www.dior.com/magazine/jp_jp/News/アーバン-ミックス

■Baths『Ocean Death』

リード楽曲


ライヴ映像 (収録曲「Ocean Death」パフォーマンスは12分50秒から)



Baths
Ocean Death EP

Anticon / Tugboat

TowerHMVAmazon

作品詳細

https://www.tugboatrecords.jp/4912

・発売日:2014年07月16日発売
・価格:¥1,380+tax
・発売元: Tugboat Records Inc.
・品番:TUGR-015
・歌詞・対訳・対訳付き

■Baths
 LA在住、Will WiesenfeldことBathsは現在25歳。音楽キャリアのスタートは、両親にピアノ教室に入れてもらった4歳まで遡る。13歳の頃にはすでにMIDIキーボードでレコーディングをするようになっていた。あるとき、Björkの音楽に出会い衝撃を受けた彼は、すぐにヴィオラ、コントラバス、そしてギターを習得し、新たな独自性を開花させていった。大傑作ファースト・アルバム『Cerulean』は、LAのanticonよりリリースされインディ・ロック~ヒップホップリスナーまで巻き込んだ。満を持して2013年にリリースしたセカンド・アルバム『Obsidian』はPitchforkをはじめ各メディアから高い評価を得た。いまもっとも目が離せないアーティストと言ってもけっして過言ではない。


「沼牧場」 - ele-king

 いや、ホント、かったるい世の中ですね。それじゃま、パーティに行ってナマで踊りましょうってことで、今月の28日金曜日、代官山ユニットで、おもろいパーティがあるので紹介します。その名も「濡れ牧場」。COMPUMA、Dr.NISHIMURA、AWANOの3人による沼人パーティ「悪魔の沼」とCMT、Universal Indiann、Shhhhhの3人による放牧パーティ「濡れ牧場」との合同パーティということです。バカバカしくて、ナイスなネーミングです。ライヴにはヘア・スタイリスティックスこと中原昌也します。フライヤー持って行くと1500円で、気軽に入れるところも良いです。FOODコーナーもあるようなので、月末金曜日は、代官山で踊ろう。私も紙エレの入稿が終えていたら行って、自分を解放したいっす。

2014.11.28.fri
代官山UNICE
open:23:00
entrance:2000yen / 1500yen(w/flyer)

濡れ牧場
(C魔T・Uni魔ersal Indiann・S魔魔魔魔魔)
悪魔の沼:
(COMPU魔・Dr.NISHI魔RA・A魔NO)

LIVE:ヘ魔・スタイリスティックス

OtOdashi Sound System
supported by BLACK SHEEP

「沼牧場」

濡れ牧場
CMT、Universal Indiann、Shhhhhが2002,3年頃から東高円寺GRASSROOTS 平日に開催していた"放牧"会。やるなら平均12時間。本人たちもその存在を忘れた頃にたまに開催される。

悪魔の沼
2008年結成。現在のレジデントである沼クルー(沼人)は、COMPU魔、Dr.NISHI魔RA、A魔NOの3人。 東京・下北沢MOREの沼に生息。 活動は不定期ながらおよそ季節ごとの開催を目指している。これまでに、E魔C魔D、瀧魔憲司、二魔裕志、MOOD魔N、 魔ltz、魔DRINK、Toshi魔-BING-Kaji魔ra、テーリ・テ魔リッツ、小魔林 径、2魔ng(一★狂/国際ボーイズ)、C魔H魔E魔E、C×魔×Tなど、多彩なDJやアーチスト達が独自の沼を演出してきた。 2014年3月に、BLACK SMOKER RECORDSより3作目のMIXCD『涅槃 -Nirva魔-』をリリースした。

HAIR STYLISTICS(中原昌也)
1970年東京都生まれ。88年頃よりMTRやサンプラーを用いて音楽制作を開始。90年、アメリカのインディペンデントレーベルから「暴力温泉芸者=Violent Onsen Geisha」名義でスプリットLPをリリース。ソニック・ユース、ベック、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンらの来日公演でオープニング・アクトに指名され、95年のアメリカ・ツアーを始め海外公演を重ねるなど、日本以外での評価も高い。97年からユニット名を「Hair Stylistics」に改め活動。映画評論、作家など多岐にわたる活動でも知られる。2013年にはdisques cordeより初の全編ビートアルバム「Dynamic Hate」をリリース。数多くの作品のリリース、ライヴなど精力的な活動が続いている。


TodaysArt - ele-king

 今月22日から24日の3連休。天王洲アイルの寺⽥田倉庫の施設にて、オランダ生まれの──アート・テクノロジー・音楽のフリー・フェスティヴァル「TodaysArt.jp Edition Zero 2014」が開催される! フリー・フェスなので、入場料はない。
 詳細はホームページを参照していただくとして、このフェスにおいて、なんと、URによるタイムライン・プロジェクトがライヴを演奏するから困ったものである。困るというのは、はっきり言って、この時期、仕事の忙しさが最高潮を極めているからだ。なんでこんな時期に!! というのは、個人的な事情に過ぎずに、よい子のみなさんは、久しぶりにタイムライン来日、親分の来日でもあり、しかも今回はチケット無料、見に行きたければ、このページから申し込めば良いという神戸のUNDERGROUND GALLERYの石崎さんの粋な企画でもある。
 2014年は、ジェフ・ミルズが若い世代のなかで完全に再燃して、ことX-102の“タイタン”がベース世代のなかで再評価されるという年でもあり、きっといま、タイムラインを聴きたい人は、若い世代にも多いはず。早く、チケット申し込んだ方が良いよ。


TodaysArt.jp Edition Zero 2014
@天王洲アイル 寺田倉庫関連施設(東京都品川区東品川)
2014年年11月22日(土)~2014年年11月24日(月・祝)
https://www.todaysart.jp/

 ジェフ・ミルズの『Man From Tomorrow』は、今年2月2日、パリのルーブル美術館オーディトリアムでのワールド・プレミア上映において、入れない人が続出するほどの盛況を博したという。電子音楽ファンにとっては興味津々の上映だっただろう。そのアート・ドキュメンタリー・フィルムが、限定でリリースすることが発表された。

 昨年は日本科学未来館館長の毛利衛氏(宇宙飛行士)の依頼で同館のシンボルゾーンに設置された地球ディスプレイをとりまく音を作成したり(毛利氏とは同時にコラボレーション・アルバムも制作している)、それを記念したトーク・セッションの折には、フリッツ・ラング『メトロポリス』に生DJで新たなサウンド・トラックを提供するなど、映像めぐる作品や活動がますます活発になっていることは、ここ日本における取り組みやイヴェントからもはっきりとうかがわれる。

 このたびリリースされる『Man From Tomorrow』は英文+和訳の解説もついており、日本盤にはサイン入りポスターも付属。アート・フィルムとして、またファンとしてもぜひ蒐集しておきたいアイテムだ。

『MAN FROM TOMORROW』トレーラー

 近年、音楽だけにとどまらず近代アートとのコラボレーションを積極的に行い、フリッツ・ラング『メトロポリス』への新たなサウンド・トラックや、パリ、ポンピドゥーセンターにおけるフューチャリズム展に唯一の生存アーティストとして作品を提供するJeff Mills(ジェフ・ミルズ)。

 テクノ/エレクトロニック・ミュージックによる音楽表現の可能性を拡大しつづける彼が、John CageからRichie Hawtinにいたる現代ミニマル・ミュージックに造詣が深く、デトロイトのElectrifying Mojoのドキュメンタリー作品『The Colours of the Prism, the Mechanics of Time』でも知られるフランス人映像作家、Jacqueline Caux(ジャクリーヌ・コー)とタッグを組んで今年発表した映像作品『Man From Tomorrow』(Axis Records / U/M/A/A)を、12月17日にDVD+CDの2枚組、日本500枚限定でリリースされることが決定した。

 アーティスティックでエクスペリメンタルなこの映像の中には、Jeff Millsの考えるテクノのあり方、音楽制作の過程、彼の想像する未来、また、大観衆の前でプレイする際に感じる不思議な孤独感(「One Man Spaceship」で表現しようとした宇宙における孤独感に通じるものでもある)などのすべてが凝縮されると同時に、テクノ・ミュージックの醍醐味を、DJイヴェントとは異なったスタイルで表現する試みで制作された作品。まさにJeff Millsの創造性・実験的精神をあますところなく体現する作品だ。

 今年2月にパリのルーブル美術館オーディトリアムでワールド・プレミアを行った後、ニューヨーク(Studio Museum of Harlem)、ベルリン(Hackesche Hofe Kino)、ロンドン(ICA)と上映を重ね、その後、京都、東京でも上映された本映像作品を、Jeff Millsによるサウンドトラック(16曲中12曲が未発表曲)を収録したCDとともにパッケージ。日本限定特典としてJeff Millsによるサイン入りポスターも封入される。

『Man From TomorrowなぜJeff Millsが音楽を作るのか、テクノとは何のために存在するのかという疑問の答えを解き明かす映像による旅路。エクスペリメンタルな映像美に彩られた斬新なスタイルのアート・ドキュメンタリー・フィルム作品を手にされてみてはいかだろうか。

Jeff Mills
https://www.axisrecords.com/jp/

Jacqueline Caux
https://www.jacquelinecaux.com/


■JEFF MILLS
『MAN FROM TOMORROW』(DVD+CD)生産枚数限定日本仕様

(日本オリジナル特典: JEFF MILLSサイン入りポスター)

品番:XECD-1132
価格:¥3,900(+税)
発売日:2014年12月17日

[DVD]
ドキュメンタリー映画(40分)
オーディオ:英語 / 
字幕:日本語、フランス語、イタリア語
ブックレット: 解説:門井隆盛/
ジャックリーヌ・コー(英文+和訳)

Produced by Axis Records & Jacqueline Caux
Starring Jeff Mills
Directed by Jacqueline Caux
Original Music by Jeff Mills

[CD]
1. The Occurrence
2. Multi-Dimensional Freedom *
3. The Event Horizon *
4. Gravity Drive *
5. Star Marked *
6. Us And Them *
7. Sirius *
8. The Man Who Wanted Stars *
9. The Source Directive
10. Actual
11. The Watchers Of People *
12. Searching *
13. The Warning *
14. Light-like Illusions *
15. Star People *
16. Utopia
(合計:71分)
* 未発表曲


 それぞれ小説家と音楽評論家として活躍する同学年のふたりが、おもに70~80年代のロック、ポップス、歌謡曲までを語り明かす、紙『ele-king』の同名人気連載がついに単行本化! 音楽論にして文学論であるばかりか、時代論で人生論。他の記事とは圧倒的に流れる時間の異なるこのゆったり対談は、このスピードでしか拾えない宝物のような言葉と発見とにあふれています。毎度紙幅の都合で泣く泣くカットする部分もありますが、本書はそんな部分もばっちり収録のディレクターズカット版。保坂氏ゆかりの山梨での出張対談を含め、8時間におよぶ追加対談を含めた充実の内容。
このふたりにしか出せないグルーヴを堪能してください!

大学生になったらジャズ聴かなきゃみたいなのがあって(笑)、偶然75年だか76年だかにギル・エヴァンスが来日して── (保坂)

俺、ずっと大瀧(詠一)さんのラジオ番組にハガキを出していたんだよね。 (湯浅)

■『音楽談義 Music Conversations』

保坂和志、湯浅学 著

ISBN 978-4-907276-19-5

発売日:2014年11月28日(金)

価格:本体1,800円+税(予定)

仕様:四六判、ソフトカバー、全256頁

レコードへの偏愛を語り、風景が立ち上がる。
小説家、保坂和志。音楽評論家、湯浅学。同学年のふたりが語るフォーク、ロック、ジャズ。音楽メディアでも文芸誌でも絶対に読めない、自由奔放な音楽談義!

保坂和志82年最初期原稿(雑誌「サーフィンライフ」誌掲載)もお蔵出し!
村上春樹『羊をめぐる冒険』の書評も!?

 保坂和志──小説家。1956年10月15日山梨県生まれ。
 湯浅学──音楽評論家。1957年1月4日神奈川県生まれ。
 同学年のふたりは、のちに保坂氏が鎌倉に移ることで同じ時代にそう遠くない場所で育つことになります。

「音楽がいどろる人の世を考える」

 小説と音楽批評、それぞれのフィールドで独自の歩みを進めてきたふたりの対話は、するどい音楽論であるとともに書くことを考える文学論であるばかりか、音楽の背後に覗くものを語る、時代論、人生論の様相を帯びてきます。

 本書は雑誌『ele-king』に好評連載中の同名タイトル対談をベースにして、掲載時に紙幅の都合で割愛せざるをえなかった部分を大幅に増補し、さらに本書のための特別対談を収録したディレクターズ・カット版にして決定版。

 中学生だった70年代のフォーク・ブーム、そしてロックと出会いジャズに耳を傾けた十代後半から現在まで、大瀧詠一もいればギル・エヴァンスもいる、ボブ・ディランに頭をひねるのみならず、ラジオやレコードのへ偏愛を述べ、語りのなかで当時の風景をたちあげる、音楽誌や文芸誌では絶対読めない対話の数々。
 枠のない音楽のように自由な、それでいながら底流にはしっかりした共有の視座をもつ自由奔放な音楽談義をたっぷりお送りします。

 その他、保坂さんゆかりの山梨での出張対談や、オクラ出し記事なども加え、このふたりにしか出せないグルーヴを堪能できる一冊になりました!
 師走の慌ただしさをしばし忘れ、または新年をゆっくりと過ごすかたわらに、本書『音楽談義 Music Conversations』を。

▼著者略歴

保坂和志(ほさか・かずし)
1956年山梨県生まれ。90年『プレーンソング』でデビュー。93年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、95年『この人の閾(いき)』で芥川賞、97年『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、平林たい子文学賞を受賞。著書に『カンバセーション・ピース』『小説修業』(小島信夫との共著)『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』『小説、世界の奏でる音楽』『カフカ式練習帳』『考える練習』など。2013年『未明の闘争』で野間文芸賞受賞。近刊に『朝露通信』。

湯浅学(ゆあさ・まなぶ)
1957年神奈川県生まれ。著書に『音海』『音山』『人情山脈の逆襲』『嗚呼、名盤』『あなのかなたに』『音楽が降りてくる』『音楽を迎えにゆく』『アナログ・ミステリー・ツアー 世界のビートルズ1962-1966』『~1967-1970』『ボブ・ディラン ロックの精霊』(岩波新書)など。「幻の名盤解放同盟」常務。バンド「湯浅湾」リーダーとして『港』『砂潮』など。近刊に『ミュージック・マガジン』誌の連載をまとめた『てなもんやSUN RA伝 音盤でたどる土星から来たジャズ偉人の歩み』(ele-king books)がある。


KEIHIN (Prowler) - ele-king

2014/11/8

SOUPで体験したRyo君のLIVEが凄すぎたんで、思わず入れてしまいました。
それ以外は割りと最近の音源で選んでみたので、チェックしてみて下さい。
11/14(fri)に千葉muiで新パーティー始めます!
12/27(sat)は故郷GRASSROOTSでOPEN~LASTやります!
https://green.ap.teacup.com/grassrootstribe/

KEIHIN Twitter
https://twitter.com/KEIHIN_

第24回:異邦の人 - ele-king

 先月、8歳の息子がローマ国際映画祭に出席した。が、そんなもの親にとってはグラマラスもへったくれもない。
 「あんたシャツがズボンから出とろうが。しっかり入れんね、だらしなか」と外野から博多弁で叫ぶばばあはになっていたのはわたしだが、菊地凛子主演のイタリア映画『Last Summer』のレッドカーペットは思いのほか静かだった。というか、日本の映画人が映画祭に出席するとき特有の大名行列が存在しなかった。はっきり言って、出演者以外に日本人は一人もいなかったと思う。
 わたしが菊地凛子という女優を知るにあたり、まず驚いたのは、この人は一人でふらふらどこでも行くんだなあ。ということだった。日本の俳優にはマネージャーとかいろいろついて来るのがノームなんだろうが、彼女は本当に一人でやって来る。
 そのせいだろうか。主演女優として艶やかに君臨し、いつも人々の輪の中心にいるわりには、彼女にはどこか、いつもぽつねんと一人でいる印象があった。

                *****

 国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約(ハーグ条約)。と邦訳されている条約実施法は、英語ではHague Convention on the Civil Aspects of International Child Abductionだ。
 International Child Abduction=国際的な子の誘拐。とはいかめしい言葉だが、これは文字通り、親が子を誘拐して海外に逃げないようにするための国際法だ。例えば、離婚係争中に片親が子を連れて海外逃亡するとか、親権を奪われた親が国外に子を連れ出した場合などに適用され、当該親が逃げて来た国の政府は、子供をもとの居住国に送還する義務がある。
 昔からわたしのブログを読んでくださっている方はご存知だろうが、わたしは『愛着理論』という話を書いたことがある。それはUK福祉当局に子供を取り上げられた日本人女性の話で、その中で主人公が弁護士から「子供を連れて日本に帰国すればよかったんですよ。そうすれば英国政府は手が出せないから」と言われるエピソードを書いたことがある。が、今年4月に日本もハーグ条約に加盟したため、それももう過去の話になった。
 『Last Summer』で菊地凛子が演じたのは、英国の富豪家庭に嫁ぎ、離婚して子供の親権を失った日本人女性の役だ。基本的に母親が有利と言われる親権争いで敗けたのだから、それなりの理由があったのだろう。映画ではその部分は全く語られていない。で、この日本人女性は、子供と会うことが法的に許された最後の4日間を夫の一族が所有するヨットで過ごすことになる。
 全員が白人である乗務員たちは、夫の一族に雇われた人々なので、最初から彼女に敵対している。彼女が親権を失った理由を全員が知っているようなので(おそらく彼女は過去に子供を連れて日本に逃げようとしたことがあったのかもしれない。または、虐待と取られかねない行動があったのかもしれない)、完全な監視体制が敷かれていて、子供に近づくことさえままならない。久しぶりに会う子供も、夫の一族にあることないこと言われているらしく、母親を完全無視するようになっている。
 要するにこの日本人女性には味方がひとりもいない。
 映画の中の菊地凛子は、いよいよぽつねんとしていた。

                 *****

 40年ロンドンに住んでいるという高齢の日本人が、「昔から、UK在住の日本人はふたつに分けられる」と言っていたのを聞いたことがある。
 まずひとつ目は、日系企業に勤めたり、日本に関係のある仕事をしたりしてジャパニーズ・コミュニティに籍を置きながら生きているタイプ。そしてふたつ目は「一匹狼」だという。こちらは日本とは関係のないところで、UK社会における移民のひとりとして生きているタイプだ。
 『Last Summer』ほどハイソではないにしろ、あの映画のような話が現実に起きていることをわたしは知っている。が、こうした話は「一匹狼」に起こりがちなので、日本では報道されない。在英の日本メディア人というのも、所謂ジャパニーズ・コミュニティのサークルで生きている人々だからだ。
 報道だけではない。映画もそうだ。
 そもそも考えてみれば、海外在住日本人というものが、ちょっと変な人だったり、サムライだったりする洋画の「くすぐり」として、または日本から大名行列を連れて行って撮影している映画の全く海外に住んでいる必要のないキャラクターとして登場する以外に、少しでもまともな描かれ方をしたことがあっただろうか。
 いまどき、ネットで外国語を読むことさえ厭わなければ海外の情報はいくらでも知ることができる。が、日本の人びとが一番知らないのは海外で暮らす同国人の真の姿だろう。
 日本のメディアに登場する海外在住の日本人は、ぽつねんとはしていないからだ。
 見栄を張ってそんな姿は見せない人もいるし、そんなうすら寂しい姿を知られてしまったら商売にならないので「憧れの海外在住者」路線を貫く人もいる。
 が、ある国で移民として暮らしている人間が、どれほど長くその国で暮らそうとも決して消えることのない違和感や、ある種のかなしみのようなものと背中合わせに生きていないというのは、よっぽど鈍感でもない限り、嘘だと思う。
 『Last Summer』の主人公からはそのかなしみが透けて見えた。それは菊地凛子という国際女優の体験や、置かれていた立場から毀れてしまったものかもしれない。

                 *****

 勤務先に日本人と英国人の親を持つ男児が来ている。わたしにとって日本人の子供を相手に働くのは初めての経験だ。
 バイリンガルの子供はモノリンガルの子供よりも話しはじめる時期が遅いことで知られているが、もうすぐ4歳になるその子は一言もまともに喋れない。
 人形のように表情が乏しく、他人の呼びかけに対して反応もしない。いつもぽつねんとひとりで座っている。大人が顔を突き合わせて話しかけてもただニコニコしているだけなので、「自閉症なんじゃないか」「言語以前の問題がある」と同僚たちが騒ぎはじめ、そうした子供を専門に見ている&日本語が喋れるわたしが担当に回されたのだった。
 が、ある日のこと。
 わたしが「Hannah!」と同僚のひとりを呼ぶと、彼がいきなり庭に走り出て行ったのである。庭は無人だったので急いで彼の後を追うと、彼は花壇のポピーを指さして私に言った。
 「ハナ」
 ヘレン・ケラー・モーメント。というのはまさにこういう瞬間のことだろう。
 「そう、花。花だよね。それは花。Hannahの名前と同じ発音だねー」
と日本語で言うと、さらに彼は自分の顔の中心を指さして
 「ハナ」
と言った。
 「うん。それも鼻。Hannahの名前と同じだねー」
彼は大きな茶色い瞳でじっとわたしを見ながら言った。
 「同じだねー」

            *****

 菊地凛子の子供を演じたうちの息子の映像を見ながら、その幼児の瞳を思い出していた。自分の子供の顔を見ながら人様の子供を思い出すというのもどうかと思うが、日本人と西洋人の血が混ざった子供には共通する表情の特徴がある。
 親である移民が移民として生きていくように、子供である混血児も混血として生きていくのだ。ハーフはかわいい。という上っ面だけの認識とは違うリアリティが、彼らにはある。

             *******

 『Last Summer』は日本人のこころを探究した映画。
 とイタリアの新聞に書かれていた。「日本人のこころ」だの「日本らしさ」だのいうのは、昨今の祖国の状況を鑑みると相当にヤバい(もちろん悪い意味で)。
 が、日本人が必要以上に日本人らしさを放棄するのも変だろう。国内では個性豊かな祖国の人々も、海外に出るとどうしても滲んでしまう共通の佇まいというものがあり、それを「日本人らしさ」というのであれば、それはわたしにはよくわかる。
 「世界の中の日本」という使い古された言葉は、本当の意味ではまだ探究されていないのではないか。
 その命題を理解する鍵は、本国から大名行列を連れていく日本や、海外でもリトル・ジャパンを展開する日本ではなく、ぽつねんとした異邦人としての日本の姿にこそあるだろうからだ。

 三池崇史の出品作とは対照的に日本ではどこも報道しなかったが、『Last Summer』はローマ国際映画祭で3つの賞を受賞した。
 そして面白いことに、イタリア人たちを魅了した当該作の「日本のこころ」を象徴するアイテムは、すべて沖縄のものだった。という若干ポリティカルなひねりも含め、ちょっと珍しい日本関連映画だと思うが、日本配給は決まっていないそうで、こういう作品は日本でもまた異邦人の映画なのだろう。
 異邦の人とは、きっと同国人の中でもぽつねんとする宿命にあるのだ。

サタデー・ベース・ウェイト! - ele-king

 なんということだ。今週土曜、ジャー・シャカが〈ユニット〉を揺るがしに東京にやってくる。しかも、ファット・フレディーズ・ドロップも同じフロアに参加。さらに、〈サルーン〉ではなんとマムダンスやブランコまでもがプレイするときている。今日のサウンド・システム・カルチャーの土台を作り上げた始祖と、その意志を継ぎ前線で戦うプレイヤーの両方を同じ場所で目の当たりにできるというだけで、足がひとりでに代官山へ向かってしまうではないか……!!!

 だがここにひとつ、贅沢な問題がある。お隣は恵比寿〈リキッドルーム〉では、同じ日にUKベース・テクノの現在を語るうえで外せないペヴァラリスト、カウトン、アススの3人がついにリヴィティ・サウンドとしてのプレイを披露するのだ! 彼らに加え、早い段階から彼らの曲をプレイしてきたDJノブやムードマン、C.Eのトビー・フェルトウェルがパーティを加速させる。

 ベース・カルチャーをバックグラウンドに持つリヴィティの根源に何があるかを理解するためには、ジャー・シャカを体感することは必須条件。また、ジャー・シャカを聴いてしまったら、彼が伝えた「意志」が世代から世代へどう伝わっていったのかを目撃しないではいられません。人力でルーツを探求するファット・フレディーズ・ドロップから、マシーン・ミュージックで伝統に切り込むリヴィティ・サウンドやマムダンス。「ダブ」をキーワードにシーンには素晴らしい多様性が生まれているのですから。
 さぁ、あなたはどちらを選ぶ? いや、選ばなくたっていい。ハシゴするだけの価値がオオアリなサタデー・ベース・ウェイトだぜ!

■11月8日(土)
会場:代官山 UNIT
Red Bull Music Academy presents The Roots Commandment: Tokyo In Dub

UNIT :
Jah Shaka

Fat Freddy’s Drop
Cojie from Mighty Crown

SALOON :
Branko,Mumdance,Dengue Dengue Dengue!, Jah-Light 
UNICE :
Fred, Felix, JUNGLE ROCK, ZUKAROHI

Open/Start 23:30
adv.3,000yen / door 3,500yen
info. 03.5459.8630 UNIT

20歳未満入場不可、要ID

■11月8日(土)
会場:LIQUIDROOM
HOUSE OF LIQUID

LIVE:
LIVITY SOUND (Peverelist, Kowton, Asusu / Bristol, UK)

DJ:
MOODMAN (HOUSE OF LIQUID / GODFATHER / SLOWMOTION)
TOBY FELTWELL (C.E Director)
DJ NOBU (FUTURE TERROR / Bitta)

Open/Start 23:00
adv. 2,500yen[limited to 100] door 3,000yen(with flyer) 3,500yen

info LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net

20歳未満入場不可、要ID

■JAH SHAKA

ジャマイカに生まれ、8才で両親とUKに移住。60年代後半、ラスタファリのスピリチュアルとマーチン・ルーサー・キング、アンジェラ・ディヴィス等、米国の公民権運動のコンシャスに影響を受け、サウンド・システムを開始、各地を巡回する。ズールー王、シャカの名を冠し独自のサウンド・システムを創造、70年代後半にはCOXSON、FATMANと共にUKの3大サウンド・システムとなる。'80年に自己のジャー・シャカ・レーベルを設立以来『COMMANDMENTS OF DUB』シリーズをはじめ、数多くのダブ/ルーツ・レゲエ作品を発表、超越的なスタジオ・ワークを継続する。 30年以上の歴史に培われた独自のサウンドシステムは、大音響で胸を直撃する重低音と聴覚を刺激する高音、更にはサイレンやシンドラムを駆使した音の洪水!! スピリチュアルな儀式とでも呼ぶべきジャー・シャカ・サウンドシステムは生きる伝説となり、あらゆる音楽ファンからワールドワイドに、熱狂的支持を集めている。heavyweight、dubwise、steppersなシャカ・サウンドのソースはエクスクルーシヴなダブ・プレート。セレクター/DJ/MC等、サウンド・システムが分業化する中、シャカはオールマイティーに、ひたすら孤高を貫いている。まさに"A WAY OF LIFE "!

■LIVITY SOUND (Peverelist, Kowton, Asusu / Bristol, UK)
UKガラージからの影響を色濃く反映したブロークン・ビーツとヘビーな低音を組み合わせることによって今までにない独自のグルーヴを提唱し続けるペヴァラリスト。グライムのエッセンスをテクノ・ハウスに落とし込んだダーティーでざらついた音楽の在り方を新たに提唱し、1つのスタイルへと昇華させたカウトン。ダブワイズな音響処理と確かな技術に裏付けられたプロセッシングを硬質なビートに施した中毒性のある高純度のミニマル・ミュージックを展開するアスス。LIVITY SOUNDは、そうした3つの突出した個性による相乗効果によって、単なる足し算ではなく、三位一体となった1つの「個」を創出してきたライブ・プロジェクト兼レーベルだ。ダブステップの潮流が大型レイヴの方向へと進行し、サウンドシステムの起源から離れていく中、ダンス・ミュージックにおける既存の枠組を取り払い拡張する、という根幹となる視点を維持し続け、新たな領域を積極的に切り開こうとする三者の意思が結実したものだと言ってもいい。その意思はハードウェアを中心としたライヴセットの中でも有機的に絡み合い、ダブ・エフェクトと即興性を活かした、まさに"セッション"と呼ぶに相応しいパフォーマンスを繰り広げることにつながっている。3人がこれまでに受けてきた音楽的な影響を抽出したものから生まれたソロ作、および共作は、それゆえにUKガラージ、テクノ、ハウス、ジャングルなど多くの方向性へとリンクしていくことが可能な音楽性を孕んでいる。この点こそ、多くのリスナーを魅了している理由であり、Resident Adviserにおける2013年レーベル・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた要因の1つだろう。今年に入り、彼らの音楽が持つ拡張性を示すかのように、Surgeon、Nick Hoppner、Kassem Mosse、A Made Up Sound、Ron Morelli、MMMの他、広範囲に渡るリミキサー陣が、LIVITY SOUNDの作品を手がけている。現在進行形のUKアンダーグラウンドを体現するLivity Soundのライヴセット、またとないこの機会をぜひとも逃さないでほしい。

■Fat Fredy’s Drop

ファット・フレディーズ・ドロップはニュージーランドの音楽史を塗り替え続けているバンドである。インディペンデント・アーティストとして過去最大の売上を記録するなど、音楽賞は総なめ、そして世界中の名立たるフェスティヴァルにも呼ばれ続けている(グラストンベリー、SONAR、ベスティヴァル、WOMAD、ローランズやロスキルドなど)。そして世界の由緒ある会場でも満員のライヴを開催し続けている(ブリクストン・アカデミー、オランダのパラディソ、ロスのヘンリー・フォンダ・シアターやパリのル・トゥリアノンなど)。レゲエ/ダブをベースに、ソウル/ファンク/ジャズ、そしてミニマルなダンスミュージックのグルーヴをクロスオーヴァーした絶妙な塩梅のバンド+打ち込み・サウンド、そして嫌いな人は絶対いないビター・スウィートな美声で万人を虜にするジョー・デューキーのボーカルなど、彼らの魅力はジャイルス・ピーターソンをはじめとする著名人を虜にしてきた。1999年にウェリングトンのアンダーグラウンド・クラブ・シーンに、ファンクやハウス、ヒップホップなどのレコードをスピンするDJ Mu(akaフィッチー)と共に演奏していたバンドが13年経った今も、同じ友情と気持ちで演奏を続けている。その進化は今日も止まる事が無い。
1st Album『Based on A True Story
2nd Album『Blackbird

interview with Arca - ele-king

僕がそこに住んでいた時期は、マジでクソみたいな出来事ばっかり起きていた。国の名前もベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバリアーナ共和国に変わって、通貨の名前も少し変更された。友だちはボディガードやドライバー付きで防弾仕様の車に乗っていたね。一軒家は簡単に侵入されるから、みんな綺麗なアパートへ越していった。玄関にセキュリティがいるからね。

E王
Arca
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 19歳のとき、このベネズエラ生まれのミュージシャン、アレシャンドロ・ゲルシはアフリカ北西岸のはずれに位置する古いスペイン人入植地、カナリア諸島に住む、退職した祖母の家に遊びに行った。そのゲストルームにひと晩寝そべりながら、彼は階上の寝室で誰かと口論する祖母の声に驚かされた。翌日、この亜熱帯の島周辺をドライヴしながら、ゲルシが70歳の未亡人である祖母に苦悩の原因は何だったのかと直接尋ねたところ、昨夜死んだ夫と言い争いをしていたの、と彼女は答えた。「そういうことなんだ」と彼はそのことを思い出して言う。「車内は沈黙。だって祖父はその時点で、もう死んでから13年経っていた。同乗者は誰ひとり笑い声をたてなかったよ」
 このカテゴライズ不能のエレクトロニック・プロデューサーにとって、自身の育った南米時代は、まさにミステリアスでなかなか説明しづらい、強烈に彩りをもった出来事のようである。「古くさいかもしれないけど、科学と迷信のふたつに対して、自分をいつもオープンマインドにすること、それ自体が大好きなんだよね」と語る。「その状態に身を置くことがいちばん幸せなんだと思う。何らかの魔法に身を委ねながらね。自然のすべてを僕らは完璧に理解してはいないんだ」

 ロンドンはダルストンにある彼の自宅で丸石が敷き詰められた庭に座りながら、わたしたちはマジョラム・ティーを飲み、ホワイトチョコのラズベリーチーズケーキをふたつのフォークでつまんでいる。蜂が頭上を飛び、陶器のデザート皿にプリントされた花柄がまるで血の色のようで、鈴の形をした花が頭を垂らすように壁に掛けられている。ゲルシのハウスメイトで長年のコラボレーターである、ジェシー・カンダが飼っているトゥルーという名の小さいベンガル猫がテーブルの上に飛び乗り、わたしのレコーダーを小突き落とし、バジルやコリアンダー、ミントいっぱいのテラコッタの鉢植えの陰に素早く隠れる。ゲルシのこの2年間を語る初インタヴューを行なうため、ほんの数日前にニューヨークからここを訪れたとき、この猫はドア入り口で迎えてくれたが、変なハーブを食べたことによる腹痛から鳴き声をあげていた。今日はもういつものいたずらっ子に戻ったその猫のことを、華奢で少年のような顔をし、破れたTシャツと派手なチョーカーをした24歳のゲルシは即興で子どもめいて語る。「夜になると彼女(猫)の目が赤に代わり、狂ったようにジャンプしだし宙返りまでしちゃうんだ」

 8月の第1週、ゲルシのマネージャーであるマイロ・コーデルが所有する、黒一色の入口に隠れた豚農場をリフォームしたというその場所は、アルカとして彼が生み出す音楽と相まって、胚珠のように何かが続々とこれから生まれてくるような、不思議な感じであった。ちょうど2年前、ゲルシがまだニューヨークに住んでいたころ、彼は2枚のEPで世界にそのプロジェクトを知らしめた。それらはひねくれつつも魅力的なヒップホップ作品で、自身の声を超絶的に切り刻んだサンプルで注目を集める。彼はそれらを「ストレッチ1」、「ストレッチ2」と名づけた。これにジェシー・カンダによるアートがぴったりと寄り添い、プラスチックのような黙示録の美学を強烈に意識させる。その2枚めの作品のジャケットには、あたかも科学がいまだに解明できていないであろう、グネグネにねじ曲がった足に、眼球のようなものが生えた不気味な新種の生物の姿がある。

 それからすぐ後の2013年、カニエ・ウェストが唐突に彼の6作め『イーザス』のリリースを発表し、ネット上で大きな話題となった。その作品のリストには当時はほぼ無名だったアルカの名前が制作コンサルタントとして載っており、そのほかにも新進気鋭のビートメイカーたちの名前が並ぶ。奇怪なサウンドを操るイギリス人プロデューサー、エヴィアン・クライストやグラスゴーのマキシマリスト、ハドソン・モホークなどが参加している。過去にもリアーナがシーパンクの美意識を取り入れ、“テイク・ケア”でジェイミーXXのリミックスをドレイクがサンプリングした例が示すように、このアルバムはインディペンデント・ミュージックと高額予算が動くポップ・ミュージックとのコラボレーションの傑作なのかもしれない。もし2010年代初頭の音楽がアンダーグラウンドとメインストリームの間の壁を表面的に崩壊させたと定義されるのであれば、この特異に挑戦的な『イーザス』は世界にそのことを知らしめた水先案内盤として登場し、それ以降はそのような二者の区別など何ら意味を持たないことにあるのであろう。
 それから1ヶ月後、アルカは『&&&&&』をリリースする。切り刻まれたトラップのビートに調子外れのピアノコード、硬質なアルペジオにアンニュイな吐息など、この25分にわたるミックステープは、音楽の世界における奇妙で新たな章を提示したと捉えられたようだ。溢れんばかりのフックを含みつつ、ラジオ受けするリズムとハーモニーの関係を望んでいるように見受けられる。しかしメールボックスがインタヴュー依頼で一杯になるにつれ、彼はスポットライトから身を引いた。時間に見切りがつかないためメディアとの接触を避けるつもりであることを、ゲルシは自身の広報担当者を経由して本誌へ伝えた。彼は現代の音楽を完全に作り替えた、ずる賢い成り上がりとして大衆の面前にさらされてしまったのである。そして誰もがまだ彼のことを正しく理解していないようだった。

 ゲルシとどれほどの時間を過ごしていても、彼から隠遁者的な性質や不自然なミステリアスさをまったく感じない。わたしが到着した日、彼からの最初の連絡はフェイスタイム経由だった。わたしが運悪く取り損ねてしまったのだが、彼は22秒ものヴィデオ・メッセージを送ってくれた。モーション・キャプチャー撮影スタジオで使われる端子付きの黒い全身タイツを彼は着ていた。「ハーイ、エミリー。いまうまくタイプできないからヴィデオでメッセージを送るね」と彼は語り、グローブをはめた手を挙げその理由を示した。わたしたちが会おうとするときはいつも、彼はわたしのところへ来ると申し出るのだが、たいていはこちらがバスに乗って彼の家までいく。わたしたちがあの赤い花の近くのテーブルに座ると、ゲルシはわたしのヴォイスレコーダーを自分の膝に乗せて、それを落とさないようにバランスを取って、ちょっとしたゲームをはじめる。会話のなかで、彼はいろんな話題へとすぐに話を変える。よくあるネタはソクラテス、アレハンドロ・ホドロフスキーの心理マジック、カリフォルニアにいるドレッドロックのテクノロジー学者、ジャロン・ラニアーなどだ。そして「自分の脳のショート現象」について頻繁に語ることもあれば、いろいろな視点で世界を見ることができる新しい環境に身を置いているとわがままに語ることもある。

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たとえ愛の意味がわからなくってもね。あのころの僕は性的にまったく満たされていなかった。じつは、僕ってとーってもクローゼットだったんだ。自分がゲイだっていうことはかなり昔からわかっていた。でもね、ベネズエラの社会ではそれに気づくことすら許されないんだ

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 ゲルシは1年とちょっと前にニューヨークからロンドンへと居を移し、彼いわく、この引っ越しはボーイ・フレンドである写真家/マルチメディア・アーティストのダニエル・サンウォールドの近くにいたいという気持ちがいちばんだったと語る。またカンダともっと仕事をやりやすくする手段でもあった。彼はカナダで育ったのだが、ここ10年以上、ゲルシの親友でもっとも近しいアーティスト・コラボレーターである(彼自身は7年前にカナダからロンドンに移住している)。彼らが住居を構えて以降、ゲルシは単独の共作者として、またひとつ世間から渇望されているポップ・アルバムであるビョークとの作業を終えた。彼女の2000年代初期から続く変幻自在のシンセポップ、その力強いバラッドは、奇しくもゲルシの音への硬派な方法論を予見していたかのように感じられる。「ゼン」という、彼の空想上のもうひとつの人格がタイトルとコンセプトとなっているゲルシ自身のニュー・アルバムも、ビョーク作品と同様の仕上がりだ。カンダが手がけたアルバムのブックレットには、ダンスや犬の散歩から自慰行為にいたるまで、彼女(ゼン)のさまざまな表情や年齢、日常のストーリーのイメージが収められたポートレートが描かれている。それらはゲルシ自身の写真をもとに作られており、その表現のなかで身体は原型をとどめていない(ゲルシはゼンのことを「ハー(彼女)」と表現するが、その彼女は男性でも女性でもないという)。ゲルシがレコーディング・スタジオで、カンダが2階のベッド・ルームでゼンに魂を吹き込む。その過程についての説明から、ふたりにとって仕事と遊びの境界線が曖昧になっているのは明らかである。

 「僕らは多くのことに閃めいた。それは共同生活によって起こりえたことなんじゃないかな」とゲルシは言う。「ふたりで2階に駆け上って問題を解決したら、1階に舞い戻って僕がヴォーカルとストリングスなどのふたつのサウンドを組み合わせる」。表面上、ふたりの間柄は親友関係とは真逆である。カンダは力強い眉を持ち身長もゲルシより高い。静かでシニカルなところもゲルシのおしゃべりな気質とはちがう。けれどもカンダにゼンのキャラクターをどのように描写するのかを尋ねてみると、彼らがなん人も持ち得ないお互いの一部を共有しているのだと確信する。「アレハンドロにはいくつもの人格がある」とカンダは語る。「それに彼はたまに、冗談で僕らがゼンと呼ぶものにだってなれる。それは生意気で自身に満ちあふれた、彼のすごく女性的な部分だね。そしたら『おー、彼女(ゼン)が出てきたぞ』って僕らは言うんだ。大抵は僕らがウィードを吸ってふざけてるときだけどね。『ゼンが現れる』。するとゲルシは上着を着替えたり、いろいろやらかしたりでクレージーになる。彼のなかのゼンの仕業だよ。一種の幽霊みたいなものかな。もしくはアレハンドロの精霊だね」

 今日にいたるまで、ゲルシはたくさんの家で暮らしてきた。ある場所はゼンにとって居心地がよく、そうでない場所もあった。投資銀行の銀行員だった彼の父がニューヨークへ転勤となり、家族もいっしょに故郷のカラカスを離れノース・メトロ鉄道郊外の街コネチカット州のデリエンに引っ越した。ゲルシが3歳のときのことだ。その当時のことを彼はそんなには思い出せない。思い出の大部分は「森のなかには大きな家があって、地下の部屋にはスーパーファミコン」というものである。だが、9歳で家族とともにカラカスに戻ってきたときには、英語もペラペラでアメリカの漫画もすらすら読めた。つまり、彼が故郷に帰ってきたときには少し場違いな感じを覚えるのには十分な時間が流れていた。そのように彼が感じた理由のひとつには、カラカスが政情不安、オイル・マネーの加速や貧困によって揺れ動いていたことも関係している。子どもが安全に外で走ったり遊んだりできる場所ではなかった。
 「僕がそこに住んでいた時期は、マジでクソみたいな出来事ばっかり起きていた」と彼は言う。「国の名前もベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバリアーナ共和国に変わって、通貨の名前も少し変更された。僕は私立の学校へ通っていたんだけど、友だちはボディガードやドライバー付きで防弾仕様の車に乗っていたね。一軒家は簡単に侵入されるから、みんな綺麗なアパートへ越していった。玄関にセキュリティがいるからね」(※)

(※編集部注)
1999年、大統領に就任した軍人のウーゴ・チャベスは、社会主義的な理念と反米、反新自由主義を掲げながら、国名もベネズエラ・ボリバル共和国に変更。しかしながら、貧困や格差問題はさらに深刻化して、治安の悪化は加速した。アルカの場合は、記事を読めばわかるように貧困層ではないが、なかば暴力的なプレッシャーを受けていたことがうかがえる。独裁政権でもあったチャベスに対する評価については他にゆずる。

 ゲルシの両親は彼に良い学校に通わせ、門扉に囲まれた環境や音楽レッスンの機会などを与えた。比較的快適で教育熱心な両親だったが、若き日のゲルシは、いかなる国の経済的背景に育った子どもにもひとしく影響を与えうるものを経験した。彼が16歳になったとき、両親が夫婦関係の障害に直面し、長い期間にわたって別れたり復縁したりするようになる。彼はこの期間が「自分を大いに成長させてくれた」と語る。彼の家庭がますます惨憺たる状況になるにつれて、彼も自分が他の男子たちとはちがうことに気づいていった。「僕は13歳のときに、スパイス・ガールズの映画『スパイス・ガールズ』を見て、すごく気に入った、みたいなことをよく日記に書いていた。ときどき、その日記にゼンという名前でサインしていたよ。自分がリヴィングで毛布にくるまって遊んでいて、その場に母親がいると、僕は毛布をマントみたいにしていた。でも、ママがいなくなったらすぐにそれをドレスみたいにしていたよ。その瞬間の僕が本当の自分だと感じた。わかるでしょ?」

 彼は7歳から16歳になるまで、クラシック・ピアノを学んでいた。ゲルシにとってはミュージシャンとしての準備期間だったわけだが、ピアノはときとして自身の開放というよりも義務的なものとして働いていたと彼は言う。兄のCDコレクションに助けを借りながら、90年代に育ったキッズが夢中になる一連の典型的なミュージシャン(アリーヤ、オウテカ、ナイン・インチ・ネイルズ、マリリン・マンソンなど)にゲルシは入れこみ、インターネットに使う時間も増えていった。最終的にデジタル・グラフィックへの尽きない興味から、彼は、ユーザーが自作の画像やそれに対するコメントをアップできる初期のSNSのデヴィアントアートへとたどり着く。当時、4000マイルも遠くに住んでいたカンダとゲルシが初めて出会った場所はこのサイトだった。フルーティ・ループスでの基本的なIDMの制作を通し、ゲルシが音楽に没頭する時間が増えていくいつれて、カンダは単なるフレンド・リストのアイコンであることから、ゲルシの最初のクリエイティヴなパートナーへと変わった。「彼はいつも僕の第二の目みたいだったよ。もしくは第二の耳だね。僕たちにとってあのサイトは本当に意義深いものだった。デヴィアンアートを使っている連中のほとんどは似たようなことばっかり繰り返している。現実逃避みたいなものだよ」

 プレスはまったく触れていないかもしれないが、ゲルシの高校時代のプロジェクトであるニューロはまだネットで聴くことができる。初期の音源の大半はグリッチやエイフェックス・ツインに感化されたビート構築だが、それらに合わせて彼は自らの歌声を披露したりもする。そのため、仕上がりはほのかに野心的なサウンドで、スペイン語版のザ・ポスタル・サービスのようだ。
 「理由はいくつかあるんだけど、僕はラヴ・ソングをよく書いていたんだよ」と彼は回想する。「たとえ愛の意味がわからなくってもね。あのころの僕は性的にまったく満たされていなかった。じつは、僕ってとーってもクローゼットだったんだ。自分がゲイだっていうことはかなり昔からわかっていた。でもね、ベネズエラの社会ではそれに気づくことすら許されないんだ」

 ニューロの曲が初期のMP3ブログに掲載されると、最終的にはライヴの依頼が舞い込み、メキシコのインディ・レーベル〈サウンドシスター〉と契約を結ぶにいたる。プロジェクトがオンラインで勢いづいてくると、彼は高校の同級生から注目を浴びた。ゲルシは生まれて初めてオフラインの世界で、自分が人気を得ていることを同世代と分かち合あうようになったのだ。彼はパーティに通うようになり、高校の女の子とデートをし、女性の一人称でラヴ・ソングを歌いはじめた。自分自身が「認められる」ことを願いつつ。ゲイであることをオープンにするとストリートで暴力を受けるような街において、他に選択肢はなかったのかもしれない。
 「一生カミングアウトしないつもりでいたね。結婚して自分が夫としての役割を果たす姿をずっと思い描いていたかな。思い返せば、ゲイをやめたいって祈ってた。自分がどうかストレートになれますようにってね」
 17歳のときに彼はニューヨーク大学の教養学部の入学許可を得たが、最終的にはティッシュ芸術大学のクライヴ・デイヴィス録音音楽科で学位を取るつもりだった。そして、それはニューヨークへ引っ越したらニューロを終らせて、音楽を共有することから身を引くということも意味していた。「2、3年くらい化石なっちゃったみたいだった。振り返ってみると、自分と結んだ神聖な契約みたいなものを破ったからだと思う。偽るのではなく、みんなのためにただ音楽を作るっていうね」
 それと同時に、ひとりで暮らすことは、彼がいままで負ったことのないリスクを冒すために必要な一押しとなった。故郷から遠く離れた巨大な都市では、生まれた場所で自分自身をアウトサイダーだと感じてきた何千もの人びとがうごめいていた。

 霧が立ちこめるとある夏の夜。大学に入って2年めのこと。ゲルシはチャイナタウンに住んでいた。そのころ彼が夢中になっていたのはダウンタウンのミュージカルに革命をもたらした、ティム・ローレンスの伝記にあるカウンター・カルチャーのロマンス。そしてゲイ・アイコンであるアーサー・ラッセルだった。
 「人生のあの夜まで、自分のことを知られないように僕はかなり徹底して他人の視線を拒否していた」と彼は言う。「その晩、ユニオン・スクエアの地下鉄駅である男を見つめていたのを覚えている。駅はとても暑くてうるさかったな。彼はプラットフォームの階段の側に立っていて、彼はこっちを向いて、僕も彼を見ていた。それより前の僕だったら、すぐに目をそらしていただろうね。でもアーサー・ラッセルの話と音楽に勇気をもらったこともあって、『今日がそのときだ』って決心した。その男のほうに歩いていき、『今度、コーヒーでも飲みにいかない?』って文字通り言葉が僕から出てきたんだよ」
 次の日ゲルシはその見知らぬハンサムな男とシンク・コーヒーで落ち合った。会話からキスへ、キスから相手の家で夜を過ごすことへ発展した。

 翌朝、ゲルシは自分のアパートまでわざわざ歩いて帰ることにした。家に着くと、笑みを浮かべながら当時のルームメイトだったジェイコブに、ちょっとそのへんでも散歩しないかともちかけた。親しい友人に初めてカミングアウトした体験を思い出すと、ゲルシはわたしがロンドンにいるときに何回か耳にしたメタファーに戻る。それは、人生を変えてしまうような決断の崖っぷちに立たされた彼の、そのキャリアの一幕に触れるときに必ず出てくるものだ。
 「断崖絶壁から飛び込むようなものだね。生存本能がそれを止めさせるんだけど、自分のなかの何かが僕を前に進める。なんで崖から飛び降りるかと言えば、地面に落ちる時間や、たくさんのレゴみたいにバラバラになってしまうことがわかるからだよ。そしてかつて自分だったかけらを拾い集めるんだ。でも都合がいいようにかけらを組み立てることはできないし、そのピースの集合体は元の自分のようには感じられない。飛び降りるたびに、本当に美しくて豊かで、そして不愉快なチャンスが訪れる。かけらを組み立てた体は完全じゃないんだけど、インスピレーションを与えてくれるものや、人生のすべてだと思えるものを自分自身の本質が教えてくれるんだよ。それが僕の身に起こったことだね」

 農場にある軋む床の家屋の部屋のように、ゲルシのスタジオは森のにおいがする。庭にある長方形の独立した小屋は、かつては温室だったにちがいない。ゲルシはコンピュータの前に座って作業をし、休憩中にハンギングプラントに水をあげたり、引き出しにしまわれたマイクをときおり取り出していた。そのようにしてデビュー・アルバムの大半の制作とミックスがここで行なわれたのだ。
 とある日の午後、音楽ジャーナリストにとって夢のような話だが、自分の作曲過程を生で披露するために彼はパソコンの電源を入れてくれた。アイゾトープ社のアイリスと呼ばれるべつのプログラムを使って、彼は芝刈り機の音を取り出して、その周波数グラフのランダムで幾何学的な形を切り刻み、ネズミの鳴き声のコーラスのような音を作り出す。一方でエイブルトンを起動させ、小さな球状の波形データをタイムラインに配置し、コピー&ペースト繰り返しながら手作業でビートを構築していく。作業は素早く行なわれ、目では追いきれない早さで作曲は拡大し、画像的には数分ごとに都市の地図が広がっていくような光景がスクリーンには広がっていった。庭で猫のトゥルーが悲しそうに鳴きはじめると、「彼女もピッチベンドしてるんだね!」とゲルシは大声を出した。そして、わたしはあることに気づいた。彼は音を聴きながら曲を作っていないのだ。頭のなかで、どのよう何の音が鳴っているかわかっているのだろう。

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一生カミングアウトしないつもりでいたね。結婚して自分が夫としての役割を果たす姿をずっと思い描いていたかな。思い返せば、ゲイをやめたいって祈ってた。自分がどうかストレートになれますようにってね。

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 カミングアウトのあと、ゲルシはアーティストとしての大躍進を経験し、アルカが生まれた。その名義で作られた初期の作品を人気づけた奇妙で闘争心に溢れた声は、これから彼がやろうとしていることの文字通り、頭の中の残響音だった。「それは完全に別物の声で、自分の魂や心のまったくちがった部分から出てきたもの。この混みあった部屋(頭)でお互いがシャウトしまくっていた。自分の体に性的な意味で慣れていく感じだよ。柔軟性と弾力性がふんだんにあって、感情的な方法でそれらの声を包み込むんだ」
 よりダークで複雑に発展していく彼の曲のように、ゲルシが初めてニューヨークのパーティ〈GHE20G0TH1K〉へ行ったことによって、彼自身の社会的領域も広がりはじめた。このパーティは多文化主義や同性愛者、そして狂気的に弾けたポップ・ミュージックのスモークで充満した祭典として、アンダーグラウンドのシーンでは知られている。そのパーティの主催のひとりであるシェイン・オリヴァーによる学校でのインターンも彼をより前進させることになる。オリヴァーはカルチャー・ジャミングとアヴァン・ギャルドを特徴とするファッション・ブランド、フード・バイ・エアーの立案者だ。ゲルシは、パーティのもうひとりの立役者であるプロデューサー、フィジカル・セラピーを経由して、やがて「ストレッチEP」をリリースすることになるレーベル〈UNO NYC〉のチャールズ・ダンガと出会う。のちに〈GHE20G0TH1K〉のさまざまなシンガーとのコラボレーションも続いた。このプロジェクトが2011年にはじまってから、アルカはミッキー・ブランコ、ケレラ、そしてオリヴァーにも楽曲を提供している。そして、人生を変える一通のメールがオリヴァーの友人であるマシュー・ウィリアムズから届く。彼はファッション・ブランド、トリルの創設者であり、カニエ・ウィストの長年のコラボレーターだった。

 「(カニエに)数曲送ってほしいと頼まれただけで、その通りにしたよ。そのとき持っていた最強に奇妙な曲を送ったら、カニエがすごく喜んでくれたんだ」とゲルシは言う。『イーザス』の制作におけるゲルシの冒険はいくつかの点において厳しいものだった。
 「一日の終わりに(みんなが作った音楽を)カニエ本人がチェックすること以外に、決まりごとは本当にないんだ」と彼は言う。世界中のミュージシャンとのレコーディングや、何十人もの制作チームとの共作は家での制作とはかなり異なるものだった。「自分でいままで試みたり、考えたりしたことのない類いのものだった。でもね、僕の人生に変化をもたらした出来事であったことはたしかだよ。恐いもの見たさで極度のプレッシャーのなかに身を置いていたからね」
 その経験を振り返ると、カニエの制作指揮者的なヴィジョンがいちばん印象に残っているとゲルシは言う。「たくさんのことがデザインといっしょに浮かんでくるんだ。謎解きみたいな感じでね。もし曲がアグレッシヴさを求めていたら、頭のなかにあるその瞬間で最良の解決方法をデザインするのは、3、4人の仕事にかかっている。みんながそれぞれ完璧に違ったアプローチをとるんだけど、最終的にすべてを編集するのはカニエ自身なんだ。変な方法だけど、彼はそうやってプロデュースをしている。選ぶだけじゃなくて、カニエはスタイルを作るんだよ」

 神話と化した『イーザス』のセッション以降、アルカはすでにシーンの裏側の多くの強烈な個性たちの共犯者となっていた。ビョークとのコラボレーションに加えて、ロンドンのR&Bシンガー、FKAツイッグスのソウルフルなセカンドEP全体を手がけたのもアルカだ。ルールを壊すことへの愛情は、彼が信頼の置ける実験的なアーティストであることを明確にしたのだが、他人の曲のなかから自分らしさを消すことができる能力が、いちばん役に立っているという。
 「長年考えていたことで、けっこう恥ずかしく思っていたんだけど、僕って強烈な個性を持っているひとといっしょにいると、彼らのような喋り方になっちゃうんだ。もしだれかの方向に引き寄せられると、自分たちのあいだに橋渡しをしてしまう。それでたまに相手の視点から世界を見るようになるのかもしれないね。長い間それは怖いことでもあった。自分にはアイデンティティがないことや、もしくは自分のアイデンティティは未完のままだということを、その現象が表しているのかもしれないって考えていたからね。でも歳をとるにつれて、それが強みだと思えるようになった。自分を一時停止させて相手に完全に開いた状態にすることは、自分の共感能力のすべてを使って誰かを覗き見したり、相手の哀愁を感じることにつながる。これは本当に強烈だよ。だってさ、その人の良さとか健康さとかを超越したものを抱え込むことになるんだからね」

 ロンドンでゲルシと過ごしているあいだ、出会った半数以上の人びととののやりとりから、彼にはその傾向があると気づいてしまった。『ゼン』をリリースするレーベル〈ミュート〉のプロジェクト・マネージャーである、パディ・オニールの誕生日を祝うために、わたしたちはダルストンのパブに向かったのだが、彼がその夜の終わりにバーからこっそり離れ、誰も見ていない間に勘定を済ませようとしていることに気がついた。通りに出て、ベンジーBが長年オーガナイズしているパーティ〈デヴィディエーション〉に行こうと集まっていると、ゾンビみたいな男がわたしに近寄ってきて「エクスタシーをくれ」と言ってきた。ゲルシはすぐさまわたしを守ってくれ、反射的に自分の身体でわたしたちのあいだにバリアを作ってくれた。その男が立ち去るとゲルシは皮肉とともに緊張を解き放ち、「だけど、ヤツはアリーヤのTシャツ着ていたよね」と言った。彼がすこし生意気なときは、彼のかすかなスペイン語のアクセントがいつもよりも強く出てくるとわたしは気づいた。

 ここにゲルシに関するいくつかの覚え書きがある。人ごみのなかで、彼はいつもその場をパーティみたいにする人間だ。夜明けの2時45分くらいになると〈デヴィエーション〉のパーティで高いところによじ登り、パーティ・ピープルのヒラヒラしたシャツの海で、メッシュのボディスとハーネスを身にまとって踊り出す。この都会かぶれなフロアは、わたしたちのお目当てであるLAのエレクトリック・デュオ、ングズングズの良さがわからないだろうと言うと、ゲルシは「すべてのよいDJたちは、フロアをいかに整えるかをしっているはずだよ」と答えた。そして、どこからともなく近づいてきた女性を、彼は立ち止まってクルクルと回しはじめた。

 「アレハンドロがどれだけ爆竹みたいなやつなのか、みんな知らないと思うな。彼といっしょにいると、いつもベビーサークルのなかで、子どものころの友だちと遊んでいる気分になる」と、フード・バイ・エアーのシェイン・オリヴァーは後日、電話で教えてくれた。たしかに、半年に及ぶ『ゼン』で行なわれた即興的なレコーディングのプロセスについてゲルシが語るとき、彼がその無邪気さを創造的な気質へと昇華させていることを感じる。
 「何もコントロールすることができない状態で僕はこのアルバムを作ったよ」と彼は言う。「最初のアイディアこそが最良のアイディアみたいな考えだね。座って作業をするまで、自分が何を作るのかさえ知らなかった」。ゲルシのアイチューンズをちらっとのぞくと、この自由な連想から作られたというたくさんの曲が並んでいる。
 「ハッピーになれる曲を作っているときはいつもなんだけど、1、2回聴き返しただけだと自分の曲だってわからないんだよね。あとね、その状態だと子どものころの自我とつながって、より穏やかで女性的になった気がするんだ。ゼンは男の子でもなければ女の子でもない。彼女の素の存在は冷淡さと魅力を同時に備えている。だから、大きく目を見開いて口が空きっぱなしの大勢の人びとが、スポットライトの下の彼女を見ている様子が想像できるんだよ」

 この作品は自身の潜在意識の旅のようなものであると彼は言う。耳障りな音のストロボから、肉が溶け出しているようなシンセの曲線、半音階のストリングスのセクション、さらにはよろめきながら進むフラメンコのリズム。多くのパートには、それらの間を跳ね回るような、かなり緊迫したリスニングのポイントがある。“シスター”のようにもっとも耳に響く曲においては、ヘッドフォンの右側のチャンネルでランダムに明滅する静かなノイズの壁によって、ふいに足をすくわれる。そのような力をこのアルバムは持っている。
 しかし『ゼン』には同じように愛情にあふれた瞬間もある。彼の声がロボットのうめき声のように奇妙に鳴り響くときや、“サッド・ビッチ”や“ヘルド・アパート”のような曲で一瞬だけ流れるメロディは、彼自身が弾くピアノを伸縮させたものなのだ。豊富な楽器の色彩がダンス・ミュージックと融合しているのだが、『ゼン』はその頼れる波形の地図に執着しない。心を打つメロディが膨らんでいく一方で、良質なポップ・ミュージックのフックを作る能力を誇示することに対して、なんのこだわりもないようだ。そのかわりに、麻酔的な、あるいは情緒的な表現のために高い技術を活用している。それはまるで子ども時代の自分の分身を蘇らせることによって、10代のころに学んだシューマンとメンデルスゾーンへと舞い戻っていくようでもある。『ゼン』は、ロマン派的だがビートも存在するという、自由奔放な表現度をもって展開していくのである。

 より受け入れられやすい『&&&&&』は、彼がポップの革新者として表現できる世界を見せているように思える。その一方で『ゼン』においては、彼の芸術性が、内を向いた美学によって知性や理性を超えた場所へといくぶん押し進められている。その点において、ゲルシが崖から飛び降りたもうひとつの実例として『ゼン』を理解することができるかもしれない。彼が内に籠ろうとしているので、リスナーや知人たちはゲルシの居場所にまで会いにいくことを要求される。同じことが『イーザス』以来初となるインタヴューを受けた彼の決心にも当てはまる。音楽に音楽を語らせることを望んでいるのだ。自分自身を新しいことに挑戦させるよう駆り立てたと彼は言う。なぜなら「作品がそれを必要とする」からだそうだ。外から傍観している者の視点からは、自身を大いにさらけ出そうとしている彼を目撃することは興味深くも恐ろしいことである。迷いもなく、詫びることもなく、自分自身になろうと勇気を奮い起こすとき、外部の現実がふたたび深い恐怖をもたらすリスクが付きまとうものだ。それは、自身をさらけ出したら他者は自分の望むようには反応してくれない、または、そのさらけ出した自分から他者が遠ざかるという恐怖だ。創作のレベルにおいて、それこそが本来の用語的な意味における実験的な音楽を作る危険やスリルである。それまで耳にしたことがないものを享受できるようになる前に、リスナーは聴き方そのものを何度も学ばなければならない。

 『ゼン』を聴いているといつも立ち上がって踊りたくなると彼は言う。わたしがニューヨークに帰る前夜、イースト・ロンドンにある天井の低い地下のパブでゲルシのDJを見たとき、彼はまさにそんな感じだった。彼は手の込んだ拘束衣を身につけていたのだが、夜が進むに連れてその上着のジップはゆっくりとひとりでに開いていくようだった。ダンスフロアは満員で、ゲルシはDJブースの後ろで、ベネズエラのパーティ・ミュージックに合わせてひと言ひと言漏らさずにハミングし、向こう見ずな手首使いでピッチを上げると、もう何曲か歌をつづけた。クラウドがピークに達すると、彼はボーイフレンドに熱いハグとキスをし、わたしはその週のはじめにどういうわけか、映画『ホーリー・モーターズ』に出てくる女曲芸師の話をゲルシとしていたことを思い出した。わたしも彼女のファンだと知ると、彼は興奮して自分のパソコンへ向かい、カンヌのレッド・カーペットで、解剖学上は理解できないポーズをしている印象的な一連の写真を見せてくれた。「おー、彼女は自分が何をやっているか完璧に把握している」と彼は言っていた。それこそが、恐れを知らない女性性を持った人物について話すときに彼が必ず使う言葉だった。ゼンについて同じように述べていた可能性も十分にある。

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