Home > Reviews > Album Reviews > Lambchop- Punching the Clown
その場所にずっと留まりたいと思わせてくれる音楽作品がある。ひとつはシンプルに、サウンドとしての心地よさや興奮、何度も聴き直したいと感じることによって。もうひとつは、その作品が表現しているものをより深く理解したい、感じ取りたいという欲求によって。僕にとって、今年もっともそんな風に感じられた作品のひとつがラムチョップの17作目のアルバム『Punching the Clown』だ。
いやもちろん、僕の個人的な感覚を別にしても、ナッシュヴィルで文字通りオルタナティヴで個性的な音楽を作り続けてきた流動的なバンド/プロジェクトであるラムチョップの中心人物カート・ワグナーは、独自のポジションに立っているアーティストだ。ただ彼の評価のされ方はいつも独特で、ブレイクスルーとなった風変わりなオーケストラル・ポップ作『Nixon』(2000)にしたって本国アメリカでははじめあまり話題にならず、イギリスで絶賛されたことによって再評価された流れがある。ところがその後もワグナーは『Nixon』の路線を続けるのではなく、あえてシンプルな編成にフォーカスしたり、チェンバー・ポップを追及したり、エレクトロニックの実験にいそしんだりと、とにかくいろいろなことをやってきた。ある時期からは声のオートチューン加工に凝るようになり、ポリサやギャングスで知られるプロデューサーのライアン・オルソンと組んでからはとくにエレクトロニクスと生演奏のより複雑な掛け合わせを聴かせるようになる。父親の介護の経験に触発された老いと死を巡る前作『The Bible』(2022)は、室内楽、ファンク、ジャズ、カントリー、ソウルの奇妙なミックスであり、ラムチョップにしかありえない抽象的なエレクトロニック・オーケストラル・ポップだった。いまとなっては初期にオルタナティヴ・カントリーの枠に入れられていたこと自体が不思議な感じがするが、要は、小さな枠に収めることのできないあり方を我が道とし、40年近く探求してきたのがラムチョップだ。
だからラムチョップが前作と全然違うことをやってももはや驚きはないのだが、本作はワグナーがラジオで偶然耳にして興味を引かれたラインアウトと呼ばれるゴスペルの唱法(ひとりが一節を歌い、コーラスがそれを繰り返すコール&レスポンスの形式)にインスピレーションを受け、サウンドとしては比較的シンプルなフォークやゴスペルを中心とした一枚となった。ごく一部を除いてオートチューンはほとんどなく、ワグナー自身の深みのある歌声とオー・クレア・セクステットとロンドン・クワイアによる豊潤なコーラスが中心にある。ジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)が彼らしい情感のこもったバンジョーを弾いているのも聴きどころだが、核にあるのは人間の生の声だ。いろいろなことをやってきたラムチョップが本気で滋味深いフォーク・アルバムを作ったらどうなるかという作品で、ラムチョップの面白くない作品など記憶にないが、それにしてもこれは傑出している。
初期に回帰した、というような単純な話でもない。オープニングの “Just West of Nicollet” は古きよきフォーク・ソングのようにはじまりワグナーが胸に迫る深い歌声を聴かせるが、突然「Lambchop New Shit!」というヒップホップ風のサンプルが挿しこまれたかと思えば、分厚く陶酔的なコーラスに覆われていく。“Weakened” で聴ける細やかなデジタル処理は近作のプロダクションの実験の延長にあるし、熱狂的な宗教歌のような “White People” では60代後半に差しかかったワグナーの緩急に満ちたヴォーカリゼーションで聴き手を圧倒する。あくまでワグナーが多様な試みをしたこと、ミュージシャンとして年を重ねたことの続きとして本作があるのだ。ラストの “No Chicago” はラインアウトを研究したことのひとつの結実として、すばらしく優美なコール&レスポンスが聴けるゴスペル・チューンになっている。
とはいえ、『Punching the Clown』がフォークとゴスペルのコーラスを生かして大衆を讃えたアルバム、というような単純な結論を出すこともできない。このアルバムにはどこか不穏なところが見え隠れするからだ。そしてそれは、どうやらアメリカを巡るものであるらしい。たとえばB面の1曲目にあたる生き生きとした “The New World Wave” では大恐慌時代の労働者の家族をモチーフにしながら、「新しい世界の波がやって来る」というリフレインが必ずしも希望に満ちたものとして聞こえない。アラン・トゥーサンの “Night People” をもじった “White People” の「白人たちがたむろして/お互いを見つめあい/何かが起こるのを待っている」という歌いだしも強烈だし、“Cigar” には移民労働者とアメリカの関係に対する考察があり、穏やかな弾き語りフォーク “Afterburner” の「パレードに対する複雑な気持ち/アメリカの沈黙」というフレーズも示唆的だ。僕としては「Paste」にミランダ・ウォーレンが書いている「アメリカの失敗にまつわる賛歌」という評がしっくり来たが、このアルバムにはポピュリズムの時代に大衆の危うさを仄めかすようなところがあるように思える。アルバムは過去や空想の世界に没入するような陶酔感を用意しながら、同時に現代や現実に立ち返らせる瞬間を張り巡らせている。
ただ、ラムチョップの表現の神髄は意図が読み切れないところにこそある。『Nixon』にしたってリチャード・ニクソンにまつわる具体的なモチーフが入っていたわけではなかったし、本作だって、ロジカルに説明できる明確なコンセプト・アルバムだとは言えない。むしろ聴けば聴くほど謎が残るところがこのアルバムにはあり、だから繰り返し聴きたくなる。ワグナーは「outculture」のインタヴューでラストに無音を挿入したのは「(次々に曲を自動で流す)Spotifyをからかいたかったから」だと語っている。曲をじっくり見つめ、考える時間を生みだしたかったと。僕からすればその無音部分だけでなく、『Punching the Clown』というアルバム全体がそんなことに切実に挑み、そして成功していると思う。
それにここには、ワグナー自身のきわめて個人的な想いも刻まれている。弱っていく父親の姿に打ちのめされていると思われる“Weakened”や、天国に行く前にきみの絵を描きたいと、死への恐怖を現世での愛に変換する “To Do” などだ。ミステリアスな本作に何かひとつ結論づけられることがあるとすれば、それは、ワグナーが音の面でも言葉の面でも、人間とは何かを追求した作品だということだろう。
木津毅