Home > Reviews > Book Reviews > アンビエント/ジャズ マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜- 原 雅明
原雅明的なジャズの聴き方、というものは間違いなく存在する。それは唯一無二としかいいようのないものだ。ジャズについて筆を執ることのある筆者にとって、そんな彼の文章は常に憧憬と羨望の対象だった。これはおべっかやお世辞ではない。特に、90年代末から00年代初頭には、文筆家/選曲家/プロデューサーである彼の文章に大量に触れ、おおいに刺激を受けた。当時、シカゴを中心としたジャズのアルバムに彼が膨大な数のライナーノーツを寄稿していたのだ。それらは、昨今シカゴ発のジャズについて書く機会の増えた筆者の活力源/栄養源になっている。
そんな原のジャズ観は例えば、K-BOMBが主宰するブラック・スモーカー・レコーズからリリースされた彼のミックスCDを聴くとよく分かる。電子音楽家ヤン・イェリネックのサンプルねたにジャズを見出し、マイルス・デイヴィスの未発表音源にJ・ディラとの相似性を見出し、ポスト・ロックをモーダルな側面から再評価した彼のジャズ観、ひいては音楽観が表出しているからだ。
そんな原の新著『アンビエント/ジャズ』が発売された。“マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜”という副題の通り、古今東西のジャズにアンビエント的な響きを見出すという離れ業を、原はやってのけている。ただ、アンビエントとジャズの距離は元々決して遠くはなかった。
例えば、1940~50年代にかけて活躍したクロード・ソーンヒル楽団が録音した“Snowfall”のエーテル状のサウンドは、のちのアンビエント作品に影響を及ぼした。細野晴臣もソーンヒルからの影響を公言している。また、ブライアン・イーノは、『Ambient 4:On Land』(82年)のセルフ・ライナーで、マイルス・デイヴィスの『Get Up With It』(74年)収録の“He Loved Him Madly”にアンビエント的な響きを感じたと記している。そうした流れに原は早くから着目していた。
マイルス・デイヴィスの名前が出たところで、本書の冒頭で原が執拗なまでにマイルスの60年代、及び80年代の作品に焦点を当てていることを記したい。『E.S.P.』(1965年)を出発点とし、『Miles Smiles』(67年)、『Miles in the Sky』(68年)、『Filles de Kilimanjaro』(68年)といった、あまり顧みられてこなかったアルバムの重要性を原は示す。これらの作品は69年の『In a Silent Way』でひとつの完成形を見るため、上記のアルバムはそのための助走であり模索の産物だと思われがちだ。ゆえに軽視されることになる。
ここまで書いて気付く方も多いだろう。助走であるからこそ、完成形に至る萌芽があちこちに見て取れるのであり、それを黙殺していたのは自分のほうなのだと。あるいは、旧来のジャズ評論全体もそうだったかもしれない。『In a Silent way』で開花する要素がそれらの作品に潜んでいたならば、既に語り尽くされている『In a Silent way』よりも、その前段階を語るのは批評として今こそ取り組むべき課題だろう。原の姿勢はまったくもって正しいのである。
「ジャズにおけるオーヴァーダビングの先駆者たち」にも目から鱗が落ちる。原はこの見出しのような括りでレニ・トリスターノとシドニー・ベシェとビル・エヴァンスとクリス・ポッターとキース・ジャレットを同一線上に並べ、キースのひとり多重録音作品である『Spirits』や『No End』にも触れる。一応断っておくと、キース・ジャレットを掘り下げてみようと思って、この2作から聴く人はまずいないだろう。これは自己批判を含めて言うが、キースの音楽を愛聴してきた筆者もこの2作は未聴だった。
だが、軽視されがちだが明らかな特異点である作品を論じるのは、よく考えれば評論のまっとうな在り方であり、必要なことでもある。やはりこれはジャズ評論の問題でもあるだろう。この2作を「オーヴァーダビングの先駆者たち」というカテゴリーで語った評論があっただろうか。少なくとも、筆者は読んだことがない。このように、リアルタイムで評価されなかった作品に原は積極的に価値を見出してゆく。
フリー・ジャズのイメージが強いサックス奏者のマリオン・ブラウンの関わった作品がある時期、〈ECM〉を先取りするような世界観を孕んでいたこと。ブライアン・イーノのアンビエントが、ダニエル・ラノワやジョー・ヘンリーを経由して、ブレイク・ミルズまでつながっていること。ビル・フリゼールやブラッド・メルドーなど、コンテンポラリー・ジャズの世界でもアンビエンスに深く留意するミュージシャンが増えていること。これらは水面下でつながっている。本書を読み終えると、無数にちりばめられた点が最後には線になるような感慨が押し寄せてくるはずだ。
原が自らを決して“ジャズ評論家”とは名乗らない理由は、本書を読むとよく分かる。ジャズ評論家とはまったく異なる角度でジャズに切り込んでいるからだ。彼が菊地雅章のエレクトロニックなアルバムについてインタヴューした際、原は初対面の菊地に〈記事が掲載されるのがジャズ雑誌ではないこと、自分がジャズ評論家ではないことを最初に確認された〉という。そして菊地は〈そうではないことを伝えると、オープンに話せることを確認したように、少し微笑んだ〉という。実際、そのインタヴューは原にしかできないものに仕上がっている。詳しくは著作を読んで確かめてみて欲しい。
土佐有明