Home > Interviews > interview with Silent Poets - 12年分のエモーション
いかなる物語にも良いときがあり、悪いときがある。人の人生において喜びに浮かれるときもあれば、悲しみで胸を痛めるときがあるように。家具屋のカタログのようにはいかない。ぼくたちはとにかくそうして生きている。サイレント・ポエツ=下田法晴もそうだ。
サイレント・ポエツは、いわばマッシヴ・アタックへの日本からのアンサーだった。“ダウンテンポ”なるスタイルの継承者である。リーズのナイトメアズ・オン・ワックス、ブリストルのポーティスヘッド、ブライトンのボノボ、ウィーンのクルーダー&ドーフマイスター、パリのザ・マイティ・バップ、DJカム、ラ・ファンク・モブ……そして日本ではサイレント・ポエツ。
昨年はクルーダー&ドーフマイスターも新作を出している。トスカ(ドーフマイスターの別プロジェクトで、Chill好きには必須の“チョコレート・エルヴィス”の作者)の名盤『Suzuki』も再発された。今年に入ってからはナイトメアズ・オン・ワックスも新作をリリースした。いまここにサイレント・ポエツが12年ぶりに新作『dawn』をリリースする……と書けば筋書き通りだが、ぼくたちの人生とはそんなにイージーではないし、そんなに小綺麗でもない。
ぼくは人生に落ちぶれた人たちが集まる酒場にいた。居心地は悪くない。むしろ気分がいいくらいだ。
Silent Poets dawn Another Trip |
サイレント・ポエツは、最初はミュート・ビートに影響されたインストのレゲエ・バンドだった。それがマッシヴ・アタックを通過して、下田を中心としたよりエクレクティックな音楽性のプロジェクトへと展開するわけだが、根底にあるのはダブであり、こだま和文が絶えず発する“悲しみ”や“痛み”、あるいは小さな“微笑み”かもしれない。ひとつ言えるのは、そこが彼の帰る家だったということである。サイレント・ポエツ印でもあるストリングス・サウンドは以前のように優雅に響いてはいる。が、しかし今作には深い、そう、12年分のエモーションが込められている。
ラッパーの5lackとNIPPS、櫻木大悟(D.A.N.)、レゲエ・シンガーのHollie Cook、イスラエル出身のフィメール・ラッパーのMiss Red、オーガスタス・パブロの息子のAddis Pablo……などなど多彩なフィーチャリングを擁しているが、今作のリリースには制作費を援助するような後ろ盾となるレーベルは存在しない。彼はとにかく人生のいろいろな局面を乗り越えて、なんとかしながら、おそらく這いずるように音楽の世界に戻ってきたと。
どんどん状況悪くなって、けっこうへこんだというか。お金もないし、みたいな感じになってしまって。いままではあんまりそういうことを感じて作っていなかったので、それはけっこうキツかったですね(笑)。
■12年前のことなんてもう覚えていないと思いません?
下田法晴(以下、下田):そうですね。もう消えてますよね(笑)。思い出そうとしたら、いろいろと嫌な思い出も思い出しますけど(笑)。
■この12年間で世の中があまりにも変わったからね。その前の12年よりも変わったでしょう
下田:そうですね。急激に変わりましたね。そういうのもリリースできなかった理由のひとつかもしれないですね(笑)。
■こと音楽を取り巻く状況が変わりすぎたでしょう(笑)?
下田:そうですね。どんどん状況悪くなって、けっこうへこんだというか(笑)。お金もないし、みたいな感じになってしまって。いままではあんまりそういうことを感じて作っていなかったので、それはけっこうキツかったですね(笑)。
■レーベルとの契約があってやっているんだったらともかく、下田くんみたいにインディペンデントで12年ぶりに作品を出すのってそれなりに気持ちが必要だったんじゃないかと思うんですが。
下田:それは相当ありましたね(笑)。出したくてもできないという状況がずっと続いていたんですけど、4年前にエンジニアの渡辺省二郎さんが声をかけてくれて、ダブ・アルバムみたいな作品を出したんですよね。あれをきっかけにその流れでまたやろうと思ったんですけどなんかまたできなくて(笑)。それで沈みかけたんですけど、そのときに(NTTドコモの)CMの話があって、本当に久々に新曲というものを書いたんですよ。
■それが5lackの曲?
下田:そうですね。それが思った以上によくできたというか、評判も良くて。それもあってちょっと自信を取り戻したというか、それでやれるかなというときにちょうど25周年というタイミングだったので、これはいまやるしかないと感じたんですよね。
■デビュー25周年?
下田:そうですね。結成になるともうちょっと長くなるんですけど、最初のCDを出したのが1992年くらいだったかな。もう26年目ですけど(笑)。
■『SUN』からアルバムを出さなくなったけど、下田くんのなかでは「いつかは出そう」という気持ちはあったんですか?
下田:もちろんありました。でもそういう気持ちと出したいけど自信がないというのがずっと交差していて、あとは後ろ盾もなくなって自分でやるにはどうやってやったらいいんだろうというか。お金の問題とか、そういうことを考えているとなかなかできなかったんですね。曲もちょこちょこ作ってはいたんですけど、なんとなく「止めた」という感じになってしまっていて、それを繰り返してかなり燻ぶっていたんです。そういうなかで震災があったり、どんどん良くない状況になっていって、本当にどんどん奥まっていったというか(笑)。
■やっぱり作品を発表していないと、自分が次出しても聴く人がいるのかと思ってしまうと良く聞きますけどね。とくにコンスタントに出していた人はね。
下田:当たり前なんですけど本当にこの10年でぼくのこと知らないって人がすごく増えたので(笑)、若い世代の人とか今回オファーした人で聴いたことない人がいることがけっこうショックで、「あれ?」みたいなことがあって(笑)。それもジワジワ効いてきていて、これは本当にヤバいんじゃないかと(笑)。
■忘れられるんじゃないかと(笑)?
下田:忘れられるし、過去の栄光みたいなものなので。本当に過去の人になっていたなと思いましたね。
■いまではインターネットで昔のものをディグるようなこともあるじゃないですか。そういうことの影響はなかったですか?
下田:なくはなかったですけどね。「ファースト良かったよね」とかそういうことはしょっちゅう言われ続けていたんですけど、いまの作品がなかったから「いまはなにやってんですか?」みたいな質問が怖くて(笑)。「昔はこんないいの作っていたのに、いまはなにをやってるんですか?」みたいなことを訊かれたりして、「やりたいと思っているんですけどね」というような言い訳をするのがすごく辛かったですね(笑)。それを本当に長いことやってきていたから、どんどん消耗していったというか(笑)。
■まさに自分との闘いみたいな(笑)。
下田:それはありますね(笑)。
■制作環境は昔と変わっていないんですか?
下田:もう全然(違いますよ)。昔は事務所を防音したりしてスタジオみたいなところを作っていたりしたんですよね。でもいまは事務所もないし、家のちっちゃい机で最小限の機材でやっているだけなので。だけどやっていたらあんまり関係ないなと思いました(笑)。そんな機材とか防音とかしなくてもできるっちゃできるというか、今回やってみたらなんとかなりましたね。でも逆に狭められたのが良かったのかもしれないです。すごく良い環境であぐらかいて……、はやってなかったですけど(笑)。
■はははは(笑)。
下田:機材もほとんど売りましたけど、全然関係ないと思いました。あったらあったで良いとは思うけど、ないなりのやり方があったというか。
■そういう意味だとニュー・ルーツの人とか(笑)、UKグライムやベース系の若い世代の人たちとかの、PCとソフトウェアだけの最小限の環境に近いというかね。
下田:それが良かったりするんですよね。
取材:野田努(2018年3月07日)