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6人のメンバーがステージにぞろぞろと登場するなり、僕は目の前の光景に頭がクラクラしてしまった。そのほとんどが長髪と髭をたくわえ、シャツにジーンズ、高めの位置に抱えられたギター......いまは何年だ? 2012年だ......。まるで、見たことのない60年代のアメリカを幻視するようだ。
フロントのロビン・ペックノールドがやや遠慮がちにギターを弾きはじめると、ゆっくりとコーラスがそこに重なっていく。"ザ・プレインズ/ビター・ダンサー"からはじまったその日のライヴは、ひとつひとつの音が細部まで張り巡らされた精緻なアンサンブルが最後まで貫かれるストイックなものだった。ライヴという言葉から連想されるような開放感よりも、宗教儀式のような厳かさすら感じられる。そして、ああ、これは紛れもなく「人びとの歌」だと僕は思う。

人びとの歌――昔ながらのフォーク・ミュージックのスタイルを借りて匿名的にコーラスを奏でてきたフリート・フォクシーズの歌は、リーマン・ショック以降のアメリカに公共性を思い出させるように響いてきた。彼らのあり方は、特定の顔が存在しないウォール街のデモともどこかで繋がっているはずである。ただ、フリート・フォクシーズが放ったのはシュプレヒコールではなく完璧なコーラス――ハーモニーだった。潔癖なその歌は、コーラスに参加する人間に狂いのない音程を要求する厳格さでもって、理想的なコミュニティを体現したのだ。
そんな彼らがセカンド・アルバムで見せた変化は、音楽的なものよりも歌詞の視点をより個人の内面に掘り下げたことだった。だからそこにはコミュニティに属する個人の内省が「調和」と拮抗する危うさが内包されていたのだが、そのような展開は極めて自然なことだったろうと思う。フリート・フォクシーズは才能あるソングライターのロビン・ペックノールドのバンドとも言えて、彼がエゴを前面に出す欲望を抱えていてもおかしくはない。ライヴという場でも、バランスを崩すことなくその調和を体現することができるのか――が僕のその日の主な関心だったのだが、それは早々に解決することとなった。コミュニティという言葉ですらしっくりこない、それはひとつの「集落」の音楽だった。さまざまな人びとが共に生きていくために、知恵と思いやりを寄せ集めるような。
弦が最大で4本にもなるアンサンブルは厚く、そして何より高い演奏力に支えられている。EPから"ミコノス"、セカンドから"バッテリー・キンジー"と続くが、ギター・ハーモニーとコーラスがどちらも等しく息を呑むような繊細さで奏でられ、ぴんと張り詰めた空気を作り上げる。メロディは牧歌的でも曲の成り立ちとその再現のされ方が非常にコントロールされていて、会場から緊張感が消えることはない。曲間では歓声も上がるが、すぐに固唾を呑むような静けさに支配される。途中でアメリカ人の観客が我慢できずに「何でこんなに静かなんだよ?」と声を上げていたが、この日に限ってはそれも悪くなかった。オーディエンスである僕たちも、神聖な儀式に参加しているような気分になってくる。
とは言え、中盤「I was following/I was following/I was following...」と輪唱される"ホワイト・ウィンター・ヒムナル"から、間髪入れずに"ラギッド・ウッド"でフォーク・ロックが疾走すると、そのダイナミックな転換にようやく会場に温かい熱が広がっていく。同じくデビュー作からの"ヒー・ダズント・ノウ・ホワイ"も素晴らしく息の合った演奏で、「僕にできることは何もない」のリフレインに天から降り注ぐようなコーラスが折り重なる。休符が完璧に守られたブレイクと掛け合うロビンの強い歌声。それは倒錯ではなく、その「何もできない」という地点からこそ何かを始めようとする決意のように響く。ライヴであらためて気づかされたことだが、ロビンの歌唱力も非常に高く、音のアタック部分で完璧な音程を叩き出してみせる。譜面の指示をすべて正確に守るような厳格な演奏だからこそもたらされる音楽的な快感が、次第に身体にまで響くようになってくる。終盤のハイライトは間違いなく"ザ・シュライン/アン・アーギュメント"で、マルチ・プレイヤーのモーガン・ヘンダーソンがカオティックにバス・クラリネットを鳴らし、サイケデリックにアンサンブルを歪ませた。

アンコールでロビンはソロ・ナンバー"アイ・レット・ユー"でごく個人的な傷心を歌いもした。そう、そんな個人の表現も彼には可能なのである。だがバンドでは頑ななまでに個を通さず、自分の内面すらポリフォニックなものにしてしまう。直接は政治的な表現を取らずとも、これほど社会性を感じさせるアメリカのバンドは現在フリート・フォクシーズを置いて他に存在しないのではないか。ピアノとギターが追いかけ合う"ブルー・リッジ・マウンテン"で歌われる「愛」は、最小の社会である家族に捧げられる。「愛してる、ああ、僕の兄さん」
最後のナンバーはこのツアーのテーマ・ソングだと言えるだろう"ヘルプレスネス・ブルーズ"、すなわち"無力なブルーズ"であった。ジャカジャカとアコギが賑やかに演奏される力強いこの曲で、ロビンは――いや、彼らは個人がより大きな何かに自分を捧げることについて歌う。「その後しばし考える時間を持った僕は/いまではむしろ/何らかの精緻な装置を支える丸太の一本でありたいと思っている/自分を超えた存在に仕えたい」。その上で、あらめて自分の無力感を噛み締めるのだ。「でも僕にはわからない/それが何なのか!」――その叫びは、ツアーの最後の地となった日本でこそ説得力を持って響いたことだろう。だから、続けて「いつか近い将来、答えを出すから待っていてくれ」と歌われるアメリカにおける「人びとの歌」は、そのときたしかにそこにいる「我々の歌」として共有されたように感じられた。......錯覚だろうか? いや、少なくとも、厳格なハーモニーがその地点まで辿り着いた道のりを分け合ったその日の夜、そこに集った人間の胸はいくらか熱くなったはずだ。「僕はいつか答を出す、自分の力で」――その想いと響き合ったに違いない。

そもそもホンダ・シビックを運転しながらアメリカ大陸の道路を走り、車内で録音された音楽がどんなものなのか、興味深い。それがどのように録音されたのか、知りたい。ともかく2010年から2011年のあいだ車内で録音されたグレアム・ラムキンによる『アマチュア・ダブルス』は、音楽に夢を見る人のための音楽として実に美しい作品となった。それは車の窓を閉め切って道路を飛ばしているときのノイズがやすらかに口ずさんでいるようだ。
そういえば、それがリリースされてからだいぶ時間が経ってから本気で好きになれたアルバムのひとつにエイフェックス・ツインの『セレクティッド・アンビエント・ワークスvol.ll』(1994)がある。あの抽象性と独特の音響効果は、面白いとは思えても『vol.l』やポリンゴン・ウィンドウ名義の作品と比較して、当時は、再生回数は少なかった。ところがいま聴くと、再発すべきは『vol.ll』だったのではないかと思えてくる。『vol.l』と『vol.ll』との違いは、その抽象性にある。かつてアブストラクトと呼ばれた音楽は音数の少ないインストのヒップホップだっが、今日抽象的な音楽と言えば、多くの場合、アナログ/デジタル機材を用いたアンビエント、ドローン、フィールド・レコーディング、ミュージック・コンクレート、インプロヴィゼーション、ミニマルなどの混合で、それらはコンテンポラリーの手前でとどまっている。
ラムキンはティム・ヘッカーのようにハードコアなアンビエント・リスナーを引き寄せ、他方ではアヴァンギャルド/コンテンポラリーの文脈でも熱狂的な支持を得ているようだ。イギリスのケント出身の彼は1998年からニューヨークを拠点にして、彼の評判の良いカタログを増やしている。イギリス時代にはザ・シャドウ・リングという前衛ロック・バンドのギタリストとして活躍して、ニューヨークのノー・ネック・ブルース・バンドとも繋がりを持っている(まあ、今日におけるレコメン系と言える)。バンド解散後は旧式のオープンリールなどを用いて抽象的で、魅力的な抽象音楽を展開している(ポエトリー・リーディングもしている)。2008年の『ザ・ブレッドウィナー』(2008)におけるフィールド・レコーディングやミュージック・コクレートはザ・KLFの『チルアウト』におけるサンプリング・コーラジュや『vol.ll』における抽象性をさらに深く追求した音楽としても聴ける。木のきしむ音、音の間、静寂......電子のポップ文化に戯れる我々にとってアプローチしがたいものではない。
さて、自身のレーベル〈Kye〉からリリースされた『アマチュア・ダブルス』は、透明なヴァイナルのA面に1曲、B面に1曲が収録されている(この構成でありながらCDリリースがないところも良い)。それぞれの曲は、フランスにおける異端の電子音楽家、Philippe BesombesによるPole名義の1975年のアンビエント/サイケデリック作品、同じくフランスのPhilippe Grancherによるピアノとシンセサイザーを活かした同年のアンビエント作品『3000 Miles Away』をサンプリングしている。その2枚のCDは、ゲイトフォールドのジャケを開くと見える写真のなかの、車のフロントパネルの上に無造作に置かれている。
『アマチュア・ダブルス』では、声、メロディ、電子音、そしてゴォォォォォ、心地よいノイズ、控えめだが多彩なノイズ、鐘の音、アナログ機材の温かい音......それらがどこか遠くで鳴っている。郷愁という意味ではない。ラムキンは彼のホンダ・シビックの後ろの座席に我々を座らせて、そしてハンドルを握りながら、つまみをいじっているようだ。ジョン・ケージはインプロヴィゼーションにおいて、ブラック・ジャズの文脈とは別の角度から、演奏しないことが演奏になる(すなわちすでにそこには音がある)ということを見せ、その後の音楽に巨大な影響を与えたが、同じようなコンセプトが路上で生まれたこのアルバムにもある。後半(つまりB面)では、汚れた風の音がクラスターのもっとも美しい瞬間に合流する。discogsによればラムキンはピンク・フロイドの"星空のドライヴ"をカヴァーしているそうで、ドライヴしている感覚が好きなのかもしれないが、これは"星空のドライヴ"でも"アウトバーン"でもない。

ナダ・サーフは青春。彼らを見るたびに、呟いてしまう。40代前半だというのに......。
1月24日、ニューヨーク出身のナダ・サーフ(Nada Surf)のホーム・カミング・ショーだった。この日は彼らのニュー・アルバム『The Stars Are Indifferent To Sstronomy』(星は天文学に無関心)の発売だった。「このアルバムは、プラックティス・ルームにいるような感覚で、新しい曲のエネルギーを持ってレコーディングした。やり過ぎたかなと思ったけど、あえてそのままにしてみた」と、ヴォーカル&ギターのマシューは言っている。曲名もまた、希望と未来を感じさせる。"若かった頃(When I was Young)""(まっらな目と曇った心(Clear eye clouded mind)""10代の夢(Teenage dreams)""未来(The future)"......楽曲もみんなポジティブである。
ポップとロックンロールをこよなく愛する3人から生み出される、ラッシュなビート、コード、美しく、ナイーヴな旋律。そして胸がキュンとなる甘いヴォーカル、ハーモニー。「10代の夢に遅すぎることはない(it's never too late for teenage dreams)」と歌うマシューは本当に10代のようにみえる。この言葉は、ナダ・サーフのすべてのレコードに共通する彼らの声明である。7枚目のこのアルバムで、彼らの経歴は20年目に突入する。

バンドはこのアルバムを、ウィリアムス・バーグでレコーディングしていた。マシューは、私の家の近所に住んでいて、「いま、レコーディングをちょっと抜けてきたんだ」と言いつつ、よくカフェに現れ、ディナーをとって、赤ワインを飲み、最後にスイーツをテイクアウトして行く常連さんだった。音楽の話題になると話が止まらなくなった。仲間のパーティにも参加してくれた。気軽に話せる気の良いお兄さんである。
このアルバムのレコーディングが終わって、彼はロンドンに引っ越し、あっという間に半年だった。彼の性格上、頻繁にコンタクトを取る人ではないので、彼らの近況はわからなかったが、何カ月か前に「ナダ・サーフが新しいアルバムをリリース。ツアー決定!」のニュースを知った。そして1週間ほど前に「来週からニューヨークに行くよ。ライヴに遊びにきて!」という彼からのメッセージがきた。見逃すことはできない。お祝いだ。
ニュー・アルバムのアートワークの素敵なペインティングは、彼の友だちで、アーティストのグラハム・パークスが担当している。シルク・スクリーンのポスターについては、モンスター・アイランド(RIP)の住人だったカイ・ロックが10年も担当している。
ショーはソールドアウトだったが、この日のショーは、彼らのYoutubeチャンネルでストリームされている。たまたま同じ日にYoutubeを見ていた友だちは、そのことに驚いて、私に教えてくれた。
ライヴでは、リード・ギターにガイデッド・バイ・ヴォイシズのダグ・ジラードが参加した。ベースのダンとドラムのイラはネクタイ、マシューは黒のボタン・ダウン・シャツ。ふだんと同じスタイルである。ドラムは高いところにセッティングされていて、バスドラには黄色で「NADA SURF」を描かれている。
演奏はほとんどが新曲だった。レコードをリリースできたことに感謝、関わってくれた人への感謝、2012年が良い年になるようになどとMCが入る。古い曲を演奏すると、会場は一緒になって歌う。アンコールでは名曲"Always Love"を演奏。最後はニュー・アルバムからの曲"Looking Through"。観客はナダ・サーフという10代の夢を心から応援する。絵に描いたような、素晴らしいロック・コンサート。
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やけのはら
Step On The Heartbeat
NOPPARA REC / JPN
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DELTA FUNKTIONEN
Inertia // Resisting Routine
ANN AIMEE / NED
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GAISER PRESENTS VOID
No Sudden Movements
MINUS / CAN
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OMAR S & OB IGNITT
Wayne County Hills Cop's (Part.2)
FXHE RECORDS / US
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MUNGOLIAN JET SET
Schlungs
SMALLTOWN SUPERSOUND / NOR
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ジョージア州のペリーという小さな町の彼のベッドルームの夢想はリキッドルームをターンオンさせることができるのだろうか......。サンプリングとスクリューによるフラットしたまどろみは、モラトリウムのけだるいサウンドトラックは、本人が望んだこと以上の騒がれた方をしてしまったがゆえに矢面に立ち、そしていち部の大人たちから非難を浴びていることは読者のみなさんもご存じのはずである。
開演直前に到着、カウンターでビールをもらって、ドアを開けると照明が落ちて、12インチ・シングル「余暇の人生」に収録された"ホールド・アウト"がはじまる。中央には黒いドレスを着たブレアがシンセの前に立っている。彼女こそ「余暇の人生」のアートワークで黄昏色の海に浮いている女性で、アーネスト・グリーンの奥さんだ。その左にはグランジ・バンドでもやっていそうなベーシストが立ち、右側にはアーネスト・グリーン、そして後方にはドラマーがいる。心配されていたことだが、アーネストの手元にはiPadがあった。それがわかった瞬間、「やばっ」と思った人は少なくなかったろうが、演奏は思ったよりもしっかりしていた。バンドとしての体をなしていたし、黒い髪を振り乱しながら歌うブレアはステージ映えしていた(ビーチ・ハウスのヴィクトリアを意識しているようにも思えた)。

チルウェイヴに限らず、打ち込み音楽(エレクトロニック・ミュージック)においてライヴPAは20年前からのテーマである。バンドと違って地道な鍛えられ方をしていないし、それ以前の問題として作り手の多くはステージング(芸人根性)というものを知らない。プログラミングされたループを垂れ流し、ミキサーをいじるだけなら生演奏とは呼べないし、ライヴをやる意味がない。が、それでも大受けすることはままある。
僕が昨年行った打ち込み音楽のライヴに関して言えば、ベストは迷わずANBBで、次点でハーバートとURだ。ANBBに関しては、照明美術からブリクサのパフォーマンス、そして周波数の魔術師たるカールステン・ニコライの驚くべき"演奏"にいたるまで見事というほかなかった。残念だった点があるとしたら客があまりに少なかったことぐらいだ。ハーバートは彼の政治的主張のユーモラスな見せ方において、URはジャズ・ファンクの迫力ある演奏において、ライヴとしての醍醐味が十二分にあった。

ウォッシュト・アウトは、とくにはしゃぐ様子もなく、慎重に演奏しながらそのけだるさを快楽へと変換した。ダンス・ミュージックの影響下にあるゆったりとしたグルーヴのなかには、チルウェイヴ特有の甘いメランコリーがある。ほとんどレコードに忠実に演奏されていたが、彼らの催眠ループで眠たくなることはなかった。おおよそ他の音でかき消されていたとはいえ、アーネストのヴォーカリゼーションとブレアのバック・コーラスも感じの良いものだった。ウォッシュト・アウトがオーディエンスを完璧に現実逃避させるにはもう少し時間がかかるかもしれないが、バンドには美しい調和があったし、気持ちのこもったショーだった。ヨーロッパ・ツアーやATPへの出演など、けっこう場数を踏んできた痕跡がある。
なにせ過去2回の来日ライヴを見ている人間からは芳しい感想を聞いた試しがなかった。2回とも見ている友人によれば「いままでいちばん良かった」そうで、ウォッシュト・アウトにとって不幸だったのは、内気で密室的なこの音楽が、まだライヴ慣れしていないのに関わらず野外フェスに2回も呼ばれてしまったことかもしれない。今回が初来日だったら、もっと良い反応を得られたはずだ。ちょっと可哀想に思える。
最後の"ユール・シー・イットで何人かのオーディエンスは両手を広げて踊っている。アンコールの2曲は"デディケーション"と"アイズ・ビー・クローズド"だった。わりとあっけなく終わったが、まあ、全13曲、ほとんどのオーディエンスを惹きつけていたように思う。風評というのは本当に恐ろしいモノで、ジェームズ・ブレイクを神々しく見えてしまう人もいれば、ウォッシュト・アウトをスルーしてしまう人もいる。おかげさまで快適な状態でこの音楽に浸ることができたわけだが。

いつもの駅前 いつもの通りいつものビルの隙間に特別な星
うんざりするほど変わらない景色も
本当に何時までも同じわけじゃない
煌めきは一瞬 だから美しい
しっかりと目に焼き付けろ すぐに
JUST ONE DAY いつか思い出すかな
こんな日々を 意味を 夏の抜け殻
やけのはら"I Remember Summer Days"(2010)
あなたにとって、音楽が鳴る「現場」とは、どこだろうか。行きつけのライブ・ハウス? お目当てのあの娘が通っているクラブ? 愛聴するDJが選曲するFM? 年に一回のフェスティヴァル? それとも、フリー音源がくそみそに散乱するウェブ? 都会の喧騒をシャットアウトするために装着したi-Podの白いイヤホーン? あるいは、地方生活の退屈を埋めるためのスピーカー? 磯部涼は......そのどれをも否定しない。「音楽の"現場"について、ずっと考えてきた」、そう語り始める現在33歳の著者は、ライフ・スタイルの変化などによって「ゲンバ」から離れてしまった人たちの選んだ「現場」の一切を否定しない。「"現場"という概念は、ライブ・ハウスやクラブといった狭い枠を飛び越えて、ポップ・ミュージック・カルチャーそのものであると言うことも出来るはずだ」、それが2010年4月時点での著者の結論である。
少しだけ、個人的な話をするのを許して欲しい。
いまでこそ、ライターの端くれとして活動の場を与えてもらっている私だが、音楽との距離感において、長いあいだ、ある種のコンプレックスを抱えていた。私に向けられる批判はいつも均質で、顔のないウェブ上の人びとは口をそろえて言ったものだった。「お前の音楽にはゲンバが足りない、もっとゲンバを知れ、知れ、知れ、ゲンバを」......しかし私は、音楽の受容スタイルに卑賤があるとはどうしても思えなかったし、仮に音楽が、私たちのうんざりするような人生を少しでも豊かにするために存在するのだとしたら、人生に幸福を感じた瞬間に、いっそ音楽と縁を切ってもいいとさえ思っていた。それを誰が責められる? ある意味でどんなに軽薄な思いであれ、人が音楽を求めることを寛容な態度でもってほぼ全肯定する磯部涼は、そんなわけで、個人的にだが、いつからかもっとも信頼を置くライターとなっていった。
病んだ町ではないものねだりさ
昨日から 今日から 明日追われながら
時の長さよりも瞬間 幸せ宿るそんな気が
soulも音楽も自由気まま 形取らないコトに素晴らしさが
奇麗事ばかりほざく日常に 嘘ばかりの世の中の流れに
取り付かれた自分 取り付かれた町 乗りつかれたぜ
町の影と光
SEEDA"Just Another Day"(2007)
とはいえ、著者は私の「現場」を否定こそしないだろうが、私のナイーヴな作品評に関しては評価してくれないだろう。そう、本書において、著者が各所で書き散らしてきた従来型のディスク・レヴューは、居心地が悪そうな顔で、各章の終わりに窮屈そうに並んでいるのみである。「音楽を聴くということは、言葉を失うということである」、「言葉が浮かんでくるようでは、まだまだ、音楽を聴いたとは言えない」、このあたりの痛烈な序文・序章を何度も読み返していたために、私はなかなかその先を読むことができなかった。議論好きの著者は、ときに好戦的な態度を隠さない。が、その後の380ページは、読者を道連れにした、ゼロ年代後期をスリリングに駆け抜ける親密で情熱的なレヴュー(評論)であり、エッセー(随筆)であり、ダイアリー(日記)であり、インタヴュー(面会)であり、ルポルタージュ(報告)であり、かつ、そのどれでもない。それは、従来の音楽評論が敷いてきた滑走路からは大きく踏み外れている。『音楽が終わって、人生が始まる』は、いわば著者の人生そのものである。
著者は、ポップ・カルチャーの社会的ポテンシャルにまで食い込む大きな問題意識を根底に抱えながら、しかし、巨視的な物言いを振りかざすよりは、パンク・ロッカーや、ハスリング・ラッパーや、ストリート・シンガーと同じ(少なくとも、限りなく"近い")視点で、街を、夜を、人びとの暮らしを、意識的に見つめてきたのだと思う。そして、音楽を前にしてすっかり失ってしまった言葉を埋め合わせるために、著者はミュージシャンの自宅に遠慮なく乗り込み、熱心に話し合い、ときに議論をふっかっけ、いくつかの客観的な事実を鋭い洞察でもって持ち帰り、そこに対する忌憚のない感想、自らの問題意識との整合、あるいは齟齬とを丁寧にマッシュ・アップしながら、その先に見える風景を、並々ならぬ愛情でもって活写している(当然、それはときとして批判的な指摘を含むものだ)。それはまるで、450グラムの重みを持つ本書を手にした読者に対して、自らの生き様をさらけ出すとともに、それぞれがそれぞれに見つけた「現場」への愛情を試しているようだ。
もちろん、物語の解体を好むポスト・モダニティ・ライフを不可避に生きざるを得なかった著者にとって、そうした小さな現場から物語を拾い上げていく地道な作業は、ある種の痛みを伴ったに違いない。例えばそう、ゼロ年代の終わりに、マイケル・ジャクソンの死を象徴的に回想してしまうくらいには。しかし、だからこそ、著者の批評的な回り道は、いまやこの場所にたくましく結実している。〈RAW LIFE〉で砂まみれになった夢や希望、アンダークラスから吐き出される痛みの作文、街を鳴らす路上のうた。著者が目撃した音楽の産声、そのどれもが生々しい。いうなれば、何十年も昔に終わっているポップ・カルチャーの共同体幻想、もっと言えば、その社会的なポテンシャルが冷却・解体されていくなかで、例えば著者と同世代である鈴木謙介(35歳、社会学者)がかつて述べたような、「なぜ私たちは夢から醒めることができないでいる、あるいは醒めようとしないでいるのか」(『カーニヴァル化する社会』、2005)と相似した疑問を、「体力の限界まで踊って、理由の分からない涙を流して」、著者はある側面において解明したのだと思う。
まっぴらだ
できればおまえを 忘れていたい けれど
あきらめたくない
傷とともに 生きてゆくしかない
しかないなんて
踊り明かす 夜通し めちゃくちゃに
坂本慎太郎"傷とともに踊る"(2011)
そして......音楽は終わらず、夢を引き裂くように現れた3月の、寒気がするような後ろ姿を視界にとらえつつも、私たちの人生はどうやら相変わらず続いている。そう、すべては通り過ぎていく。が、著者は、3.11以降におけるミュージシャンらの反応をレジュメする終章において、その日常の慣性に対して警告を発している。私たちはいまだ、音楽を捨てられずにいるが、ちょっとした行き違いで、それは手のなかからするりと抜け落ちてしまうのだと。そう、『音楽が終わって、人生が始まる』は、終わらない音楽の話だ。終わらない夢を、それでも見続ける人間の話だ。その先に開く未来も、きっとある。とはいえ、「いつまでこんな暮らしを続けていくのだろうか」、私もときどきそう思う。が、立ち止まるにはまだ早い。いつかの身が焦げるような恋を、もうすっかり忘れてしまったように、私たちの、音楽を強く欲する衝動のような想いも、もしかしたら少しずつ失われていくのかもしれないが、それでも、いつか音楽から解き放たれた場所で、音楽に振り回され、悩まされ、それでもわけの分からない涙を流した、こんな日々を、愛と笑いの、その意味を、きっと思い出すだろう。
No Music, but Life goes on....
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CHRIS WATSON
El Tren Fantasma-The Signal Man's Mix-
TOUCH (UK) / 2012/01/18
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CHRIS WATSON
El Tren Fantasma
TOUCH (UK) / 2012/01/18
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MARK McGUIRE
Solo Acoustic Volume Two
VIN DU SELECT QUALITITE (US) / 2012/01/18
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ONEOHTRIX POINT NEVER
Replica
SOFTWARE (US) / 2012/01/18
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MARSHALL MCLUHAN
The Medium Is The Massage
FIVE DAY WEEKEND (US) / 2012/1/6
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PEAKING LIGHTS
Remixes
WEIRD WORLD (UK) / 2011/12/21
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JUJU & JORDASH / MORPHOSIS
Dekmantel Anniversary Series: Part 1
DEKMANTEL (HOL) / 2012/1/18
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DESTO, CLOUDS & JIMI TENOR feat.CHA CHA
The Bird ・Eightfold Path
502 (UK) / 2012/01/18
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DAVID GRAY/TRACY CHAPMAN
THE OTHER SIDE/CROSSROADS-NK RMX
WHITE(JPN)
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GOMMA ALL STARS
CASABLANCA REWORKS(feat.PEACHES)
GOMMA(GER)
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