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Mitski

Indie Rock

Mitski

Nothing's About to Happen to Me

Dead Oceans / ビッグ・ナッシング

Amazon

Casanova.S Mar 19,2026 UP

 小説のようだと感じる音楽を作る人たちがいる。開かれた場所で叫ばれるようなものではない、すぐ隣から聞こえてくるかのような音楽を通しての1対1のコミュニケーション。自分にとってのそれはニュージーランド出身の表現者オルダス・ハーディングやサンフランシスコ出身のシンガー・ソングライター、ジェシカ・プラット(僕は彼女の音楽からなぜだか図書館の本棚の前に立っている姿を連想する)だったりするのだが、ミツキのこのアルバム『Nothing's About to Happen to Me』を聴いているとやはりそんな言葉が頭に浮かんでくる。それは物語的、哲学的な歌詞だけではなく、音楽のあり方がそう思わせるのかもしれない。様々な人間の姿が映し出され多くの観客とともに見ることが想定された映画と違い、本が読まれるときはいつだってひとりだ。多くの読者を抱える作家だとしてもそれは変わらない。ひとりで書き上げ、ひとりで受け取る、1対1の間接的なコミュニケーションのその先に集められたみながいるのだ。
 このアルバムのミツキはまさにそれを体現しているのかもしれない。強い刺激を与え、華美な装飾で耳目を集めたりはしない、問いを投げかけ思索を促すような解釈の音楽。ビルボードのチャートに入り、フェスティヴァルのラインナップを知らせる文字がどれだけ大きくなろうとも彼女の音楽は遠くに行かない。それどころかこの8作目のアルバムはこれまで以上に内面に向かって潜っていく。アメリカーナ的なフォーク、カントリー、そしてオルタナの歪んだギターを合わせた連作短編のようなこのアルバムは、さまざまな楽器を駆使し、聞く者の手を取るようにして音楽の中で思索する人間の内面の世界へと誘うのだ。

 オープニング・トラックの “In a Lake” ではアコースティック・ギターとバンジョー、アコーディオン、ストリングスによって牧歌的な風景が描き出される。しかしミツキはその風景を単純に美しいものだとは描かない。どれかひとつの楽器を目立たせることなく淡々と描写を積み重ね「小さな町には住めない」と唄われる故郷への複雑な感情を滲ませる。それは平熱の諦めであり平熱の愛着なのだ。終盤のオーケストラが展開する瞬間すらも極端にカタルシスを爆発させるようなものにはしない。アクセントという範疇に留め、それが曲の中心になる前にフェードアウトする。強い主張をするのではなくひとつひとつ描写を積み重ねゆっくりと深いところまで潜っていくというのがこのアルバムのミツキのスタイルなのだ。今日のトピックとしての刺激ではなく、ある出来事と他の出来事の間から立ち上ってくるような情感の表現、その美学がこのアルバムを通して貫かれている。
 ノイジーなオルタナロック・サウンドを響かせる “Where's My Phone?” においてのそれは絵の具が飛び散った跡のようなストリングスのアクセントと電子ピアノであり、禁止ワードを規制するピー音すらもユーモラスに使用して楽曲を彩っている。しかしそれらの音も楽曲の中心に居座り続けることはなく芳醇な甘み、あるいは苦味を残して消えていく。終盤のギターのようにも加工された人の叫び声にも聞こえるフレーズ(歌詞のテーマからするとそれはおぞましく歪んだ人の声なのかもしれない)にしてもその音はくぐもっていて決して突き抜けることはない。そう、ここにあるのはもどかしく味わい深い不完全な快感なのだ。

 突き抜けない不完全な快感、これはこのアルバム通してそうだ。たとえばペダル・スティール・ギターとストリングスが添えられた “Dead Women” のドゥルドゥドゥドゥッというコーラスにしても一緒に口ずさみたくなるようなラインにはわずかに足りなく、旋律の美しさが意思を持ち心を強く動かすようになるその手前で、どんな名前もしっくりとこない名のない感情を残して終わる。ボサノヴァ風の “I'll Change for You” のその恋もドラマッチックに展開することなく静かに深く自問を重ねていく。オーケストラのサウンドをもっと際立たせ心の動きを大きく表現することもできたはずなのに、そうはせずにグラスのなかの世界に留まるのだ(そうしてそのグラスに環境音を映し出し時間のレイヤーを生み出す)。そこにたまらない心をくすぐる情感がある。押し付けもせず過度に主張もしない深みのある楽器の連なりは聞き手のための余白を残す。そこを身の置き場にして曲のなかで問いかけと答えのコミュニケーションを繰り返す。その不完全な快感、全てを描ききらない余白の美学が情感をかきたてるのだ。

 生きること、充分に満ちてはいてもままならないもどかしさ、それはそのまま死の匂いに引き寄せられるような歌詞の世界にも現れている。固有名詞は使わない、直接的にも描かない、使うのは曲ごとのモチーフと目の前に広がる風景で、それが自らの居場所を探し求める女性の姿を浮かび上がらせる。
 “Where's My Phone?” の携帯電話のモチーフは情報が氾濫するスマートフォンの世界のなかでアイデンティティ・クライシスにおちいっている姿を思わせる。その世界では日々誰かの価値観が疑われ、いともたやすくレッテルが貼られていく。透明なスマホのガラスはとめどなく異なる意見を映し出し自らの価値観をそのままにしておいてはくれない。誰かの意見がずっと頭にはびこり、その意見に影響され行動までもが左右されていく。だけども知らないでいる状態も怖さを生み出す。そうやって自分の場所がわからなくなる。
 “Dead Women” では死によって神格化される芸術家、あるいは人間性というものに対する思索が漂う。その響きは理解されない諦めと好きなように利用されることへの哀しみが穏やかに入り交じる。ヴァージニア・ウルフのように石を抱き湖に沈んだなら? 27歳で天に向かったロック・スターのようになったら誰かが私を美しいものとして永遠にするのだろうか? そうであって欲しいという他者の欲求により作られたイメージ、誰かの世界の神になること、果たしてそれは幸せなのか?

 それらは直接的には描かれない。だからこそ音楽とともに思索の世界に潜っていけるのだ。この音楽は解釈することを許してくれる。まるで対話するようにその余白のなかに受け手が入り込めるだけの隙間を残し答えの出ない問いを投げかける。豊かで芳醇なプロダクションに彩られ丁寧に編み込まれたこのアルバムは痛みを描く。音楽の流れる時間のなかでその痛みを解き明かしていくのはなんとも言えない喜びがある。頭のなかにぼんやりとイメージが浮かびあがり、問いと答えを繰り返す、この音楽はやはり美しい小説のように聞こえてくる。

Casanova.S