Home > Reviews > Album Reviews > Friko- Something Worth Waiting
ときにアルバムのジャケットは素晴らしくその中身を現す。そうシカゴのインディ・ギター・バンド、フリコの2ndアルバムについての話だ。時代掛かった映画のワン・シーンのようにも、過ぎ去った青春時代を収めたスナップショットのようにも見える色あせた一枚の写真。そこに写る誰もがカメラに視線を合わせていない。それぞれがまるで別の方向を見つめ自転車で駆けて行く。なんの荷物も持たず、月も太陽も、建物や舗装された道すら存在しない、不確かな空間を若者たちが走る。そんなアートワークに正対しているとそれだけで何かこみ上げてくるものがある。
あるいはそれは自転車という乗り物が持つ概念がそうさせているのかもしれない。それはここではないどこかを目指すための物であり、自ら漕ぎ出していかねばならないものだ。走り出すことで地に足がついていない不安定な状態を維持することができるという乗り物(まるっきり青春時代のメタファーみたいに思えてくる)、車のようなエネルギーの残りを示すメーターはない。だからどこまで行けるかは自身の心と体に聞くしかない。自転車はまた自らのエネルギーをぶつけられる場所でもあるのだ。ペダルを通して伝わる力、公的な許可のいらない加速装置、風を感じ熱に触れる。多くの物語に自転車が象徴的に出てくるのも頷ける。バンドはこの2ndアルバムをトランジット(移行)をテーマにしたアルバムだと語るが、このアートワークはここに収められたフリコの音楽を完璧に表現している。
このアルバムのフリコはまさに聞くものの胸にまっすぐに飛び込むようなエネルギーを発している。ニコ・カペタンの燃え盛るロウソクのようなエモーショナルな歌声にかき鳴らされるギター、高鳴っていく鼓動と合わさるドラムにベース、憂いを帯びたピアノの音に肌を刺す冷たい風のようなストリングス。やたらめったらにエネルギーが放たれて、その力がぶつかり火花が出ていたようなサウンドの1stアルバムに対し不安や迷いのようなマイナスのエネルギーを原動力にこの2ndアルバムは進んでいく。セイント・ヴィンセントのアルバムを手がけたことで知られ、またマーダー・キャピタルや諸作やシェイムの『Cutthroat』のプロデューサーでもあるジョン・コングルトンの手によって、輪郭がはっきりし形を持ったその熱はもっと鋭いものに変わっていった。
そのなかでニコ・カペタンの歌声はより一層鮮烈さを持って響いている。90年代のUSオルタナ・ロック然としたギターが特徴的な “Still Around” での伸びやかに揺れる歌声は『パブロ・ハニー』を出したレディオヘッドが同時代のアメリカのバンドに接続したらどうなったのかという妄想じみた考えを頭に浮かばせるし、フィリップ・グラスに影響を受けたのだという叙情的なピアノ・ソングのかすれた叫び声はブライト・アイズのコナー・オバーストそれを思わせ強烈に胸を揺さぶる。
この歌メロこそがフリコを特別にしている。極端に抑揚をつけて物々しく歌い上げるスタイルはともすれば陳腐なものになってしまうかもしれない。しかしこのバンドは決してそうはさせない。それこそ若き日のコナー・オバーストがそうであったように陰鬱とした複雑な感情をこんがらがったままに表に出すのだ。違う街からまたどこかへ向かうツアー生活の中で浮かぶ漠然とした不安、あのとき求めたものはこれだったのか? という “Choo Choo” の逡巡、“Hot Air Balloon” では空を飛ぶ色とりどりの気球にありえたかもしれない可能性を重ね、そんなものはいらないと強がり、しがらみから解放された自由を望む。アルバムのどの曲においてもニコ・カペタンの歌声は迷いを抱えている。これで良かったんだと言い聞かせるような叫びのなかにも、本当にそうなのか? という自問が浮かびこの音楽に割り切れない人生の苦味を加える。それは少年期を終え、複雑になっていく状況のなかで純粋さを保とうともがく声なのかもしれない。しかしその葛藤こそが多くの人の心をとらえる感情のエネルギー足りえるのだ。
またフリコのこのメロディにはここ数年のインディ・バンド・シーンへのカウンターとしての側面もあるだろう。アイロニーとクールネスにまみれ頭でっかちになってしまったシーン、喋るように唄うポスト・パンク・バンドとは違う、感情をストレートにメロディにのせるギター・バンド。「何年にも渡ってエクスペリメンタルでアヴァンギャルドなバンドを見続けた結果、最初に自分を音楽好きにさせてくれた場所から離れていってしまった気分になった」ブリストルのシーンで活動するバンド、サングラス・ベンダーのラフィー・コーエンは以前インタヴューでそんなことを言っていたが、この感覚はフリコの属するシカゴのハロガロのコミュニティにおいても共有されていたものだったのではないだろうか。60年代の音楽への愛をストレートに表現するシャープ・ピンズ、ライフガードの衝動、ホースガールの2ndアルバムのスカスカの空間で無邪気に遊ぶようなヴォーカル、そのなかに最初にポップ・ミュージックに魅せられたときの感動のカケラを見つける。それは単なる揺り戻しの反応なのかもしれないが、シーンはそんな風に次の景色へと移行するのだ。
フリコのこの2ndアルバムは行き場のない不安を抱え走り出すための音楽だ。これまで幾度となく表現されてきたようなテーマだが決して安っぽくは思えない。それはこの音楽はどこかにたどり着くことを目的としたものではない、どこかに向かうという行為そのものに意味を見出すような音楽だからだ。不確かな空間を走るアートワークはやはりそれを表現しているのかもしれない。
Casanova.S