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アクトレスの新譜『Statik』は、彼のこれまでのアルバムにあったディストピア=人間以降の世界観をより深化させたようなアルバムだった。廃墟に鳴るエレクトロニック・ミュージックとでもいうべきか。
リリースは2014年の『Ghettoville』から2023年の『LXXXVIII』まで続いた〈Ninja Tune〉ではなく、ノルウェイ・オスロのレーベル〈Smalltown Supersound〉からである。〈Smalltownx Supersound〉は、すでに「老舗」といっても過言ではないレーベルだが、そのフレッシュなキュレーション・センスは常に健在であり、近年もケリー・リー・オーウェンス 、カルメン・ヴィラン、ベンディク・ギスケなどの印象深いアルバムを連発している。
そんな〈Smalltown Supersound〉からアクトレスのアルバムが出ると知ったときは少々意外に感じたものだが、同時に実験的なエレクトロニック・ミュージックという側面からどこか共通項を感じたものだ。加えて何か新しい「変化」もあるのだろうかとも思った。実際、『Statik』は、これまでのアクトレスとはどこか異質なアルバムに仕上がっていたのである。
では今までのアクトレスのサウンドと比べて、どこが違うのか。アクトレスの作品の中でも、もっともアンビエント色の強いアルバムだが、ときにビートもあるし、インダストリアルな音を組み合わせるサウンドのプロダクションも健在である。その意味で大きな差異はないといってもいい。鉄屑に雨が降り注ぐような、人間以降の世界を思わせるSF /ディストピアなムードも中期以降のアクトレスと大きく変化はない。が、「何か」が遠い。音が遠いのか。それとも感情が遠いのか。もしくは世界が遠いのか。何か世界から乖離されていくような感覚があるのだ。
1曲目“Hell”からして環境音、かすかなノイズ、音楽のループ、断片的なビートなど、アンビエントともインダストリアルでもない複数の音の連鎖が、どこか「遠い」感覚を生成している。2曲目“Static”では不安定な持続音=ドローンが流れ始め、アンビエント色が強くなるが、しかし近年のアンビエントのようにエモーショナルになるわけでもなく、過度に静謐になるわけでもなく、フラットな音のまま終わる。
最初の2曲はいわばアルバムのオープニングだろう。3曲目“My Ways”以降はミニマルな音楽性とビートによるトラックが展開されていく。盛り上がるわけでもなく、過剰に静謐になるわけでもなく、淡々としたエレクトロニック・ミュージックが展開されていくのだ。そのどこかフラットな感覚が心地よい。マシンの音とヒトの音の「中間状態」に鳴っているような音でも称すべきか。
4曲目“Rainlines”では、チリチリとしたノイズに4つ打ちのキックとシンセリフが重なり、オーセンティックなテクノ・トラックかと思いきや、そのキックはすぐに途切れる。雨のようなノイズのみが続き、またキックが流れる。盛り上がりをあえて断絶するような構成でありながら、一定の感覚の音の持続=ノイズがあるおかけで、アンビエントとしても聴ける曲である。
5曲目“Ray”では深海に潜るようなシンセのアルペジオが鳴り、そこにまた微かなノイズがレイヤーされる。遠くの方にベースラインが微かに聴こえる。やがてハイハットやヴォイス・サンプルも鳴るが、やはり盛り上がるというよりは一定のトーンが持続したまま曲は進行する。脱構築されたテクノとでも言いたくなるほどの不思議な曲だ。
6曲目“Six”でも同じようなムードが継続する。控えめなビートに、空気のように微かなノイズがレイヤーされていく。7曲目“Cafe del Mars”は6分48秒ある曲で、アルバム中もっとも長い曲である。淡いシンセ鳴り、2分ほどしたところでハイハットやキック、ベースがなり始める。それらはやはり曖昧な空気を纏っており、強烈な音で踊らせるというよりは、感覚にゆっくりと浸透していくように鳴り続ける。
8曲目“Dolphin Spray”でもミニマルなアルペジオにキック・スネアが絡むというシンプルなトラックだが、しかしそのムードもどこか曖昧で遠い。こんな感覚をエレクトロニック・ミュージックで感じるのは稀な事態だと思う。
その「曖昧」で「遠い」ムードは9曲目“System Verse”でも持続する。YMO、もしくは70年末期のTVゲームの爆発音のような音にダブなムードのキックが折り重なるだけの曲だが、しかし、その音すべてを「地味」に「遠く」していることで、不可思議な感覚を生成しているように思えた。
10曲目“Doves Over Atlantis”の酸性雨(古い表現だがどうもこういういい方がしっくりくる)が降り注ぐようなアンビエント/ドローンはまさに本作のクライマックスに相応しいといえる。スタティックなクライマックスとでいうべきかラストの11曲目“Mellow Checx”はサウンドにほんの少しの明るさ、微かに光がさしてくるような質感のアンビエントを展開する。いわばエンディング曲といえよう。ここでも少しずつ遠ざかっていくような感覚が広がっていく。いずれにせよこのアルバムの音には「心」が「無」になっていくような感覚がある。だがそれが不思議と心地よい。
全11曲。それぞれの曲としてはヴァリエーションに富んでいるが、アルバム全体としてはどこか薄暗いトーンで統一されている。かといって過度にダークというわけでもなく、何か単純に一言で言い表せない曖昧なムードが横溢する。それが冒頭に記した「遠い」という感覚に結びつくのかもしれない。
いってみればかつて「人」がいた場所、つまりは「廃墟」に対する安らぎに近いとでもいうべきか。希望も絶望もない時間として廃墟。われわれはそのような時間にどこか安らぎを覚えてしまう。アクトレスの『Statik』は、そんな感覚を思い出せてくれるアルバムなのだ(繰り返すが音自体は聴きやすいエレクトロニック・ミュージックである。決して極度に難解な音楽ではないことを何度も書いておきたい)。
2020年の『Karma & Desire』と2023年の『LXXXVIII』は、どこか21世紀のディストピア的な観光地に鳴るサウンドトラックのように聴こえたが、本作『Statik』は、その世界を反転させたような場所に鳴る音に感じられた。
言葉を変えれば『Statik』は「失われた未来を希求したヴェイパーウェイヴの失われた未来」のようなサウンドのようにも感じられたのである。出発点は同じだが終着点が違うヴェイパーウェイヴとでもいうべきか。煌びやかな仮想のビジュアルを剥いだ後に見える現実の廃墟に鳴るサウンドトラック。
本作を聴き終わったあとに『Hazyville』(2008)や『Splazsh』(2010)を聴くと、随分と「遠い」場所に来てしまったような気がする。無にして美。美にして無。いわば「鉄屑」に満ちた廃墟世界への慈愛のような音楽が鳴っている。
だがそれは間違いなく今ここ、この現在地点の音なのだ。2012年に『R.I.P』というアルバムを発表してからアクトレスは、いわば世界を漂うエーテルのように、その不定形な姿を変化し続けている。本作はそんな彼による世界の現在報告書のようなアルバムなのかもしれない。
デンシノオト