「PAN」と一致するもの

Kumo No Muko - ele-king

 君はAlixkun(アリックスクン)を覚えているかい? 歴史に埋もれた掘り出し物をを求め、ほとんどの休日を関東圏のあらゆる中古レコード店めぐりに時間とお金を費やしている、日本在住のフランス人DJであり、正真正銘のディガーだ。Alixkunの最初の探索は、日本のハウス・ミュージックの発掘からはじまった。そしてその成果は、まったく美しいコンピレーション・アルバムへと結実した
 Alixkunの次なる冒険は、80年代の日本で録音されたアンビエント&シンセポップだった。綿雲のうえを歩くようなサウンドに彼は取り憑かれ、そしてレコードの狩人となって来る日も来る日も探求を続けた。そして出会った小久保隆、井上敬三、渡辺香津美、坂本龍一、井野信義、宮下富実夫、小山茉美、鈴木良雄、Dip in the Pool……彼は舐め尽くすようにレコードの1曲1曲を聴き続け、吟味して、それがいよいよコンピレーション・アルバムとなって発売される……
 タイトルは『雲の向こう A Journey Into 80's Japan's Ambient Synth-Pop Sound』。発売は6月27日だが、HMVのホームページにて予約を開始した。アートワークも最高だし、内容も素晴らしい。ぜひチェックして欲しい。

■V.A.『雲の向こう A Journey Into 80's Japan's Ambient Synth-Pop Sound』
CAT NO.:HRLP108/9
FORMAT:2枚組LP
発売日:2018年6月27日(水)発売

[収録曲]
A1. Underwater Dreaming / Takashi Kokubo
(Music by Takashi Kokubo)

A2. Kitsu Tsuki / Keizo Inoue
(Music by Kazumi Watanabe)

A3. Window / Nobuyoshi Ino
(Music by Kazumi Watanabe)

B1. A Touch of Temptation / Masaaki Ohmura
(Music by Masaaki Ohmura)

B2. Kuroi dress no onna -Ritual- (English Version) / dip in the pool
(Music by Masahide Sakuma / Words by Miyako Koda)

B3. Silver Snow Shining / Shigeru Suzuki
(Music by Shigeru Suzuki)

C1. Obsession / Chika Asamoto
(Music by Kazuo Ohtani)

C2. Love Song / Mami Koyama
(Music by Masanori Sasaji / Words Yuho Iwasato)

C3. In The Beginning / Fumio Miyashita
(Music by Fumio Miyashita)

D1. The Mirage / Yoshio Suzuki
(Music by Yoshio Suzuki)

D2. Watashino Basu / Yumi Murata
(Music by Akiko Yano)

D3. Itohoni / Chakra
(Music by Bun Itakura / Words by Bun Itakura / Mishio Ogawa)

interview with CVN - ele-king


CVN
X in the Car

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 インターネットはある意味最悪だが、しかしいまだに可能性が残されていることは疑いようがない。こと20世紀末にインディーズと呼ばれていた音楽シーンのその後にとって、21世紀にそれをどのようにうまく使っていくのかは鍵となっている。ツイッターによる自己宣伝の話ではない。それはたとえばネット上に場を作り、オルタナティヴなメディアとして機能させながら交流を促していくこと。そのなかで音楽それ自身も変化していくこと。
 佐久間信行は、ダークウェイヴ風のバンド、ジェシー・ルインズとして活動していた5年前は、アナログ盤への偏愛も見せながら、クラブでのDJ イベントとも関わり、ひとつの現場感を作っていた。それは東京において小さなシーンではあったがローカリティと呼べるものではなく、また、いっさいの政治性と関わらない。そしていつかメジャーの目に止まることを期待しながらライヴハウスでがんばるインディーズとは別の次元の可能性を模索していたとも言える。
 佐久間信行はソロになってCVNを名乗り、完璧にエレクトロニックな音楽を志向する。そして国内外のレーベルから精力的なリリース(カセットテープ、データ、アナログ盤など)を続ける傍ら、ネット上に〈Grey Matter Archives〉(https://greymatterarchives.club/)を立ち上げて、国内外のアーティストのミックステープをアップロードすることで、彼の世界へのアクセスをよりオープンな状態に更新させた。そこは、ヴェイパーウェイヴ的ないかがわしさ、ウィッチハウス的なホラー感、そして鄙びたグリッチ・テクノやヒップホップが混在する異端者たちの広場となっている。なんのことかって? まずはCVNのアルバム『X in the Car』を聴いてみて。

これまでにはなかった影響のひとつとしてトラップはあると思います。

アルバム聴かせていただいて、サウンド面での佐久間君テイストというか、ジェシー・ルインズから一貫したものは感じるんだけど、方法論であるとか、活動形態みたいなものが、〈コズ・ミー・ペイン〉と一緒にやっていた頃と比べるとだいぶ様変わりしたなと思いました。なによりも、今回のサウンドを聴いて思ったのが、ヒップホップの影響が大きいなって。

CVN:そうですね、これまでにはなかった影響のひとつとしてトラップはあると思います。

CVN名義ではけっこう前からアルバムを出しているよね?

CVN:CVN名義は2015年からはじめました。

Discogsによると、最初が〈Orange Milk Records〉からのカセットと表記されているけどそうなの?

CVN:アルバムは2016年に〈Orange Milk〉から出しはじめて、2015年はEP単位では出していました。とくに2016年はアルバムをけっこう出したと思います。

1年のあいだに5枚くらい出しているもんね。

CVN:ポンポンポーンって感じで。

ジェシー・ルインズはバンドだったじゃない?

CVN:初期のライヴはバンドの形態でしたね。

生ドラムもいたし。でも、いまはもうエレクトロニック・ミュージックで、完全にソロ・プロジェクトということですよね。

CVN:そうですね。

コールド・ネームという名義でもやっていたじゃないですか。あれも佐久間君のソロ・プロジェクトでしょ?

CVN:ですね。もはや懐かしいです。フランスの〈Desire〉からLPリリースして、日本盤は〈Melting Bot〉から出しました。

コールド・ネームがありながら、敢えてCVNと名前を変えた理由は?

CVN:コールド・ネームはインダストリアルというか、そのときのテーマがはっきりしていたのですが、インダストリアルを主体にするのに飽きたっていうのもあって。もっと音が鳴ってない空間を作り込みたいのと、ビートの方法論も違うことが急にやりたくなって、もうイメージはっきりしてたんで、CVNの最初の曲も速攻できました。……すごい感覚的な話ですが、インダストリアルって僕のなかではちょっとザラっとしてゴワついてて砂を飲んでる感じで、それをCVNでは炭酸水飲みたいなって。微炭酸というか、少し気の抜けたやつ。

(笑)それがCVN?

CVN:ですね。グレーのものがクリアになるような。コールド・ネーム名義はジェシー・ルインズと並行して2年くらいやったんですが、やりきった感ありました。

話が前後して申し訳ないですが、ジェシー・ルインズはなんで終わってしまったの? てか、そもそも終わってしまったの?

CVN:完全に終わりました(笑)。

ジェシー・ルインズでやれることはやったと?

CVN:まぁそうなりますかね。コールド・ネームをやっていたときは、ジェシー・ルインズがメインで、ジェシー・ルインズでできないコアな偏った自分の実験をコールド・ネームでしていたという感じです。ある見方によってはジェシー・ルインズも十分偏ってるかもしれませんが。で、CVNも最初はそんな感じでしたが、途中からメインとサブが入れ替わってた。それでジェシー・ルインズは2016年に終了するわけです。

複数のメンバーでやることに対しての限界みたいなものはあったの?

CVN:それはあまりないですね。(メンバーだった)ヨッケやナーは気心知れている人たちだし。僕が曲を構築してそれぞれがライヴのために分解するという流れのように、作業が完全に分担されていたので。なので、活動する上でやりにくいとかはあまりなかったです。

でもなんで終わってしまったの?

CVN:引っ越しとかあったし……(笑)。

距離的に離れてしまったと。

CVN:いろいろ重なった感じではありますけどね。CVNはじめてから音もそっちに引っ張られていたので、ふたつのプロジェクトの音を自然に分けれなくなってきて。

CVNのほうが面白くなっちゃったと。

CVN:CVNの脳になってしまったので、その状態でジェシー・ルインズを消化することがかなり難しかしくなったていうのはあります。

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基本はベスト盤みたいな感じです。ベスト盤っていいなって。自分で通称グレイテスト・ヒッツって言ってます。ヒットしてないけど。

なるほどね。CVNのもうそうだけど、佐久間君が主催しているサイト、〈Grey Matter Archives〉もすごく面白いなと思いました。ネット上にこういうヴァーチュアルな広場を作っていろんな人たちと交流しながら音源を発表するっていうことは、CVNのある意味流動的な作品性ともリンクしていると思ったんですよね。それこそジェシー・ルインズ時代は〈コズ・ミー・ペイン〉というアナログ盤にこだわったレーベルが身近にあって、定期的なクラブ・イヴェントもやっていたわけで。

CVN:CVNはけっこう海外からリリースしているんですが、そのおかげで海外のミュージシャンとの繋がりが増えて。リリースするレーベルもいろいろなところからリリースしているんで、それぞれのレーベルの周りのアーティストとか、国とか、シーンとの繋がりができたんですよね。インターネット越しなので直接会ったことはないんですけど。顔は見せていないけど顔見知り的な人が増えて。

そういうことは、ジェシー・ルインズ時代にはなかったこと?

CVN:ジェシー・ルインズでも〈キャプチャード・トラックス〉周辺は多少はありましたが、CVNほど広がりはあまりなかったです。

エレクトロニック・ミュージックは、やっぱインディ・ロックの世界よりも、ひとつの文化形態としては、開かれている感じがあると思いますか?

CVN:速度が違うかもしれません。横の繋がりがスムーズに感じます。

ちなみに、どこのレーベルから出したときに、とくにそういうことが起きましたか?

CVN:〈Orange Milk〉と、イギリスの〈Where To Now?〉で出したときには、まずそこから出しているレーベルメイトからけっこうリアクションがありました。

〈Orange Milk〉って、食品まつりとかフルトノ君とか、DJWWWWとか、日本人アーティストを出しているけど、日本人に積極的なレーベルなの?

CVN:そうだと思います。オーナーがKeith Rankin(Giant Claw)とSeth Grahamというそれぞれミュージシャンなんですが、Sethは以前に日本に住んでいたんですよ。僕は彼とメールするとき英語ですが、実際会ったことある食品さんからは日本語が話せると聞いてます。なので日本の文化に疎くないというか。

しかし、それらのレーベルから出すことで、違う広がりが持てたと。それは佐久間君の長い活動のなかで、可能性を感じた部分?

CVN:すぐ行動に移して良かったなと思ったし、自信も持てたかなと思います。

そこはデジタルの良さであり、フットワークの軽さみたいなものがあるのかもしれないね。

CVN:〈Grey Matter Archives〉をはじめた理由のひとつに、海外との繋がりを生かしたいという気持ちとは別で、引っ越したということがけっこう大きいんです。東京から離れて、自分がいた周辺にあまり物理的に関われない状況下で、家がなくなった感覚だったんで、家が欲しいなと思いまして。どこに住んでいてもできることかもしれないけど、自分にしか作れない家。

〈Grey Matter Archives〉はいつからはじめたの?

CVN:去年の7月です。

送られてきたものをアップロードしているの?

CVN:基本は僕が声をかけてお願いしています。最初は繋がりのある人たちから声をかけていって、いまは面識はないけど僕が好きなアーティストに声をかけたりしてやってもらっているという感じです。

こういうのはやっぱ、ネットならではというか、日本人からいろいろな国の人がいて面白いよね。

CVN:はじめるときにこういうのをやりたいなと参考にしている〈Blowing Up The Workshop〉(https://blowinguptheworkshop.com/)という、ミックスシリーズのサイトがあって。サイトの作りも少し似ているので是非見てください。アーティストの名前が羅列してあって、開くとトラックリストがあり、ストリーミングができるんです。以前僕はこのサイトからミックスを提供しているアーティストの発見もできたし、トラックリストを見て、この曲ヤバいなっていう発見もあったし。けっこう感動した記憶があって、こういうキュレーション感がもっと増えたら面白いなと思ったことを思い出して、これやろうと。

ひとりの人のミックステープをアップロードすると、そこからさらにどんどん広がっていくという。

CVN:名前がアーカイヴされているということが重要で。すごく発見がある。過去のを聴くと見落としてた曲とかあって。

でもオリジナルをあげている人もいるでしょ?

CVN:そうなんですよ。オリジナルとか、Beat Detectivesはそのためにセッションしてくれたりとか。E L O Nは未発表曲を繋げたやつとか。

すぐ行動に移して良かったなと思ったし、自信も持てたかなと思います。


CVN
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では、今回リリースする『エックス・イン・ザ・カー』について訊きますね。これはいままで出した作品を編集したものなんだよね? 今回アルバムのために録音したわけじゃなくて、これまでの作品のなかのベスト盤的な位置付け?

CVN:そうですね。プラス新曲が何曲か入っています。基本はベスト盤みたいな感じです。ベスト盤っていいなって。自分で通称グレイテスト・ヒッツって言ってます。ヒットしてないけど。

(笑)聴いていちばん驚いたのは、最初にも言ったけど、ヒップホップの影響を感じたところなんだけど、それはやっぱりあるでしょう?

CVN:いや、かなりありますね。でもいつもギリギリ中間の混ざってる曲が好きで、そういうの自分的に楽しくて。

きっかけは何かあったんですか?

CVN:きっかけなんでしょうね。たとえば、Ghostemane、Wavy Jone$、Bill $aberとかっていうラッパーがいるんですけど。アートワークとかMVのヴィジュアルとか完全にブラック・メタル入ってるんです。僕ブラック・メタル好きなんですけど、ジャンル的にめっちゃ相性いいんだなと思って。日本だとCold Roseさんとか。

えー、マジですか? それはホント意外だな(笑)。CVNのセカンド・シングルは、初めて日本語タイトルになっているじゃないですか。「現実にもどりなさい」って。

CVN:これはサブタイトルのつもりだったんですよ。Discogsとか、レーベルのサイトなど見ると、『現実に戻りなさい』の方が本タイトルで、「Return to Reality」の方がサブタイトルになっているんですけど、本当は逆のつもりでした。〈Dream Disk〉のレーベルオーナーが勝手に差し替えた。まあ、結果的にはいいかもってリリースされた後、思ったんですけど(笑)。

初期のジェシー・ルインズや〈コズ・ミー・ペイン〉の曲はそのドリーミーさに特徴があったから、その線で考えると意味があるタイトルかなと。

CVN:あの頃の現実の反対は夢でしたね。仮想世界も現実世界も並列な感覚なんですけど、なんというかこれは自分に言っているんですけどね。

アルバムが、刃物の音からはじまるでしょ? あれはナイフとか包丁を研いでいる音のサンプリング?

CVN:切れ味鋭い系の音ですね。

あれ、恐いよ(笑)。

CVN:音として面白いなというか。それだけなんですけどね。サンプリングでも、ヴォイス・サンプルみたいなものは昔からよく使っていましたけど、リズムの音を……例えばSF映画で鳴ってる音、刃物のような音が、スネアとかハイハットの代わりになったら面白いじゃないですか。

で、スクリューされた声も入るわけですけど、佐久間君の意図としてはある種のホラー感を表現しているのかな?

CVN:曲によってですけど、ホラーは好きですし、恐怖感もあるけど同時にすごく切ない気持ちにもなりうる。いまだから言えるじゃないですけど、〈キャプチャード・トラックス〉から出した、ジェシー・ルインズ最初のEP、『ドリーム・アナライジス』は、レコードは45回転なんですが、33回転でも聴けるっていう。

それは意識して作ったの?

CVN:意識して作ったというよりか、勝手にそうなったんですけど、LSTNGTって友人から教えてもらいました。よりロマンチックに聴こえるところとかもあって。もともと視覚的な音楽なんですけど、より映像が見えてきます。

CVNが表現しているダークなサウンドっていうのは、時代の暗さとリンクしているっていうよりは、佐久間君の趣味の問題? そこは時代とは切り離されている?

CVN:切り離されていると思いますし、自分ではダークだとは思っていないです。

今回自分の作品の成果をアルバムにまとめようと思ったのはなんで?

CVN:ベスト盤が出したかった……。というより日本でもいくつかのレコード・ショップが輸入して取り扱ってくれたりして本当に感謝なんですが、けっこう短期間でアルバムなりEPなりをいくつも出したので、ひとつひとつの作品をじっくり振り返える機会があってもいいかなと思ったのと、そのリリースの機会を与えてくれたレーベルに感謝の意も込めて。あと周りの仲間にも。今回Cemeteryが主宰してる〈CNDMM〉からリリースした7インチの曲はあえて収録してなくて、その2曲はCVN的にもけっこう特別なので、7インチを買って聴いてほしいっていうのも付け加えておきたいです。感謝感謝ってJ-Popみたいですが。あとそれにこうやって出したことによって、野田さんとも久しぶりに話せましたし(笑)。

4月のライヴには行こうと思ってますけど。ちなみにDYGLみたいな若いインディ・ロック・バンドには興味ある?

CVN:DYGLのみんなは何年も前から友人で、新しいシングルの「Bad Kicks」もかっこいいなと思って聴いています。そういえば、ヨッケがDYGLのジャケや諸々デザインを担当しているんですよ。

4月のリリース・パーティに出演する人たちはみんな〈Grey Matter Archives〉で作品を発表している人たち?

CVN:発表している人たちと今後発表する人も入ってます。〈PAN〉のFlora Yin-Wongがたまたま来日している期間で彼女にもDJしてもらいます。彼女も〈Grey Matter Archives〉でミックスを発表してもらっていて。

〈PAN〉はテクノ・レーベルだけど、テクノの方向には行かないの?

CVN:いくかもしれないし、いかないかもしれないし、もういってるかもしれない(笑)。

はははは、今日はありがとうございました。

dialogue: suppa micro pamchopp × Captain Mirai - ele-king


Various Artists
合成音声ONGAKUの世界

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 ボーカロイドやその他の音声合成ソフトを用いて作られた音楽はいまその幅を大きく広げ、アンダーグラウンド・シーンも成熟へと向かっている(そのあたりの流れは『別冊ele-king 初音ミク10周年』『ボーカロイド音楽の世界 2017』を参照のこと)。そんな折、『合成音声ONGAKUの世界』なるタイトルのコンピレイションがリリースされた。帯には、まるでそれが正題であるかのように、「ボカロへの偏見が消えるCD」と記されている。監修を務めたのはスッパマイクロパンチョップ。1998年に竹村延和の〈Childisc〉からデビューを果たした彼は、最近になってボーカロイド音楽の持つ魅力に気がついたそうで、それまでの自分のように偏見を持った人たちに少しでも興味を持ってもらおうと、精力的に活動を続けている。今回のコンピもその活動の成果のひとつと言っていいだろう。じっさい、ここに収められているのはシンプルに良質なポップ・ミュージックばかりで、もしあなたがなんとなくのイメージで避けているのであれば、それはほんとうにもったいないことだ。そんなわけで、監修者のスッパマイクロパンチョップと、同コンピにも参加している古参のクリエイター、キャプテンミライのふたりに、このコンピの魅力について語り合ってもらった。あなたにとってこれがボーカロイド音楽に触れる良い機会とならんことを。

※ちなみに、スッパマイクロパンチョップのブログでは、今回の収録曲から連想される非ボーカロイド音楽のさまざまな曲が紹介されており、ロバート・ワイアットやエルメート・パスコアール、ダーティ・プロジェクターズやディアンジェロなど、興味深い名前が並んでいる。そちらも合わせてチェック。


たまたま耳に入った曲が自分の好きな感触じゃなかったら、そのイメージしか残らなくて、それ以外が想像できないという状況だと思うんですよね。 (スッパマイクロパンチョップ)

対バンした相手と表面上は仲良く話していても、心の底では「なんだあいつ」みたいに思っていたり(笑)。〔……〕ボーカロイドを始めてみたらみんなすごく開けていたんで、それもすごく驚きましたね。 (キャプテンミライ)

スッパさんがボカロの音楽を聴くようになったのはわりと最近のことなんですよね?

スッパマイクロパンチョップ(以下、S):そうですね。ボカロの音楽を聴き始めたのは去年の8月末からなんです。初音ミク10周年のタイミングですね。それまではあまり興味がなかった。でも、Twitterでたまたま流れてきたyeahyoutooさんとPuhyunecoさんのふたりの曲を聴いてとても感動したんですよ。それ以来ニコニコ動画でアーカイヴを掘りまくっていますね。そこから自分でも曲を作り始めるようになって、10月にはもうボカロに関するトークイベントをヒッキーPと始めていましたね。

キャプテンミライ(以下、C):最近スッパさんという方がボーカロイドに熱中しているという噂は僕も聞いていて、ちょっと前からTwitterとかでスッパさんの発言を拝見しているんですが、ようはその2曲がボーカロイド音楽を聴き始めるきっかけになったわけですよね。

S:そうですね。

C:僕も似たような感じで、ボーカロイドを始めるきっかけになった曲があるんですけど、やっぱりそれって、ボカロ云々を抜きにして音楽として良かったっていうことで、ようはすごくかっこいい曲に出会ったということですよね。

S:ですね。キャプミラさんの出会いの曲はなんだったんですか?

C:すんzりヴぇrP(sunzriver)という人の曲ですね。僕はもともとバンド畑の人間で、「ライヴハウスだ、バンドだ、ギターだ」みたいな世界でやっていたんですが、じつはその頃からすんzりヴぇrとは知り合いだったんですよ。彼は最近何をやっているんだろうと思って調べてみたらいつの間にかボーカロイドを始めていて。もちろん僕もボーカロイドの存在は知っていたんですが、なんとなくの見た目のイメージくらいしかなかったんですね。でも彼の楽曲を聴いてみたら、彼がそれまでやっていたものとぜんぜん変わらない、むしろボーカロイドによって魅力が増しているかもしれないと感じたんです。これはおもしろいなと思って、自分でもやってみることにしたという流れですね。

S:それは2008年ですか?

C:2008年ですね。

けっこう初期ですよね。

C:そうです。当時はまだ偏見もいまより大きかったし、バンド畑の人間だったので、ライヴハウスとかで周りに「ボーカロイドというのを始めてさ」って言うと、反応が冷たくて。「お前、何やってるんだよ」みたいな反応をされることが多かったですね。でもそれからどんどん初音ミクがメジャーになっていったので、やっている側としては広まりきった感はあったんです。でも今回のスッパさんの活動を見ていると、まだまだ広がりきっていなかった部分があったんだなというのを感じましたね。

S:その「広がった」というのも、もしかしたら偏見が広がったということかもしれないですよ(笑)。

C:まあ、同時なんでしょうけどね。ただ若い世代にはふつうに広まっている感はありますね。だからいまスッパさんが届けようとしているのは、若い子よりも少し上というか、ミドルで音楽好きの人たちという感じですよね。それこそバンド畑の人とか、ロックやエレクトロニカを聴いているようないわゆる音楽好きの層というか。

S:そこにも届けたいってことですよね。自分もライヴハウスとかクラブとかはよく出演しているんですけど、そういうところで出会う人たちの偏見ってすごく根強くって。キャプミラさんが「お前、何やってるんだよ」と言われたときと、いまもまったく同じ状況なんですよ。

C:そうなんですね。難しいですねえ。たとえば「初音ミク」という名前自体はそれこそ誰でも知っているものになっていますけど、じっさいにそれを聴いているかは別問題ってことですよね?

S:たまたま耳に入った曲が自分の好きな感触じゃなかったら、そのイメージしか残らなくて、それ以外が想像できないという状況だと思うんですよね。だから、このコンピを聴いて考え直してほしいってことですね(笑)。

C:でもどうなんでしょうね。偏見ってじっさいそんなに強いのかな……いや、やっぱり強いのかなあ。

S:強いと思いますよ。Twitterで「これ最高! ヤバい!」ってYouTubeのリンクを貼るのと、ニコニコ動画のリンクを貼るのとでは違いがあるというか。ニコニコ動画なんか誰も覗いてくれないんですよ。「そっちの世界は行きたくない」みたいな偏見はあると思います。

音楽ファンって、ほかの何かのファンと比べると、なかなかそういう壁を崩さない感じはありますよね。オープン・マインドに見えて、じつはすごく閉じているというか。

S:ですよね。だから今回はそういうボカロのネガティヴなイメージをすべて取っ払って、音楽だけに集中して見せたいんですよね。音楽活動をしている知り合いには若い子が多いんですが、若い子でも外へ出て音楽をやる人と、家のなかだけで音楽をやる人とではちょっと違いがあって。やっぱり外でやるおもしろさを知っている人は偏見を持ちがちですね。キャプミラさんの場合はボカロとの出会いが早かったから良かったというのもあると思うんです。すんzりヴぇrさんやディキシー(Dixie Flatline)さんとは、ちょっと仲間意識みたいなものもあるんじゃないですか?

C:そうですね。当時はボーカロイドをやっている人たちの横の繋がりがすごくあったんですよ。初投稿日が近い人たちなんかで良く会ったりしていて。バンドをやっていると意外にギスギスしているところがありますよね。たとえば対バンした相手と表面上は仲良く話していても、心の底では「なんだあいつ」みたいに思っていたり(笑)。ライヴハウスではそういう空気をバンバン感じることがあったんですが(笑)、ボーカロイドを始めてみたらみんなすごく開けていたんで、それもすごく驚きましたね。だから10年前に出会った人たちとはいまだに会ったりするような仲になっていますし、それが世代ごとにいろいろとあるんじゃないですかね。いまの若い人は若い人たちでコミュニティがあるんじゃないかという気はします。

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僕が言う「偏見」って、世代的な断絶でもあるんですよね。高年齢の音楽マニアとのあいだにすごく大きな壁があるというか。 (スッパマイクロパンチョップ)


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今回のコンピはどういった基準で選曲していったのでしょう?

S:これを聴けば偏見が吹き飛ぶだろう、という選曲ですね。よくあるボカロのイメージにそぐわない曲というか。「え、これボカロなの!?」って、あっさりボカロを好きになっちゃうような選曲のつもりです。とはいえボカロのおもしろい曲ってすごくバラエティに富んでいるので、それを「ベスト・オブ・ボカロ・ミュージック」みたいにひとつにまとめるのは難しい。そこへ、「音楽好きの人がさらっと聴ける」「BGMとして心地良く聴ける」のがいいというお話をいただいたので(笑)、それもテーマにしました。もちろん自分の趣味も入っているんですけど、それだけじゃなくておしゃれに聴けることを意識したというか。ボーカロイドってべつに「おしゃれ」のイメージはありませんよね。

C:そうですかね。

S:偏見を持っている人たちは、アニメとか萌えとか、そういういわゆるオタクな世界に悪いイメージを抱いていて、それは「おしゃれ」とは正反対だと思うんです。もちろん音楽ファンも「おしゃれ」だけを基準に聴いているわけではないですけど、やっぱりイメージってあると思うんですよね。「このサウンドがいまいちばんかっこいい」っていう感覚って、「(そのサウンドが)おしゃれ」ってことでもあると思うので、そのラインは守っているというか。「ボカロっておしゃれかもしれない」とか「意外と気持ちいいんだな」と思ってもらえるよう選曲していますね。たとえばでんの子Pさんの曲でも、選曲を間違えたら「え……」って思われちゃうかもしれないので(笑)。だから、突出した才能を持っているけど、その人のなかでも耳触りが良いもの、たとえばエルメート・パスコアールなんかと同列に聴けるもの、という基準ですね。キャプミラさんも名曲揃いですから、どの曲でもよかったんですが、せっかくなので僕がいちばん感動した“イリュージョン”を選びました。僕、ボカロを聴いて泣いたのはその曲だけですからね(笑)。

C:おお(笑)。ありがとうございます。

今回の収録曲のなかではいちばん古い曲ですよね。

C:そっか、ディキシーさん(Dixie Flatline)より古いのか。

S:ディキシーさんのは最近の曲なんです。2015年。古いのはTreowさんとキャプミラさんだけです。おふたりはクラシック代表なんですよ。

ということは、この曲で使われている鏡音リンのヴァージョンも初代ということですよね?

C:そうです。初代のリンってソフトウェアのエンジンがVOCALOID2という古いヴァージョンなんですけど、いまの環境で動かすにはちょっとめんどくさいんですよね。Windows10とかだとけっこう微妙な感じになっちゃっていて。データをコンヴァートしたりしなきゃいけなくて、かなりたいへんなんです。

この曲に感動して同じような音を鳴らしたいと思った人がいても、それはもう難しいという。

C:そうなんですよね。ソフトはどんどん新しくなっていって、もちろん内容は素晴らしくなっていっているんですけど、やっぱり声が違うので「初代のほうが良い」みたいなことはありえますよね。

楽器だといわゆるヴィンテージの機材を追い求める人たちもいますが、これからVOCALOIDもそういう感じになっていくのかもしれませんね。

S:そういう時代は来そうですね。

C:そしたらリヴァイヴァルするかもしれないですよね。いまのエンジンで当時の声がそのまま出るよ、みたいな感じのライブラリを出してもらえるといいんですけどね。

今回のコンピには入っていませんが、多くの人がボカロと聞いて思い浮かべるだろう、テンポの速いロック系の曲についてはどうお考えですか?

S:数年前に流行った高速ロックの流れもまだそんなに廃れていないというか、「ボカロと言えばとにかく速い」みたいなイメージが一般的にもあると思うし、じっさいそういうものがたくさん聴かれているのはすごく感じるんですよね。わりと再生数を稼げる人たちのなかでも、ボカロのそういう側面を追求する層と、どうやったら「おしゃれ」に作れるかで競っている層と、ロックか「おしゃれ」かみたいなふたつの線があるように思いますね。

C:いまのバンド・シーンの若い子たちのなかでも、あの頃の高速ロックの流れを汲んだバンドは多いですよね。BPMが速くて、四つ打ちで、速いギター・リフみたいな。中学生のときにもうボーカロイドがふつうにあってそれを聴いて育ったから、大きくなってバンドをやろうってなったときにおのずとそういう楽曲が出てくる、そういう世代がもうけっこういるのかな。やっぱり高速ロックは影響力ありますよね。

S:ありますね。だから僕が言う「偏見」って、世代的な断絶でもあるんですよね。高年齢の音楽マニアとのあいだにすごく大きな壁があるというか。若い子が音楽を始めようと思ったときに、いまだとやっぱりコンピュータで音楽を作るという選択肢があって、それで作ったものをアウトプットする場所としてボーカロイド・シーンがすごく身近なんだろうなと。曲を作ってアップロードするだけならべつにSoundCloudでもいいんですけど、若い子からしてみると華やかな感じというか、SoundCloudにアップするよりもキャラクターとビデオのあるボーカロイド・シーンのほうが注目されるんじゃないか、というような期待があるんでしょうね。そもそも音楽と最初に出会った場所がニコニコ動画だったという人も多いでしょうし。それでいろんなタイプの音楽が集まってきているような気がします。

キャプミラさんが今回の収録曲のなかでいちばん印象に残った曲はどれですか?

C:羽生まゐごさんの“阿吽のビーツ”かな。民族っぽいパーカッションのリフで始まる曲。でも、たしかに全体的におしゃれだなとは思いましたね。

S:1曲目とその羽生さんの“阿吽のビーツ”はガチでおしゃれだと思います。それ以外はオーソドックスな感じもあって、「エヴァーグリーン」という感じですね。僕はどんな音楽を聴くときも普遍的かそうでないかみたいなところでジャッジしていて、もちろんそうでなくてもいいんですけど、コンピを組む場合は50年後とかに聴いても古いと思わないような強度のある曲を選んでいるつもりなんですよね。それでいてサラッと聴ける曲。あまりにも濃いと引っかかっちゃうので。作業しながら聴いていて「えっ!」って(笑)。

僕は松傘さんやでんの子Pさんが好きなので、その両方が入っていたのは嬉しかったですね。でも、彼らの曲のなかではわりと聴きやすいというか、比較的癖のない曲が選ばれていますよね。

S:松傘さんの個性ってずば抜けているところがあるんですが、松傘さんが単独で作っている曲をこのコンピに入れるのはちょっとエグいかなあと(笑)。でんの子さんもそうなんですよ。でも彼らのおもしろさはなんとか伝えたいので、誰が聴いても「良いな」って思ってもらえそうな曲を選びましたね。

C:そういう意味では、最近のボーカロイドをそれほどチェックできていない僕みたいな人向けでもあるというか、ここからいろいろ漁っていくという聴き方もできそうですね。

S:そうなんです。たとえばある曲に惹かれて、もっと掘ろうと思ってその作り手の他の曲を聴いてみると、そっちはそれほどでもなかったり、というようなことがボカロではわりと多いんですよ。だから今回のコンピも、その曲に出会った人がもっと掘っていったときにがっかりしないように、そもそも作っている曲が全体的におもしろい人たちのなかから選りすぐっていますね。あと、ぜひ入れたいと思ったけど、そもそも連絡先がわからないというパターンもありました。連絡が取れないとどうしようもないので、現実的にコンタクトできてOKしてくれそうで、それでいて誰が聴いても良いと思える曲がある人、という基準で選んでいます。

C:そうなるとけっこう難しそうですね。連絡の取れない人、多そうだから(笑)。

S:難しかったですね(笑)。でも良い内容にできたとは思っています。

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試しに作ってみると世界が変わると思いますよ。声を合成するというのは、やっぱり音楽をやっている人ならおもしろいと思える部分があるはずですので。 (キャプテンミライ)


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今回のコンピに収録されているような、シンプルにグッド・ミュージックだったりちょっと尖った曲を作っている方たちって、やっぱり再生数は低かったりするんでしょうか?

C:たとえば鈴鳴家さんも音作りがものすごくて狂気じみていますけど、再生数の面ではそこまで評価されていませんよね。だからボカロ界にはもったいない人がいっぱいいますよ。

S:なぜなんでしょうね。プロモーションのしかたなのかなあ。

C:でもディキシーさんやTreowさんはすごく再生数の高い曲を持っていて、数字が付いてきているというか。

S:そうですね。ちなみに羽生まゐごさんはむちゃくちゃヒットしていますね。あと、1曲目の春野さんもわりとおしゃれ系でヒットしています。まだ20歳らしいですよ。

C:おお。いや、まさにそこなんですよね。最近の音楽自体ちょっとヤバいというか、いまは若くても本当にすごいものを作ってくる。むかしはそんなことはなくて、若い子は若い音楽しか作らなかった。町田町蔵が出てきたときに、「すごい10代」みたいに言われていたんですけど、ボーカロイドをやっていると、そのすごい10代がいっぱいいる感じがするんです。環境が良くなっているのかな。コンピュータで音源も安く買えて、いきなりすごい音が出せるみたいなことの影響もあるんですかね。

S:あると思いますね。

C:2007~09年にボーカロイドが盛り上がっていった時期って、いろんなインフラが整っていった時期でもあると思うんですよ。音楽制作をしたい人がコンピュータでそれをできるようになって、プラグインも安くなって手が届くようになった。動画もそうですよね。動画編集ソフトにも手が届きやすくなって、個人で作れるようになった。絵もデジタルで描く方法が確立されて、pixivのようなものが出てきて盛り上がっていった。そういった人たちが集まって何かを作ろうというところにちょうど初音ミクが登場して、ニコニコ動画という場もあって、「僕が楽曲」「僕が動画」「僕が絵」みたいな感じでどんどん盛り上がっていった。それがおもしろかったんですよね。同じような時期に、アメリカやヨーロッパではインディ・ゲームのシーンが盛り上がっているんですよ。それもたぶん同じように誰でもプログラミングできたりグラフィックを作れたりする環境が生まれて、じゃあ何を作るかってなったときに、日本みたいにニコニコ動画があるわけじゃないから、みんなでゲームを作ろうというような感じで盛り上がっていったんじゃないかと思うんです。それがいまはまた分裂して、絵を描く人は絵だけで行こう、みたいになっているような気がしますね。当時ボーカロイドをやっていた人のなかでも、いまはプロの作家にスライドして曲を作っているような人も多くなっているので、音楽は音楽でやっていこうという感じなんですよね。あのときにみんなでガーっとやっていたところからどんどんひとり立ちしていって。そう考えると10年の歴史の流れを感じるというか、じーんときますね(笑)。いや、でもやっぱりみんな若いんですねえ。

S:詳細な年齢まではわからないけど、新着の初投稿の曲を聴いていても、いきなり成熟したポップスみたいなものがわりと多いんですよ。そこは謎なんですよね。最初からスケッチ的なものじゃなくて、しっかりポップという。

C:ポップスってけっこう理論とかがわかっていないと作れないものなのに、それをさらっと作っちゃいますよね。それは、たんにツールが良くなっただけじゃできない。耳も良いのかな。

音楽活動はべつにやっていて、匿名で投稿しているケースもあるんでしょうね。

S:それはいっぱいあると思いますよ。

C:言いかたの問題もあるでしょうね。ずっと音楽はやっていたけどボーカロイドは初投稿です、みたいなケースもあるのかもしれないですしね。

S:いまはまだ偏見を抱いているクラブ・ミュージックの作り手とかが、いつか「ボカロっておもしろいんだな」と気づいて、自分でもボカロで歌ものを作ってみてハマる、そういう可能性を持った作り手ってじつは山ほどいるんじゃないかと思っていて。

C:僕がそうだったんですけど、イメージで偏見を持っていても、じっさいにボーカロイドを使ってみると、打ち込んで、機械が歌ったときにちょっと感動があったんですよね。「声が聴こえてきた!」みたいな。それで急にキャラクターにも愛着が湧いてくるというか、「このソフトはこんな声をしているのか」という感じで世界が広がったことがあったんです。だから作り手の人に、もちろんまずは聴いてほしいですけど、じっさいに作ってみてほしいんですよね。べつにニコニコ動画やYouTubeにアップロードしなくてもいいんで、試しに作ってみると世界が変わると思いますよ。声を合成するというのは、やっぱり音楽をやっている人ならおもしろいと思える部分があるはずですので。

S:そういうものを作らなさそうな人にこそ作ってみてほしいですよね。

C:あとは音質の話ですけど、ニコニコ動画にアップロードしている人たちには、ミックスやマスタリングの癖みたいなものがありますよね。とにかく音がデカくてバチバチにしているし、低音も切り気味だし。もしかしたらそれをクラブ・ミュージックの人が聴くと、物足りない感じに聴こえちゃうのかもしれない。パッと聴きでもう質感が違うと思っちゃうのかなという気もします。

S:自分は家ではデスクトップのパソコンに大きなスピーカーを繋げて聴いているんですけど、どんなにクオリティの低い曲でも小さな音で再生しているぶんにはなんにも気にならないんですよ。でも、ヘッドフォンで聴くと不快になるってことは多いですね。なので今回のマスタリングでは、全体的に高域をちょっと削ってマイルドで優しい聴き心地になるようリクエストしています。ボカロの声って高音が痛かったり刺さることが多いですし、そもそもそれが嫌いだと言われちゃったら薦められなくなりますからね。

C:じっさいに作っていると声の癖も気にならなくなるんですけどね。僕の場合、ボーカロイドはちょっと楽器的に使っているんですよ。使い方を楽器的にするということじゃなくて、人間が歌うときとはオケも変わってくるので、アレンジ含めてボーカロイドを楽器として扱ったほうがおもしろくなるんですよね。僕がボーカロイドですごく良いと思っているのは、歌詞がそんなに聴こえてこないところなんです。ものすごくクサかったり恥ずかしかったり中二っぽい歌詞でも、ボーカロイドが歌うと成り立つんですよ。人間がこれを歌ったらちょっと恥ずかしいだろうというものでもボーカロイドだとさらっと歌えちゃう。それはやっぱり機械が歌っているからこそで、ようするに歌詞の幅がものすごく広く取れるんですよね。じっさいボーカロイドの歌詞ってすごく個性的というか、振れ幅が大きいですよね。癖のある歌詞も多いですけど、それはボーカロイドならではですよね。

S:素人の方々の「歌ってみた」ヴァージョンを聴いて、ボカロ・ヴァージョンより良いと思うことはあんまりないんですよね。人間が歌うとエゴが入ってくるというか、味がありすぎて。

C:そうなんですよ。歌詞も聴こえてきちゃうんですよね。

S:たとえばライヴでどっぷり浸かるようなときはそれでもいいんですけど、部屋のパソコンで聴いていると、その人間の味がうるさすぎるよなって感じるケースが多い。だからたぶんボカロで曲を作ったことがない人は、そういう匂いの消し方とか、そういう力をあまり知らないというところもあるんじゃないかなと思いますね。だから、そういう人たちをうまい具合に引き寄せられたら、第二次ブームみたいなことも可能だと思うんですよね。いや、ブームになってほしいなあ。

C:まあ、ある意味ではずっとブームなんですけどね(笑)。

interview with yahyel - ele-king


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 マウント・キンビーとの出会いが大きかったようだ。
  海外と日本とのあいだにある音楽的な乖離、それに対する苛立ち。そのギャップは何よりもまず音そのものによって乗り越えていくしかない、だからあくまでサウンドで勝負をかけること、そのために匿名的であること――1年前までのヤイエルを簡潔に言い表すなら、そうなるだろう。海外からは奇異なものと見なされ、逆にここ日本ではその音楽性ゆえに浮いてしまう。ヤイエルはその名のとおり宇宙人だった。そのような疎外感は本作でも1曲目冒頭の「I'm a stranger」という言い回しに表れている。しかし今回は少しばかり様子が違う。なんと言ってもタイトルが『Human』だ。宇宙人はいま、人間になろうとしているのだろうか。
  彼らのセカンド・アルバムを再生すると、まずはサウンド面での変化が耳に飛び込んでくる。もたつくように揺らぐリズム、ぶんぶんと唸りを上げるベース、研ぎ澄まされた音色/音響――それら鋭さを増した音の数々に耳を傾ければ、彼らが前回以上に貪欲にさまざまな種類の音楽を吸収してきたことがわかる。
  にもかかわらず、本作の核を成しているのはむしろ言葉のほうだ。実験的なサウンドのうえに乗る池貝峻のヴォーカルは、さまざまな葛藤や迷いを偽ることなく丁寧に歌い上げる。「私はよそ者」というフレーズで幕を開けたはずのこのアルバムは、そして、「愛する者たれ」というメッセージを放って幕を閉じる。自らが理解されない、あるいは周囲と異なっているという感覚それ自体はそれこそロマン主義の頃から脈々と続くものではあるけれど、彼らはそれを「愛」のレヴェルにまで運んでいく。
  最終曲“Lover”は、そのグランジのようなイントロからしてすでに他の曲と異なる趣を醸し出しているが、リリックはアルバム全体の流れを、とりわけ直前の“Pale”を踏まえた内容になっており、主人公は逡巡のループからの脱出を試みる。前へ進むためには選ばなければならない。選ぶためには捨てなければならない。だからこそ、そこで捨てずに選びとったもの、すなわち「生き残ったもの」を自信をもって愛さなければならない――それがヤイエルの呈示する「Human」の姿だ。
  この着想は、昨秋共演したマウント・キンビーとの交流のなかで芽生えたものだという。そういう意味でこのアルバムは、マウント・キンビー『Love What Survives』に対する最初の大きなリアクションと呼ぶこともできる。かつての宇宙人は「愛」を知り、いま人間になろうともがいている――逡巡に折り合いをつけたヤイエル第2章、その幕開けに盛大なる拍手を。


匿名性がうんぬんとか、音の部分でも海外の誰それに似てる/似てないとか、良い/悪いとか、ほんとうにどうでもいい部分だけが取り上げられちゃって、それがすごく苦しかったんですよ。

池貝さんはいわゆるふつうの仕事と並行して音楽活動をされていますが、音楽のほうは仕事ではないべつのものとしてやっている感覚でしょうか? あるいは、同じ仕事だけど質の違うものでしょうか?

池貝峻(以下、池貝):そこはそんなに考えたことはないかもしれないですね。逆に言えば僕はふつうの仕事も、そういうふうに(べつのものと)思ってやるのが嫌なんですよ。ただ、決定的に違うのは音楽は表現活動ですし、僕はそれがちゃんと支持を得て人に届くこと自体がすごく大事なことだと思っていて。仕事だとすごく客観的になりますよね。だから、社会のなかで個人が声を上げてそれを最大化させてもいいんだってこと自体がすごく意味があることなんじゃないかなと思いますし、むしろそれがなかったら意味がないし、それこそがやりたいことですね。結果的に仕事であるかないかは、二の次ではありますよね。

ふつうの仕事でも、クリエイティヴに頭を使わなければいけない場面はありますよね。

池貝:もちろんアイデアをひねることはあるんですけど、それは客商売なので。僕にとって音楽は客商売じゃないんです。というか客商売になったらつまらないなと思いますね。

聴いてくれる人たちのことを想定することはあまりない?

池貝:ないですね。僕は届く人を想定して書きたくないんです。そうやって客商売にしちゃうと、受け取り側の聴き方をこっちで定義しちゃうような気がして。それは僕らがやる仕事じゃないというか。でも、(聴いている人が)生きやすくなったらいいなと思って書くことはあります。僕は人間関係が希薄な状態がつらいんで。誰も本音で喋らなかったり、人が何かの都合で簡単に変わっていってしまったりとか、そういうことが嫌な人間なんですよね。だから自分の意思がちゃんと出せて、人間らしい生活を送れる世の中になったら良いなという思いはありますけど、でもべつに音楽でそれを変えてやろうとかは思ってないですね。

その話はまさに『Human』に繋がりますね。前回取材させていただいたときに強調していたのは、海外と日本との音楽的なギャップについてでした。だから『Flesh and Blood』ではあえて顔を伏せて音で勝負する、という形だったと思うのですが、今回の新作を作るうえでのいちばんの動機はなんだったのでしょう?

池貝:初作のときのフラストレイションはある意味では客観的だったかなとも思っていて。コンプレックスがある/ないって当たり前のことじゃないですか。まずそういう事実としてあることを客観的に提示することで、それを語らざるをえない状況にしたいと思っていたんですよ。たぶん「なんで誰もそれを話さないの?」みたいな視点でしたね。でも、僕らの顔を出すということはそれ自体がエゴだなと思っていたので、そういうことをせずにその問題だけを語るという状況になれば、その事実が変わるんじゃないかと思ったんですね。だからある種の怒りもあったと思います。
  ただ、アルバムを出したら逆に匿名性がうんぬんとか、音の部分でも海外の誰それに似てる/似てないとか、良い/悪いとか、ほんとうにどうでもいい部分だけが取り上げられちゃって、それがすごく苦しかったんですよ。自分とはまったく違うことが語られているような感じで。言いたいことは最初から何も変わっていなくて、僕の主観だったり僕が人間的な感覚を持っていることそれ自体がすごくユニヴァーサルな話だと思うんですよ。人種のステレオタイプとかコンプレックスとかそういうものを一回置いておいて、ふつうに人間的な感覚の部分に関して言えばどこの国だろうとそんなに変わらないと思うんですね。初作ではそういうユニヴァーサルな部分を出したかったし、それと同時に東京に生まれていまこの時代を生きている人の感覚はこうなんだよというところにフォーカスしたかったんです。
  でもそこまで行かなかった。それは僕らの実力不足ですね。単純に音が良くないから、そこまで訴えかけるものがないんだろうなと。僕らの音楽がほんとうに良いもので新しいもので「これしかない」と思ってもらえているんだったら、そもそもそういう話なんて出てこないですよね。だからその実力不足についての自責の念みたいなものがこの1年ずっとあって、そういう評価を受けるたびにちょっと傷ついていったというか。なので今回それにどうやって向き合うかとなったときに最初から決めていたのは、個人のことを話そうということでした。とにかく自分のことを突き詰められれば良いなと。そこに責任を持てて言い訳のないものを作ろうと思ったんですよね。だから『Human』には、ファーストを出して以降苦しかった時間のなかで、僕らがどういうふうにその人生と折り合いをつけてきたのかということが出ていますね。表現者としての立場を与えられて認知もされてきた自分たちの、当事者的なドキュメントみたいな側面が今回のアルバムにはすごくあるのかなと思っています。

孤独じゃないって状態はないと思うんですよ。だって最終的には自分しか自分の考えていることはわからないですし、他人と100%わかりあえるということはないですよね。連帯感みたいなものだって結局は自分の主観ですし。

リリックを1曲目の“Hypnosis”から順に追っていくと、物語のようになっていますよね。それがそのドキュメント性ということでしょうか?

池貝:そうだと思いますよ。そのときそのときの感情が出ているし、曲が進むごとにちょっとずつ選択していると思うんですよ。これを得たらこれを捨てないといけない、じゃあ何を選ぶのか、みたいな。そのなかで、「自分は一度こうやって逃げなきゃいけなかった」というような弱い部分も出ていると思うんですよね。前回のアルバムではつねにひとつの視点から怒っていたんですけど、今回は自分も含めて人間ってそもそも弱いものだし、結局この人の選択というのは自分の選択と表裏一体なんじゃないかという疑問も含めて、行ったり来たりしていると思います。その過程で何を見つけていくのかというのがちょっとずつ解き明かされていくというか、ようするにこの1年間の思考の流れがよく出ているなと思いますね。

1曲目“Hypnosis”は「I'm a stranger」から始まりますし、3曲め“Rude”の「あなたは正義で、私は愚かである」や、7曲目“Body”の「Who defies」などのフレーズから、このアルバムの主人公はすごく孤独に思えたんですが、池貝さんご自身は孤独ですか?

池貝:僕が孤独というより、結局みんな孤独なんですけど、そのなかでどう折り合いをつけるかなんじゃないですかね。孤独じゃないって状態はないと思うんですよ。だって最終的には自分しか自分の考えていることはわからないですし、他人と100%わかりあえるということはないですよね。連帯感みたいなものだって結局は自分の主観ですし。だから今回のアルバムは主語を「I」にしようと思って。前回のアルバムはけっこう「we」が多かったんです。というのも、そのときはすごく自信があったんですよね。さっきも言ったように、自分の感覚自体がファクトだと思っていて。

前提として他の人も感じているものだと思っていた?

池貝:はい。「みんな、わかってるでしょ?」みたいな感覚があったので、主語が「we」になっていた。でも初作を出してどうしようもない感覚を得た結果、そもそもみんながそう思っていることなんてありえないんだなと。事実があってもそれをごまかして生きていかないといけない人もいるし、それはそれで弱いと思う。結局みんなそれぞれの思想に従属するしかない。そこで「we」とか言っていてもしょうがないなと(笑)。ちゃんと「I」で語らないとなと思ったんですよ。

なるほど。僕は最初の「stranger」からカミュの『異邦人』を思い浮かべたんですよ。主人公は母親が死んでもなんとも思わなくて、最後は死刑になるんですが、周りから理解されないことを彼はとくに気にしていない。そういうじめじめした感じじゃない「理解されない私」みたいなニュアンスが、このアルバムにもあるのかなと。

池貝:それはあると思います。僕はけっこう人への期待値が高いんですけど、自分の感情は「どうでもよくね?」となっちゃうタイプの人で……いや、難しいのでわからないですね(笑)。

人への期待値が高いというのは、「これくらいはやってくれるだろう」とか「わかってくれるだろう」ということ?

池貝:なんですかね。みんなそれぞれ感覚があって、それに沿って生きていて、わかりあうことはできないけど、「あなたはあなたで意見があるでしょ?」という期待値がすごく高くて。「俺のことを理解できるわけがない」と思いつつ、「俺がどう思っているかが大事なわけじゃなくて、でも俺はこう思っている」というようなコミュニケイションを期待しがちなんですよね。みんな持っていると思っているんで(笑)。だからじめじめはしていないかもしれない。

篠田ミル(以下、篠田):前作と比べて池貝は、ポジティヴな意味で人への期待値を下げたと思うんですよ。さっきの「we」の話もそうなんですけど、自分の感覚が普遍的にみんなの感覚だと思っていたことに対して折り合いがついたというのは、つまり人への期待値の部分にも折り合いがついたということだと。傍から見ていて、池貝は自分の考えが相対的なひとつの考え方でしかないということに気づいたんだなと思ったんですよね。そのなかで「自分がどう思っているかも自分は自分で書くからいいよ」というスタンスになったんだなと思いますね。

前回は匿名性があったのに対し、今回はひとりの人間の思いに焦点が当てられていて、ある意味でポストモダンからモダンに回帰したという印象を抱いたんですが、どう思われますか?

篠田:逆だと思いますけどね。モダンって絶対的なイデオロギーだったり、何かしら「大きな物語」があったりして、それにみんなが誘導されているというものだから、それはガイ(池貝)の言う普遍的な価値観だったり「we」みたいなものがあるということだと思います。だとすると、セカンドのほうがみんなそれぞれに相対的な解があるという話になっているので、完全にポストモダンで、逆ですね。


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捨てたからには選んだものを自分の意志で愛さないと、残ったものを愛していかないと前には進めないんだなとそのときに思ったんですよね。


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サウンドに関して、今回は“Rude”や“Pale”、“Battles”の後半部分のようにリズムがもたつく曲が増えたと思うのですが、それはリリックの変化ともリンクしているのでしょうか?

池貝:どちらかと言うと今回は表現にフォーカスしていこうと思ったんですね。前回のときは、日本のすごくドメスティックな状況に、ふつうに海外のオンタイムな音楽を持ってこられるかどうかということ自体がある種のメッセージみたいになっていて、「やれないわけないじゃん」という思いがあったんですけど、今回はとにかく自分たちが言いたいこと、自分たちの正解を探そうというプロセスで音を選んでいますね。もちろん、あとから分析したら「あのときはあれを聴いていたな」とかいくらでも理由はつけられると思うんですけど、基本的に今回の制作では言いたいことにフォーカスしています。

今回はベースがぶんぶん鳴る曲も増えたように思います。“Polytheism”や“Body”、“Iron”とか。

池貝:そうですね。去年1年間はたしかにしんどかったんですけど、ヤイエルとしてはかなり濃密な時間を過ごしていたし、われわれが5人でやるとどうなるのか、やりたいことはなんなのか、われわれの色味はなんなのか、みたいなところをひとつひとつ5人で共有してきたので、映像も含めてそれがすごく強固になった、その過程でそういう音選びがされたということだと思います。

篠田:ベースとか音選びに関して言えば、やっぱりライヴから還元された部分がすごく大きくて。以前からライヴではわりと暴力性みたいなものが5人の共通認識としてあったにもかかわらず、『Flesh and Blood』にはそこがあまり落とし込められていなかった。そのとき聴いていたものの影響だとは思うんですけど、僕たちのなかでもインディR&B的なサウンドとベース・ミュージックとのあいだで揺らぎがあったと思うんです。自分たちがどこにいるのかわかっていなかったというか。それがライヴからの還元が入ることによって、R&B的なメロウやスムースみたいなものから離れていって、自分たちのアイデンティティがわかってきたということもあって。そういうライヴでやってきたような暴力性をいかに閉じ込めるかというところでの選択として、ベースがああいう音になったというのはありますね。

“Iron”は曲のなかで壊れていく感じがあって、もしかしたらこのアルバムのなかでいちばんの肝なんじゃないかと思いました。

篠田:それはほんとうにおっしゃる通りで、“Iron”は制作の初期段階でできた曲なんですよ。あの曲がわりと指標になっていて。


去年の夏にシングルとして出した曲ですよね。10月にマウント・キンビーとやったときにはもうアルバムはでき上がっていたんですか?

篠田:ほぼほぼでき上がっていました。

池貝:でもまだぜんぶはでき上がってなかったですね。最後の曲(“Lover”)はマウント・キンビーとのライヴのあとに書きましたよ。その曲にはマウント・キンビーのメンバーと話していたことがすごく反映されていますね。

最後の曲(“Lover”)はグランジっぽい感じで始まって他とは雰囲気も違いますし、9曲目の“Pale”と「ループ」という言葉で繋がっていて、9曲目では「戻れない」「諦めろ」だったのが、10曲目ではそこから脱出しようとしています。アルバムの最後にこの曲を持ってきたのには特別な意図があったのですか?

池貝:いや、“Pale”までやった時点で「そういうことか」と気づいたところがあって、結局逃れられないのって捨てていないからだと思ったんですよ。“Pale”はそういう曲なんです。取捨選択をしない状態ではループからは逃れられないというか。それで、先に進むためにはどうするのかという曲が“Lover”なんです。べつに愛情がどうこうみたいな話じゃないんですよ。単純に、残ったものを愛するしかない。マウント・キンビーの前回のアルバムは『Love What Survives』でしたよね。それとまさに同じことで、捨てたからには選んだものを自分の意志で愛さないと、残ったものを愛していかないと前には進めないんだなとそのときに思ったんですよね。
  マウント・キンビーとライヴをして、最後にメンバーと話したんです。「東京ってこういう街で」とか、ヨーロッパに対するコンプレックスとか、そもそも誰も本音を話したがらないからブレイクスルーがないとか、いまの「海外から来たものはなんでもいい」みたいな状況とか、日本人の海外の人たちへの丁寧な感じというのは見栄でもあり「ストレンジャー」としてのおもてなしみたいなものなんだ、というような話をして。「俺は、そういうこと自体がコミュニケイションを遮断しているから嫌で嫌でしょうがなくて、そこが制作の肝になっている」という話をしたら、カイ(・カンポス)が「それは俺らもわかっているけど、そもそも俺らは何もできないじゃん。でも俺らも同じような表現者としての壁があるし、イギリスから来たイギリスの音楽みたいなものへのステレオタイプもあるし。みんな出自みたいなものは持っていて、それを変えられないということは同じだし、折り合いをつけなきゃいけないときが来ると思うよ」と言って。僕はそれですごく納得したんですよね。
  この1年間オーディエンスに対するアティテュードの部分ですごく混乱していて、われわれに居場所を与えてくれている人たちのことがすごくありがたかった反面、彼らは俺らのことを話していないという感覚もあったので、どうしたらいいかわかんなくなっていたんです。だから、ステージに立つ側にいる人が同じような感覚を持って表現していたこと自体が僕にとってすごく救いだった。僕らはマウント・キンビーのことが好きで聴いていましたし、最初のアルバムの制作時には影響を受けていたと思うんですけど、じっさいに会ってみて、音だけで勝負できる媚びないアーティストってそういう部分をちゃんと掘っているんだなと思いましたし、自分のアウトプットに自信があるのはそれがちゃんとリンクしているからなのかなと。それで、自分たちも当事者としての責任と覚悟を持たないといけない、それはある意味では自分がいちばん大事にしているものを捨てなきゃいけないということだし、そのことにちゃんと自覚的になったうえで最期は自分の選択を信じないといけない、と思ったんですよね。だから最後の曲が“Lover”になったんだと思います。


しょせん音楽なので、それが表現としてあるということ自体がたいせつなことであって、音楽で影響を与えられるみたいなことっていまとなってはすごくくだらないと思うんですよね。

ではそこで捨てたものとはなんでしょう?

池貝:ちょっとまだわかんないんですけど、もしかしたら人を変えられるということ自体を諦めたのかもしれないですね。しょせん音楽なので、それが表現としてあるということ自体がたいせつなことであって、音楽で影響を与えられるみたいなことっていまとなってはすごくくだらないと思うんですよね。ちゃんと自分のことを言うことのほうが大事だと思いますし、コンプレックスみたいなものに対していつまでも怒っていてもしょうがないし、自分たちがちゃんとストイックになって良いものを作って、その先で開かれる扉みたいなものを見たいと思うんですよね。

アルバムを締めくくる「Be a lover」という言葉は、自分自身に対して言っているところもある?

池貝:自分自身に向けてでしかないと思います。自分ですよ(笑)。でもこれはちゃんとして行動の選択だと思っていて。

訳詞だと「愛せ」と動詞になっていますが、直訳すると「愛する者であれ」という感じですよね。愛する「人」であれ、というところがおもしろいと思いました。

池貝:ほんとうにそうだと思います。選択と行動をとる人間でありたいと思うので。

じつは編集長からひとつ質問を預かってきているんですよ。いまの時代ほど「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」(早川義夫)と思いませんか?

池貝:ははは。そうなんですよね。ほんとうにそうだと思います。ますます正直な人が損をする世の中ですよね。

それはたしかに感じますね。

池貝:このアルバムで人間って首尾一貫していないし、何かを選択しないといけないという結論を出しておいてなんなんですけど、僕は首尾一貫している人のほうがぜんぜん好きなんですよ。移ろっていく人って僕はなんかつらくなっちゃうんですね。だから苦しいわけで、そういう一貫したかっこいい人がいる時代もあったような気がするんですけど、僕らはもうそういう感覚のなかに生きられない。情報量が多すぎるし、個人的には言い訳が多すぎると思う。だからまさにおっしゃる通りで、結局かっこいいことがかっこ悪くなっちゃうんですよね。ファクトを言っちゃうとかっこ悪いみたいな(笑)。

篠田:難しいね。

ダサく見えちゃうということ?

池貝:言い訳がなくなるのが怖いんじゃないんですかね。でもそれも含めて「自分はそう思う」ということを選択していかなきゃ僕は無理だったんで、自己肯定も必要だとは思うんですよね。それがいかに宗教らしくなろうとも、自分が考え抜いて出した結論を愛するということしかできないんじゃないかなと。かっこ悪くなっちゃうというのもわかりますけど、それを捨てるというのもひとつの結論なんじゃないかと思います。でもすごくわかります(笑)。

首尾一貫している人のほうが好きというのはおもしろいですね。たぶん一般的には「不完全でダメだよね、だから人間って素敵だよね」みたいなことを言う人のほうが多いと思うんです。

池貝:僕はその弊害もあると思っているんですよ。「不完全であることが良いこと」みたいにフォーマットになってきちゃっているけど、それってあらかじめ定義されていることになりますよね。人間の自然な姿の結果があって、それが不完全だから魅力だよねという話ならわかりますけど、そこを目指すということの弊害はあると思いますね。

篠田:そうだね。不完全だから魅力的なんじゃなくて、完全にしようと目指しているんだけど結果的に不完全になってしまう、だからこそようやく魅力的になるんだという気がします。池貝も横で見ていてそういう感じがあるというか、俺は一貫しているんだよねって振りをしているんですけど、そんなことないし、『Human』にはそれが表れてしまっているところがおもしろいと思うんですよね。

Oneohtrix Point Never - ele-king

 昨年は映画『Good Time』の劇伴坂本龍一のリミックスを手がけ、最近ではデヴィッド・バーンの新作に参加したことでも話題となったOPNが、5月にNYで開催されるライヴのトレイラー映像を公開しました。これ、新曲ですよね。しかもチェンバロ? 曲調もバロック風です。この急転回はいったい何を意味するのでしょう。そういう趣向のライヴなのか、それとも……。

ONEOHTRIX POINT NEVER
5月にニューヨークで行われる大規模コンサートの
トレーラー映像を新曲と共に公開!

昨年、映画『グッド・タイム』でカンヌ映画祭最優秀サウンドトラック賞を受賞したことも記憶に新しいワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが、【Red Bull Music Festival New York】の一環として5月22日と24日にニューヨークで行われる最新ライブ「MYRIAD」のトレーラー映像を公開した。ダニエル・ロパティン(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)自らディレクションを行い、その唯一無二の世界観が垣間見られる2分間の映像には、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー名義の新曲も使用されている。

Oneohtrix Point Never - MYRIAD
https://opn.lnk.to/MyriadNYC

Video by Daniel Swan and David Rudnick
Directed by Oneohtrix Point Never
Animation by Daniel Swan
Produced by Eliza Ryan
Videography by Jay Sansone
Additional Animation by Nate Boyce
Thrash Rat™ and KINGRAT™ characters by Nate Boyce and Oneohtrix Point Never
Engravings by Francois Desprez, from Les Songes Drolatiques de Pantagruel (1565)
Additional Typography by David Rudnick

本公演が開催されるパークアベニュー・アーモリー(Park Avenue Armory)は、以前は米軍の軍事施設だった場所で、ライブが行われるウェイド・トンプソン・ドリル・ホール(Wade Thompson Drill Hall)は航空機の格納庫のような巨大なスペースである。当日にはスペシャルゲストやコラボレーターも登場し、ここでしか体験することのできない特別なライブ・パフォーマンスが披露されるという。

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー|Oneohtrix Point Never

前衛的な実験音楽から現代音楽、アート、映画の世界にもその名を轟かせ、2017年にはカンヌ映画祭にて最優秀サウンドトラック賞を受賞した現代を代表する革新的音楽家の一人。『Replica』(2011)、『R Plus Seven』(2013)、『Garden of Delete』(2015)と立て続けにその年を代表する作品を世に送り出してきただけでなく、ブライアン・イーノも参加したデヴィッド・バーン最新作『American Utopia』にプロデューサーの一人として名を連ね、FKAツイッグスやギー・ポップ、アノーニらともコラボレート。その他ナイン・インチ・ネイルズや坂本龍一のリミックスも手がけている。さらにソフィア・コッポラ監督映画『ブリングリング』やジョシュ&ベニー・サフディ監督映画『グッド・タイム』で音楽を手がけ、『グッド・タイム』ではカンヌ・サウンドトラック賞を受賞した。


label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Good Time Original Motion Picture Soundtrack

cat no.: BRC-558
release date: 2017/08/11 FRI ON SALE
国内盤CD:ボーナストラック追加収録/解説書封入
定価:¥2,200+税

【ご購入はこちら】
beatink: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=4002
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iTunes Store: https://apple.co/2rMT8JI


label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Good Time... Raw

cat no.: BRC-561
release date: 2017/11/03 FRI ON SALE
国内限定盤CD:ジョシュ・サフディによるライナーノーツ
ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとジョシュ・サフディによるスペシャル対談封入
定価:¥2,000+税

【ご購入はこちら】
beatink: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9186
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tower records: https://tower.jp/item/4619899/Good-Time----Raw
hmv: https://www.hmv.co.jp/artist_Oneohtrix-Point-Never_000000000424647/item_Good-Time-Raw_8282459

interview with Chris Carter - ele-king

 未来なんてわからないものだ。当人たちも驚いているように、昨年のTG再発における反響は、1979年の時点では到底考えられないことだった。しかしながらTGサウンドは、40年という歳月を生き抜いたばかりか、さらにまた評価を高め、新しいリスナーを増やしている。制度的なアートやお決まりのロックンロールを冒涜した彼らがわりと真面目に尊敬されているという近年の傾向には、もちろん少々アイロニカルな気持ちも付きものではあるが。

TGはどこかに帰属することの観念から得られるいかなる快適さを感じさせるような音楽ではなかった。
──ドリュー・ダニエル


Chris Carter
Chemistry Lessons Volume One

Mute/トラフィック

ElectronicExperimental

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 そう、快適な場所などまやかしだといわんばかりだ。そして、ことに311以降の、政治的に、そして経済的に、あるいは環境的にと、あらゆる場面に「死」が偏在する現代を生きるぼくたちにとって、TGはもはや故郷である。その伝説のプロジェクトにおけるエンジン技師がクリス・カーターだった。彼の手作りの機材/音響装置によってTGは自分たちのサウンドをモノにしているのだから。

広く知られているように、TG解散後、クリス・カーターは元TGの同僚であり妻でもあるコージー・ファニ・トゥッティとのプロジェクト、クリス&コージーとして長きにわたって活動した。近年は、カーター・トゥッティと名義を変えて作品を出している。このようにクリス・カーターは長年活動しながら、しかし滅多にソロ作品を出しておらず、この度〈ミュート〉からリリースされる『ケミストリー・レッスン・ヴォリューム・ワン』がソロとしては5枚目となる。

  念入りに作り込んでしまったがゆえの退屈さ、そして未完成であるがゆえの面白さ、というのはたしかにある。『ケミストリー・レッスン・ヴォリューム・ワン』に収録された25曲には、素っ気ない不完全さがある。画集にたとえるなら、書きかけの絵ばかりが並んでいるようだ。しかし描きかけの絵の面白さというのは確実にある。

あるいはこれはアイデアのスケッチ集なのだろう。通訳(および質問者)の坂本麻里子氏によれば、「科学者とか研究者、大学講師と話しているような気分」だったそうで、クリス・カーターのような冷静な人がいたからこそTGという倒錯が成立したのだ。実際、彼はぼくたちの先生であり、アルバムはさながら研究所の実験レポートである。

それは先週末にも誰かと話していたことなんだけどね、「TGの音楽はかなりの長寿ぶりを誇るものだ」、という。で、初期TGのマテリアルの多くには、ある種のタイムレスなサウンドが備わっているんだよね。それがなんなのかは、僕にもわからない。TGのメンバーの間ですら、そのサウンドがなにか? を突き止められなかったからね。あれは相当に「ある瞬間を捉えた」という類いのものだったのに、でもどういうわけか歳月の経過に耐えてきた。

あなたがソロ・アルバムを発表するのはものすごく久しぶりなことですよね。そしてあなたはこれだけ長いキャリアのなかでソロ作品というものをわずか4枚しか出していないですよね? 

CC:うん、そうだね。

最後のソロ・アルバムが1999年の『Small Moon』になるんですか?

CC:ああ。

ではこのソロ新作は18、19年ぶりという。

CC:(苦笑)そうなるね。(独り言をつぶやくように)長くかかったものだ……

とにかく、ここまでソロ作品が数少ないのはなぜでしょうか? それはあなたの気質なのでしょうか? あるいは、ひとりで作るよりも共同作業が好きだからでしょうか? それともコージー・ファニ・トゥッティとの共同作業があなたにとっては表現活動の基盤になっているからでしょうか?

CC:ただ単に、僕は実に多くの(ソロ以外の)プロジェクトに関わっている、ということなんだけれども。

(笑)なるほど。

CC:いや、本当にそうなんだよ! だから、前作ソロが出た17、18年くらい前を思い返せば、あれはTGが二度目に顔を合わせて再結成する前の話だったわけだよね? 僕たちはあの時点ではまだカーター/トゥッティとして活動していたし、でもそこからTGが再び結集することになって……本当に長い間、僕の人生は再び稼働したTGに乗っ取られてしまったんだ。で、そのTGとしての活動が終わったところで、続いて今度はクリス&コージーが、なんというかまた動き出したし、それに伴い僕たちもクリス&コージーとしてツアーをやりはじめることになってね。
そんなわけで僕としては、あれら様々な他のプロジェクトの合間に自分自身のソロ・レコード制作をはめ込もうとしていたんだ。それに、クリス&コージーの後にはカーター/トゥッティ/ヴォイドが続いたし、また僕たちはリミックスや映画向けの音楽も制作していたからね。
というわけで、うん、基本的にはそれらすべてをこなすのが僕の日常的な「仕事」になっていた、と。だから、(苦笑)自分個人のソロ作品をやるための時間が残らなかったんだね。要するに、しょっちゅう脇に置かれて後回しにされるサムシングというのか、よくある「時間がなくていまはやれない、後で」という、そういう物事のひとつになっていたんだよ。(苦笑)まあ……僕はゆっくりとしたペースでこれらのトラックすべてを構築し、楽曲のアイデアを掴みはじめていった、と。だからソロ・アルバム向けのマテリアルに関しては、他の色々なプロジェクトの合間の息抜きとしてやるもの、そういう風に僕は取り組んでいたんだね。

各種プロジェクトにソロと、あなたは常になにかしらの作品に取り組んでいるみたいですね。

CC:(自嘲気味な口調で苦笑まじりに)そうなんだよねぇ……自分にはいささか仕事中毒な面があると思う。

「ソロ作をやろう」と思い立って一定の期間に一気に作ったものではなく、長い間かかって集積してきた音源を集めたもの、一歩一歩進めながら作った作品ということですね。

CC:ああ、そうだったね。アルバムに収録したトラックの一部は、かなり以前に作ったものも含まれているし……本当に古いんだ。そうは言ったって、さすがにいまから17、18年前というほど古くはないんだけれども。その時点ではまだこの作品に取りかかってはいなかったし。だから、それらは6、7年前にやった音源なんだけど、それでもかなり古いよね。

ソロ新作がこうしてやっと完成したわけですが、正直、いまの気分はいかがですか。

CC:エキサイトしているよ! 本当に興奮しているんだ。というのも、実に長い間、これらの音源は誰の耳にも触れないままだったわけだからね。もちろんコージーは別で、彼女は聴いたことがあったけれども。僕たちふたりは自宅に、居間とキッチンの隣にスタジオ空間を設けているからね。で、ちょっと一息入れたいなというときには、僕はスタジオに入ってモジュラー・システム作りに取り組んでいた。だからコージーは僕がどんなことをやっていたのか耳にしていたし、この作品をちょっとでも聴いたことがあるのは自分以外には彼女だけ、そういう状態のままだったんだ。とても長い間、何年もの間ね。そんなわけで、この音源を〈ミュート〉に送るまで、僕はちょっとしたバブルのなかに包まれていたんだよ。で、それは……そうだな、奇妙な気分だった。というのも、ある面では自分としても、あれらの音源を手放したくない、と感じていたから。

(笑)そうなんですか。

CC:だから、自分はそれだけ楽曲に愛着を感じていた、ということだね。あれはおかしな感覚だった。で、〈ミュート〉の方はなんと言うか……送った当初は、彼らからそれほど大きな反応は返ってこなかったんだよ。まあ、実際僕としても、それほど期待していたわけではなかったし。だから、「試しに音源を送って、彼らが聴いてどう思うか意見を教えてもらおう」程度のものだったんだ。そうしないと、この作品を聴いたことがあるのはやっぱり自分だけ、ということになってしまうし、その状態がずっと長く続いてきたわけだからね。で、いまのこの時点ですら……だから、ジャーナリストたちもようやく試聴音源を聴けるようになったところで、作品に対する彼らからのフィードバックを受け取っているんだよ。この作品についての第三者の意見は、本当に長いこともらっていなかったことになるなぁ……ただ、うん、いまはかなりエキサイトさせられているんだ。本当にそうだ。

長い間ひとりで大事にしまっておいた何かを遂に解放した、と。

CC:ああ。「遂に」ね(苦笑)。

ピーター・クリストファーソンがおよそ7年前(2010年)に亡くなりましたが、そのことと今作にはどのような繋がりがありますか?

CC:そうだね、なんと言うか、このアルバムのレコーディングには彼が亡くなる以前から着手していた、みたいな。僕はすでにいくつかのアイデアに取り組んでいたところだったし、スリージー(ピーター・クリストファーソンのあだ名)ともこのヴォーカルのアイデア、人工的なヴォーカルを使うという思いつきについて話し合っていたんだよ。ところが、そうこうするうちに彼が亡くなってしまった、と。それでなにもかもいったんストップすることになったし、彼の死から1年近くそのままの状態になっていたんだ。それくらいショックが大きかったということだし、少なくとも1年の間は、どうしても僕にはこの作品に再び戻っていくことができなかった。けれども、これらの音源に取り組んでいた間も、かなりしょっちゅう自分の頭の隅に彼の存在を感じていたね。だから、「スリージーだったらどう思うだろう?」、「スリージーだったらどうするだろう?」という思いはよく浮かんだ。
ただまあ……しばらく作業を続けていくうちに、やがてこの作品もこれ独自のものになっていった、と。でも、そうだね、彼の突然の死によるショックで、この作品をかなり長い間中断することになった。それは間違いないよ。

坂本:あなたとコージーはまた、ピーター・クリストファーソンが世を去る前から構想していた『Desertshore/The Final Report』(2012)を彼の死後に完成させましたよね。非常にコンセプチュアルな作品でしたが、様々なヴォーカリスト=異なる声を使っているという意味で、本作となんらかの繫がり、あるいは交配はあったでしょうか?

CC:いいや、それはなかったね。『Desertshore/TFR』は完全に独立した世界を持つアルバムだったし、あの作品向けのマテリアルの多くにしても、亡くなる直前まで彼が取り組んでいたものだったわけで。彼はかなりの間あの作品の作業を続けていたし、僕たちがパートを付け足したり作業できるようにと音源ファイルをこちらに送ってきてくれてもいたんだ。で、あれ、あのプロジェクトに関しては──僕たちとしても、あれ以外の他のもろもろとはまったくの別物に留めておこうと努めたね。というのも、彼には『Desertshore/TFR』に対するヴィジョンのようなものがちゃんとあったし、あの作品向けに彼の求める独特なサウンドというものも存在したから。で、彼が亡くなったとき、彼の遺産管理人が彼の使っていたハード・ドライヴ群や機材の一部を僕たちに送ってきてくれてね。そうすることで、僕たちにあのプロジェクトを完成させることができるように、と。

なるほど。

CC:そんなわけで、あのアルバムというのはちょっとしたひとつの完結した作品というか、それ自体ですっかりまとまっているプロジェクトだったし、それを具現化するためにはやはり僕たちの側も、あの作品特有の手法を用いらなければならなかったんだよ。そうは言っても、あのプロジェクトに取り組んでいた間も僕は自分のアルバムの作業を少々続けてはいたんだ。そこそこな程度にね。というのも、あの『Desertshore/TFR』プロジェクトの作業には僕たちもかなりの時間を費やすことになったし、あの作品に取り組むこと、それ自体がかなりエモーショナルな経験だったから。

父から小型のテープレコーダーをもらったのは、僕がまだ10歳か11歳くらいの頃だったんじゃないかな? で、そのうちに僕はテープレコーダー2台を繋げる方法を見つけ出したし、小型のマイクロフォンも持っていたから、それらを使っておかしなノイズをいろいろと作っていくことができたんだ。

今回のアルバムの背後には、あなた自身のルーツが大きな要因としてあると聴いています。そして、制作中には60年代の電子音楽とトラッド・フォークをよく聴いていたそうですね?

CC:ああ。

で、トラディショナルなイギリス民謡というのは……(笑)あなたのイメージに合わなくて意外でもあったんですけれども、どうしてよく聴いていたんでしょうか? どこに惹かれるんでしょうか。

CC:(笑)いやぁ……まあ、僕はとにかく「良い曲」が好きなんだよ。だから良い曲は良い曲なのであって、(苦笑)別に誰が作った曲でも構わないじゃないか、と。その曲を歌っているのは誰か、あるいは演奏しているのは誰かというこだわりを越えたところで、純粋に曲の旋律に耳を傾けるのもたまには必要だよ。だからなんだよね、僕はアバの音楽ほぼすべて大好きだし、本当に……ポピュラー音楽が好きなんだ。本当にそう。けれども、60年代の電子音楽、たとえばレディオフォニック・ワークショップ(※英BBCが設立した電子音楽研究所。テレビとラジオ向けに効果音他の様々なエレクトロニック・サウンド/コンポジションを制作した)に関して奇妙だったのは……あのワークショップにはかなりの数の人間が関わっていたから(※50〜60年代にかけての期間だけでも9名ほどが参加)、ときにはこう、とてもへんてこなサウンド・デザインや実験的な音楽、サウンド・エフェクツ作品を作ることだってあれば、その一方でまた、実にメロディックで、ある意味……やたら楽しげな、風変わりな歌だのテレビ番組のテーマ音楽をやることもあった、という。

(笑)ええ。

CC:だから、彼らの振れ幅は驚くほど広かったということだし、そのレンジは完全に実験的なものから感傷的な音楽、子供番組向けの感傷的でメロディックな歌もの曲まで実に多岐にわたっていたんだ。で、僕が気に入っているのもその点だし……そうだね、実際のところ、彼らが僕のアルバムになにかしら影響を及ぼしているとしたら、きっとそこなんだろうね。というのも、僕は奇妙なサウンドに目が無いタイプだし、もしも素敵なメロディを備えたトラックが手元にあったとしたら、なんと言うかな、そこに奇妙なサウンドを盛り込むことで、そのトラックをちょっとばかり歪曲させるのが好きなんだ。で、思うに自分のそういう面はレディオフォニック・ワークショップに影響されたんじゃないか? と。

あなたが最初に夢中になったアーティスト/曲はなんだったでしょう? そして、あなたが最初に聴いた電子音楽はなんだったのでしょう?

CC:ああ、最初に夢中になった対象……うーん、それはまあ、どの時期にまで遡るか、にもよるよね? というのも、僕は『Dr.Who』(※1963年から放映が始まり現在も続くBBCの長寿人気SFドラマ。オリジナルのテーマ音楽はレディオフォニック・ワークショップのディーリア・ダービシャーが演奏した)を観て育ったクチだし──

(笑)ああ、なるほど。

CC:それはまさに、いま話に出たレディオフォニック・ワークショップだったわけだよね? だから、ここで話しているのは60年代初期ということであって……かなりメロディ度の高い、『Dr.Who』のテーマ音楽みたいなものもあったし、それと同時にあの番組のなかでは様々な奇妙なノイズも使われていた。それに、BBCが制作した子供向けの番組を聴いていても、そこで使用されていた音楽がレディオフォニック・ワークショップによるものだった、というケースは結構多かったしね。でもその一方で、夜になると今度は自分のトランジスタ・ラジオでトップ・テン番組、いわゆるヒット・チャート曲を聴いていたんだよ。やがて僕の好みはプログレッシヴ・ロックやクラウトロックにも発展していったわけで、うん、自分の好みはかなり多様なんじゃないかと思う。

坂本:あなたの世代はたいてい最初はロックやブルースから入っていると思いますが、あなたの場合はどうだったんですか? たとえばビートルズ、あるいはストーンズの影響の大きさは、あの頃育った英国ミュージシャンが必ずと言っていいほど口にしますよね。

CC:というか、僕は実のところビートルズよりもむしろビーチ・ボーイズの方に入れ込んでいたんだ。ビーチ・ボーイズが本当に大好きだったし、なんと言うか、そこからビートルズを発見していった、みたいな。ああ、それにザ・キンクスの大ファンでもあったね。だから、ちょっと妙な趣味なのかもしれない(苦笑)。

たしかに面白いですね。多くの場合はビートルズから入り、そこからビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』を発見していく……という流れだと思いますが、あなたはその逆だった、と。

CC:そう、僕にとっては順路があべこべだったんだ。

どうしてあなたは電子音楽にのめり込んでいったのですか? 奇妙な、未来的なサウンドのどこに惹かれたのだと思いますか。

CC:んー……その面についての影響源としては、自分の父親も含めないといけないだろうね。というのも、彼はオーディオ・マニアだったし、ハイファイ機材を蒐集していて、とても高価なステレオ・システムをいろいろと持っていてね。すごく上等なスピーカーだとか。でも、そのなかにはテープ・レコーダーも2、3台混じっていて、父はかなり大型なテープ・レコーダーを所有していてね。それだけではなく小型のテープ・レコーダーも持っていたから、やがて父は小さい方の録音機を僕にくれることになったんだ。小さなリールが取り付けられた電池稼働式のテレコ、程度のものだったけれども。
父からあれをもらったのは、僕がまだ10歳か11歳くらいの頃だったんじゃないかな? で、そのうちに僕はテープ・レコーダー2台を繋げる方法を見つけ出したし、小型のマイクロフォンも持っていたから、それらを使っておかしなノイズをいろいろと作っていくことができたんだ。
だから、すべてはあの時期から来ているんだろうね。ティーンエイジャーの一歩手前の段階にいた自分が、父親の持っていた音響機材をあれこれ繋げていたあの時期──まあ、父が仕事に出て行った後にこっそりやっていたんだろうけども。というのも、(苦笑)あれらの機材を僕がいじったり繋げるのを父が許可してくれたとは思えないし……。

(笑)。

CC:(笑)ただまあ、そうだね、ほんと、すべてはあの経験から来ているんだと思う。子供時代の自分には音響/録音機材に触れる手段があった、という。それはあの当時としてはかなり変わっていたんじゃないかな。

お話を聞いていると、あなたは早いうちからただ音楽を聴いて楽しむだけではなく、音楽を作ることやサウンド・メイキングの可能性を自分なりに探ることに興味があったようですね?

CC:ああ、そうだったね。だから、僕はラジオを通じて番組や既成の音楽を録音するというのはほとんどやらなかったし、文字通り、「自分のサウンド」を作り出していたんだよ。もっとも、それらは真の意味での「音」に過ぎなかったけれども。音楽的なコンテンツはまったく含まれていない、サウンドによる純粋な実験だったんだ。それに、いまだに……たぶん僕は、音楽的にはディスレクシア(読字障害)の気があるんじゃないかと思っていて。だからいまだに、キーボード他に文字を書いて目印をつけないといけないんだよ。「これはこの音符に対応する」、みたいな。
僕はなにもかも耳で聴くのを頼りにやっているんだ。完全にそうだね。というわけで、(譜面を読める等の正統的な意味での)音楽に関してはかなり役立たずな人間なんだ。それでも、リズム面はかなり得意だけれども。で……そうは言っても、なにかを耳にしたり音楽が演奏されているのを聴くと、それが良い曲かどうか、さらには調子が合っているかどうかまで、耳で聴き分けられるね。だからほんと、僕はなにもかも耳で聴いてやるタイプなんだ。

アカデミックな訓練を受けた「音楽家」ではない、と。

CC:うん、まったくそういうものではないね、自分は。これといったレッスンを受けたことはなかった。だから、僕とコージーについて言えば、彼女は子供の頃にピアノのレッスンを受けたことがあったから、たぶんキーボード奏者としての腕前は彼女の方が上だろうね(苦笑)。

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僕は奇妙なサウンドに目が無いタイプだし、もしも素敵なメロディを備えたトラックが手元にあったとしたら、なんと言うかな、そこに奇妙なサウンドを盛り込むことで、そのトラックをちょっとばかり歪曲させるのが好きなんだ。


Chris Carter
Chemistry Lessons Volume One

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『Mondo Beat』と今作は、ビートがある楽曲においては似ていると思いますか?

CC:ああ、うんうん。その意見には賛成だね。ただまあ、やっぱり自然にそうなるものなんじゃないのかな? なんと言うか、僕の音楽的な遺産みたいなもの、それはあの作品からはじまっているようなものだしね。だから自分の初期作品にあった要素、それは間違いなく現在の僕がやっている音楽作品にも含まれていると思う。

さて、今回のアルバムについての質問ですが、ビッグなアルバムですよね。しかも2枚組という。

CC:(苦笑)たしかに。

これはある意味、先ほどの質問で答えてくださっているとも思うのですが、収録曲が25曲にまでになった理由はナンでしょう? 純粋に、長い間取り組んできた自然に蓄積してきた音楽をまとめた結果がこれだ、ということでしょうか。

CC:その通りだね。というか、今回リリースするものだけではなく、実はもっと他にもたくさんあるんだよ。

(笑)そうなんですね!

CC:ただ、そのなかでもベストなものを集めたのが今回のアルバムだ、と。だからなんだよ、この作品を『〜ヴォリューム・ワン』と名付けたのは。というのも、自分の手元にはまだかなりの数のトラックが残っているし、それらを今回とは別のセカンド・ヴォリューム、『第二巻』として出せるだろうな、と。それに……このソロ作に取り組んでいた頃、僕はかなりの部分をモジュラー・システムを使って作っていたんだよね。あれを使ってやっていると、自分でも気づかないうちにえんえんと際限なく作業にはまってしまいがちなんだ。いつの間にかスタジオにこもって同じトラックを相手に1時間も費やしていた、みたいな(苦笑)。そんなわけで、この作品をレコーディングしていた10年かそこらの間のどこかの時点で、もっと短く切り詰めるべく、違う作業の流れを開発していったんだ。もう少し自制を心がけた、というね。だからなんだ、収録トラックの多くは尺がとても短いものになったのは。

たしかにそうですよね。

CC:というのも、自分のやっていることに対して聴き手に退屈感を与えたくなかったし、人びとは僕がやろうとしていることの本質を2、3分くらいのトラックで掴んでくれるだろう、たぶんそれで充分じゃないか、そう考えたんだ。でも、そうやって短めな曲をレコーディングするようにしたことで、歳月の経つうちにかなりの量のトラックが集まることになった、と。気がつけば25トラック入りのアルバムができていたわけだよ。

なるほど。その点は次の質問にも絡んでくるのですが、いろんなタイプの曲がありますよね。インダストリアルなテイストのものからシンセポップ調のもの、“Moon Two”のようなメロディアスな曲もあります。それらは曲というよりも断片的というか、アルバムは断片集ともいえるような2〜3分の曲ばかりですね。どうしてこうなったのでしょう? やはり、いまおっしゃっていた自制の作用、制作過程をコントロールしようという思いの結果だった?

CC:それはあったよね。それに、いくつかのトラックに関しては、ほとんどもう他のトラックの「イントロ部」に近い、というものだってあるし(苦笑)……だから、以前にも僕たちはTGやクリス&コージーの楽曲で3分、2分程度のイントロはやったことがあったんだよ。で、今回の作品の一部のトラックもそれらに近いものだ、と。そうは言っても、なにかを味見程度だけに留めておく、その自制の姿勢は自分でもかなり気に入っていてね。この作品を作っている間、それは僕にとって魅力的な行為に映ったんだ。だからなんだよ、アルバムのトーンがかなりガラッと変化するのも。スリージーが亡くなった後、僕は何曲かもっとメランコリックなものを作ったし、けれども時間が経過するにつれてムードも変わっていって、もっとアップリフティングな曲も生まれた。そんなわけで、楽曲の並べ方を決めるのは少々難題になったね。どの順番で並べるか、それを見極めるのにはちょっと時間がかかった。

坂本:なるほど。「克明になにもかも表現した」とまではいかないにしても、ある面で、この作品はここ数年のあなたの人生に起きたていこと、そのダイアリーでもあるのかもしれませんね。

CC:ああ、それは良い形容だね。そうなんだと思う。

もちろん1曲1曲にストーリーがあるというわけではありませんが──

CC:それはない。

あなたの潜っていたムードの変化が聴いてとれる作品、という。

CC:うん。良い解釈だと思う。

僕はラジオを通じて番組や既成の音楽を録音するというのはほとんどやらなかったし、文字通り、「自分のサウンド」を作り出していたんだよ。それらは真の意味での「音」に過ぎなかったけれども。音楽的なコンテンツはまったく含まれていない、サウンドによる純粋な実験だったんだ。

『Chemistry Lessons Volume One』というアルバム・タイトルは、実験報告書のような印象を受けますが、これは現時点でのレポートで、ここから発展していく、しばらく続いていくものなのでしょうか?

CC:うん、だと思う。当初の『Chemistry Lessons』の全体的なコンセプトというのは、非常にエクスペリメンタルな内容になるだろう、そういうものだったんだ。10年くらい前に、その最初期のコンセプトに基づいて作ったトラックを何曲か、オンラインにアップロードしたこともあったんだ。というのも、その時点での『Chemistry〜』のコンセプトはアルバム作りですらなく、ただのプロジェクトだったからね。僕がスタジオで様々な実験をおこない、その結果のいくつかをオンラインで発表し、もしかしたら一部を音源作品として発表するかもしれない、程度のプロジェクトだった。
ところがそれが進化していったわけで、自分の手元にどんどん音源が蓄積していくにつれて、「オンライン云々を通じてではなく、これで1枚のアルバムにできるかもしれない」と自分でも考えたんだ。ただ、次のヴォリュームは今回とはやや違うものになるだろうし、3作目もまた同じく、ちょっと毛色の違うものになると思う。そこはちょっと似ているなと思うんだけど、かつてBBCが70年代にリリースしていた『サウンド・エフェクツ』のレコード(※効果音を集めたライブラリー音源シリーズ)、あれからは今回インスピレーションをもらっていてね。あれはテーマごとに編集された効果音のレコードで、『第一巻』のテーマはこれ、『第二巻』ではまた別のテーマで音源を集める、といった具合だった。
というわけで、ちゃんと準備してあるんだよ。今作には含めずにおいた未発表トラック群、あれらがあれば、『Chemistry〜』のセカンド・ヴォリュームはまたかなり違った響きの作品になるだろうな、と。おそらくもっと長めの楽曲が集まるだろうし、1作目とは異なるトーンを持つものになると思う。

坂本:この『Volume One』のテーマを要約するとしたら、なにになると思いますか?

CC:そうだね、これはシリーズ全体の「見本」みたいなものなんだ(笑)。

(笑)「これからこういうものがいろいろ出てきますよ」と。

CC:(笑)うん。だからこれはある意味、あらゆる側面を少しずつ見せたもの、紹介する内容だね。したがって曲ごとの作風もかなり違う、という。

人工的な歌声を使った曲がいくつかありますよね? “Cernubicua”とか“Pillars of Wah”とかでしょうか? 

CC:うんうん。

あれらの声は、機械で合成したものですか? それとも実際の人間の声を加工したものでしょうか?

CC:その両方が混ざっているね。一部ではヴォコーダーを使っているし、それに……スリージーが『Desertshore』向けに購入した機材も僕たちの手元にいくつかあって、なかにはそれらの機材を使用してヴォイスを加工した例もあった。だから、実際にヴォーカルが歌っていることもあれば、ソフトウェアを使って加工したこともある、と。そうやって異なるテクニックを組み合わせていったものだよ。アルバム制作が進行していくにつれて、どうやってそれを実現させればいいか、そのための作業の流れを発展させていったんだ。だから手法も変化していったし、アルバム作りのはじまりの段階で使ったもののもう自分の手元にはない機材もあったし、その際は改めて別のやり方を見つけ出していったり。だからヴォーカルに関しては、似たような響きに聞こえるものがあったとしても、それらは違うテクニックを用いて作ったものだったりするんだ。リアルな人間の声であるケースもあれば、完全に合成されたものもあるよ。

なるほど。

CC:で、本物の声と人工の声をと聞き分けられないひとがたまにいる、その点は自分としてもかなり気に入っているんだ。

(笑)。あなたのこうした人工的な歌声へのアプローチは、なにを目的としているのでしょうか? どんな狙いがあったのか教えて下さい。

CC:まあ、一部のヴォイスは僕自身の声なんだ。過去に自分の初期のソロ・アルバムでも、自分の声を使ったことは何度もあったしね……。でまあ、一部は自分の声だし、ただ「それ」とは分からないくらいとことん加工されている、と。だから、僕はとにかく……自らになにか課題を与える厳しさというか、難題に取り組むのが好きなんだね。で、クリス&コージーみたいに聞こえる作品にしたくはなかった。というのも、僕たちふたりで作る作品でコージーが歌いはじめた途端、それがどんなトラックであれ、「クリス&コージー」になってしまう、というのは自分でも承知しているからね。まあ、それは当たり前の話だよね、僕たちふたりで作っているんだからさ。ただ、今回の作品に関しては、僕は完全に「ソロ」なプロジェクトにしておきたかった。そう言いつつ、用いた一部のアイデアやテクニックについては生前のスリージーと「どうやればいいか」と話し合いはしたんだけれど、それを除いては、このアルバムではとにかく僕が自分ひとりでやっている、と。だからとにかくすべてを自分内に留めておきたかったし、これは文字通りの「ソロ・アルバム」というわけで、僕以外には誰も関わっていないんだよ。

いくつかのトラックではかなり高音の女性ヴォーカルらしきものが聞こえますが、あれもあなた自身の声を加工したものですか?

CC:うん、それも含まれるだろうし、他のヴォイスも手元にあったね。スリージー所有のハード・ドライヴから発見したもので、彼がアイデアとして使っていたヴォイスがいくつかあったし、それにオンラインで見つけてきたものも混じっている。ただ、それらを非常に高い声域で鳴らすことで、「女性」っぽく聞こえるようになる、と。一方でまた、とても低い音域で楽曲の下方で鳴らしたこともあったし、女性/男性の区別がつけられないんじゃないかな。

なるほど。キメラというか、もしくは両性具有というか──

CC:ああ、うん。

どちらの「性」にもなり得る、と。そうした人工的な声の持つ可能性、無限のポテンシャルがあなたには非常に魅力的なんでしょうか?

CC:まあ、このアルバムに関してはそうだった、ということだね。だから、もしかしたら次のアルバムはインスト作になるのかもしれないし。そうやって、自分にもうおなじみの世界に留まって(苦笑)、シンセサイザーやモジュラーなんかを使った、自分にはかなり楽にやれる音楽をやるのかもしれない。というのも、ああいうヴォーカルを用いると、作業にかなり長くかかってしまうんだ。毎回うまくいくとは限らないし、悲惨な結果になることだってあるしね。

(苦笑)そうなんですね。

CC:(苦笑)ああ。だからまあ、このルートには一通り足を踏み入れたということで、しばらくはこれで充分かもしれない。

初音ミクって知ってますか?

CC:ああ、うん。あの、ヴォーカロイドというのは、以前に自分も使ったことがあったんじゃないかな? (独り言のようにつぶやく)いや、というか、今回のアルバムの1曲でも、もしかしたらヴォーカロイドは一部で使っているかも……? んー……? まあとにかく、うん、僕個人としてはあんまり結びつきを感じられなかったね。あれは純粋にソフトウェアだし、僕はハードウェアを多く使用する方がずっと好きな人間だから。類似したことをやれるプログラムではなくて、むしろ実際のハードウェア機材でやってみるのが好きなんだ。たまに「かなり自分好みのサウンドだな」と思うものもあるとはいえ、あれは聴くのがきつい、というときもある音だよね。

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このソロ作に取り組んでいた頃、僕はかなりの部分をモジュラー・システムを使って作っていたんだよね。あれを使ってやっていると、自分でも気づかないうちにえんえんと際限なく作業にはまってしまいがちなんだ。いつの間にかスタジオにこもって同じトラックを相手に1時間も費やしていた、みたいな(苦笑)。


Chris Carter
Chemistry Lessons Volume One

Mute/トラフィック

ElectronicExperimental

Amazon Tower disk union

最初に作った自作の機材はどんなものだったのでしょう?

CC:60年代に『Practical Electronics』という雑誌を読んでいたことがあったんだけど、回路基板が付録で付いてきたんだよね。毎月、自分の手でなんらかの電子機材を組み立てることができて、パーツも購入できて。

メール・オーダー式の雑誌?

CC:そう。いろんな部品を注文し、自分で組み立てるという。だから僕が初めて作ったシンセサイザーは、あの雑誌で見かけた設計図にすべて基づいていたよ。そこからどんどんもっと大型のシンセを組み立てていくようになったし、他にももっといろんなもの、たとえばエフェクト・ペダル等も作っていって。TGに加入してからは、「グリッサライザー」(Gristleizer:エフェクト・ユニットのモジュール。TGの作品やライヴで多く使用された)というものを作ったね。あれは他の人間の考案したデザインに基づいていたけれども、自分でそれを改めてデザインし直したものだった。というわけで長年にわたって、僕はあらゆる類いの機材を自作してきたわけだね。
ところが歳をとるにつれて既製品を買ってしまう方が楽になってきたし、そうやって買って来たものにたまに改良を加えたり。でもまあ、近頃はあまり機材の自作はやらないね。オリジナルの『Chemistry Lessons』プロジェクトを開始した頃はまだ機材を作っていて、たくさんこしらえていたけれども。たとえばコージーのために「トゥッティ・ボックス」という名の小さなシンセサイザーを作ってあげたりした。で、そこから僕はモジュラーものにハマっていくようになって、自分用にモジュールをいくつか作ったこともあったね。ただ、いまの僕は主に市販のモジュールを購入してやっているよ。というのもモジュラーであれば、独自なものを作るように設定を組むのが可能だからね。モジュールをまとめてどうパッチしセッティングしていくか、そのやり方はひとそれぞれに違うわけで。だからおそらく、僕は自分で回路板を作る作業を、モジュールの購入で代用しているんだろうね。

それらをご自分の好みに合うように改良している、という。

CC:ああ、そうだね。それは自分はよくやるよ。

大学生のときに初めてのソロ・ライヴをやっているんですよね? それはどんなライヴ演奏だったのですか?

CC:(「大学でソロのライヴ・ショウをやったことがあるそうですが」と質問を聞き違えて)ああ、先週やったライヴのことかな? あれは週末におこなわれたムーグ・シンポジウム(※サリー大学が主宰する「Moog Soundlab Symposium」のこと。2018年版は2月3日開催)に参加したときのことで、小規模なライヴ向けのセットアップでやったものだったね。完全に実験的な内容で、キーボード等は一切使わず、モジュール群と箱があるだけ。それらを相手にちょっとしたライヴ演奏をやったんだ、40分くらいの短いものだったけれどね。別にムーグを使ってパフォーマンスしたわけではなくて、僕は単にあのイヴェントの一環だったんだよ。でも、あれは興味深かったな。というのも、僕はあまりライヴはやらないし、とくにソロ・ショウの場合は珍しいからね。ここ2、3年はカーター/トゥッティ/ヴォイドやクリス&コージーで僕たちもたくさんショウをやったけれども、ソロではあまりやってこなかった。だからあれは面白かったよ。

緊張しましたか?

CC:いや、そんなにあがるタチじゃないんだよね。うん、それはないな……自分がなにをすべきか分かってさえいれば、緊張することはまずない。だって、結局は自分が表に出て行って、そこでは人びとが待ち構えている、というだけのことだしね。で、音源を入れてなんらかのノイズを作り出して、それを気に入ってくれる者もいるだろうし、もしも気に入らないひとがいたら、残念でした! ということで。

(笑)。

CC:ハハッ。でも、自分は楽しんだよ。それに、観客たちも気に入ってくれたし、うん、あれはグレイトだった! 会場も良かったし、様々なヴィンテージのムーグ機材が置かれた横で演奏させてもらって、環境としてもばっちりだった。会場は素晴らしい空間だったし、音響設備も良くてね。それには大いに助けられたよ。

なるほど……と言いつつ、そもそもの質問は、あなたが大学生だった頃にやった初のソロ・ライヴはどんなものだったのか?ということでして。こちらの訊き方が明確ではなくて伝わらなかったかもしれません、すみません。

CC:ああ! というか、僕は大学には進学しなかったんだけどね。ただ、若い頃、70年代にたくさんの大学でライヴをやったのはたしかだね。イギリス各地の大学を回るツアーをやって、ソロでショウをやったこともあったし、ときには2、3人の友人たちと一緒に回ることもあって、彼らはライト・ショウを担当してくれてね。で、ライト・ショウをお伴に、僕は自家製のシンセサイザーでライヴをやった、という。あれは一種のコンセプチュアルなショウみたいなものだったし、うん、僕たちはイギリス各地の様々な大学を訪れてショウをやったものだったよ。

完全なインスト音楽とライト・ショウによるパフォーマンスだったんでしょうか?

CC:ああ、そうだった。だからまあ、いくつかのシークエンスを伴うアンビエント音楽、みたいなものだったね。

……観客の反応はどんな風だったんでしょう? いまならともかく、その当時としては、こう、かなり風変わりなパフォーマンスだったんじゃないかと想像しますが。

CC:(笑)。

それこそ、「なんだこれは?」と当惑するひともいたんじゃないですか?

CC:(苦笑)ああ……でも、音楽はかなりアンビエントなものだったし。それに、立体音響式でやったんだよね。その点は僕たちしては非常に興味深かったし、当時は立体音響にハマっていたから。ただまあ、お客の多くは「ロックンロール・バンドの類い」を期待して集まってくれたんだろうし、考え込んでしまうひとや困惑するひとたちは多かったね。それでも、おおむね観客の受けは良かったよ。

いろんな部品を注文し、自分で組み立てるという。だから僕が初めて作ったシンセサイザーは、あの雑誌で見かけた設計図にすべて基づいていたよ。そこからどんどんもっと大型のシンセを組み立てていくようになったし、他にももっといろんなもの、たとえばエフェクト・ペダル等も作っていって。

ところで、コージーの『Art Sex Music』を読んだ感想は? じつはいま日本版を訳しているんですよ。

CC:あー、そうだな……

かなり長い本ですけれども。

CC:そうだね。でも僕は、執筆が続いている間に、様々な推敲段階のヴァージョンを読んできたからね。あの本は元々はもっと長くて、それをフェイバー社側が編集してページ数を減らしていったんだ。というわけで僕はあの本のいろんなヴァージョンはすべて読んだことになるね……最終的にまとまった編集版の一部に「カットされて惜しいな」と思った箇所は少しだけあるけれども、でもまあ仕方ないよね、千ページの大著を出版するわけにはいかないんだし、ある程度は編集で減らさないと。
ただ……あれを読むとかなりエモーショナルになってしまうんだ。最後にあの本を読んでからかれこれ1年くらいになるけれども、いくつかの箇所は、読むのがかなりきついからね。そうは言っても、あの本は本当に好きなんだよ。すごく良いなと思ったし、ファンタスティックな本だ。とにかく、コージーのことを本当に誇らしく感じる、それだけだね。というのも、あれらをすべてページに記していく、その勇気が彼女にはあったわけだから、

彼女とのパートナーシップはいまも続いているわけですが、あなたが彼女から受けた影響はなんでしょう?

CC:あー……参ったな(苦笑)! それは大きな質問だよ。

(笑)ですよね、すみません。

CC:いやあ……答え切れるかどうか、それすら自分には分からない(笑)。

分かりました。じゃあ、これは次に取材する機会があるときまでとっておきますね。

CC:(笑)うんうん、次回ね。僕の次のアルバムが出るときに。

最後の質問です。いまだにTGの音楽がひとを惹きつけているのは何故だと思いますか?

CC:自分でも見当がつかないんだ。というか、それは先週末にも誰かと話していたことなんだけどね、「TGの音楽はかなりの長寿ぶりを誇るものだ」、という。で、初期TGのマテリアルの多くには、ある種のタイムレスなサウンドが備わっているんだよね。それがなんなのかは、僕にも分からない。TGのメンバーの間ですら、そのサウンドがなにか? を突き止められなかったからね。あれは相当に「ある瞬間を捉えた」という類いのものだったのに、でもどういうわけか歳月の経過に耐えてきた。一方で、多くの音楽は……ときに古い音楽は、20年くらい経ったらうまく伝わらなくなっている、ということもあるわけだよね? 「いま聴くと最悪だな!」みたいな。でもTG作品の多くには、なにかしら時間を越えた資質めいたものがあるんだよ。
思うに、その資質なんじゃないのかな、古くならないのは。だから、いまTGを聴いている人びと、いまTGを発見しているひとたちがいるのは僕も知っているし、彼らは聴いてかなりぶっ飛ばされているんだよね。で、それはグレイトだと思うし、素晴らしいことだと思っていてね。けれども、どうしてTGの音楽が聴き手にそういう効果をもたらすのか、それは自分でもいまひとつはっきりしないんだ。だから、TGのメンバーたち自身にも見極められないなにか、ということだし、他にもいろいろとあるよく分からないもの、そういうもののひとつだ、ということじゃないのかな?

なるほど。それに、そもそも長寿を意図して作ったものではなかったわけですしね。

CC:それはまったくなかったね。

坂本:2ヶ月ほど前にコージーに取材させてもらう機会があったんですが、そこで彼女も「40年以上経って人びとがまだTGを聴いてくれているなんて思いもしなかった。だからとても嬉しい」と話していましたから。でも、どうなんでしょうね、とても始原的な音楽だからかな? とも感じますが。

CC:ああ、そうだね! それはあるかもしれない。

もちろん、プリミティヴとは言っても電子音楽の形でやっているわけですが。

CC:うん、でも、彼女が言った通り、人びとが僕たちの音楽をその後も聴き続けるだろうなんて、僕たち自身考えてもいなかったからね。40年どころか、10年もしたら忘れられているだろう、そう思っていた。とにかくああして作品/活動をやっていっただけだし、それが終わったらおしまい。次にはまたなにか他のことをやっていこう、と。そうは言ったって、もちろん当時の僕たちはかなりいろいろと考えてTGの活動をやってはいたんだよ。ただ、だからと言って自分たちに「大局的な図」が見えていたわけではなかった、という。もしかしたら、だからだったのかもしれないよね、あんなにうまくいったのは。

4人のまったく異なる個人がTGというグループにおいてみごとにひとつに合わさったこと、それもあったかもしれません。

CC:ああ、そうだね。パーツを組み合わせた結果が単なる総和よりも大きなものになる、そういうことはたまに起きるからね。

わかりました。今日はお時間をいただいて、本当にありがとうございました。

CC:こちらこそ、話ができて楽しかったよ。

新作がうまくいくのを祈ってます。

CC:僕もだよ。聴いた人びとに気に入ってもらえたら良いなと思ってる。

大丈夫だと思います。

CC:そうかな、ありがとう。

ではお元気で。さようなら。

CC:バーイ!

(了)

国府達矢 - ele-king

信じてくれた誰も裏切らない自信がある 国府達矢 10年ぶりのアルバム「ロックブッダ」 これほどに創造的で思いに満ちたアルバムが他にあるだろうか このあり得ないサウンドを前にして僕は人間の底力をもういちど信じることが出来る ──2014年2月3日 七尾旅人のツイートより

 折りに触れ、国府達矢の作品とその存在が自身の活動の大きなインスピレーションとなっていることを深い敬意とともに公言してきた七尾旅人によって突如仄めかされた国府達矢の新アルバムの存在とそのリリースの兆しに、多くのファンがにわかに沸き立ったのが2014年。しかしそれから早4年、その作品は遂に日の目を見ることなく、ときが過ぎていった。
 その間の国府達矢の動静を知るものは少なく、また、じっと沈黙するアーティストの心の内奥を知るには、あまりにも性急にそしてかしましく世のなかや我々も移ろってきてしまった。本作のプレス資料に当たると、彼はこの期間、精神の深い沈潜と葛藤に悩まされてきたという……。

 国府達矢は、元々1998年にMANGAHEADとしてデビュー。その後、2003年本人名義で上述の『ロック転生』をリリースする。この作品は、特有の緊張感を伴った異様なまでの完成度や、縦横無尽な音楽語彙の横溢で「曼荼羅的」とも評され、ゼロ年代に生まれた日本ロック・ミュージックの中でも孤高の重要作としてしばしば語られる名作だ。その後Salyuへの楽曲提供などを経て2011年に「ロックブッダ」名義でシングル「+1D イん庶民」をリリースする。唯一無二の音楽性を更に推し進め、既存シーンの文脈に回収されない魅力を湛えた作品であったが、しかしその後散発的なライヴ活動を行う以外は沈黙を続けてきた。
 そして、昨年に入り自主企画の弾き語りイベントを開始し、遂に本格的に活動再開かと目されていた。そんな中、以前よりそのリリースが待望されていたアルバムが、七尾旅人の篤いサポートもあり、いよいよここに日の目を見ることになったのだ。まさしく語義通り「ファン待望」の作品である。

 そんな本作『ロックブッダ』、まず一聴して驚かされるのは、これまでに増して実験的と言える立体的な音像であろう。例えばアルバム1曲目にしてリード・トラックと位置づけられる“薔薇”では、リズムを基盤として和音楽器が加わっていくというロック音楽の基本構造を解体するように、むしろギターリフが先導してベースの自在なうねりとドラムスよる無数の打音を下支えする(尚今作は全編にskillkillsからスグルとサトシの二人をベースとドラムスに迎えてる。そのプレイの闊達で激烈なこと!)。そして、更に重ねられた国府自身による数多のギターフレーズが、空間を貫く針と糸のように駆け巡るとき、この作品がただごとでなく精緻な音響意識によって織り出されたものだということに早くも気付くことになる。本作のミックスにあたっては、録音素材の可能性を最大に引き出すために、長い模索の上高音質フォーマット(DSD))が使用されたというが、エンジニア達との共闘により、まさしくその効用の程は驚嘆すべきレベルに達していると言っていい。整音という次元を超え、これまでも多くのアーティストが挑んできた音々を建築的に配置するという三次元的ミックス手法の集大成というべき風格を湛えている。
 日本のアニメーション芸術にも大きなシンパシーを寄せてきたという国府ならではの、音響を視覚的に「デザイン」していく意識が、リズム構成とミックスワークにおいて、極めて鋭利に表出する。その視覚的感覚からは、ポスト・ロック、とくにかつてシカゴ音響派と呼ばれていた一群のアーティストによる作品と共通した美意識を嗅ぎ取ることもできるかもしれない。とくに先述の“薔薇”に加えて、“感電ス”、“アイのしるし”といった楽曲で聴かせるアグレッシヴなリズムと、エクスペリメンタルでありながらもあくまでメロウさを湛えたギターのフレージングの融合は、確かにそういったアーティストたちと共振する。
 しかしながら本作は、そのように画一的なイメージ喚起を大きく逸脱するオリジナリティに溢れているのだ。それは、国府自身の歌声およびそのヴォイシングの圧倒的個性に拠るところが大きいだろう。クルーナー的洗練を纏ったまろやかな歌声を聞かせたかと思えば、日本の民謡をはじめ様々なアジア的フォークロアを呼び起こすように、ときに土俗的に、生々しく歌唱する。音階表現とラップ的フロウの関係性はこれまでに増して密接となり、歌唱と語りの区別をすること自体が無意味化される。また、その声は鋭角的にリズムと呼応し合い、アクションペインティングが描く斑のように、音楽全体へと重なり合っていく。それは、よく音響派以降の評論において言われるように「人の声までもが楽器として配置されている」ようでありながら、次々とはき出される言葉は没意味化することはなく、むしろそのリリックはいよいよ際立ったシニフィエを運んでくる。

 リリックといえばやはり、『ロックブッダ』の名の示す通り、散りばめられた様々な仏教的モチーフにも注目したい。もちろんここには、大上段から教義主義的にその宗教世界観を訴えるといったことはない。あくまで我々が住まう世界の美しさを静かに見つめようとする透徹した視線と意識が敷衍される形で、そのモチーフは希求される。
 “続・黄金体験”の中、
 「いつか越えた山々の稜線から 今 惜しみなく零れだした黃金」
 という一節からは、弥勒の降臨や釈迦の臨在といったイメージを読み込むことも可能かもしれないし、また、長い苦悩と沈潜を経て今音楽を奏でることの僥倖を感じているアーティスト自身の喜びの表明とも読むことも出来るだろう。梵鐘のようなヴォリューム処理が施されたギターフレーズに彩られた霊妙なサウンドとあいまって、ある種の神秘体験が呼び寄せられるような感覚にも囚われる。(それは言い方を変えるなら、一般に「サイケデリック」と呼ばれているものであるかもしれない)
 他にも“weTunes”では妙法蓮華経の如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六という仏典から、仏の安寧の世を意味する“雨曼荼羅華”というフレーズがリフレインされるし、また終盤に置かれた“蓮華”では、曲名自体が仏教的モチーフであると同時に、その花の性質として、「その華は泥の中で咲くという」と、難しい環境のなかで密やかに咲く花に対してのシンパシーを捧げてもいる。この曲はアルバムのクライマックスと呼ぶにふさわしく、曲が進行していくに従い徐々に音の厚さをましていき、真言(マントラ)を思わせるコーラスとともに、国府流のウォール・オブ・サウンドともいえる境地に到達することで、まさしく「耳で視る曼荼羅絵巻」とでも言える音楽世界が作り出されている。
 そして、(これは是非CDを初めから最後まで聴くことで体験してほしいのだが)アルバムは“Everybody's@buddha nature”という空白の楽曲によって閉じられる。それは、仏教においてもっと重要な概念であるうちのひとつ、「空」の顕現なのだろうか。音も歌詞も無い曲。ケージの「4'33"」は4分33秒の時間という幅を伴っていたが、ここではもはやそれすらも存在しない音楽が奏でられる。「無音」すらも「無」い。そういう意味では、これ以上に仏教的な「リリック」は無いのかもしれない。

 長い沈黙と苦悩を経たアーティストが、久々に作品をリリースするとき、人はどうしてもその人の辿ってきた葛藤や思考、ときにはその救済の物語に思いを馳せることとなる。それは、個人史を巡る興味となる一方、そのような物語を感得することで、彼が作ったその音楽自体の輝きに、より一層浴することも出来るのではないだろうか。もちろん、作品は作家からは独立しているのだ、という議論もあるだろうし、あくまでテクストとして音楽を分析することの意味も大きかろう。しかし国府達矢のように、その身体と全霊を自身の創作へ怯み無く投入してきた音楽家の場合、その作家自身の思想や世界観、そして辿り来た精神のドキュメントが欠け難い作品のピースとして結晶しているという意味において、我々はその作家自身に肉薄をすることを避けては通ることはできない。
 演奏、アレンジ、音響面での追求など、自らの音楽を偏執的とさえ言えるほどに磨き上げようとする技術的希求と、その仏教的な世界把握で自身の生と創作を不可分の地平に据えるアール・ブリュット的クリエイティヴィティが、精神の内奥で激しく相克する。その、ときに作家自身をも飲み込んでしまうような相克のダイナミズムこそ、彼の作り出す音楽の大きな魅力であり蠱惑であることは間違いない。テクストを読み解く知性とともに、形而上学的存在への眼差しも携えていよ。その愉楽に感応せよ。この『ロックブッダ』は、彼の音楽と彼自身の生を通じて、そう教えてくれる。

 彼はこれから更に2枚のアルバムの連続リリースを控えてるという。
 国府達矢の帰還に心からの祝福と喜びを。

この葛藤の連続がいつか誰かのためになることを知った
正面から真正面から 叫ぶ
そうだ あらゆる隔たりを超えていけ
──“薔薇”

Agit Disco - ele-king

 みなさんこんにちわ。先週末、石野卓球のDJで踊った編集部・野田です。先日、ele-king booksから刊行された『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(原書タイトル『Agit Disco』)の発起人/監修者のステファン・ジェルクン氏が、彼のサイトにて日本版に追加された各プレイリストに対してコメントしています。
 https://szczelkuns.wordpress.com/2018/02/05/agit-disco-japanese-edition/
 しっかり長渕剛まで紹介されていました(笑)。

 また、わたくしめが本サイトにて発表した「基礎編+α」もそのままコピペされているのはいいのですが、今回の仕事中、ステファン・ジェルクン氏とのやりとりのなかの私信に書いたRCサクセションおよび忌野清志郎の説明までそのままコピペされております。少し大袈裟な表現ですが、そう思っているのでまあいいいか。
  https://szczelkuns.wordpress.com

 最後にもうひとつ業務連絡です。来週、3月12日(月)@DOMMUNE、19:00~21:00、『超プロテスト・ミュージック・ガイド』刊行記念番組をやらせていただくことになりました。出演は、日本版の企画および監訳の鈴木孝弥氏、コントリビューターの1人でありDJの行松陽介氏、そして編集部の小林+野田です。4人それぞれが2曲ずつ選んでかけようと思います。ぜひ、お越し下さい。ブルー・マンデーの夜をぶっ飛ばしましょう。

interview with Young Fathers - ele-king


Young Fathers
Cocoa Sugar

Ninja Tune / ビート

PopElectronicHip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 たしかに多様であることはたいせつだ。排他的だったり差別的だったりする世のなかが生きづらいのは間違いない。けれど、洪水のようにPCが猛威をふるっている昨今、多様性の賞揚それ自体がひとつの体制と化しつつあるようにも見える。企業も広告に気を配るのにひと苦労だろう。彼らは売らなければならない。資本はなんでも利用する。多様な世界、素晴らしい。そんな世界にふさわしいうちの商品、いかがでしょう。
 そのような風潮のなか、サウンドもメンバーの背景も多様なヤング・ファーザーズの新作がリリースされたことは興味深い。アンダーグラウンド精神溢れる〈Anticon〉からミックステープを発表し、〈Big Dada〉から放った前々作『Dead』でマーキュリー・プライズを受賞、前作『White Men Are Black Men Too』で大きくポップに振り切れながらも挑発的な問いを投げかけていた彼らは、いま、バランスをとることに苦心している。
 無自覚ではいけないのだろうけど、かといってPCマシマシなムードには胃がもたれる――似たようなことは音の扱い方にも言えて、大衆迎合的でありすぎてもいけないし、難解でありすぎてもいけない。そのような葛藤は、サブ(=従属的)カルチャーであると同時にカウンター(=対抗的)カルチャーでもあるポップ・ミュージックに背負わされた、永遠の宿命と言っていいだろう。ヤング・ファーザーズはその両岸でバランスをとるのが抜群にうまい。たとえば、今回のアルバムの冒頭を飾る"See How"から2曲め"Fee Fi"の馴染みやすくかつエッジイな音選びを経て、アノーニのようなヴォーカルがアフリカン・パーカッションを連れてくる3曲め"In My View"へと至る流れには、多様性が体制となったこの時代をサーフする巧みなバランス感覚が表れ出ている。
 アルバムごとに変化を続けている彼らではあるが、ヤング・ファーザーズというバンドの芯に揺らぎは見られない。彼らはいまもむかしも変わらず「ポップ・ミュージックとは何か」という問いのなかでもがき続けている。そのエンドレスな格闘のもっとも新しい成果報告が、この『Cocoa Sugar』なんだろうと思う。

ポップ・ソングはバランスがすごく大事で、聴き覚えがある部分と、聴いたことのない、おもしろくてもっと聴きたいと思うような部分のバランスが取れているのが良いポップ・ソングだと思うんだよね。

今回の新作は、前作とはまた異なるアルバムに仕上がっています。制作するうえで方向性やテーマのようなものはあったのでしょうか?

アロイシャス・マサコイ(Alloysius Massaquoi、以下AM):前作からの継続だとは思っているんだけど、同じ方向性でわりとシンプルにしたところはあるかな。アレンジに関しても一貫性を持たせるというか。僕らはポップ・ソングを作るという難業に挑んでいる。ポップ・ソングってじつは作るのがいちばん難しいタイプの音楽だと思っていて、重要なのはバランスのとり方なんだよね。すべての正しいものを正しいところに収めていかないといけない。そうしないといいものができない。それがポップ・ソングだからね。その意味で前作でやったことをさらに推し進めつつも、新たなカラーを持ち込んだ。明るいカラーだね。全体としては前作よりも大人になったアルバムと言えるかもしれない。その理由は自信がすごくついたこと。自信があるからやりたいことをやりたいようにできるようになった。やりたいことを自由にオープンに表現するためには、すごく自信が必要なんだと思う。クリエイターとしてそれを得ることができたから、さらに確信を持って作ることができたんじゃないかな。

グラハム・"G"・ヘイスティングス(Graham 'G' Hastings、以下GH):まったくいま言ったとおりなんだけど、いろんなものを押し込めるというよりは、厳選して作り上げた音楽かもしれない。「曲」という認識で作っているから、たとえばブリッジがあってヴァースがあってコーラスがあるというような構成の部分と、音的にもリヴァーブとかのエフェクトに頼るんじゃなくて、ドライに音を作って曲を浮き彫りにするということは考えたかな。

ケイアス・バンコール(Kayus Bankole、以下KB):僕らは作品を作るたびに毎回違うものを作っているんだよね。それは、自分たちに挑みつつ安全圏からつねに踏み出していこうという姿勢の点では同じなんだけれど、結果としてできるものが変わっていくということだね。色合いが増えたとか、明るさについての話が出てきたけど、それは音そのものというよりも感覚的なものかなあ。フィーリング的により明るいものになっているね。僕らはもともとダークなバンドってわけじゃないんだけど、今回はより明るいものを求めていたってのはあるのかもしれない。他のメンバーも言ったとおり、曲の構成をしっかりするということや、内容やトピック、個人的なことに関してもなんでも、わかりやすく伝えやすくすることを考えながら曲として仕上げていった。

AM:ポップ・ソングはバランスがすごく大事で、聴き覚えがある部分と、聴いたことのない、おもしろくてもっと聴きたいと思うような部分のバランスが取れているのが良いポップ・ソングだと思うんだよね。そこは目指したな。

今回のアルバムを制作するにあたって影響を受けた音楽、または映画や本などがありましたら教えてください。

GH:とくに影響源はないよ。ファースト・アルバムもそうだったけど、自分たちは何かを聴いて「これをマネしてやろう」なんて思うことはいっさいないし、とくに今回のアルバムはそれが顕著だったんだ。音楽的に「このサウンドで」と参考にしたものはないね。とにかくスタジオに入って、さあ作ってやろうという勢いで作ったアルバムだったからね。

KB:あらかじめ自分たちの頭のなかに、こんなことをやりたいというイメージがあったから、それをスタジオに入ってそのまま形にすることができたのはすごく良かったと思う。影響源となるものをこちらから求めなくても、自分たちのなかに蓄積があったってこと。もちろん、そのままの形でアルバムになったわけではないけど、自分たちの気持ちに素直にやった結果、新たな発見があったりもして、そうしたなかでできあがったアルバムかな。

AM:ある意味自分たちで勝手にストーリーを作っちゃったようなアルバムだと思っていて、よそから引っ張ってきたと言うより、フェイクもリアルも入り混じった僕たちの作ったストーリーという感じのアルバムなんだよね。

KB:(前作から)2年という月日があって、もちろん音楽は聴いていたんだけど、それまでに自分たちが送ってきた生活や、日常的なことから作り上げられた自分というものが、今回は自然な形で表れているんじゃないかな。新しいサウンドとか新しい方向性をあえて模索しなくても、自分たちが送ってきたふつうの生活が新しいものになってアルバムに出ていると思う。だからここで新しいスタートを切れたような気がするんだよ。(2011年の)『Tape One』もそういう性格のアルバムで、それまでの自分たちの生活から生み出されたものだった。それ以降の作品は、それを踏まえて作ってきたところがあるけど、今回はいったんそれをチャラにして、まったく新しいチャプターが開けたような感覚のあるアルバムなんだ。

GH:だいたい僕らは飽きっぽいからさ。人と一度何かをやるとすぐ飽きちゃうんだよ。だから前と同じことができないというのもあるんだけど、そういう意味でもこの年月のなかで培ってきたものがおのずといい形で出たアルバムなのかなと思う。

KB:「新しいチャプター」という言い方はぴったりだね。他の音楽をまったく聴いていないなんて言うつもりはないし、ふだんからヘッドフォンを持ち歩いて聴いたりはしているんだけど、自分たちに染み込んでいったものが自然と出てきているんだろうな。だけど、あくまで作るという過程、自分たちを表現するという過程においては、その聴いていたものに立ち返ってそれを紐解くというようなことはしていない。自分たちのなかにすでにあるものを自問自答するような形で、自分たちにチャレンジするような、自分たちのなかで議論をしながら作っていったものなんだ。じっさいの作業に入ったら他のものはぜんぜん聴かないね。その部屋のなかで自分たちだけで作ったものなんだよ。

「新しいチャプター」という話が出ましたが、今回はリリース元も前作までの〈Big Dada〉から、その親レーベルの〈Ninja Tune〉へと変わりましたよね。

GH:新しいスタイルになったことで上に上がれたわけだけど、どうかな(笑)。これで満足してもらえるといいね(笑)。「新しいチャプター」だから新しいスタッフと組んでみて、さあどうなるかな、ってところだな。でもフレッシュなスタートを切れたのはよかったよ(笑)。いまのところは順調だね(笑)。

KB:ブルシット! ブルシットだね! はははは!

今回マッシヴ・アタックとともに来日を果たしましたが、あなたたちにとって彼らはどのような存在ですか?

GH:いい人たちだね(笑)。彼らはオリジナル性のあるバンドだった。何もないところからああいう独自のサウンドを作り上げたという意味で、僕らもそうしていきたいと思わせてくれる存在だね。そういう人たちと話ができるのはすごくいい経験だったと思うよ。

AM:しかもそれで成功しているんだもんな。成功例として真似たい存在だとも言えるかもしれない。彼らは一貫性を持ち続けて、あれだけ長く活動して成功しているからね。

GH:あれだけ独自性を持ちながら成功を収めるというのは、じっさいすごく難しいことだと思う。しかもそれを続けているんだからね。それを見ていると希望がわくというか、拘ってやっていってもいいんだなと思える。レコードを売るために、みんなからああしろ、こうしろって言われるようなことをやっていかなくても、自分たちのやりたいことに拘っていくことで成功できる可能性もあるんだなと思わせてくれるバンドだと思うよ。

子どもの頃は、「エディンバラには何もないから外に出ていきたい」と感じていたね。それが逆にエディンバラから受けたいちばんの影響だったような気がするよ。

『T2 トレインスポッティング』ではヤング・ファーザーズの曲が使われていましたが、それはダニー・ボイルから直接オファーがあったんですか?

GH:そうだね。その話をもらって撮影現場まで行ったんだけど、彼は映画ごとに「この音楽を聴きながら作る」というタイプの人だったんだ。あのときはたまたま僕らの音源をずいぶん聴いていたみたいで、それで僕らを信頼して任せてくれたんだよね。すごくいい人だったよ。

オリジナルのほうの『トレインスポッティング』を観たときはどのような感想を持ちましたか? 世代的にリアルタイムではないですよね。

AM:時代の感じが出ている作品だと思う。いまとなっては名作だもんな。当時はヘロインなんかのドラッグ、スコットランドのネガティヴな部分が出ているって文句を言っていた人も多かったみたいだけどね。そのパート2に自分が参加しているんだなという感覚はあるよ。

GH:僕は好きだったよ。

AM:『シャロウ・グレイブ』とか、その前のやつも好きだったな。あと、あの作品はなんだっけ? そうだ、(アーヴィン・ウェルシュ原作の)『アシッド・ハウス』(監督はポール・マクギガン)とかも好きで観ていたよ。

『T2』を観ていてもっとも辛くなった場面はどこでしょう?

AM:最後のほうで僕らの曲が流れてくるところはすごく好きだったけどな。観ていて辛いというか、ふたりの友だち同士が殺し合って首を絞めるシーンとか、そこへ至るまでの緊張感はあったけど、でもそれが嫌だというわけではなくて、そこで自分たちの音楽がサウンドスケープ的に流れてくる感じは好きだったな。

『T2』で使用された"Only God Knows"は今回のアルバムには収録されていませんね。

GH:あれは映画用の曲なんだ。ダニーからオリジナル曲を頼まれて、それで書いた曲だからアルバムには入れていないんだ。

『T2』ではプロテスタントの飲み会に侵入して「ノーモア・カトリック」と合唱するシーンがありますが、そういった光景はいまでもエディンバラでは日常的なのでしょうか?

KB:そのシーンはあんまり印象に残ってないな(笑)。

GH:そういう宗教的なところよりもむしろ、フーリガンの対立のほうが印象に残っているね。まあ、そういうのはエディンバラよりもグラスゴーのほうが色濃いとは思うけど。

AM:あれはどちらかというとお笑いのシーンなんだよ。ああいう人たちの姿から見てとれる滑稽さだとか、「ノーモア・カトリック」って叫んでいるうちにお金を取られちゃったりする滑稽さだとかを描いているんだと思う。

その場面には何か政治性みたいなものがあると思いますか?

GH:笑えるって思えるのは自分たちの地元だからかもしれないけどね。僕らが子どもの頃は、サッカーを観に行けばチーム同士のライヴァル意識からああいうことがよく起こるものだったし、サッカーの世界における互いに対する根深い憎しみというのは、もう笑っちゃうくらいなんだよ。それがああいう形で映画のなかで表現されているということが僕らからすればすごくおかしい。というのも真実だからね。真実だからこそ笑っちゃうというか。もちろん問題としては深刻な部分もあるのかもしれないけど、僕らからするとああいう形で不思議なエディンバラ的なものが描かれているというのはおもしろいし、それを他の世界の人たちが見たらどうなのかなっていうのは興味のあるところだね。

KB:もちろん笑ってしまうようなこともいいことばかりじゃないけどね。ただあの映画のなかでは、あのシーンの役割として、ちょっと笑いを含む滑稽さが出ていたと思う。

スコットランドではEU離脱をめぐる国民投票で60%以上が残留を支持したり、ニコラ・スタージョンの独立路線など、政治的なことがいろいろと起こっていますが、ヤング・ファーザーズの新作にもそういったことが影響を及ぼしたりしているのでしょうか?

GH:ふつうに曲を書いているだけだよ。

AM:もしかしたら逆の意味での影響は出ているかもしれない。そういう状況があるからこそ自分たちがものを作ることに幸せを見出して、作っていて楽しいと思えるとか、逆説的な意味での影響はあるかもね。でも起こっていること自体が音楽に出ているかというとそんなことはない。べつに聴いていて鬱屈するようなことは歌っていないし、俺に言わせれば希望を歌っているものが多いと思う。ダークな曲を書いている人がダークな状況にいるとは限らないのが音楽の世界だと思うんだ。自分たちが書いている曲の内容も、たとえば自分のことだけじゃなくて、生活のなかで出会った誰かのことをキャラクターとして描いていることもあるし、まったくの架空のことを書いていることもあるし。それができるのが創作の良さだと思っている。だからいまそういう現状があるということをそのまま書くのではなくて、そのなかで暮らしている人たちの姿を曲にしているという感じかな。

GH:サウンド的には聴いていてダークな感じはしないと思うんだ。僕が個人的にいいと思う音楽は、歌詞をじっくり読むとそういったダークなテーマを扱っているけれども、仕上がりとして曲を聴いたときには踊ってしまうような、笑顔になってしまうような曲だから、今回の曲たちもそういう仕上がりになっていると思う。リズム的にはアップなんだけど、歌っていることの概念的な部分ではもうちょっと深いところを突いているような曲になっているんじゃないかな。それも滅入ってしまうようなことではなくて。さっきからバランスという話が出ているけど、そういう意味でいろんな要素を取り合わせつつ、最終的にはポジティヴな感覚を伝えたいということだね。

今回質問を用意したもうひとりは、『T2』で描かれるエディンバラにすごく笑ったそうで、彼の子どもは『ハリー・ポッター』で描かれるエディンバラに憧れているそうなんです。ヤング・ファーザーズの音楽もエディンバラの土壌と関係していますか?

KB:俺も笑ったよ。それはいいことだと思う。

GH:たぶん一般的に描かれるエディンバラのイメージというのは、きれいで住みやすい街みたいな感じなんだろうけど、そういう表面的なところからは見えない、でも育った人なら知っているみたいな部分があの映画には描かれていて、しかもそれが映画のスクリーンにボンと出てくるというのが地元民からするとすごく笑えるんだ。いかにも「らしいな」という部分、みんな知らないだろうけど僕らは知っているからこそ笑えるという感覚があって、僕らからすればそれがあの映画のおもしろさだったんだ。たしかにエディンバラには二面性があって、経済的な部分ではある程度豊かであるという良い面がある一方で、ドラッグの問題なんかの悪い面もあって、その二面性のふだんは表に出てこない裏側のほうにハイライトを当てたというのがあの映画のおもしろさなんだよね。

AM:『ハリー・ポッター』は好きじゃないからな。観に行ってもいないし。

GH:あれは完全にファンタジーだから実感はないね(笑)。美しい古い建物がある街だから、そういう環境がああいうファンタジーを生むということは理解できるけど、若いやつらが夢中になれるようなカルチャー的なことで言えば、僕らが育ってきた時代はほんとうに不毛だったよ。改善されてはいるけど、いまだにその名残はあるね。だからアーティストがエディンバラに居場所を見つけるのはすごく難しくて、芸術の世界で何か成功を収めたいと思ったら「ここに留まっていたらダメだ」という感じがいまだにあると思うんだ。

KB:もちろんエディンバラにはエディンバラの文化があるよ。外から入ってきた人がそこに馴染むのは難しいし、そこに居場所を求めるのも難しいから内向きになっていくんだろうな。最近は多少は良くなってきているけどね。

ヤング・ファーザーズの音楽にはそういったエディンバラらしさが出ていると思いますか?

GH:それはとくにないと思う。そりゃふだんから暮らしている街だから、何かしら自分たちのなかに入り込んでいるエディンバラらしさというのはあるのかもしれないけど。子どもの頃は、「エディンバラには何もないから外に出ていきたい」と感じていたね。それが逆にエディンバラから受けたいちばんの影響だったような気がするよ。他に何かを求めるとか、あるいは自分たちの空想の世界に逃げ込むといったことが、エディンバラが僕らに与えた最大の影響かもしれない。

AM:僕らが若い頃はエディンバラには本当に何もなくて、ユース・クラブっていう若い子が集まれる場所が2ヶ所あったくらいで、外へ出ていきたかった。あの街が僕らに与えた影響は、他の国へと目が向いたり、あるいは自分の世界に籠もってしまったりするようなエスケイピズムだった。もちろん、暮らしていくなかで自分たちに染み込んできた街の要素というのはいくつかあると思うけど。

GH:たしかにあの街は僕らにインスピレイションを与えているよ。あの街が僕らをインスパイアして何かをやらせたというよりは、そこに何もないという現実が僕らに他に何かを求めるインスピレイションをくれたということになるのかな。

interview with Silent Poets - ele-king

 いかなる物語にも良いときがあり、悪いときがある。人の人生において喜びに浮かれるときもあれば、悲しみで胸を痛めるときがあるように。家具屋のカタログのようにはいかない。ぼくたちはとにかくそうして生きている。サイレント・ポエツ=下田法晴もそうだ。
 サイレント・ポエツは、いわばマッシヴ・アタックへの日本からのアンサーだった。“ダウンテンポ”なるスタイルの継承者である。リーズのナイトメアズ・オン・ワックス、ブリストルのポーティスヘッド、ブライトンのボノボ、ウィーンのクルーダー&ドーフマイスター、パリのザ・マイティ・バップ、DJカム、ラ・ファンク・モブ……そして日本ではサイレント・ポエツ。
 昨年はクルーダー&ドーフマイスターも新作を出している。トスカ(ドーフマイスターの別プロジェクトで、Chill好きには必須の“チョコレート・エルヴィス”の作者)の名盤『Suzuki』も再発された。今年に入ってからはナイトメアズ・オン・ワックスも新作をリリースした。いまここにサイレント・ポエツが12年ぶりに新作『dawn』をリリースする……と書けば筋書き通りだが、ぼくたちの人生とはそんなにイージーではないし、そんなに小綺麗でもない。

 ぼくは人生に落ちぶれた人たちが集まる酒場にいた。居心地は悪くない。むしろ気分がいいくらいだ。


Silent Poets
dawn

Another Trip

DowntempoDub

Amazon Tower HMV

 サイレント・ポエツは、最初はミュート・ビートに影響されたインストのレゲエ・バンドだった。それがマッシヴ・アタックを通過して、下田を中心としたよりエクレクティックな音楽性のプロジェクトへと展開するわけだが、根底にあるのはダブであり、こだま和文が絶えず発する“悲しみ”や“痛み”、あるいは小さな“微笑み”かもしれない。ひとつ言えるのは、そこが彼の帰る家だったということである。サイレント・ポエツ印でもあるストリングス・サウンドは以前のように優雅に響いてはいる。が、しかし今作には深い、そう、12年分のエモーションが込められている。
 ラッパーの5lackとNIPPS、櫻木大悟(D.A.N.)、レゲエ・シンガーのHollie Cook、イスラエル出身のフィメール・ラッパーのMiss Red、オーガスタス・パブロの息子のAddis Pablo……などなど多彩なフィーチャリングを擁しているが、今作のリリースには制作費を援助するような後ろ盾となるレーベルは存在しない。彼はとにかく人生のいろいろな局面を乗り越えて、なんとかしながら、おそらく這いずるように音楽の世界に戻ってきたと。

どんどん状況悪くなって、けっこうへこんだというか。お金もないし、みたいな感じになってしまって。いままではあんまりそういうことを感じて作っていなかったので、それはけっこうキツかったですね(笑)。

12年前のことなんてもう覚えていないと思いません?

下田法晴(以下、下田):そうですね。もう消えてますよね(笑)。思い出そうとしたら、いろいろと嫌な思い出も思い出しますけど(笑)。

この12年間で世の中があまりにも変わったからね。その前の12年よりも変わったでしょう

下田:そうですね。急激に変わりましたね。そういうのもリリースできなかった理由のひとつかもしれないですね(笑)。

こと音楽を取り巻く状況が変わりすぎたでしょう(笑)?

下田:そうですね。どんどん状況悪くなって、けっこうへこんだというか(笑)。お金もないし、みたいな感じになってしまって。いままではあんまりそういうことを感じて作っていなかったので、それはけっこうキツかったですね(笑)。

レーベルとの契約があってやっているんだったらともかく、下田くんみたいにインディペンデントで12年ぶりに作品を出すのってそれなりに気持ちが必要だったんじゃないかと思うんですが。

下田:それは相当ありましたね(笑)。出したくてもできないという状況がずっと続いていたんですけど、4年前にエンジニアの渡辺省二郎さんが声をかけてくれて、ダブ・アルバムみたいな作品を出したんですよね。あれをきっかけにその流れでまたやろうと思ったんですけどなんかまたできなくて(笑)。それで沈みかけたんですけど、そのときに(NTTドコモの)CMの話があって、本当に久々に新曲というものを書いたんですよ。

それが5lackの曲?

下田:そうですね。それが思った以上によくできたというか、評判も良くて。それもあってちょっと自信を取り戻したというか、それでやれるかなというときにちょうど25周年というタイミングだったので、これはいまやるしかないと感じたんですよね。

デビュー25周年?

下田:そうですね。結成になるともうちょっと長くなるんですけど、最初のCDを出したのが1992年くらいだったかな。もう26年目ですけど(笑)。

『SUN』からアルバムを出さなくなったけど、下田くんのなかでは「いつかは出そう」という気持ちはあったんですか?

下田:もちろんありました。でもそういう気持ちと出したいけど自信がないというのがずっと交差していて、あとは後ろ盾もなくなって自分でやるにはどうやってやったらいいんだろうというか。お金の問題とか、そういうことを考えているとなかなかできなかったんですね。曲もちょこちょこ作ってはいたんですけど、なんとなく「止めた」という感じになってしまっていて、それを繰り返してかなり燻ぶっていたんです。そういうなかで震災があったり、どんどん良くない状況になっていって、本当にどんどん奥まっていったというか(笑)。

やっぱり作品を発表していないと、自分が次出しても聴く人がいるのかと思ってしまうと良く聞きますけどね。とくにコンスタントに出していた人はね。

下田:当たり前なんですけど本当にこの10年でぼくのこと知らないって人がすごく増えたので(笑)、若い世代の人とか今回オファーした人で聴いたことない人がいることがけっこうショックで、「あれ?」みたいなことがあって(笑)。それもジワジワ効いてきていて、これは本当にヤバいんじゃないかと(笑)。

忘れられるんじゃないかと(笑)?

下田:忘れられるし、過去の栄光みたいなものなので。本当に過去の人になっていたなと思いましたね。

いまではインターネットで昔のものをディグるようなこともあるじゃないですか。そういうことの影響はなかったですか?

下田:なくはなかったですけどね。「ファースト良かったよね」とかそういうことはしょっちゅう言われ続けていたんですけど、いまの作品がなかったから「いまはなにやってんですか?」みたいな質問が怖くて(笑)。「昔はこんないいの作っていたのに、いまはなにをやってるんですか?」みたいなことを訊かれたりして、「やりたいと思っているんですけどね」というような言い訳をするのがすごく辛かったですね(笑)。それを本当に長いことやってきていたから、どんどん消耗していったというか(笑)。

まさに自分との闘いみたいな(笑)。

下田:それはありますね(笑)。

制作環境は昔と変わっていないんですか?

下田:もう全然(違いますよ)。昔は事務所を防音したりしてスタジオみたいなところを作っていたりしたんですよね。でもいまは事務所もないし、家のちっちゃい机で最小限の機材でやっているだけなので。だけどやっていたらあんまり関係ないなと思いました(笑)。そんな機材とか防音とかしなくてもできるっちゃできるというか、今回やってみたらなんとかなりましたね。でも逆に狭められたのが良かったのかもしれないです。すごく良い環境であぐらかいて……、はやってなかったですけど(笑)。

はははは(笑)。

下田:機材もほとんど売りましたけど、全然関係ないと思いました。あったらあったで良いとは思うけど、ないなりのやり方があったというか。

そういう意味だとニュー・ルーツの人とか(笑)、UKグライムやベース系の若い世代の人たちとかの、PCとソフトウェアだけの最小限の環境に近いというかね。

下田:それが良かったりするんですよね。

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今回は作っていてミュート・ビートというものに影響を受けたことをあらためてすごく感じたというか。今回はその影響もモロに出しちゃっていますし、しかもこだまさんにも参加してもらっていますし、自分にとって本当に大きな存在だということを改めて感じましたね。


Silent Poets
dawn

Another Trip

DowntempoDub

Amazon Tower HMV

サイレント・ポエツは元々ミュート・ビートに影響を受けたバンドだったんですよね。

下田:そうですね。初期はぼくがドラムを叩いていたし(笑)。ちゃんとメンバーとしてギターもベースもキーボードもいましたしね。

いまのリトル・テンポですよね。

下田:リトル・テンポのメンバーの数名はそうですかね。

今回のアルバムにはこだま(和文)さんが参加されていますよね。

下田:そうなんですよ。

サイレント・ポエツの歴史を考えると、今回のアルバムにおいて重要な客演の一人じゃないかという気がします。

下田:そうですね。今回は作っていてミュート・ビートというものに影響を受けたことをあらためてすごく感じたというか。今回はその影響もモロに出しちゃっていますし、しかもこだまさんにも参加してもらっていますし、自分にとって本当に大きな存在だということを改めて感じましたね。朝本(浩文)さんが亡くなったということもあって、あの後にまたミュートを聴いていたんですよね。それでやっぱりすごいなと思って。

ミュートのどこが好きですか?

下田:なんですかね。このシンプルで、重くて強くて……。

悲しみのこもったメロディーは似てると思います(笑)。

下田:哀愁とか(笑)。そこは本当に好きですね。だからバンドでやろうとしたときにあまりに似ちゃって、どうしようもなかったんですよね。似たものが出来ちゃって「これミュートじゃん」って。暗い曲が多かったから、レゲエにしちゃうと本当に全部ミュートになっちゃうみたいな感じで、これはもうできないなと思ったんですよ(笑)。そこからサンプラーを買って、他の音楽も好きだったのでそっちのほうに移行していって、バンドでやる音楽ではなくなったのでぼくが勝手に分裂させちゃったんですけど。

当時の印象だと、ミュート・ビートの次に影響が大きかったのはマッシヴ・アタックだったんじゃないかなと思います。

下田:そうですね。そのふたつは完全に二大巨頭としてありますね(笑)。

だから世代的にミュートの最後期を聴いていて、しばらくしてワイルド・バンチやマシッヴ・アタックが出てくるという感じですよね。

下田:そうですね。その流れでぼくもそっち系のものも聴いていましたね。

とにかく、今回の新譜の情報を最初にもらったときに、まず「お」と思ったのがこだまさんでした(笑)。ぼくがこう言うのもなんですけど、本当によく声かけてくれたなと思いましたよ(笑)。

下田:(サイレント・ポエツの)初期の頃に一度声をかけたことがあるんですよ。そしたら「俺がやったらミュート・ビートになってしまう。これはやらないほうがいいんじゃない?」って間接的に言われたんですよね。たしかにそうだなと思ってやめたんですけど、そのアルバムには松永(孝義)さんとかは参加していただいたんですよ。という経緯があって、それを(こだまさんと)飲んだときに話したら「そんなことあったっけ?」ってあんまり覚えていらっしゃらなくて(笑)。

(一同笑)

下田:でも今回は「お前よく俺を呼んだな」って喜んでらっしゃいました(笑)。最初にお願いしにいくときに吉祥寺に飲みに行ったんですよ。こだまさんの行きつけのお店に行って頼んだでみたら、「お前偉いなあ」って言われて(笑)。「自分でやるのか。よく俺を選んだな」って(笑)。

今回こそこだまさんの力を借りたいという?

下田:それもそうですね。あとはやっぱり25周年というアニヴァーサリー感もあって(笑)、本当に好きな人にやってもらいたいと思ったんですよね。

制作は5lackとの曲から始まっていると思いますが、それ以降はどのようにはじまったんですか?

下田:今回は最初からほとんど全部の曲にフィーチャリングを入れようと思っていたので、アルバム全体の感じというよりも1曲1曲を集中して作ったという感じですね。例えばこれは誰にやって欲しいということを念頭に置いて作りながらオファーして、ダメだった人もいたので、そこからちょっと修正しながら作っていきましたね。

じゃあ例えばホーリー・クックとやろうと思ったらその1曲を作って、その次の人と一曲作って、って感じなんだ。

下田:本当にそうですね。そうしているあいだに次の曲を作ったりしていて、制作期間は1年くらいでしたけど、実際に曲を作っていたのは半年くらいでしたね。意外とやりだしたらするっとできたというか(笑)。溜まっていたんですかね。あとは最初からフィーチャリングを念頭においてやったというのがけっこうイメージしやすくて良かったのかもしれないですね。

サウンド的にはどんなコンセプトがあったんですか?

下田:いままで聴いてくれていた方を裏切りたくないというのもあったんですけど、5lack以降はちょっと広がって新しく聴きはじめてくれた方もいたというのも意識して、古くも新しくもないサイレント・ポエツというのをイメージしたかなあ。

ではとくにひとつテーマを設けたということでもなく?

下田:そうですね。全体のテーマというよりは1曲1曲で作っていったので。あとはとにかく復活とか、そういうキーワードはいっぱいありましたけどね(笑)。

とにかくかたちにしていくという?

下田:25周年ということで、26年目になっちゃうとダメだという締め切りもあったので(笑)。

自分でやってみてどうですか? 作るだけじゃないところというか、それこそ制作費とかお金に関するところまで全部自分でやってみて。

下田:そういうことをなんとなくごまかされながらケツを叩かれてやっていたような感じだから、それがわかってやったほうがスッキリできるのかなと思いましたね。めんどくさいこともありますけど、でもいろいろとサポートしてもらったのでわりと(制作に)集中できたと思います。だからやっぱり自分でやるほうがいいのかなと。手伝ってもらわないとできないんですけどね(笑)。

この櫻木大悟(D.A.N.)も下田くんは好きだったんですか?

下田:好きでしたね。いまの新しい世代で本当にかっこいいと思えるのはD.A.N.くらいじゃないかなと思って(笑)。

ちゃんと若い世代の音楽を聴いているんですね。

下田:聴きましたね。ただ最初はやっぱり日本語のヴォーカルにちょっと違和感はありましたね。すごく良かったんだけど、いままでの自分にはなかったものだったからちょっと戸惑ったというか。でもだんだん馴染んできいって最終的には良かったと思っていますね。本当に初の試みだったので。

年齢的には一番離れていますよね。

下田:そうですね。まだ24才くらいですもんね。

彼はサイレント・ポエツは知っていました?

下田:いや、知らなかったですね。それもけっこうショックでした(笑)。

(一同笑)

あんな物知りっぽい感じなのにね(笑)。

下田:音とかスタイルとかシンパシーを感じるところがあったので、名前くらいは知っているかなと思ったんですけど知らなかったんですよね。事務所の社長さんがすごく知っていてくれて。だからたぶん説得してくれたのかなと(笑)。でもちゃんと音を聴いての判断だとは思うので、やってくれて良かったですよ。

ニップスさんはやっぱりって感じですよね(笑)。

下田:そうですね(笑)。

ニップスさんはある意味サイレント・ポエツとは対極ですよね。

下田:本当にそうですよね。でもやりたがってくれるんですよね。それが本当に嬉しくて。このアルバムでもあの曲はかなり効いていますもんね(笑)。いい意味で変わっていなかったですね。

そうですよね。意外と90年代にサイレント・ポエツを聴いていた人たちもこういうアルバムが聴きたかったんじゃないのかなと思ったんですよ。

下田:ああ、たしかにね。

90年代のポエツはもっとスマートな存在で、海外志向が強かったじゃないですか。リミキサーやフィーチャリングのシンガーもだいたい海外勢だったし、あんまり日本のことは考えていなかったでしょう?

下田:そうなんですよ。自分が洋楽で育ったこともあるんですけど CDやレコードを出したときに海外のレコード屋さんの「S」の棚に入っているものを作るというのが当たり前に思ってやっていたので、邦楽とか日本でどうのということは全然考えていなかったというか(笑)。でもいまはもうあっちでも(日本の音楽は)なんでも聴けちゃうじゃないですか。だからそこまで思わなくなりましたけどね。今回はいままで周りで応援してくれていた人とか、「まだ出さないの?」ってずっと言ってくれていた人に向けてというところはけっこうあります。その人たちに「やっとできました」と言えるものを作りたいなという気持ちもけっこうあって、だから人選の幅も広がったのかもしれないですね。

ご自身でもそこは抜けた感じはありますか?

下田:やっと抜け出せた感じはありますね(笑)。

(一同笑)

下田:やっとちょっと顔を出せたかなと。本当に潜っていましたからね。これからは潜らないようにちょっと顔を出していきたいと思います(笑)。でもなんとなく今回やってみて次のこととかを考えるようになったので、次はこんなことをしようとか、今回やり残したことがあるなとか、いろいろ思っているので次はやれそうな感じがします(笑)。前は出したらしばらくはいいやって感じだったんですけど、あまりにも(出さない期間が)長かったので。ちょっと頑張ります(笑)。

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いまの新しい世代で本当にかっこいいと思えるのはD.A.N.くらいじゃないかなと思って。しかし彼はサイレント・ポエツを知らなかった。それもけっこうショックでしたね(笑)。

ちょっと話は戻りますが、この12年間はずっと仕事をして……

下田:そうですね、仕事はしていましたけど(笑)。普通に仕事をしてダラダラとしていましたね。

お子さんは?

下田:子どもはいるんですけど、離婚もしまして(笑)。そういうのもあったんですよね。

それは大変でしたね。

下田:子どもももう高校生ですね。今度2年生になります。

大きいじゃないですか! 会いますか?

下田:1ヵ月に1回くらいは会ってます。バンドやってベースも弾いてるみたいです。

『dawn』も聴いているんですか?

下田:聴いてますよ。今回タワーレコードさんの“NO MUSIC, NO LIFE.”のポスターも展開していただいているんですけど、それを子どもが「見に行ったよ」ってメールをくれて。

へえー!

下田:「この人なにやってんだろう」と思っていただろうから良かったです(笑)。

(一同笑)

いやあ、みんな苦労してるなぁ。ぼくも他人事じゃない(笑)。

(一同笑)

下田:そうですよねえ。

いまいくつなんですか?

下田:いまは51才になったんですよ。

自慢じゃないけど俺なんて54だから……50代キツイっす。

(一同笑)

てっきり下田くんは順風な人生を歩んでいいるのかと……。

下田:みなさんそういうふうに言ってくださるんですけど、もう全然脱線していっていますからね。いまだにそういうイメージを持たれているんですね(笑)。

やっぱりヴィジュアルがビシッとしているから(笑)。

下田:デザインだけは絶対カッコよくなきゃいけないと思うんで。


Silent Poets
dawn

Another Trip

DowntempoDub

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今回のアルバム・ジャケットの写真は砂漠ですか?

下田:これはアメリカにホワイト・サンズという白い砂の大きな砂漠があって、そこで昔から写真を撮ってくれていた内田くんが10年くらい前に撮りに行った写真を使わせていただいたんですよね。

この砂漠の写真というのは自分のイメージと合ったんですか?

下田:合ってますね。写真を使わせてほしいと相談しに行ったら、「これがいいんじゃない?」って出してきたのがこれだったんですね。でも本当にバッチリだなと思って。

それは誰もいないイメージみたいなことですか?

下田:そうですね。この写真って見ようによっては夜が明けて人が1人で歩いて帰ってきた、みたいな感じにも見えるじゃないですか(笑)。

なるほど(笑)。砂漠を歩いてきたというイメージですね。今日はありがとうございました。久しぶりに話せた楽しかったです。

(了)

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