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Philip Glass

Neo-Classical

Philip Glass

Philip Glass Solo

Orange Mountain Music

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高橋智子 Mar 08,2024 UP
E王

 2024年1月にリリースされた『フィリップ・グラス・ソロ』は、フィリップ・グラスが、彼自身の曲を、彼がいつも作曲で使っている自宅のピアノで弾いた、隅々までグラス本人の息がかかったアルバムである。
 この個人的で親密なアルバムを作ったきっかけはCOVID-19のパンデミックだ。あれから4年も経ったのかと、今考えると遠い日々のようにも思えるが、2020年4月頃からしばらくの間、これまでの価値観、生活習慣、経済や社会の仕組みなど、多かれ少なかれ世界中の誰もが再考を迫られた。音楽界への影響として、コンサートや音楽フェスティヴァルの中止の知らせが常に国内外を駆け巡り、その代わりにコンテンツ配信が盛んになった。長年マンハッタンに暮らすグラスにももちろんパンデミックの影響があった。
 収録曲は全7曲。1曲目 “オープニング(Opening)” は1981年に作曲され、1982年のアルバム『グラスワークス(Glassworks)』に収録されている。2曲目 “マッド・ラッシュ(Mad Rush)” は元々ダライ・ラマのニューヨーク初訪問を記念したオルガン曲として1979年に作曲された。後にピアノ・ソロに編曲され、グラス自身もこの曲をコンサートで演奏することが多い。3〜6曲目 “メタモルフォーシス(Metamorphosis)”I , Ⅱ, Ⅲ, Ⅴはカフカの小説『変身』から着想を得たピアノ曲で、作曲は1988年。音楽的には、この曲は1曲目の “オープニング” をさらに発展させた楽曲といえる。この2曲の関係に限らず、グラスの楽曲では、一つのテーマやパターンを他の曲と共有していることがしばしば起こる。それゆえに、どの曲を聴いてもなんとなく似ている印象を与える。7曲目の“トゥルーマン・スリープス(Truman Sleeps)” は1998年に公開された映画『トゥルーマン・ショー(The Truman Show)』のサウンドトラックをピアノ・ソロへと再構成したもの。どの曲も今ではコンサートのレパートリーとして、グラスのみならず、世界各国のピアニストによって数多く演奏されており、このアルバムの選曲はグラスのピアノ曲のベスト盤と呼べるだろう。
 1937年生まれのグラスは音楽家として半世紀以上にわたって絶えず音楽活動を続けてきた。ミニマル音楽の創始者のひとりであると同時に、今では映画音楽、交響曲、オペラの分野でも活躍している。パンデミック以前は作曲、演奏、新作初演といった慌ただしいスケジュールに追われて世界を飛び回っていた彼だが、他の多くのミュージシャンと同じく、パンデミックによって対外的なスケジュールのすべてが止まってしまった。その期間、つまり2020年から2021年の間は、彼自身が何年も演奏してきた自作のピアノ曲に改めて向き合う期間となった。「このアルバムは2021年のタイムカプセルのようなものであり、また、この数十年の作曲と演奏のふりかえりでもある。言い換えると、私の最近の音楽観のドキュメントなのだ。」*1と彼は語る。
 ミニマル音楽の作曲家(本人はこう呼ばれるのが本意ではないらしいが)として知られているグラスは、作曲活動と同じくらい演奏活動にも積極的にかかわってきた。高度な演奏技術と、時に作曲家の哲学と独自の方法のもとで記された楽譜の解読を要する現代音楽の場合、作曲家は作曲に徹し、演奏はその道のプロフェッショナルな演奏家に託すのが一般的だ。だが、グラスはこのような分業性をあまり好まない。

 作曲家に演奏のスキルは必要ないという考えがどこから来たのか、私にはまったくわからない。曲を書くのと演奏するのは別だとしてしまうなんて、ばかげている。音楽の根本的な性質を誤解している。音楽とは何よりもまず奏でるものであり、単なる研究対象ではない。
 私にとって、演奏は作曲にとって欠かせない部分だ。今の若い作曲家たちを見ると、みな演奏もしている。それは私の世代に勇気づけられてのことだ。われわれはみな演奏家だった。自分の曲の解釈を自ら行うということ自体が、われわれの反抗の一部だったのだ。*2

 グラスの言葉をふまえると、彼の肩書きをコンポーザー・パフォーマー(作曲家兼演奏家)、または、単に音楽家やミュージシャンとした方が彼の信念と活動に即しているのかもしれない。
 フィリップ・グラス・アンサンブルを率いるグラス、ドローン音楽の「グル」として影響力を持ち続けるラ・モンテ・ヤング、日本滞在5年目を迎えたテリー・ライリー、今もステージに立って「クラッピング・ミュージック(Clapping Music)」を自ら演奏するスティーヴ・ライヒ—ミニマル音楽の第一世代とされる彼らの出発点は、自身の音楽を演奏するために結成されたアンサンブルやパフォーマンスのグループだった。誰かが演奏してくれるのを待つのではなく、自分の音楽を自分たちで演奏して、観客の反応を直に感じ取る。これはインディーズやメジャーを問わず、バンドやミュージシャンにとっては当たり前のことだ。だが、グラスをはじめとするミニマル音楽の長老たちは、1950年代、60年代の現代音楽、前衛音楽、実験音楽の文脈のなかで高度に分業化されてしまった慣習に異を唱えながら、コンポーザー・パフォーマーとしての態度を一貫してきた。アルバム『フィリップ・グラス・ソロ』はピアノと真摯に向き合う彼の姿を聴くことができる。
 ジュリアード音楽院で作曲を志すようになってからもピアノの練習を欠かさず、グラスはピアノの技術を磨いてきた。また、彼は作曲の大半をピアノで行っている。彼にとってピアノは特別な、そして最もなじみ深い楽器のひとつである。だが、彼のピアノ演奏は技術を披瀝するためのものではない。むしろ、音、音楽、作曲、楽器へのアプローチを彼自身が一演奏者として客観的に確かめていく手段なのだろう。このアルバムに収録されている全7曲はピアノ演奏の難易度でいえば、間違えず楽譜通りに弾くだけなら、むしろ易しい部類に入る。ピアノを齧ったことのある人向けにより具体的な例をあげると、チェルニーの30番練習曲(正式名称はカール・チェルニーによる『30の技巧練習曲』作品849)程度を弾ければ、この7曲を難なく弾くことができるはずだ。繰り返すが、楽譜通りに弾くだけならば。
 グラスのピアノ曲はリズム・パターンを何度も何度も繰り返しながら、新たな和音やパターンへとゆっくりと変化する。ほとんど全部の楽曲がこの方法で構成されていて、見ようによっては(聴きようによっては)、とても単調でつまらない音楽に聴こえてしまうだろう。しかし、パターンの変化の様子を詳しく見てみると、調(キー)と和音(コード)の特徴を知り尽くしたうえでの緻密な音の操作によってできていることがわかる。グラデーションのように変化するパターンと、その構成力はグラスの職人技といってもよい。
 一見、誰も弾けそうなピアノ曲を作曲者であるグラスはどのように弾いているのだろうか。彼は自分の曲だからといって好き勝手に歪曲させることはなく、出版されている楽譜通りのテンポ、強弱、抑揚その他の演奏記号や演奏指示に忠実に弾いている。筆者は実際に楽譜と突き合わせながら彼の演奏を聴いてみて、そのことを確かめた。彼は専業ピアニストではないし、今はかなりの高齢でもある。彼が1980年代に録音した同じ曲の演奏*3と比べると、このアルバムでの演奏には曲中のすばやいパッセージではリズムの粒が揃っていない箇所も散見される。だが、そんなことを指摘しても、ここに収められているグラスのピアノ演奏に対する評価としては無意味だ。他のピアニストたちによるこなれた演奏*4とは明らかに違う観察眼で、彼は自分が過去に書いた音を一つ一つ注意深く確かめながらピアノを弾いている。
 先に引いたグラスの言葉を思い出すと、このアルバムはひとりの音楽家のドキュメントである。そのドキュメントは、音楽を追うだけでなく、音楽家の日常生活の一端を見せる生々しさを呈する。時折、ピアノの音色の背景で微かに聴こえる警報器の音や雑踏が、このドキュメントをより鮮明に描いている。

*1 Philip Glass, “Glass Notes: Philip Glass Solo,” https://philipglass.com/glassnotes/philip-glass-solo/ Accessed February 2024.

*2 フィリップ・グラス『フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉』高橋智子監訳、藤村奈緒美訳、東京:ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス、2016年、118頁。

*3 グラス自身がピアノを弾いているアルバム『グラスワークス(Glassworks)』(1982)と『ピアノ・ソロ(Piano Solo)』(1989)のなかで『フィリップ・グラス・ソロ』に収録されている曲を聴くことができる。聴き比べてみるとおもしろい。

*4 たとえば、アイスランド出身のピアニスト、ヴィキングル・オラフソンのアルバム『フィリップ・グラス ピアノ曲集(Philip Glass: Piano Works)』(2017)での “グラスワークス:オープニング” の演奏は、音の強弱の付け方やテンポのゆらぎの点で、グラスの抑制された演奏とは違う、よりロマンティックな解釈だ。

高橋智子