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RIP

R.I.P. Damo Suzuki

R.I.P. Damo Suzuki

追悼:ダモ鈴木

松山晋也、小柳カヲル Feb 13,2024 UP

「今」だけを生ききった旅人

松山晋也

 昨日(2024年2月10日)の深夜にダモ鈴木さんの訃報をツイッターで知った時、まっさきに思ったのは、やっぱりダモさんの最新インタヴューもとっておくべきだったな、ということだった。2020年秋に私の編集・監修で出た『カン大全――永遠の未来派』には、本人の回顧録『I Am Damo Suzuki』の紹介記事(崎山和弥)と、セレクテッド・ディスコグラフィ(小柳カヲル)、そして私が96年にやったインタヴュー原稿を掲載したが、総ページ数に制限があったため、最新情報までは載せられなかった。まあ、ガン治療で大変そうだと聞いていた上、インタヴューしても肝心なポイント(言葉)はだいたい予想できるという思いもあったわけだが。

 ダモさんには過去4回インタヴューした。「日本でのちゃんとしたインタヴューは初めて」だと言っていた最初の取材はたぶん88年だったと思う。70年代後半から勤めているドイツ企業の社員として日本出張中だった合間を縫って高円寺の喫茶店で会ったと記憶している。ダモ鈴木という芸名が、森田拳次による60年代半ばの人気漫画「丸出だめ夫」からとられたと知ったのもこの時だ。彼はカン加入前のヨーロッパ放浪中、自身を「だめ夫鈴木」と名乗っており、それがいつの間にかダモ鈴木になったのだという。
 しかし、96年に2度目のインタヴュー(これも高円寺の喫茶店だった)をした時は「本当にダメな奴だと思われてきたから、最近は芸名の由来についてはあいまいにごまかすようにしている。はっきり言って、僕は模範社員なんですよ」と笑っていた。実際目の前の彼は、実にきちんとした生真面目な人で、「虹の上から小便~」と歌っていたあのダモ鈴木と同一人物とはとても思えなかった。『Future Days』リリース直後の73年秋にカンを突然脱退したダモさんはこの時のインタヴューで「カンのサウンドが過剰に緻密になり、洗練されすぎたのが息苦しくなって」と脱退理由を説明したが、ダモさんをカンにスカウトしたホルガー・シューカイに数年後にインタヴューした際、彼は「結婚した女性の影響で《エホバの証人》の信徒になったせいだよ」と語った。真相は、おそらくその両方だったのだろう。ダモさんはカン脱退後は専門学校に通って石畳の道を作る職人になり、更に、デュッセルドルフの企業で正社員として働きだした。カン脱退からドゥンケルツィファーに参加する83年までの約11年間、彼は音楽活動とはほぼ無縁だ。
 そして3、4回目のインタヴューは2010年。聴衆を前にした某イヴェントでの公開インタヴューと「めかくしプレイ」の取材2本を同日におこない、翌日には一緒に朝食をとりながらあれこれとよもやま話もした。「18才からずっとヨーロッパ(スウェーデン、アイルランド、フランス、ドイツ)で暮らしてきたので、最近、日本のことをもっと理解したいと思うようになった。こうして一人で日本を演奏して回っているのも、もっと日本のことを知りたいからなんです。47都道府県を全部回るという目標を死ぬまでになんとか達成したい」。日本に息苦しさを感じて18才で飛び出したダモさんは、しかし日本をとても愛していた。「本当は政治家になりたかった」という言葉も本心だったと思う。

 こうしたインタヴューを通じて、特に印象深かったのは、彼の言葉、あるいは哲学のすべてがいつも最終的には「今」と「自由」に収斂されていくことだった。

 彼は亡くなるちょっと前まで、90年代後半から続けていたダモ・スズキズ・ネットワークとして世界各地で精力的にライヴを続けたが、そのほとんどは、行った土地土地のミュージシャンたちを交えた一期一会の即興ライヴだった。ネットで様々なミュージシャンたち(彼はこれを「サウンド・キャリアー Sound Carrier」と呼んでいた)と自分で連絡を取り合い、打ち合わせもリハーサルもなく、ぶっつけ本番で即興コラボレイションを繰り広げた。それが音楽的に成功するかどうかなど関係なく。ダモさんは最期まで一度もマネジャーを付けず、すべてを自分で決め、行動したし、コラボ相手に関する情報(音やキャリア)を事前にインプットすることもほとんどなかった。情報は完全な「自由」を殺してしまうことを知っていたから。
 96年のインタヴューで彼はこう言っている。「即興にこだわるのは、プロダクト化されてしまうのが嫌だからです。即興はプロダクトではなく、プロセスだからね」。あるいは「音楽は生き物です。そして、音楽だけがあらゆるアートの中で時間の流れを活き活きと表現できる。だから、毎日同じ曲をやるようであれば、あんまりちゃんと生きていないってことだと思う。僕は過去には興味ない。大事なのは“今"だけです」とも。
 ダモさんにとって即興とは、「今」をいかに真剣に生きているかの証だったのだと思う。その哲学は、まだ高校生だった日本でのヒッピー時代から亡くなるまで、ぶれることなく貫かれた。もちろんカン時代のヴォーカルも、その場で無意識に口をついて出てきた言葉をそのまま発したもの――彼が言うところの「宇宙語」だった。「だから、歌詞の意味も後から考えたものが多い。俺は何を歌ってたんだろうって」。ホルガー・シューカイは私に、70年5月にミュンヘンの路上で初めてダモさんを見た時の印象を「その男は太陽に向かって呪文を唱えていた」と語ったが、今その瞬間を生き、荒々しく変容し続けるダモさんの呪文=宇宙語の生命力と覚悟こそが、厳しい修練を経た手練れ揃いのミュージシャン集団だったカンを更に高い次元へと引き上げ、新たな扉を開く起爆剤になると直観したのだと思う。

 ダモさんは2014年に大腸ガンで生存確率10%と宣告され、以後40回もの手術を受けたが、苦しい治療を続けながらもライヴ活動はやめなかった。未知の人々との新しい出会いを通して「今」を表現し続けるために。2022年に公開されたドキュメンタリー映画『ENERGY:A Documentary About Damo Suzuki』(監督はミシェル・ハイウェイ)に刻まれているのは、最期まで「今」だけを愛し「今」だけを生ききった旅人の姿だ。見事な人生だったと思う。

松山晋也、小柳カヲル

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