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電子音楽好きで〈ミュート〉を知らない人間はまずいないでしょう。もしいたら、それはブラジル代表の試合を見たことがないのにサッカー観戦が好きだとぬかすようなもの。僕にテクノを教えてくれたのは石野卓球という名前で知られている男だが、彼が10代のとき、このレーベルに心酔していたことをよく憶えている。〈ミュート〉がまだマニアックなレーベルだった時代だ。君たちがまだ生まれる前、電子音楽自体がポピュラーではなかった時代、信じられないかもしれないけれど、音楽をやるのにドラマーがいなかったことが考えられなかったという太古の昔の話だ。
ポストパンク時代のUKには魅力的なインディ・レーベルがいくつもあった。〈ラフ・トレード〉、〈4AD〉、〈ファクトリー〉、〈チェリーレッド〉、そして〈ミュート〉だ。
レーベルは、1978年、ダニエル・ミラーがザ・ノーマル名義の7インチ・シングル「T.V.O.D. / Warm Leatherette」を発表したことにはじまる。コルグのシンセサイザーとテープマシンを使ったミニマルなその曲は、エレポップの夜明けとして、インダストリアルの青写真として知られることになる、いわばポストパンクの記念碑的な作品だ。歌詞は(ゲイリー・ニューマンの“カーズ”と同様に)J.G.バラードの『クラッシュ』からのインスピレーションで書かれている。つまり車に性的興奮を覚えるという、ちょっといかれた曲だ。そしてこの曲は、2年後グレイス・ジョーンズ(当時のディスコ・クイーンですよ)にカヴァーされ、アメリカでもヒットしている。……にも関わらず、ダニエル・ミラーは、わりとあっさりアーティスト業を廃業して、自身の情熱をプロデューサー業とレーベル運営に注いでいる。
そして、いや、だからこそ〈ミュート〉の輝かしい歴史が幕を開けた。エレポップの先鋭ファド・ガジェットをはじめ、ノイズ/アブストラクトの先駆者ボイド・ライス、プロト・ハウスのヤズー、80年代の黄金時代のニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズとマーク・スチュワート、声の冒険者ディアマンダ・ギャラス、シンセポップの急進派アイ・スタート・カウンティング、インダストリアル・ダブ/ヒップホップのレネゲイド・サウンドウェイヴ、旧ユーゴスラビア出身のいかついインダストリアル集団ライバッハ、EBMの代表格ニッツァー・エブやミート・ビート・マニフェスト、80年代末からのワイヤー……再発やライセンスでは、カン、クラフトワーク、スロッビング・グリッスル、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン……名前を挙げるのはこのくらいにするけれど、レーベルの根幹にはクラウトロックとノイズがありながら、〈ミュート〉はポップ・フィールドでも成功を収めている。デペッシュ・モードとイレイジャーを筆頭に、最近でも、本国では国民的な存在のゴールドフラップや若い世代を代表するポリー・スカッターグッドなど、このレーベルがポップスを忘れたことはない。レフトフィールドな電子音楽とエレポップの開拓者としての大衆派路線の両道を貫きつづけて35年、なのである。
この度、東京の〈トラフィック〉が〈ミュート〉とレーベル契約を交わした。まずは11月6日、ダンスビートを我がモノとした時代のキャバレ・ヴォルテールの再発が3枚(80年代の傑作『ザ・クラックダウン』と『マイクロフォニーズ』、政治的な問題作『カヴァナント、ソード・アンド・アーム・オブ・ザ・ロード』)、そしてイレイジャーのクリスマス・アルバムが出る。
〈ミュート〉一筋35年の男、ダニエル・ミラーに電話をした。

ザ・ノーマル、1979年のライヴ模様。
〈ラフ・トレード〉、〈4AD〉、〈ファクトリー〉、〈チェリーレッド〉なんかはみんな質が良かったね。お互いが目標だった。一緒に何かをすることはなくても、同時期に存在していたということがとても大切だったんだと思う。
■現在も〈ミュート〉レーベル全体のディレクションはあなたが見ているのですか?
ダニエル・ミラー(以下、DM):そうだね、ミュートというひとつのチームではあるけど、もちろん僕のレーベルだからいまでもディレクションを見ているよ。どちらかというと、いまはレーベルのクリエイティブ方面に重点を置いているかな。
■レーベルが生まれたのが1978年ですから2013年は実は35周年記念だったんですね。いまでも〈ミュート〉のカラーがありますし、レーベルのコンセプトは変わっていないようにも思いますが、いかがでしょう?
DM:レーベルをはじめた当初に築き上げたコアとなる僕らの価値観は35年経ったいまでも変わっていないと思う。音楽の面で言えば、前に進んだし、扱うサウンドの幅も広がったけどレーベルのコンセプトは当初から確固たるものだ。
■35年前のことは憶えてらっしゃいますよね? どのようにレーベルがはじまったのか話せてもらいますか?
DM:いわゆる「レーベル」というものは実在しなくて、僕が自分の音楽をリリースするっていうところからはじまった。最初からかしこまってレーベルをはじめようという計画があった訳ではなかったんだ。自分のシングルをリリースする、それくらいのものだった。でもそれからすぐに実際にレーベルを立ち上げて、自分の好きなミュージシャンの音楽をリリースしたら楽しいんじゃないかって思うようになった。
■レーベルを大きくしたいという野心は最初からあったのでしょうか?
DM:質のいいレーベルにしたいという気持ちはあったけど、レーベルを大きくしたいという野望はとくにはなかったな。クリエイティヴ面に強くて、所属アーティストの面倒をきちんと見るレーベルにしたかった。こういう価値観を元に大きくなるんだったらいいよね。
■〈ミュート〉は現在の多くのレーベルにとって目標になっていますが、あなた自身にとって目標としたレーベルはありましたか?
DM:これといって目標にしたレーベルはなかったけど、僕がはじめたくらいの時期に出て来たインディ・レーベル、例えば、〈ラフ・トレード〉、〈4AD〉、〈ファクトリー〉、〈チェリーレッド〉なんかはみんな質がよかったね。お互いが目標だった。一緒に何かをすることはなくても、同時期に存在していたということがとても大切だったんだと思う。だから、僕はこういったレーベルをリスペクトしてたし、仲間意識もあった。僕の目標はどこにもないレーベルを作ることだった。他のレーベルもそうで、似たり寄ったりのレーベルを作るのではなく、本当の意味での新しいレーベルを作るのが皆のゴールだった。
■ザ・ノーマルの「ウォームレザーレット」は僕もいまでも持っていますが、当時それなりにヒットしたと思います。ザ・ノーマルとしての活動をしなかった理由は何だったのでしょう?
DM:ははは、ありがとう! そうだね、実際のところ自分自身をミュージシャンとかソングライターとして見たことはないんだ。その当時のエレクトロニック・ミュージックに対して自分の中のステートメントを表現したかっただけで、自分のことをいわゆるレコーディング・アーティストとして見たことはない。むしろ、その当時僕のやっていたことを引き継いでやってくれるようなアーティストたちと一緒に何かやっていきたいと思っていて、それをあえて自分自身で続けていこうとは思わなかった。
■レーベル運営やプロデューサーに徹しようと思った理由も?
DM:うん、だからひとつ前の質問で答えた通りだね。
■エレクトロニック・ミュージックというコンセプトは最初からあったと思いますが、あなた自身、どんな影響からその方向性を選んだのでしょう?
DM:レーベルをはじめる以前からエレクトロニック・ミュージックのファンだった。フューチャリスティックだったし、音楽的にも前に進んでいると思っていたからね。でも、その当時エレクトロニック・ミュージックっていうのは限られた人だけの音楽という感じでもあったんだよ。なにしろ機材はすごく高価で、ギターを買うみたいな感覚で気軽にシンセも買えるというわけにはいかなかった。
しかし、その当時、日本のKORGとかROLANDなんかのシンセのブランドが出て来てね。そういえば、僕が初めて手にしたシンセはKORGのものだったな。お気に入りのシンセでいまでも持ってるよ。それで、新しい世代がエレクトロニック・ミュージックを気軽にはじめられる時代が来たと感じて、さらに音楽を前進させてくれると信じた。
僕は常日頃から音楽を前に進めたいと思っていて、エレクトロニック・ミュージックがその答えだと確信した。ただそれまでは、さっきも言ったように機材が高価すぎて誰もが出来ることではなかった。だから、手頃なシンセが出て来て、自分でレコードもリリースできる環境が整ってきはじめて、僕はエレクトロニック・ミュージックが限られた人だけのものじゃないし、大それたプロダクションも必要なくて、ミニマルに作り上げることが出来るっていうことを証明したかった。

でっちあげバンド、シリコン・ティーンズのアー写。

ザ・ノーマル時代のダニエル・ミラー。
日本のKORGとかROLANDなんかのシンセのブランドが出て来てね。そういえば、僕が初めて手にしたシンセはKORGのものだったな。お気に入りのシンセでいまでも持ってるよ。それで、新しい世代がエレクトロニック・ミュージックを気軽にはじめられる時代が来たと感じて、さらに音楽を前進させてくれると信じた。
■カンやクラフトワークのバックカタログを契約して、ザ・レジデンツとも契約をされましたね? このあたりがあなたのルーツなんでしょうか?
DM:そうだね、とくに60年代後半から70年代中盤までのドイツのバンドには個人的に大きな影響を受けた。彼らの音楽に出会っていなければMuteは存在しないとも言える。それくらいの影響力だったし、僕にとっては音楽とのライフラインでもあった。その当時、イギリスやアメリカの音楽はつまらなかったんだけど、ドイツでの音楽的な動きはすごく面白いと思った。
■自分のレーベルからカンやクラフトワークを出すことは、やはり感慨深いモノがあるのでしょうかね?
DM:その通り、信じられないような気分だった。彼らと話し合って、彼らの音楽を再度世に出すということは本当に名誉なことだったよ。
■スロッビング・グリッスルのようなラジカルな作品を出しながら、イレイジャーのようなポップ・ヒットも出しているのが〈ミュート〉の特徴だと思いますが、この10年ではゴールドフラップがレーベルのポップ・アーティストを代表していると思います。あなたから見てゴールドフラップの魅力はどんなところにあるのでしょう?
DM:その当時の、(ゴールドフラップの)アリソンのボーイフレンドが彼女のデモテープを持って来てくれたんだけど、聴いた瞬間に虜になって、最初のコーラスの部分で契約したいと思わせる程のインパクトだった。彼女の声から、アレンジ、サウンド、曲に至るまですべてがパーフェクトで、一瞬にして恋に落ちたような気分だった。本当に即決だったんだ、最初のコーラスで決めたくらいだから。契約後リリースしたアルバムは、全てすばらしい出来だったから、僕の判断に間違いはなかったね。
■まだ日本では有名ではないのですが、ポリー・スカッターグッドの魅力についてもあなたの言葉で紹介してもらえますか?
DM:ポリーは素晴らしいライターでストーリーテラーだ。彼女の曲にはストーリーが詰まっている。いまでこそ彼女は20代だけど、契約当初はまだティーンエイジャーで、彼女の歌詞がすごく良くて魅了されたんだ。それまで音楽を聴き込んできたわけではないようだから、よりいっそう興味をひかれたのかな。そのせいか、新しい手法やサウンドに対してもオープンなスタンスを取っている。1枚目と2枚目のアルバムを聴いてもらうとわかるけど、その頃彼女はまだ自分のスタイルを確立していなくて、いろいろなやり方を試していた過程にいたからかなりスタイル的に異なる仕上がりだった。彼女は有望なパフォーマー、ソングライター、シンガーだよ。
■キャバレ・ヴォルテールのバック・カタログを契約した経緯について教えてください。
DM:90年代初頭くらいから彼らとは一緒にやっていて、僕らは常にバックカタログをリイシューすることによって良い音楽を絶やさないようにしている。そうすれば、人の心のなかで生き続けるから。パッケージし直して、リイシューしたり、ボックスセットを出したりね、このプロセスは彼ら(キャバレ・ヴォルテール)だけではなく、バックカタログを出しているすべてのアーティストに言えることで、良い音楽、僕らが大事にしている音楽を世に出し続け、人の目に触れるところに置いておくことが大切だと思っている。カンや他のアーティストについても同じこと。
■キャバレ・ヴォルテールの再発をダンス・ミュージックにシフトしてからの『ザ・クラックダウン』以後3枚のリリースからはじめた理由は何でしょう?
DM:彼らの初期の方のアルバム(5~6枚)の権利はあったけど、後期のアルバムに関して最近まで僕らには権利がなかったから。去年くらいにようやくバンドから権利を得て、リリースに至った。
■これで、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、スロッビング・グリッスル、そしてキャバレ・ヴォルテールと、ノイズ/インダストリアルのビッグ3をリリースしていることになると思いますが、あなたの彼らに対する思いを教えてください。
DM:ノイバウテンは自分たちのレーベルでリリースしてるけど、〈ミュート〉でも彼らのバックカタログは何点かリリースしてるね。こういったアーティストと長年一緒に仕事ができるのは本当に喜ばしいことで、それが〈ミュート〉としてやりたいことでもある。僕の個人的な好みがこういったバックカタログにも反映されてる。ポップ・ミュージックも好きだし、エクスペリメンタルなサウンドも好きだしといったように。自分の好きなアーティストとこうやって長年やっていくのは決して容易いことではないけど、とてもいい経験だ。
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現在のダニエル・ミラー。(photos : Erika Wallsm)
Carter Tuttiはスロッビング・グリッスルのメンバーだったし、長い付き合いがある。別にポストパンク時代のものがすべて良いっていうわけではないよ。それほど良くもないバンドももちろんいたし。でもその時代のバンドでいまでも格好いいバンドもいるのはたしか。
■ヴィンス・クラークやデペッシュ・モード、ニック・ケイヴなど有名どころもそうですが、他にもライバッハ、バリー・アダムソン、ブルース・ギルバート、ボイド・ライスのように地味ながらずっとリリースし続けているアーティストがいますよね。彼らのような人たちはレーベルにとってファミリーみたいなものなんでしょうか?
DM:断っておくとデペッシュ・モードとニック・ケイヴはもううちではリリースはしていないけどね。もちろんイレイジャー、ヴィンス・クラーク、ゴールドフラップなんかはいまも出している。ライバッハやボイド・ライスなんかはずっと一緒にいるからね、そりゃもう家族みたいなもんだ。彼らが良い音楽作り続ける限り、それを世に送り出したいと思う。こういったアーティストたちとともに歩んでいくことも僕自身大切なことだと思っている。
■来年はライバッハの新作が控えていますが、彼らのような東欧のベテランの作品に対する新しいリアクションにはどんなものがありますか?
DM:彼らにはいまだに世界中に熱狂的なファンがたくさんいるね。ライバッハに対してだけではないけれど、すべてのアーティストに対して新しいオーディエンスをつけたいと思っていて、それによってリリースを続けていければと思っている。ライバッハに関しては、新しいリアクションというのは目立ってあるわけではないけれど、彼らが活動をし続けていることを見られるのはみんな喜んでいるよ。
■再発もので、意外なほどセールスの良かった作品やアーティストがいたら教えてください。
DM:全体的に見ると、カンだろうね。89年からバックカタログのリリースを続けているけど、コンスタントにものすごく良く売れている。バックカタログの売り上げの中では常にカンがダントツだね。これにはいつも僕も驚かされるよ。と、同時にもちろんうれしくも思うけどね。
■亡くなったフランク・トーヴェイの編集盤を2006年に出していますね。彼はレーベル初期を代表するアーティストでしたが、彼はどのような人物でしたか?
DM:フランクは僕がレーベルを立ち上げて初めて一緒に仕事をしたアーティストだ。Fad Gadgetとして契約をした。だから彼にはとても思い入れがあったし、彼との関係は特別なものだった。フランクとは友だちから紹介してもらって、デモを聴いたんだけどそれがすごくよくてね、実際会ったら意気投合した。クリエイティヴで、心優しくて、ユーモアのセンス溢れるやつだった。長年一緒にやっていたあいだ、途中で音楽活動をやめて、プロダクション方面にいったりしたけど、またアーティストとして活動をしはじめてた矢先に亡くなってしまったので、ものすごく悲しかったし、残念だった。彼と一緒に仕事ができて心から良かったと思ってる。
■昨年もCarter Tuttiの『Transverse』を出していましたが、やはり、ポストパンク時代のアーティストには特別の思い入れがあるのでしょうか?
DM:そりゃ、もちろん。Carter Tuttiはスロッビング・グリッスルのメンバーだったし、長い付き合いがある。別にポストパンク時代のものがすべて良いっていうわけではないよ。それほど良くもないバンドももちろんいたし。でもその時代のバンドでいまでも格好いいバンドもいるのはたしか。クリス&コージー(Carter Tutti)はもちろんそうだし、その当時から一緒にやってるワイヤーも素晴らしいしさ(Duet Emmo名義で共作もしている)。ポストパンクの時代から変わらずいいバンドがいるのは間違いない。
■80年代にくらべて、音楽の力は弱くなったと思いますか?
DM:80年代に比べたら、60年代のほうがより多くの選択肢があったと思う。ただ、いま、音楽がこういった時代よりもより強いインパクトを与えることは可能だと思う。現在に比べてその当時は音楽に対して深い思い入れを抱くこともできたんだけど、いまはいろいろな選択肢があることによって絞りきれなくなっている。だからこそ、アーティスト自身や、アーティストが作る音楽そのものがよりいっそう強いインパクトを与えて、昔のような人の心の掴み方をしなければならない。結論から言うと、音楽の力は80年代に比べると弱くなっている。もちろん、それを覆す可能性もおおいにあると思うけど、あの当時のようにはいかないと思う。さっきも言ったようにいまは選択肢がありすぎるから。
■インターネットの普及によって、ミュージック・ビジネスはこの10年で大きな変化のなかにあると思います。あなたは現在の変化をどのように見ていますか?
DM:インターネットの普及によって出来ることはかなり広がった。それにはもちろん音楽も含まれていて、レコーディングの技術が生まれてから現在に至るまでの膨大な量の音楽に誰でも気軽にアクセスが出来るようになったし、この変化はポジティヴなものだと僕は思う。ただ、さっきも言ったけど、こういう技術の発達によって選択肢がぐんと広がった以上、一歩先を行くには、音楽自体がよりいっそう強いインパクトを与えなければいけないと思う。
■新しいサブレーベル〈Liberation Technologies〉について教えてください。このレーベルのリリースにはMark Fellのような比較的新しい世代の実験的なアーティストが目に付きますが、今後、どのような展開を予定しているのでしょうか?
DM:僕らは長年エレクトロニック・ダンス・ミュージックにも携わっていて、〈ミュート〉のサブレーベルでもある〈Nova Mute〉からはスピーディー・Jやリッチー・ホウティン(プラスティックマン)なんかのタイトルをリリースして来た。僕はダンス・ミュージックが好きだったし、その世界に居続けたかったから、その辺の音楽に詳しいやつと一緒に〈Liberation Technologies〉をはじめたんだ。まずは12インチのリリースやダウンロード・アイテムをリリースすることからはじめた。ジャンルはとくに特定せずに、それを越えて常に前に進み続ける音楽を出していきたかった。はじめてから1年くらい経つけど、立ち上げてよかったと思ってる。とても満足しているし、ネクストステージをどのようなものにするか考えているところだ。
■長年、ミュージック・ビジネスに関わっていて、音楽が嫌いにはなりませんでしたか?
DM:いや、音楽自体を嫌いになったことはいちどもない。仕事上で音楽を聴かなければいけないのはたまにつらかったりもするけど。レーベル運営者としての音楽に携わることと、いちファンとして音楽に触れることはまったく別物だから。音楽業界自体は僕は好きではないんだけど、アーティストと仕事をすることはとても楽しいし、彼らのヴィジョンを形にする手助けが出来るのもうれしい。長年やっていればつらいこともあるけれど、ほとんどの部分においてはレーベルをやっていて良かったと心から思るし、いまでもそう思えていることが大切なんじゃないかな。
■DJはやられているんですか?
DM:うん、年に10回程、だいたい月1回のペースで。かけるのはテクノだね。
■日本には、〈ミュート〉に影響を受けたアーティストが少なからずいますが、日本人アーティストを出しようなことはお考えではないですか?
DM:まだその機会に恵まれたことはないんだけれど、いいアーティストがいればもちろん! ボアダムスとは何かやろうと思ったこともあったけれど、実現はしなかった。そこまで詳しいわけではないけれど、日本の音楽は好きだしね。日本だけではなく世界中のアーティストに興味があるよ。
■2013年にリリースされた作品で、あなたにとって良かった作品をいくつか挙げてください。
DM:いい質問だね(笑)! 良かった作品は間違いなく、〈ミュート〉からリリースした作品だ。ゴールドフラップのアルバムがダントツで良かった。自分のレーベルからアーティストを選ぶのは好きじゃないんだけど、ゴールドフラップのアルバムは群をを抜いてたからね。レーベルをやっていて難しいのはさ、自分が手がけている音楽以外のものを聴く暇がないんだ。だいたい毎年、クリスマスの時期になると数週間時間が出来るから一年を振り返っていろいろ聴けるんだけど、いまの時点だと〈ミュート〉からリリースされたものかな(笑)。
さあ、きました、エレグラ最終ラインナップ! セオ・パリッシュとノサッジ・シング× 真鍋大度 × 堀井哲史 × 比嘉了というビッグなステージの情報が追加公開。1ヶ月後をわれわれele-kingチームも楽しみに待ってます!
絶大な人気を誇るデトロイト・ハウスの雄、セオ・パリッシュ出演決定!
ノサッジ・シングと真鍋大度等によるオーディオ・ヴィジュアル・ライヴが実現!
ついに今年のエレグラのフル・ラインナップが出揃う!! 最終ラインナップに強力な2組が参戦! アタマからケツまで見どころ満載! このラインナップを一晩で体験できるのはまさに奇跡的!(タイムテーブル等は近日発表)

まずは、もはや説明不要、絶大なる人気を誇るデトロイト・ハウスの雄、セオ・パリッシュがエレグラに初登場!
90年代後半デトロイトのアンダーグラウンド・シーンから現れ、いまやトップ・プロデューサー/DJとして揺るぎない地位を確立。卓越したDJスキルのみならず強靭な意志と愛を注入したそのDJプレイは、オリジナル曲に加え、ダンスクラシック、ジャズ、ソウル、ヒップホップなど広範囲におよぶ黒人音楽を見事な構成力でまとめ上げ、ダンスフロアをスピリチュアルな熱狂へと導く。彼が祭主となり、濃厚でソウルフルな漆黒のグルーヴを放出し、その夜の儀式は衝撃的な音楽体験となるだろう!
「音楽に対する愛からすべてが生まれる……オープンに、また敬意とともに用いることでDJプレイはスピリチュアルな儀式に生まれ変わる。そしてその数時間の選曲をひとつの歴史に変えることができるんだ。」― セオ・パリッシュ

LAビートとエレクトロニカ~チルウェイヴを自在に往来し、プロデューサー、リミキサーとしてフライング・ロータスやケンドリック・ラマーなど 大物アーティスト達が賛辞を惜しまない逸材ノサッジ・シング。そしてYoutubeで100万ヴューを超える彼のミュージック・ビデオのディレクションをはじめPerfumeのライブ演出を手掛けるなど、そのクリエイティヴィティーでメディア・アートから音楽、広告業界まで股にかけ、いまや世界的にその名を轟かす真鍋大度が、これまた世界的に評価を受ける堀井哲史、比嘉了とのチームで、ノサッジ・シングの音を映像演出! 今後ワールドワイドに展開していくという噂の、見逃せないスペシャル・ユニットがエレグラにて驚愕のパフォーマンスを世界初披露!
electraglide2013
出演:
JAMES BLAKE
2manydjs LIVE
!!!
MODESELEKTOR [DJ SET+909] with Pfadfinderei
THEO PARRISH
SHERWOOD & PINCH
FACTORY FLOOR
MACHINEDRUM
NOSAJ THING x 真鍋大度 x 堀井哲史 x 比嘉了
開催日:
2013/11/29 (FRI)
会場:
幕張メッセ国際展示場
開場:
OPEN/START 20:00
チケット:
前売 ¥8,800 / 当日 ¥9,800
※18歳未満の入場は不可、入場の際写真 付きIDの提示をお願い致します。
※お買い求めいただいたチケットは返品できません。
前売TICKET販売詳細:
チケットぴあ 0570-02-9999 [ https://t.pia.jp/ ] (Pコード:209-961)
ローソンチケット 0570-084-003 [ https://l-tike.com ] (Lコード:72626)
イープラス [ https://eplus.jp ]
tixee(スマートフォン用eチケット)
[ https://tixee.tv/event/detail/eventId/1829 ]
Confetti [ https://confetti-web.com ]
楽天チケット [ https://r-t.jp/electraglide2013 ]
ビートインク [ https://shop.beatink.com ]
店頭販売(ABC順)
BEAMS RECORDS
ディスクユニオン (渋谷Club Music Shop / 新宿Club Music Shop / 下北沢Club Music Shop / お茶の水駅前店 / 池袋店 / 吉祥寺店 / 町田店 / 横浜西口店 / 津田沼店 / 千葉店 / 柏店 / 北浦和店 / 立川店 / 高田馬場店 / 中野店 / web shop)
GANBAN
HMV(ルミネ池袋店 / ららぽーと横浜店 / ららぽーと柏の葉店 / イオンモール船橋店)
JET SET TOKYO
more records(大宮)
大麻堂東京店
TECHNIQUE
TOWER RECORDS(新宿店 / 秋葉原店 / 池袋店 / 吉祥寺店 / 川崎店 / 町田店 / 柏店 / 津田沼店)
TSUTAYA TOKYO ROPPONGI / TSUTAYA三軒茶屋 / SHIBUYA TSUTAYA / 代官山蔦屋書店 / TSUTAYA横浜みなとみらい店 [ https://www.tsutaya.co.jp ]
他一部CDショップにて
INFO:
BEATINK 03-5768-1277 beatink.com
SMASH 03-3444-6751 smash-jpn.com smash-mobile.com
HOT STUFF PROMOTION 03-5720-9999 doobie-web.com
企画制作:BEATINK / SMASH / DOOBIE
後援:SHIBUYA TELEVISION
協賛:CA4LA / PLAYBUTTON
アイム・ノット・ア・ガン(I'm not a gun)なるデュオが2000年代初頭に姿を現したときの清新な印象を忘れられないという人はいないだろうか。抑制された叙情をたたえ、清潔な手つきで差し出されるあのウォーミーなIDMは、その後も損なわれることなく2010年の『ソレース』まで引き継がれている。
さて、その片割れであるギタリスト(相棒はご存知、ジョン・テハーダ)、Takeshi Nishimotoによる来日ツアーが来月からはじまる。リリースしたばかりのソロ作『ラベンダー』のお披露目ともなるであろう同ツアー、渋谷O-nestではTo Rococo Rotのロバート・リポック(Robert Lippok)がベルリンから駆けつけ、サポートを行う予定だ。見逃せないコラボレーションになるだろう! 〈flau〉主宰にして誰もが愛さずにはいられない国産エレクトロニカの重要アーティスト、ausの出演にも期待が募る。


■11/14(thu)@shibuya O-nest
lavandula japan tour
出演:
Takeshi Nishimoto (I’m Not A Gun)
Robert Lippok (To Rococo Rot)
aus
開演:
OPEN: 19:00 / START: 19:30
料金:
ADV: 3000 / DOOR: 3500 (ドリンク別)
TICKET 発売中 チケットぴあ212-468 / ローソンチケット75699 / e+ / O-nest
info:O-nest 03-3462-4420
アメリカ西海岸発、エレクトロニック・ダンス・ミュージックの重鎮、John Tejadaとの共同プロジェクト「I'm Not A Gun」や、レーベル「CCO」からのソロ・リリースなど、日欧米を駆け巡る世界的に著名なベルリン在住ギター・プレイヤー、Takeshi Nishimoto。リリースしたばかりのソロ・アルバム『lavandula』(sonic pieces)を携え、ベルリンのアート・コーディネイション・チーム「onpa))))」との共同企画で11月に来日ツアー(全国8ヶ所)を実施。渋谷O-nestでは、今回のアルバムにサポートとして参加したTo Rococo Rotの重要メンバー、Robert Lippokもベルリンから同行し、Takeshi Nishimotoのライヴをサポートする。彼のワールド・プレミアムなギター・サウンドとRobert Lippokの織り成す電子音のそれぞれのライヴは、会場全体に流麗で甘美的狂気のサウンドを醸し出すこと必至。Takeshi Nishimoto そして Robert Lippokのレアなソロ・ライヴ・パフォーマンスをぜひ体験しよう。
![]() イレイジャー Snow Globe Mute/トラフィック |
日本で暮らすアラフォー、アラフィフ世代にとって、イレイジャーといえば「ビートUK」じゃないでしょうか。もうとにかく、イレイジャーがシングルを出すとUK1位。アルバムも1位……という感じで、ヒットし続けたのでした。『ザ・サーカス』(1987年)、『ジ・イノセンツ』(1988年)、『ワイルド!』(1989年)や『コーラス』(1991年)のようなアルバムは、まさにシンセポップのお手本です。しかもヴォーカルのアンディ・ベルはゲイとしても有名で、音を担当しているヴィンス・クラークといえば、あなた、デペッシュ・モードのオリジナル・メンバー、ヤズーの仕掛け人、つまり、〈ミュート〉レーベルはこのヴィンス・クラークという天才を発掘したがためにレーベルとして大きくなったと言える、そんなすごい人なのです。 最新アルバム『スノウ・グロウブ』は実に通算15枚目のアルバムです。5曲の新曲と8曲のクリスマス・ソング・カヴァーという構成になっています。 ファンの方々はご存じだったかもしれませんが、昨年、アンディ・ベルのパートナーだったポール・ヒッキーがエイズで亡くなられました。新作には、そんな悲しみを乗り越えるかのような、力強いさ、深いエモーションがあります。そして6歳になったヴィンス・クラークの息子を祝福するかのように、温かい電子音をバックにクリスマスの歌が歌われています。 日本で暮らすアラフォー、アラフィフにとって、イレイジャーといえば「ビートUK」じゃないでしょうか。ヴィンス・クラークと同じように小学生ぐらいのお子さんのいる方も多いはず。今年は、エレポップの天才が送るクリスマス・アルバムを聴きながら、「あのね、お父さん(お母さん)が若かった頃にね……」などと教えてあげるのもいいかもしれませんよ。
大衆音楽の世界において、外国人にとって日本といえば、YMOやテクノの印象が強い。しかし、この10年で、日本の90年代ハウスが再評価されているということをあなたは知っているか。在日フランス人DJがジャパニーズ・ハウスの魅力をいま語る!
僕はもともとはヒップホップを聴いていたので、白人ゲイが好むハウスやテクノとは絶対一緒されたくなかった。若い頃は自分のアイデンティティを作る時期なので、余計にオープンマインドじゃないんですよね。
もっともそれは少年時代の話で、もうちょっと年とったときには、ハウスやテクノは僕が持っていたイメージと全然違うことを知るようになる。とくにヒップホップとハウスのルーツが実はそれほど離れてないってことを知ったときは衝撃だったな。じょじょに興味を持って、そして自分のなかのハウスやテクノのイメージが変わっても、日本にハウス・シーンがあることをまったく知らなかった。僕にとってハウス=アメリカ(80%)とヨーロッパ(20%)だった。それ以外の場所にハウスやテクノは存在していなかったんです。
ジャパニーズ・ハウスの存在を知ったのは、2005年~2006年、初めて日本に来たときだった。渋谷のディスクユニオンに通って、ジャパニーズ・ハウスのレコードを偶然手にした。でも……それは正確な言い方ではないね。正確に言えば、僕が初めてジャパニーズ・ハウスと出会ったのは子供の頃だったんだと思います。当時はまったく意識はしていませんでしたが、日本のビデオ・ゲームが大好きで、ゲームでよく遊んでいた僕は、自然にゲーム音楽を聴いていたんですね。それがいま思えば、ジャパニーズ・ハウスの原型だったように思う。SEGAの「Sonic 2」, 「Bare Knuckles 2」などのBGM音楽はまさにジャパニーズ・プロト・ハウスです。
みなさん、是非「Sonic 2」の“Sky Chase Zone”という曲を聴いてみてください! ChordsがシカゴのLarry Heardを彷彿させる、気持ちいい曲なんです。そして「Bare Knuckles 2」の“The park”, “The Bar”,“The opening streets”といった曲も。ゲームのBGMなので音のクオリティはよくないんですが、言いたいことが伝わると思います。つまり、僕はその頃から、ジャパニーズ・ハウスのVibeに染められていたのです。
ディスクユニオンに戻りましょう。僕は、ちょうどその頃、90年代NYハウスにハマっていたんです。とくにBLAZEが好きだったな。ある日ディスクユニオンで見つけた小泉今日子の「Koizumix Production Vol. 1 - N.Y. Remix Of Bambinater」という12インチ・レコードに、“BLAZE remix”と書いてあったんです。早速、試聴した。それがジャパニーズ・ハウスとの最初の出会いです。
BLAZEだからジャパニーズ・ハウスじゃないじゃん! って思う人も当然いるだろうけど、僕にとってヴォーカルが日本語だったので、それだけでも充分面白くて、ジャパニーズ・ハウスだったんです。日本語のヴォーカルがハウスにMixされている、これだけでとても衝撃的だったんです! 格好いい! って思ったんですね。ヨーロッパでプレイしたら、絶対にクラバーやDJたちは「なにこれ? なにこれ??!!」ってなると思ったんですね。もう、聴いた瞬間、とてもわくわくしました。
そして、このレコードの“Sexy Heaven (King Street Sound Club Mix)”という曲で、初めてジャパニーズ・ハウスのことを意識した。
同じ頃、Masters at Workの曲を必死探していたおかげで、MONDO GROSSOのことも知った。“Souffles H (King St.Club Mix)”という曲に出会ったことも嬉しかったな。まあ、MAWのプロダクションだから日本Vibeがあんまりないんだけど、一応バンドが日本人なので(笑)。BIRDがヴォーカルをやっている“Life (Main)”というMONDO GROSSOの曲もよかった。
こうして僕は、じょじょにジャパニーズ・ハウスのこと知っていった。しかし、実を言うと、不満も感じていたんです。これ全部アメリカ人のプロデュースだったり、アメリカのレーベルの出版だったりしていたからです。
でも、正直、見つけたばかりの頃は、そんなことよりも「日本でも国内のシーンがあったんだ!」という驚きと興奮が強く、「アメリカとのコラボいろいろあったんですね!」という感じでした。シーンとしてのジャパニーズ・ハウスのことはまだ意識していなかったです。本格的にジャパニーズ・ハウスを意識するのは、2008年、日本に戻ったときでした。
当時渋谷にはYELLOW POPという中古レコード店がありました。僕がよく通っていたお店のひとつです。最初はハウス・セクションしか見ていなかったのですが、たまに時間つぶしでJ-POPセクションも見ていました。そこで見つけたのがPizzicato Fiveの『Pizzicato Free Soul 2001』です。
Pizzicato Fiveのことは当時すでに知っていたけれど、僕は渋谷系のバンドとしてしか認識してませんでした。ただし、その盤は「Remixes」という言葉をアピールしています。で、クレジットを見たら、富家哲さん、Tei Towaさんなどの名前があります。リリース日付を見たら93年。90年代ハウスの大ファンである僕にとって必須な1枚です。
そして、A2の“Catchy (Voltage Unlimited Catchy)”でものすごい刺激をうけたんですね。鳥肌が立ったんです。曲がやばいから鳥肌が立ったのではない。「日本でも僕が大好きな90年代ディープ・ハウスを作っていたプロデューサーがいた! アメリカみたいに、当時の人気POPバンドのハウス・リミックスを作っていた! そんなシーンが存在していたんだ! だったら絶対Digしてやる!」と思ったからです。探してもいなかった宝物が見つかったという感じです。当然、その“Catchy”という曲がすごい曲だからっていうのもありました。ディープなガレージ・ハウスにPizzicato Fiveのリード・ヴォーカルの甘い声が最高の組み合わせでしたからね。
こうして僕はジャパニーズ・ハウス・シーンから離れられなくなっていました。日本に来る前にはジャパニーズ・ハウスなんてまったく知らなかったくせに、もうそれ以来、ジャパニーズ・ハウスの80年代~90年代のプロダクションを探すに必死になっています!
そして、僕のなかで、日本でのハウス・シーンのイメージがアバウトに出来上がっていきました。大きく分けるとふたつのグループ頭のなかにあります。
ひとつ、100%国内プロダクション(日本人のハウス・プロデューサーが単独で曲を作ったり、国内の人気ポップ・アーティストのリミックスなど)。
もうひとつ、海外DJが日本のポップ・アーティストをリミックスした曲(主にアメリカのNYCのハウス・プロデューサー。MAW, Kerri Chandler, Blaze, Pal Joey, Mood II Swingなどなど)。
不思議なことに海外ポップ・アーティストをリミックスしたジャパニーズ・ハウス・プロデューサーほとんどいない(富家さんはDef Mixに入っていたから、例外です)。このふたつの大きいグループを合わせて、日本のハウス・シーンが成立していました。後者はもちろんですが、前者も音的にアメリカに影響を受けていました。91~93年の福富幸宏さん、寺田創一さんなどのプロダクションを聴くとわかりやすい。
僕は日本の音楽のさまざまなジャンルが好きです。そして、どんなジャンルにおいても、アメリカからの影響を感じます。90年代のジャパニーズ・ハウスも例外ではないですね。70年代、80年代、90年代でDJ活動をはじめた日本人の多くがアメリカに滞在しています。長い旅をしたことがあります。たとえば福富さん、寺田さん、Tei Towaさんたちはその道を歩いて、日本に戻ったときに、アメリカのディープ・ハウスに影響された音を生み出している。有名な〈KING STREET〉を作ったのも日本人石岡ヒサさんです。
ちなみに何故〈KING STREET〉という名前を選んだか、知っていますよね? 伝説のクラブ〈PARADISE GARAGE〉の住所が「KING STREET 84」だったからです。クラブ・ミュージックのはじまり、伝説のスタートポイントです。Larry Levanがレジデントだったクラブです。
40代~50代の日本人のクラブ関係者/DJと話していて気がつくのは、Larryを神様みたいな存在として思っていることです。さて、この先は僕の個人的な仮説です。多くの日本人が70年代~90年代初頭にLarryにあこがれて、聖地巡礼に出るようにアメリカに行った。その現象がおそらく日本のクラブ・シーンに大きいな影響を与え、シーンの展開を可能にさせたのではないかと。
90年代初頭、日本リリース限定(場合によって日本限定ではなかったが)のアメリカ人DJによるJ-POPアーティストのハウス・リミックス版がたくさんあります。しかし、それらが日本限定のリリースだったので、長いあいだ世界はそれらレコードの存在を知らなかった。そのひとつの例が、先述した「Koizumix Production Vol.1」収録のBLAZEミックスですね。


他にも、僕が見つけた曲にはこんなものがある。山咲千里の「SENRIMIX」に入っているKERRI CHANDLERのミックスとか、露崎春女の「Feel you」のMood II Swingリミックスとか、SNK ゲーム「The King Of Fighters」のLIL LOUISによるハウス・リミックス……。リストにきりがないですね。実はいま現在、こうしたレコードは欧米でも知られるようになっているんですね。みんな必死に探していて、「SENRIMIX」や「KOIZUMIX」みたいなレコードは、海外ではかなり高値で取引されていますよ!
これも先述しましたが、音的にはアメリカに大きく影響されています。当時のNYガレージ・ハウス・サウンドからの影響はとくに大きかったと思います。福富さんの“It’s about time”という曲を試聴しましょう。福富さんは自分のVibeも注いでいるから、結果としてはクオリティの高い新鮮な出来になっています。ただの真似ものではないんですね。
少しマイナーな例ですが、関西のプロデューサー、TAKECHA(Takeshi Fukushima)が90年代にたくさんのディープ・ハウスな曲を作っています。そのなかに“Respect To Pal Joey”という曲がある。インスピレーションの元をはっきりさせているわけです。
TAKECHAのレコードはとてもレアで、僕も3枚しかもっていないんだけど、曲を聴くと、たしかに Pal Joeyからの影響を感じます。しかも、しっかり自分のVIBEを仕込んでいる。TAKECHAっぽい音になっているんです。
最後にもうひとつ例をあげましょう。東京出身のTORU.Sというプロデューサーです。90年代のTORU.SのプロダクションはNYよりのディープ・ハウス・サウンドです。TAKECHAのようにインスピレーションの元もはっきりしています。97年の「Final story the night」というEPに“Message 1 Thank You Joe”という曲があります。当然、Joe Clausselへのメッセージです。
Toru Sの当時プロダクションを聴くと影響がはっきりわかるけれど、とくにその曲はJoe Clausselが作ったかのように聴こえます。本人Danny Tenagliaも好きなようで、そのEPの裏面には「Danny Tenaglia...Thanks thanks thanks...I wanna say this hundreds times. Oh Danny! I’m here for you」などと書いてある。ラヴレターみたいですね。TORU Sさんの場合はアメリカにも住んでいるから、また特別なパターンかもしれない。アメリカで作っているので、ほかの国内プロデューサーとはまた環境が違っているんですが。
他に似たような例がいくつかあるけれど、全部載せられないので、今回はここまで。とにかく、ジャパニーズ・ハウス・シーンが世界ではまだまだよく知られていないのに(実は国内も含めて)、世界中で大人気だったアメリカのシーンと強くつながっていること。アーティストのコラボレーションもそうだし、プロダクションへの影響もそう。アメリカと日本の200年前からの歴史をみると、つねに不思議な関係にあることがわかる。力を使って喧嘩したこともたくさんありました。1854年、アメリカの海軍軍人ペリーは江艦隊を率いて鎖国していた日本にやって来た。その出来事は文化的に大きな影響となった。そして、第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた後、アメリカ文化の影響はさらに広がった。アメリカに対して強い抵抗があったはずなのに、ポピュラー・カルチャーに関して日本はアメリカに憧れ、影響されることを拒まず、影響を主張している。それはハウス限定の話ではない。他のジャンルでも同じ現象が確認できる。いずれにしても、アメリカと日本の文化関係は外国人の視点からみると、とても面白いのです。
歴史の話はそこまでにしましょう。ジャパニーズ・ハウスにおけるアメリカからの影響は誰も否定できない。Vibe的に、NYCディープ・ハウス・サウンドにとても近いものがある。しかし日本Vibeも混入されている。
え、その日本Vibe、ジャパニーズVibeというのはなんですか? と訊かれても答えづらいんですけど、たとえばChordsは日本の雰囲気を表現していると思います。バブルやポスト・バブルの日本の雰囲気が音に出ているように思います。ハウスではないのですが、Jazzやヒップホップをプロデュースしている宇山寛人さんの“Summer81”や“Oneday(Prayer For Love And Peace)”といった曲を聴きましょう。日本の伝統な心が含まれているように感じます。独特の雰囲気があります。これは外国人である僕にとって、日本の心の一部がそのトラックに練りこまれているように感じるのです。
それこそが私にとってとても魅力的に思えたところです。そここそがジャパニーズ・ディープ・ハウス・シーンの面白いところなのです。アメリカの音を真似てはいるけれど、真似るだけではない、ちゃんと自分のVibeも練り込まれている。やっぱ違うんです。ジャパニーズ・ハウスになっているんです。
もうひとつ面白いところを挙げます。どういう理由からか、そうした多くのプロダクションが日本の外に出なかったという事実です。ジャパニーズ・ハウスは、長いあいだ国内にとどまっていたんです。
ヨーロッパでもアメリカの音からインスパイアされて、曲を作っている人は当然少なくないですよね。Laurent Garnier、Grant Nelson、Bob Sinclar……、イタリのUMMとか。ただしヨーロッパの場合、そのアーティストが世界中に普及していった。
日本のプロダクションの出来がよくない? いや、全然そんなことはないです。実は、逆にレベルが高かったんです! しかし、誰も注意を払わなかっただけ、というのが僕の結論なのであります。
さらに僕がびっくりしたのは、ジャパニーズ・ハウスに注意していなかったのは外国だけではなくて、国内のクラブ音楽が好きな人たちからも無視されていたというか、気づかれていなかったということ。みんな当時の人気アメリカDJに夢中で、自分の国でもクオリティの高いディープ・ハウスがあるということに気づいていなかったのかもしれませんね。
本当に、本当にみなさんにもっと自分の国のハウス・シーンの素晴らしさを知って欲しい! 誇りを持って欲しい! 僕がこの原稿を書いた理由はそれだけです。
FORGOTTEN JAPANESE HOUSE TOP 10
1 Flipper’s Guitar - Big Bad Bingo (Big bad Disco)
1990 (Yukihiro Fukutomi)
激レアプロモ版に乗っている14分のマスターピース
2 Pizzicato Five - Catchy (Voltage Unlimited Catchy)
1993 (Tei Towa)
ディープやダークの最強の組み合わせ。
3 Soichi Terada & Shinichiro Yokota - Shake yours
1991
なぜか聞くと懐かしくなる、ディープな1曲
4 Manabu Nagayama & Soichi Terada - Low Tension
1991
強いベースがあるのに、非常にディープ。寺田さんの音を定義する1曲。
5 Yukihiro Fukutomi - It's about time
1994
完璧なクラブ向けジャパニーズ・ハウス。ディープなキーズで旅をさせてくれる。
6 Wono & GWM - Breezin' part 1
1996 (Satoru Wono & Takecha)
ゲームBGMっぽいとても陽気、すっごく気持ちのいいハウス曲です!
7 Kyoko Koizumi - Process (Dub’s Dub)
1991 (Dub Master X)
シカゴ・ハウスっぽいとてもBouncyな小泉さんのハウスリミックス。
8 Pizzicato Five - 東京は夜の七時 The night is still young; One year after
1994 (Yukihiro Fukutomi)
原曲とても好きだったが、この福富さんによるミックスは最高です。最後の3分間はディープな旅に出る。
9 Toshihiko Mori - I got Fun
1991
Jazzadelicの半分であった森さんによる最強のNYディープ・ハウスっぽい曲。もうちょっとランキングあげればよかったこれ……
10 Katsumi Hidano - Thank you Larry
1993
Larry Levanへの感謝の言葉ですが、音的にLarryっぽくなくてNU GROOVEに近いNYディープ・ハウス系の気持ちいい曲。
前回取材したときは、お酒の席だったからでしょうか、バンドのみんながいたからでしょうか、なんかともてもご機嫌なヴァイブが全開だったのですが、今回初めて言葉を交わす素顔の奇妙礼太郎は、あのときの彼、あるいはステージでの彼、あのメロウでパワフルで感情の起伏豊かな音楽からはちょっと想像できないほど、物静かなお方だった。
奇妙礼太郎は、2012年の『桜富士山』以降、精力的な活動を続けている。作品も出している。リミックス盤『GOLDEN TIME REMIX』、曽我部恵一の〈ローズ〉からはアニメーションズの『ANIMATIONS LIVE!』、限定的なリリースとなったが奇妙礼太郎のソロ・アルバムも発表した。9月にはトラベルスイング楽団のライヴ盤『Live! 』をリリース。そして先日、トラベルスイング楽団としての新作『仁義なき恋愛』が出たばかり。
さあさあ 寄ってらっしゃい 見てらっしゃい
大根 人参 ロックンロール
さてさてここに現れし ビックバンド
シナトラ気取りの フリークスと
ガラスのハートに わさびを塗りすぎた
キンキーミュージシャンズ
微熱なフォーエバーヤングス達に贈る
ソフト問題児 アンド ハード迷子なオープンチャック
集団ダンスミュージックなのであります
“DEBAYASHI ALL NIGHT”
『仁義なき恋愛』は、何故、いまでも僕たちが古いソウルやブルースやロックンロールやスウィング・ジャズやなんかを好きなのかをわからせてくれる……そう、古くて新しい、時代のトレンドを度外視した、ピカピカに光っているヴィンテージ仕様のソウル・アルバムだ。
前作から変化があるわけではないが、完成度は高い。冒頭の曲の自己紹介の喋りにおける自己嘲笑はソウルのショーのレトリックのようだが、これが実に面白い。トラベルスイング楽団は伝統と形式を受け継ぎながら、自分たちの言葉のセンス、自分たちのグルーヴでまとめることができる。引用した言葉は、どんな説明よりも彼らの音楽を代弁しているんじゃないかと思う。
そして、2曲目のロックンロール、3曲目のオーティス・レディングばりのソウルを聴いたら、もうあなたは最後の曲の“恋がこんなにつらいとは”までいっきに聴いてしまうでショー。まるでヒット・メドレーのようだ。次から次へ、曲は夜空の流れ星のように展開する。アルバムの尺が42分というのも良い。
トラベルスイング楽団の演奏/アレンジも『仁義なき恋愛』を名作にしている大きな理由だ。このアルバムにブラスセクションとピアノがなかったら、心の底から笑うことはできなかったかもしれない。トラベルスイング楽団の敷居の低さとクオリティの高さ、ビッグバンドならではの洒落気と歓喜は本当に魅力的だと思う。アルバムを聴いていると、そしてこうして彼らに関する原稿を書いていても、ビールを飲みたくなるのである。
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BluesSoulRock'n RollSwing JazzPunk 奇妙礼太郎トラベルスイング楽団Live! Pヴァイン |
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BluesSoulRock'n RollSwing Jazz Pop 奇妙礼太郎トラベルスイング楽団仁義なき恋愛 Pヴァイン |
一番最初に、異様な感じを受けたのは……本屋で売ってる1000円CDみたいなやつでリトル・リチャードのベストみたいなやつがたまたま家にあって。それはなんかビックリしましたね。
■まず先に出たライヴ・アルバムが素晴らしいと思いました。こんなにもパンクだったのかと思ってびっくりです。「あれ、こんなだっけ?」って、後半になればなるほど、“サントワマミー”とか(笑)。なんでご自身でまだ聴いてないんですか? こんな素晴らしいものを。
奇妙:興味ないんで……。
■興味ない? なんでですか?
奇妙:自分なんで(笑)。
■(笑)そうですか。ライヴ盤出されたのは、なにゆえでしょうか?
奇妙:いや、僕知らないです(笑)。
■(笑)勝手に出されてしまったと。僕は、いい意味で、職業意識を強く──この間も芸人意識みたいな話をしたんですけれども──やられてるのだと思っていたので、あらためてこのライヴ盤をいて、その壊れ方にビックリしました。
奇妙:……はい。
■はははは。いま目の前にいる奇妙さんはこんなに落ち着かれているのに、ライヴをやっていると、自分ではコントロールできなくなってしまうことがあるんですね。
奇妙:そうですね。どうなんですかね。どんなライヴやったか全然覚えてない(笑)。
■(笑)そういうのは一回も聴き直すことはないんですか?
奇妙:そうですね。ないですね、全然。最近とくにないですね。
■しかもライヴ盤で出ているというのに。
奇妙:そうですね。ジャケットとかは考えましたけど、中身は(笑)。
■(笑)気にならないってのもすごいね。
奇妙:そうなんですかね。
■でも、もうあとはみんながご自由に楽しんでくれればいいやっていう。
奇妙:そうですね。もう1年弱ぐらい前なんで。ああ、そんなことあったな、っていう、自分としてはそういう感じですね。
■なるほどね。『桜富士山』以降、ものすごく作品を出されてますよね。このライヴ盤もそうですけど、その前に『GOLDEN TIME REMIX』があって、アニメーションズのライヴ盤があって。あとは会場限定のソロ・アルバムを出したりとか、あるいはライヴももちろんたくさんこなしてますし。僕が知る限りではたとえばDJフミヤさんのアルバムに参加したりとかね、そういう客演みたいなこともあって。ものすごく多忙にされていると思うんですけれども、『桜富士山』以降のこの1年ちょっとの間、奇妙さんはどんな風に過ごされたんでしょうか?
奇妙:3月4月にソロのツアーをしてたんですけど、その間はバンドのライヴはほとんどなく。それ以外はいつも通りという感じですね。リミックスもアニメーションズもトラベル(スイング楽団)のライヴも、全部自分自身が作業することはとくになかったんで。すでに録音してるもので。だからソロのと今回のは、録音したって感じですね。仕事したなって感じの。
■新しいアルバム聴かせていただいたんですけれども、前作以上に完成度が高いといいますか、トラベルスイング楽団として成熟したアルバムだという風に思ったんですけれども。情熱的で、胸のすくような良いアルバムですね。
奇妙:ありがとうございます。
■出だしの「大根人参ロックンロール」という言葉で僕はやられました(笑)。
奇妙:ありがとうございます(笑)。とくに意味がない(笑)。
■その言葉を思いついたとき「やった」と思ったでしょう?
奇妙:あ、この言葉自体は3年前ぐらいにプロフィールの文章書いてって言われたときの文章で、とくに意味はないっていう。
■はははは! 今日は改めて奇妙さんのご自身の歴史についてお伺いしたいなと思ってまして。ご実家がうどん屋さんだったって話なんかを読んだことがあるんですけれども。生まれも育ちも東大阪で。
奇妙:はい。
■どんな少年時代をお送りされたんですか?
奇妙:少年時代っていうのは10歳ぐらいまでですか?
■そうですね、まあ小学校ぐらいで。
奇妙:小学校のときはあんまり外で遊ばなかったですけど。ほとんどレゴしてましたね。で、小学校4年生ぐらいのときにダウンタウンの『4時ですよーだ』っていう番組がはじまって、それを観るためにダッシュで家に帰ってましたね。それはでも、みんなそうしてましたね。
■何か夢中になってたことってありますか? スポーツであるとか、趣味というか。
奇妙:ないですね。テレビ見ることですね。テレビ見て、次の日みんなでテレビの話して、それの真似してっていう、小学生あるあるですね。
■(笑)なるほどね。クラスではどんな存在だったと思います?
奇妙:いや、目立つことまったく何もないですよね。なんかのうちのひとりって感じですね。
■本格的に音楽と出会うのは?
奇妙:一番最初に、異様な感じを受けたのは……本屋で売ってる1000円CDみたいなやつでリトル・リチャードのベストみたいなやつがたまたま家にあって。それはなんかビックリしましたね。
■どんなところに?
奇妙:テレビなんかで聴いてる感じと全然違う……なんですかね、わかんないですけど。
■それって何歳のときですか?
奇妙:それはでも、もう中学生ですね。
■それは偶然出会ったんですか? お父さんかお母さんの趣味じゃなくて?
奇妙:あ、でもそうですね。家にあったっていうことは。まあまあ、そういう世代のひとたちなんで。
■へえー。じゃあしばらくリトル・リチャードばかりを聴いたんですか?
奇妙:いろいろありましたけど、そうですね。それとサム・クックの黄色いベスト(『The Best Of Sam Cook』)を延々聴くっていう。
■サム・クックのその黄色いベスト盤もご実家にあって?
奇妙:ありましたね。
■それはご実家のうどん屋さんで流されてたんですか?
奇妙:いや、違います。うどん工場なんで。お店ではなかったんで。
■あ、そうなんだ。ご自身で音楽を探求しはじめたのはどんな感じでしょう?
奇妙:なんかまあ、よくある感じですね。CDのライナーノーツにルーツが書いてて、それを買って聴くみたいな。ブルースのアルバムとか聴いたり。あんまよくわかんなかったですけど。
■でもリトル・リチャードとサム・クックだったら、基本的にまったく変わってないですよね。いままさに、そのことをやられてるわけですから。それは現在に至るまで、ひとりのリスナーとして、ある意味ではまったく寄り道せずにきたんでしょうか?
奇妙:そうですね。そう言われたらそんな気しますね。
[[SplitPage]]僕はバンドマンですね。恐ろしいですね、アーティストって。ゾッとします(笑)。いや、そんなものになってないですっていう(笑)。ただバンドしてるだけなんで。
■最初に自分のこづかいで買ったのって何なんですか?
奇妙:あー、何やろうなあ……。
■サム・クックがあるからオーティス・レディングも近いとは思うんですけど、上田正樹さんなんかは僕たちよりもちょっと前の世代の方じゃないですか。意外とそんなに簡単に手が届くような感じでもないとは思うんですけれども。
奇妙:そうですね……自分で一番最初に買ったのは覚えてないですね……。(上田正樹と)サウス・トゥ・サウスのカセットも家にあって、それもめっちゃ聴いてましたね。それはやっぱりすごく好きですね。
■じゃあリアルタイムの音楽、たとえば全米トップ10に入ってる音楽なんかに興味を持ったことはなかった?
奇妙:全米トップ10みたいなのはちょっと上のひとたちがハード・ロックとかヘヴィ・メタルとかの世代で、そのときは聴いてなかったですね。でも中学・高校のとき、同級生が浜省とかチャゲアスとか長渕とかを聴いてて、その辺はやっぱり好きですね。それもいっしょに聴いてましたね。浜省めっちゃ好きですね。
■それは意外ですね(笑)。レコード屋さんに学校の放課後の帰り道に寄って、レコードを探すようなリスナーだったんですか? それとももうちょっと、ゆるい感じ?
奇妙:家にけっこうCDがあって……なんていうんですか、「ロック黄金時代」みたいな60年代とか70年代とかの。それを聴いてる感じでしたね。あとレンタルビデオ屋さんは僕が小学校ぐらいのときから流行りだして、すげー借りてた記憶はあります。CD借りてきて、カセットテープに落として、それをウォークマンで電車で聴くみたいな感じでしたね。
■やっぱり昔の音楽のほうが自分は好きだっていう感覚はありました?
奇妙:そうですね。そっちを聴いてるほうが、なんか賢いしカッコいいと思ってたんですよね(笑)。
■はははは。ヒップホップとか聴かなかったんですか?
奇妙:まわりのひとはレゲエとかを聴いてて。
■大阪はだって、レゲエ盛んじゃないですか。ダンスホールとか。
奇妙:そうですね。そこまで行くとカッコいいんですけど、そのときに流行ってたのはUB40とか、白人のひとがやってるモテそうなやつで。なんかバカにしてましたね(笑)。そういうのを聴いてるひとを。
■(笑)それはハイプだって?
奇妙:そうですね。やっぱ友だちいなかったですね。
■(笑)へえー。自分のなかで、はっきりと自分の好みといいますか、自分の求めているものがクリアになったきっかけはあったんですか?
奇妙:わかりやすいものがやっぱり好きですけどね。はっきり真ん中にすごいひとがおって、とか。
■ソウル・ミュージックであったりとかブルースであったりとか、昔のロックンロールであったりとか、そういったものが自分のスタイルであるという認識というかね、そういうものはとくに意識せず?
奇妙:歌があって歌うっていう。自分が何かをするときに、普通にそれがあるって感じですね。インストの何かをしようと思ったことはないですね。
■なぜ60年代とか70年代の音楽に憧れるんだと思いますか?
奇妙:どうなんですかね……なんでなんですかね。
■たぶん、リアルタイムで生まれている音楽にはないものが、いまの耳で聴いたときにそこにあるからだと思うんですが。
奇妙:常識とかなさそうですよね、昔のひとのほうが。
■はははは。
奇妙:めちゃくちゃなひとが多そうな感じもしますし……。
■自由な感じですか?
奇妙:なんかその、犯罪者ちゃうか、みたいな(笑)。
■まあサム・クックとかね、ひとをブン殴ったりとかしてたりね(笑)。あんな甘いソウルを歌っていながら。
奇妙:そうですね。なんかそういうところも好きですね。まあ知らないだけかもしれないですけど、なんかダイナミックな感じはしますね。
■たとえば今回のアルバムの冒頭の語りの下世話さがすごく好きなんですけど。「ハードな迷子なオープンチャック/集団ダンス・ミュージックなのであります」とかね、あるいは2曲目の“どばどばどかん”みたいな歌詞は、草食系と言われるような文化への反論のようなものとも受け取れると思うんですけど。
奇妙:いや、そんなに大層なことではないですね(笑)。なんかテキトーな感じで。
■最初からヴォーカルだったんですか?
奇妙:そうですね。
■楽器はギター?
奇妙:そうですね。ギター弾きながらとか。
■ギターはいつ弾きはじめたんですか?
奇妙:それは高校生ぐらいのときですね。
■ちなみに最初に覚えた曲は?
奇妙:最初に覚えた曲は、浜田省吾さんの“ミッドナイト・ブルートレイン”ですよね(笑)。たぶん。家に歌本があったんですよね。
■あ、なんかバンドスコアみたいなやつ。
奇妙:はい。カセットと。
■へえー、なるほどね。いわゆるソウル・ミュージック的な、いまのトラベルスイング楽団に通じるような楽曲で最初に歌ったものは?
奇妙:そうですねえ……。ソウル・ミュージックで言ったら、“スタンド・バイ・ミー”やと思います(笑)。たぶん、最初に歌ったのは。
■その当時ってバンドだったんですか? それとも自分ひとりでやってたんですか?
奇妙:バンドですね。
■じゃあ安田さんなんかもいっしょにいて?
奇妙:じゃ、ないですね。
■全然違うバンド?
奇妙:はい。
■バンドはいつ組んだんですか?
奇妙:一番最初はアニメーションズってバンドをしてて――。
■アニメーションズが一番最初だったんですね。
奇妙:そうですね。なんか平行してやってるって感じですよね。
■人前でやりはじめたっていうのは?
奇妙:人前でやりはじめたのもアニメーションズですね。
■それは何年ぐらいのときですか?
奇妙:それは2001年とかですね。
■まだ高校生とかですか?
奇妙:いや、全然。24ぐらいですね、たぶん。
■もともとご実家を継ぐつもりでいたけど、結局うまくいかなくて継ぐことができなくなったと聞きましたけれども、それがおいくつぐらいのときですか?
奇妙:それが27、8ですね。たぶん。
■ほう。ご自身の将来についてはその当時どういう風に考えてましたか?
奇妙:いや、まずいなーと思ってました(笑)。
■(笑)20歳ぐらいのときはどういう風に思ってたんですか? 自分は将来どういう風に生きていくだろうと。
奇妙:いや、実家で働くからブラブラしとこーと思ってましたね(笑)。
■あ、そっか(笑)。実際ご実家の手伝いなんかはしてたんですか?
奇妙:してました、してました。したり、しなかったりですけど。
■それでバンド活動を楽しんでた、みたいな。
奇妙:はい。ダラダラしてました。
■じゃあ音楽でメシを食おうっていう意識なんかは?
奇妙:仕事なくなってからちょっとバイトしてたんですけど、それも辞めて。辞めてから、お金出るやつじゃないととりあえず出るのやめようと思って。いろいろ誘われるけど、お金出るかわからんっていうやつが、そうですね、8割ぐらいあって。それは全部断るか、「いくらです」みたいなことを自分で言うようにしてからですかね。なんとなく。
■ライヴ活動はアマチュア時代からかなりたくさんやられてて。
奇妙:はい。
■そのバンド自体は、ある意味では趣味というか。
奇妙:そうですね。飲みに行くついでにライヴするみたいな気持ちでやってましたね。
■じゃあ、カヴァー曲をよくやられますけど、それもその頃の賜物なんですか?
奇妙:その頃は意外とやってないんですよ。
■あ、オリジナル?
奇妙:そうですね。自分のバンドの曲をやったり、バンドしたりって感じですね。
■でもバンドのフロントマンとしてやられてますけど、最初にバンドを組んだときから自分はフロントマンをやりたいっていう風に考えてたんですか?
奇妙:そうですね、したいっていうひとが意外といなくて。「あ、じゃあやります」って感じです。
■参考にしたひとっていますか?
奇妙:そうですねえ……でもたくさんいますね。
■何人か、とくに挙げるとすれば。
奇妙:見て研究するとかはないんですけど、好きなひといっぱいいますよ。
■今回のアルバム最初聴いたときは、清志郎っぽいなと思ったし――。
奇妙:そうですか。……めっそうもないって感じですね。
■影響を受けているところの影響元が共通しているじゃないですか。オーティス・レディングとか。ミーターズみたいなものとか。
奇妙:(小声で)そうっすね。
■いやあ、普段の姿はこんなにシャイな方なんですね。
奇妙:(笑)普通です。
■ステージに上がると、もう人格が変わるタイプなんですね?
奇妙:そうですね、役割が決まってるって感じですよね。バンドで人前に出るときは。ヴォーカルのひとっていう役割をやるって感じでやってますね。ただただ。
■すごくロマンティックな曲であったりとか、あるいは敢えてバカをやるというか、そういうことをすごく意識してらっしゃると思うんですけれども、そのゆえんというか、なぜ敢えてバカをやるんでしょうか?
奇妙:そういうのがただ好きっていうか、まあそれだけですよね。
■はははは。でもそれは、言い方を変えれば、何かのメッセージなものでしょうか。
奇妙:ああー。
■バカをやるひとが少なすぎる、とか。そういうのはないですか?
奇妙:ああー。(バカをやるひとの)比率としては少ない気はしますけど……メッセージ……そうですね……じゃあメッセージで。
■ははははは! さっき音楽で食うって話のときに、お金取るようにしたって言ってましたけど、なかなか音楽で食べるのって難しいじゃないですか。
奇妙:そうですね。
■当然そこにはいろんな想いがあったと思うんですけど、トラベルスイング楽団になってからは迷いみたいなものはなくやってこられた感じですか?
奇妙:そうですね、そんなに迷いみたいなものはないですね。
■自分が温めてきたアイデアみたいなものがあるじゃないですか。こうしてアルバムとしてものになっていうような。そういうアイデアというものに対して、ある程度確信みたいなものがあったんでしょうか? もう絶対これは間違っていないというような、根拠のない自信みたいなものがおありだったのかな、と。
奇妙:アニメーションズを最初にしたときから、自分としては同じなんですけどね。とくに何かが変わったってことはないんですけど。
■でも職業音楽家みたいな意識っていうのは、やっぱりすごく強く持ってらっしゃるでしょう?
奇妙:そうですね。ありますね。
■たまたま最近、山下達郎さんのアルバムを聴いていて。あのひとは自分のことを職業音楽家と意識してやってらっしゃるんですよね。いまアーティストっていうひとはいるけど、職業音楽家と自分から言えるひとはあまりいないのかなって。そこが奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の、いまの日本のシーンのなかでは不思議なポジションにいるところなのかなって気がしますけど。
奇妙:まあアーティストって思ったことないですね(笑)。
■(笑)なんだと思います? 自分のことは。
奇妙:僕はバンドマンですね。恐ろしいですね、アーティストって。
■はははは。じゃあ、アーティストっていうのは嫌いですか?
奇妙:いや、ゾッとします(笑)。
■ははははは! なんでアーティストだとゾッとします?
奇妙:いや、そんなものになってないですっていう(笑)。ただバンドしてるだけなんで。
[[SplitPage]]自分のなかでは、思いっきり真ん中のことをやってるっていうか。音楽の王道をやっているつもりですけどね。それが傍からみたらすごく端っこに見えるっていう(笑)、ことなんかもしれないですけどね。
■なるほどね。でもその、「ただバンドしてるだけ」っていうのをたぶん、すごく出してらっしゃると思うんですけれども。そういうときに音楽的なスタイル、音的なアレンジっていうのは、さっきも話した60年代、70年代のソウルやロックンロール、あるいはスイング・ジャズみたいなものから引用してきますけれども、こういう味つけみたいなものは奇妙さんがプロデュースしてるんでしょうか?
奇妙:そうですね、結果的にみんな合わせてくれてる感じですね。
■奇妙さんのなかで、理想的な音楽っていうのは何なんですかね?
奇妙:理想ですか。理想……やっぱりすごいなと思うのは、サッチモとかですね。子どもが聴いても素晴らしいと思うし、ジャズ・マニアのひとが聴いても素晴らしいじゃないですか。それが同時に完全に両立してることって、すごいし、理想っちゃ理想ですね。
■なるほど、サッチモ(ルイ・アームストロング)ですか。ああいう誰もが知ってるような大きな曲を作れるというか?
奇妙:そう……ですね。
■吾妻光良さんがすごくお好きでしょう?
奇妙:はい、好きですね。
■それが僕のなかでは、すごく奇妙礼太郎のイメージなんですよね。
奇妙:超絶素晴らしいですよ。
■ははは。吾妻光良さんのどこがすごく尊敬できます?
奇妙:(笑)もう全部ですね。
■(笑)たとえばあのひとの態度っていうか、音楽に臨むアティチュードっていうのも、ある意味では日本のシーンのなかでは浮いてるっていうかね。いわゆるJポップっとは音も違うじゃないですか。
奇妙:なんか、そういう感じで考えたことはないですね。Jポップとか、いまのシーンが、とか。まあ知らないですし、どういうひとがいてとか、誰が流行っててとか。ああ、そういうのがあるねんな、みたいな感じで。自分のなかでは、思いっきり真ん中のことをやってるっていうか。音楽の王道をやっているつもりですけどね。それが傍からみたらすごく端っこに見えるっていう(笑)、ことなんかもしれないですけどね。
■(笑)
奇妙:まあ、それはわかんないですけど。自分の範囲じゃないっていうか。
■吾妻さんのどんなところがとくに素晴らしい?
奇妙:吾妻さんはまず、素晴らしい音楽家で演奏家っていう。バンドマンっていうより全然音楽家やなーっていう。あと、歌詞もとんでもなく素晴らしいですし。ユーモアがあって。そういうのがこれ以上ないくらい、最高のものやなと思いますけどね(笑)。
■はははは。じゃあ、上田正樹さんのすごいところっていうのは?
奇妙:僕が好きなのはサウス・トゥ・サウスの感じなんですけど。それも同じことですけど、詞の内容と、演奏と、素晴らしいですよね。
■じゃあ、なぜ名前は奇妙礼太郎になったんですか?
奇妙:バンドはじめるときに、とりあえず覚えてもらいたいっていうのがあるんで、なんか変な名前にしようと思って、で、なんとなく思いついたんですよね。とくに理由とかないんですけど。
■奇妙礼太郎にとって、いい歌詞っていうのはどういう歌詞なんですか?
奇妙:僕が好きなのは短い映画を観たような気持ちになれるようなものとか、ちょっと本を読んだ後みたいなとか、そういう感じですかね。イメージがどんどん浮かんでくるのが好きですね。
■なるほど。そのイメージはどんなイメージ? やっぱり男と女がいる?
奇妙:いや、全然。僕ブランキー・ジェット・シティ大好きなんで。浅井健一さんすげーなと思いますね。
■前も訊いたんですけど、ラヴ・ソングがすごく多いと思うんですけど。今回も『仁義なき恋愛』っていうタイトルで。なぜ自分がそこまでラヴ・ソングにこだわるのだと思いますか?
奇妙:いや、なんか10曲できたらそうなってたんですよ(笑)。
■(笑)『仁義なき恋愛』は最初からタイトルとして決まってたんですか?
奇妙:いや、全然決まってないですね。ほぼほぼ曲が決まってから歌詞考えてて、なんとなくですね。
■なるほどね。奇妙礼太郎のこれまでの人生において、女性っていうのはいかなる存在でした?
奇妙:えー! いやお世話になってます、とか(笑)。そうですね、女性……すごく好きですし、すごく苦手やな、とも思いますね。ちょっとよくわかんないですけれども(笑)。
■(笑)前回インタヴューしたときに、なんで『桜富士山』ってタイトルにしたんですかって訊いたら、やっぱおめでたいものにしたかったとおっしゃってて。で、ちょうどいまの日本の時代の空気っていうのが決して明るいものではないし、風営法とか、暗い風があるじゃないですか。そういうなかで、時代の暗さみたいなものを音楽でもって、言うならば打ち負かそうとしてるのかなっていう風に思ってるんですけど、いかがでしょうか!
奇妙:いやいや、そんなつもりまったくないですよ(笑)。
■いや、ほんとはそう思ってるでしょ(笑)。やったるぞって。
奇妙:そうなんですかね(笑)。じゃあそれで(笑)。昔からやってることは変わってないんですけどね、なんか。
■これから変わるかもしれないってこともない? まあ先のことはわからないですけれども。
奇妙:そうですね、まあそれはわかんないですね。次のアルバムでは、地獄へ落ちるような――。
■ははははは! ドアーズみたいになるかもしれないって?(笑)
奇妙:AC/DCみたいなジャケットにしようと思います(笑)。それええな。
■『仁義なき恋愛』をタイトルにした理由は何ですか?
奇妙:なんとなく興味持ってもらえそうかなと思って。なんかええなと思って。とくに理由とかはないんですけど。
■音楽以外で好きなことって何かあります?
奇妙:音楽以外ですか? 僕、車好きですね。
■でもあんまり出てこないですよね。
奇妙:車、そうですね。出します、次のときに。
■“どばどばどかん”みたいな歌詞はどうして歌ったんですか?
奇妙:いや、なんとなく録ってるときにぱっと思いついちゃうんですよね。べつにこれも意味ないですよね。よくあるっちゃよくある――
■セックス・ソング?
奇妙:そうですね。みたいな。
■作ってみたかったとか?
奇妙:いや、これはたまたまですね、全然。オケ聴きながら考えるっていう感じのやつですね。
■一番最初に言ったことに戻っちゃうんですけどね、ライヴ盤聴いてて、このひとのなかには喜怒哀楽を歌うだけじゃなくて、アンガーみたいなものがあるのかなと思ったんですけどね。
奇妙:そうですね、いや(笑)、べつに怒ってることないですけどね。毎日快適に生活できてるんで。腹立つこととかないですけどね。
■ほんとですか。
奇妙:そうですね。ないですね。すげー快適ですね(笑)。
■はははははは。なるほど。ありがとうございました、ところで、1曲目の最初のナレーションのバックに笑い声が入ってるでしょう? ループで。あの笑い声ってなんで入れたんですか?
奇妙:なんかないと寂しいな、ぐらいですけどね(笑)。オープニングなんで、歌ってわけでもないけど、何かみんなの声入れとこか、ぐらいの感じですね。
■みんなの声っていうのはバンドのみんなの声なんですか?
奇妙:そうですね、バンドのみんなの声です。
■どうもありがとうございました。ツアーがんばって下さい。
◆奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 ワンマンライブツアー2013◆
2013 年11 月4 日(月・祝)愛知県 名古屋CLUB QUATTRO
2013 年11 月8 日(金)大阪府 大阪BIG CAT
2013 年11 月10 日(日)福岡県 Early Believers
2013 年11 月15 日(金)東京都 LIQUIDROOM ebisu
2013 年11 月16 日(土)宮城県 仙台MACANA
トニー・ブレア以降のリアリズムが日本で知られていないというのもある。ジェイク・バグのもっとも深い曲のひとつ“ブロークン”の「壊れてしまった僕」とは「壊れてしまった英国」=ブロークン・ブリテンのことだったのか、“トゥ・フィンガーズ”で彼が歌う彼の育った文化とはこのことだったのか……などと思う。『アナキズム・イン・ザ・UK』には、僕が知らないいまのUKのひとつの真実が描かれている。
著者は序文でこう書いている。「九〇年代後半、「クール・ブリタニア」という言葉で希望の時代を演出しようとしたトニー・ブレアの労働党政権が、まるで臭いものに蓋をするかのようにアンダークラス層を生活保護で養い続けたため、この層は膨張し、増殖して大きな社会問題になった。この状態を「ブロークン・ブリテン」と呼び、英国は伝統的な保守党の価値観に立ち返るべきだと主張したのが現英国首相のデイヴィッド・キャメロンだ。以来、この言葉は、アンダークラス家庭での児童虐待や養育放棄、十代のシングルマザーの急増、飲酒、ドラッグ、暴力、ティーンエイジ・ギャング、ナイフ犯罪などの荒廃した下層社会の問題を総括的に表現する用語になる」(略)
「他国の人間がどんどん侵入してきて街を占領して行く社会では、宗教観も善悪の基準も美意識も多様化し、たったひとつの本当のことという拠り所はどこにも存在しなくなる。そこでは、自らを統治するのは自らだ。そこにある自由は、ロマンティックな革命によって勝ち取った自由ではなく、済し崩し的にフレームワークが壊れた後の残骸にも似た自由」
……そして、「学生デモや暴動が発生し、ロンドン・オリンピックが開催され、英国王室人気が異様な盛り上がり」を見せている。しかし、と著者はシンプルに、そして力強く言う。何がどうなろうと、「庶民は生きるだけだ」
この当たり前にして当たり前の感覚を我々はとかく忘れがちである。著者はそして、自身の立場をこのように明確に言う。「地べたの庶民として生き、庶民として生きている人びとのことを書くしかない。今後もたぶんそうである」
たしかに『アナキズム・イン・ザ・UK』は、英国に暮らす日本人女性の描いた、さながらケン・ローチの映画のごとく、滅多にお目にかかれない優れたUKレポートとして読める。ブレア以降のリアリズム……アンダークラスとチャヴ、年老いたパンクスとアナキスト、人種差別、フディーズ、シングルマザー……今日のUKを知ることは、とくにUKの音楽を大量に聴いている身からしたら、理解を深める上でも役に立つのだが、ブレイディみかこさんの文章が多くの人に愛されている理由は、「地べたの庶民として生きる」と言うところにあると思っている。地べたからモノを考える。日々あくせくと働きながら音楽を聴いている。そこで思考する。彼女の文章を読んでいるとセックス・ピストルズの“ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン”がいまでも通用しているという、これまた当たり前のことに気づかされる。きっとあなたは思わずストーン・ローゼズのレコードをひっぱり出して、オアシスのセカンドを探してしまうでしょう。
本書『アナキズム・イン・ザ・UK』は、その大半は、書き下ろし+彼女のブログで発表された文章で構成されている。絶版本『花の命はノー・フューチャー』からの再録もあります。多くはないけれどele-king(紙エレキング含む)で発表した何編かの文章もあります。前半はトニー・ブレア以降の社会が見えるもの、音楽や映画に関わるもの、後半はひとりの生活者としての彼女が出ている文章を中心に選んでいます。
書き下ろしのなかには、UKではもっとも人気のある女性パンク・ライターのジュリー・バーチル、日本未公開のシェーン・メドウズ監督『ディス・イズ・イングランド』の続編、アリ・アップやエイミー・ワインハウス、トニー・ブレアやデイヴィッド・キャメロンに関する文章がある。何故、UKのロック文化が弱体化したのかも理解できる。そして、(UKに何度も行っている人、住んだことのある人なら知っていることだが)リアルな人種差別についても描かれている。
だが、本当に重要なのはそこではない。いかにこのピンチのなかで笑って生きらるか。どうか読んで欲しい。願わくば、飛ばし飛ばしに読まずに、最初のページから順番に読んで欲しい。文章を読んでいて勇気づけられる、なんてことは滅多にないのだが、ブレイディみかこの文章にはそれがある。“ノー・フューチャー”が絶望ではなく、希望の言葉であることをあらためて知る。
10月31日発売です。とくに以下のキーワードで引っかかるモノがある人、よろしくお願いします──ストーン・ローゼズ、ザ・スミス、オアシス、エイミー・ワインハウス、アリ・アップ、マルコム・マクラレン、ジェイク・バグ、ジュリー・バーチル、アレックス・ファーガソン、デイヴィッド・ベッカム、シェーン・メドウズ、トニー・ブレア、デイヴィッド・キャメロン、ロンドン暴動、フディーズとパンクス、そしてなんと言ってもセックス・ピストルズ。
海外に住む日本の女たちは、多かれ少なかれパンクなのだ。
日本女性であることも大事にし、リアルな人生に突き動かされ、つらぬかれた!
――菊地凛子
■アナキズム・イン・ザ・UK
――壊れた英国とパンク保育士奮闘記
ブレイディみかこ 著
判型:四六判/並製/320ページ
価格:税抜1800円
発売日:2013.10.31
ISBN:978-4-907276-06-5
■目次
Side A:アナキズム・イン・ザ・UK
出戻り女房とクール・ブリタニア
フディーズ&ピストルズ随想
勤労しない理由――オールドパンクとニューパンク
勤労しない理由――オールドパンクとニューパンク
HAPPY?――パンクの老い先
ダブルデッカー・バギーズ
フェミニズムの勝利? ふん。ヒラリーは究極のWAGだ
ザ・ワースト・マザー・イン・ザ・UK
孤高のライオット・ガール
エキゾチック・ジャパン
Atrocityについて。しかも、まじで
雪と学生闘争。そしてジョニー・マー
モリッシーのひねり。それは学生デモ隊に何よりも必要で
ポリティクスと定規の目盛り
暴動理論
暴動の後で小出しにしてみる「愛着理論」
リトル・アンセムズ1――Never Mind The Fu**ers
リトル・アンセムズ2――怒りを込めて振り返るな。2011年版
リトル・アンセムズ3――石で出来ている
愛は負ける
ミッドランドの旧約聖書――『Dead Man’s Shoes』
ミッフィーの×と『初戀』
モリッシーのロンドン五輪批判発言の「痛み」
イミグランツ・イン・ザ・UK
アナキーな、あまりにアナキーな(現実)
仮想レイシズム。現実レイシズム
ウッドビーズとルーザーズ――『This Is England』
ファッキン大人になること――『This Is England』
ヘイトフルグ
死ね。という言葉
墓に唾をかけるな
ストリートが汚れっちまった悲しみに
ファーギー&ベッカムの時代
ロイヤル・ベビーとハックニー・ベビー
WBS(悪くて、バカで、センチメンタル)
ジェイク・バグ
Side B:Life Is A Piece Of Shit――人生は一片のクソ
花の命はノー・フューチャー
フレンチ・ブランデー
Life Is A Piece Of Shit――人生は一片のクソ
子供。という名の不都合
人が死ぬ
愛の減少感。預金残高も減少しているが
諦念のメアリー
白髪の檸檬たち――底辺託児所とモンテッソーリ
極道児とエンジェル児――猿になれ
ネアンデルタール人の子供たち
Life is a piece of shit after all――人生はやっぱり一片のクソ
ムンクとモンク
命短し恋せよおっさん
極道のトレジャー・ボックス
BROKEN BRITAIN――その先にあるもの
背中で泣いてるアウトサイダー
ガキどもに告ぐ。こいのぼりを破壊せよ
I'll Miss You
アナキスト・イン・ザ・UK
日本人の粛々
人心のメルトダウン
ファック・オフと言えない日本
We've been a bunch of shit all this time――中指と復興と
頑張れ日本。の噴出
五輪閉会式と真夏の七面鳥
さらば、底辺託児所
リトル・アンセムズ4――ジュビリー
あとがき
■ブレイディみかこ
1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『花の命はノー・フューチャー』。人気ブログ「The Brady Blog」の著者。『ele-king』にてエッセイ「アナキズム・イン・ザ・UK」を連載中。
日本のクラブ・カルチャーの草分けのレーベルと言えば〈メジャー・フォース〉で、歴史にあるように、ECDやスチャダラパーを世に送り出すという日本のヒップホップの開拓者でもあったレーベルだが、今年はタイニー・パンクス(高木完+藤原ヒロシ)の「Last Orgy」から25周年なのだった。このパイオニアたちに敬意を表する、25周年のイヴェントが代官山AIRで開かれる。
〈メジャー・フォース〉レーベルの第二弾では、当時ブリストルのワイルド・バンチ(後のマッシヴ・アタック)に所属していたDJ Miloがフィーチャーされているが、彼も駆けつけて、今回の「25周年」を高木完 & K.U.D.Oとともに盛り上げてくれる。なんでも「ワイルド・バンチのクラシック・セット」をお披露目するのだそうで、レアグルーヴが好きなひとも見逃せない。なにせMUROも出演するし、そしてアフターアワーズではDJノリ(日本のハウス・シーンの大先輩)がプレイする。

■Sound City feat. DJ Milo[The Wild Bunch] meets MAJOR FORCE 25th ANNIVERSARY
11月9日(土)@代官山AIR
DJ Milo [The Wild Bunch]
- Exclusive Wild Bunch Classics Set -
MAJOR FORCE DJ SET
[高木完 & K.U.D.O]
MURO
and more
AFTERHOURS
DJ NORI





