Home > News > RIP > R.I.P. 鷲巣功
鷲巣(功)さんにとってぼくはこしゃくな後輩だったと思う。後輩と言っても同じ高校の出身というだけで、世代がひと回り上の鷲巣さんと在学時期が重なっていたわけではない。初めてお会いしたのは2008年、静岡ロックンロール組合のアルバム『永久保存盤』の再発にともなう取材のときで、場所は下北沢のカフェだった。
当時ぼくは『remix』というクラブ・ミュージック誌の編集長を務めていた。鷲巣さん自身はクラブもDJもまったくピンときていなかったと思う。まあ、サンプリング音楽ということ自体が気に食わなかった人だ。それでも同郷かつ同門のよしみをきっかけに親しくなり、お互い酒好きということもあって、以来、たびたび顔を合わせる仲となった。
最初のうちは、鷲巣さんのロック談義や河内音頭の話を聞きながら、大人しくして相づちをうっていたぼくも、慣れてくると、だんだん意見を言うようになり、話が合わないこともしばしばあった。いや、ほとんど合わなかった。
いきなりぼくが鷲巣さんにホアン・アトキンスについて話すわけではない。たとえば、「だいたいですね、鷲巣さんのように、ポール・バターフィールドやクリームは認めるけど、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスは認めないという評価軸は〜」みたいなことをぼくは言うわけだが、鷲巣さんはそれを笑って受け止めて(若いころは違っただろう)、「いや、俺はレッド・ゼペリンは嫌いじゃなかったよ。ところツトム、おまえ、ドン・ウォズはどう思ってる?」みたいな切り返しをする。「ディスコ時代の曲なら知ってますが……」「あれが出てきたときは、おもしれぇと思ったんだよ[*ドン・ウォズはデトロイト出身で、ブルースとジャズを影響源としている]」とか、そんな感じで、話を自分の土壌に持っていく。ここでぼくが、Pファンクに寄せようとすると、口の悪い静岡人らしく「ありゃ宴会バンドだね」などと言ってくるので、ぼくはむっとして「なるほど、唯一無二の宇宙規模の宴会バンドですね」とやり返したり、そんな具合に話はまとまらないのだ。
鷲巣さんは、交友関係も活動領域も幅広い人だった。ラジオDJであり、音楽ライターであり(癖のある文体だったが、名文家だったと思う)、そして、ランキン・タクシーのデビュー・アルバム『火事だぁ』(1989年)のプロデューサーという偉業もある。このアルバムは、日本における最初期のdeejay作品であり、ユーモアと社会批評を含んだ名作だ。
もちろん、日本で最初期のインディ・ガレージ・ロック、彼が高校時代に録音した静岡ロックンロール組合の自主制作アルバムも忘れてはらない。
ほんとうにいろんなことをやってきた人だ。「自分はずっと裏方で、裏方でいることが好きなんだよ」と言っていたけれど、そのなかでも、いろんな出会いといろんな決裂をしてきている。ぼくが知っている鷲巣さんはそのほんの一部に過ぎないが、鷲巣さんの功績のひとつが河内音頭研究であることは、多くの人が認めるところじゃないだろうか。
戦後、洋楽を浴びるように聴いて育った日本人が、洋楽界における盲目的な西洋崇拝に嫌気がさし、西洋の模倣ではない、自分が熱狂できるこの国固有の音楽はないのか、そう思うのは、当たり前の心理かもしれない。ことに、安保世代の最後のほうの鷲巣さんの内面では、アメリカへのものすごい憧れと反米感情とが複雑に絡み合っていただろうし、自分のバンドを「組合」と名乗るほど、政治的には左派であるからこそ日本内部の庶民の世界に、ひとつの突破口を見出そうとしたんだろうとぼくは思っている。
鷲巣さんの河内音頭研究は、ラディカルなパワーを持った大衆文化の探索という点で、本人は意識していなかったが、平岡正明の系譜にある。ただし、ロック世代における河内音頭研究の先鞭を付けたのは、中村とうようの『ニュー・ミュージック・マガジン』と藤田正さんであり、音楽関係以外の在野における先駆者のひとりには、鷲巣さんが師と仰いだ朝倉喬司——それこそ日本におけるスタッガ・リーと言える侠客・国定忠治を追った名著『走れ国定忠治』で知られる——がいる。そのふたつの流れを引き継いだ鷲巣さんだから、短絡的に、民謡=日本の文化などといって賞揚しているわけではなかった。
河内音頭をファンキーで独創的な「日本の誇るべきストリート・ミュージック」として再定義/再文脈化し、それを一冊にまとめた。これは偉業と言えやしないだろうか。鷲巣さんの力作『河内音頭』の編集をやらせてもらえたことは、ぼくにとって光栄極まりない。鷲巣さんと話していると、自分はまだまだ日本から逃げているなぁと気付かされたことが何度もあった。
鷲巣さんは河内音頭を調査し、論じただけではない。ある時期まで河内音頭推進協議会の議長を務め、その傍ら、実践のひとつとして、河内音頭をジャマイカのスティーヴン・スタンレーにダブ・ミックスしてもらうという、ぶっ飛んだこともしている。ぼくはこの雑食性こそが、室町時代の七福神(ヒンドゥー教、道教、仏教、神道のハイブリッド)の発想と同様、典型的な「日本的」な日本の文化だと考えている。ゆえに、渋谷系は、実はむちゃくちゃ日本的な文化現象なんですよ。鷲巣さんが「西洋の真似」と思っている行為が「真似」ではなく「勝手に採り入れる」ことであって、それこそが日本なんですよ——という話も『河内音頭』の制作中にして、鷲巣さんから笑われた。あの本のあとがきでぼくが「頑固者」と紹介されているのは、この手の議論が山ほどあったからだ。鷲巣さん、日本人は縄文時代に中国が発明した漢字を、勝手に、自分たちの発音に合わせて、あたかも自分たちの言葉として使ってしまっているじゃないですか。だから、日本人が英米のロックやリズム&ブルースをやることは、真似ではないんです。むしろ、それこそが日本人らしい日本なんです。そんな話を鷲巣さんに何度したことか。
鷲巣さんからしたらぼくは面倒臭いヤツだったに違いないのだ。それでも、鷲巣さんとは気があっているつもりでいた。鷲巣さんも、こいつとは考え方は著しく違うが、おもろいヤツだと思ってくれていたと思っている。静岡のリズム&ブルースがかかるバーに連れていかれて、スタックスやなんかで一緒にオーティスを歌って盛り上がったこともあった。「おまえもメムフィス好きか」と言ってきたので、「メムフィス、嫌いなヤツいますか」と返してやった。サシで飲みながら、ビートルズならどの時期のどの曲が好きかという、まったく生産性のない話を延々としたこともあった。鷲巣さんもぼくも、初期の、ロックンロールをやっているビートルズが好きなところだけは一致していた。パンクに関しても、鷲巣さんはロックンロール・リヴァイヴァルとして好きだった。
だから、静岡ロックンロール組合の1973年当時の記録映像の話では、大いに盛り上がった。呉服町通りと青葉公園の交差する路上で、警察に睨まれながら嬉しそうに演奏している高校生バンド、あの場面、あれこそ日本が誇れるプロト・パンクだと、いまでもぼくはそう思っている。鷲巣さんは、チャック・ベリーも、ビートルズも、ディランも、みんなパンクだと言っていたな。パンクじゃない音楽などないというのが鷲巣さんの意見だ。病気になられてから、いちどYoutubeで見つけたビートルズのレアなライヴ映像を送ったら、「久しぶりに元気になった」というお返事をもらった。それが2024年の初夏のことである。
昨年もたまにメールを送ったり、偶然下北沢で会ったりもした。今年のGWにはご自宅に電話したけれど繋がらなかったので、なんとか生きていてくれたらいいなぁと思っていた。
鷲巣さんがいない世界は寂しい。鷲巣さんはいまあっちの世界で、「ツトムの野郎、好き勝手書きやがって」と笑っているはずなのだ。いや、むかついているだろう。でもさぁ、安心してください。鷲巣さんにも言いましたけど、静岡ロックンロール組合のアルバム『永久保存盤』のレコード盤は、静岡市内の古本屋「水曜文庫」に飾ってもらっていますから。あの店にふらっと入った人間の誰もが目にするところにね。この際、『河内音頭』も飾ってもらわないとですね。鷲巣さんとお会いできてほんとうに良かった。いつかまた会いましょう。心の底から感謝を込めて。
文:野田努