Home > Interviews > interview with Toru Hashimoto - 橋本徹がブラジリアン&ブリージンなコンピに込めた渋谷系の哲学
千葉雅也は『センスの哲学』において、曖昧模糊としたセンスという観念を構成する要件のひとつに「反復と差異のバランス」を挙げた。特に差異はリズムとも言い換えられ、絶え間ないトライ・アンド・エラーの先にこそオリジナリティが偶然発露するのだと論は展開されていく。
その点、橋本徹(SUBURBIA)が時代のリズムと一定の距離を取りながら、コンパイラー/選曲家という独自のアングルより提示してきた価値観には、豊かなオリジナリティが宿っていると言わざるを得ない。東京ならではの感性でレア・グルーヴと共振した『Free Soul』やピースフルで穏やかなリラクシンを約束する『Cafe Apres-midi』といったコンピレーション・アルバム集は、約30年の時を経ても一定のフィーリングやテイストを示すキャラクターとして定着している。先日刊行された『渋谷カルチャー考現学──稀代の編集家・橋本徹(SUBURBIA)ライフ・ヒストリー』の帯に付された「『選ぶこと』と『編むこと』が都市の『空気』を変えた!」という文言は、その仕事を端的に表している。日本の、東京の、渋谷の空気がコンピレーション・アルバムの中に真空パックされているのだ。
そんな橋本の手掛けた新たなコンピレーション・アルバム『Free Soul ~ Brazilian Breeze for P-VINE』『Cafe Apres-midi ~ Brazilian Breeze for P-VINE』が2枚同時に発売された。タイトルのとおり、ここではブラジリアン・ミュージックが選曲の主軸に置かれ、それと同時に「ブリージン」というフィーリングへも迫っていく。ジョアン・ジルベルトやマルコス・ヴァーリといった大看板ではなく、『Free Soul』や『Cafe Apres-midi』の選曲史の中で誕生したオリジナル・クラシックをメインに構成されているのが本企画のミソだ。P-VINEから同タイミングでリイシューされた関連タイトルのラインナップとセットで眺めてみると、本邦における独自のブラジリアン・ミュージック受容が見えてくるかもしれない。
今回のインタヴューでは橋本徹に『Free Soul ~ Brazilian Breeze for P-VINE』『Cafe Apres-midi ~ Brazilian Breeze for P-VINE』の選曲へ至った過程を訊くとともに、日本のDJカルチャー史におけるブラジリアン・ミュージックの独特なポジションについても尋ねた。そして話題は、1990年代に唱えられた「世界同時渋谷化」(©川勝正幸)というワードに象徴されるような、2020年代の全世界的なポップ・シーンへと至る。
フィーリング主導のリスニング体験が当たり前となったいま、90年代の渋谷で起こった静かなパラダイム・シフトに目を向けることは、眼前の景色をより豊かにすることに違いない。以下に続くQ&Aからその端緒を見つけてくれれば幸いだ。まさに橋本の言葉を借りるならば、敷居は低く、奥は深く。
権威主義やブラジル原理主義的な選曲よりも、DJも重宝して、多くの人に楽しんでもらえる自由で風通しの良いコンピを求められているんだろうなと。だからこそ「ブリージン」っていうフィーリングも大切にしたんだよね。
■今回はブラジリアン・テイストにフォーカスした2枚のコンピレーション・アルバムの発売に際したインタヴューということで、橋本さんとブラジル音楽の関係について改めて聞かせてください。というのも、橋本さんの選曲家人生を語る上で、ブラジリアン・ミュージックの持つある種の風通しの良さがムードの醸成に大きな影響を与えたと思っていて。
橋本:心地よい、ブリーズが吹き抜ける、という感じですね。
■まさにそうです(笑)。なのでいろいろと聞きたいトピックはあるのですが、まずは今回のコンピレーション・アルバムを制作することになった経緯から伺わせてください。
橋本:去年の12月にP-VINEから「レーベルの50周年に合わせて、何か一緒にやれませんか?」というお誘いがあって。ただ、そのときは『渋谷カルチャー考現学』のインタヴューの起こしが手元に届いてまもない頃で、編集協力という形でも携わることになって、50万字を25万字に削らなきゃいけないタイミングだったんです。だからとにかく忙しかったんですが、それでもP-VINEのお祝いはしたかったから、年末にまず『Free Soul』のロゴ入りTシャツを提案されて、OKしたんですよね。その時期に『Free Soul』のジャケットをデザインした小野英作が亡くなってしまったのもあって、タグの裏に彼のSNSのアイコンをプリントして、R.I.P.の意思も込めたプロダクトをまず作ることにして。
今回作ったコンピレーションについても同じタイミングで話を貰ったんですが、P-VINE側から「ブラジリアンで作りませんか?」という具体的な提案があって。P-VINEは年月を積み重ねてカタログを充実させてきたし、コンピと同時に収録アーティストのオリジナル・アルバムも含めて展開しようと思ったんでしょうね。僕自身も『Free Soul』や『Cafe Apres-midi』で重要な役割を果たしたブラジリアン・テイストの楽曲をリスナーにフレッシュなものとして届けたかったから、ジョー・フェンデルとかイェレーヌ・ショグレンとかの新たなライセンスを進めてもらって。それが今年の春先かな。
■それで夏のリリースに合わせて「ブリーズ」というテーマも設定したと。
橋本:そう、夏に向けてのシーズン感も意識しながら、打ち合わせで「『ブラジリアン』というテーマと同じくらい『ブリージン』というフィーリングも大事にしたい」って話したんです。結果的にいまのP-VINEのカタログで作れるベストな作品としてふたつのコンピレーションができたという。
しかも、今回はP-VINE側から「LPで出しませんか?」っていう提案をいただいて。これまでは自分からレコード会社にLP化を提案することがほとんどだったんだけど、30年くらいかけて時代は回ったんだろうなと。だからLPをオリジナル・フォーマットに2枚のコンピを選曲して、CDは2 in 1にしたっていう。
■なるほど。年末にP-VINE側からブラジリアンのコンピレーションを提案されたとき、その意図は伺わなかったんですか?
橋本:いろいろ聞かなくても、何となく意図はわかりましたね。僕に頼むということは、権威主義やブラジル原理主義的な選曲よりも、DJも重宝して、多くの人に楽しんでもらえる自由で風通しの良いコンピを求められているんだろうなと。だからこそ「ブリージン」っていうフィーリングも大切にしたんだよね。
──コンピレーションの選曲や同タイミングでの発売となったリイシュー作品のラインナップを眺めてみても、ブラジル本国の作品というよりも、むしろ北欧やアメリカのジャズ/フュージョン方面からブラジリアンにアプローチしている作品の方が大勢ですよね。原理主義的なラインナップではないというか。
橋本:そう。メタ・ルースやイェレーヌ・ショグレンみたいなスウェーデンの女性シンガーもいれば、レムリアみたいなハワイのバンドもいるし、アグスティン・ペレイラ・ルセナのようなアルゼンチンのギタリストもいる。これはここ30年の日本の音楽シーンにおいてブラジリアン・ミュージックがどのように受容されてきて、どのような切り口が有効であったのかを示していて。だからこそP-VINEは長い時間をかけて、『Suburbia Suite』や『Free Soul』を参考にしながらも、クラブやカフェのシーンを視野に入れながらこういう音源の契約を進めてきたわけですし。インターネットの時代になってから原盤権者にアプローチしやすくなったっていうのも大きいでしょうね。ここまで豊富にカタログが揃ってるなんて、1990年代前半までは絶対ありえなかったわけで。
■その独特なブラジリアン・ミュージックの受容史について順を追って伺いたいのですが、そもそも橋本さんとブラジリアン・ミュージックはどのようにして出会ったのでしょうか?
橋本:僕は高校生の頃にポスト・パンクやニュー・ウェーヴを好きになって、80年代の前半は、日本では「ネオアコ」と呼ばれるミュージシャンが多く出てきた時期で、その頃にエヴリシング・バット・ザ・ガールとかボサノヴァに影響を受けたアーティストが結構いたんですよね。それでイギリスの音楽を通してブラジル音楽に興味を持って、大学に入ってからジョアン・ジルベルトとかに夢中になって。
■『渋谷カルチャー考現学』にもそのリスニング遍歴は描写されていますね。
橋本:はい。それで80年代後半に入ると、デイヴィッド・バーンやアート・リンゼイからカエターノ・ヴェローゾへ至る流れが新たに生まれて。
■『Beleza Tropical』(注:デイヴィッド・バーン主宰の〈Luaka Bop〉より発表されたコンピレーション・アルバム。1960年代のブラジルで勃興したトロピカリア・ムーヴメントのアーティストを中心に編纂され、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルを欧米へと広く紹介した)が1989年です。
橋本:僕が大学4年生の頃だね。そこでクラブ・カルチャーの洗礼を受ける前のブラジル音楽への個人的なアプローチが進んだ記憶があって。中古レコード店を回る中で、ブラジルの音楽も自分のストライク・ゾーンとして探していましたね。
ただ、当時はまだブラジル盤が東京のレコード店に直接入ってくることはほとんどなかったから、必然的にブラジル以外の国で生まれたブラジリアン・ミュージックを掘って自分のコレクションを充実させていく必要があって。有名/無名を問わずね。
■レコードを通じてブラジリアン・ミュージックにリーチしようとした場合、他の国を経由したブラジルものを探すことが最もアクセスしやすかったと。
橋本:そういう環境でしたね。だから1990年代に入って『Suburbia Suite』を始めてからは、そこで得た知見を使ってレヴューやコラムを書くことが多かったです。
そして──ここからが今回の『Brazilian Breeze』キャンペーンに繋がってくるんですけど──、1990年代前半にロンドンでジョイスをはじめとするブラジリアン・ミュージックがDJの間で人気になるんだよね。やはり重要な役割を果たすのはジャイルス(・ピーターソン)だけど、彼にブラジリアンを教えるようなDJもいたりして、とにかく一気に盛り上がり始めたんです。アライヴ!の “Skindo Le Le” から始まる〈Soul Jazz Records〉の『London Jazz Classics』が1993年に出て、東京でもWAVEとかHMVの棚にダーっと並んでね。
ブラジルのレコードに関する明治維新みたいなことが起きたのはその時期で、東京でもロンドンから影響を受けたDJがブラジリアンをテーマにしたクラブ・パーティをするようになったんだよね。僕自身も1992年から93年にかけて、東芝EMIからジョイスの『Feminina』とかイヴァン・リンスとか、自分が好きなブラジルのレコードのCDリイシューの監修を頼まれたりして。他にも1970年代の〈Blue Note〉のカタログ──いわゆる「BN-LA音源」だね──からモアシール・サントスとかを集めた『Blue Saudade Groove』というブリージンなコンピレーションを作ったり。だからやってることは30年以上変わってないね(笑)。
■しかも当時から「ブリージン」嗜好だったという。
橋本:便利なもので、『渋谷カルチャー考現学』の巻末には自分の400枚近いコンピのリストが発表順に並んでいるんだけど、2番目に『Blue Saudade Groove』があるんだよね。これが1993年で、その夏に出した『Suburbia Suite: Introduction To Future Listening』でも巻頭でブラジリアン・グルーヴの特集を載せていて。当時はそれだけ東京のクラブ・シーンがブラジリアンの色合いに染まってきていたタイミングなんだよね。すぐ後に編んだイタリア映画音楽のBEATレーベルや、日本の浜口庫之助や沢田駿吾のコンピも、テイストはブリージンでブラジリアンでしたし。
それに、1994年の春にスタートする『Free Soul』のコンピレーション・シリーズの帯を見ると、「グルーヴィー・メロウ・サウダージ」というワードがすでに並んでいるんだよね。だから『Free Soul』の柱になるテイストの三本柱のひとつがサウダージで。その直前に出した『Suburbia Suite: Welcome To Free Soul Generation』でもDJのためのブラジリアン・グルーヴをたくさん選盤していて。
東京ならではのブラジリアンに対するパースペクティヴを大事にしたかった。
■『Free Soul』シリーズが始まった90年代前半はダンス・ミュージックとしてブラジリアン・ミュージックを再解釈したと。そこから『Cafe Apres-midi』シリーズでは少し異なったテイストに移ったのはなぜですか?
橋本:当時はブラジリアンに対する時代の好奇心の深まりが凄かったんだよね。本物志向になって、とにかく踊れて激しいものへとフォーカスしていったDJや、より民族音楽的な指向になっていったコレクターもいて。例えばバトゥカーダとかいまならバイリ・ファンキとかに行くような感じで。ただ、個人的には好きなんだけど、東京の街で『Free Soul』で週末に楽しく盛り上がりながらピースな時間を過ごすうえでは、ストライク・ゾーンから外れるんじゃないかという疑問も抱くようになって。その違和感の追求が結果的にロンドンやパリやNYやブラジルにはない東京らしさになっていったんじゃないかな。
それで1999年にカフェ・アプレミディをオープンしてからは、僕らが求めているセンスの、雰囲気の良いレコードを探すための環境もようやく整って。その中に北欧とか東欧のボッサ・ジャズがたくさんあって、今回の『Cafe Apres-midi』のリストにも繋がっていくという。廃盤買い付けの専門店が東京や大阪にいくつもできて、ようやくアメリカやイギリス以外の珍しいレコードも手に入るようになったのは大きかったですね。
■なるほど。それで楽しく踊れる『Free Soul』シリーズからリラックスしてくつろぐ『Cafe Apres-midi』シリーズへとドラスティックに変わっていったというか。
橋本:ドラスティックではなくて、グラデーションのように、といった感じでしたけどね。僕としては東京ならではのブラジリアンに対するパースペクティヴを大事にしたかった。例えばジョイス・クーリングの “It's You” は『Free Soul』でも『Cafe Apres-midi』でもかけられる、その間に位置したような曲だし、実際に1996年に手に入れてDJで使いまくっていたんですが、盗難にあったのか、半年くらいでレコードバッグからいつの間にか消えてしまって(笑)。でも、カフェを始めるから買い直して、やはりかけるようになって。ディグでも発信でもそういう独自性は意識してたかな。
■その後、2001年よりUSENの音楽放送チャンネル「usen for Cafe Apres-midi」が開設されます。ボサノヴァが「カフェ・ミュージック」というイメージと結びついたのもちょうどこの頃です。
橋本:前年の夏に始めた『Cafe Apres-midi』のコンピ・シリーズが大ヒットして、カフェ・ブームが社会現象のようになって、どんな良い曲をかけても「カフェ・ミュージック=穏やかなボサノヴァ」という偏見がついてしまいましたね。もちろん自分が築き上げたイメージでもあるんですけど、そこから脱皮したい気持ちもあって、街で流れるBGMを更新したい思いも強くなって。何て言えばいいのかな……玉石混淆から玉だけを取り出す審美眼をつねに意識していたかな。マルコス・ヴァーリ〜エリス・レジーナ〜ジョイス〜パウリーニョ・ダ・ヴィオラの『Cafe Apres-midi』ベスト盤を編んだり、自分でもフレンチ・ブラジリアンのカチアやクレモンティーヌを監修プロデュースしたりしながらね。そして2007年には、アントニオ・カルロス・ジョビン生誕80周年を記念して、リオにも行って、ボサノヴァ関連を中心に、コンピを年間32枚も作ることになるわけですが(笑)。でも今回のコンピ収録曲でも、ジェリー・マリガンやロマン・アンドレンのように、ボサノヴァ以外の「usen for Cafe Apres-midi」の大定番はいろいろあるんですけどね。
■いまはサブスクリプション・サービスが隆盛になり、橋本さんの実践されていたフィーリング主導でのリスニングが当たり前のものになったじゃないですか。その上でプレイリストとコンパイルされたアルバムとの差分を考えた場合、「玉だけを取り出す審美眼」が重要な気もしていて。
橋本:僕自身はサブスクのプレイリストでもコンピレーションでも玉だけを選りすぐる意識なんだけど、他人の選曲に関しては玉石混淆でも楽しめたりしますね。ボール球も気持ちよく振りたくなるというか。
■野球で喩えるとそうなりますね(笑)。また、フィーリング主導のリスニングが隆盛という点では、川勝正幸さんが「世界同時渋谷化」と評していた時代状況に限りなく接近しているのではないかと。具体的には、レイヴェイやリアナ・フローレスのようなSSWがワールド・クラスの人気を獲得していますよね。
橋本:どちらも1stシングルからもちろん追いかけてるけど、まさに『Free Soul』以前の『Suburbia Suite』って感じの世界観だよね。 当時は「Soft, Smart, Sweet, Sophisticated」とか形容してたけど、それがまさかいまほど大人気になるとは。
■また直近のトピックですと、ミン・ヒジンが『Suburbia Suite』を手にしていましたね。
橋本:ミン・ヒジンは必然的に『Suburbia Suite』の世界観や思想に辿り着いてくれたと思いますね。NewJeansのいくつかの曲を聴いてもそれは感じていました。曲調としては『Free Soul』だけど、MVに映るシーンやアイテムは『Suburbia Suite』的だよね。
■例えば “Bubble Gum” のMVとか……。
橋本:まさに! ちょうどいま、白いシャツや海辺やシャボン玉が印象的な “Bubble Gum” のMVを思い出しながら話してたんだよね。クール&キュートな曲が『Free Soul』で、甘酸っぱくて胸疼くようなMVが『Suburbia Suite』っていう……こんなインタヴューでいいんですか?
■大丈夫です(笑)。
橋本:まぁ、要は再解釈とか編集とか、そういうセンスの話に繋がっていきますよね。実際に、僕の学生時代と比べたら『Free Soul』や『Cafe Apres-midi』の影響を受けた音楽が、街中に格段に増えたと思います。そこにはもちろんブラジリアン・テイストも含まれていて。
■橋本さんの仕事を振り返るとき、しばしば「無血革命」という単語が使われます。「世界同時渋谷化」が進行し、「街で流れるBGMを更新する」という目標が30年越しに達成され、いまはある意味で革命が成功した世界にいるのではないかと。
橋本:そう言ってもらえるのは、やっぱり嬉しいですね。そんな立派な話ではないんですけど(笑)。でも例えばJ-POPのヒット曲が心地よい16ビートのグルーヴを基本とした『Free Soul』みたいな曲ばっかりになった時期があって、そのときは嬉しかったですね。特に90年代のSMAPの存在は大きかった。そういう風に自分の好きなフィーリングが間接的に街の中で一般的になっていく過程が好きで。SMAPの『SMAP Vest』のアートワークが『Cafe Apres-midi』そっくりだったり(笑)。あとは『Free Soul』10周年のときに作った『We ♡ Free Soul』っていうCDマガジンのブックレット対談で、小西(康陽)さんから「コンビニに行ったらORIGINAL LOVEをバックに長渕剛が歌っているような曲がかかっていて、よく聴いたらシャ乱Qの “ズルい女” だったんだけど、それ考えると『Free Soul』って無血革命だよね」って言われたりして。
たぶんそれは2020年代を見通しても同じで、例えばクレイロとかは風間(一慶)さんみたいな若い世代も好きだと思うんだけど、僕らの周りの元「渋谷系」みたいなアラフィフの人たちもみんな大好きなんだよね。レイヴェイがここまで人気になったり、リアナ・フローレスが〈Verve〉と契約したりするのも近い現象かもしれない。今日リリースされたばかりで、ずっとリピートしてたガールスウィートヴォイスドとかも、きっとそうなると期待してるんだけどね。「もしかしたらまた『Suburbia Suite』の時代が来るかも?」とか考えながら(笑)。
■まさにフィーリング主導というか。
橋本:そう、昔と変わらない感覚でいまの音楽を聴きながら喜ばせてもらっているわけで。だからかつて広めたような音楽をコンパイルするときにも、そういう現在進行形の気分で向き合いたいなってことはいつも思ってます。
今回のコンピでも古い曲に混じってパトリシア・マルクスとセウ・ジョルジの “Espelhos d’Agua” みたいな2010年代の曲も入っていたりして、原理主義的な聴き方や教科書的な音楽史観ではありえない選曲かもしれないけど、それも含めて『Free Soul』『Cafe Apres-midi』 なんだよね。僕らみたいな音楽なしでは生きていけない人たちだけじゃなく、「なんかカッコいいな」とか「ちょっとお洒落で良い雰囲気だな」みたいなリスナーに届けるのが、僕はやっぱり大切なんだと思っていて。だからもちろん、敷居は低く、奥は深く、なんですよね。
●『渋谷カルチャー考現学──稀代の編集家・橋本徹(SUBURBIA)ライフ・ヒストリー』
渋谷系と呼ばれる文化現象の本質を、スーパー・エクレクティシズムと捉えるなら、橋本徹は間違いなくその先鞭を付けたひとりである。当時としては、他の国には見られなかった、この歴史的文脈や地理的条件から脱した、目眩のするようなポストモダニズムの音宇宙を、彼は「サバービア」という二重にひねりの利いた言葉を使って括り、その目利きの美学を「フリー・ソウル」という、これまたひねりの利いた仮面をもって包み込んだ。この確信犯の素顔について知りたければ本書を読むしかない。野田努(ele-king)
取材・序文:風間一慶(2026年8月04日)