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「はかなさ」という日本語では誤解を生むのだろう。こういうときは、ネットの類語辞典だ。ふむふむ、「何の甲斐もなく終わる」、これはいい、no good trying、シド・バレット……ああ、僕は、石原洋と会うと、シド・バレットやニック・ドレイクばかりを聴き漁っていた若かりし頃の自分に会ってしまうのだ。あまり言いたくは……いや、こういう時代だからこそ言うべきなのだろうか、サイケデリック・ロックと括れるロック以外には目むくれなかった頃の思いを。
マナーズは、埋火(うずみび)を解散させた見汐麻衣が石原洋(+中村宗一郎)をプロデューサーに迎えての新プロジェクトである。以下は、そのふたりを迎えてのインタヴュー。取材において僕はかなり不注意にも、不躾に、しかし敢えて(多少ふっかけるつもりで)「シティ・ポップ」という言葉を使っている。若い人は、そんな当時の業界用語に囚われないでいただきたい。業界の関心の及ばない場所からこの音楽はやって来たのだから。
80年代頭の無意味さ、空っぽさみたいなものにも惹かれたんですよ。ポリティカルなものや思想的なロックとは実は無縁だったんです。ジャーマン・ロックにしてもフリー・ジャズにしてもサウンドの面白さという観点から入っていきました。──石原洋
■マナーズはどうやってはじまったんですか?
見汐:最初は、石原さんのバンドに誘っていただいたんです。
■前から接点があったんですか?
石原:そんなに接点はなかったです(笑)。
見汐:私が一方的に存じていました。
石原:ホワイト・ヘヴンのあとのスターズのことを知っていた、ということみたいです。
見汐:あと、石原さんと中村(宗一郎)さんが携わっている作品を高校生のときから聴いていたんです。ゆらゆら帝国はもちろん、朝生愛さんや栗原ミチオさんもです。とにかく好きだったんです。
■石原ファンだったんですね?
見汐:いや、そういうわけじゃなかったんですけど(笑)。
■ホワイト・ヘヴンやスターズが好きだったんなら相当なものですね。
見汐:ホワイト・ヘヴンのライヴは観たことがないんですけど、スターズはあります。大阪、東京でも拝見しました。
■大阪にもいたんですね。
見汐:最初は佐賀、それから福岡にいて、姫路、大阪を経て東京に来ました。
■埋火の解散後に見汐さんから石原さんに声をかけたんですか?
見汐:石原さんが不定期でやっている石原洋・ウィズ・フレンズに2年ほど前から最近までギターで参加させて頂いていたんですけど、そのときに初めてお話をしました。
■そのときに見汐さんのなかでマナーズというコンセプトはあったんですか?
見汐:コンセプトはなくて、いままでやってきたものとは違うものを作りたいという話はしていたと思います。
■石原さんが見汐さんをバンドにお誘いしたのにはどんな理由があったんですか?
石原:取り立てて理由はないんですけど(笑)。当時は3人でやっていて、ギターを弾きながら歌うのが面倒で、身近でギターを弾いてくれる人を探していたんですよ。それで、あまり弾きまくらず、かといって素人でもない人を探していて、軽く誘ったという感じですね。どういうギターを弾くかも知らずに(笑)。
見汐:そうなんですよ(笑)。だからとても大変でした。
■マナーズのコンセプトはどのように生まれたんでしょうか?
見汐:埋火を12年やっていてメンバーに対してということではなくて、自分自身がやっていて、なんだろうな、おもしろくないなと思うようになっていて。そんなときに石原さんに誘っていただいたので、いろんな話をするようになりました。そのなかで、あらためて新しいことをはじめたいと思うようになり制作に気持ちが向かうようになりました。
■埋火に限界を感じたのは音楽的にですか?
見汐:それもそうですし、物理的に距離の問題もありました。埋火の後半はとくに思ったように動けなくて。曲を作ってもなんか違うななんだろうなとかいうものが増えて。
■埋火からマナーズに移行する期間に音楽的なものに関してこうしたいとか、マナーズに繋がるようなアイディアはあったんですか?
見汐:明確にあったわけではないですね。ないんですけど、いままでの作り方じゃない、別のやり方を考えるようになっていて。
■石原さんだったら絶対におもしろいだろうという考えはありましたか?
見汐:石原さんとお話をさせていただく前は、作品を介してしか石原さんという人を音楽的にしか知れなかった。とにかく作品が好きだったんです。だからこの人にお願いして何か一緒にやっていただけるんだったら、もうゆだねようと。
■石原作品のどんなところが好きなんですか?
見汐:それはもう、いっぱいありますけど……。まず、音が好きというのが一番大きいです。そこは中村(宗一郎)さんの作りだす音が好きなんだと思います。埋火の最後のアルバム『ジオラマ』はピーススタジオで録音して、すべて中村さんにお願いしましたし。後は作品に潜む「暗さ」みたいなものですかね。光を当てる場所と加減が絶妙というか。ポップな曲でもはしゃいでない。つねに低温というか。上等な絹のような手触りがあって、安易に触らせてくれないような。一定のラインがあって、そこを突き抜けたら解放されて広がる手前をジリジリと攻めてくるアレンジの感じとか。または突き抜ける場所を選択するセンスとか、聴いてる人を拒む、突き放すような雰囲気というか。「人に向けてではなく、誰もいなくなったパーティ会場で演奏しているバンド」みたいな虚像が浮かんでくるんですけど。自分が知っている日本人の音楽でそういう感触を持てるバンドをあまり知らなかったので。
■石原さんとしては、ポップスというものに真正面から向かい合った作品と言っていいんですかね?
石原:それをやってみようと思ったわけではないけれど、ゆらゆら帝国やオウガもそうだけど、極端にポップなものも入ってるし、ある種、実験的なこともやっている。結局、もらったもとの曲に対して自分なりの解釈をしてそっちのほうにグッと持っていくんです。それは僕が思う心地よいポップス、またはロックに近づいていく作業なんですけど。
■誤解を恐れず敢えて極論すれば、マナーズの作品はゆらゆら帝国よりもシュガー・ベイブに近いと思うんですよ。
石原:相対的に見ればそうかもね。
■ホント、極論ですけどね。シュガー・ベイブに毒はないので、オルタナティヴ・アーバン・ポップと言いますか……。
石原:ただ、そういう感覚は、僕のなかに、昔からあったテイストなので、否定はしないですね。シティ・ポップっぽいとか言われるんじゃないかということは、作っているときは全く思わなかったんです。作り終わってから、現在そういうシーンがあることを知ったんです。リヴァイヴァルであるとか若い子たちがやっていることとかね。
■それと一緒にしないでくれっていう気持ちが石原さんにはあるでしょうから。
石原:それはありますよ。でも、何よりもまず洗練されたものを作りたかったんですよ。洗練されたポップス、でもチャラくない。洗練されててチャラいものっていうのはいっぱいあるんです。洗練されているけどチャラくなくて、ある程度メンタリティとしての重さも持ち合わせているんだけど、ヘヴィーすぎない、ドロドロしないものをこのプロジェクトでは作りたかったんですよ。
■まったくそういう音だと思います(笑)。洗練されているけど、チャラくない。わかります。
石原:どうしてもそっちのほうへいけないんですよ。
[[SplitPage]]ずっとやりたかったですし、埋火をやっているときからも一貫したテーマでした。「場所」というか、「街」というか。今回はそこに「都市」というものも含まれてます。──見汐麻衣
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■チャラさとはどういう意味なんですか? 媚びているっていうことですか?
石原:うーん、そうじゃないですね。例えば、確実に背景として何か異質なもののあるポップさと、どこかで聴いたいい曲を何曲か組み合わせて出来上がり、というのとは違うじゃないですか?
■プロセスが結果には表れるものであると。
石原:曲が流れているぶんにはわからないかもしれないけど、聴く人によってはわかるんです。誰に聴かせたいかという問題は難しいですよ。表面的に似たようなサウンドでもある特殊な視点から見るとたちどころに峻別されていくものがあるじゃないですか? そこで簡単に峻別されて捨てられていくものは作りたくなかった。その神経質さは自分の属性だと思っているからしょうがない。
■しかし、ゆら帝やオウガにないものがマナーズにはあるわけですよね?
石原:ゆら帝などに比べれば、良くも悪くも思想的な重さがない。重さというか、観念的な部分って言ってもいい。今回は女性っていうのもあるし。かつて朝生(愛)さんもやっていますけどそれと比べても、昔の言葉でいうヘヴィーさみたいなものはないので。そういう意味でアレンジはしやすいという気はしました。
■いつかやってみたかったことでもあるんですよね?
石原:まぁ、実際はいろんなことをやってみたい気持ちはあります(笑)。
■見汐さんと石原さんは世代が違います。いま石原さんがおっしゃったことで見汐さんが補足したいことはありますか?
見汐:私の世代は名盤といわれるものが並列に聴ける時代になっていたので、音楽の話をする時に石原さんによく言われたのは「リリースされた順番にあらためて聴いてみたら?」という話をされました。ランダムに聴くから発見できることもあるんですが、順立てて聴いていくと時代背景やその時代のムードもそうですし、この人がこのアルバムに参加した過程とか何枚目でこのプロデューサーに依頼してる、その意味とか、そのサウンドが生まれてきた必然性みたいなものが解ってくるというか。
■石原さんの言う「チャラくない」ものの解釈として、70年代的なメンタリティがありますよね。ロックが、ものすごく雑食的に、いろんなものに化けていくような感じとう言いますか。プログレもクラウトロックもパンク・ロックもそうだし。
石原:80年代初頭のニューウェイヴにはそういうものを捨てた時期があるじゃないですか? いわゆるパンクからオルタナへの急激な流れのなかでロックのメンタリティがピークに達して、その反動でニューウェイヴが軽く意味のないものを目指した時期が短いながらもあった。
■ディーヴォとか?
石原:ディーヴォはコンセプチュアルなことをやっていたんだけれど、もっと意味のないものもあったでしょ? それがよしとされている時期もあったんですよ。それは70年代の重みに対する反動ですよね。思想とか。
■ある意味70年代のなかで否定されなければいけないものもあったんだろうなと思います。
石原:僕は当時その80年代頭の無意味さ、空っぽさみたいなものにも惹かれたんですよ。ポリティカルなものや思想的なロックとは実は無縁だったんです。ジャーマン・ロックにしてもフリー・ジャズにしてもサウンドの面白さという観点から入っていきました。歌詞に反応するようなことはそんなになかった。文学と音楽は別物と捉えてたので。だから、80年代の空虚さがすごく肌に合ったんです。84、5年を境にロックは無くなったのでやることが無くなったんですけど(笑)。
そういう音があっても不自然ではなかったと思っているんですよ。去年やったにせんねんもんだいのリミックスも面白いのができたなと自分でも思ったんですけど、あれも作り終わってから、なんでこの音が80年代の初めになかったんだろうと思いましたね。
■それはどういうことですか?
石原:80年代の初頭はサウンドも混沌としていてまだ細分化されてなかった。テクノ・ポップとかポストパンクやノイズ、ジャズっぽいのとか。そういう未分化な空気がニューウェイヴの時代にはあったわけですよね。そのなかににせんねんやマナーズみたいな作品があっても違和感はない。手法としてもすでにあったわけだし。当時の雑食性を現在において考えてみれば、プログレッシヴ・ロックというよりもむしろそっちのほうに近い。
■ジェイムス・チャンスみたいなものではないですよね?
石原:違いますね。もっと表層的なモードみたいなものです。ポップ・グループみたいにラディカルなものでもないです。例えばウィークエンドみたいなものもあったわけじゃないですか? そういう形としてなら80年代にあっても不思議じゃなかったかもしれない。でも基本、古くさいロックを作りたくはないんですよね。つねに新譜を聴いているわけではないけど、肌で感じる時代性ってわかるじゃないですか。
■そこでルーツに戻ってしまう人もいます。
石原:ルーツには戻りたくない(笑)。
■ルーツに戻りたくない理由とはなんですか?
石原:自分になかに確固とした、思想面をも含むルーツがないんだと思います。やっぱりスートンズだとかジョン・レノンだとかがいる人は幸せだと思います。僕らの世代、グラム・ロックとかプログレって、そういうものが終ったあとですからね。
■レピンク・フロイドやキング・クリムゾンもですか?
石原:フロイドやクリムゾンも70年代の人にとってはルーツなんだと思います。僕の場合は聴いてきたものが多岐に渡りすぎていたので。70年代にプログレを聴いていた人はいまだにみんなプログレですよ。ハード・ロックを聴いていた人はいまだにハード・ロックです。アメリカン・ロックもそう。でも僕はブリティッシュ・ロックもアメリカン・ロックも、シュガー・ベイブも、ちょっとおかしいチョイスの仕方で聴いていました。アモン・デュールとシュガー・ベイブは普通は一緒には聴かれないですよね(笑)。
■ははは(笑)。レコメン系とかはどうですか?
石原:それはちょっと後なんですよ。高校、大学のときですかね。思想的な匂いが強かったので、レコメン系のクリス・カトラー、ヘンリー・カウやアートベアーズはそんなに好きじゃなかったんですよ。もっとダメなものが好きでしたね。
■それはどうしてですか?
石原:そういう属性だから、としか言いようがないですね。何回も考えたことはあるんですけど、やはり明確な答えはでない。
■作品には、元ゆらゆら帝国の亀川千代さんをはじめ、石橋英子さんのバンドでも一緒に演奏されている坂口光央さん、あだち麗三郎さんなど、腕利きの人たちが参加されていますね。
見汐:メンツは自分が一緒にやりたいひとでなおかつ、プレイヤーとして本当に好きな人に声をかけてお願いしました。あだち君や坂口君はマナーズを始める以前に別のバンドなどで一緒にやっていたりもするんですが、録音に参加して頂くメンバーについてはすごく考えました。やってくれるかもわからなかったので、お願いするときはとても緊張していたんですけど、みなさん快く引き受けてくれました。
■作曲は見汐さんが全部担当されているんですか?
見汐:4曲目以外はそうですね。最初にデモを作って、石原さんに投げて、話し合いながら作っていく作業でした。
■今回はミニ・アルバムというか。4曲入りですもんね。
石原:本当はアルバムを作ろうと思ったんですけど、単純に曲が足りなかったんですよ(笑)。
■この間ライヴをやられていたじゃないですか(笑)。
見汐:あれは録音後に作りました(笑)。
■さっきから、シティ・ポップスという言葉を使っているのは、読者に誤解を生むかなと恐いと言えば恐いのですが、実際、「街」は、見汐さんの歌のなかで主題になっていますよね?
見汐:なっていますね。曲が先にあって作詞をするときに、いままで作っていた方法では書けないなと思いまして。どうしようかといろいろ考えて、テーマをひとつ決めるというのはいつもだいたいそうなんですが、そのテーマをどう広げていくか、言葉を書き出す前に頭のなかでごにゃごにゃと想像して、具体的に頭に浮かんでくる画像を待つという時間に比重を置いて、それがはっきり映像になった時点でそれを言葉にしていくというふうにして書きました。自分はいろいろな場所を点々としていて、8年前から東京に住んでいるんですけど、同じ場所に留まって暮らしている自分が考えていることが、年々自分から離脱していく感覚があるんですけど、そうう感覚を抽象的になりすぎないように具体的になりすぎないように含んで書けたらいいなと思っていました。まだまだできてないですけど……。
■「街」という主題はずっとやりたかったんですか?
見汐:ずっとやりたかったですし、埋火をやっているときからも一貫したテーマでした。「場所」というか、「街」というか。今回はそこに「都市」というものも含まれてます。
■石原さんもサウンドと歌詞の関連性を考えられてアレンジしたんですか?
石原:歌詞が先にあったわけではないので、とりあえず都会的な感覚のものを作りたかった。それで「シティ」なわけだけど「ポップ」かどうかはわからない。
■いい意味でポップだと思いますよ。
石原:さっき言った洗練されたものというか、アーバンな感じっていうのは、自分のなかでは一貫してコンセプチュアルなものとして今回はありました。だから、歌詞と呼応してそうなったわけではなく、サウンドがそういうふうになったのは必然というか。
[[SplitPage]]いつでも音楽から逃げられるようにはしてあります。どこにも属したくないってつねに言っているけど、居場所はここではないよな、って思いながら何十年も経っていますから。つまり、ここからいつでも逃げられる状態でなければ音楽をやっていられないんです。──石原洋
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■ジャズの要素はゆらゆら帝国やオウガにはないものだと思うんですが、そこは意識されましたか?
石原:ドラムのあだちくんはサックスができるから、ソロではなくて、ブラスっぽくして欲しいなと。それはたとえばニュークリアス(※UKのジャズ・ロック・バンド)とかは頭の中にあったかもね。
■アーバンと言っても、いまのアーバンに浮かれた感じはないですからね。街の空気感も昔とは別モノですからね。
石原:早い話が落ちていってる感じがします。それは日々感じることで、おそらく多くの人も感じているでしょう。だから、ポップだけれどチャラくないのはそれが滲み出ているからかもしれない。そういう意味では時代性はあると思います。
見汐:石原さんと話すなかで、いま話していたチャラくないということが、最初どういうニュアンスなのか漠然としかわからなかったんです。石原さんがオススメしてくれるレコードなんかを聴いているうちに、感覚的に石原さんの言わんとしていることが理解できるようになってくるというか。石原さんの知識や経験のなかからアウトプットされる考えやアイデアに疑問を持たずすんなりうなずける事が増えるというか。私が言わんとしていることも一瞬で汲み取ってもらえますし。
■見汐さんにとって表現のモチヴェーションになっているものはなんですか?
見汐:出来上がったものを聴いたときに、それが自分で作ったものだとは思えない、他人の作品と思えるものになるといいな、ということですかね。
■言葉を綴る上でのモチヴェーションは?
見汐:「言わないなかでどれだけ言えるか」を考えていたことですかね。レコーディング中に石原さんに「もうちょっとサウンドを信じなさい」って言われたのが印象的でした。たぶん、自分は言葉に頼りすぎてマスを埋めてしまうというか……。そこは音で歌っているのに、そこに言葉を乗せる必要はあるのかとか。言葉を削るっていう作業が今回は難しかったです。
もともと自分は小中学生のときから叔父の影響でURC、ベルウッド関連が好きで。ヨーロッパ、アメリカのSSWものとか好んでよく聴いていましたし。埋火のときはまず歌(言葉)があってという考えで作っていて。それがいままでとは違うやり方だったので、言葉の削り方、言い過ぎないよにするなど、考えて作りました。
■アホな質問ですが、見汐さんは何で音楽をやっているんですか?
見汐:他にやることがないからです(笑)。
■他にやることがあったら、音楽じゃなくてもよかったんですか?
見汐:どうだろう……よかったと思いますね。歌うことや(歌詞を)書くことに関してその行為事体が「音楽」だという意識が希薄なところがあって。楽器を弾く、曲を作るというのは自分にとって「音楽」なんですけど。他に切実に取り組めるものがあればそれをやっていたと思います。ただ「唄う」だけなら、歌はどこでもいつでも歌えますし。書くこともしかりで。
■石原さんを見ていると音楽以外はありえないって感じがするんです。
石原:いつでも音楽から逃げられるようにはしてあります。どこにも属したくないってつねに言っているけど、居場所はここではないよな、って思いながら何十年も経っていますから。つまり、ここからいつでも逃げられる状態でなければ音楽をやっていられないんです。みんな自分探しとか、ここは自分がいるべき場所だとか言うじゃないですか? でも、そんなもの最初からどこにも無いのはわかっているんです。だからひとつの場所にたどり着いたとしても、「俺はここに属していないぞ」という意識がつねにある。そうじゃないと成り立たない。
■そうした漂泊感はマナーズからは感じられます。
石原:言葉を信用しないわけではないですが、言葉に感化される自分が許せない部分はあります。
■ははは(笑)。それは一般的にそうですよね。ですが、サウンドも人を感化させる力があります。
石原:でもサウンドはもっと感覚的で抽象度が高いですよ。
■抽象度が高いからタチが悪いんです。言葉みたいにロジックは要らないから信じやすいし、コマーシャルな音楽はそこに突っ込むわけで。
石原:でも、「これいいでしょ?」っていうのと、「◯◯さんがXXって言っている」って言葉で引用するのでは意味が違いますよ。
■僕は、音だから優位であるとは思いたくないんです。
石原:優位だとは思っていないですよ。ただ、どうしても言葉がインチキに思えることがあるんです。
■音だってインチキなやつが多いじゃないですか(笑)。
石原:そりゃそうだ(笑)。騙すんならもっとうまくやれよって感じだよね。
■ちなみにマナーズはどうしてマナーズという名前なんですか?
見汐:マナーズという言葉自体が持ってる意味はありますが、この名前にした意味はないです。意味があるものがあまり好きじゃないということもあるんです。ただ単に「マナーズっていいな。これにしよ!」って感じで決めました。名前を決めなきゃいけなくて迷っていたときに呼んでいた本にかいてあったような気がします。
石原:野田さんがやっているele-kingが扱っている音楽のなかで、マナ—ズはどういう位置にありますか?
■ele-king的に言えば、ゆらゆら帝国、オウガの次に石原洋が何をやっているかということがデカいですよ。で、さっきから言ってるように、石原さんがポップスを試みているって感じです。
石原:それもわかるんですけど、でもポップスだったら僕がやらなくてもいいわけで。知識や技術があればやれることではなくて、自分のなかにはもう少し切実なものがあるんですよね。それはポップスの職人的なひとや、敏腕のアレンジャーや、深い知識を作品に流用できるひともいるわけですが、僕はそういうタイプじゃない。
■最近の日本のポップスは消費者を飽きさせないためにコード展開がコロコロ変わるんですね。そういう意味でのポップスとは真逆ですよね。かといって、成熟した大人の音っていうことでもないんでしょうね。
石原:今回の作品を聴いて、「昔はこういう音あったよね」という受け取り方だけではなく若い世代にも響くんではなかろうかという自負があったんですよ。いわゆる、オヤジのロックに接近したくないんです。渋みとか言い出したら終わりだと思っていますから(笑)。パンクからもはや何十年も経っているじゃないですか。当時、パンクやノイズ、ノイズっていう言い方は好きじゃないですけど、そういうサウンドに興奮していたヤツらが、いま言った渋さのほうへいってしまうのを僕は見てきたから。「なんだよ、パンクが好きだったのは気の迷いだったのかよ」ってなるわけですよ(笑)。ただ、いまパンクをやるというのとはまったく意味が違いますけど。
■石原さんは、洒落まくっている感じがあるからなー(笑)。
石原:僕は貧乏臭い、というかショボくれて同情を引こうとするような音楽が嫌いなんですよ。
[[SplitPage]]マナーズという言葉自体が持ってる意味はありますが、この名前にした意味はないです。意味があるものがあまり好きじゃないということもあるんです。ただ単に「マナーズっていいな。これにしよ!」って感じで決めました。──見汐麻衣
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■ちなみにマナーズには今後どのような予定が組まれているんですか?
見汐:曲を作ります。ライヴをやる必要性は感じるんですけど、それと自分がライヴをやりたいと思うことは違うので。リリース・ツアーなど以外ならライヴは最低でも年に6回くらいできればいいかなと……。いや、でもわかりません。たくさんやるかもです。
■石原さんは、プロデューサーとしてつねに自分自信に高いハードルを課しているんですね。
石原:自分がやっちゃいけないこと、やってみてこれはやるべきじゃないこととか、そういうことはありますよね。それは音のチョイスもそうだけど、自分のなかにサウンドの扱いに対する基本理念みたいなものがあるんです。それに従ってやらないことはありますね。アレンジがある程度進んでいても途中でやめたりもします。いろんなことをやっているけど、それがあるから自分の色が出ているんだと思います。
■(※以下、余談です)自分をストイックだと思いますか?
石原:そんなことないですよ。
見汐:ストイックだと思います。
石原:ストイックという言葉はちょっと違うと思うな。
■完璧主義者?
石原:終ったあとに、こうすりゃよかったって思いますね。
見汐:私はこの1、2年で話をするようになったので、先生みたいなところはありますけどね。
■そう言われるのは嬉しくはないでしょう(笑)。
石原:でも、そう言われることも多いんですよ。年齢も上なほうなので。でも出来れば対等でいたいですよね。
見汐:ここ2年の間に、いままで聴いてきた石原さんが関係した作品もですし、いままで聴いていたレコードもそうなんですけど聴いていると聴き方が変わってくるんですよ。アレンジだったり、緩急の付け方だったり。いままで自分が意識して聴かなかったところに注目するようになってきてて、知らず知らずに影響を受けているんだなと思います。やっぱり先生みたいな感じですね。
■石原さんは、レコードを全部で何枚くらい持っているんですか?
石原:すごく少ないですよ。多分2,000枚くらい。でもこの先、一生聴かないなってやつは処分してしまいますね。
■尊敬できるプロデューサーは誰ですか?
石原:何かの作品をやっているときに、あの人だったこうするだろうな、とは考えます。だけど、プロデューサーにこだわって聴いたことはないんです。例えば、70年代にボブ・エズリンとか、ロイ・トーマス・ベイカーとか、現在プロデューサー としてあまり研究されたりかえりみられない人もいるわけですよ。ルー・リードの『ベルリン』みたいなドラマチックなものを作っちゃうボブ・エズリン、クイーンのセカンドやサードみたいに中域がみっちり入っていて、こみ入ってるけど理路整然と考え抜かれたアレンジをするロイ・トーマス・ベイカーとか。音のつまり方がすごいわけです。
■オーディオ・マニアでしたか?
石原:レコードを買うのに忙しくて、普通のステレオを使っていた気がします。僕の場合は、中学のときにドイツ・ロックを聴いたのがデカかったと思います。ほとんどのライナーノーツを間章を書いていました。日本コロンビアのヴァージンも間章が書いていましたから。クラウス・シュルツとかファウストとか。当時は何を言っているのかよくわからなかったですけど、やばいものに手を出したと思いましたね(笑)。シュルツの『タイムウィンド』を評するのに、どうして西脇順三郎の詩が引用されるんだろうって思いました(笑)。いまみたいに情報もないしね。例えば、ライナー・ノーツに出てくるウィンドウペインとかカリフォルニア・サンシャインの意味を解するのに何年要したことか……(笑)。
■あははは、そこは僕も同じです(笑)。カンの『タゴ・マゴ』の日本盤はどこでしたっけ?
石原:東芝ですね。『タゴ・マゴ』と『エーゲ・バミヤージ』が東芝。東芝はタンジェリン・ドリームやアモン・デュールも出してましたね。
■リアル・タイムで買ってましたか?
石原:結構買いましたね。イギリスのプログレに飽きた友だちも買っていました。ファウストの『IV』の邦題が『廃墟と青空』ですからね。
■すごいっすね(笑)。
石原:バタイユですからね(笑)。間章の入れ知恵でしょう。
■実際のファウストには、もっと諧謔というか、ギャグも入っていましたよね。
石原:でも、間章的にはバタイユだったんでしょう(笑)。
■アモン・デュールを中学のときに聴いてどうでしたか?
石原:よくわからなかったです。でも、わかんないから何回も聴くじゃないですか。最初に聴いたのは『野ネズミの踊り』の2枚組で、『ロック共同体』って邦題でした。
■『Yeti』の邦題が『地獄』でしたっけ?
石原:『地獄』です。14、5歳とかだったから怖かったですね。
■UKのプログレは聴かなかったんですか?
石原:ピンク・フロイドとかクリムゾンとか聴いていましたよ。ただ、友だちにひとり、クリムゾンでは満足できないという早熟なヤツがいて、もっとすごいものはないかと探したときに「俺はこれからドイツの音楽を聴く」と言ってね。僕はそいつに感化されて、レコード屋でアモン・デュールを見つけました。当時は、ドイツ・ロックと言えばノイとかよりもアモン・デュールのイメージが強かったんです。アモン・デュールは何故か今野雄二がライナーを書いていたし。間章はその頃はまだジャズにいたんじゃないかな。
■マグマとかそっちのほうはいかなかったんですか?
石原:マグマは日本盤が1枚しか出てなかった。『呪われし地球人たちへ』っていうタイトルだったんだけど(笑)。それは立川直樹がライナーでしたね。
■ジャズを聴くのは、そのあとですか?
石原:フリー・ジャズは70年代末から80年代半ばまでよく聴いていました。デレク・ベイリーとかエリック・ドルフィー、ミルフォード・グレイブスとか。ありがちですけど。
■この話をはじめると終わりそうにないので、ぜひ、近々続きをお願いします。今日はどうもありがとうございました。





そろそろ本格的に秋の空気になってきましたね。 







