Home > Reviews > Album Reviews > A. G. Cook- Britpop
2013年に発足され、2023年に新譜のリリースを終了した〈PC Music〉が現代のオルタナティヴなポップスに与えた影響はとてつもなく大きい、というのは言うまでもない事実だろう。少なくとも、私事ではあるけれど電子音楽への強い興味をぼくに抱かせてくれたのもA. G. クックがコロナ禍に発表したアルバム『7G』と『Apple』であり、そこから〈PC Music〉の諸作が見せてくれるきらびやかな世界に引きずり込まれていまがある。個人的な体験は省略するとして、〈PC Music〉とともにポップスを換骨奪胎する形で生まれたオルタナティヴなポップ・ソングの一群は故・ソフィーの躍進とともにバブルガム・ベースと呼ばれ、それらはいつしか #Hyperpop とタグづけされるようになった。そして、ハイパーポップという商業ラベリングの着想源となったこの巨大なムーヴメントを切り拓いたA. G. クックは、新たな一歩を踏み出すべく2024年に新レーベル〈New Alias〉(=直訳すると、新たな通称?)を設立。同時に4年ぶりのフル・アルバム『Britpop』を発表した──大量のエスプリやイースター・エッグ的仕掛けに富んだ3つのプロモーション・サイトとともに。
まず、作品それ自体を語る前に、この一連のプロモーションにこそA. G. クックの美学が込められていることについて解説しておきたい。具体的には「音楽界で最も信頼されていない声」とうそぶくピッチフォークのパロディ・メディア「Witchfork」(ジョークながら読み応えあるテキストが潤沢に用意されている)、ウムルやメス・マス、DJ G2G などクックに近い音楽家の新リリースからファンによる投稿作まで、さまざまな音楽作品をフリーで提供するバンドキャンプのパロディ・サイト「Wandcamp」、そして「膨大な穀物ライブラリ」を取引するためのプラットフォームという(ダジャレのような名称の)ビートポートのパロディ・サイト「Wheatport」の3サイトを、アルバムのプロモーションを兼ねて4 月 24 日までの期間限定で更新していった(現在はいずれもサイトの入口に「当サーヴィスは非公開の多次元複合企業に買収されました」といった架空の声明が表示されているものの、音源のダウンロードや記事の購読は可能)。
ちなみに、3サイトの頭文字はそれぞれ「W」で、3つ並べるとつまりワールド・ワイド・ウェブとなる。そしていずれも最終的な導線は「WWW」というクックが新たに立ち上げたディスコード上のサーバーと紐づけられており、こうした半オープン/半クローズドなコミュニティ・プラットフォームこそが現行のインターネットだよね? と示唆しているようにも受け取れる。
この資本主義的な音楽プロモーションを皮肉ったような一連の動きのモチーフになっているのは、Witch=魔女、Wand=杖、ethereal entities=エーテル体などのファンタジックで呪術的なフレーズと、multidimensional=多次元、otherworld=別世界といったSFチックで非現実的なフレーズなど。なぜそうしたイメージで本作『Britpop』の作品世界を拡張しようとしたかといえば、それはこのアルバムが過去/現在/未来の3つの階層に分かれた24曲入・3枚組の重層的な作品だからだろう。霊的なものと並行世界、神秘的なものととテクノロジー、そしてそのどちらにも偏らない私たちが暮らすいま、ここについてをレイヤーを重ねるように並列化しているアルバムだ。
「過去」パートと定義されたDisc 1、M1~M8までの各トラックはこれまでのクックのパブリック・イメージに近しい〈PC Music〉的なバブルガム・ベース~ユーフォリック・トランス~IDM的なサウンドで、「現在」パートとされるDisc 2のM9~M16には古びたオルタナティヴ・ロック──つまりはタイトル通り「ブリットポップ」への憧憬が感じられる歌を基調としたトラック、そして「未来」パートとされるDisc 3のM17~M24はそれぞれ「過去」パートを踏襲しつつ、それらを塗り替えていこうとする意欲に満ちたシンセ・ポップのニュー・スタンダードを提示している。楽曲単体にスポットを当てると、アルバムの入口となるM1 “Silver Thread Golden Needle” は135BPMのIDMライクなトランス・ナンバーとして抜群の完成度で、先行シングルとして2024年1月1日にリリースされたことにも納得できる。なお、こちらは2014年リリースの代表曲 “Beautiful” を9年越しにリエディットした “Beautiful (2023 Edit)” を引き継ぐ形で制作されたようで、10分弱のトラックに耳を傾けると同曲や同じく代表曲のひとつである “Show Me What” などのヴォーカルをカットアップ的にサンプリングしていることがうかがえる。
「現在」パートの収録曲は表題通り、クックなりのブリットポップ愛/ブリットポップ観が感じられる脱構築的なインディ・ポップ~オルタナティヴ・ロックとして統一感を持っており、とくにM16 “Without” は急逝した才能、ソフィーに捧げられたディストーション・ギターの弾き語りとなっていることが印象的だ。Disc 2──「現在」の締めくくりにふさわしいこの曲が、現実からかけ離れたキッチュなサウンド・メイキングで世界を席巻したクックのもうひとつの側面である、ポップ・ソングの名手としての一面を際立たせていることは素朴な感動を与えてくれる。
一転してDisc 3──「未来」パートではバブルガム・ベースの方法論を用いてよりオーヴァーグラウンドなシンセ・ポップへ挑戦する姿勢が見られ、ビヨンセやチャーリーXCX、そして宇多田ヒカルといったポップ界の巨人たちと数々の仕事を重ねた彼が見ている新たな景色の一部を切り取ったかのような、いわば「メインストリーム的な実験」という矛盾を見事に成功させている。特筆すべきは先述したプロモーションの核に位置する「WWW」というキーワードと同じ題名を与えられたM22 “WWW” で、5分強のなかでいままでとこれからを一切合切マッシュ・アップしたような目まぐるしい展開が1曲にパッケージングされている。時折顔を見せる2ステップ的なハイハット使いやロック歌手のような歌声にも、やはりイギリス人としてポップスをつくることへの矜持のようなものを感じる。
魔法とテクノロジーを並列化して、ベッドルームと外界に橋を架けて巨大なポップ・シーンを楽しげに塗り替えていったA. G. クックの10年を総括しつつ、予測不可能な未来へのヒントも散りばめた意欲作でありながらも、作品全体に通底しているのは「ポップ」であること。クックはリリースに伴い複数のインタヴューで、本作の着想を「パンデミック中に過ごしたアメリカ・モンタナ州の片田舎」で得たと語っている。田舎の牧場にはかつてイギリスからアメリカを開拓するべく渡った人たちの残滓として、古いイギリスを感じさせるシンボルが残っていたという。その前後、本国ではブレグジットや女王の死などの象徴的な出来事がいくつも起こり、彼は複雑な想いのなか、単なる愛国心ではなく矛盾した感情の狭間で揺れたそうだ。本作のプレス・リリースでは「自分自身のキャリア、“イギリスらしさ” の概念、そして時代を定義したムーヴメントへの敬意と否定を並列に描く」という、明確なコンセプトも示されている。ぼくたちが日本に抱く複雑な思いもきっとそうだろうし、どこにいたって人はつながっている、そんな時代でもフッドのことを捨て去るのは難しいのだろう。ならば、せめて疑いながら愛したい、という人の子のシンプルな気持ちがこのような大作に現れることも無理もないことだし、事実クックは4年ぶりのこの大作で自身の功績を総括しつつ新天地へと進むことを示した。
松島広人