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interview with Kan Mikami

interview with Kan Mikami

もうひとりの、“日本のパンク”のゴッドファーザー

――三上寛、超ロング・インタヴュー

野田 努    撮影:小原泰広  thanks to Hitoshi Nanbu   Mar 09,2012 UP

日本中から集まった百姓のせがれたちの感覚じゃあ、無理だったんじゃないでしょうかねえ。世界の動きっていうのは、インテリ指導と言いますかね、そこそこ毒を持ってた連中ですよね、そういう連中が起こしたムーヴメントに、やっぱり格好だけじゃついていけなかったっていう。

なるほど。で、そこにその「怨み」という字を乗せられてるわけですけども、作者自身として自分の音楽を形容するのに当たっていると思いますか?

三上:これは自分でつけてないですよ。自分から言うとね、これは「怨歌」どころじゃないね。つまり怨みどころじゃないですよ。

ははははは。

三上:それは誰かが言ったんですね。誰も彼もが演じてるんじゃない、怨み歌であるであるっていう。もしかしたら深沢七郎さんかもしれないですね。深沢さんがね、わたしが初めて本出したときに、帯にこう書いてくれたんだよ。「この三上の歌は、怨みの歌である。これはいままでの文学にはない世界だ」と。おそらくそこで初めて三上は怨みだってそういうことになったんだと思いますよ。

深沢七郎さんと三上さん、土着的な文化を使って権力に抗するというか、すごく共通してると思います。

三上:そうです。わたしの心の師ですよ。

とくに1990年以降の三上さんの作品に感じるんですけど、やはりそのブルースやジャズなんかに混じって、仏教の声明であるとかね、浄瑠璃みたいなものとか――声明が日本の音楽のはじまりだって説がよくありますけれども、ああいうものとのブレンドっていうものを感じるんですけど、それは意識されてるんですか?

三上:それはもちろん。わたしはブッディストというか仏教を信じてる立場としてもそうなんですけれども、ただ、声明やあの辺との自分との接点っていうのはまずないですね。もしあるとするならば、万葉集とかのほうが、勉強はしてないけれどもあるかもしれないですね。要するにあれ全部歌ですから。あれは字ではないですから、みんな声に出して歌っている。そういう意味で、ヴォーカルってヴォイスっていうことであれば、万葉のひとたちの作品とは通じているけれども、仏教のああいうものっていうのは全然あの......まあ声仏事をなすって言葉があるぐらいで、声も生き物であるってことから来てるんでしょうけれども、あまり詳しいことはわからないにしろ、形作られるところではね、わたしはむしろそっちに歌を感じる。音楽的に聞くと。

でも演歌の節回しは声明から来てるってよく言われるじゃないですか。

三上:そうですかねえ。それはまあ、そうだと思いますよ。要するに仏教で言うね、妙音菩薩っていうのはどもりっていう意味ですからね。要するに汚い声っていうのが仏になるわけですから。仏教ってみんなそうじゃないですか。泥のなかに咲く花があるとか。美は乱調にあるとか。要するにダメなものがいいっていうのが仏教でしょう。西洋音楽の教会音楽みたいに、「あー」ってまっすぐ行かないんですよ。必ず「あーあーあーあー」ってどもらなきゃダメなんですよ。

なるほどなるほど。

三上:汚い声じゃないとダメなわけですよ。十分そこでロックじゃないですか。わたしは釈迦なんてのは一世一代のロック・スターだと思ってます。あれは不良ですから。

空海はヒッピーですか(笑)。

三上:空海だとあの辺だと多少エリートの匂いがしますけどね。まあわたしは創価学会でも何でもないですけど、わたしは日蓮が好きでしてね、あのひとだってまさにエタの子ですからね。だからいちばん下のひとですよ。そこでしびれるわけですよね。

なるほど。いま仏教の話が出ましたけれども、90年代以降の三上さんは、やはり独特のスタイルを作られたと思うんですけれども、何をヒントに、どのようにあれは生まれたものなんですか?

三上:あれはね、結局ね、80年代、三陸のライヴ盤っていうのはやりましたけどね、80年代にほとんど曲もできてなかったんですよね。実際新曲がないわけで。ところが何かの拍子でね、80年代後半からいわゆるオタクというものがわたしの前にも現れるわけです。レコードおたくというか、コレクターと言いますかね。
 70年代というのは同じような世代のやつらと同じような空気を吸って、作ったやつを聞かせてっていう、まあ丸ごとそれでいってたんですよ。ところが10年から20年近く経って、まったくわたしの知らない少年が、いちどに全部にわたしのことを知るわけですね、音楽で。わたしが研究されてるんですよ。癖とかをね。「あ、これはもうバレてるな」っていう感じでしたね。いままでのわたしの曲の作り方が。「こう来るか、じゃあもう1回わからなくしてやろう」っていうのがありましたね。

ほおー。じゃあまあそれが最初にあったんですね。

三上:それが最初。いままでのように物語性もないし、キーワードもすごく個人的なものになるし、それはもう賭けでしたよ。「絶対あるはずだ」っていう。さっきの市民意識じゃないけれども、「ひとりをどこまで深めるか」ですよ。音楽を聴くリスナーと、一対一ですよ、ですからね。わたしが90年代でやったことは。たったひとりのため、あるいはたったひとりの歌い手でいるため。もちろん客は何人かいるとしても。90年代はそれでずっとやってきましたね。一対一でどこまで音楽が力があるのかという。どの領域まで詰め込んでいけるのかというね。音と言葉で。
 いま一対一って言ったけれども、それも前フリがちょっとあってね。それはね、ちょうど90年代に入る前ぐらいにね〈曼陀羅II〉でライヴをずっとやってましてね、そのときに親子で来た客がいたんですよ。つまり70年を生きてきたお父さんと、17歳の子がお父さんの書斎からたまたま俺を発見して「このひと聴きに行ってみたい」っていう。親子で来たことがあるんですよ。そのときにね、「俺はどっちを向いて歌えばいいのか」っていうような感覚だったんですよ。だからつまり、「70年代の空気を吸ったやつらの多少の思い出の苦味を含めて歌うべきなのか?」、まあ言い方でいうならばね、「それともいま俺が感じてることを17に向かって歌うべきなのか?」という、迷ったんです。で、そういうことが何回か続いて、俺は誰に向かって歌うかっていうことに迷っちゃったのね。つまり、70年代は70年代で良くて、そのままテレビやったりいろんなことして、ちょっと変えていこうかなと思っていた矢先にそれでしょ。それでね、結局考えて、「あっ血だな」と思ったんだよね。この親と子どもと同じものに訴えかければいい。それは血というものだなと。
 それは80年代に意識としてありましたね。だから三陸なんかに行ったのも多少ありましたし。それで90年代以降のアルバムっていうのは全部北海道で作ってるんですよ。アイヌ民族のわたしの友人と。自分の血のルーツ、行き着くところはどうしたってアイヌですよね。
 アイヌっていうのも元々はヨーロッパのひとたちなんだけれどもね、調べると。だけどそのなかに、早い話「俺の血」があるんですよ。親がいて、じいちゃんがいて、そのじいちゃんがみんな漁師だったと。みんな北海道にいた。で、みんなアイヌと暮らして、ばあちゃんがハーフと結婚して。だから俺も何十分の一か入ってるわけですよね。そういうものを探していって、あのとき見た津波の不思議な景色であるとかも、そういう能力なのかもしれないし。そういう予知するような能力。っていうものかもしれないし。それは北海道に行って、70年代に作ったものっていうのを再認識というか、はっきりわかったんです。だからいまは意外とそういう迷いはないですね、自分の居場所として。

じゃ特別なトレーニングとか研究とか、そういうことじゃなしに――。

三上:なしですなしです。

いまのスタイル、あのギターのフレーズから――。

三上:フレーズから、言葉の選び方とか。だからそれは全部ステージの上で作ったんです。いちども練習はしなかった、わざと。もうとにかく、そのときわかるものを身体に覚えさせなきゃいけないっていう。だからお客さんに喜んでもらったっていうのは救いだけれども、「何だこりゃ」でおきゃくさんが非常に離れた部分もあるんですよ、最初はね。
 だいたいアコースティックで曲を書いたでしょ。すると電気っていうものがどういうものかわからなくなっちゃって。だから「電気っていうのはわからないけれど」って歌ってるわけですからね。ちょっと待って直すからっていう。だからそういうことにお客さんも付き合ってくれたのはすごいと思うんですよね(笑)。それは前の世代だと「何やってんだ三上、ひっこめ」で終わるんだけれども、若いリスナーって――。

三上さんは、まあ、CDやデジタルに対しても相当警戒心を抱かれたようなので(笑)。

三上:ありましたね(笑)。(音楽が)「信号なわけねえだろ」っていうね。

ははははは。

三上:だから「信号じゃねえだろ」と思いつつも、「狼煙かよ、じゃあ俺の十八番じゃねえか」っていうことになっちゃうんだな、デジタルっていうものにものに対して、0101ですからね、元々。こういうものはさ。

狼煙?

三上:狼煙でしょ。消えるか落とすかで昔は連絡取ってたんですから(笑)。いま狼煙ですよ、携帯も何もかも全部。そういう意味じゃかなり「わたし寄り」になってるというか(笑)。

なるほど(笑)。

三上:ということは十八番じゃない、原住民としては(笑)。

取材:野田 努(2012年3月09日)

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