Home > Reviews > Album Reviews > Courtney Barnett- MTV Unplugged
ぼくにだってロック少年だった時期がある、というのは去年のインタヴューでも書いたことだけれど、そのころ抱いていた世の中の見方、世界も社会も人間もすべてクソであり、例外はない──という明確に中二病的な、しかし歳を重ねたいまとなってはつい忘れがちになってしまう、きわめて重要な初心、それを思い出させてくれる点において、コートニー・バーネットはぼくにとってたいせつな音楽家である。
そんな彼女がかの「MTVアンプラグド」に出演──と聞いて最初に思い浮かべたのは、だから、やはり、まあたぶん大多数のひとがそうだとは思うけど、10代のころ熱中していたニルヴァーナだった(むろんリアルタイムではなく後追いです)。ふだん重苦しいサウンドを奏でていたトリオがアコギの響きを活用し、まるでまったくべつのバンドであるかのような擬態を披露するという、そのメタモルフォーゼに当時は素直に感心した覚えがある(しかしこの90年代に販促の一手法として確立したアンプラグドなるスタイルって、ポスト・プロダクションにこそ活路を見出した同時代のポストロックとは真逆の発想だよね)。
とそのような感慨にふけりつつ本盤を聴きはじめることになったわけだが、もともとアコースティックな側面の強かった “Depreston” は、チェロの際立つヴァージョンへと生まれ変わっている。続く “Sunday Roast” も同様で、弦が栄えるのはやっぱりアンプラグドの醍醐味だろう。叙情的なピアノが支配権を握る “Avant Gardener” でも、原曲における過激なギター・ノイズのパートをチェロが代用していて、かの弦楽器がノイズ発生装置としても活躍できることをあらためて思い出させてくれる。あるいは “Nameless, Faceless” のピアノなんかも、同曲のこれまでにない性格を引き出していておもしろい。
まあここまではお約束というか、まずはそんなふうに既存の楽曲の変化をチェックするのがアンプラグドの楽しみ方だけれど、カート・コベインの歌うボウイやレッドベリーがそうだったように、カヴァー曲もまたアンプラグドの醍醐味のひとつだ。今回ボウイにあたるのが最後のレナード・コーエンのカヴァー “So Long, Marianne” だとすると、レッドベリーにあたるのは “Charcoal Lane” だろう。オーストラリアの大物シンガーソングライターであるポール・ケリーを招いて歌われるこの曲は、かの地の先住民の血を引く歌手アーチー・ローチによって書かれたものだ。
この「一緒に並んで歩く」「一緒に話したり/一緒に笑ったり」というリリックは、オーストラリアなる国家の成り立ち=先住民の殺戮を踏まえて聴くと、マーティン・ルーサー・キング的なユナイトの欲望、すなわちかつての被害者と加害者の子孫たちがおなじテーブルにつくという素敵なドリームを想起させる。と同時に、このパンデミック下の状況ではまた新たな意味を伴って響いてくるから二重にせつない。
思えばコートニーは今回のアンプラグドをなじみのバンド・メンバーたちと一緒に演奏している(完全に単独でやっているのは新曲の “Untitled” くらい)。チェリストだっているし、ゲストもポール・ケリーのほかにふたりいる。先日の木津くんのU.S.ガールズじゃないけれど、ここにはひとが集まって近距離でなにかをやることの素朴なよろこびがある。
一緒に歩いたり、一緒に話したり、一緒に笑ったり。そんな「平常」が戻ってくるにはまだまだ時間がかかりそうだけど、二ヶ月前まではあたりまえすぎてつい忘れがちになってしまっていた、でもきわめて重要な初心、それを思い出させてくれる点において、このアルバムもまたきっとぼくにとってたいせつな1枚となることだろう。
小林拓音