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Amen Dunes - ele-king

 声以上に発声、ソングライティング以上に歌唱の揺らぎでデイモン・マクマホンは聴き手を魅了してきた。歌が彼の喉を通過するとき、それは微妙に曲がり、ひしゃげ、不定形なものへと姿を変えて現れる。僕にはそれが世間の定型にはまらない(はまれない)人間から生まれるもの、あるいはそういう類の人間のためのものに聞こえたし、その音楽は「アヴァン・ポップ」、「サイケデリック・フォーク」といった形容からも居心地悪そうにはみ出すように感じられらた。彼のプロジェクトであるエーメン・デューンズは〈セイクリッド・ボーンズ〉からリリースした『Love』(2014)と『Freedom』(2018)でクラシック・ロックのソングライティングに接近したとして批評的な成功をおさめたが、それもまた、マクマホンの世間ずれしたイメージに依拠したものではなかったか。なにしろ「愛」と「自由」である。彼のカウンター・カルチャーの時代への憧憬は、荒んだ現代におけるレイドバックした逃避として聴く者を癒していたかもしれない。僕だって、『Freedom』に収録されたヒプノティックなフォーク・ロック・チューン “Believe” を何度も何度も聴きながら、立ちあがる酩酊に身体と精神を預けていたのだった。

 スリーフォード・モッズとコラボレーションしたニヒリスティックなシングル “Feel Nothing” (2021)を挟み、〈Sub Pop〉からのリリースとなった6作め『Death Jokes』(邦題『死をネタに』)は、ここ2作で深めた内省の先でより曖昧な領域に踏みこんでいる。まず変わったのはサウンドだ。生音主体のフォーク・ロック色が強かった前作とは異なり、乾いた音のドラムマシンの上でサンプリングとストリングスやシンセの断片が入り乱れるサウンド・コラージュの趣が強くなっている。アルバム前半、“What I Want” などを聴くとマクマホンらしい脱力しつつもメランコリックに光るメロディを感じられるのだが、たとえば “Rugby Child” は打ちこみのビートのズレが平衡感覚を失わせ、そちらのほうに気を取られる。サイケデリック……と言っていいのかもしれないが、そこでは激しさとゆるさがぶつかり合って撹拌されている。リード・ナンバー “Purple Land” のフワフワしたサイケ・ポップは2000年代なかば辺りのアニマル・コレクティヴを連想させるかもしれない。いずれにせよ締まりのない音楽で、つねにルーズな感覚を持った彼の声……いや発声もあり、エレクトロニックな要素を高めて過去作以上に浮遊感に包まれた一枚になっている。
 この淡いトリップとともに現代社会のカオスが現れては消えていく。“Rugby Child” はロックダウンを背景とした孤立のなかのオーヴァードーズをモチーフにしているというし、叙情的なギターが聞こえる “Boys” は暴力が連鎖する様を描写しているように思える(「子どもたちが殺しにやって来る/なぜならあなたがしたことはすべて、あなたがされたことだから」)。ウディ・アレンとレニー・ブルースの死にまつわるジョークがサンプリングされているように、このアルバムはどこか死そのものを夢想するようなところがある。現実社会を厭い、この世ではない場所を思うことで発生する酔いなのだ。
 しかしながら、本作でもっとも弾き語りフォーク色が強い “Mary Anne” はマクマホンが幼いときに女性から受けた性的虐待をテーマとし、同じような経験を持つ者たちで精神的なつながりを生み出しうることを歌っている。マクマホンは過去に「女性とコレボレーションはできない」と発言したことが切り抜かれて批判され、その背景に虐待のトラウマがあったことを説明せざるをえない状況に陥ったのだが、歌のなかではそうしたソーシャル・メディア上での騒ぎと異なる次元での内省が親密に共有される。そして、9分にわたって正気を失っていくような “Round the World” では自分の内側で起こっている混乱と世界の混沌が混ざり合った状態で示され、ふと子どもに向けて「世界はだいじょうぶだ」とつぶやくのである。それはもう理性的な言葉とは言えないかもしれないが、破滅的な世界を見つめてなお何かしらの希望を持つためのトリップがそこには存在する。
 正気を保って生活を送ることすら困難な毎日だ。恐ろしいことがありとあらゆる場所で起き、その情報の断片が次々に入ってくる。自身の内面の混乱そのものに耽溺するという意味でエーメン・デューンズは間違いなく逃避的な音楽だが、逆説的にその時間は世界で起きていることと向き合い、どうにか日々の暮らしをやり過ごすための力を蓄えさせてくれる。

Amen Dunes - ele-king

 60年代後半のサイケ・ロックの名盤がアニマル・コレクティヴ『サング・トンズ』を通過して蘇ったような……と書けば、褒めすぎなのはわかっている。だが、〈セイクリッド・ボーンズ〉最後の秘宝といった佇まいだったエイメン・デューンズが、この通算5作めでこれまでにない注目と称賛を集めているのは紛れもない事実だ。はっきりとブレイクスルー作である。21世紀、サイケはインディの内側でインになったりアウトになったりを繰り返してきたが、このニューヨークのサイケデリック・フォーク・バンドはシド・バレットなどを引き合いに出されながら、どこか悠然と、のらりくらりと自分たちの酩酊を鳴らし続け、ますます逃避が難しく感じられるこの時代にこそインディのフロントラインに立った。僕は今年、このアルバムをもっとも多く聴いている。

 00年代のアニマル・コレクティヴのようなゆるいパーカッションの打音とヨレた歌があるが、ただし、『サング・トンズ』~『フィールズ』ほど音響化しているわけではない。よく聴けば奥のほうでノイズや細かな音の処理がされており、モダンな空間設計はあると言えばそうだが、本作を魅力的にしているのはクラシック・ロックの伝統の血筋を引いたソングライティングのたしかさである。これまでも光るものが確実にあったが、TVオン・ザ・レディオ、ビーチ・ハウス、ギャング・ギャング・ダンスなどの仕事で知られるプロデューサー、クリス・コーディの手腕が大きいのだろう、過去のローファイ作よりメリハリの効いた音づくりでメロディが立っている。ギターのアルペジオの柔らかく余韻たっぷりの響きもじつにいい。気持ちよく酔わせてくれる。アルバム冒頭の“Intro”を経て、実質的なオープニング・トラック“Blue Rose”で軽やかにコンガが聴こえてくれば、そこはすでに楽園である。ゆっくりと広がるユーフォリア。エイメン・デューンズは実質デイモン・マクマホンのプロジェクトだが、彼の歌と演奏は力が抜けつつもたしかに人間の体温を感じさせる。
 もうひとつ、『フリーダム』を特徴づけているのは反復だろう。時間が引き伸ばされるようにギターのアルペジオのリフとドラミングが繰り返されるが、それはクラウトロックのマシーナリーさではなく、あくまでオーガニックなものとしてある。シンプルなコード進行の循環と懸命な歌で聴かせる“Time”、ゆるい躁状態にあるようなラリったダンス・フィールが感じられる本作中もっとも軽快な“Calling Paul the Suffering”、存外に厚みのあるギター・サウンドを持った“Dracula”、よりモダンなアンビエントの音響が聴けるクロージング“L.A.”、どれも捨てがたいが、ベスト・トラックには眩いフォーク・ソング“Believe”を推したい。スロウなテンポでメロウなメロディを大事そうになぞる歌。上がりきらずに、しかし静かな盛り上がりを演出する抑揚の効いたリズム。ラスト1分におけるギターの情緒たっぷりの反復がいつまでも続けばいいのにと思う。

 その“Believe”は、マクマホンの母親が末期癌を患った経験から影響を受けてできた歌だそうだ。「あなたのためにしよう/ぼくは落ちこんでなんかない」。これはとてもパーソナルな心の動きがもとになった作品で、彼の震える声はそのまま彼の内面の機微である。前作の『ラヴ』に引き続いての『フリーダム』……と、この期に及んで愛に続いて自由とは、どれだけレイドバックしているんだと思うが、それは愛の夏とは違うもっと小さなものだ。アンノウン・モータル・オーケストラやフォキシジェンなどのいまどきのサイケ・ロック勢にはユーモアや皮肉を交えた知性が感じられるが、エイメン・デューンズはもっと率直に内省的だ。彼が歌う「フリーダム」ははっきりとした言葉にすらならない。「ナナナ、ナナナ、イー、イー、ナナナ、ナナナ、自由を手に、自由を」……。
 足元がフラつくフォーク・ソング“Miki Dora”で歌っているのは、5~60年代のカリフォルニアにおける伝説的なサーファーであるミキ・ドーラのことだという。ファッション・リーダーでカリスマ的な魅力を備えた彼は有名な波乗りとなったが、詐欺でのちに収監されている。アウトローのアイコンなのだという。マクマホンがニューヨークにいながら、なぜ西海岸の夏の海を憧憬せずにいられないのかはわからない。が、彼はここで欠点を持った人間のことを思い出しているのではないだろうか。この、ポップ・ミュージックに立派なステートメントがごった返す時代に。そして歌う……「波は行ってしまった」。ミキ・ドーラは、そして、刑務所のなかにいてもなお「終わらない夏」の象徴なのだと言うひともいたという。『フリーダム』のサイケデリック・フォークの温かさは、行ってしまった「愛の夏」ないしは「終わらない夏」の残響なのだろうか。それでもここに溢れ返る揺らぎと震えは、人間の欠点や弱さをも飲みこんでわたしたちを陶然とさせる。

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