Home > Reviews > Album Reviews > Whitney Johnson, Lia Kohl & Macie Stewart- Body Sound

本作『Body Sound』は、ヴィオラのホイットニー・ジョンソン(Whitney Johnson)、チェロのリア・コール(Lia Kohl)、ヴァイオリンのメイシー・スチュワート(Macie Stewart)らによるアルバムである。彼女たちの弦楽器に加え、声やアナログ・テープのマニュペレートを組み合わせ、即興演奏を起点に静謐さと不穏さが交錯する繊細な音響空間を構築している。三者はそれぞれ、実験音楽、エレクトロニカ、インディ・ロックといった異なる領域で活動してきたアーティストだ。その背景の違いが、本作の複雑でありながら豊穣なサウンドを支えているといってもいいだろう。
加えてシカゴのレーベル〈International Anthem〉からリリースされたことも見逃せない。同レーベルは、ジャズや即興音楽を基盤としつつ、プロセスやコミュニティのダイナミズムを重視する姿勢で知られている。ジェフ・パーカーやロブ・マズレク、トータスといったシカゴ音響派のベテランに加え、新鋭SMLなど、多様なアーティストの作品を発表してきた。その軌跡は、90年代以降のシカゴ音響派の文脈を現代的に再編成する試みと捉えられる。
本作においても、演奏・録音・編集が分離されず、いわば連続的なプロセスとして生成・構成されているのだ。三者の声と弦楽器による即興演奏を基盤としながら、「聴き/応答する」という「関係性」そのものが音楽の中心に据えられているのである。空間の響きや残響、演奏が置かれる環境そのものも音響素材として取り込まれ、音を配置するのではなく「状況」を構成することで音楽が立ち上がっているわけである。
本作の音は、完成された構造へと収束することない。つねに生成の途上にとどまり続ける。これが重要だ。アルバム全体には深い余韻と静かな高揚が同時に存在し、まるでモートン・フェルドマンの現代音楽と、ヨーロッパの古楽と、どこか失われたフォーク音楽の断片のような感触も漂っている(トラックタイトルにはオノ・ヨーコ『Grapefruit』からの着想も見られる)。
弦の生々しい揺れと透明な響きは古楽的な感覚すら喚起し、その時間感覚は過去と現在を曖昧に接続する。個人的には、坂本龍一『out of noise』における弦と音響の関係性を想起させる瞬間もあった。とりわけ、フレットワークが演奏した坂本龍一 “hwit” と本作の “stone | piece” を続けて聴くことで、聴覚が開かれていくような感覚を得た。
録音は、シカゴにあるインターナショナル・アンセム・スタジオやシルク・スタジオ(Shirk Studios)、さらにビッグ・イヤーズ・フェスティヴァル(Big Ears Festival)の会場など、複数の場所でおこなわれた。エンジニア/共同プロデューサーのデイヴ・ヴェトレイノ(Dave Vettraino)とともに、アナログ・テープを駆使したポストプロダクションも施されている。複数のテープマシンを用い、即興演奏の断片をループや編集によって再構築するこの手法は、録音そのものを作曲行為へと転化するものだ。
その結果、音楽は単一の時間軸に従属せず、折り重なる複数の時間層として知覚される。ここでは「原初の演奏」と「後から付加された音」の区別は解体され、すべての音が同一平面上で関係し合うことにある。
本作の構造の中核を担うのがリア・コールである。彼女はこれまで、フィールド・レコーディングやテープ操作を横断しながら、録音メディアそのものを作曲の領域へと引き込んできた才人だ。
その実践は『Too Small to Be a Plain』(〈Shinkoyo〉/2022)における断片的な音響のコンポジション、『The Ceiling Reposes』(〈American Dreams Records〉/2023)におけるサウンドのミニマル化、『Normal Sounds』(2024)における日常音と楽音の境界の解体へと連なり、さらにメイシー・スチュワートとの共作『For Translucence』(〈Moon Glyph〉/2025)において、弦と声のレイヤー構造として結実していった。『Body Sound』は、これらの試みをさらに推し進めた作品とまずは言えるだろう(メイシー・スチュワートとは『Live at Epiphany』を2024年に〈Stena Tapes〉からリリースしている)。
加えて〈Drag City〉から、アンビエント・ソロ・アルバム『Hav』やサッドコアのバンドであるキャンサー・ハウス(Cancer House)にも参加するホイットニー・ジョンソンは、そのヴィオラによって、多層的時間のなかで「持続する音響」を鳴らす。旋律や明確な展開を志向せず、ドローンとして空間全体を規定するその音は、微細なピッチの揺らぎや倍音の干渉によって内部に緊張を孕み、聴取者の身体に直接作用する。音はここで「対象」ではなく、「環境」として経験されることになる。
一方、2025年に〈International Anthem〉からソロ『When The Distance Is Blue』(リア・コールも参加している)をリリースしたメイシー・スチュワートのヴァイオリンや声も重要な要素だ。彼女の音は明確な旋律を形成することなく、断片的なフレーズや呼吸のニュアンスによって知覚の焦点を揺らし続ける。その結果、完全な無方向性へと拡散することなく、かすかな輪郭が維持されることにある。それぞれ3人とも「声」を担当している点がポイントだ。このアルバムの音は楽器の音と声の音のレイヤーが重要な要素となっている。
アルバムには全11曲が収録されている。冒頭の “dawn | pulse” では、持続音やループ、断片的な音が干渉し合いながら、時間が幾層にも折り重なるように進行する。続く “laundry | blood” では、粒子的な音が空間に点在し、拡散していくサウンドスケープが立ち上がる。アルバム・リリース以前にカセットとしても発表されていた “stone | piece” では、弦の美しい旋律とアンサンブルの上に声が波のように重ねられ、感情的なニュアンスを帯びた象徴的な楽曲となっている。
“burning | counting (sleeping)” では、不安定な倍音が持続的な緊張を生み出し、いわゆる現代音楽的な性格が顕在化する一方で、音のアンビエンスには2026年的な響きも感じられる。さらに “Shadow | Mess” から最終曲 “Fog | Mirror” に至る後半では、基本構造を保ちながら音響のトーンが緩やかに変化し、全体として光と影が移ろうような音響空間が展開される(その意味でアルバム後半は “stone | piece” の変奏とも捉えられるのではないか)。
『Body Sound』は、音楽を理解や解釈の対象としてではなく、知覚の条件そのものを変容させる作品である。音は意味を帯びる以前に「震え」として身体に浸透し、リスナーは音楽を「聴く」のではなく「そのなかに存在する」状態へと導かれる。本作は、音楽を固定されたオブジェクトではなく、関係とプロセスの連続体として再定義する試みである。
ホイットニー・ジョンソンの持続、リア・コールの時間操作、メイシー・スチュワートの越境的感性。それらが交錯することで、本作は音楽と音響、作曲と即興といった従来の境界を静かに揺るがしていく。本作は「音はいかにして〈関係〉として立ち現れるのか」という問いを掘り下げているのだ。
その変化は劇的ではないが、確実に聴取のあり方を変える力を持つ。重要なのは、本作が実験のための実験にとどまらず、音楽としての「美しさ」を確かに備えている点である。実験性と純粋な美しさが無理なく共存している点において、『Body Sound』は現代の音響表現が到達しうるひとつの理想を示したといえよう。
デンシノオト