Home > Reviews > Album Reviews > Courtney Barnett- Creature of Habit

現代に限ったことではないのかもしれないけれど、それにしたっていまは様々な場所で選択を迫られているような感じがする。何を着て、何を食べて、何を聞くか、我々はつねに正解を探している。それしかないから決まっているなんていうのは怠惰だと見なされるような考えで、選択とそれに伴う結果がつねに付きまとう。たとえばスーパーマーケットで何か飲み物を買うとする。棚には様々なメーカーの様々な色のドリンクが意図を持って配置されている。値段があって、量があって、気温があり、移動手段が存在し、店で流れているBGMが聞こえてきて、横の大人が缶に入ったビールを選ぶ。なんでそのメーカーのビールを選んだんだろ? 売れているからなのか? そういえばみんなこれを手にしている……なんて横道にそれながら、僕はビールではなく赤いコーラを選ぶ。それはだってどんな味か知っているから安心だし、飲みきれなかったとしても家でお酒を割るのに使えると買っても良い理由を頭に浮かべてレジに向かってお金を払う。そうやって店を出て蓋を開け口をつけてから、あっちのドラッグストアで買った方が安かったのにどうしてそれをしなかったの? という誰かのコメントが頭のなかから飛んできて憂鬱になる(Wi-Fiに包まれたこの世界で僕らはつねに誰かの意見に囲まれている)。冷たいコーラの爽快さを感じたのは一瞬だ。お金を払って快感を得ようとしたはずなのに次の瞬間にはもうこの言葉への反論を考えている。もうスーパーに来ていた、いま必要、最初からコーラを買おうと思っていなかった等々、自分が間違いを犯した間抜けではないことを必死に証明しようとする。コーラが冷たくて最高だってただそれだけでいいはずなのに頭のなかの情報がその快感に浸らせてくれない。我々はいつだって正解を求め探す。しかし正解という言葉の裏にはそれ以外は間違いであるというような暗黙の了解が潜んでいる。だからそうではないと証明し続けないといけないのかもしれない。対戦型のSNSとは言い得て妙だ。僕らはそんな選択と閉塞感のストレスを抱えて現代を生きている。
そんな閉塞感のはびこる世界の憂鬱をコートニー・バーネットの『Creature of Habit』は見事に吹き飛ばしてくれる。オーストラリア出身、現在はLAとの二拠点で活動するアーティストの4枚目のオリジナル・アルバム、このアルバムのなんと軽やかなことか。淀みのないリズムの上に、キレの良いギターが響き、素っ気ないが耳に引っかかる歌がなんでもなく唄われてそれだけで気分が良くなる。流れる音がすぐさまに心地の良い過去に変わり、次へと切り替わる瞬間を待つワクワクがずっと続く。ここには縛りつけるものは何もないのだ。だから解放されたような気分になる。2枚目のアルバム『Tell Me How You Really Feel』にあったような重みはなく、3枚目の『Things Take Time, Take Time』の迷いながら進むというようなフィーリングは減少し、最初のアルバムに存在した静かにギラつく野心もない。ともすれば魅せるという意思や伝えるという思いがないのではと感じるかもしれない。だがこのアルバムに僕は素晴らしく惹きつけられる。それはギター・ソロにしても歌にしてもドラムやシンセ、全ての音がそうであるのが自然であるというように過度に飾り立て、主張することなく素っ気なく配置されているからだ。ワクサハッチーが参加した “Site Unseen” やレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーがベースを弾く “One Thing At A Time” はその最たる例だろう。マーケティング的な「正解」を求めるならここは間違いなく主役にすべき部分だが、バーネットはこれらを大きな見出しにしない。声が目立つように組み立てられた曲でもなければフリーがベースを弾くための曲でもない。ただそれらがフィットするようにサラリとそこに置かれる。あたかもその場所にいて欲しいと思ったふたりを連れてきただけだというように。だからこそそれが最高のスパイスになりえるのだ(そうしてそのスパイスがバーネットのスコンと突き抜けるギターの音と調和して心を躍らせる)。
1stアルバムのリリースから10年以上が経ったタイミングで、こうしたひとクセあるシンプルなアルバムが聞けるというのはまったく胸がすく思いだ。原点回帰というのは少し違う。このアルバムには在りし日の情熱を取り戻そうという気負いがないからだ。あるのはただシンプルにいま良いと感じる選択だけ。自らの表現が他者と比べどんなに新しく、優れているかを主張し衆目を集めるアクションが美徳とされるような世のなかで、この表現はことさら新鮮に映る。“Great Advice” のなかで彼女は唄う。「素晴らしいアドバイスをありがとう/でも髪を綺麗に整える気はないんだ/このままでいい、このままで」ポエトリー・リーディングのポスト・パンクのそれよりもずっと明るくユーモラスに彼女はこの憂鬱な監視社会に断りをいれる。もっと自由でもいいはずなのに。誰かの意見を気にし、最適化された行動を自らが選ぶことへの軽やかなノー、至極丁寧なヴァージョンの「知ったことか」僕はここに解放を感じる。
オルタナ・ファンはいつの時代も心のどこかで「それとは違うもの」を求めている。インターネットが発達し、あるのが当たり前になりネットを中心に仕組みが作られる現代社会で、そこから距離を取った場所を作ろうという試みはまさにオルタナ的な姿勢だろう。誰かをコントロールしようとしない、誰かの意見にコントロールされたくもない。インターネットを否定せずに、違ったアプローチの仕方を試みる、そこには他者の視線から逃れた自由さがある。この姿勢は同世代のシンガー・ソングライター、ミツキと重なる部分でもある(本作と近い時期にリリースされたミツキの『Nothing's About to Happen to Me』はまさにSNS的な世界の呪縛からの解放を求めるような側面を持ったアルバムだった)。それ以前の世界の姿を知り、インターネットの発展とともに生きてきたミレニアム世代の彼女たちがキャリアを重ね、かつて現実の代替だったインターネットが中心になった世界で別のオルタナティヴを模索しようとしているのはなんとも興味深い。それだけがあればよいわけではない、正解を求める心とは別の、間違いのなかにこそ違いはあるのだ。
あぁそれにしてもこのアルバムのなんと軽やかなことか。インディ・ポップの名曲然としたキラキラと輝く “Mantis” のリフに一見不釣り合いな素っ気ないくすんだ色をした歌が重ねられる。そのズレのなかに僕は解放を見つける。完璧なメロディは存在しない。だけども探す、意味を見つける。その繰り返しのなかにこそ違った人生を生きるポップ・ミュージックの興奮が潜んでいるのだ。
Casanova.S